一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

やはりブルー・インパルスには真っ青な空がお似合いだ。

ここ数年、文化の日となると、入間基地航空祭に出かけるのが恒例となっておりますが、今年も行ってまいりました。
川越からだと、西武新宿線の狭山市駅が入間基地の最寄り駅。駅からの歩きも含めて1時間もかかりませんのでちょっとしたピクニック気分で行くことが出来ます。

一番の目的はと言えば、もちろんブルー・インパルスの演技ですね。
今年は例年に無く好天に恵まれました。
ちょっと風もあったけど、これほどの晴天に恵まれれば文句は言えません。
おかげで、ブルー・インパルスの演技を十分堪能させていただきました。
(本来ならデジカメでとった画像を貼り付けたいところでしたが、なぜかパソコンで画像ファイルが開けないので今回は断念します。しかし、なぜだろう?)

それはさておき、ここ何年かずっと見ているのですが、毎年演技が変わっていないような気が…。
贅沢な不満だとは思いますが、新しい演目を入れて欲しいです。

そこでちょっと気になって、ネットを探していたらあるんですね。
ブルー・インパルスの演目を解説しているHPが。

そこの演目解説を見ていたのですが、これ↓は見たことないので来年は是非やって欲しい。

◆さくら CHERRY BLOSSOM
さくら
http://www.masdf.com/blue/sakura.shtml
【この写真↑は上記リンク先HPより引用させていただきました。】

あと、サンダー・バーズがよくやる演技「cross」なのですが、この演技↓もお願い!

Thunder birds 演技解説・写真より「Cross

要は、四方向から進入してきて、一点でクロスする演技です。単なる一直線のクロスですら大歓声があがるのだから、東西南北からクロスすればもっと受けるはず。

サンダー・バーズに出来て、ブルー・インパルスに出来ないはずは無いでしょう。
是非来年は新演技の披露をお願いしますヨ。ブルー・インパルスの皆さん!!


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昔から「機能&経済」至上主義だった日本人

今回は、前回の記事「”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?」の続きです。
日本は成功するが故に、嫉妬の対象になっていることは、前回ご紹介した山本七平の記述でお分かりいただけたかと思います。

そこで、今回は、それでは日本は、一体どう対処したらよいのか?と浮かぶ疑問について、「危機の日本人」から山本七平のサジェスチョンの部分を紹介していきたいと思います。

危機の日本人 (角川oneテーマ21)危機の日本人 (角川oneテーマ21)
(2006/04)
山本 七平

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◆思想や宗教の商品化

日本人の具体的価値を重視する傾向は、当然に経済性の重視になる。

『人鏡論(註1)』で道無斎が神・儒・仏を嘲笑しているのは、彼らがその「思想」や「教え」乃至は「秘伝」そのものに価値を置かず、それが「売れる」という点、すなわち経済性に価値を置いている点がある。

(註1)…徳川時代に広く読まれた著作者不明の本。殆どが「神・儒・仏はフィクションで人間万事カネの世の中」を論証することに費やされた娯楽本。

こうなれば当然に、買えるものしか相手にしない。

いわば宗教や思想の商品化で、その意味では「商業左翼」と同じであり、そしてこの商品化が、身分・地位・結婚・医師や技能士の資格にまで及んでいる点である。

これは別の表現でいえば宗教や思想も売れるがゆえに価値があるのであり、売れなければ価値はない
「商業左翼」とはもちろん嘲笑の言葉だが、道無斎が笑った対象はその中世版である。

これを別の面から見れば日本人は、直接的に機能しないものは評価しない、機能するものは高く評価するという伝統が古くからあるということである。

これは機能至上主義と言ってよい。

これを[カンハン](註2)は二つの面から指摘している。

(註2)…豊臣秀吉の朝鮮侵略のおりに捕らえられた朝鮮の儒学者。日本での幽閉滞在中の生活を記録に書き記し、三年後帰国したは「看羊録」と名付けた記録を刊行した。藤原惺窩らと交流があった。

一つは何事であれ「天下一」となれば評価され、それが材木を縛る天下一でもよいのである。

また各大名はあらゆる技能者を集めている。
役に立つ兵書を読ますため「物読み坊主」も集めている。
だがこの「物読み坊主」が直接には何の機能もしない理気論や礼論を読みかつ論ずれば、すぐに失職であろう。

さらに小銃だが、韓国ではこれを鳥銃といい、前述のように対馬の宗氏から手に入れていたのに、何の興味も示さなかった。

ところが日本人は、この方が機能するとなると、たちまちその製造技術を覚え、あっという間に量産して国中にその妙手が生ずる。

さらに日本人の異国の品物に対する異常なほどの好奇心を指摘している。

この機能主義と異国への好奇心が一体化したとき、非常に危険な存在となると見たのがゴローニン(註3)オールコック(註4)である。

(註3)…ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人、探検家。wiki参照。
(註4)…イギリスの医者、外交官。初代駐日総領事、同公使を務めた。wiki参照。

産業革命後の機械と技術は直接に役に立つと見れば、異常な好奇心をもってこれを導入し、すぐさま習得すると共に、その機械をつくり出す。

いわば対外的好奇心と、機能主義と、宗教でも主義でも教義でも商品化するという経済至上主義とが一体化すれば、確かに危険な競争者となるであろう。

それは日本人自らが気がつかないだけで、幕末に日本に来たゴローニンにもオールコックにも、はっきりと見えたことであった。

◆カネが無限の効用を持つ社会

機能至上主義と経済至上主義とが結びつけば、すべてが産業化する。

前にあるベンチャー・ビジネスの会合で、有名なソフト産業の社長が次のような面白いことをいった。

「一次産業、二次産業、三次産業という分け方は正しくないと思います。

問屋・小売店など、またごく普通のサービス業や娯楽業、さらにわれわれのような仕事を第三次産業と呼ぶなら、私大を経営する学校屋、塾、予備校など教育屋は第四次産業、このほかに情緒を売るのが第五次産業、宗教が第六次産業で、利益率は六、五、四、三の順ですな」と。

このとき、「いや、政治産業も入れるべきだ」という声もあったが、確かにこれも入れるべきかも知れない。

そのことは一先ず措き、その歴史を見ると、これらの産業は実に道無斎の時代からあったわけである。
こういう社会では、精神的救済まで買えるから、カネは無限の効用をもつと言ってよい。

そうなれば、各人は無限に経済的になりうる。

カネによって入手できるものがきわめて限定されている社会では、カネの効用も限界がある。

上和田八郎左衛門のようにカネで「士」になることができず、同じようにカネで三位の「大夫」になることができないならば、普通の衣食住を支えるだけのカネがあればよいことになる。

カネで権力者になれないなら、余分の富を持つことは危険なだけである。

李朝の韓国はそういう状態だった。

◆世界に通用しない国内原則

金日坤氏の『韓国、その文化と経済活力』の中に、「崔家門の知恵」という面白い話がある。

崔氏の家門は、米にして一万石の収入を得つつ十代つづいたので有名な家だが、次のような厳しい家訓があった。

(一)官職は『進士』以上の位に就いてはならない。

(ニ)財産は一万石を越えて増やそうとするな。

(三)凶作の年には田畑を買うな。


(一)の進士というのは郷試に合格すると与えられる最低の称号で実務のない名誉職。
だが官職にあれば役人の横暴を防ぎ、収奪は免れる。

だが余り高い官職に昇れば、権力争いに巻き込まれ、財産没収などの憂き目に会うから絶対に上位に昇らない。

いわば「末は博士か大臣か」などということは絶対に望まないのである。

(ニ)は一万石も収入があれば否応なく資産は増えていく。

だが余り大きくなると危険だから余剰分は小作人に還元するか公益事業に寄付して、使用人や世間の人の怨みや嫉妬を受けないようにする。

「出羽の本間か、本間の出羽か」といわれるようになってはならない。
いわば銭屋五兵衛にならないためである。

(三)も同じで、貧乏人や困窮者の弱昧につけこんだという非難や憎悪の対象にならないようにせよ、ということである。

現在の国際社会の中で日本が生きる道を求めるにあたって、ある種の示唆を与える家訓だが、一国の経済という枠組の中で見れば、これでは資本の蓄積は不可能であろう。

もっとも蓄積しても意味がなく、逆に危険を招来するだけなら、確かに意味はないが、六次産業まである国はまた別である。

ただ日本で通用するこの国内原則が、そのまま世界に通用すると考えてはならないことは、常に自戒していないと危い

◆二十一世紀への日本の課題

以上に述べて来たこと、これは本書で今まで述べて来たことの要約だが、これをさらに要約すれば次のようになるであろう。

「日本人は”自然化された自然”によって形成され、”御威光”によってそれが保持されている秩序を、イデオロギーと無関係に自然的環境のように受けとり、それを”今の掟”として受容し、柔軟かつ誠実にそれに対応することによって摩擦を避け、その中で現実に社会に機能するもののみに価値を認め、その結果すべてを、経済性と有効性に還元しうる民族である」と。

明治時代のように植民地化されそうな危険があった時代には、戦国時代に鉄砲の有効性を認めたように、軍事力の有効性を認めた。

が、同時に経済性も重要視した。
「富国強兵」というスローガンが何よりもそれをよく示している。

この行き方は一見きわめて合理的である。
それが合理的であることは、日本の急速な発展が示しているであろう。

日本人は、以上の思想を借りものとしてでなく、自らのものとして完全に身につけているので、自分の思想を少しも意識していない

そして意識していないが故に、この合理性のもつ問題点をも意識していない

問題はここにあり、日本の落し穴は常にこの点にあるといわねばならない。
過去において日本はそれにつまずいた。

将来つまずくのもその点であろう

ではその問題点とは何なのか。

日本の発展が、それが軍事力であれ経済力であれ、その発展を可能とした前提、すなわち「御威光によって保持され自然的に形成された国際秩序」を崩壊させそうになることである。

この点で、以上の合理性は、きわめて危険な非合理性を含んでおり、これを、どのように克服するかが、簡単にいえば、二十一世紀への日本の課題なのである。

【引用元:危機の日本人/二十一世紀への課題/P213〜】


一体どうしたらよいのか?というはっきりした答えはまだ出てきませんが、問題点ははっきり出てきました。

国際秩序の中で、機能至上主義と経済至上主義を活かす環境を与えられさえすれば、日本はその実力を発揮し、国際競争を勝ち抜くばかりか、一人勝ちという結果すら得ることによってその秩序を崩壊させてしまいかねないというのが、日本が陥り易い問題点だということですね。

また、仮にそうして秩序を崩壊させたとしても、新たな秩序を作りあげるだけの実力を持たないところも問題なのでしょう。

しかし、一番問題なのは、上記の問題点を日本人自らがまったく意識していないという点に尽きるのかもしれません。

次回は、こうした問題が、日本に対する理不尽な要求を引き起こしていることについて書かれた山本七平の記述を紹介していきたいと思います。ではまた。

【関連記事】
・”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?

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「原子力の日」に思う。

今日は「原子力の日」だそうです。
そこで、今回ご紹介しようと思うのが、これについて書かれた山本七平のコラム。

昭和60年前後に書かれたものらしく、核燃料サイクルなどについては当時の知識で書かれており、山本七平自身も科学技術は専門分野ではないことから、そうした前提を頭に入れて幾分割り引いて読む必要があるとは思います。

私がネットで調べた範囲では、今現在に至っても、核燃料サイクルの要となる高速増殖炉プルサーマル発電は稼動していないようですし。

ただ、それでも彼の意見には、参考にすべき点があると思います。では、引用開始。

「常識」の非常識 (文春文庫)「常識」の非常識 (文春文庫)
(1994/01)
山本 七平

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◆原子力の日

十月二十六日は「原子力の日」だと言っても、その日をはっきり意識した人は少ないであろう。

さらにこの日は、日本ではじめて原子力発電が行われた日であることを知る人も少ないであろう。

だが私は、後代は人類の歴史を原子力以前・以降と分けるのではないかと考えているので、この日は日本史にとっても最も重要な記憶されるべき日となるかも知れないと思っている。

人類史を大きく変えたような発明も、その当初においてはきわめて冷たい目で見られ、過小に評価されるのが普通であった。

蒸気船がはじめて大西洋を横断したとき、当時のロンドンっ子は次のように嘲笑したという。

「風が船を運んで来るのだが、この船は風を運んできた」と。

この船は燃料とボイラー水を積み込んで大西洋を横断するのが精一杯であったため、イギリスに着いたときは船倉は空であった。

これを「風を運んできた」と嘲笑したわけで、いずれにしろ「役立たず」、しかも平均一〇ノットといわれた当時の最新鋭の帆船より速度が遅かった。

従って、原子カヘの同じような批判があったとしても不思議ではない。

だが蒸気船は地球の地図を塗りかえてしまい、「黒船」として日本にも来航して日本を開国させ、日本文化史に新たな一章を加えただけでなく、世界史にも新局面を開いたわけである。

もちろんそのすべてが蒸気船によって行われたわけではないが、この技術革新が与えた影響力を無視して近代史はない。

そして、新しい技術がこのように世界史および一国の歴史に大きな影響力を与えることは少しも珍しくはなく、前記の蒸気船はその一例にすぎない。

こういう観点から原子力を見ると、この開発・利用が人類の文化に与える影響は、画期的といわねばならない。

というのはこれは「火でない新しい別の火」であり、人類の今世紀初頭までのエネルギー利用とは全く別のものだからである。

もちろんはじめは「蒸気船」のように他の燃料より劣り、ついで競合関係となったが、これが原子燃料サイクルとして確立され、かつ十分に利用されるようになれば、今までのエネルギーにはない新しい特色を発揮するであろう。

すでにご存知の方は居られると思うが、このサイクルを要約すると次のようになる。

|宜曄
∪栽、
E彰后箆札侫嘆ウランにする)、
で蚕漫ウラン235の割合を三〜四%にする)
ズ禿彰后頁蚕未靴刃札侫嘆ウランを粉末状二酸化ウランにする)、
成型加工(燃料棒に成型し十数本まとめて燃料集合体とする)、
Ц胸厠枠電(燃料として三〜四年燃えつづける)、
┷峠萢(一%ほど残るウラン235と新たに生成されたプルトニウムを分離する)、
再利用(分離・回収したウランプルトニウムを再利用するために、それぞれ転換施設や成型加工施設に運ばれる)、
そこで再び燃料として用いられる。

言葉にしてしまうと簡単だが、こういう新しいエネルギーと、それによって生産される電力が社会で用いられるエネルギーの主体となると、人間の社会はどう変化するであろうか。

過去における戦争は、しばしば食糧とエネルギーをめぐって起こった

戦前の日本では「石油の一滴は血の一滴」などといわれ、これと食糧とが、世界恐慌の後遺症に苦しむ日本が満州に進出しようとした主要な動機であったといえる。

当時の記録を見ると、開拓民として満州に渡ったのは農村の土地なき二男、三男であり、その多くは寒冷・積雪地である。

今その順位を記すと、…耕遏↓∋碍繊↓5楙襦↓た軍磧↓ナ‥隋↓Ψ嫁蓮↓Х本、╂仞遏↓秋田といった順になっている。

歴史に「もし」はないが、当時日本が豊富なエネルギーをもち、これらの地に工業を興して就業の機会を得られるようにしていたら、満州事変から太平洋戦争へという悲劇を防ぎ得たであろう

もちろん現在でも問題はすべて解決したわけではなく一方で過密を生じ、その一方で過疎を生ずるという問題は残しているとはいえ、昭和初頭のような苦しい状態ではない。

日本の農地は限られているが、就業人口は減少して多くが第二次、第三次産業に移っている。
それを可能にしたのが豊富なエネルギーであることはいうまでもない。

従ってエネルギーの確保は日本の死命を制する問題であるとともに、その創出は日本の将来に大きな可能性を与える

と同時に、原子力はある国または地域がエネルギーを独占して国際政治に猛威を振るうことも抑止しているわけであり、原子力はこの点でも「エネルギーなき国」といわれた日本の将来と国際政治に大きな力をもっている。

このような点から見れば、「原子力の日」は日本にとって、新しい方向へと踏み出した重要な日だと言わざるを得ない。

毎年この日には必ず、エネルギーと日本の将来という問題を、各人の問題として考えたいものである。

【引用元:原子力の日/「常識」の非常識/P88〜】


原子力発電に関しては、どうも極端な意見に分かれることが多いように感じます。

もちろん、この問題のメリット・デメリットを論ずること自体はよいのです。

ただ、山本七平が指摘するように、エネルギー問題が、日本では重大かつ決定的な要因であること、そして、過去を振り返ってみれば、そのことを巡って日本の命運が左右されたことを肝に銘ずるべきではないでしょうか。

反原発の主張もよいですが、この問題を考える際には、必ず「エネルギー安保」という視点から考えることをお願いしたいものです。

【関連記事】
・資源問題に関する日本人の「現実的」態度は、世界に比べて現実的だろうか?

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八百長のある国、日本。八百長の無い国、アメリカ。【追記あり】

最近の鳩山民主政権の対米交渉ぶりを見ていて危なっかしい感じがしませんか?

交渉相手がどういう相手だか把握した上で交渉するのだったら構わないのですが、どうもひとりよがりっぽく交渉している気がしてなりません。
(まぁ、これはあくまでも私の印象に過ぎないのですが…)

なぜそう思えるのか考えていて、ふと思い出したのが次に紹介する山本七平の記述です。

今日はアメリカ人とはどういう相手なのかが、それを示唆している彼の記述を「日本人とアメリカ人」の中から紹介していこうと思います。
この本は、昭和天皇の訪米をきっかけに書かれたもので、その際のエピソードも出てきます。

日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)
(2005/04)
山本 七平

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◆「いやなら出て行け」を許す空間

では一体アメリカとは何なのか。
アメリカという形で統一された「伝統なき空間的モザイク」が、組織として機能するように構成している枠組みは何なのか。

「憲法です、そしてそれに基づく法規です。アメリカとはそれだけの国で、それ以外には何もありません」。

これは、細川氏と話している所に入って来た『デンバー・ポスト』の論説主幹の言葉である。
氏の言葉をきいていると、「法的規制以外にアメリカ人を規制するものはないし、あってはならない」というふうにも聞こえる。

その通りかもしれぬ。

否応なしにモデイク型に多様化した文化が併存するなら、文化的統合とか伝統的・慣習的規制とかは許されず、ましてや文化の中心である中央への指向で統合するわけにもいかず、「明記された法」という枠組み以外のことでは、各人は勝手たるべしと言う以外にない。

ところが各人勝手といえば、「法の間隙をうめるため」、各人勝手に法とか規約とか規則とか相互契約とかをつくり、その構成員とその当事者はそのルールを守るという以外に、統合の方法はなくなる。

そこでアメリカとは「法だらけ」の国で、「石を投げたら弁護士にあたる」という形になる。

まず合衆国憲法にはしまり、州憲法、州法、古法、町法、村法から、私的な法、いわば博物館法、店内法、家法とでも言うべきものまで、各人が勝手に判定しているという感じである。

そして法がそれより”上級”の法と衝突すれば、弁護士のお出ましとなるわけであろう。

「何かといえばすぐ弁護士、こんなに法だらけではきゅうくつでたまらんでしょう」

「いえ、アメリカにはスペースがありますからネ、その州の州法がいやなら、気に入った州法の州へ行け、ということですな。端的にいえば、ばくちをやりたくなったらネバダ州へ行け、死刑反対なら死刑のない州へ行け、禁酒州にいたいなら酒をのむな、ということなんです」

とNさんは言った。

「じゃ、全部いやだったらどうすればいいんですか」

「そんならアメリカから出てけ、でしょうネ。ここは何しろ、”入ってきた人間の国”ですから、いやなら”出てほかへいけ”という発想が絶えずあるんです。これは町にも、村にも、店にもあります」

(〜中略〜)

そしてこれは店でも変わりはない。
いわば、ここはオレの店だ、オレの店に入ってくるなら、オレ様の定めた店内の法規に従え、いやたら出てほかへいけ、であって「お客様は神様」ではない。

このことを最初に知らされたのは、ワシントンでNさんとコーヒーハウスに入ったときであった。

見ればカウンターの上に「禁煙」と書いてある。
店主の定めた店内法規であろう。私は内心甚だ不愉快であった。

◆コーヒーハウスにもある”店内法”

というのは、それは、国務省での討論のあと、コラムニストのコノー氏に会いに行く途中で、簡単にいえばコーヒーを飲んでいっぷくしたいから入ったのである。

喫茶店に入って、「禁煙」とやられては、欲求不満がつのり、余計にタバコが吸いたくなる。

「禁煙をやぶったら、どうなります」「つまみ出されるかもしれませんな」と言ってNさんは、南部の禁煙バーでの体験を話してくれた。

禁煙バーとか禁煙コーヒーハウスとかは、アメリカでは少々流行らしい。

そういうバーに入って、Nさんがカウンターで喉をうるおしていると、町のオニイちゃんといった風体の二人づれが入って来て、禁煙を無視してタバコに火をつけた。

その瞬間、店主が、ものすごい見幕で、「タバコが吸いたきゃ、ほかの店へ行け。オレの店に入るのならオレの店のルールに従え。いやなら出て行け。」 と怒鳴った。

アメリカ人が拳銃をつきつけるのは、ああいう時なんですよ。二人はすぐ出て行きましたから、それですみましたけれど……」ということであった。

(〜中略〜)

◆法による規制には文句を言わぬ

店内法、館内法、ホテル内法でこの有り様、全くアメリカ人は「それは法規だ」と言い出すと、始末の悪い問答無用の人間になる

もっとも多人種モザイク国家にはこれ以外に秩序を保つ方法はないのかもしれぬが、サンフランシスコの市警の交通整理を見たときには、問答無用のその荒っぽさには少々あきれ、つくづくと「日本でこんなことをやったら、大変なことだろうな」と思った。

一言でいえば、ルール違反者に対してはきわめて”非民主的”であり、全く”人間性無視”の”物理的規制”を平然と、無表情でやってのけるのである。

それは、その日の三時ごろだったと思う。

千葉県知事、いわゆる殿様知事の故加納久朗氏の弟さん、二世の加納久憲氏(氏については後述する)を都ホテルに訪ねようと、ホテルを出た。

すると次の十字路に人だかりがしており、交通はストップで、名物の電車もとまっている。
セント・フランシス・ホテルから天皇が出てくるところらしい。

こういう交通規制に対して、アメリカ人は少しも文句をいわず、急ぐものは迂回し、暇なものは見物している。

アメリカ人は、権利の主張はうるさいが、「天皇のため交通どめまでして……」といったような、日本的な小姑的批判は皆無である。

見れば、とまった電車の前の窓に腰を掛けて、カメラをかまえているひま人もいる。
警戒は厳重で、上空をヘリがとび、周囲の高いビルの屋上には、ライフルをもっているらしい者が、ジーッと下をにらんでいる。

白バイが二台、パトカーが二台、次に何かの車があって、そのうしろの大型車が天皇の車、つづくのが市長の車であろうか。それがホテルの入り口に並んでいる。

群集は歩道に並んで見ている。
だが、並んでいると、天皇から遠くなるにつれて天皇の方がよく見えないから、遠い者はつい隣のものより車道へ首を出す結果になる。

するとその隣のものは車道へ半歩ほど出る。
その隣はさらに出る、何しろ車止めになっているから、ついついみなが車道へと出てしまう――どこの国でもこういう風景は同じことで、結局天皇の行進方向の道路の歩道からは、天皇の車から離れるに従って次第に人が車道へとはみ出して来て、天皇の車のあたりを底辺にした長辺二等辺三角形の人垣ができ、その人垣の頂点は行進方向の車道のまんなかになり、道路をふさいでしまった形になっている。

日本なら「車道へ出ないで下さい」「道をあけて下さい」と拡声機で怒鳴りつづけるところだろうが、パトカーも警官も平気でこれを放置している。

一体この、車道にあふれた群集をどう整理するつもりなのか。

◆群集すれすれに突っ走る白バイ

天皇が出てきたらしく、ホテルの入り口が少しざわめいている。
その瞬間、私は思わずアッと言いそうになった。

白バイが二台、走り出した。

この二台が、車道に出ている人の列すれすれにダダダダッと走るのである。
群集は驚いてダダッと後ずさりする。
二台は一定のところまで行くとUターンをして、またものすごい勢いで、女性のバストすれすれにつっ走る。

群集はまたダダッと後ずさりする。

警官は全く無表情でこのUターンを数回くりかえし、結局、一言も発さずに、群集を”物理的”に歩道に押し上げてしまった。

それを見きわめてパトカーが走り出し、ついで天皇の車も動き出し、一行は飛行場の方へ走った。

こういうときの警察官の表情は、まるで仮面のように無表情、そしてこれは「法の命ずるところで私の意志ではない」といった態度、文字通りの法の執行吏である。

確かに「車道に出るのはルール違反」であろう。

違反と知ってやっているのだから、これを規制するには、何の注意も必要がない、”物理的”に規制すればそれでよろしい、というのがおそらく彼らの考え方である。

そして不思議なことに(否、アメリカ的感覚では当然なことなのかもしれぬが)、これに対して抗議らしい態度を示したものは、一人もいない。

みんなそれがあたりまえ、という顔をしていた。

日本なら「権力的」とか「非民主的」とかいった非難の大合唱になるであろう。

だがこういうことは、この国では「個人の生命の安全」のために、必要不可欠のことかもしれない。

真珠湾攻撃のパニックのとき、なぜハワイで、日系が手引きしたというデマのもとに日系狩りが起こらなかったのか、多人種国家の中で、関東大震災の朝鮮人殺害のような悲劇がなぜ起こらなかったかを調べてみた。

そして何よりも驚いたのがその瞬間における徹底した物理的規制である。

外出禁止令と電話使用禁止令ですべての人間を家にとじこめて遮断し、これを群集化させず、デマの電話交換をやらせず、ラジオによる一方的指示のほか一切を断って魔女狩り的騒動を防いでいる。

これで見ると、アメリカとはこういう荒っぽい統制以外に、統制の方法がない国という気もする。
いわば文化的中央による心理的統制、簡単にいえば天皇制がないのである。

「荒っぽい」と感じたのは、この警察官の行動だけではなかった。
ワシントンで、国務省に行く前に、『ワシントン・ポスト』社へ立ち寄るうとしたとき、ちょうど同社のストに出合った。

サイモン編集長に会う約束だったのだが、ピケのために入れない。

ところがこのピケが、一見まことにだらしなく、またプラカードを下げている人びとも、全く「やる気」がなさそうで、ピケとは名目だけ、簡単に入れそうに見える。

私は突破する(というほど大げさに考えなかったが)つもりだったのだが、Nさんから「それはおやめになった方が良いと思います。アメリカ人は八百長が全然ない人種ですから……。

日本なら”断固粉砕”の鉢巻きで気勢をあげていても、本当に粉砕されることはありませんが、アメリカ人は正当な法的権利を侵害されたと感じたときは、何をするかわかりませんから……」といわれた。

私はそのときふと、戦場の米兵を思い出した。

彼らもまことにデレっとしており、ついついそれを誤断する。
これが非常に危ない。
「同じことかな」と考えてやめた。

やめてよかったのである。
「スタッフの一人がピケを破って外に出ようとし、撲られて相当なケガをした。とても出られそうもないから今日は社に泊まり込む。残念ながらお目にかかれない」と、サイモン編集長から国務省に電話があったのだから……。

◆八百長のないアメリカの”怖さ”

マナジリを決してテンションの極限にあるように見えても、「六〇年安保」の例を持ち出すまでもなく、日本という国は、どこかに八百長的合意がある国だ、だからそのつもりでアメリカで生活していると、とんだことになる、とNさんは言った。

アメリカは怖いと言いますけど、日本の怖さとは違うんです。私はまだアメリカで”インネンをつけられた”という経験はありません。

日本なら盛り場でコワイおニイさんから何かいわれたといった経験はだれでもあるでしょうが、どんなスゴ文句を並べたって、どっかで妥協がつくとお互いに思っているし、事実、妥協がつくんです

だがアメリカ人は、そうはいかないんですなあ。
だから不意にやられたと錯覚する……。

どうもこの点、日本の対米外交も対米世論も危なっかしく見えますなあ。繊維交渉のときも、日本側には、どこかに八百長のつもりがあったと思いますよ」

結局、警察官、労働者、兵士、博物館員、ホテルのマネージャー、店主から町のオニイさんまで共通する行き方は、アメリカそのものの基本的行き方でもあろう。

相手がルールに違反して国境というピケを破って真珠湾に突入したと感じた瞬間、今までデレっとしていたように見える人びとが、八百長的妥協なき戦いへと、一斉につっぱしってしまう

アメリカはこの点確かに怖い国だが、これを”護持”しないとアメリカ自身が成り立たなくなるのであろう。

そしてその怖さは、Nさんの言う通り、「日本的な怖さ」とは別物である。
だがそのアメリカ人が、逆に、どこかで日本を恐れている(気味悪がっている?)ことは否定できない。

『フォーリン・アフェアーズ』誌のバーンズ氏は「いま日米間には何の問題もありません。しかし相手が日本だと、われわれは問題があればあるで、なければないで神経質にならざるを得ません」と言った。

同じようなことは国務省インド担当のブラウン氏も言った。

「アメリカとインドの関係は、どんな大問題が発生してもお互いに神経質にならないのですが――日本はネェー」と。

結局、こちらの八百長的テンションを、向こうは、本気で受けとめ、向こうの本物のテンションはこちらが八百長でうけとめるという妙な関係が常に存在するらしいのである。

【引用元:日本人とアメリカ人/第六章 天皇制のないアメリカに君臨する「オレ様が法」/P134〜】


最後の記述は、アメリカ人と交渉する上で、肝に銘ずる必要があると思いますね。
鳩山民主党政権にそうした認識があるかといえば…、多分ないだろうなぁ…。

【追記】
この「日本人とアメリカ人」のあとがきに、「解説にかえて――山本学の真髄」という題で、稲垣武氏が解説をしているのですが、大変わかりやすいものなので一応追記紹介しておきます。

(〜前略)

と同時に天皇といった「文化的中央による心理的統制」を欠いた「伝統なき空間的モザイク」であるアメリカが統一された組織として機能する枠組みとしては「憲法とそれに基づく法規」しかなく、その法規の間隙を埋めるために、「各人勝手に法とか規約とか規則とか相互契約とかをつくり、その構成員とその当事者はそのルールを守るという以外に、統合の方法はなくなる」と分析し、コーヒーハウスにすら「店内法」があり、禁煙はおろか人種差別まで平然と行われ、それを無視すれば叩き出されるか、それが嫌なら徹底的に店主と論争しなければならぬ現実が紹介されている。

日本にはそのような法や規則があっても、どこか八百長めいた融通性があるが、アメリカ人はルール自体が異議申し立てで改変されない限り、ルールはルールとして容赦なく遵守を要求する。

それがアメリカの怖さであり、真珠湾奇襲で日本がルールを破ったと感じた瞬間、「今までデレっとしていたように見える人びとが、八百長的妥協なき戦いへと、一斉につっぱしってしまう」。

幕末以来、日本はアメリカと優に一世紀を越すつきあいがあるが、まだ山本さんのいう「アメリカの怖さ」が判っていないのではないか

主張すべきことを明確に主張せず、八百長的な腹芸で妥協しようとするために、外交交渉でもアメリカに押しまくられてしまう

その結果、嫌米ムードが瀰漫(びまん)し、それがまたアメリカにはねかえって対日態度をますます硬化させてしまう

今ますます深刻化している日米関係のきしみは、日本人とアメリカ人の文化の違いが根本原因ではなかろうか。

(後略〜)

【引用元:日本人とアメリカ人/解説にかえて――山本学の真髄/P200〜】



【関連記事】
・”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?


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「直近の民意」を振りかざしすぎでは?

忙しいのですが、どうも気になったので書かずにはいられません。

今日の朝、みのもんたの「朝ズバッ」をたまたま見ましたが、ちょうど岡田外務大臣が出演していて、普天間基地をどうするのだ、と突っ込みを入れられていました。

今日は、そのことに関して思うことを書いていきます。

その発言内容については、毎日新聞のニュース↓をみればちょっと参考になると思います。

<普天間移設>米長官「大統領訪日前に結論を」…外相は難色

20日に行われた岡田克也外相とゲーツ米国防長官との会談で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、ゲーツ長官が11月12〜13日に予定されているオバマ米大統領の来日までに結論を出すよう求めていたことがわかった。

関係者によると、ゲーツ長官は会談で「現行計画は唯一実現可能なもの。11月のオバマ大統領訪日までに普天間問題の結論を出してほしい」と強調した。普天間問題が大統領来日に悪影響を及ぼすことを米側が強く懸念していることを示したものだ。

これに対し、岡田外相は22日午前のTBSの報道番組で「選挙(衆院選)で示された民意がある。短期間に『米国の言うことを受け入れてやります』という結論にはならない」と述べ、来日までに結論を出すことに否定的な考えを示した。

一方で外相は、鳩山由紀夫首相が来年1月の同県名護市長選挙後に先送りを表明したことに対しては「選挙、選挙と言っているとどんどん先送りされる」として、年内の結論を目指す考えを改めて示した。

また、平野博文官房長官も22日午前の会見で「オバマ米大統領の来日時(まで)に政治的判断をするのは、首相の発言を踏まえると難しい」と述べた。【西田進一郎、野口武則】

【引用:10月22日12時8分配信 毎日新聞】


案の定、岡田大臣はみのもんたやらコメンテイターから、普天間基地移設問題について突っ込まれていましたが、その回答がいただけないというか、言い訳がましいというか…。

要は「直近の民意があるから、すぐには結論出せません。」と言っているだけなんですよ。
かといって、現実的な代替案は、米軍の求めるプランしかないことも認めているようだし。

これでは、余りにも苦しすぎる「言い訳」のように思えてなりません。
なんか学校に行くのが嫌で言い訳をいうワガママっ子のような態度を連想してしまいます。

そもそも、ロクな代替案も示せないまま、「直近の民意」オンリーで相手が納得するとでも思っているのでしょうかね?それが通用すると考えているならそうとう甘ちゃんだよなぁ。

そんなことを言えば、仮に来年1月の名護市長選で、基地容認派の首長が誕生したらまたコロッと転向するのでしょうか???
(岡田はともかく、鳩ぽっぽは、以外にコレを狙ってそうですね。赤字国債発行の件に関しても、民意に従うとか言い訳してましたし…)

岡田大臣は頑固者だと評されていますが、これでは信念があっての頑固じゃなくて、「民意」を言い訳にしているだけの頑迷オヤジではないでしょうか。

それはさておき、思うのは「直近の民意」を”印籠”にして正当化する人間ってほんとに、扱いにこまりますね。
主体性がないというか、世論をバックにトラの威を借りるというか。
そういう人間に限って、都合の悪い時は知らん振りを決め込む傾向が強いように思えてなりません。

そういえば、外国人地方参政権の問題なんか、民意に従ったらとても立法できるはずはないんですよね。そういう時は民意を無視するか、架空のサイレント・マジョリティを勝手に作り出して正当化するか。いずれかでしょう。

そもそも、「直近の民意」ほどあてにならんものは無いでしょう。
「女心と秋の空」のようなものですから。

政治家に必要なのは、民意にさからっても国益に適うとなれば、その民意を説得する能力であるはずです。それが無い政治家は、民意に迎合する政治屋でしかありません。

民主党政権は、それがあまりにも濃厚すぎます。

だいたい、庶民感覚とか、国民目線でとか、そんなものは二の次であって、政治家の本来の役割は、今も昔も経世済民のはずなんですけどどねぇ。

まぁ、この問題は、政治家だけに帰する問題ではなく、国民自身の意識が問われているような気がしますね。決して政治家だけの問題ではない。そう思います。

ところで、朝ズバッを見ていて思ったのですが、「民意」というのが誰もが疑いのないような前提で話し合われていたのには、残念でした。
本来ならば、コメンテイターがそういう疑義を呈する必要があると思うのだけれどねぇ…。

何だかいつもながらのとりとめもない文章になってしまいましたが、そんなことをつらつら思った次第なのです。


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