一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

戦争責任から、核兵器について、そして「負い目の裏目」について考える

今日は、赤旗の記事や、いつも愛読させていただいているブログ「ねこまんま」の記事を読んで触発されたので、思ったことやそれに関連した山本七平の記述をつらつらと書いていきたいと思います。

なので、いささか主張が散漫になるのは、ご勘弁願います。

まず、赤旗の記事から始めましょう。
先月ごろから何度か赤旗紙面上で見かけたのがこれ↓

◆「伝えよう侵略戦争の真実」体験を募集

「8・15」から六十二年がたちます。
あの侵略戦争によって、日本は、国内外で筆舌につくしがたい多大な犠牲を強いました。この歴史の教訓に背を向け、自公政権は、アフガン戦争を支援する新テロ特措法の延長や、「海外派兵恒久法」の制定を狙うなど、アメリカの戦争に参加していくたくらみをすすめています。

本紙は、二〇〇五年、○六年と「元兵士が語る『大東亜戦争』の真相」、昨年は、「伝えよう『大東亜戦争』の真実」を連載してきました。
戦争を体験した人たちの高齢化がすすむなか、今年も歴史の真実と戦争の実相を語り伝えていく企画を準備しています。

元兵士の方、日本軍・米軍による被害を受けた方の体験をお寄せください。お知りあいやご家族の方の紹介、情報提供でも結構です。なお、写真、資料などは返却できませんのでご了承願います。
    ◇
郵送先=〒151―8586東京都渋谷区干駄ケ谷4の26の7 しんぶん赤旗社会部「侵略戦争の真実」係あて。ファックスは03(3225)1434

赤旗の侵略戦争体験記事募集


いつも思うのだが、所詮赤旗の考える戦争の反省というのは、日本軍の侵略行為を紹介するだけなんですよね。

侵略行為を告白し懺悔して、我々日本人は戦争犯罪人なのだと再認識させるワンパターン。
そして、日本軍が、軍部が、戦前の天皇制が悪かった…でおしまい。

それが赤旗の反省。

これを見ていると、以前のエントリーで紹介した狸の論理(私の責任=責任解除)そのものに見えてしょうがない。

そこから先、つまり、どうしてそのような事態になったのか原因を探り、二度とそのような状況に陥らないようすることが反省だと思うのだが…。

「懺悔すること&懺悔をしない連中を非難すること」で、(戦争)責任が解除された気分に陥り、そこで思考を止めてしまう。

こうした事例を見ていると、小松真一が、「虜人日記」で記した敗因21ヶ条の中で、「反省力なき事」と指摘し、山本七平が、「反省と言う語はあっても反省力はなきこと」の実例だと指摘しているのも、ある意味、無理は無いのかも知れません。



話はちょっとかわりますが、8月といえばやはり否が応でも、原爆投下を思い出しますよね。

今年はもう、原爆慰霊日は過ぎてしまったが、この季節になるとやはり一種の憤りに似たものを感じざるを得ません。

というのも、その非人道兵器そのものにも当然許しがたいのですが、例えば広島に投下した際のエノラ・ゲイの飛行ルートを推測すると、どれだけ住民を屋外へおびき出そうとしたのか、その意図そのものに、ある種の戦慄に似たものを感じてしまいます。
(このことについては、下記リンク先↓に詳しい解説あり。初めて読んだときは衝撃を受けました。)

『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』──「反転爆撃」説の紹介
広島の空に白く大きく華やかに開いた「落下傘」の謎

当時のアメリカ人が、日本人のことを虫けら同然に思い冷静にジェノサイドを計画実行したのは、この一事からも伺えるのではないでしょうか。

もっとも、空襲という実に卑劣極まりない攻撃方法が、殺しの手応えというものを感じさせにくいがために、罪悪感を抱きにくくさせている面もあるかもしれませんが…。

とはいえ、我々日本人は、核兵器を語る際、たった63年前に自民族がジェノサイドの憂き目にあったのだという事実を忘れてはならないと思う。

報道やブログ等の論調をみていると、どうも核兵器そのものがいけないという論調に終始しているような感が、感じられてなりません。

何というか所詮は他所の世界での出来事で、自分(日本)はそういう目に遭うかもしれないという危機感がまったく無いと言うか…。

もちろん、核という兵器そのものの存在が憎むべきであるのは否定しません。

ただ、恐ろしい兵器でもそれ自体は、単なる物体に過ぎぬこともまた当然の理で、問題はそれを運用する人間にあると思うのです。

また、核兵器の有効性を認めている人たちが一定の割合で存在している以上、「ねこまんま」ブログ主のめすねこさんが指摘しているように、核兵器を上回る平気が開発されるとか、核兵器を無効化する新兵器でも誕生しないかぎり、人類は、核兵器と共存していかざるを得ないように思うのです。

となると、

「どうしたら使用させないか」
「どうしたら適正な管理の下に置けるか」
「どうしたら核の拡散を防げるか」

ということが、現実問題となるでしょう。

また、それとともに、

「日本が再び同じような目に遭わないだろうか」という視点も忘れてはならないでしょう。

これらのポイントに焦点を合わさない反核運動は、現実から逃避させるという意味で有害無益ですらあるのではないか…とすら最近思ってしまうのです。

反核を唱えるのは簡単ですが、現実的に問題を解決するのはどうしたらいいのか…。

書いている私も、具体的な案があるわけではないのでえらそうなことはいえませんが、理想論に流され、現実的な視点を忘れることだけはあってはならないと考えています。



また、原爆の話題ということで、いささか強引ではありますが、最後に山本七平のコラムについて紹介したいと思います。

■報道の深層心理

「負い目の裏目」という言葉が、私の両親の故郷にあったらしい。「らしい」というのは時々この言葉を耳にしたからである。

その意味は、だれかに何らかの負い目を感じている者は、その相手に何か失態があったときに余計に強く言いたてるものだから用心せよ、といったような意味である。

昔の紀南の狭い漁村での、複雑な人間関係の中で生きて行かねばならなかった者の「生活の知恵」であろう。

都会生活ではこれは余り感じないが、今のように国際社会が狭くなると、われわれはある程度はこういった祖先の知恵を思い起こすべきかも知れない。というのは、このことを、次の二つの点で感じたからである。

一つはベイルートのパレスチナ難民キャンプの虐殺事件である。もちろんこれについてはイスラエルの新聞自体が、ある意味では最も尖鋭にベギン政府を攻撃しているが、西欧のそれとは趣きを異にしている。

たとえば政府批判の急先鋒はイスラエルの「ハアレツ」紙だが、その前にもこの新聞は南部レバノンにおけるPLOのマロン派その他への弾圧・虐殺も報じており、その内容は今回の事件に劣らずショッキングである。

何しろPLO・シリア介入の内戦で10万人が虐殺されたであろうといわれる12年間だから、その内容が物凄くても不思議ではない。

だが、「ハアレツ」は何もPLO罪悪史を暴露しようというのではなく、そのような状態でPLOが武装解除されれば、マロン派によるどのような「血の報復」があるかわからない。

その場合、占領地である以上、イスラエルは当然にその責任を負わねばならないから細心であれという政府への警告も、含まれている。そしてベギン政府は、この警告に正しく対処しなかったという点では、この批判は正しい。

だが、西欧の批判は明らかにこれと違う

また彼らのユダヤ人迫害史がどれほど長く、かつ残酷で、その総仕上げがヒトラーであったことは『ディアスポラ』を読めば明らかである。この著者のW・ケラーは現在スイス在住だがドイツ人で、ドイツ語でこの本を出している。

自己の罪悪を自ら徹底的に告発することは立派だが、ドイツ人のすべてがそうでないから、今回のような事件が起こると「負い目の裏目」が出てくる。だが、これはドイツだけでなく西欧全体に共通している。

もう一つは、日本の「原爆ゆるすまじ」である

これをアメリカ人が聞くと、「原爆を落としたアメリカ人を絶対に許さないぞ」と聞こえるという。

私の友人などもそう受け取り、日本人はみなアメリカ人をうらんでいると信じていたが、日本に来て、アメリカ人をうらんでいる日本人に会ったことがないと、非常に驚いていた。

原爆を落として、戦闘員・非戦闘員の別なく大量殺傷をしたことは、確かに彼らにとって「負い目」であり、従って「原爆ゆるすまじ」を以上のような意味にとって不思議ではない。

特に彼らにとって「許す」とか「許さない」とかは、明確に「人間と人間との関係」に関する言葉であって、「人間が原爆という『物』を許すとか許さないとかいう」ことはあり得ない。従って、以上のような受け取り方はある意味で当然である。

この言葉や「反核署名八千万人」などという記事を目にすれば、彼らはいや応なく「負い目」を感ずる。

そこへ例の教科書報道であり、日本は中国への侵略を歴史から抹殺しそれを美化しているなどという報道が伝われば、たちまち「負い目の裏目」が出てくるのも不思議ではない。

世界は狭くなったが、それが最も著しいのが電波の世界であり、その早さはかつての狭い村内に噂が広まるより早く、まさに一瞬である。
それでいながら昔の村内のように互いに知っているわけでなく、「翻訳」による誤解も生ずるからさらに始末が悪いともいえる。

ただ、日本は戦後しばらく地球村の「村八分」であり、やっと復帰しても日本の言動などは問題にしない時期が長かった。

さらに「日本語」という壁は、たとえ日本の中でマスコミが何かを大声で叫んでも、地球村の中では家の中のヒソヒソ語ほどにも外に知られなかったし、そんなものをだれも問題にしなかった。

しかし現在では違う

日本は好むと好まざるとにかかわらず村内の実力者であり有力者であって、さまざまな影響力を地球村に及ぼしている。

さらに最近における大きな特徴は、日本人に英語人口が増加するだけでなく、外国でも日本語のできる人がとが非常に増加してきたことである。

いわば「言葉の壁」は崩れたとはいえないまでも、相当に穴が大きくなり、それは結果においてはヒソヒソ話の声が大きくなったに等しい。

そうなると「負い目の裏目」がすぐ出てくる

現代の日本のマスコミも一部の国民も、この点の微妙さへの配慮が少ない、というより皆無に等しい。一考を要する問題である。

【引用元:「常識」の非常識/P157~】


負い目の裏目。
こんな言葉があったのですね。

考えてみれば、日本のネット右翼が「フリーチベット」と叫ぶのもこれが背景にあるのかもしれません。

米議会が慰安婦決議を行なったのにもこれが影響を及ぼしていたのかもしれません。

かといって、事実ではない事をそのまま放置することは出来ないし…。

山本七平がいうとおり、今後、主張を展開する際、こうした心理に配慮する必要がありそうですね。

少なくとも、相手の「負い目の裏目」を刺激するような「嘘や誤解を招く報道」を自らが発信するようなことはあってはならないし、一部の反日日本人が、そうした火種を起こすような行動には注意していく必要があるのではないか…と思っている次第です。
(そういう意味でも、毎日新聞の変態報道は許せない

かなり散漫になってしまったが、この辺で今日はお終いです。


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コメント

戦争責任=敗者の責任

八目山人さん、初めまして。
コメントありがとうございます。

>「戦前に悪い所は何も無い。戦争をやった事も。今外国にも国内にもいろいろ言う奴が居るが、みんな日本が戦争に負けたからだ。勝っていれば、何も言われない。」と

ほんとそのとおりだと思います。
勝っていたら、少なくとも日本人の間からは自らの「戦争責任」を問う声は皆無だったでしょう(逆に、今声高らかに問うている左翼連中がそうした動きを封じているかもしれません)

このことは、実は「戦争の責任」を問うということではなく、実質「敗者の責任」を問うているに過ぎないことを示唆しているとしか思えません。

本来、戦争責任を問うのなら、勝った場合も問題視せねばならないはずですからね。

私が「戦争責任」なるものに、胡散臭さを感じてしまうのはそういう処があるからなのです。

そんな責任を侃々諤々やっている暇があるなら、なぜ無謀な戦争に突入していったのかを考えるほうが百倍マシですよね。

  • 2009/01/29(木) 22:33:53 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

まる子さんの所から来ました

戦争責任に当たる英語は有りません。

母は大正10年生まれでした。常々言っていました。「戦前に悪い所は何も無い。戦争をやった事も。今外国にも国内にもいろいろ言う奴が居るが、みんな日本が戦争に負けたからだ。勝っていれば、何も言われない。」と

まさに正論だと思います。

父は招集されて中支に出征し、オウリョッコウを越えるのが1日遅かったら、シベリア送りでした。それでも母は、亭主が出征するのは特に何も感じなかったと言っておりました。

  • 2009/01/29(木) 13:32:45 |
  • URL |
  • 八目山人 #4lXsiBFM
  • [編集]

冥王星さんへ

>冥王星さん

コメントどうもです。

>別に共産党に限ったことではないのだが

冥王星さんのご指摘ごもっともです。共産党だけじゃないのは無論分かっていますけど、私にとっては、数ある「反省というもの」の中で最もバイアスがかかっていて、かつ、欺瞞や偽善性を感じてしまうものなので、つい取り上げたくなってしまうのです。

>アメリカが研究して投下した結果論を日本が犯さなかった保障はないし、むしろ、進んで投下するほど窮していたと言わざるを得ない。

たしかにそうですが、果たして日本人に、アメリカ人が実行した(つまり害虫を駆除する)ごとく原爆を投下できたか?という疑問がどうしても湧いてきます。
(日本人がやるとしたら、手当たり次第ヒステリックに落としはするが、冷静でいられないような気がする)

つまり、戦う相手を自分同様「人」と見なしていたか?いないか?という問題ですが。
そもそも、当時の日本人に、欧米人を人ではないと見なす意識はなかった様に思います。確かに戦時中は、鬼畜米英と唱えました。逆説的ですが、このように唱えなければ、「鬼畜」扱いできなかったのではないでしょうか。

それに比べ、当時の欧米人の黄色人種に対する偏見というものは、遙かにひどかったのではないか?そしてそうした意識が、原爆投下の際の行動に表れているような気がしてならないのです。私はこうした差別意識について、日本人がちと鈍感すぎるような気がしてなりません。

>そして、一番の問題は
「核兵器保有の議論」さえできないヒステリックな状態にあるでしょう。


ほんとそのとおりです。あまりに情緒すぎて冷静になれない。この点は戦前戦後一貫しているように思います。この点も、全く反省されていないということなんでしょうね。

>ベトナムに関しては非常に警戒してもらいたいと思います。

なるほど、これは全然意識ありませんでした。新しい視点を与えていただきありがとうございます。

  • 2008/08/14(木) 20:34:54 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

別に共産党に限ったことではないのだが
こういう傾向は一般的に多くて、改憲論も護憲論でも同じで、批判で終わる。
特に改憲論の盛んな時期でも、総括したような雰囲気が醸成されたが、
具体論に至っていないからこそ、改憲論も現状に落ち着いているというべきだろう。
そもそも、改憲論やってる人間で具体的に憲法草案と解釈解説まで作ったものを知らないし、議論した形跡もない。
自民党、読売新聞の改憲草案も、両者とも議論を回避してしまったからタチが悪い。
つまり、赤旗だろうとアンチ赤旗だろうと同じ穴のムジナでしかないという部分が多い。
まぁ、政治なんてのはその程度の総括、反省が山盛りなんです。
つまり、反省の次にどうするか?というヴィジョンから具象化という過程がほとんどない。
例えば、東京裁判問題は顕著で批判するだけで終わっていて、
「では国際法、国際司法はどうあるべきか?」という具体論などはほとんど進捗していない。
そんで、学識経験者などのプロの見解に対して、知識のない状態で知識のあるような偽装(早い話が、「正論」のメンツのことだが)で反論するから、どうしようもない。
実は東京裁判の批判者の多くは、国際基準の国際法レベルさえ満たせてないのが圧倒的。


冥王星は、核開発計画批判は正直、馬鹿にしている。
そもそも、日本でも核兵器開発計画があったわけだし、ある程度の知識があった。
アメリカが研究して投下した結果論を日本が犯さなかった保障はないし、むしろ、進んで投下するほど窮していたと言わざるを得ない。
ソビエトの恐怖という引き金の問題を差し引いているが、正直、核兵器を自衛権の射程で処理することを否定しきれない。
核兵器と共存するという恐怖から目を背けている国民は非常に多いと思っている。
そもそも、銃刀法規制などは、己を守る権利(自衛権)の否定でありながらも当然のように考えていることは、不思議である。
(核兵器と銃刀を一緒にするな、という反論は自衛権解釈の狭量さというべきだろう。)
問題は、核兵器の管理体制なのだが・・そこは国際政治の問題なので割愛

ちなみに、核兵器との共存と同時に考えてほしいのが、テロとの共存である。
テロリズムは政治意思の実現の手段である以上は、人権として否定することはできない。
むしろ、否定している人権論者がいれば、似非というべきだろう。

核兵器よりも有効性の高い兵器の全廃が確立してきているという見解も実はあります。
地雷、クラスター爆弾は、様々な視点で核兵器を凌駕する効果があります。
しかし、それらが放棄された歴史をどう判断するべきか?という問題を残しています。
正直言えば、核兵器全廃は不可能という考えはありません。
不可能という考え方はそもそも視野狭窄という指摘をしておきます。
おおよその人が、核兵器を保有して、核兵器を全放棄した国を知りません。
核兵器に関する政治的知識は現実的には、非常に未熟です。
兵器としての恐ろしさばかり喧伝されて、その兵器保有のデメリットが周知されていない現状もであるでしょう。

そして、一番の問題は
「核兵器保有の議論」さえできないヒステリックな状態にあるでしょう。
核兵器を保有するのではなく、その議論ができないようなヒステリックな核兵器論が蔓延している現状では、冷静な核兵器の啓蒙は不可能のような気がします。

さて、個人的な見解というか、あくまでもオマケ程度の話ですが
現在、核兵器の保有を疑われている国家としてほとんど出てこないのですが、ベトナムに関しては非常に警戒してもらいたいと思います。
同時に、ベトナムの核保有が極東アジアの核ドミノ論を伸張させることも示唆しておきます。
(ちなみに、ソースはいろいろありますが、陰謀論の類ではなく技術的な可能性と政治環境など総じての見解です)
ちなみに、ベネズエラなんかも危険ですが、まずないと思います。

相変わらずの長文失礼しました。

  • 2008/08/13(水) 12:36:25 |
  • URL |
  • 冥王星 #-
  • [編集]

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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