一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

洗脳された日本原住民【その5】~宣撫の基本型その2/分割統治~

前回の記事『洗脳された日本原住民【その4】~宣撫の基本型その1/対話形式の一方的命令~』の続き。

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山本 七平

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前回の続き)

結局占領軍の原則とは「占領軍に有利」ということだけであるから、たとえ原則らしいことをロにしても、それが自己に不利ならば、平然と自分の原則を自分で破る

たとえば経済力の集中は排除する、独占は許さんと言っても、軍の移動に必要ならば当時独占企業であった日本通運はそのままにしておく
戦時中の独占的書籍雑誌配給企業である日配(日本出版配給株式会社)は解体しておきながら、単行本の配給機関などとは比較にならぬほど大きな影響力をもつNHKや大新聞は解体せず、自己の宣撫工作のためそのままにしておく

さらに、非武装の新憲法を称揚したかと思えば、東洋のスイスであれと言ってみたり、そうかと思うと警察予備隊をつくれといったり、満州爆撃を主張したり、蒋介石を訪問したり、一見全く無原則である。

しかし「占領軍のために有利」という点から見ると、彼らは、否われわれも同じだったが、それだけが絶対の原則であり、そこでどのような手段を使っても絶対に避けようとすることは、占領軍が徹底的に不利な立場に立たされることである。

そしてその最たるものは占領地のあらゆる不平不満が占領軍に集中して来て、ついには爆発して、両者の正面衝突となり、収拾がつかなくなることである。

ひとたびこれが起れば、アメリカにおけるマックの声望は一瞬にして急落する。
しかしどの社会にも不平不満や利害の衝突は必ずある。

そこで宣撫班は、不平不満はいかなる場合も「原住民の当局に向うよう」誘導しなければならず、また「原住民の政争その他の争いに直接介入してはならないのである。

こうすれば、自分は矢面に立たないですみ、あらゆる不平不満は原住民の政府に向うだけでなく、これは一種の分割統治となるから原住民が結束して占領軍に刃向う心配がなくなるわけである。

従って占領軍はたえず原住民の分裂を策し、また常に野党の立場に立って、原住民を原住民政府に向わせ、そのエネルギーを自己に集中させないようにする。

これは宣撫工作の原則の二である。

実際、このように見てくると、吉田自民党政府へのデモぐらい滑稽なものはあるまい。
これはまさに茶番劇である。

デモを仕掛ける相手があるとすればマック司令部のはずである。
ところが、マックの乗用車がデモ隊に囲まれたといった事件は、ただの一回も起っていない。
事実マックは常に高みの見物だが、占領事は常にそういう行き方をするものであろう。

それはおそらく私でも同じて、比島に米軍が来攻せず、長期占領の不満が爆発した場合、もしそれが占領軍に向わずに、デモ隊がマラカニヤン(大統領府)でも包囲したときけば、おそらくほっとして、見物していたであろう。

だが実際には真に批判さるべきことは日本軍にあった如くに、マック司令部にも批判さるべき多くのことがあった。

スキャピタリスト」という言葉は私が比島の収容所にいる間にすでにあったように思う。

この言葉にはいろいろな意味があったであろうが「スキャップ(連合軍最高司令官)の奴ら」という蔑称もあったと思う。
ついにその醜状をGHQの一女性(?)がニューヨーク・タイムズ(?)に投書した。
正確に憶えていないが、その切抜きを入れた「お国の新聞でも問題になっているでしょうが……」という手紙をある人からもらって、はじめて知ったわけである。

先方はもちろん「日本で問題となっていると思うが、アメリカの新聞も看過しているわけではない」という意味で送って来たのであろう。
これはもちろん日本が民主化されたと信じている善良な一米人の誤解で「当時の新聞=宣撫班文書」にそんなものが載るわけはなかった。

それどころかスキャピタリスト」という言葉の存在すら、だれも知らなかった

そのように宣撫とは、常に本当の問題を隠して、民衆の目を別方向に向けさせるよう、あらゆる情報を統制した上で、あらゆる誘導を行うのである。

(次回へ続く)

【引用元:ある異常体験者の偏見/洗脳された日本原住民/P230~】


しかしまぁ、上記の山本七平の指摘を読むと、マッカーサーってのは実にいい加減な事ばかり言っていたものですなぁ。
そういえば岸田秀も著書「日本がアメリカを赦す日」の中で、マッカーサーの「東洋のスイスたれ」という発言や「新憲法の不戦条項は幣原喜重郎首相が申し出てきたもので、氏の熱意に感激した」という発言を取り上げてウソつきだと指摘していました。これについては過去記事↓で紹介してますので参照されたし。

◆平和主義の欺瞞【その4】~押しつけられた平和主義は平和の敵~

けれども、「占領軍に有利」という原則からみれば、彼の態度は一貫していたわけです。
こんなマッカーサーの発言を真に受けて、彼のやったことが「日本のためだった」と思うなら、占領ボケもいいところでしょう。

それはさておき、宣撫工作の原則2である「分割統治」を大辞林で調べてみました。

■ぶんかつ-とうち【分割統治】
支配者が被支配者の民族・宗教・利害などの相違対立を利用して相互に分立させ、統一的反対勢力の形成を困難にして支配の安定をはかる方法。


要するに英仏が植民地を支配するのに使ったやり方ですね。
おかげで植民地支配を受けた国々では、いまだにこれが原因で紛争が絶えない。

マッカーサーはそれと同じ構図を、戦後日本に植えつけた。
その結果、日本の野党というものは、反政府ではなく「反国家的」性格を帯びることになったわけです。
山本七平はこの問題を別のコラムでも取り上げていますが、過去記事↓で紹介済みですので参照されたし。

◆なぜ日本の野党は「反国家」なのか?~占領軍の検閲が残した影響とは~

今の日本の悲惨な政治状況を見ていると、マッカーサーが植えつけた種が、戦後60年以上経って民主党政権として開花してしまったのかもしれない…と思わざるを得ません。

そう考えると、日本というのは、いまだマック体制のくびきからの脱却が出来ていない感が否めませんね。

ところで、まったくの余談ですが、「スキャピタリスト」という単語をグーグルで完全一致という条件で調べてみたところ、驚いた事に1件しかヒットしませんでした。
それも山本七平の言葉を引用したHPだけでした。

この事実こそ、いかに宣撫工作が上手くいったか、を如実に示しているのではないでしょうか。

さて、次回も宣撫工作の解説部分を紹介してまいります。
ではまた。

【関連記事】
◆洗脳された日本原住民【その1】~宣撫工作に利用された「日本国憲法」~
◆洗脳された日本原住民【その2】~日本人がフィリピン人のように見えた理由とは~
◆洗脳された日本原住民【その3】~プレスコードの下で「自由」に動く猿回しの猿だった日本人~
◆洗脳された日本原住民【その4】~宣撫の基本型その1/対話形式の一方的命令~
◆なぜ日本の野党は「反国家」なのか?~占領軍の検閲が残した影響とは~
◆平和主義の欺瞞【その4】~押しつけられた平和主義は平和の敵~

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洗脳された日本原住民【その4】~宣撫の基本型その1/対話形式の一方的命令~

前回の記事『洗脳された日本原住民【その3】~プレスコードの下で「自由」に動く猿回しの猿だった日本人~』の続き。

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前回の続き)

「占領統治・宣撫工作」の基本図式は、日本軍がやろうと米軍がやろうと同じことである。

まず「民衆はわれわれの敵ではない」と宣言する。
何しろ「一億玉砕」とか「徹底抗戦」とかいうスローガンを掲げて、竹槍まで持ち出していたのだから、どんな復讐をうけるかと思っていたところに、こういわれるとホッとする。

一方占領軍は民衆の散発的抵抗という、最もいやな問題に直面しないですむ
そこで「占領軍は民衆の味方であり保護者である」と宣言する。

ついで「お前たちをこのように苦しめた一握りの軍国圭義者はわれわれの手で処罰する」という。
今の新聞人の中にも、軍報道班員として南方に行き、ちょっと表現を加えればこれと全く同じことを「原住民」に言っていた人がいるはずである。

このヴェテランたちが今度は「占領地日本の原住民」に同じことを言っている――これが「日本人がみんなフィリピン人に見えた」理由であろう。

そしてこの宣撫班的体質は、おそらく昭和五年か十年ぐらいから延々とつづいているのであろうから一朝一夕になくなるはずはない。

従ってその後輩である本多氏や新井氏(註)に「一握りの軍国者……」とか「民衆と帝国主義者を分けることを知っている」とかいう宣撫用語が生のまま出て来ても、驚くにはあたらない。
(註)…本多氏とは本多勝一(wiki参照)、新井氏とは毎日新聞論説委員だった新井宝雄氏のこと。

だが、この問題で他人ばかり批判するのはいささか片手落ちであろう。
というのは私自身この言葉をロにしたからである。

私は宣撫班員ではないが、比島は本間司令官以来「一人一人が宣撫班員であれ」という最高方針があり、また対住民折衡のいわば「渉外係」として原住民と接触するという立場になると、否応なしにこういう姿勢にならざるを得なくなるのである。

従ってこの行き方は軍政なるものに必然的に付随するようにも思う。
第一「お前は敵ではない」と宣言しなければ「対話」はできない。

では敵でないなら、なぜこの国へ侵入してきたのかとか、なぜわれわれに干渉するのか、となると

それは、百年にわたり東亜を侵略した米英帝国主義者からアジアを解放するためで、従ってお前は私の味方であって、米帝国主義者や一握りのその手先は日比共同の敵である。従ってその敵と戦うためお前たちの協力を求める

という言い方しか出来なくなるのである。

相手はその言葉をどこまで本気で聞いたかわからないが、一応「うけたまわって」おけば、何しろ敵ではないと言われたのだから、自分が安全なことは確かである。
何しろ相手は武器をもっているから反論はできない

そして本当の反論は、武器には武器という形になるであろう。

従ってこれは対話のように見えるが、実はきわめて一方的な宣言にすぎず、「占領軍の命令指示に従え、そうすれば生命財産は保証する。ただし敵対するなら射殺するぞ」という一方的な命令を、「対話」の形式でいっているにすぎないのである。

これが宣撫なるものの基本型であり、以上の台詞がその原則の一である。

この点ではマックもマック宣撫班もまたある面では北京も同じで、その差は私という一個人が口で言った原則を、新聞・放送を通じて複雑な表現で言っただけであり、達うのはただ伝達の手段と表現だけであって、伝達する内容は結局は同じことにすぎない。

そしてそうするのは、それが占領軍にとって有利だからだ、という理由だけである。

(次回へ続く)

【引用元:ある異常体験者の偏見/洗脳された日本原住民/P228~】


日本人はとにかく「対話」が好きですから、敗戦のショックを和らげるというかごまかすというか一種のストックホルム症候群(註)のように、占領軍の一方的命令(対話)を受け入れたのではないでしょうか。

(註)…ストックホルム症候群については下記拙記事↓参照されたし。
◆「自己欺瞞」と「精神分裂病/ストックホルム症候群」
◆平和主義の欺瞞【その1】~日本人の平和主義は「強姦された女の論理」~


アメリカ軍の占領が上手くいった背景には、日本人の対話至上主義というモノが作用していたのではないか…なんてちょっと思ってしまいますねぇ。

さて、次回は宣撫の基本型その2、分割統治について書かれた箇所をご紹介していきます。ではまた。

【関連記事】
◆洗脳された日本原住民【その1】~宣撫工作に利用された「日本国憲法」~
◆洗脳された日本原住民【その2】~日本人がフィリピン人のように見えた理由とは~
◆洗脳された日本原住民【その3】~プレスコードの下で「自由」に動く猿回しの猿だった日本人~


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洗脳された日本原住民【その3】~プレスコードの下で「自由」に動く猿回しの猿だった日本人~

前回の記事『洗脳された日本原住民【その2】~日本人がフィリピン人のように見えた理由とは~』の続き。

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前回の続き)

この方法を言語論から見て行くと非常に興味深い。
パウル=ロナイ教授が『バベルヘの挑戦』の中で、言葉には「伝達能力」があると同時に「隠蔽能力」があることを指摘している。

あることを知らせないために百万言を語るこれも宣撫工作の原則の一つだが)という最近の一例をあげれば「林彪事件(wiki参照)」の報道であろう。

すなわち「林彪事件の真相」を知らせないために多くの報道がなされた。

これは少しも珍しいことでなく、戦争中もプレスコード時代も絶えず行われていたことで、現在では外電との対比が可能で外国の新聞も買えるから、その報道の真実性に人びとが疑問をもつだけで、情報源を限定してしまえば、「報道することによって、事実を隠蔽する」ことは、実に簡単にできるのである。

従って情報の根元を統一して一定の枠を設け、その中で「言論」を自由にしておくということは、プレスコードというマックの網とタイコの下で「自由」に動いている猿まわしの猿と同じ状態にすぎないわけである。

占領下の言論統制やプレスコードの実態は不思議なほど一般に知られていない

マスコミ関係者はこの問題をとりあげると、必ず、例外的な犠牲者を表面に立て、自分はその陰にかくれて、自分たちは被害者であったという顔をする

それは虚偽である

本当の被害者は、弾圧されてつぶされた者である。

存続し営業し、かつ宣撫班の役割を演じたのみならず、それによって逆に事業を拡張した者は、軍部と結託した戦時利得者でありかつ戦後利得者であって、「虚報」戦意高揚記事という恐るべき害毒をまき散らし、語ることによって隠蔽するという言葉の機能を百パーセント駆使して「戦争の実態」を隠蔽し、正しい情報は何一つ提供せず、国民にすべてを誤認させたという点では、軍部と同様の、また時にはそれ以上の加害者である

占領下の言論統制やプレスコードという問題になると、この点の究明は避けるわけにはいかないが、細かい点は別の機会に譲るとして、多くの出版人が言ったように「プレスコードのしめつけは東条時代よりひどかった」のは事実であろう。

この点、内務省や軍部の統制には、表むきは実にきつく、つまらぬことまでうるさく干渉するくせに、どこか幼稚なところがあった。
××は×××である」で本が出せた時代などは、ソヴィエトや中国の言論統制と比較すれば、幼稚を通り越した間抜けであろう。

戦時中は非常にきびしくなったとはいえ、やはり、こういった間抜けがあった。
戦前の伝説的ベストセラー『小島の春』の出版社故長崎次郎氏からは、いろいろな教えをうけたが、以上の点で非常に面白い話をきいた。

戦争中『小島の春』は実質的には発禁であった。
再版したくても紙を配給してくれないので出版できない。
今この本を読んても、軍部がなぜこの本を発禁にしたか、だれにも理解できないであろう。
どこを探しても軍部批判も戦争非難もあるわけではない。

従って一種の感情的な「毛嫌い」とでもいう以外にないが、当時日赤の名誉総裁であった貞明皇后がこの本の愛読者で、「何とか再版できぬか」といろいろと骨を折られたが、それでも軍部が頑として拒否し、紙を配給せず、従ってどうしても出版できない。

軍部にも戦争にも直接には何の関係もない愛生園(癩病院)の一ルポにも、これほど神経質なのだから、当時のマスコミが、軍部の一顰一笑にまで神経質に迎合しただけでなく、その結論をわれ勝ちに先取りして競争して掲載したとしても不思議ではない。

しかしこれだけ統制しながら、抜けた点もある。
というのは、『小島の春』は少部数だが再版できたのである。

それは当時の岩波書店の支配人堤常氏が、手持ちの統制外の和紙を長崎書店にまわしたからである。
これは一つの美談であろう。

しかしその背後にあるものは、軍部に迎合すれば多量の紙を配給されて大出版社たり得、軍部ににらまれれば紙の配給をとめられて実質的に廃業に追いこまれて行くという当時の実態である。

マックの統制はこれとは型が違ったらしい。
神経症的な毛嫌いはなく、かつ枠は一見大きいように見えたが、占領政策に障害ありと認めたものは、即座に出版を停止させ、抜け道は一切なかった

野呂栄太郎全集』の中断は、それが理由だときいた。
たかだか二千部三千部という、部数という面から見ればほとんど影響はあるまいと思われるものにまで直接的統制が及んだということは、新聞・放送は徹底的に統制されていた証拠といえるであろう。

そしてこの、日本的な抜け道がないということが、「東条時代よりきつい」という印象の原因であろうと思う。
事実マックは、「私信」すら遠慮なく組織的に開封して点検した

こういうことは、戦争中の軍部も行わなかったし、日本軍の占領地でも全く行われなかったそうである。
ほかの多くの例は除くが、あらゆる点から見てマックの言論統制が戦争中より徹底したものであるという古い出版人の意見は、妥当性があると私は思っている。

ただ彼は軍部よりはるかに巧みであって、一般の人びとにはほとんどそれを感づかせず、「言論」が自由になったような錯覚を、統制した新聞を通じて、人びとに与えていたのである。

そして今でも人びとは、この錯覚を抱きつづけている。
民主主義と軍政の併存(?)は、実は、この錯覚の上に成立った蜃気楼にすぎない。

プレスコードによって情報源を統制してしまえば、あとは放っておいて「自由」に議論させればよい
そしてその議論を誘導して宣撫工作を進めればよいわけである。

この点日本の新聞はすでに長い間実質的には「大日本帝国陸海軍・内地宣撫班」(と兵士たちは呼んだ)として、毛沢東が期待したような民衆の反戦蜂起を一度も起させなかったという立派な実績をもっており、宣撫能力はすでに実証ずみであった。

これさえマック宣撫班に改編しておけば、占領軍に対する抵抗運動など起るはずはない、と彼は信じていた。

これは私の想像ではない。
私にはっきりそう明言した米将校がいる
そしてそれはまさに、その通りになった。

「史上最も成功した占領政策」という言葉は、非常な皮肉であり、同時にそれは、その体制がマックが来る以前から日本にあり、彼はそれにうまくのっかったことを示している。
そしてこれは戦争中の軍部の位置にマックを置いてみれば明らかであろう。

(次回に続く)

【引用元:ある異常体験者の偏見/洗脳された日本原住民/P224~】


プレスコードという単語は聞いたことがあっても、その実態となるとその具体的な内容を知っている人はあまり居ないのではないでしょうか?

私もその一人でした。

単語そのものは知られていても、その具体的内容となると(?)であるのは、プレスコードが大成功を収めた「証」なのかも知れません。

上記の山本七平の指摘を見ると、情報の徹底的統制と「あることを知らせないために百万言語る」という言葉の隠蔽性を併用した”宣撫工作”というのは、単なる言論弾圧と違って表に出にくいものなのだなぁ…と思いますね。

インターネットが発達した現代では、なかなか上記のような宣撫工作は通用しづらい環境になってきたと思いますが、今でも「グーグル八分」という言葉があるように、情報の統制というのがあると考えた方がよいかもしれません。

今後、宣撫工作として用いられるのは、直接的な言論弾圧ではなく、もっぱら世間の耳目を逸らす為に「あることを知らせないために百万言語る」ような隠ぺい工作、そして、過去記事でご紹介した「アントニーの詐術↓」を利用した”扇動”による言論封殺の併用という形だと思います。

★アントニーの詐術【その1】~日本軍に「命令」はあったのか?~
★アントニーの詐術【その2】~日本軍の指揮官はどのようなタイプがあったか?~
★アントニーの詐術【その3】~扇動の原則とは~
★アントニーの詐術【その4】~同姓同名が処刑されてしまう理由~
★アントニーの詐術【その5】~集団ヒステリーに対峙する事の難しさ~
★アントニーの詐術【その6】~編集の詐術~
★アントニーの詐術【その7】~問いかけの詐術~
★アントニーの詐術【その8】~一体感の詐術~

原発事故という耳目を集める大事件が続いている今現在の日本は、そのような扇動が上手く行われ易い言論空間になっているように思えてなりません。

そうした扇動に乗せられないようにするためにも、日本のマスコミというのは、今も昔も「大日本帝国陸海軍内地宣撫班」であるという認識を持ち、こうした宣撫工作の基本構造を押さえた上で、個々の情報リテラシー能力の向上を図っていくしかないのでしょうね。

山本七平の解説は、そうした事に気付く為のベストテキストだ…と私は考えています。

さて、次回はこの宣撫工作の具体的な例について触れている箇所を紹介して参ります。
ではまた。

【関連記事】
◆洗脳された日本原住民【その1】~宣撫工作に利用された「日本国憲法」~
◆洗脳された日本原住民【その2】~日本人がフィリピン人のように見えた理由とは~


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洗脳された日本原住民【その2】~日本人がフィリピン人のように見えた理由とは~

かなり間があいてしまいましたが、前回の記事『洗脳された日本原住民【その1】~宣撫工作に利用された「日本国憲法」~』の続き。

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前回の続き)

では一体マック制の基本はとこにあるのか。

これの基本は、あらゆる軍事占領体制と同じであり、その底にあるものは一種の軍国主義的絶対主義である。

私が比島に行ったときは、いわゆる「緒戦の大勝利」の後で、いわば「進駐軍」の一員として現地にいった。
当時フィリピンは東亜解放の一環として解放軍=日本軍に解放され、ホセ・P・ラウレルを大統領とする「独立国」であり、われわれはそれを守るためにいるというのが「タテマエ」であった。

私はそこで、「占領軍」と「原住民」との関係を、占領軍の側から見た。

そして戦争が終って一年半後に日本に帰ったとき、私は「占領地日本」の「原住民」の一員であり、今度は「原住民」の側から占領軍を見た。

この転換は非常に奇妙な印象として、私のみならず、多くの人に残っているはずである。

日本人がみんなフィリピン人のように見える
日本人はいまに全員フィリピン人のようになってしまうのではないか

祖国の第一印象をこのように感じかつ語った人は非常に多かったはずである。

なぜそう見えたか、いろいろの理由があるであろうが、その大きなものの一つは、その時までわれわれは「占領地の原住民」を体験しておらず、常に「進駐軍の側」から原住民を見ていた。

そしてその視点で「占領地日本の原住民」を見たので、占頷下のフィリピン人と全く同じように見えたことも一因であろう。

ついで占頷下の一員となり「占領地日本の原住民の一人」として占領軍を見るということになった。

同じような占領という事態を立場を全くかえて「占領した側」と「された側」の双方から見る結果になったわけだが、そのように見ると、やっていることの基本は、両者全く同じに見えた。

占領地統治は、どういう外観を飾ろうと結局は「軍政」である

軍政はどういう形態をとろうと、もちろん何もかも軍人がやるというわけではない。
軍隊には行政能力はなく、治安の維持という警察の機能も持たない。

これはよく誤解されるが――。
いわば常に「面」は支配しえないのである。
一個師団といっても一万五千人にすぎず、ちょっとした球場のスタンドすら満席にできない数である。

これを民衆という大海にばらまいても何の威力も発揮しえないから、占領他の「原住民の政府」の背後にあってこれを威圧統制し、同時に民衆を間接的に威圧するという形になる、が同時に自分はなるべく姿を現わさない

これがいわば軍政の基本型で、この基本型においては、マックも日本軍も同じである。

軍政と民主主義とはもちろん絶対に相いれない

「原住民の政府」がいかに民主的外観を装っても、最終的な決定権は「軍」が握っているのであって、投票が握っているのではない。

ところが戦後の日本は、軍政と民主主義の両立・併存という非常に奇妙な形で出発した

この絶対に両立し得ないものが両立しているかのように見せるには、その背後で密かに民主主義の根本を除去してしまうこと、すなわち一つの詐術が必要であった

それがプレスコードである

言うまでもなく民主主義の原則は言論の自由である。
そして言論の自由の前提は、多種多様な視点からするさまざまな情報の提供である。

マックはこの根本を完全に抑えた

戦争直後人びとは言論が自由になったように思い、戦争中のうっぷんを一気に吐き出すことを、言論の自由と錯覚していた。

しかしその背後には、情報の徹底的統制と直接間接の誘導・暗示、報道・論説という形の指示があり、人びとは、それを基本にして声を出しているにすぎなかった

そういう形の言論の自由なら、どこの占領地にもあっただけでなく、大いに奨励された。

これが宣撫工作である。

(次回へ続く)

【引用元:ある異常体験者の偏見/洗脳された日本原住民/P222~】


今回ご紹介した部分は、軍政とはいかなるものなのか、その基本型について説明しています。
マッカーサーが行なった軍政(マック制)が、日本で上手く成功した理由として「プレスコード」の存在が挙げられています。次回はこのプレスコードの内容について触れた部分を紹介して行きます。
ではまた。

【関連記事】
◆洗脳された日本原住民【その1】~宣撫工作に利用された「日本国憲法」~


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「地震ナマズ説」がはびこる理由/~「諸悪の根源」視することの愚~

利権や既得権益を「諸悪の根源」視する思考というのは、反原発派の人たちに見られる典型的な考え方ですが、果たして利権そのものが必ずしも悪といえるでしょうか?

その利権の方向性が社会益と合致しているならば、悪どころか、むしろ善であると見なしても良いでしょう。

もちろん、その利権が時代の変遷と共に、社会益と乖離していくような場合もあります。
ある意味、原子力利権もその陥穽に陥っているような処もあります。
世界で唯一、高速増殖炉の開発にこだわり続けている点などは、まさにその悪弊が顕れているように思います。

しかしながら、そうだとしてもいままで日本の経済発展の原動力となってきた事実・功績までを全否定してしまうことは間違いです。

正すべき処は正し、修正すべき点は修正する。
むやみやたらに原子力を全否定せず、判明したリスクに適切に対応し、長所はそのまま活かし続ける。
そのような姿勢が必要だと思います。

さて、そこで今日の本題ですが、この「利権や既得権益をひたすら敵視し”諸悪の根源”視する考え方」というのは、最初に述べたように反原発派の人たちが捉われ易い”考え方”であるわけですが、この考え方の問題点について山本七平岸田秀が対談している箇所を以下引用紹介したいと思います。

日本人と「日本病」について (文春文庫)日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀、山本 七平 他

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■現代日本教信仰箇条

(~前略)

山本:今、お話にでた社会の中に不自然をみて、それを悪であるとする発想は、人間は善であるという性善説と表裏の関係にありますね。
人間は善い、自分は善い、しかし社会が悪いのだと。


岸田:つまり、その場合、社会の悪はどこから来るのかということまでは分析しない
今、お話にでた社会悪の構造的原因まで追究しないことが多いですね。

山本:そしてナマズを持ち出す。

小室直樹さんが地震ナマズ説という比喩を使っているんですが、地震が起きるのはナマズが暴れるからだ、ナマズが諸悪の根源である、ナマズを殺せばすべてが解決するという発想ですね。

日本人は特にこの発想に陥りやすい
だから「諸悪の根源」は絶えず必要なんだそうです。


岸田:それで日本の捕り物には、必ず悪人が登場する。
そして悪人を殺すか、悪人が改心するかすれば、一件落着、めでたし、めでたしです。

悪人がいるから悪が生じる、世の中が善人ばかりなら悪は起きないという抜きがたい前提がある。

悪が生じるのは、社会組織の何らかの欠陥に原因があるのではなくて、自分以外の誰かが悪人で、その悪人が「人間性」を失って悪いことをするからです。

いや、もっとも西欧にもユダヤ人を悪人に仕立てて、虐待した例があるから、日本人特有の幻想であるとまでは言いきれないんでしょうが

山本:ただ、西欧社会のスケープ・ゴートというのは、羊そのものに罪はないという意識が、スケープ・ゴートを仕立てる側にあるんですね。

羊は元来、罪とは無関係です。
そこで自分たちの罪を身替わりの羊に転嫁しているという自覚がある。

第ニイザヤ書」の有名な「苦難のしもべ」にしても、新約聖書のキリストにしても、罪のない人間として設定されているからこそ、人間の罪をすべて背負って処刑されたりすることができる。

ところが、日本の場合は、諸悪の根源を殺しても、それが自分たちの罪を転嫁されて身替わりになって死んだのだという痛みがともなわないでしょう。

何しろ″諸悪の根源″なんですから……。


岸田:罪をなすりつけている意識がまるでないわけだ。

山本:新約聖書には、善玉、悪玉という意味での悪人という存在は出てこないんですよ。
人間はすべて、いわば「善悪人」です。


岸田:ところが、日本の社会が悪人を必要とするのは、皆が自分を善人だと考えるからであって、自分の内なる悪に無自覚なためですね。

自分の内なる悪に無自覚だから、他人にそれをなすりつけなければならなくなる
ほんとうの悪人というのがいるとすれば、それは、他人を悪人に仕上てあげる人なんですよね。
そうしているという自覚なしに

ぼくに言わせれば、あいつは悪人だと言って正義を振りかざす奴がいちばんたちのわるい悪人です。

それにしても、なぜ日本人はこうも簡単に自分が善人であると思いこめるのか。

山本:これも幻想だな。

岸田:大いなる幻想、赤ん坊善人説につらなる幻想ですよ。
ぼくは以前、主観と客観は逆比例する、という文章を書いたことがあるんです。

たとえば、自分が思いやりの深い人だと思いこんでいる人間がいるとします。
自分は他人の気持ちをよく理解し、汲みとってやっていると、日頃考えているわけです。

すると、彼は自分が人の心を理解せず、人を傷つけるケースがあってもそれに盲目になる。
自分を思いやりの深い人間と思っている者は、じつは自分が人を傷つけている事実に盲目である者にすぎない

逆に、真に思いやりのある人間というのは、自分はつねづね、人の心を傷つけてしまっている事実をよく知っているんです。

主観と客観の関係というのはそんなふうに逆比例する。
それを、″思考の全能″ではないけれど、主観イコール客観と置いてしまうから恐いんです。

山本:パウロにみられる「罪」の意識というのは″わが欲する善は行わず″″わが欲せざる悪を行う″である。

この罪のある人間から、どうやって脱してゆけるのかという問題意識なんですね。

人間は自分が欲する善は絶対に行わないものだという前提に立つとしますと、もし善意があるとすれば、自分がそれを実行していないという意識としてしかないわけです。

自分が欲していないことばかり実行しているという意識ですね。

日本では善意もそのまま実行してしまう
これは明治維新より古い発想だから根が強いですな。


岸田:そんな言いかたをすると、ひねくれていると思われますよ。(笑)

山本:そうなんです。

「善意が通らない」と言うから、そんな善意が通ったら社会は大変なことになるといえば、憤慨されますから。

戦後は特に自分が善で社会が悪だという単純形式で来ておりますから。


岸田:そこで、この悪い社会をぶっつぶせばよい、と。
革命もまた性善説を前提にしているんですな。


■日本は穢土

山本:と同時に、どこかの国でそれが成就しているという錯覚を絶えず抱きます。
だから、成就していないことが証明されてくると、深く幻滅する。

中越戦争などは好例ですね。


岸田:幻滅しても懲りずに恋愛する惚れっぽい女にかぎって、惚れられたほうが迷惑している事実に気づかない。

だから、この幻滅の構図は、片思いの女がふられたときと似ていますね。
あんなに自殺をするほど愛していたのに、なぜ受け容れてやらなかったのか、と、振ったほうが非難される。

振れば自殺するほど惚れられるなんて、惚れられるほうにすれば、えらい迷惑なんですが、相手にしてやらないとなぜか薄情だときめつけられる。

山本:そうだ、この間ニューヨークで、日本人留学生が、アメリカの女性を殺した事件。
相手の女性はきっと、日本人研究かなんかしていたに過ぎないんでしょう。(笑)


岸田:日本の男性は一途に、純粋に思い詰めた。
日本では同情が集まるかもしれないがアメリカでは無理ですね。

しかし、日本人はどうして惚れっぽいのかなあ。ドイツに惚れたり、アメリカに惚れたり、北京に惚れたり、ベトナムに惚れたり、忙しいことです。

どこかほかの国に次々と惚れるというのは、つねに日本の現実を汚いと感じているからでしょうか。

山本:そうですね。やはり浄土希求。日本は穢土で、向こうが浄土。

そういえば東の方にはあまり浄土がないですねえ。
西方浄土でなくてはいけないんでしょう。

そして汚れた日本に居ても、自分は浄土を希求し、穢土である日本を批判するがゆえに純粋であると考える


岸田:自分の純粋さを裏付けるために、どこかの浄土に惚れこむんですな。

山本:だから、あの国は浄土でないなどと、かりそめにも指摘してはいけないんだ。

岸田:惚れている女の悪口は禁句です。アバタをアバタと指摘してはいけない。(笑)

山本:しかし、幻滅さえしなければ「振られてもなお」という心情はあります。

ベトナムを懲罰したように、かつて毛沢東は日本にも懲罰を下すべぎだと発言したという話がもし伝わったとしたら、心酔者はベトナム人と違ってひたすら反省したんじゃないですか。

総理大臣以下、全員が悪いくらいのことを言いかねない。


岸田:東京裁判を盲目的に認めた心理と同じですね。

東条英機らが靖国神社に祀られていたことが問題になりましたけど、戦犯というのはつまりアメリカの裁判で有罪になったんですよ。

彼ら指導者の誤りによって、多くの日本人が悲惨な目にあったという罪で日本人が彼らを裁いたのならば、たしかに靖国神社に祀るのは問題があります。

しかし、日本の基準ではまだ犯罪者であるかどうか決まっていないんです。

自分では裁判をせず、アメリカの裁判で犯罪者とされたその基準を盲目的に受け容れているわけですね。

彼らを犯罪者と見なすというのなら、日本の裁判でやるべきです。
実際、彼らは裁判にかけられてしかるべきほどの過ちを犯しています。

しかし、日本の裁判にかけていない以上、日本人が彼らを犯罪者扱いするのはおかしい

別に、彼らを弁護する気はありませんがね。

しかし、どんな国家でも、その国民一般の平均水準以上の指導者を持つことはできないんですよ。

たまたまその水準を抜きん出た賢明な指導者がいて、国が間違った道にはまり込もうとしているのに気づいて押しとどめようとしたら、暗殺されるか、暗殺されないまでも失脚させられます

そして国民は、国民の気に喰わぬことをしようとした者が暗殺されたことを拍手喝采して喜ぶでしょう。

みんなの拍手喝采が得られることなら、どんなことでもやるという連中には、いつだって事欠きませんから、暗殺者はいくらでもいます。

もし、当時、東条が勇断をふるい、アメリカと妥協して、大陸撤兵を決意したりしていたら、確実にテロで殺されていたでしょうね。

東条なんて、気の小さい平凡な男で、救国の英雄といった柄でも、極悪人といった柄でもなかったと思いますが、評価をガラリと変えたのは国民の方でね。

山本:そのことに誰も疑問を感じないところがおもしろいな。

岸田:簡単に百八十度転換できるわけです。

戦争中は非国民という諸悪の根源をつくり、戦後は、かつて最高の善人、純粋人間であった軍人を、一握りの軍国主義者という名の悪人にする

しかも、その転換の奇妙さ不思議さに誰も気づいていない。

山本:「だまされた」という前提をつくるからでしょう。

一億全員が詐欺にかかった。
善人はだまされやすいんです。(笑)

善意を百パーセント通すには神にならざるを得ないのに、現実は、善意の通らない社会は悪いという考え方が支配的ですからね。


岸田:一度、問題をひっくり返して考えるといいんですよ。
なぜ、社会に通らない考えを善意と考えるのか、と。

通らないのは、「善意」の側にそれだけの理由があるのではないか、と。

山本:そう、そう。それこそが真に問うことの第一歩になるはずです。

(後略~)

【引用元:日本人と「日本病」について/純粋信仰/P111~】


どうも反原発派や左翼の主張とは、上記の「善意」としか思えないのですよねぇ。
その「善意」が通ってしまったら大変なことになるかもしれない、という”恐れ”がまったく見られない。

利権や既得権益という”諸悪の根源”を抹殺しさえすれば、物事が全て解決するかの如き幻想に捉われているとしか思えない。
左翼が実際に権力を握って物事を動かすようになると殆ど失敗してしまうのは、「自らの内なる悪に無自覚」な善人だからじゃないでしょうか。

利権や既得権益を敵視し叩くことが、「地震の原因をナマズに求めるような滑稽な事」にならないか?
実際の問題解決にあたっては、そうした自問自答の姿勢がまず求められるのではないでしょうかねぇ。
そうしないと、諸悪の根源を叩いて自らの意図を達成しようとする扇動者に利用されるだけの結果におわるでしょう。

最後にカエサルの名言を引用して終わります。

■どんなに悪い事例とされていることであっても、それがはじめられたそもそもの動機は、 善意によるものであった。


【関連記事】
◆内なる「悪」に無自覚な日本人/性善説がもたらす影響とは?
◆日本は穢土/自国を貶める人間は、自分が「きれい」であることを証明したいだけ。


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反原発・脱原発運動は「集団ヒステリー」化していないだろうか?

最近、山本七平つながりで会田雄次の著作を読み始めているのですが、たまたま読んだコラムが、今の世論の雰囲気をよくあらわしているように思ったので以下引用紹介しておきます。

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■”集団ヒステリー”の日本

精神病の世界的権威である斎藤茂太博士と対談したときである。
現在の日本にはヒステリーが多い。
社会的にも集団ヒステリー的症状を示す騒ぎがよく起こる。

欧米では今日は鬱病、もしくは鬱病的現象が多く、ヒステリー的現象が目立ったのはせいぜい第一次大戦まで、つまり三十年以上の前までのことだった。
これはどういうことを意味するのだろう。
そういうお話をうかがった。

私などには到底そういう現象を解明する能力はない。
ただもう少し大ざっぱに歴史を比較してみると、欧米の社会騒動や革命騒ぎなどには躁鬱病・鬱病的性格が見られ、日本のそれは昔からどうも集団ヒステリー的性格を持つように思われる。

ちょっとここで説明するとヒステリーは女性に多く見られるものだから女性的性格のものと考えられるが、むしろ幼児的な精神症状だといった方が正確なのである。

その第一の特徴は周辺の状況や自分の立場、能力など、いわば客観的条件を無視する、というよりそれと全くかかわり合いのない欲求をするということだ。
名月を取ってくれろと泣く子かな」式の要求だ。

それは高望みというのとは異質の欲求である。
現実から遊難しすぎ矛盾が多くて男とか大人を呆然とさせるような要求を持ち出したり妄想をたくましくする。

第二にはその要求が即座瞬間的に満たされないと荒れ狂う
鬱病者のように待てないのである。

第三には要求達成の準備や努力というものを一切しないということだ。
名月をとるため高い木に登るというような症状は起こさない。
じだんだ踏んで泣くだけというように。

もっともヒステリー集団は逆上して人を殺すことはあっても、冷静に、常人が聞いたら胆を潰すような大量殺人行為はやらないという「救い」もある。
その点は伝えられる旧日本軍の残虐行為とナチスの数百万といわれるユダヤ人のガス室殺害とを比較してみればわかろう――日本軍の殺害事件の被害者数はほとんどが数十倍、数百倍に誇張されて宣伝されている――。

どうして日本人はこのような性格を帯びるに至ったのか。

いろいろ原因はあろうが、私は米作をやってきた、それも南方の原産地諸国よりはるかに高能率な米作りをやってきたことにあると思う。
といって米作り農業が直ちにヒステリー的人間をつくるなどと主張するのではない。

米作は麦作と比べ同一面積では十数倍のカロリーを創り出す。
当然その地は高密度人口地帯になる。
日本ではとくにそうなる。

フランスは日本の一倍半の広さを持つ。
可耕可往地は七十五パーセント。
日本は二十五パーセント。
住み得る平地、丘陵地で比較すると今のフランスに四億五千万人が住んだら現在の日本的状況を呈することになる。

戦国時代から私たちは今日のヨーロッパ諸国の数倍の人口密度の社会に住んできた。
3DKに大家族が住むのと同じ影響を受けてきたといってよい。
ヒステリックにならざるを得ず、今日でもその条件から抜け出していないわけである。

ヒステリーはその人の身を滅ぼす。
集団ヒステリーはその集団を破滅の淵に追いこむ。


今の日本には、この種の社会現象が至るところに、ひきも切らず起こるようになった
まだみんな小火災程度だと油断はできない。
それが一つにつらなって日本全体を焼きつくす業火になる恐れは決して小さくはないのである。

私は、そのような日本の狂奔のブレーキ役、バランス失墜を防ぐ錘(おもり)の役割を果たすのはいわゆる「地方」しかないと思う。
集団ヒステリーの発生地は東京、京阪神、名古屋、北九州の超大都市地帯である
世界でも未曾有の巨大な人口の超密度はんらん源となったこういう土地はもう集団ヒステリーの暴走を自己制御する機能を失っている。

それどころか逆に、火をつけたり油をそそぐ人間や装置が集まり、増える一方である。

今日の日本のマスコミ情報はニュースといわず、PRといわず、すべてそこに煽動性を内含させている。
東京を主とする情報の大集散センターの社会の強度のヒステリー体質がそうさせているせいだ。

要は、この情報の巨大集散センター以外の人々が、そこから流されるヒステリックな情報に鈍感になることである。
冷静、いや冷酷に対応し、情緒的に同感同質化したりはしていただかないようにお願いしたいのだ。

公害をなくするにはどうしたらよいか
日本人がみんな新聞を読まなくなったらなくなるよ」。

これは暴言でしかないが、公害の被害者と公害ヒステリー病者との区別をいいえて妙だと評価できないことはない。
公害ヒステリーは公害をなくするためになんの役に立たないばかりか恐怖すべき毒をまき散らすだけだといえよう。


■心情主義の危険性

このヒステリー社会を鎮静させるにはまずその症状を正しく見極め、それに対処するにある。
社会が悪いなどといって改革を叫ぶことはヒステリーの原因作りになるだけのことだ。
もっとひどい社会でもヒステリーとは関係のないところも多いのだから。

新幹線の名古屋駅から長髪の派手な服装をした若者が数人ドヤドヤと乗りこんだ。
人気者の芸能人なのだろう。
プラットホームにはセーラー服の中学生らしいのを中心に、数百人のローティーンの女の子がどよめいている。

警官が五、六人ロープを張り、声をからし、必死になって制止しているが、それをかいくぐった連中は窓にしがみつき、気が狂ったように窓をうちたたく。
若者たちは「うるせえな」とつぶやきながら傲慢にうなずいて見せる。
ともかく無事列車は出た。

こんな光景は現在の日本では至るところに見られるのだが、実はこれ、世界でも珍無類な特殊現象であろう。
というと人気者や珍物や崇拝者に群衆が殺到するのはごく当たり前の現象だ。
それを日本だけのことにして、また若者の悪口をいおうとするのだろうと考えられるかも知れない。

そういう反対論は、しかし、実は物の表面しか見ない「浅薄な意見」である。

たしかに「物珍しい」感情は別に日本人だけのことではない。
好奇心が強いのを日本人の特殊な性格のようにもいわれているが、日本のような荒海上の孤島とか、山国など、閉鎖社会の人間は大体、外界の存在に対し異常な好奇心を爆発させるものなのだ。

私の指摘したかったのは、この少女らの熱狂する態度なのである。

欧米人でも、インド人でも、アフリカの人々でも、そのようにして集まった群衆の顔は、多くは笑顔をたたえ、親愛の情を示している。
大騒ぎしてもそこには「遊び」という自覚とゆとりがある。
その表情には満足感とゆとりがある。

しかし、この少女たちの顔はことごとく醜くひきつれ、口を曲げ、多くは涙をボロボロ出している。
そして人とも動物ともつかぬあのキィーッといった絶叫をあげている。
別にこの芸人が死んだりしているわけでもないのにである。

だれが見てもわかる通り、それはヒステリーの発作に襲われたときの表情なのである。

日本人はヒステリー体質の民族だということは、このごろ宮城音弥氏をはじめ、方々で指摘されているが、この少女たちはそういう説を証明する一つの典型となろう。

ヒステリー体質の人間は勝気人間である

勝気人間はよく強気人間と間違えられるが、両者は根本的にちがう
強気人間とは本当の自信を持つから、個性的で孤立をおそれず、したがって他人に対し寛容である。

勝気人間の本体は劣等意識である
その不安から、たえず他人に負けまい、人におくれをとるまい、損をしまいとあせっている。
そのための虚勢と、もがきが勝気となって現われるのである。

勝気人間は流行に弱く、権威権力に弱く、お世辞に弱い。
煽動にのりやすい。
一人のときは弱いが群衆となり、責任の所在が不明確になったとたんに気が強くなる。


こういう人を操縦するのは簡単だ。
貴方は正義人だ、真面目だとおだてるとすぐ調子にのるからである。

しかし勝気人の何よりの弱点は、論理で考え意志的に行動しないで、もっぱら情緒や感傷にふりまわされるということにある。
しかも、強気人間とは正反対に、自分は全く論理的だと信じこんで、絶対にその非を認めないという致命的ともいうべき欠点がある。

情緒や感傷は、人間のセックスや食欲などの動物的本能的要求や、きわめて物質的で利己的な欲望と密接して発動するものである。
夜霧にむせび泣いたり、去って行った男の残した吸殻に愛着を覚えたりするのは、たしかに詩的情緒があるかも知れないが、そのような感情の表出は、交尾期の猫や大にもはっきり見られるものだ。

だから駄目というのではないが、それを高い価値を持つものとか絶対的なものとして主張するのはひどい利己主義になることが多い
女子中学生の芸人見送りの騒ぎなど、一般旅客の迷惑など頭から考慮の中に入っていない。
ヒステリー体質の人は、大人でも絶対にそれを正義の主張としか思わないのである。

公害反対も、くたばれGNPも、列島改造反対もよい。
しかし、それが情緒、つまり単なる心情的主張につきるなら、百害あって一利なしだ。

歴史を探るのはよいが、今のところそれは、NHK大河ドラマブームに乗って村里を荒らし、ごみで埋め、奇怪な便乗みやげ物屋を生み、村民を欲ぼけにしただけにとどまっている。
歴史的思考とは何の関係もない。
茶器ブームもよろしいが、茶器に喜ばれる例の破綻の美だ。

そのヒステリー的流行である。
たしかにそれは、自然のたわむれが生み出した美だが、その破綻は明らかに生産設備の不充分さと、生産過程の非合理性が生み出したものである。

陶器や日用道具ならよろしいが、飛行機の破綻となれば致命的である。
それは極端な例だというなかれ。

日本人の自然復帰論などは、そのような危険と結合しているのである。

もう一つの不安は、何もかもが政治化されている今日、何とか反対そのものも、歴史や日本人の心の問題も、奇怪な政治問題に帰着する可能性を持つということである。

煽動者は情緒や感傷をたくみに利用し、そのことで自分の野心を達成しようとする
情緒主義の国民は、それに応じ、なだれをうって極端から極端へと走る

マスコミがそれに迎合し、動揺の振幅はどうにも平衡回復できないところまで行ってしまう
そのことは、戦前の苦い経験であったはずだ。

日本回帰も、歴史ブームも、自然回復も、そこに論理を入れないかぎり、ヒステリー症状が暴走し、日本を破局へと導く危険なしとはしないのである。

【引用元:新選 リーダーの条件/甘えと集団ヒステリーの社会/P201~】


今一番議論の的となっている問題に、福島県内の幼稚園や学校などでの屋外活動を制限する放射線量が年間20ミリシーベルト以上とされた事が挙げられると思いますが、この決定について、判断に至った基準やプロセスの不透明さについては確かに問題点はあるでしょう。

しかしながら、この問題への反応を見ていると、「子供」というファクターが働くことで、より情緒的な反応が働いていて、その主張が単なる心情的主張に偏っているように思えてなりません。

確かに、「原発に従事する作業員が被爆するレベルだ」と言われてしまえば、余りにも危険であるような気がするのももっともな話です。

しかしながら、この問題は、基準をより厳しくした場合に生じる別の悪影響や過去の人体影響調査データ等、様々な要素を冷静に比較考量して考えるべきだと思うのです。

子供を屋外で遊ばせない場合に生じるリスクと被爆するリスクを比べてどちらかを選ばざるを得ない有事の状況にあることを忘れ、無いものねだりの「名月を取ってくれろ」式の要求を反原発派の人々が行なうのならば、それは会田雄次が云うように「百害あって一利なし」の行為。

ましてや反論しようものなら、「人でなし」とか「自分の子供をまず試してから言え」とか感情的な反論が返ってくるようであれば、まさにヒステリー患者の言動そのものです。

こういう反応を見てしまうと、「トマスの不信(註)」を表明することが日本では許されない…との山本七平の指摘は的を得ていると思わざるを得ません。

(註)…過去記事↓参照のこと。
◆聖トマスの不信【その2】なぜ日本では、聖トマスが存在しないのか?

脱原発も結構ですが、そこに「論理を入れないかぎり」ヒステリー症状によって、日本を戦前のような危機に陥れる恐れが大きい。
まさに今の日本はそうした状況にあるのではないでしょうか。


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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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