一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

名文章ご紹介シリーズ【その10】~人は人に狼(ホモ・ホミニ・ルプス)~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、「人は人に狼(ホモ・ホミニ・ルプス)」について。

こういう戦場の状態について、なんら想像もせずに、一方のみを非難する人をよく見かけますが…。

言及するときは、少なくとも、戦場におかれる人々の状況やその人たちが陥る心理について、慮ることを心掛けたいものです。

「人は人に狼」ということを自覚すること。このことが、戦争を知り、戦争を防いでいく上で重要なことではないでしょうか?



(~前略~)

何しろ当時はアメリカ人は全部「鬼畜」で、アメリカ兵は「獣兵」で、現地の対米協力者というのはいわば「チッソ(註)」で、親英米派はその「係長」のようなものだから、よってたかって、撲ったり、蹴ったり、土下座させたり、殺したりするのは、あたりまえのこととしている者が圧倒的多数であった。
(註…日本の化学工業の会社の一つ。戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こしたことで世界的に広く知られる。wiki参照

何しろ戦場では、兵士や下級幹部(率からいうとこれが最大だが)は、双方とも確かに被害者で、バタバタ殺され、手がとび足がとび、頭が変になり、病気になったり餓死したりしている。

従って自分たちは被害者だから、加害者にそれくらいするのはあたりまえだと思っている。だがその瞬間、自分が同じような加害者になっているのに気づかないのである。

この関係は、戦場にいくと非常にはっきりした形で実に明瞭に出てくる。

銃器をもった人間は、自分はあくまでも人間だと思っている。そして銃器をもっている相手は猛獣だと思っている。

ところが相手もそう思っている。すなわち戦場では、お互いに銃器をもち、お互いに、自分は人間相手は猛獣だと思っているわけである。

「人は人に狼(ホモ・ホミニ・ルプス)」という諺はおそらくこの関係を的確に表わしたものであろう。

だからみなお互いに猛獣に対するような態度で相手に接し自分は人間で相手は猛獣だと思っていても、その瞬間自分も人間でなく猛獣になっているとは思えないわけである。

従って相手を「鬼畜」といったら、そういった者も「鬼畜」になっていると考えてまずまちがいない

いわば、「鬼畜」「鬼畜」ということによって自分が「鬼畜」になってしまうから、撲ったり、蹴ったり、上下座させたり、殺したりを、いとも平然と正義感にあふれて、堂々とできるようになってしまう。

(~後略~)

by山本七平

【引用元:ある異常体験者の偏見/アンソニーの詐術/P94~】




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・名文章ご紹介シリーズ【その7】~戦場には二種類の人間がいる~
・名文章ご紹介シリーズ【その8】~日本語では戦争はできない~
・名文章ご紹介シリーズ【その9】~百人斬りが通用する背景には~


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名文章ご紹介シリーズ【その9】~百人斬りが通用する背景には~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、誤訳や一方的断定がもたらす影響について。

誤訳や一方的断定というのは、大変な誤解を招きかねないものだ…ということなんですが、我々は普段あまりその危険性を認識していないような気がします。



今でも「叩く」とか「斬る」とかいう表現は使われている。

しかし「叩く」と言っても、本当に叩くわけでなく、また「創価学会を斬る」といっても、本当に斬り込むわけではあるまい。これらは一種の慣用的誇大表現であろうが、陸軍にもこれと全く同質のことがあり、それが戦後、ひどく誤解されている面も確かにあると思う。

その好例は「斬込隊」であろう――もちろん他にも多いと思うが……。

私はサンホセ盆地の入口のビタグの隘路へ派遣された斬込隊の第二線隊長であったが、私が斬込隊に出たといっただけで、知らない人はすぐ「ヘエー、山本さんが!ヘエー、で何人斬った?」と反問するのである。

反問する人はもちろん、私が敵陣へおどり込んで「百人斬り」でもやったのかと思うらしいが、私の知る限りでは、斬込隊とはいわば「斬る」「叩く」的な表現の言葉で、その実態は「戦車・重火器破壊班」とでも名づくべきものなのである。

近代戦とは兵器の戦いだから、目標は「人」でなく「重火器」である。

極端な例をあげれば、だれにでもわかることだが、戦艦は沈めればそれでよく、B29は落せばそれでよいのであって、搭乗員の生死は、実は問題外なのである。

日本刀を背負って泳いでいって舷側をよじのぼって水兵一人斬ったところで近代戦では無意味だが、一方、艦底に爆薬を仕掛けてこれを沈めれば、その際、乗員の全部が無事に逃れて助かっても、大戦果となるわけである。

陸上の戦闘でも、原則は同じで、斬込隊が持っていくのは、われわれの場合は「フトン爆雷」という自殺兵器であった。下士官一・兵二の三人一組を三組、計九名、指揮官の将校一で総計十名が一編成である。

フトン爆雷というのは、ダイナマイト四キロをゴムの袋に入れ、それをドンゴロスの二重袋に入れたもので、ちょうど椅子用の座ぶとんと同じ形をしている。フトン爆雷の名称はそれから出たのだと思う。

これに「一式点火管」という点火器がついていて、その紐をひくと四秒で炸裂する。戦車の上にのせれば、その鋼板を完全に打ち抜く威力があった。炸裂までの四秒間に逃げてくれば助かるわけだが、これは実質的に不可能である。従って自殺兵器にならざるを得ない。

これをもって飛び込むのが斬込隊で、日本刀を振って斬りかかるわけではない。それがいつのまにか、斬込隊という名称から、日本刀をふるって敵陣に斬り込んだような錯覚を多くの人びとに抱かせているのではないであろうか

そして「百人斬り競争」や「殺人ゲーム」が今なお事実として通るには、こういった表現上の誤りやそれに基づく誤解や一方的断定が相互に作用しあっているからであろうか。

というのは、過日ちょっと「朝日新聞」の「天声人語」を見たところ、ヴェトナムのアメリカ軍が「殺す」といわず「駆除する」「処分する」という言葉を使っていると非難している文章が目に入った。これはおそらく誤訳から来た誤解、もしくはそれに基づく一方的断定であろう。

そして「駆除」は、軍隊語の「排除」のことではないかと思う(原文が記載されていないので確言はできないが)。

もしそうなら、この「排除」すなわち「前面の敵を排除し……」とか「所在の敵の抵抗を排除し……」といった言葉は、おそらく世界に共通する軍隊語で、北ヴェトナム軍も同じ言葉を使っているのではないかと思うが、この言葉は「殺す」とは意味が違うのである。

軍隊には元来「殺せ」という命令はない――そして「ない」が故に、戦争ほど悲惨なものはないのである。

あれだけ苦しい戦争を体験しながら、このことが、どうして理解できないのであろうか。

そして、こういう誤訳や誤解や慣用的表現の誤った受けとり方などが一方的断定と結合してしまうことが、虚報が今なお事実で通用する素地になっているのではないであろうか?


by山本七平

【引用元:私の中の日本軍(下)/日本刀神話の実態/P100~】



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名文章ご紹介シリーズ【その8】~日本語では戦争はできない~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、日本語と軍隊語の違いについて。

私が、常々赤旗のスローガンに違和感を感じるのも、赤旗の表記にそういう傾向があるからかも知れません(そうではなく、単に私の気のせいかも知れませんが…)。

それはさておき、このコーナーを始めるにあたって約束した、引用は800字以内…は守れそうにありません。紹介したい部分が多すぎ!(苦笑)
長い文章ですが、ご勘弁願います。



軍隊語とは、単なる言いまわしや表現の問題ではなく、主語や時制が明確でない日本語では、軍隊の運営も戦争もできないがゆえに特別に造られた言葉であって、この言葉を正しく分析すれば、それだけで戦争というものの実体がつかめるのではないかと思われる言葉である。従って語系が違うと考えた方がよいかも知れない

「大阪弁では喧嘩はできない」などといわれるが、もっともっと徹底した意味で「日本語では戦争はできない」のである

私自身はこのことを非常に誇りに思っている

たとえば普通の日本語の「お待ちしております」では戦争はできない。
そこで軍隊語では「小官当地ニテ貴官ノ来訪ヲ待ツ」という言い方になるわけであって、この語順が何語に一番近いかは説明するまでもあるまい。

しかしそれだけではない。軍隊語といってもいわば「軍隊文語」「軍隊口語」「将校語」「兵隊語」の別があって非常に複雑で、その表現も実に多岐にわたるが、これらの言語の背後にある「哲学」とでもいうべきものは、言うまでもなく、人間を戦争にひきずり込むこと、いわば「戦争指向の精神構造」に基づく言語哲学とでもいうべきものである。

それは厳然として存在するものであって、そして、存在するのが当然である。

軍隊時代、自分の方から興味をもったものと言えば、この「軍隊語」と「軍隊内地下出版物」だけだが、軍隊語の方は、私が本部付で常に「命令」「報告」「指示」等の起案・起草をやらされたため、否応なしにこれと取っ組んでマスターしなければならないという事情も確かにあった。

しかしそれ以上に興味をもったことも確かで、今でも日本語と軍隊語の差はほぼ正確に指摘できると思う。

私はいつもこの二つの言葉を比較して、「なるほど、戦争とはこういう言葉を使わないと出来ないものか! そして、こういう言葉を使うことは、戦争を指向する証拠のわけか!」と思っていた。

言葉そのものから体系的に組みかえて行かない限り戦争はできないのだから、軍隊語は「戦争語」だといっていい。

前に新井氏(註…毎日新聞社記者で山本七平の論争相手)の文章に軍人的断言法があると書いたが、新井氏はむしろその要素は少ない方で、ひどい人になると昔の軍隊語と全く同じ語系の言葉で、平気で、いわば「戦争語で平和を叫んでいる」のである

これはその昔「……東洋平和のためならば、なんて命が借しかろう」という軍歌をわれわれに歌わせた軍人たちが、「軍隊語=戦争語で平和を叫んでいた」のと全く同じで、私にとっては、これくらい気味の悪いものはない

というのは、内容は平和でも言葉自体が戦争を指向しているからである。両者とも、どう見ても嘘をついているとしか思えない

それはその内容をその言葉自体が否定していることから明らかなはずで、平和は「平和語」でしか語れないはずだからである。

by山本七平

【引用元:ある異常体験者の偏見/軍隊語で語る平和論/P36~】



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名文章ご紹介シリーズ【その7】~戦場には二種類の人間がいる~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、戦場を見る人の違いについて。

山本七平は、著書の中で浅海特派員本多勝一について、痛烈に批判しているのですが、下記の引用を見れば、そのわけを窺うことができると思います。

殺されまいとして必死にあがいた経験があるからこそ、彼らを執拗に咎め続けた…のでしょうね。



私は、否、私だけでなく前線の兵士は、戦場の人間を二種類にわける。

その一つは戦場を殺す場所だと考えている人である。

三光作戦の藤田中将のように「戦争とは殲滅だ」といい、浅海特派員のように「戦場は百人斬り競争の場」だと書き、また本多氏のようにそれが、すなわち「殺人ゲーム」が戦場の事実だと主張する――この人びとは、いわば絶対安全の地帯から戦場を見ている人たちである。

だがもう一つの人びとにとっては、戦場は殺す場所ではなく、殺される場所であり、殲滅する場所でなく殲滅される場所なのである

その人びとはわれわれであり、前線の兵士たちである。

彼らにとって戦場とは「殺される場所」以外の何ものでもない。そして何とかして殺されまいと、必死になってあがく場所なのである。

ここに、前線の兵士に、敵味方を越えた不思議な共感がある

私たちがジャングルを出て、アメリカ軍に収容されたとき一番親切だったのは、昨日まで殺し合っていた最前線の兵士だった。

これは非常に不思議ともいえる経験で、後々まで収容所で語り合ったものである。

この時の情況も、また機会があれば詳しく語ろうと思うが、今ほんの一例をあげれば、私たちはまずアパリの海浜の天幕づくりの仮設収容所に運ばれたのだが、天幕に入ると同時に、物凄いスコールが来た。天幕の垂れ幕があがっているので、海からの風で横なぐりに降る豪雨は、遠慮なく天幕に吹き込んでくる。われわれが垂れ幕を下ろそうとすると、彼らはそれを押しとどめ、手まねで寝て休んでいろといって、豪雨の中で文字通りズブ濡れになりながら、垂れ幕を下ろし、杭を打ち、綱で結んで雨が入らぬようにしてくれた。

しかし、すべてにわたって、そういう扱いは最前線だけであった。

後方に移されるほどひどくなり、その年の暮のクリスマス前に歴戦の米兵はアメリカヘ帰り、全く戦場を知らない新兵が来ると、もう徹底的にいけなかった。

彼らにとっても、戦場は「殺す場所」であって「殺される場所」ではない――そしてそれは、いかに説明してもわからない。

そして、「そんなことわかっている」という人間が実は一番何もわかっていない

彼らがわかっているというとき、それは結局「殺される者がいるということでしょ、そんなことはわかっていますよ、気の毒ですね、戦争はいやですね」ということであっても、自分が殺される、殺されまいとしてあがく、それがどんな状態か、そのとき人間はどんな顔をするかは、それはわからない。

従って無神経に「殺される者の苦しみはワカッている、ワカッている」などと言う者がいると、兵士は逆にカッと激怒し、時には暴行さえ加える。

ところが暴行をうけた者はその理由が全くわからない。それほどこのギャップは埋めがたい


by山本七平

【引用元:私の中の日本軍(上)/軍人より軍人的な民間人/P183~】



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名文章ご紹介シリーズ【その6】~「臆病」がもたらす被害~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、「臆病」について。
個人であれ国家であれ、虚勢を張ることは良い結果をもたらさないという事なんでしょうね。



負傷後、性格が一変したのではないかと思われる者もいる。しかし厳密にいうと、むしろ「生地」が出てきたのであろう。

私がほんの短期間小隊長であった自走砲中隊に、Oという曹長がいた。中国戦線に長く、いわゆる戦場ずれした下士官の悪しき典型のようた人物だった。チョビ髭をはやし、防暑帽をあみだにかぶってサングラスをかけていた。

(~中略~)

このサングラスの元祖の一人であるO曹長は、中隊長以下すべての人間を鼻であしらい、明けても暮れても戦功自慢で、兵隊が「話半分でも金鵄勲章を五つぐらいもっているはずだ」と陰で冷笑するほどであった。

もっともずっと後になってから、私は一度彼と口をきいただけなので、事実かどうか知らない。

その時まで口をきかなかった理由は私の方にもあったであろうが、彼にとっては「学生あがりの青二才で、実戦の経験もないくせに小生意気な新品少尉だ」といったわけで、わざと無視していたのであろう。彼はそういう態度を露骨に表わしていた。

彼は中隊から離れて、ジャングルの少し奥まった場所で、自走砲一門を指揮していたわけだが、禁令をおかして日中に自分の飯をたかせた。そのため炊煙目かけて爆撃され、戦死者を出し、自分も右膝に負傷した。

大した傷でなく、短期間に治ってびっこをひくだけであったし、部隊長から厳重に注意をうけたとはいえ正式に処罰されたわけでなかったのだが、以後、まるで人が変ったように、泣言ばかり言っているという話であった。

彼は足が悪いということで、オリオンヘの転進をまぬかれた。そしていよいよアパリ正面を撒収するとき、われわれについて来た。歩けない者は捨てて行く以外に方法がない。そのとき彼は歩けると言い張ってついて来たわけである。

行軍の途中、彼はまるでひとりごとのように「東海岸まで行きつけるじゃろうか」「潜水艦が救出に来てくれんじゃろうか」「どうなるんじゃろ、一体、どうなるんじゃろ」と言いつづけた。私は一度返事をしただけであった。

彼は元来、非常に気の小さい臆病な人であったと思う。臆病は罪悪でないし、それ自体は少しも非難さるべきことではあるまい。私自身、バズーカ弾らしきものが飛んでくれば膝がガクガクする人間である。

ただ臆病が裏返しの虚勢になり、強がりになり、恐怖や自信のなさを隠すための大言壮語や一方的な言いまくりや罵詈讒謗となると、確かに人びとを誤らせ、他に危害を与え、自らも傷つく

いわゆる愚連隊的人間が、戦場では一番臆病だという定説があるが、私の体験はほぼこれを裏づけてくれる。

そして鉄パイプをもってあばれるタイプもこれに入るであろう。だがこの場合も、それまでの「表われ方」と「実体」があまり違うので目につくわけであって、ほとんどの人間が、もちろん私も含めて、本来は臆病なものである。そしてそれが極めて自然である。

いわゆる「戦意高揚」記事は、O曹長の大言壮語と同じで、最も臆病な者が事実を見まいとして書き、また最も臆病なものが、事実を知るまいとして読むものであろう。

味方の損害を実数のまま平然と発表できない国は必ず大きな弱みをもち、その弱みに対して実に臆病になっているがゆえに悲壮調の壮語になるのであろう。

そして結局は、常にかわらず、この臆病なものが最大の損害をうけ、また最大の損害を周囲に与えるのである。


by山本七平

【引用元:私の中の日本軍(下)/戦場での「貸し」と「借り」/P197~】


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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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