一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件」…を斬る【その3】《追記あり》

「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ
(2008/06)
笠原 十九司

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【その2】の続き。

また、笠原氏は、向井・野田両少尉が「百人斬り競争」を行なったと強弁するにあたり、傍証をいろいろ並べていきます。

多いのが「OO人斬り」を行なったという個人の手記の引用です。
これらの手記は、本人の証言だけで、その現場を見たという他の証言の裏打ちもなく、直ちに信頼できる資料とはいえないものが殆ど。
しかも、向井・野田両少尉が百人斬り競争を行なった現場を直に目撃したというものではないんですね。

そうした手記のなかで唯一、野田少尉が中国人の首を刎ねるのを目撃したというのが、有名な望月五三郎氏の証言なのですが、笠原氏はこの証言を全力で擁護しています。
(確かに、この証言ぐらいしか直接的証言がないのですから当たり前ですが。)

その証言を以下引用します。

百人斬り    昭12・11・27~昭12・11・28

(~前略)

常州へと進撃する行車中の丹陽〔横林鎮の誤り〕付近で大休止のとき、私は吉田一等兵と向ひ合って雑談をしていると、突然うーんとうなって腹をおさえながらうずくまった。

流弾にあたったのである。「おい吉田」と声をかけたが返事がない、死んでいるのである。
即死であった。

もう五寸位置がちがっていたら、私にあたっていたのである。私はほんの五寸前で死んでいった吉田一等兵をこの目で見た。葬むるにも時間がない、衛生隊にお願ひして、心を残しながら行軍に続いた。

このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始まるのである。

野田少尉は見習士官として第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官して大隊副官として、行車中は馬にまたがり、配下中隊の命令に伝達に奔走していた。

この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。

「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱってきた。

助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を脊にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。

一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。

戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。

その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。

両少尉は涙を流して助けを求める農民を無惨にも切り捨てた。支那兵を戦斗中にたたき斬ったのならいざ知らず。この行為を聯隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。

この残虐行為を何故、英雄と評価し宣伝したのであろうか。

マスコミは最前線にいないから、支那兵と支那農民をぽかして報道したものであり、報道都の検閲を通過して国内に報道されたものであるところに意義がある。

今戦争の姿生がうかがえる。世界戦争史の中に一大汚点を残したのである。
(同書、四ニ~四五頁)

【引用元:「百人斬り競争」と南京事件/第三章「百人斬り競争」の証明(1)/P131~】


この望月氏の証言は、単純な日付などの「記憶違い」という点を除いても、おかしな点が見受けられます。

まず、本来なら説明が必要になるはずの都合の悪い部分を省いていること。

例えば、なぜ野田少尉がそうした命令を下したのかという点が全くぼかされています。

ここが重要なポイントなのに…。

そして、それに対比するように、関係ない事柄については、正確に記述されています。
吉田一等兵の死亡に関する記述の部分などがそれに該当します。

虚報には、都合の悪い部分を省くという特徴、そして、どうでもいい事実については不必要なほど細かく正確に書かれるという特徴があります。
山本七平がこのことについて説明している記述を、過去記事↓にて紹介しているので参照されたし。)

【参考記事】
・山本七平に学ぶ「虚報の見抜き方」
・「神話」が「事実」とされる背景

要するに、笠原氏は、公式記録である『第11中隊陣中日誌』と照合させ、吉田一等兵が殺された記述が一致することから、望月氏の証言は信憑性が高い…と簡単に断定しているのです。
(大きなウソをつく者は、細部をどうでもいい事実で糊塗するものですが、それにあっさりとだまされるとは…。情けない大学教授ですね。)

次に、伝聞と体験がごっちゃになっていること。

「支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。」というくだりは、実際に目撃したのか、単なる推測なのかどちらとでも取れる実に曖昧な表現です。

また、「一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前へ倒れる」という表記があまりにも劇画調過ぎること。まるで時代劇を見るが如く、客観的過ぎるのも不可思議です。
そのようにショッキングな場面において、冷静に客観視して見て、それを描けるものでしょうか?

このように、望月氏の証言には、(研究者でない私でさえ)不自然に思えるところがいくつもあります。

さらに笠原氏は、本文中だけでは書き足りなかったのか、上記引用の望月手記の注記欄においても、「望月氏の手記が間違いだらけの信憑性にかけるものである」と主張している阿羅健一氏「『私の支那事変』に関する意見書」を取り上げ、阿羅氏の些細な表記間違いをいくつも取り上げ執拗に否定していきます。その注記箇所を以下引用します。

注記③ 望月五三郎『私の支那事変』(私家版、一九八五年)

歩兵第九連隊第11中隊の指揮機関に所属した望月五三郎一等兵の回想録である。

回想録なので、地名や日付について誤記や不確かなところもあるが、回想録には上級の検閲のある陣中日記には書けなかった戦場の実相が書かれているので、史料としては貴重である

なお、一般兵士の場合、自分の属する部隊の作戦や地名の詳細などを知る立場になかったし、克明に陣中日記でもつけていないと、日付の正確な記憶は無理である。

ただし、日付や地名の記憶が不確かであっても、本人の体験の記憶はまず間違いない

回想録が史料として意味があるのは、体験時にはわからなかった体験目撃の意味がわかって書いていることである。

大切なのは回想録の史料としての特徴をふまえて他の史料と照合しながら史料批判をおこなって活用することである。

同書については地名や日付などについて、公式記録である『第11中隊陣中日誌』と照合しながら引用すれば、貫重な史料となる。

このような限定と注意をもって同書を読めば、同書は第三大隊副官の野田少尉がどのように「百人斬り」をしたかを証明する目撃証言であるといえる。

「百人斬り裁判」の原告側に立って提出した阿羅健一「『私の支那事変』に関する意見書」(甲第111号証)は、望月五三郎『私の支那事変』には「致命的な間違い」が二百もあり、「とてもまともな体験記とは思えません」と断言し、「創作された体験記」であり、「はっきりと間違いだらけの恣意的な本だというレッテルを貼り付けなければ」ならないとして、その箇所を指摘している。

しかし、指摘された事例を見れば、ほとんどが地名や日付に関することと、誤植、どうでもよい些細なことへの見方の違いの指摘であり、意見書そのものが羊頭狗肉である。

(~中略~)

野田少尉が「『おい望月あこにいる支那人をつれてこい』命令のままに支那人をひっぱって来た」(四四頁)について「大隊本部の副官が第11中隊指揮班の兵に命令をすることはない」とコメントしているが、野田は望月の上官なのである

阿羅はこの場の「命令」の意味がわかっていない

(~後略)

【引用元:「百人斬り競争」と南京事件/第三章「百人斬り競争」の証明(1)/P139~】


私が注目したのは下線部。
笠原氏が、如何に回想録を史料として絶対視しているか、はっきり伺えます。
「本人の体験の記録はまず間違いない」なんて、断定している処など、こうした史料を扱う人間としては失格同然の言葉すら吐いています。

このブログでも何回か引用していますが、山本七平は、証言を次の4種類に分けています。

(1)多少の誤差はあっても確実に事実であるもの

(2)伝聞と体験が混同しているもの

(3)伝聞(戦場の伝聞は非常にあやしい)を事実の如くに記しているもの

(4)政治的意図もしくは売名や自己顕示、また時流に媚びるための完全なデッチあげ

【引用元:ある異常体験者の偏見/アパリの地獄船/P164~】


どうやら、笠原氏はこういう分類をする必要があることすら、全然わからない御仁のようです。

そして、私が「駄目だこいつ・・・早く何とかしないと…(夜神月風)」と思ったのが、笠原氏の赤文字の反論部分。

阿羅氏の「大隊本部の副官が第11中隊指揮班の兵に命令をすることはない」という指摘に対しての反論部分は、笠原氏が軍隊の組織というものを全くわかっていない証左です。

軍隊とは、上下のラインを通じて命令が伝達されるのが絶対です。
つまり、第11中隊の一等兵は、直属上官である第11中隊長の命令でしか動きません。
たとえ野田少尉と望月一等兵が、一時期、教官と生徒という間柄であったとしてもです。

それはなぜか。
直属上官の命令は絶対。横とか斜めから命令がきたら、組織として成り立たないからです。
山本七平が、そのことをわかりやすく解説している箇所があるので以下引用します。

(~前略)

ルバング島の小野田少尉への「呼びかけ」で、「天皇が出て行って呼びかければ出てくるだろう」というある評論家の意見が週刊誌に出ていた。本人はもちろん「思いつき」で、もとよりまじめな提案と受けとるべきではないと思うが、だれでもふと、そんな気がするであろう。

だがこれは、日本軍という徹底したタテ社会を知らないことから起った誤解である。

よく「軍人というのは階級が上の人の命令なら、何でもきかなきゃいけないんでしょ」などと言われるが、これも同じ種類の誤解であって、軍人とは「直属上官の命令以外は絶対にきいてはいけない」存在なのである。

このことは極端な例、たとえば二・ニ六事件をみればすぐにわかる。
反乱軍の安藤中隊には小隊長も分隊長もいる。一方、「奉勅命令」すなわち天皇の命令が出ている。

しかしたとえ天皇が何と言おうと、師団長が何と言おうと、連隊長・大隊長が何と言おうと、安藤中隊の将校と下士官・兵は安藤大尉の命令以外には耳を傾けてはならないのである。

(~中略~)

もちろんニ・二六は極端な例だが、原則的に見れば全く同じことが常に起るのである。そしてこの「組織の矛盾」をうまく逆用すれば、命令を拒否することも可能なのである。

日本軍は、組織的に見ればこういう恐ろしい矛盾を孕んでいたから、ひとたび崩れ出すと、あっという間に崩壊してしまう。そしてその崩壊の前兆は、私かフィリピンについたころにすでに現われていた。
 
まず最初は前述のように「部隊エゴイズム」の段階だから、この段階では、部隊命令を盾にとって軍命令を拒否するという形で行われる。

私は、年中それをやっていた。
事は小さいが、形式的に見れば、安藤中隊の小隊長や分隊長が「中隊命令」に従って「奉勅命令」を拒否するのと同じである。そしてこまったことに、軍隊では、そうするのが「正しい態度」だったのである。

(~中略~)

ただ絶対にないことは、ナナメに命令が来ることである

簡単にいえば、第一大隊長が命令できるのは自分の部下の中隊だけである。
だが命令があれば、第三大隊長とはヨコの連絡はできるし、しなければならない。

ただし、第一大隊長が、第三大隊の第七中隊に直接に命令を下すことは絶対に出来ない

もっとも組織というものは原則的にはすべてこれと同じであろう。
たとえば銀行の支店長は、隣の町の支店長とは連結はとれても、その支店の預金係に直接に命令を下すことはできまい。

日本軍では、これが神経症的なほどにまで徹底していた。
もっとも、あとでのべるが、大体軍隊というものは、世界いずれの国でも相当徹底したタテらしい。

従って社会党議員楢崎弥之助氏の、アメリカ海軍長官チャーフィーが在日アメリカ海軍司令官パークにあてて「核部隊を作る」という秘密電報を打ったなどという話は、初めから本気にするのが非常識であろう。

こういうナナメの命令とか指示とかいうものが横行したら、どんな組織でもガタガタになるし、軍隊は成り立っていかない

【引用元:私の中の日本軍(上)/扇動記事と専門家の義務/P204~】


「阿羅はこの場の『命令』の意味がわかっていない」などと主張している笠原氏のほうが、軍隊の命令とは如何なるモノか全くわかっていないのです。

軍隊の組織が如何なるものかわかってすらいない笠原氏のような人間が、戦争の事件の分析を行なうとどうなるか?

戦意高揚記事が、残虐記事に変るし、「百人斬り」が事実とされてしまうわけです。

そのあげく、「百人斬り」を両少尉自らが否定しているのにも関わらず、虚報記事と信憑性に乏しい手記などの傍証を元に、罪無くして処刑された両少尉によってたかって残虐の汚名を浴びせ、そして歴史学的立場から決着をつけた…などと高言する。

まったくこのような人間が、大学教授でいるなんて!!
大学教授もピンきりなのはわかっているつもりですが、それでもあきれてモノが言えません。

こうした歴史研究に必要なのは、矛盾する様々な史料の中から真贋を見極める能力であって、都合のよい史料を寄せ集めることでは無いはずです。
笠原氏には、そうした能力がかけらも無いということを、さらけだしたのが本書だといえるでしょう。

笠原氏は史料収集だけは一流かもしれないが、その分析は三流以下、大学教授を名乗るのも恥ずかしいレベルといっても差し支えないのではないでしょうか。

そういえば山本七平は、次のように言いました。

(~前略)

戦場と内地では全く規範が違う

つまらぬ情緒的自己満足のため無益に兵士を殺したことが逆に人道的行為のように見え、部下のことを考えて最も的確に処理したことが非人間的冷酷もしくは残酷にさえ見える。

(~中略~)

確かに逆転した情況の中で生きた体験がないから、そうなるのは当然のことだ、といわれればその通りであろう。

だが、それならば一方的断定は避けて、そこに何か、自分たちがいま生きている社会とは全く別の「理解しきれない何か」があるのではないか?

自分たちの批判が基準になったらさらに残酷なことになるのではないか?という疑問は抱いてほしいと思う。

それをよく考えないと、向井・野田両少尉を断罪すると同じような、全く見当はずれの奇妙な断罪を人に加えて、それによってただ情緒的な自己満足に酔いしれて、まるで酔漢がからむように、だれかれかまわず一方的にきめつけるというタイプの人間になり下がってしまうであろう。

(後略~)

【引用元:私の中の日本軍(下)/S軍曹の親指/P126~】


上記の指摘は、そのまま現代の我々にも当てはまります。

幸い私は、戦争経験者の山本七平の著述を読み、その主張を理解することでこの「規範の逆転」というものに気付くことができましたが、こうしたことに普通の人はなかなか思い至らないのではないかと思います。

残念なことに笠原氏は、引用下線部がまさに当てはまるタイプの人間のようです。
一般人ならともかく、歴史研究者としては失格ですね。

他にも突っ込みどころ満載の本書でしたが、とりあえずこの辺でやめておきましょうか。

【追記】
そういえば、本多勝一とイザヤ・ベンダサンとの論争の中で、本多勝一がルポした「中国の旅」について面白いやり取りがありましたが、この笠原氏にもそのまま当てはまると思いましたので以下追記で引用しておきましょう。
まずは本多勝一の引用から。

(~前略)

ベンダサン氏の勇み足は度が過ぎているよ。というのは、俺の「中国の旅」というルポルタージュを読んで、そのルポ自体を「謝罪だ」と決めつけた点だ。

とにかくまず事実そのものを示してみせるのを目的とするルポってものを、彼は知らないんだなあ

こういう事実主義のルポは、日本の近代には少なかった。むしろ江戸時代の方があったくらいだ。完成させたのはアメリカのジャーナリズムなんだ。

中国での日本軍の犯罪などという報道は、戦争中はもちろん戦後も本格的にはなかった。ほとんどの日本人が、まずその事実そのものを知らされていないんだから、ひどいもんだ。

とにかくまず素材としての事実を知ること。
これがあのルポルタージュの第一の目的であることくらいは、報道の常識だよ。

その次の段階として、ベンダサン氏や俺がいう意味で日本的に「ゴメンナサイ」と「謝罪」するか、それとも反対に天皇の責任を追及するかという問題が来るわけだ。

俺はジャーナリストとして個人的に後者を実行しているわけだが、朝日新聞社そのものが天皇を追及するということは、まずありえないね。

これはベンダサン氏と俺との共通の論理からいっても当然だ。ところがベンダサン氏は、ちょっと調子にのりすぎて、ルポそのものが「ゴメンナサイ」だと書いちまったわけだ。

(後略~)

【引用元:殺す側の論理/イザヤ=ベンダサン氏への公開状/P132~】


それに対するベンダサンの返答はこちら↓。

(~前略)

本多様は「とにかく事実そのものを示して見せるのを目的とするルポってものを、彼は知らないんだなあ」と非常に安直に書いておられますが、本多様はこのルポで「中国人はかく語った」という事実を示しているのか、また「中国人が語ったことは事実だ」と書いておられるのか、私には本多様の態度が最後まで不明です。

結局はその時の都合で、どちらにでも逃げられる書き方です。と申しますのは、この物語はおそらく「伝説」だと私は思うからです。

事実、恐るべき虐殺に遭遇した人々の中からさまざまの伝説が生れたとて、これは少しも不思議なことではありません。むしろ、一つの伝説も生れなかったらそれこそ不思議でしょう。

伝説の中心には「事実の核」があります。しかし伝説自体は事実ではありません

がしかし、それは中国の民衆がいい加減な嘘を言っているという意味でもありません。

しかしルポとは元来、この伝説の中から『核』を取り出す仕事であっても、伝説を事実だと強弁する仕事ではありますまい

(後略~)

【引用元:殺す側の論理/本多勝一様への返信/P150~】


つまり、笠原氏のやっていることというのは、「伝説を事実だと強弁する仕事」なわけです。
歴史研究家じゃなくて、ファンタジー作家とでも名乗るほうがふさわしいのではないでしょうか。


【関連記事】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その1】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その2】



【参考記事】
・「虚報」が作りあげた「大虐殺」


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書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その2】

「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ
(2008/06)
笠原 十九司

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【その1】の続き。

向井・野田両少尉が、「百人斬り」を行なった証拠として、必ずといっていいほど取り上げられるのが、野田少尉が地元の小学校での講演会での証言、いわゆる「志々目証言」でなのですが、当然のことながら、笠原氏も本書の中で取り上げ、紹介しています。

■投降兵・捕虜の殺害

中国軍の塹壕を包囲占領した後、投降してくる中国兵を「処置」したというのがどういうことであったのかをよくわからせてくれるのが、志々目彰「”百人斬り競争”――日中戦争の追憶」(『中国』一九七一年一二月号)に書かれた、野田少尉が一九三九年の春に鹿児島県立師範学校附属小学校を訪れて小学生を前に話した、つぎのような場面である。

「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……

実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……

占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……。

百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものがほとんどだ……

二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、〔もう一人の人はうなされるそうだが――原稿にあったのを雑誌編集者に削除された部分〕私は何ともない……」

(~中略~)

白兵戦では斬らずに戦意を失って投降した敵を斬るという”勇士”の体験談は、私にはショックだった。ひどいなあ、ずるいなあ。それ以上のことは幼い自分には分からなかった。
(同書、四三頁)

【引用:「百人斬り競争」と南京事件/P117~】


笠原氏は、この証言を、秦郁彦の調査を例に挙げて信憑性が高いと判断しています。

しかしながら、この証言の問題点は、「野田少尉の証言があったかなかったか」ということではなく、「野田少尉の証言内容が果たして本当なのか」ということなんですね。

笠原氏はここでも、その本人が話したという証言内容が果たして事実かどうか、微塵も疑っていません。

従って、「志々目氏が野田少尉から聞いたのは事実」であるから、「野田少尉が据え物斬りしたのも事実」と単純に決め付けて、証言内容の精査をまったくしていないのです。

普通、本人が証言したからといって、それをそのまま真に受けますか?
偽証という可能性を考慮できないような人物が、歴史学者を名乗ってよいものでしょうか?

そもそも、この証言については、山本七平が「私の中の日本軍(下)」にて取り上げており、野田少尉の証言が、虚言である可能性が大であることを説得力を以って示しています。
以下、その記述を引用します。

(~前略)

一方、野田少尉は、故郷の小学校で後輩に次のように語ったと記されている。

〈郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……。
実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……。
占領した敵の塹壕にむかって「ニーライライ」とよびかけると、シナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……〉


これは志々目彰氏が「月刊中国」に投稿されたもので、氏がこの話を聞かれたのは昭和十四年春と記されているから、「百人斬り競争」が報ぜられてから約一年四ヵ月後のものであり、あらゆる点から見て、非常に確度の高い証言である

本多勝一氏もこれを「証拠」として取り上げ、その後で、一種の人体実験を強要する発言をしているが、その点は「文藝春秋」で取りあげたのでここではふれず、この野田少尉の証言そのものの検討からはじめよう。

まずだれも異論がないことは、この証言が、浅海特派員が報じた「記事」の通りの「百人斬り競争」は、現実には存在しなかったことを本人が明確に証言しているということであろう。

言うまでもなくこれは戦時中の発言であり、「百人斬り競争」が武勇伝として新聞紙面を飾ることを、だれも不思議に思わなかったどころか、大々的に称揚され賞賛されるのが当然で、いわばマスコミのリーダーが、これでもかこれでもかとこういった記事を次から次へと紙面にもりこみ、新聞を開くとウンザリさせられた時代の話である。

いわば『中国の旅』が裏返しになってもっと大きなスペースで連載されていたと考えればよい。

そういう時代だから、今とちょうど逆に野田少尉自身が、「あの通りだ、オレがあの時の勇士だ」と胸をはって答えて少しも不思議でなく、それが当然とされる時代のことである。

そして話を聞きに集まった人びとも、そういった「大武勇伝」が当然披露されると思って集まっていたはずである。

ところが彼はあの「記事」そのものを否定した

すなわち野田少尉が「百人斬り競争」という記事は事実でなく虚報だと言ったのは、何も戦犯法廷ではじめて口にしたことではなく、実に記事が報ぜられて一年四ヵ月目にすでに否定しているのである。

そしてこれが相手がまだ小学生で、新聞の虚報でしか戦場を知らないから、彼はある程度とりつくろっていられたわけだが、相手が白兵戦の体験者だったら、こういったとりつくろいすらできないのが、当時のある面の現実であったろう。

ものごとには確かに二つの面がある。

当時は「百人斬り競争」は表向きには事実で通ったであろう。
しかし「実は……」の世界では、今よりもかえって「事実」として通らなかったはずである。

前線には新聞は配送されない。
従って二人は一体全体、何か書かれていたか、内地に帰ってみなければわからなかったのが実情であろう。

向井少尉は半年後に新聞を見て「恥ずかしかった」と上申書に書いているが、実際、前にものべたが、この「恥ずかしかった」は、いろいろな面で、実に実感のこもった言葉というべきであろう。

というのは、読者の中に「つまらんホラをふきやがって」と思っている人間がいることを、彼自身、今よりもはるかに強く感じないわけにいかないからである。

だがしかし、人間はつくづく弱いものだと思う。

定説とか定評とかが作られてしまうと、向井少尉のようにノー・コメントで押し通すか、野田少尉のように、何とかとりつくろうか、のどちらかをせざるを得なくなる。

しかしそこにもし白兵戦の体験者がいたらすぐに言ったであろう。

「……四、五人? 本当に人を斬った人間はそういうあやふやな言い方はしない。野田少尉!四人か、五人か!――五人だというなら貴官にうかがいたい、五人目に軍刀がどういう状態になったかを」――彼はおそらく答えられまい。

というのは、彼が口にしている「とりつくろい」は、戦場での伝聞であっても、おそらく彼の体験ではないからである。
そして戦場での伝聞は前にものべたが恐ろしく誇大になるのである。

なぜそういえるか。理由は簡単である。

私は体験者を知っており、そして私にも「斬った」体験があるから(註)である――といっても即断しないでほしい、後述するような理由があったことで、私は別に残虐犯人というわけではない。

(註)…山本七平は、戦死した部下の遺骨を持ち帰るよう部隊長に命令され、一度埋葬した部下の遺体を掘り起こし、日本刀でその手首を斬り落とした。本来ならば遺体そのものを火葬すべきであったが、米軍の爆撃の目標になることから、当時の戦況では禁止されていたため、手首だけを切り取って荼毘に付した。このことに関しては、下記記事↓を参照されたし。

【参照記事】
・「規範の逆転」を察知しようともせず糾弾することの愚かさ


しかし人体を日本刀で切断するということは異様なことであり、何年たってもその切りロが目の前に浮んできたり、夢に出てきたりするほど、衝撃的なことである。

そしてこれは、私だけではない。
従って本当に人を斬ったり、人を刺殺したりした人は、まず絶対にそれをロにしない、不思議なほど言わないものである。

結局、私もその一例に入るのかも知れないが、「日本刀で人体を切断した」という体験に、私も最後の最後までふれたくなかったのであろう。従ってこの一点を、自ら意識せずに、自分で回避していたのである。ある意味で、それを指摘される結果になったのが、Sさんという台湾の方からのお手紙であった。これは後述しよう。

私は実際に人を斬殺した人間、人を刺殺した人間を相当数多く知っている。
そしてそういう人たちが、そのことに触れた瞬間に示す一種独特な反応――本当の体験者はその瞬間に彼の脳裏にある光景が浮ぶから、否応なしに、ある種の反応を示す――その反応を思い起すと、「本当に斬ったヤツは絶対に自分から斬ったなどとは言わないものだ」という言葉をやはり事実だと思わないわけにいかない。

(~後略)

【引用元:私の中の日本軍(下)/日本刀神話の実態/P73~】


この山本七平の見解は、当時の時代背景を元に分析しており、野田少尉の心理を洞察している点からも、説得力のある妥当な解釈だと思います。

このように、三十年ちかく前に、上記のような見解が出ているわけですが、本書の中には、山本七平のこの見解に対する反論というものがまったく見当たらないのです。

都合の悪い見解を無視しているのか?どうなのかわかりませんが、笠原氏は、こうした見解へ納得の行く反論を示すべきではないのでしょうか。

それもできずに、「歴史学の立場から一つの決着をつけておきたい」などと述べるのは、おこがましい限りではないか…と思えてなりません。

次回は、実際に野田少尉が中国人の農夫を斬殺する現場を見たという唯一の証言「望月証言」について書かれた箇所を取り上げて見たいと思います。


【関連記事】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その1】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件」…を斬る【その3】《追記あり》


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書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その1】

「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ
(2008/06)
笠原 十九司

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そもそもこの本を読むことになったのは、「Apes!Not Monkeys!はてな別館」のブログ主Apemanさんとの論争がきっかけでした。

Apemanさん曰く、

被告の本多勝一氏を含む研究者らは両少尉の「百人斬り」の多くが実態としては「据物斬り」であって白兵戦での成果ではない、ということを明らかにしてきた。

【引用元】産経新聞の「捏造」


とご自分のブログで主張していたので、”本多勝一氏を含む研究者ら”によって明らかにされたという内容を教えて欲しいとコメントしたところ、教えてもらったのがこの本でした。

なぜそうしたコメントを入れたかといえば、理由が二つ。

まず、向井・野田両少尉による「百人斬り」競争の事件については、山本七平が「私の中の日本軍」で取り上げ、様々な角度から徹底的に分析しており、この事件が新聞記者の虚報による虚偽であることを既に明らかにしていたはずだ…と考えていたこと。

二つ目には、百人斬り競争が虚偽ではなく「据え物斬り」であったなどという事実が”いつ”明らかになったのか知らなかったからでもあります。

上記の理由からこのような質問したところ、まぁ、いろいろとやり取りがあったのですが、つまるところ、Apemanさんらが、「百人斬り競争が据え物斬りであって、百人近い捕虜を斬殺した虐殺行為」が”明らか”だとした自信満々に断定した根拠は、この本にあったわけです。

そこで早速地元の図書館でこの本を借りてきました。

初版が2008年6月。著者は笠原十九司氏。都留文科大学教授だそうです。
章立ては次のとおり。

はじめに
第一章 「百人斬り競争」を生み出した戦争社会
第二章 「百人斬り競争」の傍証――日本刀と軍国美談と国民
第三章 「百人斬り競争」の証明(1)
第四章 「百人斬り競争」の証明(2)
補論  「百人斬り競争」はなぜ南京軍事裁判で裁かれたのか
おわりに
あとがき


前書きを読むと、笠原氏が本著を著した動機は、次の二つだそうです。

・中国では南京大虐殺を象徴する残虐行為である「百人斬り競争」が、日本においては教えられることもなく忘れ去られつつあること。

・南京事件否定派が起こした「百人斬り競争」名誉毀損裁判において原告敗訴したのにも関わらず、マスメディアによりその後も「百人斬り」競争が否定され続けていること。


そして笠原氏自身の筆を借りると、「百人斬り競争」の史実の確定に挑戦し、”歴史学の立場”から一つの決着をつけておきたい…との目的でこの本を書かれたそうです。

そこまで言うからには、さぞかし文句の付けようのない新事実でもあるのだろう、と思ったんですが……。
その期待は見事に裏切られました。

結論から申しますと、新事実など目新しいものはまったくないと言ってよいと思います。
都合のよい資料を集めて組み合わせ、とにかく「百人斬り」が可能であったということを証明しようと努力しているだけなのです。

まず、驚かされるのが、笠原氏が戦前の新聞報道を全く疑っていない姿勢を取っていることです。

戦前報道された「OO人斬り」という記事をたくさん提示して、こういう報道が山のようにあったのだから、現実にもそれに等しい行為があったに違いない…と決め付け、ツユほども疑っていないのです。

笠原氏は、当時の新聞報道が(事実を報道するのを目的としていたのではなく)戦意高揚・宣伝宣撫を目的としていたことを全く無視しています。

そもそも「OO人斬った」という表現は、戦果を示すだけのマスコミならではの表記(ものの例え)にすぎないと考えるのが妥当です。

当時の戦場の実態に照らせば、銃撃や銃剣による攻撃で敵を倒したものが殆どであって、日本刀でバッタバッタと戦場で敵兵を斬り倒したなどということは有り得ません。
(このあたりの「報道表現」については、過去記事↓にて、山本七平の解説を紹介しているので参照されたし。)

【参考記事】
・名文章ご紹介シリーズ【その9】~百人斬りが通用する背景には~

しかしながら、笠原氏はそれを真に受けて、次のように結論付けます。

前述したが、日本刀は「使い手を得て真価を発揮する」「名刀と使い手の技が一体となって斬れ味が冴える」などといわれ、「使い手の腕」が物をいう武器でもある。そのために、剣道、それも真剣を使っての藁や竹の「試し斬り」の技を習得していた軍人が、「OO人斬り」を得意になっておこない、それを軍功として賞賛する風潮が強かったことが読みとれる【引用:P41】

中国戦場に「何百・何千の野田・向井」がいて無数の「百人斬り」をおこない、膨大な中国の軍民に残酷な死をもたらしたということが、決して誇張ではないことが推察されよう。【引用:P48】

【引用元:「百人斬り競争」と南京事件】


兵士の勇猛さを讃えるのが「目的」だけの記事報道を以って、実際に「OO人斬り」があったと断定する。
(例えていえば、東スポの記事が報道されたから、事実に間違いないというようなものだろう。)

それどころか、この新聞報道を以って、当時の日本人がこうした報道を喜んでいたなどと指摘する始末。
「戦時風潮のせいもあった」と言い訳をしながらも、当時の日本人が残虐記事を喜ぶ”野蛮”であったように匂わす処などは読んでいて怒りがこみ上げてきました。

笠原氏は、「残虐記事を、果たして当時の日本人が喜んで読むだろうか?」という当然の疑問が頭に浮かばないんでしょうか?

前述したように当時の報道が、戦果を「OO人斬り」で表現していたに過ぎないこと、つまり、華々しい戦果を報道するのが目的で、内容は荒唐無稽であっても何ら問題視されなかったことを全く理解していません。

これで”歴史学の立場から云々~”とのたまうのだから本当に呆れてしまう。

第一、当時の報道は、軍部によって検閲されており、残虐記事が載ることは絶対ありませんし、これらの報道を残虐だと受け止める読者もいません。

そうした戦意高揚記事を、残虐記事と読み変えようとする「意図」があまりにもあからさますぎます。

笠原氏は、当時の「OO人斬り」という中国人殺害自体については、無条件に事実だと決め付けるくせに、当時の報道(敵陣に突撃して何十人も叩っ斬ったというような)内容については否定するのです。

そして彼は、これら荒唐無稽な新聞報道が、実は捕虜や市民など無抵抗な者の「据え物斬り」であったと主張することで、これら戦意高揚記事が「虚報」ではないと強弁しているのです。

要するに、「荒唐無稽な信憑性に乏しい戦意高揚記事」を、「実際に行なうことが可能な残虐記事」へと改変しようとしているわけです。

これは、山本七平が指摘した「結局、虚報の武勇伝は残虐記事にならざるを得ないという一つの図式」そのものです。
(このことについては、過去記事↓にて詳しく引用しているので参照されたし。)

【参考記事】
・いまだに日中の相互理解を阻む「虚報」の害悪について

そして、こうした記事の紹介の狭間狭間に、向井・野田両少尉が、剣道の達人だった…とか、こうした行動も取れる環境にあった…とか挿入していくわけです。
下記のように。

「百人斬り」の向井少尉は、銃剣道三段の腕前であったから、日本刀だけではなく、銃剣の刺突で殺害して人数を増やした可能性も考えられる。【引用:P44】

野田大隊副官も、向井歩兵砲小隊長も戦況により、臨機応変にそうした作戦に参加することができた。とすれば、「百人斬り」をおこなうことを、はじめから「不可能だった」と断定することはできない。【引用:P56】

注目されるのは、歩兵でない砲兵でも日本刀を携帯して、中国兵を斬り殺していたことである。これも向井少尉が歩兵砲小隊長であっても「百人斬り」はできたことを示唆する「傍証」といえる。
以上の記事から、歩兵砲小隊長であった向井少尉が名刀「関の孫六」を持ってどのような場面で「百人斬り」をおこないえたのかを、想定することができた…【引用:P73】

このような戦況になれば、向井歩兵砲小隊長の「独断をもって」、投降兵や敗残兵、捕虜の「百人斬り」をおこなうことが状況的には可能だったのである。【引用:P95】

常州付近ではこのような状況であったから、向井、野田両少尉が記事に書かれていたような数の中国兵を日本刀で斬り殺せた可能性はあったといえよう。【引用:P122】

向井少尉も野田少尉も部下を連れての偵察が重要な任務であったから、望月五三郎『私の支那事変』に記述されていたように、迂回戦術行軍の偵察活動の最中に、農民を捕まえて「据え物斬り」をする機会が十分にあったと考えてよいだろう。【引用:P165】

【引用元:「百人斬り競争」と南京事件】


でも、上記の指摘ってみんな「可能であったに”過ぎない”」だけなんです。いわば笠原氏の願望に過ぎないんですね。
印象付けにより読者を誘導しようという魂胆がみえみえで、ある意味失笑を禁じえません。

長くなったので今日はここまで。
次回は、笠原氏が論拠とする「志々目証言」などについて取り上げていきます。

【関連記事】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その2】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件」…を斬る【その3】《追記あり》

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いい加減「日本は悪くない」論をぶつのはやめましょう。事実の認定のみで争うべし!

すっかり、更新が滞ってしまいました。いろいろ書きたいネタというのがないわけではないのですが、何しろ書くのが得意でなく、(たいした内容でもないし、引用ばかりなのに)一つエントリーを上げるのにも書き直したりと試行錯誤している有様なので、前回のアントニーの詐術シリーズが終わったあと、しばらく書く気が起こりませんでしたよ。

さて、それでは本題に入りますが、航空自衛隊の空幕長の田母神氏が書いた論文が話題となっていますね。今日はそれに関して思った事を書いていこうと思います。

内容自体は、どこかで読んだことのあるような内容の主張でしたね。保守派からみれば、細部で?な処(アメリカの陰謀をぶち上げている処など。証明できない事を主張している段階でどうかと思う)もあるけれど概ね頷ける内容じゃないでしょうか。山本七平に出会う前の私であれば、そのとおりだ!それなのになぜ首を切られるんだぁ~などと考えていたかもしれません。

でも、最近思うんですけど、なんだかんだ言っても「俺だけが悪いわけじゃない」的主張じゃ何の解決にもならないんですよね。

幾ら自分で正しいと思っても、それは一面的な見方に過ぎないし、実際に被害を受けた相手に通用するものではない。だってそれほど被害を受けたとは思えない韓国ですら、その論理は通用しないんですから。
確かに、田母神氏のような主張は、我々日本人から見れば、「日本だけがなぜこんなに責められなけりゃならないのだ」という感情に訴えかけてくるがゆえに、つい飛びつきたくなる主張なんですけど。

それに、一度示した談話というのはなかなか取り消すのは難しい。
個人的には、村山談話もどうにかしたいところですが、何よりも悪評ぷんぷんの河野談話は是非撤回させたいところなんですがねぇ~。

ただ、一旦公的に認めてしまったことを覆すには、確たる証拠を揃え、国内的にコンセンサスを得たとしてもかなり難しいのではないか…とちょっと絶望的にすらなります。つくづく河野洋平が恨めしくなりますね。

どうすればいいのか?
私自身も、具体的な解決策というものを提示できないのですが、この問題については、もはや善悪等が絡む解釈についての論争はなるべく避け、事実の認定のみについて争う姿勢をとり続けるしかないのではないでしょうか。事実を提示し続ける。それだけしか対抗手段は残されていないような気がします。

そして、もう一つ言える事は、今回のような立場の人によるこうした主張は何の役に立たないどころか、却って有害でしかないのではないか…という事。

こうした主張をしたいのであれば、公人たる立場でやるべきではないでしょうね。
田母神氏は、確信犯的に問題提起して自らの主張を広めたいのかも知れません。
日本人には心情的に受け入れやすい説ですから、日本人の間には受け入れられていくかも知れませんが、このやり方は対外的に印象が悪すぎると思います。

結局のところ、田母神氏の主張は、余りにも自慰的要素が強すぎるのです。
そうした開き直りが許されるのは戦勝国の権利だと考えるべきなのかもしれません。
敗戦国がいまさら悪くなかったと主張しても、取り合ってもらえない…そう覚悟を決める必要があるのでは。

それに、こうした論議は不毛です。
賛成する者には、反対する者が非国民のように見えてしまうし、反対する者からすれば、反省のない往生際の悪い奴としか見えないでしょう。

「日本は悪い/悪くない」…にばかり焦点が当たり、それを認めるか認めないかで、「反省した/していない」という結論にいつも矮小化されてしまう。なんだかなぁ。

いつもは、左翼のスタンスに厳しい自分なんですけど、今回ばかりは、この田母神氏の主張に同意する人には、次のことを考えてもらいたいですね。

1)生半可な対応は中韓の代弁者である左翼の連中に揚げ足を取られる危険性があること。

2)所詮、悪くないと主張しても、それは解釈の問題であって、いかようにでも受け取ることは出来る以上、水掛け論に終わらざるを得ない。確実な事実認定でのみ争うべし



そうしないと、道徳的優位性の衣を被って「反省が足りない」とのたまう傲慢な左翼の連中をますます付け上がらせることになってしまう。

反省が足りないと文句を言うだけが取り柄で、その実、批難することや揚げ足を取ることだけは得意で何ら反省の中身について考えたことの無い連中、そういう連中に、「反省が足りない!」といわれることだけは避けたいものですね。

今回の「日本は悪くなかった論」を眺めていて、ふと思い出したのが、山本七平の「一下級将校の見た帝国陸軍」の一章「石の雨と花の雨と」。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
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山本 七平

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これは、「日本は悪くなかった」論に与する人たちに是非一度目を通してもらいたい。
そうすれば、如何に自分の主張が一面的で、自慰的なものに過ぎないのか。
そして、本当に反省すべきなのは、一体何なのか?それを考えるよいきっかけになると思いますので。

今日はもう長くなりましたので、「石の雨と花の雨」については、次回取り上げて行きます。
お楽しみに。


【関連記事】
・「石の雨と花の雨と」~石もて追われた日本軍/その現実を我々は直視しているか?~


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「ネットウヨ」と見なされたことへの抗弁

以前、『百人斬り報道を未だ謝罪せず、訂正もしない毎日新聞ならではの「報道姿勢」』という記事を書いたところ、「ケセラセラ~」というブログにて、私のこの記事について取り上げていただいた。

・元日本兵の娘として>百人斬り報道
・雉も鳴かずば撃たれまい

この記事の中で、ブログ主の葵さんは山本七平やそれを盲信(?)している私を非難されている。
もちろん批判はお互い様なので構わないのですが、どうも誤解や間違った事実認識があるようなので、以下反論だけはしておきたいと思う。

と元将校だった山本七平が言ってるそうだが、よくも、こんな嘘が言えると呆れてる。


何をもって嘘と言えるのかさっぱりわかりません。ホラ話で嫁さんを貰えたとして、それでどうして山本七平の主張が嘘になるのでしょう???関係は無いでしょうに……。

南京虐殺と言うのは、日本軍の残忍さを世界に知らしめる為のものであり、支那人の蛮行や、アメリカの空爆や原爆で日本人を無差別に殺害した事を相殺する為に、そして連合軍は正義の戦いをしたと言う証に必要だったわけだから、百人斬りをしたと言う二人は、誰がどんな証言をしたとしてもアメリカは聞き入れなかっただろう。蒋介石の中華民国は、アメリカの手先なんだから。


前段については後述するとして、後段の「アメリカは聞き入れなかっただろう」というのは明らかに間違っています。
なぜならば、東京における裁判では、実際に二人は不起訴となっている。つまりアメリカの判事はこの記事をホラだと判断して二人を釈放している事実があります。
それが南京における裁判では、この記事が一転して「事実」と認定されたために処刑されているのです。

つまり、アメリカの裁判は、この記事を「フィクション」だと判断したのに対し、中国の裁判は、「事実」だと認定したがために、判決が分かれたに過ぎません。どうしてこの事実から、中華民国がアメリカの手先だと言えるのでしょう?

また、前段の部分について言えば、確かにそういう一面があるのは否定できません。
しかし、そのこと(中国や米国の陰謀論)だけでは、この問題を見誤ってしまうと私は思う。

山本七平の凄さは、この問題を「日本人自身が招いたこと」だと喝破したことにあります。そのことについて述べた一文を引用します。

南京大虐殺の”まぼろし”を打ちあげたのは、実は「百人斬り」について前章で述べたと同様に、われわれ日本人であって中国人ではない

そして、「日本の軍部の発表および新聞記事」を事実と認定すれば、それは必然的に「非戦闘員虐殺の自白」になるという図式でも、小は「百人斬り競争」より大は「大本営発表」まで、実は共通しているわけである。

すなわち、二人の処刑にも「南京大虐殺のまぼろし」にも全く同じ論理が働いているのであって、これがこの章の最初に「いかなる人間もその時代の一種の『論理』なるものから全く自由ではありえない」と記した理由である。この論理の基本を提供したのはわれわれ日本人である

従って、だれも怨むことはできないし、だれも非難することはできない。自らの言葉が自らに返ってきただけである。

だがそこで「みんな、みんな、われわれが悪かった」式の反省、いわば「総懺悔」は全く意味をなさない

それは逆にすべてを隠蔽してしまうだけである。まして新しい大本営発表をしている当人が「反省」などという言葉を口にすれば滑稽である。

そうでなく、そうなった理由、そして未だにそうである理由を徹底的に究明し、その究明を通してそこから将来にむけて脱却する以外に、これを解決する道はあるまい

【私の中の日本軍(下)/「時代の論理による殺人」の章より引用】


私も山本七平の言うとおりだと思う。
左翼の反省は論外だが、果たして葵さんの言う「女々しい」との非難は、物事の解決につながるだろうか?
まず、この図式を理解しないと、何の解決にもならないのではないでしょうか。

その上で、山本七平は、訂正記事を今からでも出してくれ、とお願いしているのです。

この主張のどこが、いわゆるネットウヨと同じなのでしょうか?
なぜ稲田朋美氏らの名誉訴訟と同一視するのでしょうか?
(個人的に言えば、遺族の名誉回復など脇において、この点のみ追及すべきだったと私は考えます。)

何を信じるかは読み手の判断に任すが、真実を見極める努力をせずに、作者の思想を鵜呑みにして相手を詰る行為は自己責任の無い餓鬼のごとし。


私自身は、山本七平の思想を鵜呑みにしているとは考えていません。
ただ、彼の主張は、私から見て道理にかなったもので否定すべき点が余りないことから、第三者から見れば鵜呑みにしていると思われても仕方ない面はあると思う。

葵さんが山本七平のことを評価しないのは構わないし、山本七平の著作を読み、その主張を理解することで、戦前の日本の実態に迫ろうと考えている私をけなすのも勝手です。

だが、そのかわり、山本七平の主張のどこが間違っているのか?きちんと理由を提示してもらいたいとは思う。

旧日本兵を盲目に弁護するのが愛国者と勘違いしてる?


私は稲田朋美の活動については何も言っていませんし、この訴訟に関して言えば、前述したように彼女ら原告は戦術を誤ったと思う。ただ、私は、結果論だけで彼女らを責めようとは思いませんが。

一体、私の主張のどこを以って、「盲目的」に弁護していると断定しているのでしょうか?

確かに私は、「彼ら二人は、日本刀で一人も斬っていないとしか思えないのですが…」と書きました。

このことが盲目的ですか?

私は山本七平の日本刀に関する記述・体験談等を読み、確かにそのとおりだろうと確信しているから書いたのであって、根拠無く書いているわけではありません。山本七平は日本刀について述べた後、次のように結論しています。

気の毒にも二人は、処刑されるその時も、白兵戦で軍刀がどうなってしまうかを実際は知らなかったと思われる。

というのは、裁判において、日本刀の実態を明らかにし、この創作記事通りの行動をすることが、現実には絶対に不可能であることを、その面から証明しようとした形跡が全くないからである。

二人に多少とも白兵戦の経験があったか、少なくとも、私のように、日本刀で人体を切断した体験があれば、それが可能であったろうに……。


私は、盲目的に弁護もしていませんし、ネットウヨが主張するように、日本軍が神聖兵士だったと言っているわけではありません。虐殺がまったく無かったと主張しているわけでもない。

歴史とは外交カードでしかないのであり、悪戯に修正しようとすれば、外国や左翼の攻撃にあい、逆効果になる・・・と私は思う。


これについては同意します。
葵さんの怒りももっともだと私も思う。
とにかく彼らは、そういうことだけは巧みに攻めてくるので、対応には注意が必要でしょう。
そして、山本七平の指摘した図式「日本人自身が招いたこと」を理解し、それを踏まえた対応をしていく必要があると私は考えます。

以上、拙いながら私なりに反論させていただきました。
自分では、ネットウヨではないつもりなのですが…。
なかなか他人に理解してもらうのは難しいものですね。


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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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