一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

なぜ日本の野党は「反国家」なのか?~占領軍の検閲が残した影響とは~

山本七平の「ある異常体験者の偏見」の中に、「洗脳された日本原住民」という一章があるのですが、そこで占領軍が行った検閲の実態とその影響が判りやすく説明されています。

これを読んで以来、占領軍検閲や宣撫工作というものに興味を抱いていたのですが、つい最近、このことについて詳しく書かれた本↓を見つけ、今読んでいるところです。

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)
(1994/01/10)
江藤 淳

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読了したら、占領軍検閲の実態について書いてみたいなと思っていますが、今回はそんな検閲の影響が日本の政治に未だに残っていることを示唆している山本七平の記述を紹介したいと思います。

この記述は、多分中曽根内閣発足後に書かれたものでしょうから、1982年以降に書かれたものだと思いますが、今読んでみても十分考えさせられる内容だと思います。

■反国家的野党と占領政策

昨今の社会党には少々不思議な気がする。

鈴木内閣の退陣、中曽根内閣の登場などは野党にとってはある種のチャンスのはずで、欧米の野党ならこの機会に、すぐには無理でも将来の布石となる、何らかの手を打つであろう。だが社会党にはその気配さえない。

これは長い目で見れば自民党の不幸であり、当然、日本の不幸である。
一体なぜ、こんなことになったのか。

実は先日「日本占領研究」という国際シンポジウムがあり、私は「占領期の検閲について」の部の司会をしたが、日米双方のパネリストの率直な意見や当時の実情を示す資料の提示などを見聞しつつ、さまざまなことを考えさせられた。というのはここが「戦後日本」の出発点で、それが内包した諸問題は今も少しも解決されていないと感じたからである。

占領軍の検閲の「タテマエ」は、戦前の狂信的右翼的超国家思想を一掃して民主主義を育成するにある、ということになっている。

だがそのために、あってはならぬはずの検閲を極秘裡に行うこと自体が偽善的矛盾と言わねばならぬが、検閲の実体を示されて行くうちに私はふと、あることに気づいた。

これも私自身が占領軍の一員としてフィリピンに居たからかも知れぬ。というのは占領軍は常に住民にある種の恐怖心を抱いているという事実がある

五個師団だ十個師団だと言っても、その人数は大きなスタディアムの一つか二つの観覧席を満たしうる人数にすぎない。それが圧倒的多数の住民の中にばらまかれる。そしてばらまいてしまうと戦力にならぬが、集結していては占領を完全にすることはできない。そして現地の住民の言葉も人情・風俗もわからず、その心底では何を考えているのかも不明なのである。

上陸時の米軍の潜在的恐怖心はわれわれ以上であったろう。何しろ昨日までは特攻機がつっ込んで来て発狂者まで出ている。また斬込隊の夜襲のすさまじさに顔をおおって気絶したという例も少なくない。

その日本人がうす気味悪くシーンとしている。日本語要員の数は極度に不足し、情報は全くつかめない。もし日本の政府と国民が一丸となってゲリラ的抵抗を行ったらどうなるか。

その恐怖は世界に類例がない「書簡の開封検閲」にも表われているが、もう一つ強く感じたことは「政府と国民との分断」を、検閲を通じて行っていたということであった。

「タテマエ」は「民主主義の育成」であり、彼らもそう信じていたのかも知れぬ。

しかし分割統治は占領した者が必ず行う政策であり、これは「一丸となっての抵抗」への恐怖から生ずる本能的政策であると言っても過言ではない。

いわば新聞検閲を通じて政府と国民を分断し、同時に野党を通じても行う。そして、新聞と野党による政府批判は民主主義の基盤であるといえば、大義名分がある。

もちろん、野党は与党の政策に対立するから野党であり、同じならば存在理由を失うが、政策の対立は決して国家との対立ではない

いわば反政府であっても反国家ではなく、三権の一機関を構成する国会議員という身分は同じである。アメリカなら、民主党であれ共和党であれ「アメリカヘの忠誠」は同じで、それを否定する者が三権の一機関の合法的な構成員であることはあリ得ない。

これはどこの国でも同じでイギリスなら「陛下の野党」であり、フランスの社会党のフランス共和国に対する忠誠は当然の前提である。これはミッテラン大統領を見れば明らかであろう。

「反政府だが反国家ではない」。この差は微妙だが、毫釐(註)の差は千里の差となるのである。
(註)…きわめてわずかなこと。〔ごうりん〕。

占領軍は意図的か本能的かはわからぬが、微妙な点で、野党とマスコミを反国家の方へ誘導している

また国民は戦時中の「国家の重圧」にこりごりした面があり、そこである種の共感をもつ。その結果、後に『国家悪』などという本もあったほどだから、ある時期まで反国家であることが野党の存在理由であるような錯覚をもっていた。これは、確かに占領軍にとっては成功した政策であったろう。

だが時代は徐々に変わるし、変わって当然なのである。

国家は確かに運命共同体であり、それなるがゆえに絶えず対立する政策を要請するが、運命共同体そのものに敵対してこれを根底から破壊するもの、ないしはそう誤解されたり、そういう印象を与えたりするものは、はっきり自覚しなくても本能的に拒否するようになる

社会党はおそらくその位置に置かれる結果となったのである。

民主主義を育成するための検閲という倒錯は結局、民主主義の最も大切な存在である野党を逆に枯死させた

われわれはあらためて占領の後遺症を点検してこれから脱却せねばなるまい。そうでなければ、今の状態に終止符を打つことはできないであろう。

【引用元:「常識」の非常識/P204~】


当時と比べて、現状はどうでしょう?

民主党は右から左までごちゃ混ぜの選挙互助会にすぎず、共産党も社民党も「反国家」的政党のまま。

一方、与党側の公明党はカルト的宗教政党ですし、自民党は他に比べてマシというだけの腐敗利権政党。

どうして「反国家」ではなく「反政府」的な健全な野党が育たないのか?
そこには、未だに根強い占領軍の分割統治の影響があるのではないでしょうか。

最近の右傾化は、これの反動もあると思う。

我々は、もう少し「反国家」と「反政府」の違いをしっかり見極め、反政府の野党を育てるくらいの姿勢を示さねば、今後もグダグダと自公政権の政治が続いてしまうような気がしてなりません。

でも、最大野党の民主党でさえ、「反国家」系列の旧社会党の連中がたくさん紛れているんだよね。
このままじゃ、どうも支持できません。早く政界ガラガラポンして、わかりやすくなって欲しいですね。


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明日より、夏休みで帰省する予定なので、来週はブログ更新できません。宜しくお願いします。


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コメント

仮)山田さん、冥王星さんへ

>仮)山田さん

>少なくとも、日本人の権益が損なわれると予想されるような言動を慎む事が、これからの左翼には必要でしょうね。

そうしないとますます衰退する一方でしょう。
ただ、赤旗など読んでいる限りではちょっと無理そうな気がします。

>冥王星さん

冥王星さんのコメントには、随分と考えさせられることが多いです。

>ナショナリズム社会を加速度的に民主化するには、まずは「反国家」と評価される組織主義、個人主義を植えつける必要性がある。
そのために、「反国家」という刷り込みが必要になってしまう。
>占領軍としては、「反国家」が民主化のために必要だったとしか言いようが無い。
>明治の自由民権運動も反国家的側面を過分に抱えていること


反国家であることが民主化に必要だとのご意見ですが、明治後期や大正時代の帝国議会というのは曲りなりにも民主主義の態をなしていたように私は受け取っていたのですが、そこに冥王星さんが指摘するように「反国家」的要素があったのかちょいと疑問です。

これは、やっぱり反国家とか反政府とかの定義付けをしないと話が進まないような気がしてきました。
私なりの理解で定義付けさせていただきますと、

・反国家的行為=共同体の基盤そのものを棄損する行為。
・反政府的行為=国家権力を掣肘したり、国民の側に移したりする行為。
(反政府行為は、ちと正確でないかも…。)

果たして戦前の野党に上記定義付けの反国家的行為があったんでしょうか?(全く戦前の議会政治に疎いので私には何とも判断できませんが。)
それでも、少なくとも、戦後の社会党が唱えたような非武装中立論のような、無責任かつ日本の安全を棄損するような政策をとるような行為をしているとは思えないのですが。

>野党は具体的対案、政策を提示できないから「反政府」という解釈ができずに、「反国家」と見られてしまうだけに過ぎない。

まあ、この点については、そう見られるかも知れませんね。

ただ、国民は、山本七平が指摘しているように、「反国家」と「反政府」の違いを肌で分かっているような気がします。
日の丸・君が代強制問題が、一部の左翼にしか支持されないのも、「反国家」行為だと受け止められている故ではないでしょうか。

>まず対話、対論をもって抗するべき政治論争が未だにできない日本は辛らつには、民主国家ではないと思っていますが、一度、日本が民主国家であるという認識を捨てた方がいいような気がします。 それは明治時代から続く政治改革の歴史は未だに士族階級とその閨閥の政治支配が続いているという部分で主権者が限定されているという結果論からの話です。

このコメントを読んでふと思い出したのが、井沢元彦の「逆説の日本史」に載っていた説ですね(既にご存じだったら失礼)。

要するに、日本は聖徳太子の昔から「和をもって尊しとなす」国柄であるが故に、「和=話し合い至上主義」が日本人の最重要行動原理となり、今に至るまで日本人を拘束しているという主張なわけですが、話合いで合意さえすれば、それが絶対的な価値となることから、次のような特徴を挙げていました。

・外部の法的規範、憲法の定める基本的人権(人が生まれながらにしてもっている、譲り渡すことのできない権利)を無視する危険を孕む。
・話し合い至上主義は、外部の法的規範を認めず、ムラでの話し合いの合意を重んじる。
・話し合いの和(=環)に入れないものは、疎外されてしまう。
・話し合いのプロセスが大事なのであって、その結果については、間違いであったとしても決めたことだと正当化される。

井沢氏はこうした理由で、日本は民主主義ではなく、話し合い至上主義だと結論しています。
初めて読んだ時はなるほどーと感心した記憶があります。
日本人は、一度この違いを再認識すべきなのかも知れませんね。

  • 2008/08/16(土) 01:29:22 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

こんばんみ~

とりあえず、アシSがお世話になったようで、お疲れ様とだけ。
簡単にコメントするとしたら、氏の疑問はそんなに留意することではない、というのが結論になる。

何を持って、「反国家」とするか?という問題は割愛するが、
民主主義というのは(国家ではない)組織の結合を必要とする。
ナショナリズム社会を加速度的に民主化するには、まずは「反国家」と評価される組織主義、個人主義を植えつける必要性がある。
そのために、「反国家」という刷り込みが必要になってしまう。
これは、宗教による支配を目論んだ勢力がしばしば行うことで、占領軍としては、「反国家」が民主化のために必要だったとしか言いようが無い。
実は、明治の自由民権運動も反国家的側面を過分に抱えていることを推測できる。
国家という規模ではなく地域規模、個人レベルの政治啓蒙を目指すに、国家は邪魔になる。実際、民主主義の行き着く先は、ナショナリズムではなく全体主義であり、それは「反国家」という末路なのだから、特段不思議ではない話でもある。

次に、「野党の反国家」という視点だが
これは案外簡単で、
野党は具体的対案、政策を提示できないから「反政府」という解釈ができずに、「反国家」と見られてしまうだけに過ぎない。
もっとも、現実には、政策論の違いでも、「反国家」というレッテルがあるので、これは大差ないかもしれない。
「非国民」というレッテルが本当に妥当だったのか?という問題程度の部分で、「反国家」「反政府」を分離しているだけで、実態的には意味を成さない話だろう。

次に「民主主義の発展と野党」だが

野党なんかなくても民主主義は発展するというべきでしょう。
野党という顕在化した政治集団が構築されずとも個人が政府と対論できるような社会であることの方が民主主義としては成熟しているというべきだと思う。
むしろ、野党という組織に依存した民主主義を考えているから、野党枯渇という問題を大きく感じてしまうとしか思えない。
ギリシャの民主政治の成熟は政党によって形成されたものではなく、個人の政治意識の高まりから派生的に政策集団、圧力団体が構築されるに過ぎない。
 野党なんてのはどうでもよくて国民のマインドを見て、民主主義を考えるべき、というのが結論としてあるべきだろうと思う。
近代社会の政治では政党は、政治意思の集約、統合機能をもっていますが、そもそも、日本の近代政党政治の歴史でそのような「政党」機能をもっていた時代は、明治時代後期の二大政党制成立以前までの話で、その後の日本の政党は、常に選挙互助会に過ぎない。
政策論争の主体は、政党内派閥や勉強会であって、政党の機能性はほとんどない。
まず対話、対論をもって抗するべき政治論争が未だにできない日本は辛らつには、民主国家ではないと思っていますが、一度、日本が民主国家であるという認識を捨てた方がいいような気がします。
 それは明治時代から続く政治改革の歴史は未だに士族階級とその閨閥の政治支配が続いているという部分で主権者が限定されているという結果論からの話です。(だから、私は直接民主制しか日本の民主主義は成立しえない立場ですが)

以前、どこぞの政党が「確かな野党」というキャッチフレーズで選挙戦をしましたが、あのマインドを理解する思考が有権者にないのです。
 検閲という政治手法は実はもっとも愚民化政策においては重要な政策ですw
 不適切な情報を排斥し続ける悪行を継続することは、実は国民も要求してしまうことなのです。
例えば、戦時中の報道もそうですし、今の国政報道も不適切とされる部分は割愛されているというべきでしょう。
具体例を挙げるならば、
・拉致問題の国会での取り扱い経緯
・政党助成法

ちなみに、反国家、反政府という言葉よりも抽象的で使いやすい用語を最近は使わなくなりました。
私からすれば、反国家、反政府という用語のようがセンセーショナルで言葉としての説得力が伴うので乱用されるだけとしか思えません。
「反体制」という言葉が消えた経緯は、おそらくメディア受容者側が、「体制」の意味を理解できなくなるせいなんだろうと思っています。

長い文面で申し訳ない

  • 2008/08/03(日) 07:17:02 |
  • URL |
  • 冥王星 #-
  • [編集]

あの右よりと言われている読売新聞ですら

低所得者や無年金者の事を述べる時に、在日の無年金者を例にだして記事を書くぐらいですからね。
左よりの方々が、反日的言動を理解できないのは、ある意味仕方ないかも知れませんね。
少なくとも、日本人の権益が損なわれると予想されるような言動を慎む事が、これからの左翼には必要でしょうね。(ある意味、9条堅持は典型例とも言える)
もうすでに、日本には無償で他国に分け与えてあげるような余裕は、無くなりつつあるのだから。

  • 2008/08/01(金) 20:19:41 |
  • URL |
  • 仮)山田二郎 #-
  • [編集]

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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