一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

祝!WBC優勝!&マウンド問題一考&ジャーニーの名曲ご紹介

いやぁ、今日のWBC決勝戦は、凄い試合でした。
ハラハラドキドキ、スリル満点の試合でしたね。しかも、勝利のオマケつき。

これこそ野球の醍醐味というか、素晴らしさを再認識させていただきました。
こういう試合を見せてくれた両チームに感謝です。

でも、ホントに勝てて良かったと思う。
勝負だから負けても仕方ないけど、マウンドに大極旗立てられるのだけは見たくなかったから。

ところで、あの韓国人の旗をマウンドに突き刺す行為というのは、実際のところどうなのでしょう?

我々日本人は、「神聖なマウンドに突き刺すとは!」って受け止めるけど、韓国人はそう思わないのでしょうか?また、アメリカ人とかはどう受け止めているのかな?

今回、ネットで結構「マウンドに旗を突き刺すという行為」が、当然の如く、批難されているけれど、この日本人の通念は、果たしてアメリカ人や韓国人のそれと同じなのでしょうか?

どうも、日本人というのは、何事も「自分がそうなのだから、相手もそうに違いない」という思い込みで動いているところがあると思うんです。心理学的には、自己中心性というらしいですが。

今回も「マウンドに突き刺す行為=タブー」という前提ありきで批難しているけど、本当にそうなのか?

批難する前に、一度立ち止まって見る必要があるのではないかなぁ…。
こうした思い込みが、どうも相互誤解の元になっているような気がするんですよ。

とは言っても、自分も韓国のあの行為は嫌悪感を抱かずにはいられないのですがね。

それはさておき、WBCのBGMで流れているジャーニーセパレート・ウェイズ、懐かしかったなぁ~、洋楽を聴き始めた中学生の頃よく聴きましたよ~。曲調がかっこいいんだよな。
ということでyoutube↓で探してみました。

Journey Separate Ways Music Video




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感情国家・日本【その2】~トラウトマン和平工作はなぜ成功しなかったのか~

日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)
(2005/01)
イザヤ・ベンダサン

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前回【その1】のつづき。

前回は、日支事変を世界がどのように受け止めたかについて、イザヤ・ベンダサンの記述を引用しました。
今回は、蒋介石と日本がどのような交渉を行なっていたのか、そして、駐支独大使であったトラウトマンがなぜ仲介に乗り出したのか、といったことについて説明している箇所を引用していきます。

前回の続き)

蒋介石ももちろん問題解決のため、模索していた。
彼は前に近衛〔文麿〕公(首相就任前の)に一つの私案を送っていた。

それの第一条は「満洲問題ハ当分ノ間不問ニ附スル」であり、その説明は、公の語るところによれば「現在の空気では支那に於ては取あげられないから」であった。

確かに、この時点では、これはあらゆる意味において合理的な提案であった。
一種の「アデナウアー方式」であり、「北方領土問題不問」の日ソ国交回復方式であり、これが当時の中国政府の譲歩しうる限度であったであろう。

近衛公自身の語るところによれば、公はこの提案を非常に喜び、これで当面の問題は一応解決すると信じ、早速各方面と折衝した。

ところが軍の反対にあった。

軍は、すべてに賛成であるが、ただ第一条「満洲問題ハ当分ノ間不問二附スル」は受け入れられない、これを承認とあらためよ、であった。

前述のようにこの要求自体が非常におかしい。
しかし非公式の反対提案なら(いわば裏取引なら)、考えられぬほど非常識ともいえない。

両案の中間、たとえば「中国は満州国を承認しない、しかし第三国の承認は妨げず、承認国への報復は行なわない」(これは実質的には「不問」に入る)といった線で妥協に達することも、考えられないことではないからである。

しかし蒋介石はそれをしなかった。

■条約よりも市民感情が優先する国

それには理由がある。日本人には「交渉」という概念がなく、中国に対しては常に条件をつきつけてイエスか、ノーかを迫る、いわば一方的に「押し切る」方式をとり、その上、ひとたび押し切ると次々と条件を加重してくるからである。

そして譲歩に譲歩を重ねた末に成立した協約さえ、国内事情を楯に、言を左右して実行しない

ニクソンもぼつぼつこの苦杯をなめはじめたようだが、終世この苦杯を飲まされつづけたのは、おそらく蒋介石であろう。

これは今でもおそらく同じで、日本人には交渉→合意→契約→実施という概念がないからであろう。

たとえば新聞などには平然と「市民感情がゆるさない」という言葉が出てくる。

これは言うまでもなく「条約よりも市民感情が優先する。そしてそれが当然だ」という主張だが、いわば「感情の批准がない条約は無効だ」という主張になるから、こういう民族と条約を結ぶのは確かに非常にむずかしいであろう。

日支事変とは、私の考えでは、実はこの行き方の帰結なのである。

もっとも当時は「市民感情」でなく「国民感情」であったが、この二つは、日本に関する限り同一であろう。

そして、中国にとっては実に苦しかったこの諸経験から、この点を非常に鋭く見抜き、かつ学んだのが周恩来であろう。

彼は蒋介石の対日交渉を側面から見ていて、その失敗の経過はすべて知っていた。

彼の結論はおそらく「日本人と契約を結ぶには、交渉よりも先に、まず相手の感情を操作し、『感情』に批准させねばならぬ」ということであったろう。彼の見通しは正しかった。

話は前後したが、蒋介石は話合いを打ち切ったわけではない。

彼は日本側の反対提案を拒否したが、しかし、もし自分の提案を基としてくれるなら、他の条項では譲歩する用意があるから、いつでも連絡してくれるように申し入れて、一応、交渉を中断した。

近衛公の語るところによれば、この申し入れに応じて、事変が始まるとすぐ秋出定輔と宮崎竜介の二人を公の私的使節にして中国に送ろうとした。しかし二人は途中で「スパイ容疑」で憲兵隊に逮捕された。

ここで一応、一切の交渉の綱は切れたわけである。

トラウトマン和平工作のはじまり

いわゆる杭州湾敵前上陸〔一九三七年十一月〕で上海の中国側防禦線が崩壊しはじめたとき、トラウトマン駐支独大使による和平斡旋が始まった。

いわゆるトラウトマン和平工作である。

当時、日本の軍事行動を内心もっとも苦々しく感じていたのは、実は、ナチス・ドイツ政府であった
彼らは蒋介石軍の増強により、中ソ国境が現在の如くに緊張することを夢見ていた。

皮肉なことに、今〔一九七二年当時〕の中ソ関係こそ、ヒトラーの夢であり、ソビエト軍五十個師団のシベリア移駐こそ、彼の望みであった。

従って蒋介石軍に軍事顧問団を派遣し、その関係は一時、ある時期の南ベトナム軍と米軍事顧問団ぐらい密接であった。上海の防衛線は実は彼らの指導で出来たものである。

また南京には、当時の上海在住のユダヤ人から「ゲッベルスの腹心」と恐れられたナチス党員の一商人がおり、あらゆる情報は大使館とは別の系統でナチス政府に送られ、またさまざまな指示も来て、蒋介石と密接な連絡をとって情報・宣伝に従事していたらしい。

一方ドイツではその後、日本軍の対支軍事行動に反対する「官製デモ」も行なわれている。
だが当時の日本の新聞は、このデモを一行も報道していない。

彼らは、その祖先の行き方を参照したから、日本の軍事行動が「七年戦争」、いわば「満州国領有承認獲得戦争」であると信じて疑わなかった。
また一方では、日本軍による中国軍の全面的崩壊を恐れていた。

彼らの狙いが、「反共日蒋同盟」による中ソ国境の緊張化であり、トラウトマン和平工作が、この考え方を基礎としていることは、次のことから明らかである。

すなわち日本政府と交渉の結果、その条件を、(1)満州国承認、(2)日支防共協定の締結、(3)排日行為の停止その他とし、彼はこれを全面的に相手に受け入れさせるため、あらゆる努力をしたわけである。

彼(トラウトマン)は十一月六日、行政院長孔祥煕と会見し、多少の曲折はあっても、ほぼこの線で事変は終息するという確信をもった。

ここであくまで明記しておかねばならぬことは、いずれにせよ、これを提案したのは日本政府だったということである。

これは、相手がこの条件を呑みさえすれば、日本軍は平和裏に撤退することを、第三国という保証人を立てて、相手に申し入れたということである。

日本人が過去の経験において絶対に忘れるべきでないことがあるとすれば、このことである――これが、だれからも強要されたのではない「自らの提案」だったという事実である。

自らの提案を自ら破棄した者は、もはやだれも信用しない

確かにナチス・ドイツの斡旋はそれなりの計算があったであろう。
しかしそのことは、現在でも、釈明の理由にはならない。

中国政府は協議の末、十二月二日、トラウトマン大使に「日本案受諾」「同条件を基とした和平会談の開催」を申し入れてきた。と同時に、その後情勢は変化しているが日本側の提案に変更はないか、と念を押してきた。

これは当時の中国政府にとっては「ポツダム宣言」の受諾に等しかった。
すなわち「無条件提案受諾」であり、その意味では、この条件への「無条件降伏」である〈注7〉

〈注7〉 トラウトマン和平工作をめぐっては、ここで著者が述べているように、「和平会談の開催申し入れ」を、そのまま「ポツダム宣言受諾に等しい」と考えることには無理がある、と指摘する声も多い。すなわち「和平会談の開催申し入れ」は、あくまで交渉の開始にすぎず、条約締結のずっと前段階にすぎないのだから、なんら拘束性を侍たないというのである。しかし著者は、蒋介石の「支那は講和交渉の一つの基礎として日本の要求を受諾する」という言葉を、当時としては「ポツダム宣言」の受諾に等しいとの見解をとっている。

これに対して日本側は条件に変化なしと通告した。

戦争は終わった。だれが考えても、これで戦争は終わったのである。

従ってそれ以後もなお軍事行動をつづけるなら、それは「狂人だいこ(マッドマンズ・ドラム)」の踊りであって「戦争」ではない。

次回に続く)

【引用元:日本人と中国人/一章 感情国家・日本の宿痾/P26~】


私は、当時の日本政府と蒋介石がどのような交渉を重ねていたのか知らなかったものですから、この「日本人と中国人」を読んで、初めておおまかな経緯を知り驚きました。

まさか、自分の提案を自分で蹴っていたとは…。
もし、これが事実なら、当時の日本の行動が、世界から怪しまれ不可解に思われるのも当然です。

文中で、ベンダサンが「日本人が過去の経験において絶対に忘れるべきでないことがあるとすれば、このことである」と述べていますが、誰がこういう経緯を教えてくれているでしょうか?

いろいろ戦前の事件について、巷では書かれていますが、少なくとも私はこの「絶対忘れるべきでないこと」を知りませんでした。教わった記憶もありません。

「歴史に学ぶ」ということは、こうした過去の行動を後世に伝えて初めて学ぶことができるのではないでしょうか?果たしてこれで反省したといえるのでしょうか?非常に疑問に思えてなりません。

さて、次回は、こうした日本の行動の結果、世界は日本のことをどう思ったか、そして、それが南京事件にどのような影響を及ぼしたかについて、紹介して行きたいと思います。


【関連記事】
・感情国家・日本【その1】~日支事変は世界にどのように受け止められたか~
・感情国家・日本【その3】~戦前の日本は軍国主義以下~


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物量ではなく思想の違いで敗れた日本

よく太平洋戦争を語る際、「米軍の物量作戦に負けた、それさえ互角なら負けなかった」という言い訳を目にしますが、昔は私もそう考えていました。

しかし、山本七平の主張を読んでみて、それは間違いなのではないか…としか思えなくなりました。

このことについては、「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)」でも詳しく取り上げられているのですが、今日は、砲測量を例に、そのことを端的にわかり易く指摘しているコラムを「常識」の研究 (1981年)から紹介したいと思います。

■「ミドル日本人優秀説」

週刊誌をめくっていたら、ある在米学者による「日本のミドルはアメリカよりはるかに優秀」といった一文が出てきた。

別にだれかが日本人は劣等だといったわけではないであろうが、この日本人優秀説は、何かへの反発のように、ときどき顔を出す。

そして、それは何らかの自信喪失・目標喪失のときや、挫折感を昧わっているときに出てくるように思われる。

これは終戦直後のフィリピンの収容所でも出てきたし、事実、アメリカ人やフィリピン人に接してみると、日本人優秀説を証明しうる事例はいくらでもあった。

下級将校・下士官・兵、そのすべてが素質・勇気・訓練において日本軍に劣り「なぜあんなバカに負けたんだ」がわれわれの嘆声であり、「結局、物量さ」が、その理由の真の探究を放棄した者の安直な結論であった。グアム島の横井氏もそう結論している。

しかし、理由はそんな簡単なことではない

私は砲兵の観測将校だったので、その後にも双方の射法の違いに関心を持ち続けてきたが、その結論を簡単に要約すれば、日本軍は観測将校の名人芸に依存し、彼らは、バカでもチョンでもできるシステムに依存するという違いなのである。

したがって、観測将校を比較すれば日本の方がはるかに優秀で「段が違う」、しかし、彼らは最も優秀な頭脳をそこには投入せず、システムの開発に投入しており、したがって安直な優秀論はできないのである。

以上のことを具体的に述べれば、砲の射撃では弾着点を観測しつつ射弾修正を行う。

この際、見えた通りに修正できるのは砲身の真後ろで観測している場合だけで、この場合は小銃の照準と同じである。

だが、通常、砲は後方の谷底のしゃへい地にあり、観測所は前方で、しかも射線からはずれた高地にあり、両者の間を軍用電話でつなぐのが普通だから、見えた通りには修正できない。

そこで目標・観測所・砲を結ぶ三角形を頭の中に描き、観測所で見える方向誤差と遠近誤差を頭の中の暗算で、一瞬のうちに砲の方向誤差と遠近誤差に換算し、その修正値を電話で砲側に命ずるのが、観測将校の任務になる。

【遠隔観測による集中砲火の図】
砲の測量図
(↑クリックすると大きくなります)

そのため、目標・観測所・砲の描くあらゆる三角形を頭の中に入れ、とう見えたらどう換算するかのすべてに熟達させるのが訓練であり、名人芸に達した「射撃の神様」などは、まるで頭の中に電算機が入っているのではないかとさえ思われるほどである。

あらゆる面におけるこういうタイプの中堅幹部、こういう人を優秀というなら、アメリカ人には確かにこういう優秀さはない。

同じタイプの優秀性、たとえばソロバンの名手の暗算能力などに接すると、アメリカ人は、そういう人間の存在さえ信じられず、驚きの余りポカンとしているのが普通である。

と同時に、われわれはそのポカンを見て「こんなバカにあの複雑な砲兵射撃がなぜできたのか」と不思議になり、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。物量さ」で片づける

だが、実際はそうではない

彼らの射砲では「見えたら、見えた通り、砲測に電話すればよい」のである。
これならば何の名人芸もいらず、昨日入隊した兵隊にもできる。

そして砲側には一種の計算盤があり、これにまず前記の三角形を入れておき、電話で来た誤差を入れれば、砲の誤差が自動的に出るようになっておりこの操作もまたきわめて簡単で、ほとんど訓練なしで使えるのである。

もちろん、その間に一定の時間を必要とするから、日本軍の名人芸のように瞬間的に修正できるわけではない。

ただし、日本的な意味での優秀な人間は中堅幹部には必要ないし、名人芸に到達するまでの長い訓練も必要でない。

さらに、名人が戦死したら射撃不能になることもないし、損害への人材補給ができず、みるみる戦力が落ちていくこともない

優秀な人材は、この計算盤をより早く、正確でかつ操作しやすくするため、戦場での経験を取り入れて研究を続け、実践のたびに性能が向上していく。これがシステムであろうか。

したがって私は、現場中堅幹部日本人優秀説とその行き方の是認に危惧の念を持たざるをえないのである。

【引用元:「常識」の研究/Ⅳ倫理的規範のゆくえ/「ミドル日本人優秀説」/P191~】


結局のところ、このコラムを読むと、物量が問題だったのではなく、思想の違いで負けた、というところでしょうか。
思想自体に優劣はないと思いますが、戦争という形態での争いの中では、日本のそれは人に頼る部分が大きい分、戦死により補充が利かないという弱点が露わになってしまったのではないかと思います。


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感情国家・日本【その1】~日支事変は世界にどのように受け止められたか~

日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)
(2005/01)
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今日から何回かに分けて、上記の「日本人と中国人」を引用しながら、南京事件とは一体どういう事件であったのか?そして、何が「真の問題」なのか?ということを考えていきたいと思います。

まず、この本が書かれた動機について紹介しておきましょう。
それは、本書の前書きに書かれていますので以下引用します。

本書は、月刊『文藝春秋』において、昭和四十七年(一九七二年)より四十九年二九七四年)にかけて断続的に連載され、その後、平成八年(一九九六年)に「山本七平ライブラリー13巻『日本人とユダヤ人』」(文藝春秋)に収録されたものを、今回、はじめて単行本化したものです。


■読者のみなさんへ

本稿は、上にも記したとおり、今を遡ること三十三年前、一九七二年に執筆が開始されたものです。

この年は、日中両国が歴史的な国交回復を遂げ、日本中が朝野をあげて沸きかえっていました。
その一方で、台湾との問で締結されていた日華平和条約は、一方的に破棄されたのです。

本橋の執筆が開始されたのは、まさにそうしたときでした。
「条約より市民感情が優先される」、このようなことがあっていいのか。

そうした疑問と、憤りにも似た気持ちが、著者を本稿の執筆へと駆り立てたことは、疑いのないところです。

もちろん、ここで著者が言いたいことは国交回復の是非ではなく、こうした折りに顔をのぞかせる、一時的な感情にあまりに支配されることの多い日本人の特性(この場合は明らかに欠点)についてでした。

日中関係というのは、考えてみれば、双方が対等でまともな関係を持ったという時代がありません。

古代は日本が朝貢する関係、その後も正式な国交はなく、政経分離の時代が続きました、足利義満は朝貢することで貿易の実利を得ようとしましたが、彼の死後、再び断絶。

秀吉は明との交渉を決裂させて、第二次朝鮮出兵へといたります。徳川時代も国交はなく、国内では異常な中国ブームから、一転して中国人蔑視へと移ります。さらに明治以降についていえば、知っての通りです。

このように、日本がこれまで中国と、まともに付き合ってこられなかった理由は何なのか、今後はどうしたらいいのか。これまでの歴史的経緯を検証し、日本の側から問題点を追究しようとしたのが本稿です。

依然ぎくしゃくした問題が絶えない両国関係を見るにつけ、三〇余年たった今、本書を改めて世に問う意義は少なくないものと信じます。

(~以下略)

平成17年1月吉日          祥伝社書籍出版部


つまり、日中国交回復時の騒動が、動機だったわけですね。
それでは、早速南京事件に関わる部分を引用していきましょう。

日支事変を、世界はどう捉えたか

日支事変が始まったとき、世界の多くの人は、これを日本の全く不可解な行動とは見ず、一種の「七年戦争(wiki参照)」〔一七五六~八三年にオーストリアとプロシアとの間で行なわれた戦争〕と判断していた。判断の当否は別として、確かにそう見えた。

言うまでもなく「七年戦争」はプロシアにとっては「シレジア領有確認戦争」である。いわゆる「オーストリア継承戦役」〔一七四〇~四八年〕で、フリードリヒ大王は、いわば「火事場泥棒」的にシレジアを奪取したが、取られたオーストリアはもとより、欧州の列強は、その領有権を本心では承認していない。オーストリアはもちろん奪回を計る。

大王は七年戦い、得たものは既得の領土の所有権の確認――いわばそれによって生ずる新国境を、公認の境界としてオーストリアと列強に確認させただけであった。

国境という概念のない日本人にはわかりにくいであろうが、これは常に、戦争の原因になる重要な問題の一つである。

パレスチナ戦争は七年戦争とは全く性格が違うが、しかしこれも一種の「国境取得=承認戦争」だとはいえる。日本の新聞はこのことが全く理解できないので、旧停戦ラインを国境の如くに記し、それと新停戦ラインの間を占領地としているが、これは誤りであって、両者とも停戦ラインにすぎない。

停戦ラインはあくまでも停戦ラインであって、国境ではない。

ヨーロッパ大陸を旅行した日本人が、「国境とはつくづく大変なものだと思います。日本に国境がないのは有難いことだと思います」というが、イスラエルにはその「つくづく大変な」国境すらなく、何とか国境がほしいと願っているわけだから、日本人の「パレスチナ問題批判」が、『日本人とユダヤ人』で記したように、マリー・アントアネット式批判(註)になるのも致し方あるまい。

(註)…【過去記事】名文章ご紹介シリーズ【その1】を参照。

しかし忘れてはいけない。
このような批判の底にある認識不足に基づく独善的断定が、実は、日支事変の最大の原因の一つであったことを。
しかし、そのことは未だにわかっていないらしい

国境とはあくまでもそれに接する両者が合意した線であって、お互いにその外側は他国と認め、その外側で生じた問題には干渉の権利がないと相互に認めること、簡単に言えば相手の存在を認めることである。

この国境の存在を認めないということは、相手の存在を認めないということである。

従って、どのような形であれ、両者合意の一つの線を確認・確保し、同時に世界の列強にそれを承認させ保証させる、それによってあるいは自己の安全を計り、あるいは事態の安定化を計る、時にはそのためにのみ戦争さえ起こる、ということは、少なくともヨーロッパ人にとっては、不可解なことではない。

もちろんこのことは、問題解決のためにこのような手段をとることの是非善悪とは、別の問題である。

■日本は眠れる大国を刺激する名人

従って、日支事変が始まったとき、世界の列強の殆どは、これを一種の「七年戦争」と理解したのは当然である。

「シレジア領有確認戦争」と同様の「満州領有確認=満州国承認獲得戦争」、すなわち中国政府に満州国の独立を承認させるための軍事的行動乃至は軍事的示威行動と見た。そして蒋介石自身も明らかにそう考えていたし、また、後述するように、彼には、そう考える根拠があった。

従って宣戦布告をしないのもその故で、これは、示威目的さえ達すればいつでも兵を引く用意があるという意思表示で、日本自身も、これをあくまで軍事的示威行動と規定し、戦争とは規定していないのだと彼も世界も考えていた。

西欧がこう考えた底には、やはり二つの伝統的な考え方が無意識のうちにあったからであろう。
ヨーロッパというユーラシア大陸の一半島に住む人びとには、「大国は半睡状態にしておけ」という行き方が、本能のように備わっている。

彼らは、その昔のモンゴルやトルコ、その後継者のロシア、すなわち彼らがアジアと考えた地の大国の脅威に、祖先伝来的な敏感さをもっていた。ナポレオンはモスクワを「アジアの首都」と呼んでいる。そして彼自身も、この地に一種の本能的な恐怖心をもっていた。

しかし大国には大国の弱点がある。それは「自給自足的な半睡状態」に絶えず落ちこもうとする傾向があり、同時にこれへの抵抗がある。文化大革命もその一つであろう。

そして半睡状態を助長してやることこそ小国の安全だ、ということは、ヨーロッパ大陸にとっては一種の本能でもあった。同時にこれを逆用もした。

そしてこの逆用の名人はイギリスであり、それが、フランスにおけるド・ゴール的反英感情の基となっている。この感情はド・ゴールの専有物ではない。

従って昭和期の日本の行動は、常に彼らに奇異に見えた

この不思議な国は、半睡状態におちいろうとする大国を刺激して叩き起こす名人なのである――熊の横っつらをはりとばしたり、竜の髭を引き抜いてみたり、金袋によりかかってうとうとしている怪獣マンモンの袋に大穴をあけて、あわてて目をさまさせたり……。

だが日支事変の始まるころには、欧州の列強も、まだ、日本人のこの不思議な癇癖には気づいていなかった。
これが彼らも、示威で終わるであろうと考えた、目に見えぬ基本的な理由の一つであろう。

だがそれとは別に、明白に、そう考えるべき根拠もある。

蒋介石近衛文麿の秘密交渉

それがすなわち、蒋介石もそう考えていた根拠である。昭和十年十月、日本政府は、日中提携三原則を中国に提案した。すなわち排日停止・満州国承認・赤化防止の三ヵ条である。

この一年前すなわち昭和九年十月十六日、中共軍は大西遷を開始し、十一月十日に国府軍は端金を占領し、蒋介石の勢威大いにあがった時であったから、日本もそろそろ「火事泥」の後始末にかかるのも当然の時期であろう、と蒋介石も世界も考えたのもまた当然である。

蒋介石はもちろんこの「日中提携三原則」を受け入れなかったが、しかし、これは外交交渉という点から見れば当然のことである。

彼は何もこの提案をポツダム宣言の如く受諾せねばならぬ状態にはないし、第一、こんなばかげた提案は、おそらく世界の外交史上類例がないからである。

日本は満州国は独立国であり、民族運動の結果成立した国であると主張している。
従って満州国と日本国とは別個の国のはずである。

それなら満州国承認は、あくまでも中国政府と満州国政府との間の問題であって、日本国政府は何ら関係がないはずである。

従って秘密交渉ならともかく、公然とこの主張をかかげることは、その後も一貫して日本政府は、一心不乱に、「満州国とは日本傀儡政権であります」と、たのまれもしないのに、世界に向かって宣伝していたわけである。

この辺もまた、まことに支離滅裂で面白いし、この点では今も同じだが、先へ進もう。

(~次回に続く)

【引用元:日本人と中国人/一章 感情国家・日本の宿痾/P20~】


ここまでの引用で、南京事件の引き金である日支事変が、満州国を巡って起きたということがある程度理解できるのではないでしょうか。
ちょっと長くなりましたので、この辺でやめて、次回に続けます。では。

【関連記事】
・感情国家・日本【その2】~トラウトマン和平工作はなぜ成功しなかったのか~
・感情国家・日本【その3】~戦前の日本は軍国主義以下~


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農水省のヤミ専従問題を報道しない赤旗

赤旗読んでて、はたと気付いたんですが…。
最近、話題になっている農水省のヤミ専従の問題がまったく取り上げられていないようです。

一応、ネットで見る限り、朝日・読売・日経・毎日など大手が以下↓のように取り上げているんですが。

・農水省142人ヤミ専従の疑い 総務省には「ゼロ」回答

・農水省ヤミ専従、秘書課長が口止め?「組織維持できない」

・農水省のヤミ専従問題 農相、事実なら刑事告発を検討

・農水省:「ヤミ専従」調査担当者らの処分検討 井出次官

官公庁の労組は社民党とか民主党というイメージがあるのだけれど…。
農水省の労働組合って、どこの政党に近いのだろうか?
まさか、共産党の支持母体なのだろうか?それなら、報道しないのもわからないではないが。

しかし、赤旗はどうして報道しないのだろう。
生活保護偽装問題よりずっと取り上げやすい問題だと思うのだが…。


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オフレコ破りという「禁じ手」を使ってまで民主党を応援するマスコミ

漆間官房副長官の軽率な発言が問題になっているようですね。

どうもこの事件の発端となった懇談会は、”メモや録音等記録を取るのを禁止された形”での「政府関係者と記者との懇談会」というものらしいのですが、政府の誰が発言したかということを報道するのが禁止されているだけで報道そのものが禁止されているわけではないらしい。

これが果たして、一般で言われる「オフレコ」に当たるのか?と疑問に思ったのでwikiを参照してみた。
以下、wikiから抜粋引用してみると、

オフレコとは

談話などを公表しないこと、もしくは非公式ものとすること指す。
英語 off the record(記録にとどめないこと)に由来する。

日本新聞協会編集委員会はオフレコについて「ニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない「取材源の秘匿」、取材上知り得た秘密を保持する「記者の証言拒絶権」と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある。」と述べている。

■概要

一概にオフレコと言っても様々な段階があり、完全に公表を拒否する場合もあれば、匿名であれば公表可という条件の場合もある。

中には匿名と言いながら、実際は誰が喋ったのかが分かる場合もある。
欧米では完全に公表を拒否する場合のみをオフレコと呼ぶ。

日本では政府関係者の発表において様々な表現方法がある。
匿名発言としてのオフレコは記者に対するサービスのこともあるが、政治的効果を狙ったオフレコ発言もなされる。

特に機密情報のリークは政治的効果を狙ったものであることが多い。

政府首脳 - 官房長官
政府高官 - 官房副長官
政府周辺 - 首相秘書官
党首脳 - 党首、党幹事長、
党幹部 - 党四役(旧党三役)
○○省首脳 - 次官
○○省幹部 - 局長、審議官
海外の消息筋 - 在外大使館員

オフレコ発言は原則として当人の了解を得なければオフレコ解除(内容、発言者名など取材時の約束上伏せている事項を公表すること)をしてはならないものとされる。

このことはニュースソース(取材源)の秘匿としてしばしばジャーナリズムの義務かつ権利として主張される。

たとえ法律違反を前提とする発言でも取材源の秘密は守られるべきであり、また公権力もこれを尊重すべきだという考え方は報道関係者を中心に根強い。

しかしながら、江藤隆美宝珠山昇のようにオフレコとして発言した内容をマスコミの側が勝手に公表し失言として騒ぎ立てることにより辞任に追い込まれた事例もあり、「オフレコの尊重」をマスコミ自体が侵しているのではないかという論議も存在する。

(~以下略)


どうも、この事件のオフレコ談話というのは、「匿名であれば公表可」に当たるのかな?
欧米でいうところのオフレコとはちょっと違うようだ。

まあ、漆間官房副長官の言い訳を読んでみると、「一般論では…」として発言したようである。
それを、あたかも具体的に「自民党の議員には波及しない」とマスコミが都合よく解釈して報道したというのがこの事件の真相ではなかろうか?

しかし、それを民主党が主張するような「検察から内閣に何らかのメッセージが(事前に)送られていたのではと疑わざるを得ない」とか「政府による『逆指揮権発動』だ。政府高官の立場でこのような発言をすることは『自民党の方はやるなよ』とのサインとも受け取れる」というのは、あまりにもうがった見方としか思えない。

要は、民主党自らが流布している「陰謀論」を真実らしく見せるべく主張しているだけではないか。
これを鬼の首を取ったように報道するマスコミは、露骨に民主党の応援をしているといわれても仕方が無いだろう。

それはさておき、こういう形のオフレコって、線引きが曖昧で発言する側も報道する側もおのおの勝手に線引きをしているような気がする。

なぜ、こうした形のオフレコがあるのかを考えてみると、取材される側から見れば、リークを流しやすく政治的効果を挙げられるからだろうし、取材する側にしてみても本音を引き出しやすいという面があるからではないだろうか。

しかしながら、こうしたケースが今後も起こるようだと、取材する側される側双方の信頼を損ねるだけで、本音を聞きだすことが出来なくなるだろう。
取材される側も、自由に発言できなくなって萎縮してしまうと思う。

副長官の軽率な発言だったとはいえ、それを非公開の原則を破ってまで追及したことが良かったのだろうか?
はなはだ疑問に思えてならないのですが。

ところで、この事件を聞いたときに、「オフレコ」で思い出したのが、山本七平が「日本はなぜ敗れるのか」の中で書いていた記述ですね。

オフレコの約束を破ることが、どういうことか?
そのことがよくわかると思いますので、以下↓ご紹介しましょう。

(~前略)

先日あるアメリカ人の記者と話し合った。
私は、キッシンジャーが、日本の記者はオフレコの約束を破るからと会見を半ば拒否した事件を話し、これは、言論の自由に反することではないか、ときいた。

これに対して彼は次のようなまことに面白い見解をのべた。

人間とは自由自在に考える動物である。
いや際限なく妄想を浮べつづけると言ってもよい。

自分の妻の死を願わなかった男性はいない、などともいわれるし、時には「あの課長プチ殺してやりたい」とか「社長のやつ死んじまえ」とか、考えることもあるであろう。

しかし、絶えずこう考えつづけることは、それ自体に何の社会的責任も生じない

事実、もし人間が頭の中で勝手に描いているさまざまのことがそのまま活字になって自動的に公表されていったら、社会は崩壊してしまうであろう。

また、ある瞬間の発想、たとえば「あの課長プチ殺してやりたい」という発想を、何かの方法で頭脳の中から写しとられたら、それはその人にとって非常に迷惑なことであろう。
というのはそれは一瞬の妄想であって、次の瞬間、彼自身がそれを否定しているからである。

もしこれをとめたらどうなるか、それはもう人間とはいえない存在になってしまう。

「フリー」という言葉は無償も無責任も意味する。

いわば全くの負い目をおわない「自由」なのだから、以上のような「頭の中の勝手な思考と妄想」は自由思考(フリー・シンキング)と言ってよいかもしれぬ。

いまもし、数人が集まって、自分のこの自由思考(フリー・シンキング)をそれぞれ全く「無責任」に出しあって、それをそのままの状態で会話にしてみようではないか、という場合、簡単にいえば、各自の頭脳を一つにして、そこで総合的自由思考をやってみようとしたらどういう形になるか、言うまでもなくそれが自由な談話(フリー・トーキング)であり、これが、それを行なう際の基本的な考え方なのである。

従って、その過程のある一部、たとえば「課長をプチ殺してやりたい」という言葉が出てきたその瞬間に、それを記録し、それを証拠に、「あの男は課長をプチ殺そうとしている」と公表されたら、自由な談話というもの自体が成り立たなくなってしまう

とすると、人間の発想は、限られた個人の自由思考(フリー・シンキング)に限定されてしまう。

それでは、どんなに自由に思考を進められる人がいても、その人は思考的に孤立してしまい社会自体に何ら益することがなくなってしまうであろう。

だからフリー・トーキングをレコードして公表するような行為は絶対にやってはならず、そういうことをやる人間こそ、思考の自由に基づく言論の自由とは何かを、全く理解できない愚者なのだ、と。

(後略~)

【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第十二章「自由とは何を意味するのか」/P309~】


この記述の中でのオフレコというのは、今回とは若干違うかも知れませんが…。

ただ、果たして、今回この件を報道した記者というのはこうしたことがわかっていたのでしょうか?
とてもそうは思えないのだが…。
民主党を応援する為なら何だってやるつもりなんだろうな、多分。
そういう手段を講じてまで、民主党を勝たせたいのか?私には理解不能だ。


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メディア脳に侵されるな!

いつも愛読しているブログ「カムイスペースワークス」で、永田先生が書いた記事が非常に共感できる内容だったのでご紹介します。
まずは、その記事の一部抜粋↓をご覧ください。


1.定額給付金なんて景気対策には何の役にもたたない。只の税金の無駄遣いだ。その1/200の金額でもいいから、産科医療の充実等、有意義な政策に回すべきだ。

2.定額給付金なんて、要するに選挙対策でお金をばら撒いているだけだ。有権者はそんなものに騙されない。

両方とも、まあ、その通りだよな、と思ったあなたは、メディア脳の可能性が高いです。


メディア脳とは、一体何を指すのでしょうか?
試しにググッて見ましたが、そういった単語はヒットしませんでしたから、これは多分永田先生の造語です。
永田先生の記事を読めばわかることですが、メディア脳とはすなわち、「メディアの流す情報に流され、自ら考えることを放棄した脳みそを持つ人間」のことを指しています。

で、あなたの答えはどうでしたか?

永田先生曰く、その通りだと思った人は、メディア脳の疑いが濃いそうです。
どうしてこの2つの問いかけに「その通り」だと思うと、メディア脳の疑いが濃いと言えるのか?

それは、永田先生自らの記事をお読みください。

・メディア脳


幸いなことに、私は「その通りだ」とは思いませんでした。

私個人は、今回の定額給付金の支給については、諸手を挙げて賛成というわけではありませんが、全くの愚策だとも思いません。
景気刺激策としては、一定の効果は確実に見込めますし、先に実施されている台湾では結構好評だったとも聞いています。
それに地方の高速道路休日千円で乗り放題と組み合わせれば、小旅行でもするか、と考える人も出てくる。確実に地方に金が落ちます。
また、一人1万2千円という金額も、あぶく銭っぽくていいかもしれませんね。これじゃ貯金などせず使ってしまえと思う人も結構いそうですし。
(かくいう私も、高速使って家族旅行を考え中)

メディアで散々批判されている定額給付金も、実は早く貰いたいと思っている人が多いんじゃないでしょうか?少なくとも私の身の回りでは、反対の声を耳にしたことが無いのですけど。


それはさておき、今回の永田先生の記事を読んでつくづく痛感しましたね。

つまり、その国の政治が悪いのは、その国の国民のせいであって、自業自得なのだということを。

結局のところ、政治は、その国の国民のレベルを反映しているのです。
鏡に映ったおのれを罵倒しているだけなのです。

それでいながら、水戸黄門のような救世主が現れるんじゃないかといった妄想をしている。
しかし、考えることを放棄した社会に、そのような人間が現れるわけがありません。

そうした甘い期待を勝手に抱いておきながら、政治家の不祥事が発覚する度に、裏切られたとか絶望したとか自分勝手なせりふを吐く。

甘えるのもいい加減にせい!目を覚ませ!!と言いたいですね。

永田先生も記事の中でこうした人間を「うんこ」呼ばわりしていますが、まったくの同感です。

どうも、日本人というのは自分は純粋だと思い込んでいる節があるような気がします。
実際には、純粋じゃないのにね。政治が汚れているのは、自分が汚れているからでしょうが!
自分の手だけキレイだと勘違いしている輩が多すぎる。

そしてそういう人たちほど、自ら考えもせず、他者を平気で責めたりする。

これってやっぱり教育のせいなんでしょうか、ねぇ?


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キスされたからって…、それは無いだろう(笑)

私は、車に乗っているときは、ipodでクラッシック聞いているか、ラジオを聴いているのですが、それが土曜日の3時過ぎ頃だったりすると、必ずTBSを選局するんですね。
これ↓が聴きたいので。

・サタデー大人天国 宮川賢のパカパカ行進曲!!

先週のお題は「何かの途中で大失敗」だったんですが、そのチャンピオンの話↓が笑えたのでご紹介。

★ちくわぶ(女性・75歳・主婦)【4時台前半出場・先週のチャンピオン】
終戦直後、わたしが高校一年生頃の話です。男の子とデート中、突然、相手に手を握られてキスをされたんです…


こういうエピソード聴くと、知らな過ぎるのも問題とは言え、ある意味微笑ましいものですね。

しかし、相手の男性カワイソーすぎ。
仮に自分がその立場だったら立ち直れないかも…。


【関連記事】
・宮川賢のパカパカ行進曲!!ってご存じ?

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書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件」…を斬る【その3】《追記あり》

「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ
(2008/06)
笠原 十九司

商品詳細を見る

【その2】の続き。

また、笠原氏は、向井・野田両少尉が「百人斬り競争」を行なったと強弁するにあたり、傍証をいろいろ並べていきます。

多いのが「OO人斬り」を行なったという個人の手記の引用です。
これらの手記は、本人の証言だけで、その現場を見たという他の証言の裏打ちもなく、直ちに信頼できる資料とはいえないものが殆ど。
しかも、向井・野田両少尉が百人斬り競争を行なった現場を直に目撃したというものではないんですね。

そうした手記のなかで唯一、野田少尉が中国人の首を刎ねるのを目撃したというのが、有名な望月五三郎氏の証言なのですが、笠原氏はこの証言を全力で擁護しています。
(確かに、この証言ぐらいしか直接的証言がないのですから当たり前ですが。)

その証言を以下引用します。

百人斬り    昭12・11・27~昭12・11・28

(~前略)

常州へと進撃する行車中の丹陽〔横林鎮の誤り〕付近で大休止のとき、私は吉田一等兵と向ひ合って雑談をしていると、突然うーんとうなって腹をおさえながらうずくまった。

流弾にあたったのである。「おい吉田」と声をかけたが返事がない、死んでいるのである。
即死であった。

もう五寸位置がちがっていたら、私にあたっていたのである。私はほんの五寸前で死んでいった吉田一等兵をこの目で見た。葬むるにも時間がない、衛生隊にお願ひして、心を残しながら行軍に続いた。

このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始まるのである。

野田少尉は見習士官として第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官して大隊副官として、行車中は馬にまたがり、配下中隊の命令に伝達に奔走していた。

この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。

「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱってきた。

助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を脊にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。

一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。

戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。

その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。

両少尉は涙を流して助けを求める農民を無惨にも切り捨てた。支那兵を戦斗中にたたき斬ったのならいざ知らず。この行為を聯隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。

この残虐行為を何故、英雄と評価し宣伝したのであろうか。

マスコミは最前線にいないから、支那兵と支那農民をぽかして報道したものであり、報道都の検閲を通過して国内に報道されたものであるところに意義がある。

今戦争の姿生がうかがえる。世界戦争史の中に一大汚点を残したのである。
(同書、四ニ~四五頁)

【引用元:「百人斬り競争」と南京事件/第三章「百人斬り競争」の証明(1)/P131~】


この望月氏の証言は、単純な日付などの「記憶違い」という点を除いても、おかしな点が見受けられます。

まず、本来なら説明が必要になるはずの都合の悪い部分を省いていること。

例えば、なぜ野田少尉がそうした命令を下したのかという点が全くぼかされています。

ここが重要なポイントなのに…。

そして、それに対比するように、関係ない事柄については、正確に記述されています。
吉田一等兵の死亡に関する記述の部分などがそれに該当します。

虚報には、都合の悪い部分を省くという特徴、そして、どうでもいい事実については不必要なほど細かく正確に書かれるという特徴があります。
山本七平がこのことについて説明している記述を、過去記事↓にて紹介しているので参照されたし。)

【参考記事】
・山本七平に学ぶ「虚報の見抜き方」
・「神話」が「事実」とされる背景

要するに、笠原氏は、公式記録である『第11中隊陣中日誌』と照合させ、吉田一等兵が殺された記述が一致することから、望月氏の証言は信憑性が高い…と簡単に断定しているのです。
(大きなウソをつく者は、細部をどうでもいい事実で糊塗するものですが、それにあっさりとだまされるとは…。情けない大学教授ですね。)

次に、伝聞と体験がごっちゃになっていること。

「支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。」というくだりは、実際に目撃したのか、単なる推測なのかどちらとでも取れる実に曖昧な表現です。

また、「一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前へ倒れる」という表記があまりにも劇画調過ぎること。まるで時代劇を見るが如く、客観的過ぎるのも不可思議です。
そのようにショッキングな場面において、冷静に客観視して見て、それを描けるものでしょうか?

このように、望月氏の証言には、(研究者でない私でさえ)不自然に思えるところがいくつもあります。

さらに笠原氏は、本文中だけでは書き足りなかったのか、上記引用の望月手記の注記欄においても、「望月氏の手記が間違いだらけの信憑性にかけるものである」と主張している阿羅健一氏「『私の支那事変』に関する意見書」を取り上げ、阿羅氏の些細な表記間違いをいくつも取り上げ執拗に否定していきます。その注記箇所を以下引用します。

注記③ 望月五三郎『私の支那事変』(私家版、一九八五年)

歩兵第九連隊第11中隊の指揮機関に所属した望月五三郎一等兵の回想録である。

回想録なので、地名や日付について誤記や不確かなところもあるが、回想録には上級の検閲のある陣中日記には書けなかった戦場の実相が書かれているので、史料としては貴重である

なお、一般兵士の場合、自分の属する部隊の作戦や地名の詳細などを知る立場になかったし、克明に陣中日記でもつけていないと、日付の正確な記憶は無理である。

ただし、日付や地名の記憶が不確かであっても、本人の体験の記憶はまず間違いない

回想録が史料として意味があるのは、体験時にはわからなかった体験目撃の意味がわかって書いていることである。

大切なのは回想録の史料としての特徴をふまえて他の史料と照合しながら史料批判をおこなって活用することである。

同書については地名や日付などについて、公式記録である『第11中隊陣中日誌』と照合しながら引用すれば、貫重な史料となる。

このような限定と注意をもって同書を読めば、同書は第三大隊副官の野田少尉がどのように「百人斬り」をしたかを証明する目撃証言であるといえる。

「百人斬り裁判」の原告側に立って提出した阿羅健一「『私の支那事変』に関する意見書」(甲第111号証)は、望月五三郎『私の支那事変』には「致命的な間違い」が二百もあり、「とてもまともな体験記とは思えません」と断言し、「創作された体験記」であり、「はっきりと間違いだらけの恣意的な本だというレッテルを貼り付けなければ」ならないとして、その箇所を指摘している。

しかし、指摘された事例を見れば、ほとんどが地名や日付に関することと、誤植、どうでもよい些細なことへの見方の違いの指摘であり、意見書そのものが羊頭狗肉である。

(~中略~)

野田少尉が「『おい望月あこにいる支那人をつれてこい』命令のままに支那人をひっぱって来た」(四四頁)について「大隊本部の副官が第11中隊指揮班の兵に命令をすることはない」とコメントしているが、野田は望月の上官なのである

阿羅はこの場の「命令」の意味がわかっていない

(~後略)

【引用元:「百人斬り競争」と南京事件/第三章「百人斬り競争」の証明(1)/P139~】


私が注目したのは下線部。
笠原氏が、如何に回想録を史料として絶対視しているか、はっきり伺えます。
「本人の体験の記録はまず間違いない」なんて、断定している処など、こうした史料を扱う人間としては失格同然の言葉すら吐いています。

このブログでも何回か引用していますが、山本七平は、証言を次の4種類に分けています。

(1)多少の誤差はあっても確実に事実であるもの

(2)伝聞と体験が混同しているもの

(3)伝聞(戦場の伝聞は非常にあやしい)を事実の如くに記しているもの

(4)政治的意図もしくは売名や自己顕示、また時流に媚びるための完全なデッチあげ

【引用元:ある異常体験者の偏見/アパリの地獄船/P164~】


どうやら、笠原氏はこういう分類をする必要があることすら、全然わからない御仁のようです。

そして、私が「駄目だこいつ・・・早く何とかしないと…(夜神月風)」と思ったのが、笠原氏の赤文字の反論部分。

阿羅氏の「大隊本部の副官が第11中隊指揮班の兵に命令をすることはない」という指摘に対しての反論部分は、笠原氏が軍隊の組織というものを全くわかっていない証左です。

軍隊とは、上下のラインを通じて命令が伝達されるのが絶対です。
つまり、第11中隊の一等兵は、直属上官である第11中隊長の命令でしか動きません。
たとえ野田少尉と望月一等兵が、一時期、教官と生徒という間柄であったとしてもです。

それはなぜか。
直属上官の命令は絶対。横とか斜めから命令がきたら、組織として成り立たないからです。
山本七平が、そのことをわかりやすく解説している箇所があるので以下引用します。

(~前略)

ルバング島の小野田少尉への「呼びかけ」で、「天皇が出て行って呼びかければ出てくるだろう」というある評論家の意見が週刊誌に出ていた。本人はもちろん「思いつき」で、もとよりまじめな提案と受けとるべきではないと思うが、だれでもふと、そんな気がするであろう。

だがこれは、日本軍という徹底したタテ社会を知らないことから起った誤解である。

よく「軍人というのは階級が上の人の命令なら、何でもきかなきゃいけないんでしょ」などと言われるが、これも同じ種類の誤解であって、軍人とは「直属上官の命令以外は絶対にきいてはいけない」存在なのである。

このことは極端な例、たとえば二・ニ六事件をみればすぐにわかる。
反乱軍の安藤中隊には小隊長も分隊長もいる。一方、「奉勅命令」すなわち天皇の命令が出ている。

しかしたとえ天皇が何と言おうと、師団長が何と言おうと、連隊長・大隊長が何と言おうと、安藤中隊の将校と下士官・兵は安藤大尉の命令以外には耳を傾けてはならないのである。

(~中略~)

もちろんニ・二六は極端な例だが、原則的に見れば全く同じことが常に起るのである。そしてこの「組織の矛盾」をうまく逆用すれば、命令を拒否することも可能なのである。

日本軍は、組織的に見ればこういう恐ろしい矛盾を孕んでいたから、ひとたび崩れ出すと、あっという間に崩壊してしまう。そしてその崩壊の前兆は、私かフィリピンについたころにすでに現われていた。
 
まず最初は前述のように「部隊エゴイズム」の段階だから、この段階では、部隊命令を盾にとって軍命令を拒否するという形で行われる。

私は、年中それをやっていた。
事は小さいが、形式的に見れば、安藤中隊の小隊長や分隊長が「中隊命令」に従って「奉勅命令」を拒否するのと同じである。そしてこまったことに、軍隊では、そうするのが「正しい態度」だったのである。

(~中略~)

ただ絶対にないことは、ナナメに命令が来ることである

簡単にいえば、第一大隊長が命令できるのは自分の部下の中隊だけである。
だが命令があれば、第三大隊長とはヨコの連絡はできるし、しなければならない。

ただし、第一大隊長が、第三大隊の第七中隊に直接に命令を下すことは絶対に出来ない

もっとも組織というものは原則的にはすべてこれと同じであろう。
たとえば銀行の支店長は、隣の町の支店長とは連結はとれても、その支店の預金係に直接に命令を下すことはできまい。

日本軍では、これが神経症的なほどにまで徹底していた。
もっとも、あとでのべるが、大体軍隊というものは、世界いずれの国でも相当徹底したタテらしい。

従って社会党議員楢崎弥之助氏の、アメリカ海軍長官チャーフィーが在日アメリカ海軍司令官パークにあてて「核部隊を作る」という秘密電報を打ったなどという話は、初めから本気にするのが非常識であろう。

こういうナナメの命令とか指示とかいうものが横行したら、どんな組織でもガタガタになるし、軍隊は成り立っていかない

【引用元:私の中の日本軍(上)/扇動記事と専門家の義務/P204~】


「阿羅はこの場の『命令』の意味がわかっていない」などと主張している笠原氏のほうが、軍隊の命令とは如何なるモノか全くわかっていないのです。

軍隊の組織が如何なるものかわかってすらいない笠原氏のような人間が、戦争の事件の分析を行なうとどうなるか?

戦意高揚記事が、残虐記事に変るし、「百人斬り」が事実とされてしまうわけです。

そのあげく、「百人斬り」を両少尉自らが否定しているのにも関わらず、虚報記事と信憑性に乏しい手記などの傍証を元に、罪無くして処刑された両少尉によってたかって残虐の汚名を浴びせ、そして歴史学的立場から決着をつけた…などと高言する。

まったくこのような人間が、大学教授でいるなんて!!
大学教授もピンきりなのはわかっているつもりですが、それでもあきれてモノが言えません。

こうした歴史研究に必要なのは、矛盾する様々な史料の中から真贋を見極める能力であって、都合のよい史料を寄せ集めることでは無いはずです。
笠原氏には、そうした能力がかけらも無いということを、さらけだしたのが本書だといえるでしょう。

笠原氏は史料収集だけは一流かもしれないが、その分析は三流以下、大学教授を名乗るのも恥ずかしいレベルといっても差し支えないのではないでしょうか。

そういえば山本七平は、次のように言いました。

(~前略)

戦場と内地では全く規範が違う

つまらぬ情緒的自己満足のため無益に兵士を殺したことが逆に人道的行為のように見え、部下のことを考えて最も的確に処理したことが非人間的冷酷もしくは残酷にさえ見える。

(~中略~)

確かに逆転した情況の中で生きた体験がないから、そうなるのは当然のことだ、といわれればその通りであろう。

だが、それならば一方的断定は避けて、そこに何か、自分たちがいま生きている社会とは全く別の「理解しきれない何か」があるのではないか?

自分たちの批判が基準になったらさらに残酷なことになるのではないか?という疑問は抱いてほしいと思う。

それをよく考えないと、向井・野田両少尉を断罪すると同じような、全く見当はずれの奇妙な断罪を人に加えて、それによってただ情緒的な自己満足に酔いしれて、まるで酔漢がからむように、だれかれかまわず一方的にきめつけるというタイプの人間になり下がってしまうであろう。

(後略~)

【引用元:私の中の日本軍(下)/S軍曹の親指/P126~】


上記の指摘は、そのまま現代の我々にも当てはまります。

幸い私は、戦争経験者の山本七平の著述を読み、その主張を理解することでこの「規範の逆転」というものに気付くことができましたが、こうしたことに普通の人はなかなか思い至らないのではないかと思います。

残念なことに笠原氏は、引用下線部がまさに当てはまるタイプの人間のようです。
一般人ならともかく、歴史研究者としては失格ですね。

他にも突っ込みどころ満載の本書でしたが、とりあえずこの辺でやめておきましょうか。

【追記】
そういえば、本多勝一とイザヤ・ベンダサンとの論争の中で、本多勝一がルポした「中国の旅」について面白いやり取りがありましたが、この笠原氏にもそのまま当てはまると思いましたので以下追記で引用しておきましょう。
まずは本多勝一の引用から。

(~前略)

ベンダサン氏の勇み足は度が過ぎているよ。というのは、俺の「中国の旅」というルポルタージュを読んで、そのルポ自体を「謝罪だ」と決めつけた点だ。

とにかくまず事実そのものを示してみせるのを目的とするルポってものを、彼は知らないんだなあ

こういう事実主義のルポは、日本の近代には少なかった。むしろ江戸時代の方があったくらいだ。完成させたのはアメリカのジャーナリズムなんだ。

中国での日本軍の犯罪などという報道は、戦争中はもちろん戦後も本格的にはなかった。ほとんどの日本人が、まずその事実そのものを知らされていないんだから、ひどいもんだ。

とにかくまず素材としての事実を知ること。
これがあのルポルタージュの第一の目的であることくらいは、報道の常識だよ。

その次の段階として、ベンダサン氏や俺がいう意味で日本的に「ゴメンナサイ」と「謝罪」するか、それとも反対に天皇の責任を追及するかという問題が来るわけだ。

俺はジャーナリストとして個人的に後者を実行しているわけだが、朝日新聞社そのものが天皇を追及するということは、まずありえないね。

これはベンダサン氏と俺との共通の論理からいっても当然だ。ところがベンダサン氏は、ちょっと調子にのりすぎて、ルポそのものが「ゴメンナサイ」だと書いちまったわけだ。

(後略~)

【引用元:殺す側の論理/イザヤ=ベンダサン氏への公開状/P132~】


それに対するベンダサンの返答はこちら↓。

(~前略)

本多様は「とにかく事実そのものを示して見せるのを目的とするルポってものを、彼は知らないんだなあ」と非常に安直に書いておられますが、本多様はこのルポで「中国人はかく語った」という事実を示しているのか、また「中国人が語ったことは事実だ」と書いておられるのか、私には本多様の態度が最後まで不明です。

結局はその時の都合で、どちらにでも逃げられる書き方です。と申しますのは、この物語はおそらく「伝説」だと私は思うからです。

事実、恐るべき虐殺に遭遇した人々の中からさまざまの伝説が生れたとて、これは少しも不思議なことではありません。むしろ、一つの伝説も生れなかったらそれこそ不思議でしょう。

伝説の中心には「事実の核」があります。しかし伝説自体は事実ではありません

がしかし、それは中国の民衆がいい加減な嘘を言っているという意味でもありません。

しかしルポとは元来、この伝説の中から『核』を取り出す仕事であっても、伝説を事実だと強弁する仕事ではありますまい

(後略~)

【引用元:殺す側の論理/本多勝一様への返信/P150~】


つまり、笠原氏のやっていることというのは、「伝説を事実だと強弁する仕事」なわけです。
歴史研究家じゃなくて、ファンタジー作家とでも名乗るほうがふさわしいのではないでしょうか。


【関連記事】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その1】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その2】



【参考記事】
・「虚報」が作りあげた「大虐殺」


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書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その2】

「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ
(2008/06)
笠原 十九司

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【その1】の続き。

向井・野田両少尉が、「百人斬り」を行なった証拠として、必ずといっていいほど取り上げられるのが、野田少尉が地元の小学校での講演会での証言、いわゆる「志々目証言」でなのですが、当然のことながら、笠原氏も本書の中で取り上げ、紹介しています。

■投降兵・捕虜の殺害

中国軍の塹壕を包囲占領した後、投降してくる中国兵を「処置」したというのがどういうことであったのかをよくわからせてくれるのが、志々目彰「”百人斬り競争”――日中戦争の追憶」(『中国』一九七一年一二月号)に書かれた、野田少尉が一九三九年の春に鹿児島県立師範学校附属小学校を訪れて小学生を前に話した、つぎのような場面である。

「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……

実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……

占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……。

百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものがほとんどだ……

二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、〔もう一人の人はうなされるそうだが――原稿にあったのを雑誌編集者に削除された部分〕私は何ともない……」

(~中略~)

白兵戦では斬らずに戦意を失って投降した敵を斬るという”勇士”の体験談は、私にはショックだった。ひどいなあ、ずるいなあ。それ以上のことは幼い自分には分からなかった。
(同書、四三頁)

【引用:「百人斬り競争」と南京事件/P117~】


笠原氏は、この証言を、秦郁彦の調査を例に挙げて信憑性が高いと判断しています。

しかしながら、この証言の問題点は、「野田少尉の証言があったかなかったか」ということではなく、「野田少尉の証言内容が果たして本当なのか」ということなんですね。

笠原氏はここでも、その本人が話したという証言内容が果たして事実かどうか、微塵も疑っていません。

従って、「志々目氏が野田少尉から聞いたのは事実」であるから、「野田少尉が据え物斬りしたのも事実」と単純に決め付けて、証言内容の精査をまったくしていないのです。

普通、本人が証言したからといって、それをそのまま真に受けますか?
偽証という可能性を考慮できないような人物が、歴史学者を名乗ってよいものでしょうか?

そもそも、この証言については、山本七平が「私の中の日本軍(下)」にて取り上げており、野田少尉の証言が、虚言である可能性が大であることを説得力を以って示しています。
以下、その記述を引用します。

(~前略)

一方、野田少尉は、故郷の小学校で後輩に次のように語ったと記されている。

〈郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……。
実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……。
占領した敵の塹壕にむかって「ニーライライ」とよびかけると、シナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……〉


これは志々目彰氏が「月刊中国」に投稿されたもので、氏がこの話を聞かれたのは昭和十四年春と記されているから、「百人斬り競争」が報ぜられてから約一年四ヵ月後のものであり、あらゆる点から見て、非常に確度の高い証言である

本多勝一氏もこれを「証拠」として取り上げ、その後で、一種の人体実験を強要する発言をしているが、その点は「文藝春秋」で取りあげたのでここではふれず、この野田少尉の証言そのものの検討からはじめよう。

まずだれも異論がないことは、この証言が、浅海特派員が報じた「記事」の通りの「百人斬り競争」は、現実には存在しなかったことを本人が明確に証言しているということであろう。

言うまでもなくこれは戦時中の発言であり、「百人斬り競争」が武勇伝として新聞紙面を飾ることを、だれも不思議に思わなかったどころか、大々的に称揚され賞賛されるのが当然で、いわばマスコミのリーダーが、これでもかこれでもかとこういった記事を次から次へと紙面にもりこみ、新聞を開くとウンザリさせられた時代の話である。

いわば『中国の旅』が裏返しになってもっと大きなスペースで連載されていたと考えればよい。

そういう時代だから、今とちょうど逆に野田少尉自身が、「あの通りだ、オレがあの時の勇士だ」と胸をはって答えて少しも不思議でなく、それが当然とされる時代のことである。

そして話を聞きに集まった人びとも、そういった「大武勇伝」が当然披露されると思って集まっていたはずである。

ところが彼はあの「記事」そのものを否定した

すなわち野田少尉が「百人斬り競争」という記事は事実でなく虚報だと言ったのは、何も戦犯法廷ではじめて口にしたことではなく、実に記事が報ぜられて一年四ヵ月目にすでに否定しているのである。

そしてこれが相手がまだ小学生で、新聞の虚報でしか戦場を知らないから、彼はある程度とりつくろっていられたわけだが、相手が白兵戦の体験者だったら、こういったとりつくろいすらできないのが、当時のある面の現実であったろう。

ものごとには確かに二つの面がある。

当時は「百人斬り競争」は表向きには事実で通ったであろう。
しかし「実は……」の世界では、今よりもかえって「事実」として通らなかったはずである。

前線には新聞は配送されない。
従って二人は一体全体、何か書かれていたか、内地に帰ってみなければわからなかったのが実情であろう。

向井少尉は半年後に新聞を見て「恥ずかしかった」と上申書に書いているが、実際、前にものべたが、この「恥ずかしかった」は、いろいろな面で、実に実感のこもった言葉というべきであろう。

というのは、読者の中に「つまらんホラをふきやがって」と思っている人間がいることを、彼自身、今よりもはるかに強く感じないわけにいかないからである。

だがしかし、人間はつくづく弱いものだと思う。

定説とか定評とかが作られてしまうと、向井少尉のようにノー・コメントで押し通すか、野田少尉のように、何とかとりつくろうか、のどちらかをせざるを得なくなる。

しかしそこにもし白兵戦の体験者がいたらすぐに言ったであろう。

「……四、五人? 本当に人を斬った人間はそういうあやふやな言い方はしない。野田少尉!四人か、五人か!――五人だというなら貴官にうかがいたい、五人目に軍刀がどういう状態になったかを」――彼はおそらく答えられまい。

というのは、彼が口にしている「とりつくろい」は、戦場での伝聞であっても、おそらく彼の体験ではないからである。
そして戦場での伝聞は前にものべたが恐ろしく誇大になるのである。

なぜそういえるか。理由は簡単である。

私は体験者を知っており、そして私にも「斬った」体験があるから(註)である――といっても即断しないでほしい、後述するような理由があったことで、私は別に残虐犯人というわけではない。

(註)…山本七平は、戦死した部下の遺骨を持ち帰るよう部隊長に命令され、一度埋葬した部下の遺体を掘り起こし、日本刀でその手首を斬り落とした。本来ならば遺体そのものを火葬すべきであったが、米軍の爆撃の目標になることから、当時の戦況では禁止されていたため、手首だけを切り取って荼毘に付した。このことに関しては、下記記事↓を参照されたし。

【参照記事】
・「規範の逆転」を察知しようともせず糾弾することの愚かさ


しかし人体を日本刀で切断するということは異様なことであり、何年たってもその切りロが目の前に浮んできたり、夢に出てきたりするほど、衝撃的なことである。

そしてこれは、私だけではない。
従って本当に人を斬ったり、人を刺殺したりした人は、まず絶対にそれをロにしない、不思議なほど言わないものである。

結局、私もその一例に入るのかも知れないが、「日本刀で人体を切断した」という体験に、私も最後の最後までふれたくなかったのであろう。従ってこの一点を、自ら意識せずに、自分で回避していたのである。ある意味で、それを指摘される結果になったのが、Sさんという台湾の方からのお手紙であった。これは後述しよう。

私は実際に人を斬殺した人間、人を刺殺した人間を相当数多く知っている。
そしてそういう人たちが、そのことに触れた瞬間に示す一種独特な反応――本当の体験者はその瞬間に彼の脳裏にある光景が浮ぶから、否応なしに、ある種の反応を示す――その反応を思い起すと、「本当に斬ったヤツは絶対に自分から斬ったなどとは言わないものだ」という言葉をやはり事実だと思わないわけにいかない。

(~後略)

【引用元:私の中の日本軍(下)/日本刀神話の実態/P73~】


この山本七平の見解は、当時の時代背景を元に分析しており、野田少尉の心理を洞察している点からも、説得力のある妥当な解釈だと思います。

このように、三十年ちかく前に、上記のような見解が出ているわけですが、本書の中には、山本七平のこの見解に対する反論というものがまったく見当たらないのです。

都合の悪い見解を無視しているのか?どうなのかわかりませんが、笠原氏は、こうした見解へ納得の行く反論を示すべきではないのでしょうか。

それもできずに、「歴史学の立場から一つの決着をつけておきたい」などと述べるのは、おこがましい限りではないか…と思えてなりません。

次回は、実際に野田少尉が中国人の農夫を斬殺する現場を見たという唯一の証言「望月証言」について書かれた箇所を取り上げて見たいと思います。


【関連記事】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その1】
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件」…を斬る【その3】《追記あり》


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梅の花の香り

今日は、子どもと近くの公園に遊びに行ってきたのですが、梅の花が満開でした。

梅の花の匂いって、個人的に大好きなんですよ。
花の香りもいろいろあるけど、やっぱり梅の香りが一番ですねぇ。

そんな梅の香を歌った歌といえば、菅原道真が詠んだこの歌↓でしょう。

「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」 

短歌にうとい私でも知っているくらい有名な歌ですね。
左遷された菅原道真の想いが伝わってくるようです。

そんなことをふと思い出した休日でした。


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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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