一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「虚報」が作りあげた「大虐殺」

前回のエントリー「いまだに日中の相互理解を阻む「虚報」の害悪について」の続き。

以前のエントリー「百人斬り報道を未だ謝罪せず、訂正もしない毎日新聞ならではの『報道姿勢』」の中で、百人斬りをでっち上げた浅海特派員について紹介しましたが、何もこうした「虚報」を発していたのは、彼1人ではないんですね。

今日はそのことについて、山本七平の記述を紹介して行こうと思います。

まず、山本七平は、南京攻防戦について、百人斬り報道の片棒を担いだ鈴木特派員の記事を引用しながら、南京での大虐殺について疑問を呈しています。

私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))
(1983/01)
山本 七平

商品詳細を見る
(~前略)

だがここで考えねばならぬことは、当時こういうことをしていたのは、浅海特派員だけではなかったという事実である。

大本営も新聞社も、みないわば大がかりなさまざまの「百人斬り競争」を報道して国民を欺いていた

私が最初に「一読して唖然とする事実」につきあたったといったのはそのことである。

というのは「南京城総攻撃」「大激戦」「城頭高く日章旗」等々はすべて嘘で、「南京入城」は実質的には「無戦闘入城」いわば「無血入城」であったという驚くべき事実を、自らそれと気づかずに鈴木特派員がのべているからである。

本多勝一氏の記す「十万の中国軍(国府軍)」が、二万の日本軍を恐れて戦わずして一斉に逃げ出したなどというのは、全くばかげた話で、十万といえば約六個師団だが、本当に中国側に六個師団もの兵力があり、これの一部が市街に拠点を設けて市街戦を行いつつ別働隊が背後を絶てば、逆に日本側が全滅してしまう。

実際は、日本軍が突入したとき、中国軍はすでに撤退を完了して、例によってもぬけの殼たったはずである。

私は前から「十二日正午突入」「十七日入城式」というスケジュールが非常に不思議であった。

特に松井軍司令官が乗馬姿で入城式を行なったことは、何ともいえず奇妙に感じていた。
というのは、これくらい格好な標的はないからである。

従って有能な狙撃手三名とチェコのシュコダ製スナイパー付狙撃銃三挺があれば、六百から八百の距離で、「ダラスの熱い日」は確実に再現できる。

妙な言い方だが、これは私にだってできるからである。

さらに潜入は、「ジャッカルの日」よりもはるかにたやすいはずである。

一方日本側にしてみれば、入城式に軍司令官が射殺されたとあっては大失態で、完全な面目失墜であり、第一、参謀長以下、大変な責任問題になる。

さらに入城式は作戦行動ではないから、相手から強制されて、ダメとわかってもやらざるを得なかったということではない。

従って、危険をおかしてやる必要はないし、まして突入から五日目にやらねばならぬ必然性は全くない。

「おめでたい日」を選ぶとすれば、もう二週間後に迫った一月一目などは、入城式祝賀をあわせ行うのに絶好の日のはずである。

大体日本軍はいつもそういうやり方をやってきた。

「紀元節反攻」とか「天長節総攻撃」とかは、いわば「敵にすべてを予知ざれる」まことにバカげたお家芸のようなものだから、ちょっとでも危険を察知すれば「一月一日入城式」という発想になるのがごく普通なのである。

従ってこの絶好の「名目」が目の前にあるのに十七日にやったということは、同日でも「絶対安全」という自信があったからにほかならない。

いつこの自信を得たのか、もちろん十七日ではない。

先日会田雄次氏にお会いしたとき、「十七日に入城式を行う」と参謀長が決心したのは何日であろうか、が話題になった。

敗残兵という言葉があるが、戦場の兵士はすべてドロドロでボロボロで、垢まみれ髭だらけであって、その風態はみな敗残兵そのままである。

これを威儀を正したパレード用になおすには、兵器手入・靴手入・被服補修等々を含めて、どれくらい時間がかかるかが問題になったが、結局、どんなに急いでもマルー日はどうしても必要である(会田氏は一日では無理と判定されたが)という結論になった。

戦場には灯火がないから――これがどういうことか、今の人にはちょっと実感としてはつかめないであろうが――ギリギリの線で十五日夜には、入城式に関する命令が発せられない限り、十七日の挙行は不可能である。

ということは十四日夜には参謀会議、司令官決断で、翌日には、パレード部隊の編成、城内警備用の配備計画、城外への奇襲防止のための配備等々、万遺漏なきよう計画を立案し、夕刻か夜には「命令受領者集合!」を各部隊に呼びかけねばならない。

そして十五日配備完了、十六日準備となるはずである。

これを可能にするには、十三日にあらゆる情報を総合して、ほぼ大丈夫という予想が立てられねばならない。

すると、十二日正午突入で十三日夜平穏ということになるわけだが、これでは戦闘する暇も虐殺する時間も死体を片づける時間もないはずなのである。

というのは城門を突破してから、城内の全域を無戦闘で掌握し、治安を確保するのだって、一日や二日はかかるのが普通だからである。

しかも日本軍は、移動は二本の足である。

大体、戦闘があったのなら、城内の一角にとりついてから、全市を掃討するのに、一週間や十日かかるのがあたりまえである。

あの圧倒的火力をもつアメリカ軍が、マニラの一角に突入してから全市の日本軍を掃討するまで三週間かかっている。

しかもマニラは、障壁となりうるような建物が非常に少ない町である。
煉瓦の壁と土嚢で守ることが可能な南京とは全く違う町でもそれくらいかかる。

従って十二日正午突入、十七日入城式なら、これは戦闘がなかったものと考えねばならない――どう考えてもおかしな話だ、これが私の実感であった。

これに対して、会田氏は、当時の日本国内の厭戦気分は異常なほど――これは安岡章太郎氏も前に指摘されたが――なので、ここで大本営は、大激戦、大殲滅戦、中国軍全滅、首都南京突入、入城式、講和、凱旋という一連の虚報による「演出」をスケジュールに組んでいたのではないか、という意見であった。

この会田氏の推測をピタリと裏づけるのが、鈴木特派員の「丸」の記事なのである。

この「丸」の記述の全部を一つ一つ分析し批判し検討するつもりはない。

そういう細かい検討は「百人斬り競争」で十分であろう。
ただここではまず、氏の記述とは関係なく、ただ氏自身の行動のあとをたどってみるだけである。

だがその前に当時の状況の概略を記せば、十二月八日に蒋介石は南京を離れている。

「首都を捨てて逃げた卑怯者」という見方は、いわば「都落ち」を没落と考える日本的な考え方であろう。

彼には一つの方針があったらしく、「都市防衛」を真剣にやったことは一度もない。

都市を死守して包囲殲滅される前に、なるべく多くの損害を相手に与えて撤退するという方針をとっている。

従って翌九日休戦、十、十一日両日の日本軍の攻撃で、日本側に大きな損害を与えたら、それで全軍を撤退さすつもりであったろう。

この城外の戦闘で敗退した中国軍が、ことごとく南京へ流れ込んできたという想定はおそらく空想に近い

撤退は相手の目標をはずすのが原則で、相手の攻撃目標へと撤退するような間の抜けた軍隊は世界のどの国にも存在せず、そんな軍隊が存在すると思っているのは、鈴木明氏も指摘している世にも奇妙なルポライターぐらいのものである。

包囲されたといっても、実際はとこにでも隙間はあるのであって、特に編成をといて便衣となれば、包囲網をすり抜けることは少しもむずかしくない、アメリカ軍とゲリラで完全に包囲され、住民は全部敵側というフィリピンのような状態ですら、現に私がスリ抜けて生きている。

まして有効射程が実際には三百メートルにすぎない単発の小銃が主力の日本軍の包囲網などは、会田氏の表現を借りれば、トイレットペーパーで石ころをまいているようなもので、どこからでもやぶって抜けられるのである。

ただそうなると組織としての軍隊は壊滅し、戦闘力はほとんど失うが、このことはその全員が死んだということではない

鈴木明氏が引用されているダーディンの記事は、当時の中国軍は五万と推定しているが、おそらくこれには、「網の目」からのすり抜けが計算に入っていないであろう。

だがこの「すり抜け数」は中国のように広大な土地では、実際にはつかめない。
中国軍首脳でもつかめないであろう。

これは敗戦時の兵力の実数を、比島の日本軍も、バターンのときのアメリカ軍も、全く掌握できていなかったことにも現われている。

従ってこういった数はすべてあくまでも推定で、大体「最大限に見積もっても」と見るべきである。

この状態が非常に興味深く出ているのが、鈴木特派員の「丸」の記事である。

十、十一日の戦闘で、中国側が日本軍により包囲の輪をひしひしとしめられ、南京城内へと押し込められた――と日本側は推定したかも知れないが――と思いきや、実際は例によって「もぬけの殼」なのである。

従って十二月十二日正午、日本軍は″大激戦″のすえ光華門を突破すると、すぐその「昼さがり」に新聞記者がもう城内を散歩しているわけである。

鈴木特派員はそこで敗残兵に間違われて刺殺されそうになったのだが、その前後の部分を少し引用してみよう。

〈城内いりしたうす曇りの十二日の昼さがり、あやうく残敵掃討の四人の日本兵に突き殺されそうになった。

そのとき、わたしは先輩記者の福島武四郎(寿克、現下野新聞社長)と二人だった。

二人が社旗を持って、中山門内の中山路を歩き、後続の自社記者団の仮の本部(宿舎)をさがそうと歩くうち、右手にりっぱな建物があり、「功志社」とあった。

この建物が国府にとって、政治、外交のビルであり、迎賓館であったことはあとで知ったが、とうじ、この建物の周囲には、まだ、抵抗する敗残兵が乱発(?)する迫撃砲弾が落下し、数百メートルさきには、日本軍飛行機の爆弾が炸裂しており、われわれにはきわめて危険な状況であった。

そんな状況から、二人はあわててその建物に飛び込んだ。

一階の広間とみられるそこは、ガランとして椅子、テーブルなどが散乱し、片すみに、丸い大きなテーブル、体もうまるりっぱなソファーがあり、よごれてはいたがそのたたずまいは、かつての豪華さをしのぶに十分だった〉


この記述は一体全体どう解すべきか。

いま日本軍が城内に突入したというのに、そこを二人の新聞記者が「社旗」をもって、まるで普通の都市の街路でも歩くように、高い姿勢で、宿舎を探しながらぶらぶら歩いているのである。

これが「前線」とは全く恐れいる

大体「戦闘状態」とは、「社旗」などもって、人間が立って歩ける状態ではない。

平ぐものように地面にへばりつき、四方八方に気をくばり、はじめての人間は失禁状態になっても不思議ではないのが実情である。

次に中国側の迫撃砲による砲撃だが、これは明らかに擾乱射撃である。

擾乱射撃は、やりもしたしやられもしたが、それは、その付近にはすでに友軍がいないことが前提で、いわば相当にあてずっぽうな無責任射撃である。

歩兵への援護射撃では、到底こういういい加減なことはできない。

以上の二つのことは、城内のこの中心点にはすでに中国軍はおらず、また中国側は、いないことを前提として砲撃していることを示している。

ということは、中国側は日本軍突入以前からすでに城内で戦闘する意思は全くなく、主力はすでに撤退を完了していたことを示していよう

(後略~)

【引用元:私の中の日本軍(下)/「時代の論理」による殺人/295頁~】


南京大虐殺を論ずる際、南京の人口を基に、虐殺があったとかなかったとかいう論議も見かけますが、それよりも上記のように戦場経験者の常識を以って測れば、おのずと中国が主張するような数はありえないのではないかと思います。

ただ、山本七平も、虐殺だと受け止められても仕方のない事件まで否定はしていません。
例えば南京での山田旅団による捕虜暴動事件などは、いろいろな証言を調べあげた上で事実だろうと述べていますので、単なる否定論者ではないことはご理解いただけると思います。

さて、それでは南京に入城する前の戦闘はどうだったのでしょう。
引き続き引用していきましょう。

(~前略)

では、この城門まで迫る城外の戦闘は大激戦だったのであろうか。

鈴木明氏が防衛庁戦史室で詳細に調べた結果では、十二月二日から十八日までの戦死者数千百十七名、ダーディンの記述では「千人程度」とあるという。この数字は信用できる。

これは到底「大激戦」といえる状態ではない

ダーディンは中国側の損害を「三千~五千」と推定しているが、通常は攻撃側の損害の方が多いのが普通である。

だがここに、「南京戦の戦果」という上海軍による驚くべき発表が登場する。
鈴木明氏の記述から引用させていただく。

〈およそ戦史とよばれるものほど、嘘や誇張の多いものはないだろう。

メーデーの参加者が、主催者側発表と警視庁調べとで数倍違うのが常識であることをみてもわかるとおり、自分の立場によって虚構の数字を作ることに、人間はさしたる罪悪感を抱かない。

例えば「南京戦の戦果」について、上海軍は、昭和十二年十二月十八日(つまり、陥落の五日後)「敵の遺棄死体は八、九万を下らず、捕虜数千を算す」と発表し、さらに一月、「遺棄死体のみをもってするも八万四千の多きに達し、わが方の戦死八百、戦傷四千、敵の捕虜一万五百」と発表し直している〉


結局、軍も新聞も「『百人斬り』は断固たる事実」的なことをやっていたのである。

さて、この「遺棄死体のみをもってするも八万四千の多きに達し……」だが、人は何と解釈するか知らないが、私はこのあまりのデタラメぶりに「こうやって国民をだましてきたのか」とただ吐息が出るだけである

通常、戦死者の三倍の負傷者がいる。

だが仮にこれを二倍としても、これでは、戦死・戦傷すなわち「戦闘能力喪失者」の総計は、二十五万二千人ということになる。

軍隊は通常その半数を失うと戦闘能力を失う。

これを殲滅というわけだが、そうすると「南京戦」で中国軍五十万を殲滅したことになる

何というバカげたことを

この方面の中国軍は、最大限に見積もって五万しかいないのに。
しかもその損害は多く見積もっても三千から五千(おそらくそれ以下だが)であることは、中国側は知っている。

では、上海軍の発表した「遺棄死体八万四千」とはどういうことなのか。

これを「事実」だというなら、このうち四千だけが戦闘員で、残りの八万は非戦闘員の虐殺死体だということにならざるをえない

これが、言うまでもなく大本営的虚報であることの証明ははぶく。

しかし、その言いわけは、世界のどこの国に対しても通用すまい

そして前にものべたように、浅海特派員にも大本営にもそして本多記者にもその発表は世界の耳に入るという意識がないのである。

南京大虐殺の”まぼろし”を打ちあげたのは、実は「百人斬り」について前章で述べたと同様に、われわれ日本人であって中国人ではない

そして、「日本の軍部の発表および新聞記事」を事実と認定すれば、それは必然的に「非戦闘員虐殺の自白」になるという図式でも、小は「百人斬り競争」より大は「大本営発表」まで、実は共通しているわけである。

すなわち、二人の処刑にも「南京大虐殺のまぼろし」にも全く同じ論理が働いているのであって、これがこの章の最初に「いかなる人間もその時代の一種の『論理』なるものから全く自由ではありえない」と記した理由である。

この論理の基本を提供したのはわれわれ日本人である

従って、だれも怨むことはできないし、だれも非難することはできない。

自らの言葉が自らに返ってきただけである。

だがそこで「みんな、みんな、われわれが悪かった」式の反省、いわば「総懺悔」は全く意味をなさないそれは逆にすべてを隠蔽してしまうだけである

まして新しい大本営発表をしている当人が「反省」などという言葉を口にすれば滑稽である。

そうでなく、そうなった理由、そして未だにそうである理由を徹底的に究明し、その究明を通してそこから将来にむけて脱却する以外に、これを解決する道はあるまい

自らの言葉が自らに返ってきて自分を打ち倒す、と感じた瞬間、人は打ちひしがれて立てなくなる。

向井少尉にもそれが見られる。

しかし彼はそれを乗り越えて、上申書と遺書を残した。
そしてその書き方の視点は非軍人的といえる。

彼はやはり最終的には「幹部候補生」すなわち「市井の一人」だったと思われる。

そしてその精神状態は絶対に、「百人斬り競争」実施の主人公のものでもなければ、「百人斬り競争」や「殺人ゲーム」といった異常な虚報を得々と活字にできる記者のそれでもなかった、といえる。

【引用元:私の中の日本軍(下)/「時代の論理」による殺人/297頁~】


ここで、山本七平は幾つか重要な指摘をしていると思います。

・戦意高揚のための「武勇伝」が、非戦闘員虐殺と受け止められてしまうこと。

・「日本人=残虐民族説」を作りあげたのは、他でもない、自ら発した「虚報」であること。

・自ら発した「虚報」が、日本人以外の耳に入るという感覚そのものが全くないこと。

・「虚報」を発したマスコミが、虚報を断固たる事実だと強弁し「反省」を強いていること。


前回のエントリーでも指摘しましたが、反日の元を作りあげたのは、われわれ日本人自身であることを、しっかりと理解して対応しない限り、いつまでたってもこの問題は解決しないでしょう。

単に、中韓を責めれば済む問題ではない、ということになりますが、これは左翼だけではなく、いわゆるネットウヨの人たちも、真の原因をわかっていないのではないか…と思わざるを得ませんね。


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コメント

冥王星さん

>>靖国神社では賊軍扱いの人は、英霊とはされませんし、その価値観が正しいように振舞っているわけです。

 うーん。俺にとっては、それはその当時に作られた政府の戦死者慰霊のためであるから、政府に反逆した賊軍=敵であり、敵を祀ることはできないというのは理解できますが。
 賊軍が勝てば逆の現象がおきただけでしょうね。
 現在は軍属でなくても、最後の自決するまで頑張った電話交換手の女性たちなども祀られており、またA級戦犯でも祀られています。
 従って、これは見方の違いでしょう。
 賊軍が祀られていないから問題だとか、そんなこといっていたら、関が原で敵軍になった武将が重用されないのはおかしいとか、そういうレベルだし。
 今現在、日本政府は一つになり、日本国として存在しているわけで。日本国=周囲の人間含めた全てのために犠牲になった人間を祀る施設は必要だと思っています。そういう宗教的拠り所、誰でも死ぬのだが、名誉ある戦死を臨み、末代まで名を残したいというのは、日本古来の時代からの日本人のある種の共通宗教だと思っていますから。アミニズムだと思いますね。

  • 2008/08/25(月) 22:08:21 |
  • URL |
  • sirokaze #-
  • [編集]

非常に疑問なのですが、この「反日」という判断を下せる人は正しい判断を行えるのでしょうか?

つまり、反日と断じた相手が、日本に利する行為である可能性まで想定されるべきではないでしょうか?

実際、私の祖父母は
大東亜戦争の結論を予言していたわけで、「負ける戦争に労力を費やすべきではない」という主張をしたそうです。
(そのような言論展開の証拠さえ抹消させられたことに憤りがあったそうですが)
私の祖父母は、反日と言われるべきだったとは思いません。
少なくとも、戦争に勝てないという予測は、反日呼ばわりしそうな方々と違い、正確だったわけです。結果論にしても

正しく予測できた人が反日というレッテルをつけられるなら、
逆に、負ける戦争を扇動した指導者が「反日」と言われるべきではないでしょうか?
つまり、反日批判した人が、実態では反日だったわけです。
こういう現象は、今の日本人の国際政治における話ではよく目にします。

つまり、反日という判断は実態としては、虚構でしかないということも想定されるべきでしょう。
おそらく、反日と解された人々の中にも日本のあり方の違いがあっても、尊重されるべき人もいるでしょう。
靖国神社では賊軍扱いの人は、英霊とはされませんし、その価値観が正しいように振舞っているわけです。
とかく幕末からの戦没者に関しては靖国問題では論じられないのが、賊軍問題では靖国側は都合が悪いからでしょう。
そして、それを指摘しても回答しない、対応しないから、リアクションも萎む結論なのでしょう。

反日と軽んじるのは自由ですが、
それが本当に「日本に利する」行為だった場合は、そに批判を引っ込める覚悟はあるでしょうか?

おそらく、反日という安易なセンセーショナルな言葉を多様している人は、その言葉に責任を負うとは思えません。

よく説教することですが、国益などを論じるケースでは、精神論だけを主体にする人がいますが、国益とは、物質的側面、精神的側面など多様な評価軸があるはずです。
ことさら、精神論での靖国国益の論は未熟であり、国益論の稚拙さでもありましょう。

この構造は、右翼、左翼というレッテルと同じく考えが未熟、論理性がないという部分があったりします。
誰でも、身勝手に反日というレッテルを貼れるでしょう。

私は、国際法に関しては特にウザイ部類ですので、換言していますが、今、反日などという安易な言葉を多様している人が、竹島問題では韓国に利する行為を平然としています。
この認識については、条約局・国際法学会でも論争した経緯があります。
竹島問題で、国内法基準で領有権を正当化する論調が、逆に、日本の竹島領有権の根拠を脅かすことも示唆できてしまいます。

反日というレッテルを貼ることも自由ですが、それをどう説明して、規定するのか?という水準まで例示できないようでは、議論する価値もない思い込み、思考停止として処断することが、妥当だと思えています。

議論しないでレッテルで言論封鎖する方法論に逃げるのは、それこそ魔女狩、宗教裁判と同じでしょう。
全体主義に類似性がある行為と考えられます。
もっとも、その用語に関する説明責任など追うつもりもない人とは議論できないとも思いますし、その程度だから、相手されていない現実もあるのでしょう。

それを立証するかのように、「正論」、「諸君」の論陣は世界ではまったく相手にされないのであるが・・・もっとも、読み物としては需要されるので、尊重されてるものだろう。

  • 2008/08/24(日) 21:08:22 |
  • URL |
  • 冥王星 #-
  • [編集]

sirokazeさんへ

コメントありがとうございます。

>俺は逆にネットウヨクと呼ばれる人たちが分かっていないとは思わないんですよね。

ご指摘のとおり、反日日本人がいるということは、いわゆるネットウヨクと呼ばれる人は認識していると思います。

私が言いたいのは、反日の構図というものが当時の大本営の発表や戦意高揚記事などの「虚報」を発端にしているということを、果たしてネットウヨクたちは理解しているのか?ということなんです。

>反日思想日本人による、嘘八百が分かる

要は、この段階以前の構図を理解していないんじゃないか?ということを言いたいのですが…。

  • 2008/08/24(日) 17:03:53 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

いやーむしろ分かってるような

>>反日の元を作りあげたのは、われわれ日本人自身であることを、しっかりと理解して対応しない限り、いつまでたってもこの問題は解決しないでしょう。

俺は逆にネットウヨクよ呼ばれる人たちが分かっていないとは思わないんですよね。

反日思想日本人による、嘘八百が分かる

サヨクと呼ばれる連中が主導している。

彼らは中国朝鮮のボランティア工作員

まとめて嫌いになっている。

こんな流れですから。

  • 2008/08/23(土) 10:04:46 |
  • URL |
  • sirokaze #-
  • [編集]

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Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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