一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「トッツキ」と「イロケ」の世界【その6】~「虚構の世界」が日本を滅ぼした~

前回の記事『「トッツキ」と「イロケ」の世界【その5】~二種類いるトッツキ礼賛者~』の続き。
今回の引用部分において、山本七平は、トッツク人間の性向と似たものを、新聞記者が持っていることを指摘しています。

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山本 七平

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前回の続き)

この「逆」すなわち復讐の方法は実に多種多様で、私の知っているだけで十以上になるが、一番普及していたのが「フケメシ」であろう。

私と同時代に大日本帝国陸軍にいて、「フケメシ」という言葉を知らない者はおるまい。

旧軍隊をいかに美化したところで、また内藤誉三郎氏がいかに一糸乱れずと感じたところで、そんな虚飾は、この「フケメシ」という言葉の存在の前に、一瞬にして消しとんでしまう

三島由紀夫氏が切腹したとき、私は反射的に、氏はこの「フケメシ」という言葉を知らなかっただろうなと思った。
フケメシとは読んで宇の如く、メシの中にフケをまぜて食わせることである。

もちろん本当ではあるまいが「ドロガメは毎日フケメシを食わせられているそうだ」という噂もあり、みなそれを聞いて、内心快哉を叫んでいるわけであった。

そういった人物に限って「秀才だ秀才だ、陸大出だ」と一方的にトッツイてくるのだが、実際は、砲兵に関する常識さえないとなれば、その道三十年の老兵は内心おだやかでない。

この部隊長はその生涯が砲兵であり、何しろ知らないことは何もない。

さらに上級司令部にいて多くの情報に接しているから、アメリカ軍の砲兵への分析も実に正確であり、後に私がアメリカ軍の集中砲火から逃れ得たのも、この部隊長の講義のおかげである。

そういう人だから、この部隊長のドロガメ参謀への反発は、一種の生理的嫌悪感にまでなってしまう。
それが伝染してくるから、事実私などには、ドロガメの名をきいただけで、何かうす気味悪いヌラヌラとした大きな爬虫類のような感じをうけ、背筋がゾーッとして来るのである。

そこへ陳情に行き交渉しなければならないとすると、これは一体どうすりゃいいのか。
妙案は全くなかった。

何しろ相手は、自分は陸大出だから、軍隊のことはすべて知っていると自己規定しているわけである。

従って何か自分に理解できないことを口にされれば、すぐにその鋭敏なプライドが傷つくから、瞬時に相手の口を封じて一方的に怒鳴りはじめ、ひとたび怒鳴りはじめれば自分の言葉に興奮して、気違いのようにわめき散らし、撲る蹴るとなる。

従って「実戦では」とか「実際は」とか「実情は」という言葉は禁句なのだが、こまったことに「実際」は、部隊長のいう通り「バカ参謀が! 陸士陸大を出おって、砲兵の射法則のイロハのイの字も知りよらんで、勝手な熱を吹きおる」のが「実情」なのである。

こういうタイプの人は、戦後はあまりお目にかからないが、暴力という点を別にすれば、新聞記者の中にはいるようである。

いわば自分は何もかも知り、かつ何もかも理解しているという前提に立つので、自分の知らないことや理解できないことを、すべて、嘘か間違いか、ありえないことにしてしまうタイプである。

従って自分に理解できないことがあると、それを理解するために質問しようとはせず、反射的に「おかしいですね」「そんなことはないでしょう」と言い、あげくの果ては滔々と一方的にまくし立てて、「つまるところ、こういうことですネ」と勝手にきめて帰ってしまい、こちらを唖然とさせるタイプである。

とくに、何か事件があって、「識者の意見」をもとめる新聞記者にその傾向が強い
自民党はけしからんということになれば、彼の意見に同調しないと叱られそうになる。

白か黒かではなく、彼が白だと思えば白と答えないと不機嫌になる。
もちろん、その他の色はない。――私は叱られても自分の意見で通し、たいていはボツになる。

結局は、この「ドロガメ参謀」は、こういった人と絶対権力をもつワンマンがいっしょになったようなタイプなのだろうが、軍隊では人格的にボツにされるだけでなく、人間そのものがボツにされてしまうこともあるわけである。

多くの人が文字通りボツにされてこの世から消えた。
花谷中将の周囲だけで、どれだけの人間がボツにされたか。

映画や新聞記事はフィクションの世界だからこれでもいいかも知れない。

しかしこれを現実の世界へと強制されると、結局は、恐怖の余りフィクションに同調して「トッツキ」と「イロケ」で構成される虚構の世界に部隊ごと逃げこんで「稲の移植」といった演技を全員でやるか、一人斬りや、百人斬りを演じたり口走ったりして個人的に逃げるか、生命までボツにされても抵抗するか、彼らは気違いだといって諦めるか、それしか方法がない

私は前に、「日本の軍人は、日本軍なるものの実状を、本当に見る勇気がなかった(註)」と書いたが、そのとき脳裏にあったことの一つは、この「トッツキ」と「イロケ」が生み出す虚構の世界である。

(註)…拙記事『残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~』参照のこと。

そして日本を滅ぼした原因の一つはこれだと思っている。
そして将来日本を滅ぼすものがあれば、やはりこれだと思っている。

自らの目をつぶした大蛇が、自分で頭に描いた妄想に従って行動し、のたうちまわって自滅した
日本軍への私の印象はそれにつきる

(次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍/「トッツキ」と「イロケ」の世界/P117~】


「自分の知らないことや理解できないことを、すべて、嘘か間違いか、ありえないことにしてしまうタイプ」というのは、確かに厄介な存在ですよね。

こういった人間が絶対権力を握り、自分の考えを他に強制できるようになってしまうと、トッツキとイロケの世界が出現してしまう…というわけです。

そして、マスコミにそうした「傾向」が濃厚にあるというのは、確かに頷けるところです。

そこで気をつけなければならないのは、例えば日本人の意識を一変させるような(北朝鮮の拉致事件のような)事件が起きたり、平時ではありえない緊急の事態が勃発した場合、そうした「傾向」と、事態に対処するためには手段を問わないという「考え」が一つになって、一時の感情に流されると「トッツキ」と「イロケ」の世界が出現する可能性が大いにあるという点ではないでしょうか。

そうならないためには、どんな時においても、法を遵守するという原理原則を貫き通す必要があるはずですが、果たして一時の感情に流され易い日本人にそれが守れるか…??

以前の記事『「話し合い」と「結果の平等」がもたらす「副作用」【その3】』において、「日本人は、前提なしの無条件の話合いに基づく合意が絶対であり、それを外部から拘束する法的・倫理的規範は一切認めない」という性向を持つことをご紹介しましたが、そういう日本人の性向を鑑みますと、いささか不安を覚えざるを得ないのであります。

さて、次回もこの続きを紹介してまいります。
ではまた。

【関連記事】
・「話し合い」と「結果の平等」がもたらす「副作用」【その3】
・残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その2】~現場の兵士が抱いた”やりきれない気持ち”~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その3】~部付(ブツキ)はコジキ~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その4】~大日本帝国陸軍の”大躍進”~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その5】~二種類いるトッツキ礼賛者~


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【拡散希望】杜撰極まれり!子ども手当の制度設計

ようやくマスコミも報道し始めましたね↓。
子ども手当の制度設計の杜撰さを。

◆「子ども手当!コドモテアテ!子供いればお金もらえると聞いた!お金ください!」 中国人ら、自治体窓口に連日殺到で大混乱(痛いニュースより)

◆お金ください!「子ども手当て」に外国人殺到で大混乱

◆子ども手当“悪用野放し”採決 参院選向け見切り発車

◆驚愕!子ども手当、出稼ぎ外国人が母国に50人子供いても支給

子ども手当支給決定までのプロセスの拙速さ、杜撰さ。
これでは、単なる参院選目当ての選挙対策としてのバラマキに過ぎないと指摘されても仕方がないでしょう。

ここは、民主党の狙いを逆手に取るべし!
欠陥政策であることを、満天下に喧伝すべきでしょう。

ということで、エントリーを挙げておくことにします。
手抜きでスミマセン。

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「トッツキ」と「イロケ」の世界【その5】~二種類いるトッツキ礼賛者~

前回の記事『「トッツキ」と「イロケ」の世界【その4】~大日本帝国陸軍の”大躍進”~』の続き。

今回は、トッツキを礼賛する者はどのようなタイプに分けられるか、そして、山本七平の上司の部隊長になぜイロケがなかったのか、について書かれた部分について引用紹介してまいります。

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前回の続き)

この「上からトッツキ」と「下からイロケ」で構成される世界は、外部から見ているとまことに一億一心、まさに鉄の団結であり、一糸乱れぬ統制の下にあるように見える。

私はいわゆる無条件の中国礼賛者には、二つの種類があると思う。

その一つは、たとえば内藤誉三郎氏のような人で、いわば戦争中の一億一心滅私奉公を一方的に七億一心に投影し「中国は大した国だ。戦争中の日本のように国民は一糸乱れず生活している」というような言葉が出てくる人である。

全く冗談も休み休み言ってほしい

戦争中の日本で、その象徴ともいえる「大日本帝国陸軍」の実態、あの「トッツキ」と「イロケ」の秩序の実態が、まだわかっていないのだろうか――それがわからず、これを「一糸乱れず」と見うるこういう人たちは、生涯常に「トッツキ」側にいたに相違ない

もう一つは、こういう経験が皆無の若い人であり、その人たちは、結局ペンより重いものは持ったことがなく、一キロ以上は歩かずに車に乗るのを当然のこととしている人たちであろう。

それはこういった人びとが「人海作戦」という言葉を口にしたときに、はっきりと露呈する

人海作戦
この言葉を耳にしただけで私は寒けがする。

その実態、つまりそれを強行されている人びとの姿はまさに地獄の責苦なのである

私の言葉を反中国宣伝だと思う人は、野砲弾四発入りの弾匣を背に負って、炎天下を、一日四十キロの割で四日間歩きつづけてから意見を聞かしてほしい。

主義も理想もどこかに消しとんでしまうどころか、ものを考える力もなくなり、一切の刺激に対して全く無感動・無反応になり、声も立てずに機械のように足を動かす亡者の群れになってしまうのである。

そしてこれだけの苦痛を強いても、この輸送力がトラック一台の何百分の一にすぎないかは、各自計算なさればよい。
私もこの計算をやらされたのだから。

この「人海作戦」を高く評価できる人、またこの言葉を無神経に口にできる人は、この経験がなく、この有様を見たこともないに違いない

「対住民折衝」という部隊長の言葉で背筋に戦慄が走ったのは、いずれは現地人を強制徴用して、砲弾輸送の「人海作戦」となる恐れがあったからである。

私の部隊長は、職業軍人とは思えないくらいイロケがなかった。

これは部下にとって大変に有難いことだったが、しかしこのため、司令部の砲兵隊長への風当りも強かった。
そしてこれに対する部隊長の反発もまた強く、司令部から何か通達が来ると「バカ参謀めが!」といって机に叩きつけることもしばしばだった。

事実、部隊長は、参謀の上にバカという言葉をつけない方が珍しかった。

部隊長のこのレジスタンスには、いろいろな要素があったと思うが、第一には、イロケを出してジェスチャーをすれば、それで全兵士が倒れてしまうかも知れないという現実である。

ジャングルに砲車を引き入れると簡単にいうが、人一人通れればよい歩兵ならいざ知らず、砲車を引き入れるには進入路を切り開かねばならない。

だがその前に、測地をして基礎諸元を出し、砲車の位置を算出し、その位置に赤い小旗を立てねばならない。
この小旗が砲車の照準具の位置なのである。

そうしなければ視界ゼロに近いジャングルのしかも掩壕の中から、四千から七千メートル先の飛行場を正確に射撃することは不可能である。

従ってイロケのために、進路ぎわからジャングルのどこかいい加減な場所に砲車を移しかえて壕を掘らすことは、「稲を移しかえて植える」ぐらい無意味なジェスチャーなのである。

もっともそれをやれば「ヨクヤットル」ということでおおぼえはめでたくなるかも知れぬが、全く無駄な労働に兵士は倒れてしまう。

部隊長にはそれが出来なかった

彼は少尉候補者の出身で、一兵卒からの叩き上げ、苦学力行の人であって、昭和十五年戦争の大部分を戦場でおくり、兵士の苦労を知りすぎるほど知っていた。

また非常に頭の良い人で、私たちの部隊長になる前は、高級司令部の参謀部庶務課長であり、司令部や参謀の実体もよく知っていた。

自ら「オレは貧農の出だよ」といい(本当はそうでもなかったらしいが)、「山本ナンザァ、オンバ日傘で育ったんだろう。オレナンザァ小学校へ行く前から、朝メシ前に荷車ニハイも草を刈ったんだぞ」といって私をからかった。

兵隊には「ムテン(陸大を出ていない)の少将は大将にまさり、少候の少佐は大佐にまさる」という考え方があった。
部隊長がいかに優秀でも、少尉候補者出身では、少佐以上には絶対になれない。

従って実力は大佐以上でも、少佐でとまっているからそういわれるわけである。
そこで少候出身の少佐には「兵隊元帥」という渾名もあった。

准尉・兵長という「星なし」を除外すると、陸軍二等兵から少佐までの階級数は、少尉から元帥までの階級数と同じになるから、兵隊から同じ階級だけのぼった元帥に等しい例外的な実力者の意味と、もうこれ以上うえへは絶対に行けないという、二つの意味があったと思う。

私は戦後、アイゼンハワーの参謀長、軍隊はじまって以来の名参謀長といわれたベテル・スミス中将が、全くの無学歴将校で一兵卒から叩き上げだときいたとき、日米両軍の差のあまりの激しさに驚いた

日本軍では絶対に考えられないことである。
敗戦は、武器の不足などという単純なことが原因ではない

部隊長にイロケがなかった理由は、ここにもあると思う。
いわばもう頂点に行きついた「兵隊元帥」であって上がない。

今さらイロケなど、という気と、さらに、たとえ階級は上でも、実力も経験も識見もはるかに劣る若僧の参謀などにイロケを示すことは、砲兵という専門職のプライドが許さなかったという点もあったろう。

いわば日本軍における文字通りの古参兵(ベテラン)つまり「実権派」であって、「神がかリ」にとって最も扱いにくい人物の典型であった。

この点、前述のドロガメ参謀とは、まさに対蹠的な位置にいた。

噂では(こういった噂の真偽は全く不明だが)、この参謀K少佐は、陸士・陸大を、共にはじまって以来という成績で卒業し、陛下の前で戦術の御前講義をしたということであった。

だれも見ていたはずがないのに、その御前講義の有様が、微に入り細をうがって描写されるのである。

みなこの話を信じていて「だが、それなのに彼は実戦の経験がない。そこでその劣等感からあのように調子コムのだ」ということであった。

この「調子コム」という軍隊語も、今の日本語には翻訳不可能だが、いわば「トッツク」の前段階的状態だといってよいであろう。

こういう将校が実は常に主流なのだが、まず例外なく兵士から嫌悪された。
そしてその暴行に対しては、もちろん兵士は復讐をした。

この復讐のことを「逆をくわせる」といい、「○○中尉はいい気になって調子コンでやがる、いつかきっと逆をくわせてやる」という言い方になるわけである。

(次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍/「トッツキ」と「イロケ」の世界/P113~】


トッツキ礼賛者は、常にトッツク側にいた人間か、もしくは、トッツカレタことを体験したことがなく想像すらできない人間であるという山本七平の指摘は、実に的を得ているなぁ…と思いますね。

人海作戦というものを自分が強制される立場を想像できるか否か。
結局のところ、ここでは、そうした想像力の有無が問われているのではないでしょうか。

そして想像をできた上で、それでも礼賛する人間だとしたら、それは自らを終始トッツク側に置いている人間だけなのでしょう。

日本軍の無謀な作戦を美化しがちなねずきち氏らの言動を見ると、トッツキを想像できない性向を濃厚に持っていると思わざるを得ません。
まぁ、これは彼らに限ったことではなく、左右いずれにも見受けられることですが…。

それと今回の紹介部分で考えさせられるのは、たとえ優秀な人間であっても、昇進に限界があるという日本の組織の問題ですね。

考えてみれば、今の国家公務員でも、キャリア/ノンキャリアという区別があって、ノンキャリア職員は、たとえどんなに優秀であっても官僚のトップにはなれない。

日本の場合、それを許すと組織が維持できないからなのでしょうが、こうした点は、戦後も戦前の軍部同様の欠陥を受け継いでいるともいえると思いますし、日本における「組織」の欠点として押さえておいたほうがよいと思います。

次回も、この続きを紹介してまいります。
ではまた。

【関連記事】
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その2】~現場の兵士が抱いた”やりきれない気持ち”~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その3】~部付(ブツキ)はコジキ~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その4】~大日本帝国陸軍の”大躍進”~


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マニフェスト脱却のすすめ

今日はちょっとぼやきをば。

最近の民主党の政権運営ぶりや法案の通し方を見ていると、あまりのヒドさにため息しか出てきません。

・掲げていたマニフェストと、現実に決定した政策との余りの落差。
マニフェストに謳っていない政策を強引に通そうと画策。
・野党時代の言動と、与党になってからの言動の懸隔。
・自民党さえここまでやらなかったであろう強権的な国会運営。
・自らの不祥事に対して、不誠実極まる対応。
子ども手当や高校無償化などの目玉政策の制度設計の杜撰さ。
普天間基地移設問題を巡るどうしようもない迷走ぶり。

そりゃ、ある程度予想していた自分にとっても、予想をはるかに上回る醜態ぶりでした。
個人的には、最低の内閣だと思っていた村山政権よりも劣るように思います。
村山政権では、首相がアホでも、まともな自民党が補佐していましたからね。)

子ども手当に関する長妻大臣の答弁とか見ていても、まともに答えようとせず、はぐらかしと言い訳に終始しているし。
長妻大臣はもう少しまともな人物だと思っていたが、ああいう愚策を実行する立場に立たされると、福島みずぽたんと変わらないレベルに堕ちるものなのだなぁ…と思いますね。
まぁ、私に言わせれば、子ども手当のような愚策が日本のためになると考えている時点で失格ですが。

思うのですが、もういい加減マニフェストを掲げるのは止めませんか。
幾ら理想的なマニフェストを掲げても、結局のところ、実行するのは「人物」次第。

平気で前言を翻し、それに対して何ら責任も取らない人間。
他人を批判しながら、自らにはその基準を全く適用しない人間。

民主党はそんな人間ばかり。
鳩山首相なんかその最たるもので、野党時代の言動をチェックしていれば、当然予想できたことです。
そんな人間が幾ら理想的なマニフェストを掲げても実現出来るわけないでしょうに。

だから、自分は絶対政権交代には反対だった。
どう考えても麻生政権の方がマシなことはわかっていたから。

今頃になって、政権交代を支持していた連中が、ぞくぞく批判に転じているようですが、ふざけるな!と言いたい。
お前らのようなアホどもが、実現できもしないマニフェストにコロッと騙された所為で、今日の惨状がある。
(言葉が荒くなってしまいましたが、これ↑ホンネです。)

しかし、これはまだ序の口。
あと、3年以上、民主党政権が続く可能性が高い。
どれだけメチャクチャにされることやら…。

そうなったのも、甘言にたぶらかされ、政治家本人の資質を何ら問わなかったからでしょう。
マニフェスト以前に、政治家の資質を問うことを最優先にすべきです。

ネットでちょっとでも過去の言動とか調べれば、ある程度わかるのことなのになぁ…。
でもまぁ、テレビしか見ない人たちには、これが難しいのでしょうけどね。

結局はリテラシーの問題に帰結するような気がします。


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「トッツキ」と「イロケ」の世界【その4】~大日本帝国陸軍の”大躍進”~

前回の記事『「トッツキ」と「イロケ」の世界【その3】~部付(ブツキ)はコジキ~』の続き。
今回引用紹介する箇所でようやく「トッツキ」とは、「イロケ」とは何なのか。
そしてそれがどのように関連しているのか、ということについて明らかになります。

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「ドロガメ」とか「出歯ガメ」とか「オカメ」という渾名で呼ばれたK少佐という、まるでどこかの国の進歩的映画監督のようにスタッフを撲るので有名な参謀がおり、「将校を撲り倒すのが彼の唯一の趣味」だといわれていたからである。

たとえそういうことがなくても、それがどれほどやっかいなことかは今の人にはもう理解できまい。

ただ中国関係の記事を注意深く読めば、当時の日本軍のこういった状態もある程度は理解できるのではないかと思う。

これはほんの一例だが、「文藝春秋」昭和四十七年十月号の『中国に何か起っているか』で、森康生氏が「諸君!」に載った「大躍進時代」を語る陳福栄氏と中嶋嶺雄氏の対談から引用して、次のように述べておられる。

初めの五行が陳氏の発言の趣旨である。

>「弱点、欠点を(下から上へ)報告すれば、かえって上の方から大変怒られますから、成績を報告するだけになります。

いちばんひどかったのは人民公社初期のころで、そのときのやり方は、いよいよ収穫になると、ほかのところの稲をみんな集めてきて移すのです。

そして、ほかのところから植えられたみかけだけの豊作田は、他の人民公社の人々に見せられる。

ある人はこんなことはいけないんじゃないかと思っても何もいえない」


私は黙っている人を非難する気にはなれない。

批判がましいことをいえば、「大躍進を妨害する反革命分子」という三角帽子をかぶせられ、恐ろしい人民裁判が待っていることを知っているからだ。<


私は中国へ行ったことがないから、これが大躍進の実態ですと陳福栄氏が嘘をついていても、それはわからない。

しかし、これが大日本帝国陸軍の”大躍進の時代”の実態ですというのなら、いつでも「その通りでした」といえる。

まず「弱点、欠点を(下から上へ)報告すれば、かえって上の方から大変怒られますから、成績を報告するだけになります」と。
まさにその通りである。

ただ違うのは、三角帽子をかぶせられて人民裁判にかけられるのでなく、徹底的な罵声・怒声・罵詈讒謗をあびせられ、なぐられて、足蹴にされるという点であった。

どちらがひどいか私にはわからない。

三角帽子と人民裁判を、フース氏のように「暴力よりさらに耐えがたい暴理」だとすればこの方がひどいが、私は大体、似たようなとこだろうと思っている。

というのはどちらも「トッツク」ことだからである。

トッツクとはこの状態を示す軍隊語だが、これを今日の日本語に訳すことは不可能であろう。
ただこの言葉の示す実態なら、後述する通りである。

司令部には、隷下の多くの部隊から、私のような「陳情係将校」が、入れかわり立ちかわりやって来た。

その人たちとは「同病相憐れむ」のかすぐ顔なじみになったが、その中では私が一番若く、階級も最も低かったためであろう、みな私に同情していろいろと細かい注意をしてくれた。

行く道ですべての人がまるで挨拶のように口を揃えて言った言葉は「ドロガメにトッツカレンようにな」であり、帰る道で言った言葉は「大丈夫だったか、ドロガメにトッツカレンかったか」であった。

「弱点、欠点を下から」すなわち砲兵隊から、「上へ」すなわち司令部に報告し、しかも報告している人間も「下から」すなわち見習士官から「上へ」すなわち少佐参謀へという形になれば、たちまち徹底的にトッツカレルのである。

ドロガメにつかまる。

ナニー、ウン、砲兵隊か。砲兵隊の戦備はドーナットルー!何をグズグズシトル

実は測角器材が皆無なため、何も手をつけられない状態でありまして……
ここまで言えばもう先は明らかであった。

ナニッ、器材ないから戦備がデキント。貴様ソレデモ国軍の幹部カッ……」に始まり、後は罵声、怒声、殴打、足蹴である。

前に「正直なところ背筋がゾクッとした」と書いたのは、反射的にこの情景が脳裏に浮んだからである。

高木俊明氏がビルマ戦線における花谷中将のこういった異常な状態を書いておられる。

だれでもかでも殴りつけ蹴倒し、「腹を切れ」といい、連隊長でも副官でも兵器部長の大佐でも容赦しない――だがあれを読んだ人が、花谷中将という人だけが異常だったと考えればそれは誤りである。

ああいうタイプの人間は、中将から上等兵に至るまで、至るところにいた

そして不思議に主導権を握る

同時にその被害をうけた者は、それらしき影を垣間見ただけで、一種、動物的ともいえる反射的な防御姿勢をとるようになる

横井さんの異常な興奮の背後に見える日本帝国陸軍のもつ一つの体質がこれであると思う。
そしてこの二つは、実は同根なのである。

この防御姿勢は、「俺だって白兵戦をやったことがある」という形にもなれば「一心不乱に戦闘準備をしております」というジェスチャーにもなる。

このジェスチャーを軍隊では「イロケ」といった
そしてこの「イロケ」の有無を兵士はすぐに見抜いた

どの社会でも「隣の花は赤い」で、どの兵士でも他部隊の方がいいような気がするものである。
従って部隊長への兵士の評価は常に点が辛い。

しかしこの中にあって、私の部隊長のH少佐は、「イロケ」がないという点では、兵士たちの最高の評価を得ていた。

オマエンとこ、テンホの甲だろ。隊長にイロケがないもんな。オレンとこは最低のインケツよ、うちの隊長はイロケのかたまりだあー

他部隊の兵士の言葉である。

テンホはおそらく中国語の「頂好」から来た軍隊内俗語で、最高の好ましい状態を示す言葉。
インケツは「陰欠」でないかと思う。

私の記憶ではバクチ用語だったように思うが、大体、「もっともひどく割を食う」といった意味であった。

実際、このイロケぐらい、兵士にも下級幹部にも耐えられないものはなかった

一生懸命やっております」「大いに成績をあげております」というジェスチャーのため、全く無駄な重労働を部下に強いる

兵士は、そんなことはすぐに見抜いてしまうから、余計に耐えられない。

その状態はまさに陣氏の書いている通りである。

いよいよ収穫になると、ほかのところの稲をみんな集めてきて移すのです。そして、ほかのところから植えられた(移植された)みかけだけの豊作田は、他の人民公社の人々に見せられる

前述のように、この言葉が人民公社大躍進の実態を語っているかどうか、それは私は知らないが、日本軍の状態を象徴的に語っているとはいえる。

こういう方法で、確かに上役を欺くことは出来るし、新聞記者を欺くことも出来るだろう。

しかしどうしても欺くことのできない者がいる

それは「稲の移植」という全く無意味な無駄な労働を強いられた農民である。

それと同じで、たとえだれを欺くことができても、兵士を欺くことは絶対に出来ないのである。

(次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍(上)/「トッツキ」と「イロケ」の世界/P110~】


上記の引用文を読まれれば、「トッツキ」と「イロケ」のおおまかな実態というものを掴めるのではないかと思います。

「トッツク」人間が、組織の中で主導権を握ってしまうのはまさしく異常そのものですが、そうなってしまうのは、やはりある「目的」を絶対化してしまうからではないでしょうか。

その目的遂行の為には、現実とか合理性とか感情とかは全て否定され、抗議の言葉は無視どころか、封殺されてしまう。

トッツク人間は、ある意味、その役割を果たす為に必要とされただけなのかも…。

抗議の言葉を封殺するために、暴力が横行する。
挙句には、その暴力に呼応して、「イロケ」という状態が出現してしまう。

その結果、下の者が地獄の苦しみを味わうことになってしまう。

しかも、地獄の苦しみを体験したからと言って、問題が解決するわけでもなく、むしろ、自らの眼を潰して破滅してしまうだけ。

組織がそういった状態に陥らないためには、目的を絶対化してはならないのでしょうが、当時の日本のせっぱつまった状況に置かれれば「云うは易し行なうは難し」で難しいことだったんでしょうねぇ…。

そう考えると、今の日本にとって、「経済成長」というのが絶対「目的」なのは、幸せなことなんでしょうね。

経済成長するためには、何よりも「合理性」というのが重視されますから、トッツク人間というのはあまり必要とされないでしょうし。

ただ、日本は経済成長のみ追いがちで、経済成長の基となる世界の安寧秩序に無関心になりがちな点は気をつけねばならないでしょう。

それはそうと、やたら日本軍を美化し、そこに「トッツキ」と「イロケ」の世界が展開され、地獄の苦しみを兵士達が味わっていたことにまったく気が付かない、又は、平然と無視したりするような人たちがいて、そうした人たちが英霊のことを口にしながら、他人を糾弾するような行為を見ると、非常に違和感というか、嫌悪感に似たものを感じずにはいられません。

さて、次回はイロケがあった上司とそうでない上司がいた理由などについて、山本七平の分析を紹介していきたいと思います。
ではまた。

【関連記事】
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その2】~現場の兵士が抱いた”やりきれない気持ち”~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その3】~部付(ブツキ)はコジキ~


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「トッツキ」と「イロケ」の世界【その3】~部付(ブツキ)はコジキ~

以前の記事『「トッツキ」と「イロケ」の世界【その2】~現場の兵士が抱いた”やりきれない気持ち”~』の続き。
今回ご紹介する箇所は、山本七平が軍隊内でどのような役職・仕事をこなしていたのかについて記述された部分です。
「トッツキ」と「イロケ」を理解するための「前振り」になります。

私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))
(1983/01)
山本 七平

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(前回の続き)

昭和十九年の九月ごろだったと思う。
部隊長に呼ばれて「別命あるまで、兵器の整備と弾薬の集積に専念するように。同時に今まで通り、住民との折衝も担当するように」といわれたとき、正直なところ背筋がゾクッとした。

これくらいいやな仕事はないからである。

確かに危険も大きかったのだが、その方は案外気にならなかった。
私はその軍隊生活の全期間を通じて、ほぼ「ブツキ」であった。

ブツキとは部付であって、本部付将校とか司令部付将校とかの総称である。

これに対応するものが隊長であって、同じ少尉でも本部付もいれば小隊長もいるわけである。

ブツキはコジキ」という言葉があった。

もちろん誇張はあるが、小隊長が殿様なら部付は確かに乞食ぐらいの位置にいる。
いわば同階級でありながら、その実質的な待遇にあまり大きな懸隔があるから生じた言葉であろう。

将校というのは、外部から見れば肩で風を切って歩いている威勢のよい存在に見える。
確かに、小隊長が自分の部下を率いてどこかに分屯すればお山の大将であろう。

ところがブツキ少尉となればそうはいかない。
第一、部下がいない。

確かに当番兵はいるか、少尉や見習士官の当番兵は、ていよく上役に召し上げられてしまう。
従って「ブツキの靴磨き」という言葉もあった。

当番兵という言葉は、何か将校が非常に贅沢な特権階級であるかのような印象を与えるし、また確かにそういう面もあったが、戦地のブツキに関する限り、だれかが少しでも身のまわりの世話をしてくれないと、本当に倒れてしまうのである。

その生活状態は、風呂も台所もない安アパートに住む、倒産直前の会社の独身のモーレツ社員よりもっとひどいものであった。
第一、戦場は、スイッチをひねれば電気がつき、蛇ロをひねれば水が出て、ガス栓をひねれば飯がたけるわけではないからである。

さらに、部下がいないのに、上役すなわち「偉い人」だけはいくらでもいるのである。

私は何の不運か、実に見習士官のときからブツキであった。

見習士官はいわば見習社員のようなもので、少尉になってはじめて正社員である。
少尉の期間は約一年だから、陸軍少尉といえば、入社後まだ一年たっていない新入社員ということになる。

そしてこの新入社員にとって、下からたたき上げた准尉・曹長という古強者は、確かに扱いにくい存在であった。

彼らはすべて、軍隊経験二十年といったぬし的な存在である。
ちょうど大学出の新入社員が、高商卒の古参社員や、その部課のヌシ的存在である老OLなどに手を焼くのと同じである。

四月号の「諸君!」で、「百人斬り」の野田少尉が、少尉で大隊副官だと知ったとき、私はつくづく彼に同情した。

私自身は、別に部隊本部内の人間関係その他で不満があったのではないが、それでも同期の小隊長たちに羨望の念を禁じ得なかっただけに、この上さらに「兵器の整備、弾薬の集積、住民との折衝」を担当せよといわれると、全くげっそりしてしまうのであった。

一言にしていえば、これは補給の担当ということである。

仲の良かった兵技のS軍曹に、「オレはもう逃亡したいよ」と冗談のように言ったが――内心、必ずしも冗談ではなかった。
それくらいいやな仕事なのである。

しかしだれかがこれをやらねば、もうどうにもならない状態であることも事実だった。

大本営の書類の上では確かに師団砲兵隊であり、砲数は十八門、いわば正規の連隊の半分はあった。
だが人員は三個中隊弱で、後から来るはずの兵員の補充は来ない。

したがって本部の将校はみな一人三役ぐらいになる。
さらに観測機材ゼロ、通信機材ゼロ、輸送手段ゼロ、砲弾の集積ゼロである。

砲兵は「長い槍で敵をつく」といわれていたが、このありさまでは、目と耳と神経系すなわち首を切りとられ、両足を切りとられた胴体だけの死体が、穂先のない槍をにぎってころがっているに等しかった

そういう状態にしておいて、一日も早く戦備を完了せよと、矢の催促なのである。

大本営の想定では、アメリカ軍はまず、バシー海峡の中央にあるバブヤン諸島のカミギン島に上陸して比島と台湾の連絡を断ち、ついでアパリに上陸して飛行場を確保し、ここを沖縄進攻の基地とするであろう、その時期は早ければ十九年末か二十年早々だから、一刻の猶予もならんというわけである。

そして飛行場を使用させるかさせないかは、一に砲兵にかかっている。

砲兵さえ健在で、滑走路に砲弾の雨をふらしている限り、敵の企図は挫折する。
それなのに、砲兵隊は何をぐずぐずしとる、というわけであった。

と言われても何もないから何もできない。
ということはつまるところ、「こうして下さい、ああして下さい」と司令部に陳情しに日参することが私の役目ということになる。
司令部はまだバギオにあり、部隊はアパリの近くである。
フィリピン地図
ゲリラの出没する国道を、車で片道二日かかる。

やっとついて司令部に顔を出せば、ここは「偉い人」だらけの場所である。
参謀部や兵器部の各部屋を、「何しに来やがったんだ」という顔をされながら陳情にまわる一見習士官の姿は、まさに「ブツキは乞食」を絵に描いたようなものだ。

それだけではない。
歯の二、三本を折られずに帰ってこられればもうけもの、というのが実情だった。

「ドロガメ」とか「出歯ガメ」とか「オカメ」という渾名で呼ばれたK少佐という、まるでどこかの国の進歩的映画監督のようにスタッフを撲るので有名な参謀がおり、「将校を撲り倒すのが彼の唯一の趣味」だといわれていたからである。

(次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍(上)/「トッツキ」と「イロケ」の世界/P107~】


軍隊における下級将校の役割・仕事というものが、上記の記述で大まかにわかるのではないでしょうか。

軍隊というのは、「トイレの中でしか一人になれない」といわれますが、部下がほとんどいなくて上司ばかりじゃ確かにうんざりするでしょう。

ましてや、「神がかり」的参謀が暴力的に支配する部隊司令部に、連絡将校として行かなければならないというのは厳しい。

さて、こうした軍隊を舞台にどのような「トッツキ」と「イロケ」が行なわれていたのか。
次回以降、「神がかり」的参謀の実態について、山本七平の記述を紹介して行きます。


【関連記事】
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その2】~現場の兵士が抱いた”やりきれない気持ち”~


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梅花の香りと葉たまねぎ

今日は、いつもの肩肘張った話ではなく、個人的に春だなぁ…と思うキッカケについてつらつらと書いていきますね。

一昨日の日曜日、わが街川越は非常に穏やかな日和でした。
子どもが、インラインスケートしたいというので、近所の公園で滑ったのですが、ちょうど園内の梅が満開でした。
その梅の花のかぐわしいことといったら…。
滑っていると時折、梅の花の香りがただよってきて、あぁ、もう春なんだなぁ…と思いましたよ。

思うのですが、花の香りの中では一番じゃないかと。
バラの香りとか、金木犀の香りとかも好きですが、梅の花の香りが一番気品があって、それでいてやさしい香りのような気がします。

そこでふと思ったのですが、梅の花の香りって、なぜか商品で無いですよね。
再現できない香りなのでしょうか。
いい香りだから、結構需要がありそうだと、素人目には思うのですが。

ただ、それがないからこそ、梅の花の香りは貴重で特別なのかも…。
春にしか味わえないからこそ、自分は梅の花の香りが好きなんだろうなぁ。

話は変わりますが、同じく春がきたなぁ…と思ったのが、最近、スーパーに並び始めた「葉たまねぎ」。
形は長ネギっぽいのですが、葉が非常に柔かく、中のヌメリが多いという春ならではの「食材」です。
葉たまねぎ
↑写真では、長ネギに似てますが、食べてみると、その食感が玉ねぎや長ネギと全然違うんですよ~。

ネットで葉たまねぎを検索すると、ぬたにして酢味噌とあわせていただくのが定番らしいですが、私のお勧めはなんと言ってもキムチです。

エバラのキムチの素とこの葉たまねぎだけで、ちょー美味しいキムチが出来るんです。
(個人的にキムチの具材としては、白菜より合うのではないか…とさえ思います。)
葉たまねぎのキムチ
↑あまり綺麗に撮れてませんが、美味いでっせ!

なので、我が家ではこの時期、作っては食べ、無くなればまた買ってきて作る、という繰り返し。

ちなみに、葉たまねぎ豚キムチも絶品です。
嫁がこのキムチで、豚キムチを作ってくれるのですが、これまた、簡単で非常に美味い。

確か去年もこの時期、葉たまねぎについて記事↓を書いたと思うのですが、この食材を見ると、個人的に春が来たなぁ…と思うのですよ。

・春の味覚/葉たまねぎのキムチを味わう

あと、ふきのとうを薬味にしてうどんを食べた時も、春を感じましたね。

そう言えば、もうそろそろ、潮干狩りの季節ですし、今年も木更津海岸あたりへ潮干狩りに行って、アサリ尽くしといこうかな…なんて、妄想中。

あれれ、なんだか、単なる食いしん坊のグルメ話で終わってしまいました(笑)。


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「トッツキ」と「イロケ」の世界【その2】~現場の兵士が抱いた”やりきれない気持ち”~

前回の記事『「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~』の続き。

今回は、フィリピンの戦犯容疑者収容所にいた兵士たちが、東條英機首相について何を話していたのか、その背景にはどのような感情があったのかについて、「私の中の日本軍」からご紹介して行きます。

私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))
(1983/01)
山本 七平

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前回の続き)

戦犯容疑者収容所では、同じく戦犯ということで、内地のA級戦犯のことがよく話題になった。

どこで手に入れたのか、ライフに載った東条以下の写真などが回覧されたりした。
東条のヤロー、飯を残して煙草を吸ってやがる」というのが、皆の憤慨のタネであった。

というのは、われわれは目の玉が映るというので「メダマがゆ」といわれた水のような雑炊、三食で一日九百カロリー、「絶対安静の無念無想でないと消耗しますぞ」と軍医たちが冗談のように言った食事で、骨と皮の体をやっと保持しており、煙草の配給は皆無だったからである。

写真を見ながら「チクショー、太ってやがる」とか「A級は全員死刑だろうな」などと話しあっていたとき、だれかが不意に「俺が裁判長なら全員無罪にしてやる」と言った。「エッ」といって皆がその方を見ると、彼はすぐ「ただし、全員松沢病院(註1)にタタキ込んでやる、あいつらはみんな気違いだ」と言った。

(註1)…東京都立の精神科病院(wiki参照)。

だがこういう言葉は、戦争中は軍のお先棒をかつぎ、戦後一転して軍を罵倒しはじめた人たちの言葉とは別である

そこにいる人間はみな、累々たる餓死死体の山から、かろうじて生きて出て来た人びとであった。

彼の言葉の背後には、補給なしで放り出されて餓死した何十万という人間が、本当に存在していたのである。

そしてそこには、肉親を肉親の気違いに殺された者がもつような、一種の、何ともいえぬやりきれなさがあった。

(次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍(上)/「トッツキ」と「イロケ」の世界/P106~】


肉親を肉親の気違いに殺された者がもつような何ともいえぬ”やりきれなさ”というのは、当事者でないとなかなか感じ取ることは出来なさそうですね。

われわれ後世の人間は、戦犯として連合軍に裁かれた人たちを、単純に戦争の「犠牲者」として捉えがち(右派の見方の多くはこれ)ですが、そうした捉え方はあまりにも一面的過ぎであると言ってよいでしょう。

戦勝国が東條英機A級戦犯を裁いてしまったため、日本人自ら彼らを裁く機会が与えられませんでした。

このことが、われわれ自らが、先の大戦に至った原因について深く追及することを妨げているような気がしてなりません。

その結果、”戦勝国の視点”で同胞の日本人を批判することを当然と思う「自虐史観」がはびこったり、それへの反発で逆に日本は悪くなかったと主張する「誇大妄想史観」が支持されたりしているのではないでしょうか。

フィリピンの戦野から命からがら生き残った兵士達の”やりきれない気持ち”に思いをいたすことは、そうした状態から解放される「一助」になるのではないかと私は考えています。

それはさておき、仮に戦勝国が裁判を行なわなかったら、果たして日本人自ら、彼らを裁くことが出来たでしょうか?

山本七平が、戦犯容疑者収容所における将官収容所(ジェネラル・コンパウンド)での閣下同士の”仲間ぼめ”や”出家隠遁”状態を、「一下級将校の見た帝国陸軍」にて記していますが、こうした一種の”相互無責任状態”を鑑みると、日本人自ら裁くことが出来たかどうか、ちょっと疑問に思いますね。

徹底的に突き詰めて考えず、仲間の和を優先する。
それに、責任の転嫁先という誘惑は幾つもある。
天皇が悪い、大本営が悪い、マスコミが悪い…etc。

和を尊ぶことは、日本人の美点なのかもしれませんが、こうした場合、一転して欠点になる。

自らの手で裁くことができなかったことは、こうした問題をも隠してしまった。
これも、本来、われわれ自身問わねばならないことのはずなのですが…。

「反省力なきこと」の原因は、ここにもあるような気がしてなりません。

さて、次回から、いよいよ本題の「トッツキ」と「イロケ」について、山本七平の筆が進んでいきます。
ではまた。

【関連記事】
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~


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「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~

前回まで「日本軍の実態」がいかなるものであったか、主に岸田秀の記述を紹介してまいりました。
今回以降は、山本七平の「私の中の日本軍(上)」から、インパール作戦を例に挙げながら日本軍の実態と、その世界を作り上げた「トッツキとイロケ」に関する記述を紹介していきたいと思います。

私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))
(1983/01)
山本 七平

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■「トッツキ」と「イロケ」の世界

横井さん(註1)が興奮して、思わず「一人斬り」を口走ったときの報道と解説によると、横井さんの手元に「お前なんぞは炊事番で後方にいたくせに……」といった手紙が山積し、それを読んで思わずカッとなって、「俺だって白兵戦をやったんだ」という意味のことを口走ったのであろう、ということであった。

(註1)…元日本兵。太平洋戦争終結から28年目、グアム島で地元の猟師に発見された(wiki参照)。

もっともこの解説が正しいかどうかはわからない。
一見正しそうに見える解説ぐらい危いものはないからである。

しかし、横井さんのところに、こういった種類の手紙が来たことは事実であろう。

私はこれを読み、憂鬱になった。

戦後もう三十年近くたち、戦争に対してさまざまの面での反省も批判もなされたはずなのに、まだこういった手紙が来るのであろうか。

こうしてみると、日本軍のもっていたあの病根とも宿痾とも病的体質とも先天的奇形ともいいたいあの体質がまだ残っているのか、いや、これは単に旧軍人に残っているだけでなく、もっと根の深い民族的体質なのではないか、といった感じである。

これは私にとっても実にいやな思い出だからである。

炊事番への蔑視は、大きく考えれば補給の、および後方業務への軽視、同時にそれに従事する者への蔑視である。

輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ・トンボも鳥のうち」とか「輜重輸卒が兵隊ならば、電信柱に花が咲く」といった嘲歌が平然と口にされた日露戦争時代から太平洋戦争が終るまで、一貫して、日本の軍人には補給という概念が皆無だったとしか思えない

確かに百人斬り」が戦争の実態として通る世界には、補給という概念が入る余地はない

このことは大きく見れば、戦後有名になったインパール作戦(註2)における牟田口司令官小畑参謀長の対立にも関係する。

(註2)…インパール作戦とは、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され6月末まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。 補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、歴史的敗北を喫し、日本陸軍瓦解の発端となった(wiki参照)。

輜重出身で補給の権威といわれた小畑参謀長はあくまでインパール作戦に反対する。
これに対して牟田口司令官小畑参謀長を罷免しても作戦を強行する。

事実かどうか知らぬが、これに対して小畑参謀長は「神がかりの司令官の下では云々」の一言を残して去ったという。
これを関いて歩兵出身の牟田口司令官が何と言ったか知らないが、おそらく腹の中では「フン、輜重あがりの腰抜けめ……」と呟いたであろう。

こう書いて来ると牟田口司令官が異常な人間のように見えるが、私の知る限りでは、当時は、いやおそらく今も牟田口司令官のような型が普通で、小畑参謀長のような人は例外だったのである。

日本人でなければ、読んだ瞬間に「物理的に不可能」と感じられる「百人斬り」が事実で通り、これを報ずることが大いに意義ありと信じられ、それを否定する者が常に「非国民」にされる世界とは、いわば「神がかり」が主導権を握る世界であり、それはまた「物理的に不可能」なインパール作戦が「事実」になってしまう世界であり、同時に必ず小畑参謀長が排除される世界であり、またそれは、後方にいるかまたは後方にいると目されている者が、心理的に排除されまいとして、いわば無視されまいとして、異常な興奮とともに「一人斬り」やら「百人斬り」やらをしゃべり出す世界である。

――横井さんは炊事番、野田少尉は大隊副官で軍隊の渾名は「当番長」、向井少尉は歩兵砲小隊長、いずれも白兵戦には無関係の人、すなわち後方にいるか、後方にいると目されている人たちである。

この「神がかり」に対する態度は四つしかない。

「長いものには巻かれろ」でそれに同調し、自分もそれらしきことをしゃべり出すか、小畑参謀長のように排除されるか、私の部隊長のように「バカ参謀め」といって最後まで抵抗するか、私の親しかった兵器廠の老准尉のように「大本営の気違いども」といって諦めるかである。

「バカ参謀」とか「大本営の気違いども」とかいっても、これは単なる悪口ではない。

事実、補給の権威者から見て、インパール作戦を強行しようとする者が「神がかり」に見えるなら、補給の実務に携わっている者から見れば、大本営自体が集団発狂したとしか思えないのが当然である。

彼らの気違いぶりを示す例ならありすぎるほどあるし、またあるのが当然である。

何しろ、狂人でないにしろ「神がかり」が正常視されてその意見が通り、常識が狂人扱い乃至は非常識扱いされているのだから、そうでなければ不思議である。

それがどういう結果を招来したか
悲劇はインパールだけではない。

次はそのほんの一例にすぎぬが、たとえば『聖書と軍刀』の著者、大盛堂社長舩坂弘氏は「福音手帖」という雑誌の対談で次のように言っておられる。

「私の(行った)島は……アンガウルという小さな島でした。そこに初めは日本兵が千三百人いたんですが、食糧も水もなくて、結局ニカ月で百五十人ぐらいしか生き残れなかったんです」

「どうしていたんですか」

「一ヶ月も水や食糧がありませんから、水のかわりになるのは……小便ぐらいのものだったんですが、しまいにそれも出なくなりました。食物はカエルやヘビをつかまえて食べました」。


牟田口司令官が「神がかり」なら、この作戦を強行したものは「狂人」としかいえない。

従ってこういう状態におかれた者が前線から逆に大本営の方を見れば、そこにいるのは「気違いだ」としかいいようがないのである。

実情は、すべてがアンガウル島であった

ニューギニアやフィリピンの戦死者を克明に調べてみればよい。
「戦死」とされているが実は「餓死」なのである

もちろん餓死者は死の少し前に必ず余病を併発するから、さまざまな病名をつけることが可能であろうが、実際は餓死なのである。

アンガウル島では千三百名の九割が餓死で、残る一割が戦死、舩坂氏は奇跡的な生還者だが、ルソン島の「餓死率」もこれに近いのではないかと思う。

従って「大本営の気違いども」といった言葉は、戦後のいわゆる軍部批判と同じではない

彼らがこれを口にしたのは戦争中であり、時には激戦のさなかであって、そこには非常に強い実感の裏打ちがあり、同時に気違いに殺される者に似た諦めがあったのである。

(次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍(上)/「トッツキ」と「イロケ」の世界/P103~】


今回この記述を紹介する動機となったのは、皆様ももうご存知のとおり、ブログ「ねずきちのひとりごと」でインパール作戦を賞賛した記事を読んだことがキッカケでした。

もちろん、ねずきち氏が主張するようにインパール作戦の意図自体は、(後付けとはいえ)インド独立という「崇高な目的」だったかもしれない。
しかし、それはインパール作戦を強行した人間の責任を免罪にはしないのです。
それは、却って責任の所在を不明にする役割しか果たさないのです。

そもそも、単なる「神がかり」状態の人間を、聖人の如く評価することは、まるで「過ちを正しい」と言いくるめるようなものです。

日本人としての誇りを取り戻したい…というねずきち氏の意図はわからなくもありませんが、美談化という「自慰」してまで取り戻さねばならないのでしょうか?

そんなことをせずとも、日本には十分誇りうる歴史があるのに…。

捏造の歴史によって得られるプライドは、薄っぺらい底の浅いものに過ぎません。

自己欺瞞・自己正当化という自慰的「捏造」の歴史を基に誇るのであれば、それはねずきち氏らが忌み嫌う朝鮮人と一体何が違うのでしょう。

ねずきち氏の当該記事のコメント欄で、私のコメントに逆上し、罵詈讒謗を加えてきた人たちの行動は、まさに捏造された歴史を誇る朝鮮人のそれに等しい。

捏造された歴史を吹聴することは、空っぽで虚勢ばかり張るような人間を生み出すばかりです。

それどころか、本来学ぶべきはずの歴史の教訓すら消してしまう。
こんなことで果たして地下の英霊は喜ぶでしょうか?

こう考えてみると、自虐史観はもってのほかですが、自慰史観もそれに劣らない害悪をまき散らすのだな…と今回つくづく感じました。

歴史はありのまま見るという姿勢を貫くことは非常に難しいですが、その姿勢を取り続けようとすることが大切ですね。なかなか大変なことではありますが…。

さて、次回は戦犯容疑者収容所にいた日本兵は、大本営をどのように見ていたのかという箇所の記述について紹介していきます。
ではまた。


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日本軍の実態【その3】~「気休め」としての勇気フェティシズム~

前回の記事「日本軍の実態【その2】~「死を恐れぬ勇気」で勝とうとした日本人~【追記あり】」の続き。

今回は、日本軍が示した「勇気」とは一体なんだったのだろうか?ということについて、岸田秀の分析を紹介して行きます。

日本がアメリカを赦す日日本がアメリカを赦す日
(2001/02)
岸田 秀

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前回の続き)

真珠湾奇襲のときに五隻の特殊潜航艇が出撃しましたが、これがほとんど生還を期し難いことは初めからわかっていました。

実際、四隻は沈み、一隻が浜に乗り上げてその乗員の一人が日本兵の捕虜第一号になりました。
戦死した九名は軍神とされ、戦争中、その写真が、天皇・皇后両陛下の写真とともに、多くの家に飾られていました。

特殊潜航艇の出撃は、戦術的効果を期待してのことではなく、開戦の劈頭(へきとう)に自ら死を覚悟して出撃した勇士を範として示し、全軍兵士に、ひいては全国民に同様な覚悟を迫るという精神的効果をねらってのことだったと思われます。

真珠湾奇襲の日本軍戦死者五十五名のうち、特殊潜航艇の九名だけが軍神として祭られたのは、そういうわけなのです。

一九四四年秋、大西滝治郎海軍中将の発案で始められた、世界の戦史に例のない神風特攻隊も同じ趣旨のものでしょう。

特攻機は、初めのうちこそ敵の意表を突いていくらか戦果を挙げたようですが、アメリカ軍は護衛機を増やし、弾幕を密にするなどの対策をただちに講じたので、そのあとはほとんどがむなしく海面に突っ込むだけになったようです。

「一機をもって一艦を屠(ほふ)る」と怒号していましたが、結局、四千機ほど出撃して、敵艦まで達した言わば命中率は、五%以下だったそうです。

特攻隊も、日本兵の死を恐れぬ勇気を誇示するという精神的効果をねらってのことだったことは明らかです。

現実的効果が問題なら、特攻隊員に想像を絶する苦しみを強いるだけで、敵に打撃を与える効果はほとんどないことはわかっていたのですから、中止したはずです。

しかし、戦局がますます不利となっていた当時、その精神的効果がますます必要になっていたのです。

精神的効果とは、言い換えれば、気休めのことですが、人々は、これほど死をものともしない勇気を示せば、必ずや戦局は逆転すると、心のどこかで信じていました

このようなとんでもない作戦に対して、ほかの国なら当然起こるであろう反対が日本国民には起こらなかったのは、「死を恐れぬ勇気」があれば勝てるという、この作戦の前提となっている観念を、軍部のみならず広く国民一般も信じていたからでしょう。

どれほど現実と矛盾していても、現実に裏切られても堅持される観念を妄想と呼びますが、この観念は、まさに妄想の域に達していました

これを信じるしか、屈辱状態を解消し、誇りを回復する道はないと見えていたので、この観念を捨てるわけにはいかなかったのだと思われます。

これほどまでに、近代日本人の屈辱感は深かったのです。

日本軍が、日米戦争において、最終的に敗北したにとどまらず、個々の戦闘でも惨敗したのは、何度も繰り返しますが、「死を恐れぬ勇気」で勝とうとした、勝てると思っていたことが原因です。

戦争に勝つためには、何よりも補給や情報が不可欠に重要ですが、日本軍が、「輜重兵が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」と歌って、軍需物資の輸送を任務とする輜重兵を馬鹿にしたり、敵の軍艦ばかりを狙って輸送船を見逃したり、暗号を解読されていても気づかず使いつづけたりなど、補給や情報を軽視したのも、一連のことです。

「死を恐れぬ勇気」さえあれば、他のことは大して重要ではないと、心のどこかで信じていたからです。

何よりも悲惨だったのは、もともと不可能な「死を恐れぬ勇気」を強要された日本兵たちでした。

どこの国の兵士だって、苛酷な状況におかれ、生命の危険に晒される点では同じで、多かれ少なかれ悲惨ですが、不可能なことを強要されるというようなひどい目に遭わされたのは、日本兵だけでした。

しかも、日本兵はそれを名誉と思わねばならなかったのでした。

特攻作戦にもっとも典型的に示されていますが、日米戦争を、日本は、現実的次元での自衛のためとか、国益のためとか、アジア民族の解放のためとかをめざして戦ったのではなくひとえに空想的次元で日本の誇りを守る、または回復するために戦ったのです。

日本軍の戦い方がそのことを証明しています

日本軍は統一的戦略を欠き、支離滅裂で馬鹿げたことばかりやっていたとしばしば非難されます。
日本軍が何らかの現実的目的のために依っていたとの前提に立ち、その観点から考察すれば、まさにその通りです。

しかし、誇りのために戦っていたという観点から見れば、日米戦争中の日本軍の作戦行動は、支離滅裂どころではなく、真珠湾奇襲から第一次ソロモン海戦〔一九四二年八月、三川艦隊が護衛の米巡洋艦四隻を撃沈しながら、肝心の輸送船団を見逃した海戦〕、太平洋の島々での玉砕、神風特攻隊を経て戦艦大和の特攻出撃に至るまで実に首尾一貫していたことがわかります。

日本兵が懸命に必死に戦ったことは事実です。

そのため、個々の戦闘局面で異常な強さを発揮するということはありました。
しかし、基本的に現実的次元から浮き上がっていましたから、個々の局面での強さ、勇敢さは、全体的戦略のなかでは生かされず、払った犠牲の割には効果が薄いのでした。

もちろん、勇気というものは必要不可欠であって、もし日本兵が初めからまったく勇気を欠いていたとしたら、日清戦争に敗れ、そのあと日露戦争など始められるわけはなく、始めたとしてもすぐ敗れ、近代日本は、欧米諸国に侮られ、いつまでもそのみじめな植民地にとどまっていたでしょうが、近代日本の誤りは、勇気をあまりにも妄想的に重視し過ぎたことです。

勇気というものは、本来、戦果をあげるための手段ですが、その手段が目的と化し、不必要な場合でも、いやそれどころか、勇敢であれば、敵に損害を与えないだけでなく、ただただ味方の損害を増やすことにしかならない場合でもやたらと強迫的に勇敢でなければならないのでした。

つまり、日本軍は、言わば勇気フェティシズムに陥って、そのためにかえって作戦の失敗を招いたのでした。

このように、アメリカに押しつけられた近代日本の屈辱的状態を、日本兵の万邦無比の勇気を拠りどころとして軍事的にアメリカに勝つことによって解消しようとした野心的企ては、これほど日本国民が一つの目的のために一致団結することはもう永遠にないだろうと思われるほどに猛烈にがんばったにもかかわらず、ただ一点において誤ったために、すなわち、おのれの力についての誇大妄想的過大評価に陥り、現実とずれてしまったために不可避的に挫折しました

(後略~)

【引用元:日本がアメリカを赦す日/屈辱感の抑圧のための二つの自己欺瞞/P48~】


上記の岸田秀の分析を読むと、結局のところ、日本軍が示した勇気というのは”気休めのための”勇気に過ぎなかったのだな…と思わざるを得ません。

山本七平が、「私の中の日本軍」の中で「日本の軍人は、日本軍なるものの実状を、本当に見る勇気がなかった。(註)」と指摘していますが”日本軍の勇敢さ”とは、自らを見る勇気がなかった「臆病者の勇気」でしかなかったのではないか…と私は考えます。

(註)…拙記事「残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~」参照のこと。

だからひたすら”強迫観念的”に勇敢であらねばならない。
そして、それに異を唱える者はその「気休め」の邪魔をする者だから、「非国民の敗北主義者」と罵り、排除せざるを得ない。

その結果、その勇気がアメリカ軍に通用するという一方的な思い込みの下、「戦いに勝つ」という”本来の目的”がないがしろにされ、いたずらに自軍の兵士を犠牲にするだけに終りました。

そうした過去の現実を見つめ、反省する。
それこそが、「本当の勇気」ではないでしょうか。

そうした事実から目を背け、ただ単に「日本軍の勇敢さ」を賞賛し、美談化する。
そして、日本軍の欠点を指摘されれば、まるで名誉でも毀損されたように受け取り、そう指摘した人間を「バカタレ」と罵り、相手の口を封じるような人間こそ、自らを見る勇気を持たない”臆病者”に過ぎないとしか私には思えないのですが…。

まさにこれこそ「反省力無きこと」の見本と言えるのではないでしょうか。

岸田秀の紹介はこれでオシマイにして、次回以降は、山本七平の「私の中の日本軍」から「トッツキとイロケの世界」について紹介していきたいと思います。
ではまた。


【関連記事】
・日本軍の実態【その1】~無能な司令や参謀が続出した日本軍~
・日本軍の実態【その2】~「死を恐れぬ勇気」で勝とうとした日本人~【追記あり】
・残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~


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