一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

レイシスト的思考【その4】「正義」のプラカードを掲げながら日本民族への憎悪を振りまく”レイシスト”

以前の記事「レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~」「レイシスト的思考【その2】日本人→鯨殺し→悪人→日本製品ボイコット」「レイシスト的思考【その3】合理性の追求が、非合理的現象”魔女狩り”となって現れる」の続き。

日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)
(2005/04)
山本 七平

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◆うかつに信頼できぬ「正義の標語」

宇野さんと話し込んでいるうちに「ベトナム反戦」「公害反対」等の、アメリカの市民運動の「錦の御旗」の背後にあるものは何なのだろうと考えた。

「動物愛護」「資源保護」「鯨を殺すな」の標語が額面とは全く違うことを知った今となっては、すべてを徹底的に洗い出さない限り、彼らの「正義の標語」は信頼できない。

うっかり同調すれば、レイシストの片棒かつぎになりかねない
そしてその時、ふと「モノマネのすきな連中が日本で鯨デモをやっているのではないか」と考え、心配になってきた。

「日本でもやっている」に力づけられた運動が日系市民に与える強烈な打撃は決定的であろう

それでは本当に「天性のレイシスト」になってしまう

そして「天皇への公開書簡」の草稿を氏から見せられたとき、この『日米交渉史』の著者の念頭に常にあるものが、祖父の母国に起こる拝米・排米の奇妙な転換や軽薄なアメリカ模倣と同調が、直接間接に日系市民に与えた被害であることを知った。

最初に記したように、レイシズムという語は日本には来なかった。
今後も来ないであろう(註)

(註)…日本に他民族が流入し続けた場合は、必ずしも断定できないと私は思う。

しかしわれわれはアメリカには「レイシズム」という言葉が存在することは知っておかねばなるまい――少なくとも、相手を知ろうと思うならば。

この点に無知なら、レイシズムA型とB型の間を右往左往し、拝米・排米とくるくると転換し、先方の「正義」をプラカードに掲げながら、結局「天性のレイシスト」といわれる結果になってしまうだろう

ある二世は、こういう点では個別主義のアメリカ人の方がはるかに信頼できると、はっきり私に明言した。

【引用元:日本人とアメリカ人/第七章 捕鯨禁止運動の背後にある人種主義に気づかぬ日本人/P167~】

考えてみれば、先方の「正義」のプラカードを掲げながら、同胞の日本人を糾弾して正義面をしている日本人を、よく見かけますね。

反捕鯨活動においては、あまりそうした日本人はいませんが、それでも、かのシー・シェパードにも一人日本人女性が乗り込んでいるとの話。困ったものですね。

しかし、なんと言っても厄介なのが、日本の過去の戦争犯罪を追及している人たちでしょう。
従軍慰安婦問題とか南京大虐殺とか、まさにその典型ですね。
こうした人たちのことを、山本七平は次のように指摘しています。

「常識」の落とし穴 (文春文庫)「常識」の落とし穴 (文春文庫)
(1994/07)
山本 七平

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◆「人種的憎悪」について

(~前略)

戦争が終われば敵への憎悪はやがて消える。
しかし人種的憎悪は戦争・平和に関係なく存在する。

ただ、人種的憎悪はもちろんのこと人種的偏見も表面的には「悪」と規定され、それゆえに世界は南アフリカ政府を非難し制裁しているわけだが、しかし非難している側にも同じものが潜在し、それが別の表現、いわば「正義」や「公正」の仮面をかぶって作用して来ないという保証はない

たとえば東京裁判の「文明に対する罪」や「人道に対する罪」は、日本人は「野蛮で残酷、無慈悲で狂信的」だから原爆を落とすのを当然としたトルーマンの日記と、前に引用した”人類学者”や、”生物学者”の意見と対応してみるとその真意がよくわかる。

そして戦後、日本人の中にさえこれを継承し、自虐的な自己憎悪、すなわち日本人による日本民族への憎悪が一種の「正義」としてまかり通ってきたこともまた事実である。

(後略~)

【引用元:「常識」の落とし穴/国際社会を読む/P28~】


それでは、こうした「正義」のプラカードを掲げながら日本民族への憎悪を振りまく輩と、本当に戦争犯罪の被害救済に頑張っている人たちを見分けるにはどうしたらいいでしょうか。
岸田秀の次の記述がヒントになります。

日本がアメリカを赦す日日本がアメリカを赦す日
(2001/02)
岸田 秀

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◆第九章 侵略と謝罪

(~前略)

要するに、ことは簡単であって、ある人の意見が本物かどうかの基準となるのは行動だけです。
その人の現実の行動がその意見を裏付けているかどうかを見ればいいのです。

たとえば、日本から被害を受けた国の人たちのために、私財を擲っているとか、多大の時間とエネルギーを捧げているとかのことがあれば、その人の謝罪論は本物でしょう。

要するに、被害を受けた人々のために現実に役立つことをどれほどしているか、そのために自分が現実にどれほどのマイナスを引き受けているかということです。

有名な文学者とか評論家としてどれほど聞こえのいい立派な謝罪論をぶっていようが(それで原稿料が稼げるし、良心的な人として有名になることもできます)、被害を受けた人々への日本国家の補償をどれほど強く主張していようが(自分の懐は痛みませんから)、そういう裏づけのない人たちの謝罪論は偽りではないかと疑っていいでしょう。

(後略~)

【引用元:日本がアメリカを赦す日/第九章 侵略と謝罪/P178~】


人間は自己欺瞞が巧みですから、謝罪を唱え、同調しない日本人を罵る人間が、自らのことをレイシストと自ら認めるようなことは決して無いでしょう。

自らの私財をなげうつような人間なら、まだわからなくもないですが、ただ単に謝罪に同調しない日本人を批難するだけなら、単なる”偽善者”であり、日本人に対するレイシズムと見做されても仕方ないのではないでしょうか。

そしてまた、このような”偽善者”による反省は、単なる懺悔の強要となり、本当の反省とはなりえないことも非常に問題であると考えます。

それはさておき、今回引用したくだりについては、この「日本人とアメリカ人」を執筆するよう依頼した稲垣武氏があとがきで触れていますので、その部分を以下ご紹介して終わりにしたいと思います。

(~前略)

しかし、アメリカ側の「錦の御旗」にも虚偽の仮面といえるものが多々あることを、山本さんは警告している。

その典型的な例は「捕鯨禁止運動」であり、訪米中の両陛下も反対デモに出くわしたが、山本さんはそれは日本人に対する一種の人種差別が根底にあると看破し、こう述べている。

「『動物愛護』『資源保護』『鯨を殺すな』の標語が額面とは全く違うことを知った今となっては、すべてを徹底的に洗い出さない限り、彼らの『正義の標語』は信頼できない。うっかり同調すれば、レイシスト(人種主義者)の片棒かつぎになりかねない」(第七章)

その危険を避けるためには、やはりアメリカ人のエトスをよく理解し、日本人のそれととこがどう違うかを知悉していなければならない。

「国際理解」とは「同じ地球市民としての連帯感」とか「人間同士としての相互理解」などといった美辞麗句ではなく、まず相互の差異を的確に認識することではないか。

そうでなければ日本人はまたぞろ山本さんのいう「拝米・排米の奇妙な転換や軽薄なアメリカ模倣と同調」を性懲りもなく繰り返すだろう

凡百のルポとは全く違う山本さんのアメリカ人論は、アメリカ人・アメリカ社会の本質に迫っているだけに、今もなお貴重な示唆と教訓を含んでいる。

(後略~)

【引用元:日本人とアメリカ人/解説にかえて/P201~】


【関連記事】
・レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~
・レイシスト的思考【その2】日本人→鯨殺し→悪人→日本製品ボイコット
・レイシスト的思考【その3】合理性の追求が、非合理的現象”魔女狩り”となって現れる
・「敵への憎悪」は理解できても、「人種的憎悪」は理解できない日本人



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天皇陛下を、単なる穀潰しの「一公務員」と思っている輩は、日本の歴史を知らぬ馬鹿者である

最近、天皇陛下の政治利用を巡って何かと騒がしいですね。
「天皇陛下を政治の具に使うな!」という主張がよくなされますけど、これってなかなか難しいのではないでしょうか。
そもそも、天皇という存在自体が、政治の範疇に入らざるを得ないですし、日本の伝統的・文化的「象徴」ですからね。

ただ、それでも、天皇の政治利用に当たっては、慎重であるべきだし、敬意を払う必要があるべきです。

ところが、天皇陛下のことを、まるで「一公務員」であるかの如く考えている輩がいますね。

特に、西欧の民主主義・社会主義にかぶれている”出羽の守”左翼にその傾向が強い。
国民主権の時代なんだから、皇室なんて無用の長物なんだ、くらいにしか思ってないのです。

こうした考えは、余りにも浅慮で、日本の歴史を知らなさ過ぎるものだとしか思えません。
また、政治が、どのような要素で構成されているか、全くわかっていない証左でもあるでしょう。

そもそも、政治には、「権力」とか「権威」とか「正統性」とかが必要とされますが、このうち天皇という存在は、「権威」あるいは「正統性」あたりを担っていると私は考えています。

いわば、天皇陛下は、日本の”権威”の純粋な「軸」なのです。
”権力”とは無縁の「軸」なのです。

日本は、権力と権威の二権分立を、古くは鎌倉時代に確立し、権力の独裁化を防いできた歴史があるわけですが、今日はそのことについて書かれた記述をイザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」から紹介していきたいと思います。

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◆政治天才と政治低能~ゼカリヤの夢と恩田木工~

天才乃至は天才的人間というものは確かにこの世に存在する。

私が神戸の小学校に通っていたころ、ずばぬけて数学のできる日本人同級生がいた。
全く癪にさわるほど出来るのである。

彼に言わすと私が予習や復習をするからいけないので、全く白紙の状態で教室に来ればするりと頭に入ってしまう、というのである。私は彼の忠告どおりにした。
するとますます成績が悪くなって落第しそうになった。

政治のことで、うっかり日本人のまねをしたら、これと同じ結果になるのが落ちであろう。

天才乃至は天才的人間の特徴は、自分のやったことを少しも高く評価しない点にある。
そして、他人の目から見れば実に下らぬ児戯に類することを、かえって長々と自慢するものである。

例としてよく引合いに出されるものに、シーザーが自らの発明と称して、『ガリア戦記』で得々と解説している「架橋機械」がある。

日本人も、時々、こういった「架橋機械」の自慢はするが、私の目から見れば、日本人のみが行いえた政治上の一大発明については、だれも黙して語らないし、だれも一顧だに与えていないのである。

私が言うのは「朝廷・幕府併存」という不思議な政治体制である。

これは七百年以上つづいたわけだから日本の歴史の大部分は、この制度の下にあったといえる。

これは一体、だれのアイディアなのだろう。
考えてみれば不思議である。

しかしこの独創的な政治制度も、戦前は「わが国の国体にもとる」ものとされ、あの軍人勅諭では、「世のさまの移り変りてかくなれるは人の力もて引きかえすべきにはあらねど」も、まことに「あさましき次第なりき」とされていて、出来ることなら消してしまいたい事態だとされている。

かわって戦後ともなると、何もかもいっしょにして「封建的」の一言で片づけられ、この不思議な制度は、常に無視され、黙殺されているのである。

朝廷・幕府の併存とは、一種の二権分立といえる。

朝廷がもつのは祭儀・律令権とも言うべきもので、幕府がもつのは行政・司法権とも言うべきものであろう。

統治には、一種の宗教的な祭儀が不可欠であることは、古今東西を問わぬ事実である。

無宗教の共産圏でも、たとえば、レーニンの屍体をミイラにして一種のピラミッドに安置し、その屋上に指導者が並んで人民の行進を閲するのは、まさにファラオの時代を思わせる祭儀である。

誤解されてはこまるが、私は絶対に、こういった行為を野蛮だと言っているのではない。

蛮行とはもっと別のことであって、このような祭儀行為とこの祭儀を主催する権限とは、常に最高の統治権者が把持してきた、非常に重要な権限だ、という事実をのべているのである。

だが、祭儀権と行政権は分立させねば独裁者が出てくる

この危険を避けるため両者を別々の機関に掌握させ、この二機関を平和裏に併存させるのが良い、と考えた最初の人間は、ユダヤ人の預言者ゼカリヤであった。

近代的な三権分立の前に、まず、二権の分立があらねばならない
二権の分立がない所で、形式的に三権を分立させても無意味である。

それがいかに無意味かは、ソヴェトの多くの裁判を振りかえってみれば明らかであろう。

西欧の中世において、このことを早くから主張したのはダンテである。
彼は、この二権の分立を教権と帝権すなわち法皇と皇帝の併存という形に求めた。

法皇は一切の俗権が停止されねばならぬ。
皇帝は法皇に絶対に政治的圧力を加えてはならぬ。
そして両者が車の両輪のごとくになって、新しい帝国が運営さるべきであると考えた。

だがダンテの夢は夢で終った。

彼が、日本の朝廷・幕府制度のことを知ったら、羨望の余り、溜息をついたであろう。

ダンテの夢が夢で終ったように、ゼカリヤの夢も夢に終った。

(~中略~)

日本の天皇はヨーロッパ的意味の皇帝ではない
少なくともインぺラトールではない。

美々しい鎧に身を固め、馬上豊かに騎士団を引き具して行く皇帝の姿は絶対に日本の天皇にはない。

私は、ずいぶん探したのだが、まだ、鎧をつけた天皇の像を見たことがない。
また天皇は必ず「こし」に乗っている。

その外容はヨーロッパ的に見れば、皇帝よりもむしろ法皇に近い

私は、天皇を、後述する「日本教」の大祭司だと考えている。
そして将軍はまさに総督である。

もう一度問う、このすばらしい制度は、一体どんな政治哲学に基づいて、だれが考案したのであろうか?

事実、祭儀と行政司法と宮廷生活とが混合していた中世ヨーロッパの政府は、「政府」などといえるしろものではなかった。

それと比べれば幕府すなわちヨリトモ政府は、何とすばらしいものであったろう
おそらく当時の世界の模範であったに相違ない。

これは絶対に私の独断ではない。
少しでも日本の歴史を知っている外国人はみな同じ感慨をもつ。

たとえば世界史を書きながら日本には殆ど言及しなかったH・G・ウェルズにしろ、内心では余り日本を高く評価していなかったネールにしろ、このヨリトモ政府だけは、見逃しえないのである。

だが、これをさらに研究しようとすれば大きな障害につきあたる。

それは日本人自身が、このことを少しも高く評価しない、という現実である。
天才とはそういうものなのであろうか。

いずれにせよ、ここで、政治というものが実務として独立した。
実務である以上、能力あるものがこれを担当する。

北条氏は陪臣にすぎないが、この陪臣が当時の全日本の行政を実に長期間担当している、しかもあくまでも陪臣として。

ということは、行政司法を担当するのは天皇であらねばならぬ、とだれも考えなかったからであろう。
みごとな分立といわねばならない

そしてこれが、源平二大政党の政権交互担当といった考え方にまでなってくる。

もう一度問う、一体全体、こういった考え方は、どこから生まれたのか?
これも中国の模倣なのか。
私は中国のことはよく知らないが、どう考えてもそうは思えないのだが……。

さらに不思議なことがある。

「民・百姓のためなら、天皇を遠島にするも致し方ない」といった北条義時の考え方、また「天皇様御謀反」といった考え方、だが一方、「もし錦旗を立てて」天皇が先頭に立ってくるなら「馬を下り、弓のつるを切って」いかような御処分にも従えと泰時にいったその言葉。

この朝廷・幕府併存制度の先覚者の言葉は、勝海舟が『氷川清話』で言及しているように、非常に明確で立派な政治理念の裏打ちがあったはずである。

これらの政治理念は、中世ヨーロッパの皇帝や宰相や騎士団の考え方とは、雲泥の差があることは、言うまでもない。

だがこういった問題は、私には余りにむずかしすぎる。
そこでここでは、日本人が、二権分立というユダヤ人が夢みて果たせなかった制度を、何の「予習」もせずにいとも簡単にやってのけ、しかも自らは少しもそれを高く評価していないという事実は、中扉に載せたラビ・ハニナ・ベン・ドーサの言葉を思い起させるということを指摘するにとどめよう。

(後略~)

【引用元:日本人とユダヤ人/政治天才と政治低能~ゼカリヤの夢と恩田木工~/P71~】


確かに、天皇制に肯定的な一般の日本人でも、このことを高く評価している人はあまりいなさそうです。
ましてや、天皇制廃止を唱えている人たちなら尚更でしょう。

皇室を廃止しようとする輩、馬鹿にする輩は、まさに「日本の歴史を知らぬ奴」と評してよいのではないでしょうか。

日本が世界でも稀な二権分立を古くから確立した国であるという「歴史」を持つ国であること。

このことをはっきりと自己評価し、再認識することが、今後の日本国のあり方を考える上で欠かせないと思います。

次回は、天皇の政治利用や今後の皇室はどうあるべきか。
その辺りを書いてみたいと思います。


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レイシスト的思考【その3】合理性の追求が、非合理的現象”魔女狩り”となって現れる

以前の記事「レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~」と「レイシスト的思考【その2】日本人→鯨殺し→悪人→日本製品ボイコット」の続き。

日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)
(2005/04)
山本 七平

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◆欲求不満が噴出した”魔女狩り”

何しろFDAはチクロwiki参照)禁止の際に見られたように、日本の厚生省にとっては”権威”らしいからである。

「冗談じゃない、鯨肉もチクロ並みか、こりゃもう、食物禁忌に基づく人種的偏見以外の何ものでもない。アメリカ政府が偏見のお手伝いか、よろしい、FDAヘ行こう」と決心したが、同行のNさんから、「まず実態を調べた方が……」と注意され、そこで日本食品会社に車を走らせた。

「あ、それはこのことでしょう」、支配人の杉原さん(一世)は、いとも簡単に私の前に一つの缶詰めを置いた。

「鯨の大和煮」大丸製、最小型の缶詰めである。

「いや、禁止というわけではないんですが……。一市民から通報があったという連絡がFDAから来ただけで。鯨は危ないと思ってましたから、鯨製品の輸入は四年前から一切やめていたんです。ところがたまたまスーパーにこれが一缶残ってましてネ。一缶なら別にどうってことないですから、引きあげたわけですよ」

「フーム、だが大きなスーパーの中から、この一缶を見つけ出してわざわざ通報するとは、全く異常ですな」

「え、アメリカは年中そういう正気の沙汰ではないことが起こる国ですわ。”食”には理屈はありませんからな。ここヘー番はっきり出てくるんです。もっとも常に日系が対象というわけじゃありませんが……」

理解しにくいアメリカの一面、レイシズムという形で湧き起こってくる奇妙なデーモンの動きを鋭く見抜き、この面の情報を的確に把握しているのはおそらく杉原さんのような人であろう。

そうでなければ、四年前に鯨製品の輸入をストップし、損害を一缶に抑えるなどという芸当はできない。

だがこの「来るナ!」といった感触をどうやってつかむかは、「経験ですな」という以外に、説明はなかった。

おそらく、われわれが持ち得ない一種の「感覚」であろう。

そして、レイシズムの基は何々のだと徹底的にきいて行くと、堀内さんの答えも宇野さんの答えも、「視覚・臭覚・味覚」等を総合した感覚に触発される、ある方向への社会的な欲求不満が噴出した”魔女狩り”現象だと言うことになる。

結局、感覚への対処は感覚でしかできない、杉原さんの答えもそれを裏書きしていた。

◆理屈でない「××くさい」への嫌悪

「バタくさい、ニンニクくさい、タクワンくさい」にはじまる臭覚、さらに視覚、味覚、聴覚は、理屈ではない。

従って「感覚が触発する魔女狩り」は、同一民族・同一人種・同一言語・同一感覚のわれわれには理解しにくいが、これを理解する鍵となる現象が、日本にも、ないわけではない。

『週刊朝日』一九七六年九月五日号で高峰秀子さんが記す「田中絹代(註)糾弾キャンペーン」などは、まさに「感覚に触発された理由不明の糾弾」であり、彼女がどんな「大それたこと」をしたのだという高峰さんの言葉にはだれも答え得ない、弁解の余地なき”魔女狩り”である。

(註)…wiki参照。以下、wikiより抜粋。
終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。

順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善使節として滞在していたアメリカから帰国した際、サングラスに派手な服装で投げキッスをしたり「ハロー」と言ったことで、アメリカで小便をしてきただけのアメリカかぶれだと「アメション女優」と激しい世論の反発を受けてしまう。それ以降、スランプに陥り、松竹も退社する。この時期に出演した『婚約指環』では「老醜」とまで酷評されて打撃を受けている。


だがこの理由不明の攻撃、そしてその熾烈さと執拗さとは、田中絹代氏に自殺の決意までさせるほどひどい

なぜこういうことが起こったのか?

レイシズム同様、不明な点が多いが、当時の日本では対米批判は実質的に不可能であり、敗戦や戦犯問題さらに食糧援助等への自虐的劣等感の鬱積は、直接アメリカに放散されないままに、社会に鬱積していた

そこへ「象徴的伝統的日本女性」田中絹代氏が、アメリカ人同様の姿に変身してアメリカから帰国し、アメリカ人のような仕種で出迎えの人びとに応対した。

そのことへの「感覚的な反発」に触発されて、社会のあらゆる鬱積が彼女に向けて集中的に放出され、彼女が”身代わり羊”の形で矢面に立たされた、と考える以外にない――とすれば、卑劣とも卑怯とも言いようのない事件だが、これが「正義の標語」「錦の御旗」を掲げて行われた場合、さらにさらに、始末の悪いことになる

「動物愛護」「資源保護」の錦の御旗にはだれも反対できない

それならなぜ、討論を約束しておきながら逃げるという、甚だ公正でない態度をとるのか?

これはアメリカ人として、異常な行為ではないのか。
この質問に対する多くの人の答えをまとめれば、次のようになるであろう。

アメリカの建国を彼らは「最初の革命」という。

人類最初の革命の意味だそうで、ここで人類ははじめて、伝統や因襲や社会悪を内包した「石器時代以来の不合理な社会」を捨てて、合理的組織としての人工的政府をつくった、と彼らは言う。

だがこの考え方の背後にあるものは、十八世紀的”理性信仰”であり、理性という合理性を、伝統や因襲が阻んでいるから人間は苦しむ。

人間は環境の動物、従って人間が悪ければそれは「社会が悪い」のであり、その「悪い社会・環境」を捨て、それから解放されて、理性に基づく合理的科学的社会組織をつくれば、人間は幸福になる――これが独立宣言以来二百年の、彼らの国是である。

従って彼らは、不合理な面があれば常にこれを合理的にし、合理的組織という網の目で全米をおおって行った。

◆合理的組織からわく”非合理の雲”

いわば合理的組織的ルール絶対の世界をつくりあげた。

その組織の合理性は、完全に末端にまで及び、その便利さ、快適さ、的確さ等々に接すると、だれでも一種の拝米家になりうる。

そしてこのタテマエから言えば、レイシズムは存在し得ない

従ってレイシストはアメリカの国是に反する人間ということになるから、この言葉は政敵へのレッテルにも禁句にもなりうる。

だが人間は、十八世紀の理性信仰通りの産物ではない

ある面を合理化すれば、別の面に非合理性が出る。
その非合理性を合理化すれば、それがまた別の面に非合理性として現れる


そのため、社会が合理的組織の網の目でおおわれて行けば行くほど、そこから遊離した非合理性が、まるで雲のように浮きあがって社会へただよい、何かのきっかけで、いわば「感覚的触発」でその方向へ集中的に吹き出していく

アメリカの歴史とは一面この噴出の歴史で、それがKKK団、アイルランド人排斥、ユダヤ人排斥、排日法赤狩り、鯨デモに現れ、被害者は必ずしもアジア系や黒人だけではない――「それは少しも珍しい現象ではありません、INNAという言葉があります。これは『人を求む、ただしアイルランド人は除く』という文章の各単語の頭文字を集めた言葉で、一時代前のボストンで、普通に通用していた一単語です」とビル・細川氏は言った。

(次回へ続く)

【引用元:日本人とアメリカ人/第七章 捕鯨禁止運動の背後にある人種主義に気づかぬ日本人/P160~】

レイシズムの基となるのは「感覚」であり、それは「理屈」からくるものではないという”不合理”が人間の性(さが)として元々存在するのにも関わらず、その存在を無視して、理性に基づく合理性を追求していくと、その”不合理”が美名をまとって噴出するのだ、という山本七平の指摘は鋭いものがありますね。

これも、いわばタテマエとホンネの一種なのでしょうが、タテマエが強調されすぎて、ホンネがますます抑圧されているのが、アメリカのみならず、今現在の世界の潮流なのではないでしょうか。

昔は、人種差別という”ホンネ”が大っぴらにまかり通っていて、ある意味、ヒドイ時代だったのかも知れませんが、アッケラカンとしてそれほど陰湿さというものは無かったように思います。

それに比べ、今の人種差別は、ある種のタテマエ(錦の御旗・スローガン)の影に隠れて、それを主張する本人ですら人種差別という自らの深層意識に気づかないほど、見定めることが難しくなっていることは否めません。

その点、反捕鯨活動は、日本人が標的にされている分、我々が気づきやすい具体例だといえるでしょう。

これからは、タテマエに惑わされず、そのホンネを見抜く能力がますます必要とされるのではないでしょうか。
次回は、それに気づかないとどのような事になってしまうのかについて、山本七平の記述を紹介していきたいと思います。

【関連記事】
・レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~
・レイシスト的思考【その2】日本人→鯨殺し→悪人→日本製品ボイコット
・「敵への憎悪」は理解できても、「人種的憎悪」は理解できない日本人


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転載:「ナチズムに似たり」

日頃、私が愛読し、参考とさせていただいているブログ「40過ぎて独身で(断じて言い訳ではない)」にて、今回の天皇陛下と中国副主席との会見に関する騒動について書かれた記事が載っていました。
私がつねづね民主党に感じていた「きな臭さ」「胡散臭さ」について、上手く言い表している秀逸記事だと思いましたので、転載させていただきます。
(ブログ主さんには転載について了解を戴いております。なお、色文字・下線は独自につけました。)

◆ナチズムに似たり

支那の習近平副主席に対して、1ヶ月以前という慣例を破って特別扱いしたことが、天皇陛下の「政治利用」にあたるのではないか、という批判がある。
これに対する鳩山首相の弁明は、報道によれば以下の通り。

「日中関係をさらに未来的に発展させるために大きな意味がある。判断は間違ってなかったと思う」
「あまりしゃくし定規に考えるよりも、本当に大事な方であれば若干の変更があっても、天皇陛下のお体が一番だが、その中で許す限りお会いいただく」


残念がら、上記の弁明は言葉が不足しており、意味不明瞭である。よって、補足すると。

「日中関係をさらに未来的に発展させるために(政治的には)大きな意味がある。判断は(政治的に)間違ってなかったと思う」
「あまりしゃくし定規に考えるよりも、(政治的に)本当に大事な方であれば若干の変更があっても、天皇陛下のお体が一番だが、その中で許す限りお会いいただく」


さて。どうであろうか。
カッコ内の「政治的に」以外に、何か適当な言葉があるかね(笑)

他に適当な言葉が見つからないだろうが、それは明らかにこの件は「政治的」だからである。

間違えてはならないが、天皇陛下が「政治的」なのではなく(天皇家は、戦後60年間にわたって、政治的にならないように細心の注意を払ってきた)陛下を利用しようとする輩が「政治的」なのである。

天皇家が政治的に利用されてきたのは戦前の歴史に詳しいが、その反省の上にたった戦後の努力を水泡に帰すものである。陛下が、このような事態を意図したり喜んだりするわけがないではないか。

さらに気をつけなければならぬのは、「政治的」を「政治的だと言わない」のは、ナチズムの手法にそっくりであることだ。

ナチの強制収容所の入り口看板に「労働すれば自由になる」と書かれていたのは有名である。
実態は、まったく逆で、なんとガス室に送られるのであった。

政治権力は、白を白くないといい、自由を奪う行為を自由だと偽る。
言葉を自由にもてあそび、実態を固溶しながら、権力は独裁へと移行するのだ。

たんに、決断力がないとか、常に閣内不一致だとか、無能だとかいうことではない。

私は、そういうレベルをこえた「きなくささ」を、現下の政権に感じている。

自民党が良かったとか、他にどこが良いとかいう次元の話ではなくて、国そのものが変貌しながら今まで見知らぬ何かに溶けて変わるという気味悪さである。

独裁政権は、常に言葉の意味を溶かすところから始まるのである。

【引用元:ナチズムに似たり/40過ぎて独身で(断じて言い訳ではない)】


私が上記記事を読んで、ふと思い出したのが、次の山本七平岸田秀の対談↓。

(~前略)

山本 個人主義は、ある意味でヨーロッパの理想型みたいなんだけれども、これは「何々をしない」ということが一つの誇りになっているんです。

団体規約でもなんでもなくて、自分対神の約束で、これはしない、あれはしないという原則がはっきりしている

そして、これがはっきりしていればいるほど、社会が尊敬し、信用してくれるわけです。
前にアメリカ国務省日本課長のシェアマンと話したとき、アメリカ人の理想型とはこの意味の個人主義だと言ってましたな。

だいたい、人間の信頼関係というのは、マイナス的なものでして、「彼はこれだけは絶対しない」というところから始まるわけです。

汝、殺すなかれ、盗むなかれと同じで、あの人はここへ来ても私を殺さない、私から物を盗まない、私に対して偽証しない、というそこから始まるわけでしょう。

だから個人が神との契約の形でそういう規範をきちんと持っていることによって、信頼関係が成り立つわけで、これが彼らがいう個人主義の理想型なんですね。


岸田 そして日本人にはその形がない。

山本 でね、私は人々がなぜ自民党を支持するのだろうかと考えたんです。

すると、やっぱり信頼関係というのは、日本人の場合も、最終的に何かをしないということなんですね。

あいつは飲む・打つ・買うのとんでもない奴だけど、こういうことはしないという信頼の仕方がありますね。(笑)

自民党への支持というのはこれなんだな
とんでもない奴だけど何かをしないと信じてる。

つまり、自分たちが自覚していない伝統的な文化的規範に触れるようなことはしない、という信頼があるんですよ。

自民党は伝統的な政治文化の上に乗っかってるだけでしょう。

ところが野党はそうじゃないですね

前に話に出た栃木県の市会議員の一家心中の場合の新聞記事みたいな日本の伝統的行動規範に根ざさない論理ばかり言ってるから、最終的に何かを托するかとなると、そういう気にならないということでしょう。


岸田 日本共産党が私有財産を認める用意があると言ってみたり、公明党が日米安保の意味を見直すと言ったりするのも、「何かをしない」という信頼性をかもし出したいわけですね。

(後略~)

【引用元:日本人と「日本病」について/個人的な自我/P72~】


民主党の気味悪さの元は、こうした「日本の伝統的行動規範に根ざさない論理」を露わにしつつある点なのではないか…と思います。

余談になりますが、民主党には、前原国交相や、松原仁議員など保守派と見做される人たちがいますが、これは単に民主党が本性を隠す為のカムフラージュ役に過ぎないのではないでしょうか。

現実の民主党の動きを見ていると、彼らは民主党が保守であるという幻想を振りまく以外、何の影響力もありません。
客寄せパンダのようなものです。
民主党に期待している保守派がいるとしたら、いい加減目を覚ませ!と言いたいですね。

【関連記事】
・「日本は恥ずかしい」という民主党幹事長


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レイシスト的思考【その2】日本人→鯨殺し→悪人→日本製品ボイコット

前回の記事「レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~」の続き。

前回、まず国を想起するのが、レイシスト的思考であると指摘がありましたが、今回は山本七平がアメリカに行って見聞した「鯨保護運動」を例に説明を加えていきます。

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捕鯨禁止運動の会長に逃げられる

こういう発想は、対外的にはわれわれにもあって「レバシリ」(レバノン人とシリア人、最もガメつい人間)といった隠語もあるわけだが、アメリカの場合は、これが対外的にではなく、対内的に作用するから、国際問題ではなく国内問題・社会問題になり、奇妙な緊張を社会にもたらす

幸い日本にはこれがないが、世界が狭くなり対内・対外の区別がつきにくくなってもこの問題に無関心でいると、レイシストと言われまいとしてA型の発言をして非難され、あわててB型の発言をしてまた非難され、「天性のレイシスト」などと言われて、どうしていいかわからないという状態に落ち込むかもしれない

というのは私自身、出発前に「鯨問題」を調べて、「おかしい」と思う点はあっても、その背後にレイシスト的発想があるとは夢にも思っていないから、天皇へ「鯨殺すな」デモがあれば、わが”無能なる外務省”のPR不足が原因であろうと考え、デモの組織者である野生動物保護協会の会長バーンズ氏と、この問題について直接に討論したいと考えていたからである。

私は出発前に、朝日新聞社を通して、バーンズ氏との面会の確約を書面でとった。
今回の訪米で、こういう方法をとったのは彼にだけである。

そのうえさらに、ワシントンから電話でもう一度、日時を確認し、承諾をとった。

だが、ニューヨークについて電話をすると、秘書が出てきて、急用・旅行中・不在で会えないと言う。

「ずるい(スマート)やり方だ」

アメリカ人がこういう行動をとった場合、どう解すべきかと、サンフランシスコでエディソン・宇野氏にたずねたところ、彼がまず口にしたのがこの言葉であった。

だがこのときには私は、バーンズ氏のこの「逃げ」を、少しも不思議に思っていなかった。
というのは議論をして行けば、相手をレイシストだときめつけうる自信が私にあり、相手は当然にそれを察知していたからである。

鯨を絶滅から救え→捕鯨を禁止せよ→鯨をとっているのはロシア人と日本人である→従って日ソ両国に捕鯨の中止か判限を求めよ、という発想なら、これはレイシズムではない

そしてこの発想なら、レイシズムを除外した討論が成り立つから、私は次のように主張するつもりでいた。

(一)ロシア人にとっては鯨油だけが必要で、しかも鯨油の一部はミサイル用で、軍需といえる。
(二)しかし日本人にとっては鯨は蛋白源であり、不可欠の食料品でもあって、しかも平和利用しかしていない。
(三)従って捕鯨の禁止はまずソビエトに対して要求するのがアメリカの利益のはずである。
(四)さらに、もし牛脂だけのため牛を殺して肉を捨てる者と、食用として肉を利用する者とがいるとしたら、あなたはどちらに牛を捕獲する権利があると考えるか、地球上で最後まで鯨をとる権利がある民族があるとすれば、それは日本人とエスキモーのはずである等々……。


そして私は、出発前から、これ以外にもさまざまの反論を用意し、議論の進め方まで、練っていた。

◆「鯨殺し」となぐられた日系の子供

だが、堀内さんと相談しているうちに、「こりゃ違うぞ、確かにこの鯨問題は、氏のいう通り、レイシズムの一表現だ」と感じた。

というのは、まずその発想が、日本人→鯨殺し→悪人→日本品ボイコット→日系排撃という順序で進んでいる

小学校では、黒板に「丸顔・メガネ」という伝統的な日本人の戯画を書き、「鯨殺し」と書いて日系の小学生をボイコットする。
否、「鯨殺しの日本人」と宣告されて子供がなぐられた例もある。

三歳の日系の少女が「お前は悪者だ」と年長の少女にいわれ「なぜ?悪者なの」と反間すると「鯨殺しだからだ」と言われたという。

あとで聞くと何とこれが日系市民協会サンフランシスコ支部長ディヴィド・牛尾氏のお嬢さんなのである。

「日本人→鯨殺し→……」のレイシズム的発想は、すでに子供の世界にまで入っている

無理もない。

「鯨を救え」「日本品をボイコットせよ」は一つの標語、その下には排撃すべき商品がトヨタを筆頭に列記され、ソビエトについても言及はしているが、これは名目にすぎず、従って「ロシア系排撃」などは全く起こっていない。

この背後に労働組合の策動もあり、またキャンペーンに便乗した寄付金集めもあって、そしてこれは、日系だけを戦時収容所に入れ、ドイツ系はそのままにした発想と同じだ、と堀内さんは言った。

日系市民協会は当然これに反撃し(ここでまた「二世はこういう時にも何も言わない」という三、四世の不満を聞いたが)、『ロサンゼルス・タイムズ』は「日系、鯨”反動”を恐怖」と大きくこれを取りあげ、オハイオ州の『ザ・プレイン・ディーラー』も杉山会長の抗議を掲載し、中国系新聞は「鯨殺しの日本人」の排日マンガを再録した上で、日系の抗議と宇野さんのコメントを収録、また「行動するアジア系市民」の会は、日本品ボイコットが、欲求不満の、日本と日系への転化――いわば”魔女狩り”的行き方――で、問題の本質を市民の目からそらすことだと警告している。

「鯨の虐殺をやめよ」「日本の人民よ、鯨を救え」といった天皇に向けられたプラカードの背後にあるものは、日本人への敵意「第二次大戦の影」だという「行動するアジア系市民」の会の言葉が示す通りの現象と言わねばならない。

「だがしかし、それはやはり、日本側のPR不足もあるんじゃないでしょうか。蛋白源だといえばアメリカ人は納得するんしゃないですか」といって私は、前述の、「鯨肉蛋白源者」と「牛脂・鯨油だけの者」の対比論を堀内さんに話した。

「いや、鯨を食うのがよろしくないというんです」
「エエッ」
「FDA(食品医薬品局)が鯨肉缶詰めの輸入を禁止したという噂もあって……」。

海外に出ると日本人はみな”愛国者”になるといわれるが、私もこの辺で少々頭に来ていた。

次回へ続く)

【引用元:日本人とアメリカ人/第七章 捕鯨禁止運動の背後にある人種主義に気づかぬ日本人/P155~】


前回のラルフ・ネーダーの例に比べると、鯨保護の例は、とてもわかりやすかったのではないでしょうか。
このように発想の順番を辿っていくことで、その主張の背後に、レイシズムが潜んでいるか否か、ある程度つかめるのではないか…と思います。

それはさておき、今回引用したくだりについては、この「日本人とアメリカ人」を執筆するよう依頼した稲垣武氏があとがきで触れていますので、その部分を以下ご紹介しておきます。

(~前略)

山本さんは訪米前、捕鯨禁止運動の実像を究明するため、反対運動を組織していた野生動物保護協会のバーンズ会長との会見を希望され、私は日本からアポイントメントを取り、確約の手紙も送られてきた。

そのうえ山本さんはワシントンから電話で日時を再確認きれるという念の入れかただったが、いざニューヨークに着いて電話すると先方は急用で旅行中という口実で忌避されてしまった。

山本さんはバーンズ会長との討論に備えて、出発前から想定間答まで用意されていただけに、落胆されたと思う。

帰国後、お会いした第一声でもそのことに触れられ「鯨のことになると血が騒ぐのでね」と顔面を紅潮されて言われた。

そのわけを訊ねると、山本さんのご両親は江戸時代からの捕鯨の中心地であった紀州・三輪崎の出身であり、父上の長兄が家業を継いで捕鯨船の船長をされていたと照れくさそうに答えられた。

日本人離れをしていると思っていた山本さんも、やはり日本人の血、少なくとも紀州の「鯨捕りの血」が脈々と流れているのだなあと、何だかホッとしもしたし、微笑ましく思ったのを覚えている。

【引用元:日本人とアメリカ人/解説にかえて/P202~】


山本七平がデモの組織者である野生動物保護協会の会長バーンズ氏と会えなかったことが、つくづく惜しいですね。
レイシスト的思考の持ち主は、行動も卑怯ということなのでしょう。

次回は、レイシズムの基は何かということについてと、合理的・非合理的との関連について、山本七平の考察をご紹介していく予定です。ではまた。

【関連記事】
・レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~
・レイシスト的思考【その3】合理性の追求が、非合理的現象”魔女狩り”となって現れる
・「敵への憎悪」は理解できても、「人種的憎悪」は理解できない日本人


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レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~

最近、また反捕鯨活動団体「シー・シェパード」のニュースが報道されることが多いですね。
彼ら自身の最終的な目的と言えば、環境保護活動を装った「金儲け」といったところでしょうね。
所詮は、テロリスト気取りのチンピラやくざみたいなものでしょうか(環境テロリスト扱いするする向きもありますが、本物のテロリストに比べては失礼にあたるでしょう。)

しかしながら、欧米社会には、彼らのような”チンピラやくざ”を支援する広範で根強い支持があるのは否定できない事実です。
もちろん、そうした世論の中には、純粋に鯨を獲る事に反対する意見もあるのでしょうが、その多くは、鯨を獲るような野蛮な日本人はテロに遭っても構わない、当然だと考えている人たちも多いのでしょう。

こうした考え方には、意識的であれ、無意識的であれレイシズム的思考が潜んでいて、それが「鯨保護」という美名をまといながら反捕鯨活動となって噴き出しているのだろうと思います。

こうした日本人を標的とした反捕鯨活動は、1970年代から始まっていたようなのですが、1975年に昭和天皇が初めてアメリカを訪問した際にも、「天皇への鯨デモ」として現われました。

そのことについて、山本七平が著書「日本人とアメリカ人」にて考察していますので、今回から何回かにわけて、その記述を紹介しながら、なぜこうしたレイシズムが、「鯨保護」という形態を取って現れるようになったのか、そしてこうした現象に対して、日本人はどのように対処していくべきなのか、というものを考えていきたいと思います。

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◆アメリカ人が激しく反応する”ある言葉”

戦後さまざまな米語が日本に流れ込み、あるものは訳語で、またあるものはカタカナ表記で通用している。

だがアメリカ人が相当に神経質な態度で使用し、ロにするかしないかは別として絶えずその言葉を意識し、どこかで強い影響を受けていると思われる強烈な言葉なのに、全く日本に流入しなかった言葉がある。

この言葉は、今後も日本に入ってくることはあるまい―それはレイシズム、およびレイシストである。(註1)
(註1)…実際、レイシズム/レイシストという言葉はネット上で飛び交っているので、一見、山本七平の言っていることは間違っていると誤解されそうですが、ここで彼が言いたいのは、日本社会の中では、レイシズム/レイシストという言葉は、社会的・政治的・公的な場に於ける用法・用語としての言葉として今後も使われる事はないという意味であると私は解釈しています。

人種差別主義(と訳してよいかどうかわからぬが)乃至は人種差別主義者というこの言葉の定義は、現地で確かめてみると非常に不明確で、時には、日本の「ファッショ」同様、政敵にはりつける意味不明のレッテルの標語のようにも見える。

従って「あいつはレイシストだ」といわれている政治家を、「人種差別主義者」と訳してよいかどうか、いやそういうレッテルをはる連中の方がはるかに徹底した人種差別主義者ではないか、と思われる場合もある。

政敵にレッテルをはるのはどこの国にもあることで、この点では日米に差はないかもしれぬ。

しかし、人種という意識なしで生活していける日本では、レッテルの言葉を「レイシスト」とするわけにはいかない。

従って、日本では知覚できず、現地で感じて知る以外にないアメリカの特徴の一つは、レイシストがレッテルになりうるその社会的背景だ、ということになる。

今回の訪米で探りたかった重要な点の一つは、それであった。

◆「人種意識」なしに生活できぬ米国

人種という意識なしに生活しろ、といってもそれはアメリカでは無理である。

たとえば「クリーブランドという狭い土地に住む人びとは民族別で約七十民族、これを人種別に大きく系統づけると……」といった話を聞くと、「フーム」といえるだけで、そこに住む人びとの「人種」という意識は、われわれには到底わからない。

だが、「すぐにこう人種と言い出すのがレイシズムなんじゃないのか」という素朴な疑問は出てくる。

そこで「そのう、そのように人種という意識で人を見ることがレイシズムになるんじゃないですか?人種という意識なしに、みな同じ人間という把握の仕方をすれば……」と日本的な ”人間として”的発想をのべれば、

「いや、そういう言い方をするのが最も悪質なレイシストです

現在アメリカでは、人種別に優位に立っている者と劣位にあるものとがいます。
従って同しでありません。

この”同じでないという現実”を無視して同じ人間だと強弁するなら、それは黒人やアジア人を”劣れる白人”と見ることになります。
『黒は美しい』も、有色人種雇用法等も、みな、そう主張するレイシストヘの抵抗です」となる。

なるほどそう聞けば「同じ人間なのに……」と言いたがる日本人がなぜ「天性のレイシスト」と言われるのか、ある程度は理解できる――この考え方を一応レイシズムA型としよう。

「では、人種の存在を認め、それぞれの人種が法的・社会的に平等であれ、と主張すればよいのですか」と質問すると、今度は別の人がいう。

それが南部のレイシストの典型的な論理です

黒人学校・白人学校を別々にし、両方に平等に予算を出しているから法的にも社会的にも平等じゃないかと。

あのリトル・ロックの闘争(註2)とは、そのレイシストの論理に抵抗したものです」と――「なるほど」と言わざるを得ない。

(註2)…以下、参考HP↓を参照のこと。
・リトルロック高校事件
・リトルロック危機の舞台
・3-7 『フォーバス知事の寓話』:リトル・ロック・ハイスクール危機
・リトルロック暴動~無名の9人の高校生たちに捧ぐ~


ではこれをレイシズムB型としよう。

だが、これじゃレイシストでないアメリカ人はいなくなってしまう。

少なくとも「人種」という意識なしで生活している日本人から見れば、そうとしか見えない。

つまり、A型といわれまいとすればB型になり、B型を避けようとすればA型と断定される。

これでは「気にいらない人間」にはだれにでもレイシストのレッテルがはれるはずである。

ではレッテルは別として、レイシスト、非レイシストはとこでどのように区別されるのか?

いや、なぜレイシズムが存在するのか?これは多人種国家の宿命であろうか?

そうはいえまい。
南米の多くの多人種国家には、レイシズムはないといわれるから―。(註3)

(註3)…アメリカ社会において現れる「現象」としてのレイシズムという意味だと思われる。ただ、南米に人種差別がないのか?と言われればそんなことは無いのではないかと私は思う。

◆まず「国」を想起するのが人種主義

一体「天皇への鯨デモ」や「鯨を殺すなキャンペーン」の正体は何なのか。

出発前に、日本で資料を調べただけで、その背後にあるものが「動物愛護」でも「資源保護」でもないことは、うすうす察せられた。

ではこれはレイシズムの一表現であろうか?

一表現とすればなぜこのような表現になるのか?
疑問は際限なくわいてくる。

だがそれらを探索する前にまず、レイシズムの定義を明確にしておかなければならない。

だがその定義は以上のように、きわめてはっきりしていない。
一体、レイシズムとは何を指し、レイシストとはどのような状態にある人を指すのか?

「そうですなあ……」といってから、堀内さん(四世、日系市民協会ワシントン支部長)はしばらく考えていたが、「具体例をひいて言いますと、次のような発想がレイシズムです」とつづけた。

その説明を要約すると、たとえば一台の車が来たとする。

「あ、車だ。ほう、フォルクスワーゲンだ、とするとドイツ製か」
これが普通の発想。

ところが、ショーウインドーをのぞきこむ。
そして「ありゃ、日本製品だ、ソニーの品か、一体こりゃ何だ、ヘエー、テープレコーダーか」となる、
前者とは、逆方向の発想、これがレイシズムであると。

簡単に図式化すれば、その発想が、製品→メーカー→国(民族・人種)という順序か、国(民族・人種)→メーカー→商品となるかの差だという。

こう言われると、何となくわかったようだが、さてその実感となるとなかなかつかめない。

だが後に私は、ロサンゼルスでウェートレスと話しているとき、堀内さんが言ったのはこのことだな、と感じたことがあった。

彼女は白人で学生アルバイトらしいが、日系・中国系・黒人に全く差別なく実に親切で、行きとどいていて、好感がもてる。
そのうえロサンゼルスは日系・中国系が多いから、レイシズム的雰囲気をわれわれは感じない。

彼女はコーヒーを運んでくると「ロサンゼルスをエンジョイしたか」といったようなことを言った。

私も何となくお世辞が出て「実にいい町である(いや、実際にはアメリカの中で、私にとっては最も魅力のない町だったが)。スモッグがひどいと聞いていたが、東京の方がはるかにひどい。これもラルフ・ネーダー(註4)などの運動の結果ですか?」とたずねた。

(註4)…アメリカの弁護士・社会運動家。長年環境問題、消費者の権利保護問題や民主化問題に携わっている。wiki参照。

その瞬間彼女は「でも、ネーダーはレバノン人ですから……」と答えた。

私の発想は、ロサンゼルス→意外にスモッグがない→反公害→ネーダーという順序である。

ところが彼女は、ネーダー→レバノン人→?……?で、その先には、固定化し類型化した”レバノン人”というイメージがあるのであろう。

この発想、ネーダーを一人間と見ないで、人種・民族というステレオタイプにまずはめこんでしまう発想が、レイシズム的発想であろう。

次回へ続く)

【引用元:日本人とアメリカ人/第七章 捕鯨禁止運動の背後にある人種主義に気づかぬ日本人/P150~】


まだこれだけの引用では、はっきりとレイシスト的思考がどういうものか、つかめないかもしれません。
次回では、より具体的な記述を紹介していきますので、お楽しみに。

余談になりますが、こうした思考をレイシズムとするなら、嫌韓である日本人もほとんどが該当してしまうでしょうね。
ただ、思考するだけにとどまるのなら、それをレイシズムと批難することは出来ないと思いますが。
問題は、この思考が思考の枠外をはみ出して、行動となってしまう場合なんでしょうね。

【関連記事】
・レイシスト的思考【その2】日本人→鯨殺し→悪人→日本製品ボイコット
・レイシスト的思考【その3】合理性の追求が、非合理的現象”魔女狩り”となって現れる
・「敵への憎悪」は理解できても、「人種的憎悪」は理解できない日本人


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贈与税違反ってのは、世間一般では大目に見られるものなのか。

今朝、出勤前にテレビのチャンネルを回していて偶然「みのもんた朝ズバッ」を見かけたのですが、そこでの報道にいささかショックを受けたもので、ちょっとぼやき気味ですが、軽く書き留めておきます。

脱税問題が持ち上がっている鳩山首相の去就について一般市民に質問したアンケートボードがテレビ画面に映されていたのですが、三択は次のようなものだった(と思う)。

1.議員辞職すべき。
2.首相を辞任すべき。
3.議員辞職も、首相を辞任もしなくてもよい。

なんと、圧倒的に3が多数でした…orz

そりゃ、自分の認識と世間一般の意識に乖離はあることは、重々わかっていたけどそれでもショックでしたね~。

むろん、このアンケートボードの結果がどこまで信頼できるものであるか疑問ですが、それを脇において考えてみても、一国の宰相が犯した犯罪行為をそれほど問題視していない人が多いということはどうなの?

確かに、贈与税逃れは誰でもやってるさ、という醒めた見方も影響しているのかも知れませんが、一国のトップがあれほどあからさまに脱税行為を働いても、お咎めなしでよいと思う人がこんなに多いのは、モラルハザードもここに極まれり…と思えてならないのですがねぇ。

みのもんたも、支持率が高いうちに説明したほうがいいなんて言ってましたが、なんかピントがずれているような気がするなぁ…。


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「外圧」という心理的圧迫に、捉われてはならない。

以前の記事「鬱屈する反米感情をコントロールしないと危ない。」の続きです。
世界の中で、自らの置かれた立場をはっきりと把握しないまま、欧米の理不尽な要求に対する不平不満を溜めていくことが、どのような結果をもたらしたか。
山本七平が、戦前から太平洋戦争へと至る日本の対応を例に解説した記述の部分を以下紹介して行きます。

危機の日本人 (角川oneテーマ21)危機の日本人 (角川oneテーマ21)
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前回からの続き)

◆不要なものになった日本海軍

以上に述べた、日本人が陥りやすい危険な状態がよく現われているのが、ワシントン軍縮会議とロンドン軍縮会議における日本人の反応の仕方である。

大体、八八艦隊などというものを造ったら日本は経済的に破綻してしまう。
さらに英米がそれに対抗し、日本がさらに対抗するという形になって、一大建艦競争が開始されれば、最初にお手上げになるのは日本である。

確かに日本人は一方では大国とは全く勝手なものだとは思っている。

帝政ロシアが旅順に極東艦隊を保持している限り、また帝政ドイツが青島に基地をもち、南洋諸島からラバウルまでを植民地兼基地として太平洋艦隊を保持している限り、日本海軍は育成すべき対象であり、事実、あらゆる援助と便宜が供与されてきた。

だがロシアとドイツの両艦隊が消えた後は、日本の海軍は彼らにとって不要なもの、否、危険なものにすらなった

では日本はどうすべきなのか。

彼らを打破し、英米にかわって世界の「御威光国」になるのか。

それとも、彼らが形成して来た国際環境の中で成長して来たという事実を踏まえて、自らの発展を阻害しないように、その国際環境保持のために、自らの勢力を削減すべきなのか、という明確な決断が必要なはずである。

だがこの決断は、はじめから結論が出ている。

軍事力だけで御威光国にはなれない。
それは経済力だけでも不可能なように、不可能である。

このことは現在のソビエトにも現われている(註)
確かに軍事力に於ては米ソは均等であろうが、衛星国をも含めたソビエト圈と、アメリカを中心とする自由主義圏の総合的国力を比較すれば、両者の優劣は論ずるまでもあるまい。

(註)…この本の初版は1986年だったので、当時はまだソビエトであった。

この総合的国力の格差は当時の日本も知っており、格差が明らかな以上、選択はあくまでも後者である。

とすれば、日本がまず軍縮を提案してよいはずである。
もっとも英米に対抗しその勢力を打破しようとするなら別だが、これは不可能である。

一九二二年(大正十一年)のワシントン会議の時点では、以上のことは日本政府の首脳も民間の有識者も一般人も大体に於て理解していたと言ってよい。

慢性的不況がつづき、国民一般も軍事費の重圧を感じていたからむしろ軍縮歓迎であった。

この空気が徐々に変わってワシントン体制の打破となり、それがロンドン軍縮で爆発する。

この間に、明治以来、日本を守って今日あらしめたのは海軍ではないかといった声が出てくる。
一方陸軍は、明治末の二個師団増設拒否に対する上原陸相の単独辞職につづき、山梨軍縮、宇垣軍縮とつづき、これもまた同じような声が出て来て、このような壮態がつづいたらわが国の国防はどうなるかと危機感を煽る。

すると国民全体も、外圧によって軍備を減らされて行くと、しまいにはどうなるか不安を持つようになってくる。

◆「昭和の大失策」の遠因

だがこの場合、対米七割にしろ六割にしろ、冷静に考えてみれば余り意味のある違いではない。

というのはもし英米が同盟すれば、七割を保持し得たにしろ二〇対七で三分の一である。
当時は海軍国といえば英米日しかないわけであり、英米が対立して戦争状態になり、日本がキャスチングボートを握るという機会が来ない限り、日本海軍には出番がない。

だが、そういった状態の現出はまず考えられない。

とすれば日本は英米的秩序の中でそれを維持する役割を最低の負担で演じつつ国力を伸長させていくという方策しかなく、これが日本にとって最も有利な政策のはずである。

そしてもしそれをせずに、海軍力の英米との対等を欲するなら、破産を覚悟で海軍力を三倍にする以外にない

だが破産をすれば、逆に、国際的影響力を失ってしまうからこれも意味はない。

結論ははじめから明らかである。

それなのに日本は明確な決断も総合的プランもなく、英米体制を打破して「東西新秩序」なるものをつくるという方向に突っ走る、というより自らを追い込んで壊滅する

その発端をロンドン軍縮会議の時点で見れば、「このように英米に抑え込まれれば、結局は、わが国の国防は不可能になってしまう」という主張である。

だが冷静に考えれば英米に抑え込まれなくとも、これに対抗する軍事力を創設し維持しようとすれば日本は破産してしまうだけだから、意味のない行為である。

もちろん英米の要求がすべて正しいとは決していえず、現在のアメリカ同様に理不尽な面があったことは否定できないが、要は、現在の環境を保持しつつその中で発展を策するか否かに、基本があるはずである。

だが、当時を振り返ってみると、このことを明確に国民に説明し、はっきりと国民の決断を求めた政治家がいなかったことに気づく。

これが、歴史的な「昭和の大失策」の遠因だが、同じような現象は現在でもある。

◆「補助金漬け」は麻薬以上の害

たとえば問題になる農産物の輸入問題だが、これに対する反論は常に「食糧の自給率がこれ以下に下がったら、イザという時、日本はどうなるか」なのである。

これは昔の軍人の錦の御旗と同じような論法だが、その主張は、かつての軍人の主張が意味を持たなかったように、意味を持っていない。

英米的秩序を崩壊さすなら、対米六割だろうが七割だろうが海軍の存在自体が意味を持たないように、自由主義圈の維持という、日本存立の前提を無視するなら、食糧の自給率が三〇パーセントであれ、五〇パーセントであれ意味を持たない

そして海軍と同様、三〇パーセントはゼロに等しい。

意味は持たなくとも「外圧」「外圧」という心理的圧迫は、現実的には意味なきことでも心理的な不満を充足するという点で意味を持たしてしまう

だがそれによって国民は何らかの利益を受けているのか。

何もない。
世界に類例がない高価な食料品を提供され、それを負担しているだけである。

では、自らが発展しうる自らの国際的環境を保護するために理不尽なアメリカの要求をすべて聞きましょう、と言ったらどうなるか。

別にどうにもならない。

英米の三割にすぎない海軍を保持して国民全部が負担にあえぐ苦しみがなくなるだけだ、というに等しい結果が生ずるだけである。

軍人の失業は別の問題として処理すればよいように、農民の問題は別の問題として処理すればよい。

いずれにせよ、今まで記して来たような理由で要求を受け入れざるを得ないなら、外圧の前に自ら実施してしまった方がよい

これは、今にして振り返れば、過去の軍縮の時にも言えたことである。

では、それを実施したら、日本はどうなるか、大変な苦難に頭をかかえねばならないか。

変な言い方だが、そうなってくれれば、逆に、問題はないかも知れない。

国鉄が終われば、日本は否応なく農業の再編成という課題に取り組むことになるであろうが、自由化は逆にそれを刺戟しかつ促進する最もよい手段となるであろう。

それによって日本経済の最大の問題点が逆に解消してしまう。

もっとも個々の人間の運命はまた別だが、その補償は、現在の日本では不可能なわけではないし、現在のさまざまな直接間接の補助金の支出よりも、はるかにすっきりした状態になる。

細かな計算は除くが、すでにさまざまな試算表がある。
「補助金漬け」という「漬け物」は、麻薬以上の害となっているからである。

◆的中した韓国人の予言

そこまでは計算できる。

だがそれによってさらに合理性に富む状態になった日本の経済は、さらに強いものになる。

では、アメリカのすべての要求を受け入れることによって、さらに強くなったときにどうすべきなのか。

前に韓国人を交えたある会議で、韓国の実業家が次のようにいった。

「今に、円は一ドルー五〇円ぐらいになるであろう」。
当時はまだ二〇〇円ぐらいであった。

「しかし日本は、一五〇円になれば一五〇円になったで、これに適応して相変らず対米黒字を増やしていくであろう。私は、過去の経験から、日本人はそれができると思っている。ではそのとき、日本は一体どうするつもりなのか」と。

これに対して、だれも的確な返答はしなかった。
簡単にいえば、そういう時にどうすべきかという思想を、残念ながら日本人はもっていない

いま日本人が考えるべき問題で、まだ答えが出ていないのがこの問題である。

【引用元:危機の日本人/P229~】


確かに考えてみれば、食料自給率が40%だろうと50%だろうと、自由貿易体制が崩壊してしまえば、日本は飢えざるを得ないわけで、優先順位から言ったら、絶対的に①自由貿易体制の維持→②食糧自給率の向上という順番になるはずですよね。

しかし、ほとんどの日本人が食糧自給率を向上するべきという、いわば一種の”強迫観念”を抱いていて、それが逆に、問題解決の足枷となっている。
日本が一番自由貿易体制の恩恵を享受しているのにも関わらず、外圧で農業問題で開放を迫られていることによって、もっぱら”被害者”意識を抱いているのが現状でしょう。

思うのですが、食糧安保という問題は、発想を根本的に変えなければ本当の解決につながらないのではないでしょうか。
例えば、韓国が海外(マダカスカル)に農場を確保しようとして非難される記事↓が過去にニュースになりましたが、そこまで露骨なやり方でなくとも、そうした手段をメインにしていくとか考える時期に来ているのではないでしょうか。

参照記事:【社説】韓国が新植民主義の宗主国だと?(中央日報)

何もかも江戸時代のように自給自足で生活できる環境に無いということをまず自覚する必要があるように思います。

確かに田んぼの維持には、単に自給率の維持だけでなく、保水能力維持という国土保全の観点からも必要なのかも知れません。

しかしながら、今後、農業人口も減っていかざるを得ない状況ですから、企業の参入を認めて競争力を高めつつ、零細農家の離農を無理やり維持するような政策は控えるべきだと思う次第です。
(そういう意味では、民主党の農業政策である戸別所得補填制度には賛成できません。)

何だか、農業自由化問題の話に逸れてしまいましたが、要するに、日本の取るべき政策のプライオリティは、とにもかくにも「自由貿易体制の維持」のはずであり、それに逆行する政策を採るべきではないということです。

そうした判断を妨げるのは、山本七平が指摘するように、不当に圧力を加えられたと感じる「心理的圧迫」であるわけですが、欧米の要求だけを見れば確かに「理不尽」なのですから、日本人がそう受け取めるのはやむを得ないかもしれません。

しかしながら、日本の方針を決めるに当たっては、当たり前のことですが、「自由貿易体制の維持」を念頭において大局的に判断すべきであることは言うまでもありません。

結局のところ、如何に「日本の立場を冷静に把握できるか否か」が問われるのでしょう。
それが出来なければ、再び戦前の轍を踏むことになりかねないのですが…。

気安く反米を唱えたり、親米派をアメリカのポチ呼ばわりしてはばからない人々に、そうした認識があるかと言えば、「無い」と判断せざるを得ません。

これこそ、「反省という言葉はあっても反省力なきこと」ではないでしょうか。

話は変わりますが、『「補助金漬け」という「漬け物」は、麻薬以上の害』という山本七平の指摘は、まさにそのとおりで、一度始まったら、仮に政権交代したとしても、余程のことが無い限りやめる事は至難の技でしょう。
そういう点からも、民主党が推進しようとしている「子ども手当て」について、私は絶対反対です。

【関連記事】
・昔から「機能&経済」至上主義だった日本人
・鬱屈する反米感情をコントロールしないと危ない。

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転載:「官僚生贄の事業仕分け終了 経常経費削減額7000億円の竜頭蛇尾」

日頃、私が参考とさせていただいているブログ「環球閑話時事の徒然」にて、事業仕分けについて書かれた記事が載っていました。
非常にわかり易く、参考になる秀逸記事だと思いましたので、転載させていただきます。
(ブログ主さんには転載について了解を戴いております。なお、色文字・下線は独自につけました。)

事業仕分け終了 74事業に「廃止」判定 1・6兆円超の財政効果

政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)の作業グループは27日、平成22年度予算の概算要求の無駄を削る事業仕分けを終えた。仕分け作業による財政効果は1兆6千億円超で、独立行政法人の基金や特別会計の剰余金など、いわゆる「埋蔵金」の国庫返納要求額が多くを占めた。政府は事業仕分けの結果を踏まえ、過去最大の95兆円台にふくらんだ概算要求から3兆円以上の削減を目指す。

鳩山首相は27日夕、首相官邸で記者団に対し、「国民に予算というものが見える形になった」と述べ、全面公開方式で行われた事業仕分けの成果を強調した。その上で、「(今後の予算編成では)政治的な判断というものが求められる」と強調した。

初の試みとなった仕分け作業には、効率重視のやり方や判定内容への批判がつきまとった。だが、予算編成過程を公開とし、既得権益の確保を前提せずに無駄を省く手法も初めてで、国民の高い関心と支持を集めた。刷新会議は今後、判定結果を実際にどう予算に反映させるかが課題だ。

仕分け作業の対象となったのは449事業。27日夕段階の集計では74事業を廃止、19事業の予算計上を見送り、132事業を予算縮減と判定した。

重複事業として、無償資金協力援助(ODA)が3分の1程度、学力テストは大幅な減額をそれぞれ求めた。事実上凍結と判定された次世代スーパーコンピューターはノーベル賞受賞者らの反発もあり、政府は予算計上の復活を検討中だ。

(産経新聞 2009/11/27)


事業仕分けを本腰でやるのであれば、良かったのですが、こんな結果では、官僚つるし上げショーにしかなりません。
マニフェストでは、平成25年度で16.8兆円の無駄遣いを削減する事になっており、それを原資にして、高速道路無料化や子供手当て等の施策にあてる筈でした。平成22年度は、その走りですから、当然10兆円近い金額が出てくるというニュアンスを私は持っていました。

それが、事業仕分けが始まるに当たって、いつの間にか目標が、3兆円になってしまい。終わってみれば、埋蔵金の召し上げ込みで、1.7兆円。翌年度の計上が期待できない埋蔵金を外した、経常経費では、たった7000億円しか削減が出来ていません
そして、その削減の多くが、日本の科学技術の未来を生み出す科学技術予算だというのでは、竜頭蛇尾、本末転倒もいい所です。

但し、政治ショーとしての事業仕分けは大成功であった様で、碌な実績もないにも係わらず、本日の日本経済新聞は、鳩山内閣支持率が68%に達していると報じています。

民主党は、大喜びでしょうが、たった一時間のつるし上げで、碌な説明も許されず、予算案を無駄と決め付けられた官僚側が、今後、政府の運営に本当に協力していくのか、面従腹背、政治の足をぴっぱり、より大きな無駄を生み出していくのであれば、事業仕分けは何の意味もない事になります。

それよりも、寧ろ、従来のシーリングをより強化しつつ、政治家主導で新規案件の吟味を時間をかけて行うべきであったでしょう。
企業も経費削減を行っていますが、今回の事業仕分けに相当するのが、経費削減にコンサルタントを入れて行う方法。もう一つは、従来型の総予算を細かく削減していく方法です。

企業における経験では、コンサルタントはとかく成績をあげようとドラスティックな経費削減を単発的に実施しますが、無理が大きく長期的には必ずしも大きな経費削減に繋がらず、寧ろ、経営者が率先して、大きな戦略的な経営目標を設定し、全社員が一丸となって経営効率を改善していくのが正解という結論が出ています。

この後者に相当するのが、必ずしもシーリング方式ではありませんが、全公務員に参加意識を持たせながら巻き込んでいく為には、コンサルタント型では到底不可能であり、それが事業仕分けの地方自治体での経験則でもあった筈です。その様な事情は判った上で、官僚を生贄羊に仕立て上げる為に、民主党は事業仕分けを行ったという訳です。

その上、よくよく見れば、民主党の支持母体である労組や日教組関係の予算、男女共同参画予算という訳も判らない予算は、仕分けせずに、議論もなしに全部通してしまっています

構造改革のために支持母体である自民党の利権を切りまくった小泉自民党政権と比べれば、鳩山民主党内閣は、大違いのポピュリズム政治と言わざるを得ないのです。

【転載元:環球閑話時事の徒然「官僚生贄の事業仕分け終了 経常経費削減額7000億円の竜頭蛇尾」】


小泉政権の時も、散々ポピュリズム政治だと批難されましたが、自らの支持基盤の利権を削っていくなど、その方向自体は間違っていなかったのに対し、鳩山政権のそれは、まぎれもなく労組や日教組などの利権を肥え太らす方向に指向しています。
同じポピュリズム政治かも知れませんが、この二つはまさに似て非なるものと言って良いのではないでしょうか。

今回の記事は、そのことを指摘した秀逸記事だと思います。傑作。


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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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