一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

戦犯裁判とは何だったのか~その判断基準は「軍法」だった~【その2】

前回は、戦犯裁判は、「正義の裁き」でも「文明の裁き」でも、「首狩り・報復」でもないというところまで紹介しましたが、その論拠を「私の中の日本軍」から引用していきましょう。

われわれの日常生活においても、その時々の情況によって法の適用が変るということは、ないわけではない。

同じ殺人でも、情況によって量刑はかわる。正当防衛なら無罪という場合もありえよう。しかしいずれの場合も「殺人」という行為が法にふれるという点では、基本的には差異はない。

しかし戦犯の実行犯においてはそうでなく、ある人間の同一の行為が犯罪になるかならないかはその置かれた情況によって全く変るわけである。これも軍法の特例であろう。

それは通常

(1)戦闘行為、
(2)戦闘中ノ行為、
(3)非戦闘時ノ行為、

の三つにわけられる。

そして(1)戦闘行為ハ処罰セズ、であって、たとえば戦闘中は「敵に」手榴弾を投げようが、砲弾を打ち込もうが、これは当然処罰の対象にならない。この点、正当防衛以上に不問に付される。

しかし、これと全く同じ行為を非戦闘時に行えば、相手が戦闘員であろうと非戦闘員であろうと処罰の対象になる。これは陸軍刑法も同じで、極端な例をあげれば、観兵式に参列している諸外国の駐在武官にいきなり手榴弾を投げつければ、これはまず軍法会議で「死刑」であろう。

原則的にいえばこれと同じことで、戦線のかなたの、非戦闘地区における非戦闘時の住民や捕虜の殺害、停戦協定成立後の被包囲部隊に対する一方的攻撃による殺害等が(3)に入る。

そして(1)は「処罰セズ」、(3)は「処罰ス」とする。この二つは戦犯であれ陸軍刑法であれ原則的には非常に明白であって、まず議論の余地がない。

問題は常に(2)で「戦闘中ノ行為」なのである。すなわち戦闘中に非戦闘員を殺害した場合、あるいは殺害する結果になった場合、これは(1)と見るべきか(3)と見なすべきかという問題である。

これは(3)と見なすべきである。従って、処罰すべきだという考え方は日本側にも連合軍側にもあった。

日本側の例をあげると、中部軍司令部によるB29搭乗員の処刑である。

この場合軍司令官の態度は、絶対に「にっくき鬼畜米英メ、ヤッチマエ」ではなく、「軍事施設を爆撃した者は戦闘行為であるから無罪」「住宅・住民を爆撃した者は『戦闘中ニオケル非戦闘員ノ殺害行為』であるから、事故でなく、故意にこれを行なったものは処刑」と、非常に明確な法的基準で処断している。

彼は戦犯として処刑されたが、最後まで実に堂々としていたそうである。おそらく、そうであろう。彼の行き方が、そのまま「正義」といえるかどうか、それはわからない。

しかし、当時のマスコミの論調や鬼畜米英的な風潮、またそれを裏返したような『中国の旅』的な視点、特に南京法廷における向井・野田二少尉の処刑に対する「鬼畜処刑は当然」といった本多勝一氏の態度――オフチンニコフ氏のような視点から見れば、これは結局同じものであろうが――これらと比べれば、はるかに確固とした冷静な法的基準をもっていたとは言える。

と同時に、これが実は連合軍側における、戦犯のうちの「実行犯」への判決の基準なのである。
従って両者はほぼ同一の基準に依っている。

だが、「判決の基準」が存在したということは、その基準が常に正しく適用されたという意味ではない

しかし、適用に問題があったということは、「基準なき首狩り」であったということでもない。と同時にその基準がそのまま正義であったということでもない

「戦犯とは何か」は「戦争とは何か」を追及する一つの鍵である。

だがこれを、その時々の政治情勢や自分の都合に応じて、それを正義の裁きだといったり首狩りだといったり、また中国との復交という新しい政治情勢になると、本多勝一記者のように、南京軍事法廷による二少尉の処刑は正しく、東京軍事法廷による二少尉の不起訴は正しくないかの如くいい、さらに、「毛沢東ならこの残虐人間も赦したであろう」といったお追従を結論としていると、永久に何もわからなくなってしまうと思う。

私の中の日本軍(下)/捕虜・空閑少佐を自決させたもの/253頁~より引用】


非常に単純化されているとは思いますが、軍法が普通の法律と違うと言うことがわかりますね。
私などは、法学も学んだことがない門外漢ですが、これを読むまで軍法の特殊さというものを全く認識していませんでしたから、非常に驚きました。
また、マスコミの主張を鵜呑みにしているとなにもわからなくなる、という山本七平の指摘にはなるほどと納得してしまいました。
それでは、続きを紹介していきましょう。

そこでまず「戦犯」というものの一部の基本的な見方からはじめて、なぜ向井・野田二少尉が東京不起訴・南京処刑となったかに進もうと思う。

これにははっきり理由があるからである。
前にものべたように(1)戦闘行為ハ処罰セズ(2)戦闘中ノ行為(3)非戦闘時ノ行為ハ処罰スという基準が「正義」かどうか私にはわからない。

しかし一つの法的基準の有無という点からこれを見れば「有」は「無」にまさる。「悪法もまた法なり」という大日本帝国陸軍内部でこの言葉の妥当性を一つの実感としてつくづく感じたのは、おそらく私だけではあるまい。

「陸軍刑法」を「善法」だという者はあるまい。否、これこそ「悪法」の典型かも知れぬ。

しかしその「悪法」すら実質的になくなってしまうと、人は、「正義」の名のもとに一種の集団ヒステリーによって簡単に殺されてしまうのである。

悪法でもやはり法には「法の保護」がありうる。しかし「集団ヒステリーの保護」はありえない

これはおそらく「赤軍派」や早稲田・法政における「リンチ殺人」についてもいえることであろう。

私は前に、向井・野田岡少尉の特別弁護人隆文元氏がつくづく立派だと「文藝春秋」に書いたが、同じことは、後述するように南京の軍事法廷の裁判官にもいえるのである。

それは彼らが集団ヒステリー的リンチに絶対に走っていないからであり、現在台湾にいる当時の裁判官の一人が、鈴木明氏に、自分は法律家だから法に従っただけだと自信をもって言い切っているのもうなずける。

だが果してわれわれに、同じような態度がとれるであろうか

本多勝一記者の「殺人ゲーム」が朝日新聞に載ったころの「獣兵は名乗り出よ」といった一種の集団ヒステリー的雰囲気を思うと、もし立場が逆転して「百人斬りされた」と報じられたのだったら、それこそこれに数十倍する大変な状態であっただろうと思う。

そしてそういう状態は、前にも述べた「通州事件」のときにおきており、集団ヒステリー状態で中国に押しかけるという結果を招来している

このことは戦犯容疑者収容所にいた多くのものが感じていたことでもある。
「もしわれわれが勝っていたら、われわれは彼らをこのように扱ったであろうか」という一種の感慨である。

「到底無理だろうな。ヤッチマエー、ブッコロセーだな」と、これがほぼ共通的な意見であった。

私はこれと全く同じことを、「殺人ゲーム」掲載後の雰囲気に感じた。というのは、すでに一年近くたっているのに、「殺人ゲーム」が事実ではないのではないかという疑問を表明しただけで「ヤッチマエー」的な脅迫状が来るからである。

実はこれこそ多くの虐殺事件を引起した精神構造そのものであり、そしてそれは「百人斬り競争」を「殺人ゲーム」を報ずる人間と、それに一種酔ったようになる人間の精神構造とも同じであろう。

私は、脅迫状の中に、そしてこの記事の中に、別の形のオフチンニコフ氏の指摘を認めざるを得ない。

私の中の日本軍(下)/捕虜・空閑少佐を自決させたもの/255頁~より引用】


上記の指摘は、非常に考えさせられます。
確かに、我々日本人は集団ヒステリーに陥りやすい性質があると思います。
なぜそうなってしまうのか?どうしたらそうした状況に陥らないで済むか?

このことを、我々はよくよく考えておかないといけないのではないでしょうか(このことを考えるという行為こそ、本当の「反省」と呼べる行為かと思うのですがねぇ)。
では、続きを。

私が、「悪法もまた法なり」、どんな悪法でもあった方がましだといったのは、陸軍刑法も戦犯の公開裁判も、やはり「法」なき「自決セエ」よりはましだったということである。

悪法とはいえ法があったが故に「百人斬り競争」が究明できるのであって、もし「日中友好のため自決セエ」となったら、それこそ何もわからなくなる。

戦争中のことが何もわからなくなって、虚報が今でも事実で通る最も大きい理由の一つは確かにここにある

そして処刑された向井・野田両少尉に対する本多勝一記者の態度は、いわば「陸軍刑法=戦犯法廷は正しい、その判決は正義である。そして日中友好のため、空閑少佐(註)のように、判決後に自決セエ、声を出すな」であって、これはオフチンニコフ氏の見方をとれば、戦争中の行き方のそのままの延長であろう。そしてそれがまた本多判決と陸軍刑法とが一致するわけでもあろう。

(註…上海事変時、中国軍に捕虜にされた少佐。事変後、捕虜交換で日本側に戻され、軍法会議に掛けられ無罪となったにも関わらず、なぜか自決した。)

私の中の日本軍(下)/捕虜・空閑少佐を自決させたもの/266頁~より引用】


この空閑少佐の自殺については、山本七平も章を設けて説明しているのでいずれ紹介したいと考えてますが、当時のマスコミはこの事件を徹底的に美談化してしまいました。
こうした対応が、いかに事実を究明するのに妨げとなっているか、このことについても考える必要があるのでは、と思います。
では、引き続き、その続きを紹介していきましょう。

裁く方の見方を調べ、なぜ東京の軍事法廷が二人を不起訴にし、南京の軍事法廷が二人を死刑にしたかを調べよう。

この「不起訴から死刑へ」という逆転を、恣意的な復讐、いわば「首狩り」と見るのは誤りであることはすでにのべた。

と同時に、二人が処刑されるのは当然だとして、本多勝一記者が「断固たる事実」(「諸君!」四十七年四月号)と主張する証拠は全く意味をなさない。

それがいかに信憑性の名にすら値しない無意味なものであるかは、すでに全部指摘したから再説はしないが――ニ人が処刑された原因は「首狩り」「本多氏の証拠」のいずれにもない

といって南京法廷が正義の法廷だったわけでもない。

問題は、前述の(1)戦闘行為(2)戦闘中ノ行為(3)非戦闘時ノ行為、の軍法的基準と、浅海特派員の記事をこの(1)(2)(3)のいずれに解釈するかにかかっている。

この場合、(3)ははじめから問題外だが、この記事は(1)にも(2)にも解釈できる上、浅海特派員は前に引用した上申書に示されている通り、この記述を「戦闘中ノ行為」だと証言しても、ただの一度も「戦闘行為」だとは証言していないのである。

戦犯裁判のことを何も知らない人は「戦闘行為」という言葉と「戦闘中ノ行為」という言葉が、どれほど決定的な差であるかが理解できないので、この背筋が寒くなるような証言の重要性に全く気づかないだけなのだということは前述した。

だがそれに加えて、さらに前記の「中部軍の処刑の基準」を思い出してほしい。(1)戦闘行為は無罪だが、(2)戦闘中の行為なら死刑なのである。

とすればこの「中ノ」というわずか二字が、人の命にかかわっていることがだれにでもわかるであろう。

ではなぜ東京法廷が二人を不起訴にしたか。それはこの「百人斬り競争」の英訳を読めばわかる。

英訳は、これを「インディヴィデュアル・コンバット(個人的戦闘行為)」と規定しても「戦闘中ノ行為」とは規定していないのである。そして米人の検察官の「主たる証拠」は明らかに英文であり、英文がまず頭に入っている。

鈴木明氏の取材による佐藤カメラマンの証言では、彼らは「ファン(遊び)」という字句を問題にしたそうだが、佐藤氏の証言の通りに、おそらくこの字句が呼出しの原因であろう。すなわち「戦闘行為」と規定するには若干の疑義が生じたわけである。

従ってこの疑義さえ氷解すれば、この記事が(1)であって(2)でないことになり、従って戦犯の対象にはならない。

だが後述するようにこの記事を文章のままに読めば、必ずしも「インディヴィデュアル・コンバット」とは訳しえないのである。誤訳ではなかろうが、ある先入観に誘導された意訳とはいえる。従ってこれは二人にとって、大変に有難い「意訳」だったわけである。

だが問題は、米人であれ中国人であれ、検察官はすべて、直接か間接に戦場を体験した人たちである。体験者は、近代戦において「百人斬り競争」という「戦闘行為」がありうるとはだれも信じない

先日、会田雄次氏と対談する機会があり、そこに同席された編集の方が「戦場で敵を射殺した場合……」といわれたので、私が思わず「敵影なんて見えるもんじゃないですよ」と答えると、会田先生も「いまもその話をしていたんだが、これが今の人にはつかめないらしい」と言っておられた。

向井少尉も、敵影を見たのは無錫で双眼鏡で見たことが一度あっただけだと上申書に書いているが、戦場の体験者には、みなこの「敵は見えないという実感」がある。

従って検察官も同じであるから、「百人斬り競争」は「虚報=創作記事」と読むか、(2)すなわち「戦闘中ノ行為」いいかえれば戦闘中における非戦闘員への殺害行為を戦闘らしく書いたものと判断するか、どちらかしか、とりようがないのである。そしてそれは私も同じである。

英訳では明確に(1)すなわち個人的戦闘行為と書いてある。従ってその判断に立てば、これは虚報である。

彼らは明らかにそう解釈しており、それは彼らの浅海特派員への態度にはっきりそれが出ている。

すなわち宣誓をして「宣誓口述書」を提出しようとしたところが、その必要なしといわれたことは、ある意味では一種の侮蔑であり、「こんな虚報を作成した記者の宣言ロ述書などは三文の価値もない、もういいから帰れ」ということであろう。私でもそういう。

だが向井・野田二少尉の「行動そのもの」は一応考えずに、昭和十二年十二月十三日の「記事だけ」を子細に検討すると、驚くなかれこの記事は、(2)に読めるのである。

(中略)

虚報には常に一つの詐術がある。

それは何かを記述せず、故意にはぶいているのである。そしてそれは常に、それを記述すれば「虚報であること」がばれてしまう「何か」なのである。

本多記者の「殺人ゲーム」では、ベンダサン氏が指摘したように武器が欠落しており、武器を記入するとこの文章が成り立たなくなるわけだが、浅海特派員の「百人斬り競争」でも、ある言葉を故意に欠落させてあるのである。それは「目的語」である。

すなわち「何を」斬ったかが書いてない。最初にただ一ヵ所「敵」という言葉が出てくる。しかし「敵」という言葉は、「敵国」「敵国人」「敵性人種」「好敵」「政敵」等、非常に意味の広い言葉で、必ずしも「小銃・手榴弾・銃剣等で武装した完全軍装の正規軍兵士=戦闘員」を意味しない。

しかもこの非常にあいまいな言葉は一ヵ所だけで、あとはすべて「目的語」がなく、従って一体全体「何を斬った」のかわからないのである。もちろん(2)すなわち「戦闘中ノ行為」の記述であることは疑いないが、斬った相手が戦闘員なのか非戦闘員なのか、一切わからない。

なぜそういう書き方をしたか。そうしないと「虚報」であることが、一目瞭然になってしまうからである。

それは、記事にはっきりと「目的語」を挿入してみれば、だれにでもわかる。次にそれを例示しよう。〔 〕内が「目的語」の挿入で、この部分はもちろん原文にはない。

〈無錫進発後、向井少尉は鉄道線路廿六・七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり、一旦二人は別れ、出発の翌朝、野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し、四名の敵〔小銃・手榴弾等で武装した戦闘員、完全軍装の正規軍兵士〕を斬って先陣の名乗りをあげ、これを聞いた向井少尉は、奮然起ってその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名〔の完全軍装の戦闘員=正規軍兵士〕を斬り伏せた。

その後、野田少尉は横林鎮で九名〔の完全軍装の戦闘員=正規軍兵士を〕、威関鎮で六名〔の完全軍装の戦闘員=正規軍兵士を〕、廿九日常州駅で六名〔の完全軍装の戦闘員=正規軍兵士を〕、合計廿五名〔の完全軍装の戦闘員=正規軍兵士〕を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名〔の完全軍装の戦闘員=正規軍兵士を〕斬り、記者が駅に行った時、この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかった〉

 「ヒトラーの原則」というのがあるそうで、それによると「大きな嘘をつき、しかも細部に具体的な事実を正確に挿入すると、百万人を欺くことができる」そうである。

そして日本語の場合は、このほかにさらに、主語・述語・目的語を一部か全部を巧みに省略し、さらにそこに「感激的美談」でも挿入すると、ほぼ完璧にそれができる。ただし外国語に訳すとばれる。

この記事はまさにその原則通りであって、距離とか地名とかを実に正確にした上で、目的語を省略している。この原則は、本多勝一記者の「殺人ゲーム」でも、実に、模範的に守られている。

しかし、佐藤カメラマンの談話とも照合すると、前記の記述は全部嘘であり「二人が駅頭で会見してゐる」まで嘘なのである。

 「インディヴィデュアル・コンバット(個人的戦闘行為)」という先入観のある米軍の検察官は明らかに〔 〕を挿入した形でこの文章を読んでいる。

今の読者はどう感ずるかわからないが、少なくとも戦場の体験者には全く「ばかばかしくてお話にならない」であり、こんな記事を書いた人間の「宣誓口述書」などはどうでもいい、「もう帰れ」となるのが当然すぎるほど当然である。

だがしかし、少なくとも、日本語の「新聞記事」には、どこにも「完全軍装の正規軍兵士に対する個人的『戦闘行為』」だとは書いていない。

浅海特派員がこれを明言しなかった理由は、もちろん、本多氏の場合と同様「虚報を事実らしく見せかける」ためであっても、二人が「非戦闘員を虐殺した」ことを暗にはのめかしたのではあるまい――それでは「武勇伝」ではなくなってしまうから――しかし「目的語」を省略すれば、この記事は、「戦闘中の」非戦闘員虐殺と読める記事なのだ。

従ってもう一度いえば、「この記事は二通りに読めるが、『戦闘行為として読めば虚報であり、戦闘中の行為として読めば非戦闘員虐殺になる』」のである。そしてどちらに読むかによって、二人は「不起訴にもなれば死刑にもなる」のである。

従って、東京法廷と南京法廷における極端な違いの原因は「『戦闘』とも「戦闘中』とも読めるこの記事そのもの」と「軍法」にあるのであって、他に理由があるのではない。そしてこれが、「首狩り」でも「正義の裁き」でもない「軍法会議」と同じ基準だと言った理由である。

南京法廷は、日本の新聞を信頼し、少なくとも一応浅海特派員の記事を「事実の報道」として取りあげた。

実は、この瞬間に二人の運命はきまったのである。

というのは「戦闘行為とすれば虚報」なのだから、この記事は、どちらから――ということは「戦闘行為」「虚報」のどちらから――つついても「戦犯の証拠」とはなりえない。従って不起訴、「証言は不用、帰れ」ということになる。

従って証拠として取り上げたということ自体が、一応、(2)戦闘中ノ行為、と認定したことである。そして(2)と確定すれば死刑である。

これは仮に私か検察官でも同じことであろう。この記事に対しては、その二つ以外に対応の仕方はありえない。そしてそれはこの記事すなわち「虚報」そのものが自ら規定してくるものであって、検察官の恣意ではない

私の中の日本軍(下)/捕虜・空閑少佐を自決させたもの/267頁~より引用】


結局、二人の少尉の処刑の原因をたどっていくと、虚報そのものに突き当たるということですね。

山本七平は、日本を滅ぼしたものは「虚報」であると主張しています。
そして、その「虚報」が現在でも通用する事実が、今の日本で見受けられることは、いまだ反省がなされていない…ということではないでしょうか。


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コメント

ちわ~

さて、反論だけ

実は、実戦部隊として殺人現場を目の辺りにする機会はそれなりにあるというべきでしょう。

例えば、典型的な戦線では銃撃戦では視認状況での攻撃ではありませんが、
交戦規定上は視認を必要とする攻撃は多いのです。

実は、各国の軍法も視認を前提とした交戦規定(ROE)はあります。

戦争の近代化によって白兵戦が減少したような幻想もありますが、フォークランド紛争やベトナム戦争では視認できる環境での交戦状態もままあったはずですし、報告があります。
(視認できない状態での交戦がROE違反であると同時に、視認しない状態での武力行使が己の位置を提示してしまうという現実があるからです)

そして、兵士の心理状態として、人を殺したという現場に対する現実逃避が働くでしょう。
 軍隊行動が複数で行われることは、ある意味では、殺人、攻撃した人間が複数いることで心の救済の余地を残していると言えます。
つまり、部隊行動で「誰が殺害したのか?」というものを分かりにくくしているわけです。
大阪府民の道路マナーの「赤信号みんなで渡れば怖くない」論とでも言っておきましょう。



「自分が殺した」と判断できる状態の行動ができる軍人はまず単独行動ができるエリートか狂人しかいないと思います。
そして、その狂人は戦場では量産されて、人間の記憶として不都合なものとしてリセットされるだけだと思いますし、狂人はさっさと戦死するものでしょう。
軍人とPTSDの関係を考えるとこのリセット機能不全がどうなるのか?ということも暗示とは思います。

・殺害現場を目視し、自分が殺した現場を知覚できないようにしてあること
・殺害事実、加害事実から逃避してしまう、行為者ほどそうそうと戦死すること
この二点から、凄惨な戦場の現場は語られることがないだけ・・・というのが私の歴史観です。

そして、臆病者が勝利者になる、臆病者が歴史を紡ぎ、臆病者が子孫を残せるのでしょうね。
サバイバリティとは臆病さそのものとはよく言ったものですがw

さて、重要な指摘をひとつ
正規軍軍人による私的な意見は法的には「軍事命令」とは解されませんが
軍法知識のない市民にとっては、正規軍軍人の命令は「軍事命令」として解するしかない部分が多いのである。
沖縄の集団自決問題でも、あるように私的・公的という「強制」の問題を明言できない状態で、
「強制」の有無を語るべきではないと思います。
実は、強制があった側、なかった側の両面にこの問題は問われるもので、何を持って「強制」とされるか?市民のどれだけ理解させる努力をしていたか?という論点での議論などは皆無だったりする。
ある程度、軍法、一般法知識があれば、正規軍軍人個人の判断による指示と「軍事命令」の区別はつくが、それも厳密さはない。

そもそも、判断するだけのノウハウ、知識が当時の多くの下士官、上級軍人にあったとは思えないのだが・・・・

  • 2008/08/03(日) 07:55:24 |
  • URL |
  • 冥王星 #-
  • [編集]

田柄さんへ

>田柄さん

コメントありがとうございます。
紹介していただいた高部正樹さんのお話参考になりました。やっぱり今も昔も戦場の体験というのは似ているものなのですね。

田柄さんのご指摘は、ほんとうに大事な点だと思います。
平和を語るならまず戦場の実態を理解してもらいたいものです。

余談ですが、山本七平は、「日本はなぜ敗れたのか」の中で、若き日の田原総一朗のベトナム帰還兵への取材ルポを取り上げています。一部紹介したいと思います。

田原総一朗は、ルポの中で次↓のように述べています。

>本当は人間を殺すときに人間は何を思うのか、殺しの手応えとはどういうものなのか。たてまえではない、良心ぶった弁解ではなく、もっと本音が聞きたい、本音が出ないのは、逆にいえば殺人、殺戮と向かい合う、自分がかつてやった行為と向かい合うのを避けている、逃げている、ごまかしていることではないのか、と、わたしは、しだいに露骨に挑発的に、まるで喧嘩を売るように帰還兵たちに言葉をぶつけていった。

これに対し、山本七平の批評↓です。

>一体この取材者は、どういう前提で兵士に質問を発しているのであろう。「殺しの手応え」などというものが戦場にあるはずはないではないか。ない、ないから戦争が恐しいのだ、なぜ、そんなことがわからないのか。これはおそらく、戦争中から積み重ねられた虚報の山が、全く実態とは違う「虚構の戦場」を構成し、それが抜き難い先入感となっているからであろう。

田原総一朗ですら、この有様です。これじゃ、今でも百人斬りが通用するわけですよね。

  • 2008/07/28(月) 20:43:35 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

実際の戦闘


>敵影なんて見えるもんじゃないですよ・・

あぁ・・これは大事だと思います。

実際の戦場と、一般の人達の考える戦場とでは、
大きな違いがありそうですね。
刑事ドラマと、実際の警察の違いみたいなもの・・でしょうか(笑)


最近まで傭兵をされていた『高部 正樹』さんという方がいらっしゃいます。

アフガンでソ連軍と
ミャンマーで政府軍と
ボスニアでセルビア軍と・・・戦ってこられたそうです。

その彼が、
今までに、何人殺したのか? と聞かれて、

『確実なのは二人・・』

と答えていました。

戦場では敵の姿は、ほとんど見えないし、

たまに見えることがあれば、周囲の味方が一斉に射撃するから、誰の弾丸が当たったか判らない。

相手が倒れても、当たったのか、伏せただけなのか判断できない・・


これが、現実なのかと思います。


う~ん・・あんまり、参考にならない・・かな?

  • 2008/07/27(日) 06:48:21 |
  • URL |
  • 田柄 #-
  • [編集]

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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