一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

情緒に流されるべからず

今回のエントリーは、お玉さんのブログのコメントを見ていて、思いついたことをだらだら書いていきましょう。

まずは、そのリンク先と自分の投稿コメントを引用します。

・冷静に論理することと感情で批判すること (←参照リンク先)

■感情は大切だけどね…

もちろん感情が基本にあるのは否定しないが、現状を見るとどうも感情に左右され過ぎではないでしょうか。

日本人がリアリストになれないのは、余りにも情緒優先で、判断の際、好悪や善悪の感情に囚われ過ぎているせいだと思う。

リアリストに徹しきれないということは、だまされやすいということになりますね。

たとえば、今でもイラク戦争報道で、アメリカ軍を鬼畜のように報道するのを見かけるケースもありますが、アメリカが悪いからといって醜悪に描き、それに対して許せないという感情をぶつけるような行為は無意味だし、むしろ正確な状況を把握するためには、有害でしかない。

そもそも、世の中には絶対的な悪とかあり得ないし、善悪だけで世の中が動いているわけでもない。それに正義が通れば、問題が万事解決するわけでもない。

感情を大切に思う方は、感情におぼれる危険性をもう少し自覚した方が良いと思う。

感情は大切だが、冷めた頭のほうがもっと大切じゃないかな。

[2008/09/12 18:47] URL | 一知半解


上記のとおり、なるべく感情を排したほうが良いと書き込ませていただいたのですが、書き込まれたコメントを見ると、やっぱり感情に重きを置く人たちが多かったような気がしますね。

また、下記のエントリーのコメントを読んでいたら、わくわく44さんのコメントが目に付きましたので、以下引用します。

・NHK BS 世界のドキュメンタリー 「ブッシュの戦争」(←参照リンク先)

■戦争と戦闘と戦場

戦場の悲惨さ、特に原爆投下後の広島長崎の惨状などは、「二度と戦争はやってはならない」と思い起こさせるものがあります。
それと同じような光景が、イラクやアフガンだけでなく、グルジア、ソマリアにも見られる。目の当たりにすればするほど、気持ちとしては理解できます。

しかし、戦争は「政治」の世界の話であって、単なる感情論だけでは語れないところに難しさがあります。

民主国家の最大の使命は、国民の生命財産を保護し、権利自由を最大限保障すること。そして、国家が国家として機能せず、憲法が機能しないとなれば、これらはすべて吹っ飛んでしまうわけです。

反戦平和を唱え、護憲を唱えている人たちの最大の欠点は、「論点ずらし」です。
今、私が掲げた課題をクリアすることなしに、論点をずらして持論を正当化しようとするところが、護憲の説得力が失われる最大の原因だということに目を向けていない。

戦場は悲惨です。戦争は悲劇の発端となります。軍備の拡張は緊張を増します。軍備の縮小は主権侵害のリスクを増やします。戦争の回避は悲劇を防ぎますが、自国民の権利利益を、理不尽であっても制限される怖れが出てきます。

利害対立が発生したとき、その解決の最終手段は実力行使です。それ以外にも解決手段はありますが、いずれも「それさえあれば」というものではありません。なんだかんだ言っても、実力行使以上に最終的に解決する方法は、人類は見つけ出してはいないのです。

このトレードオフの関係が厳然として存在する以上、戦場の悲劇をもって戦争の抑止を唱えるだけでは、実際には戦争は止められない、という事実を認識し、その上で「それさえあれば」というものがないということも素直に認めて、「いや、それでも、実力行使に至らないまでに解決する道を模索する」というマインドにならないと、反戦平和の思想は虚しいだけになってしまいます。

[2008/09/19 14:12] URL | わくわく44


わくわく44さんが書いたコメントてのは、私も言いたいことなんですよね(わくわく44さんのように、理路整然とわかり易く書くことは出来ないのは実に残念ですが…)。

これらお玉さんのエントリーやコメント欄を見ていて、思うのは「感情を大切にしている」んだなぁということ。要するに、情緒豊かな人たちなんだなぁ…ということで、まあ、それ自体はいいことなんですが。

ただ、情緒豊かというものが、現実というものを直視することにどんな影響を与えるか?ということになると、マイナスにしか働かないような気がしてならないんですね。

山本七平も、日本人の欠点に、リアリストになり切れないということを挙げていたが、お玉さんの処のコメンテイターを見ているとそれが如実に窺えるように思えてならないんだよなぁ。
(そういう自分も、リアリストかと言われると非常に疑問ではありますが…)。

日本人てのは、どうにもこうにも情緒に流されすぎるんだよね。

私はこの情緒に流されやすい性質こそ、逆に戦争の発端になりかねない…と思うのですが。

たとえば、真珠湾攻撃時、「暗雲晴れて一気に…」といった一般国民の感情。
これも情緒優先で、心理的には解決したのだろうが、現実的に解決したわけではなかった(むしろ逆行した)のは結果を見ればわかることなのですが…。

戦後の「戦争は嫌だ」という風潮も、結局のところ、情緒オンリーで全く変っていないと思う。

戦前は、この情緒が無謀な戦争に突入させ、戦後は、とにかく戦争は嫌だという方向に向いてしまった。ベクトルが違うだけで、いずれも情緒に左右されているとしか見えません。

そこで、果たして戦争が嫌だというベクトルに突き進めば、戦争は防ぐことが出来るのか?という疑問がふつふつと湧いてくるわけですが…。

もちろん、現実を無視して、平和など維持できるわけも無いわけで。
(逆の意味で、戦争を引き起こしかねない。)

そこを情緒をもってごまかし続けているのが、護憲派に多いのではないのだろうか。

また、逆を見てみれば、いわゆるネット右翼が主張している、「核武装論」とか、「自立独立」とかいう”威勢の良い”議論も、ある意味、情緒優先が窺えてならないんですよ。

つまるところ、右も左も、極端な人たちほど、表現やベクトルが違うだけで、その根本は全く同じ情緒というものに左右されているだけなんじゃないか?という感がぬぐえないんですね。

戦争を止めるものは、情緒などではなく、徹底的に現実と取り組むしかないと思うのですが…。

右も左も情緒優先で、はなはだ心もとないですねぇ。


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コメント

親父さんが感情論

>>
仮に、指摘ある三重矛盾状態の論理構造を想定すれば、永遠と根拠を求め続けて、最後に「人間の感性的根拠・論拠」というものにブチ当たるとしても、すべての論理を検証するだけの知性は、人類にはありません。
ある論理地点で思考停止することが暗黙の了解として出来上がっているからです。
しかし、その時点を感情論とする必要性はありません。
それは上で規定したように、感情とは共有しえないものであるはずですが、その感情も論理としての昇華を迎えることが可能だからです。
(論理学的に言えば、観念論のコモンセンス化)
>>

親父さんはこれを論理的なものと理解してるのだろうけど、
「思考停止」「暗黙の了解」「観念論のコモンセンス化」。
どれも論理的思考を止めてるというもの。
「しかし、その時点を感情論とする必要性はありません。」
思考停止してるのですからこれは感情論です。
「その感情も論理としての昇華を迎える」
このような論理が感情論。
「その感情も論理としての昇華を迎えることが可能だからです。」
これは感情論の正当化です。

親父さんは自身の感情論を、このような正当化によって『論理』と言い張ってるのです。

  • 2008/10/05(日) 12:38:00 |
  • URL |
  • sadatajp #oZwc76Mg
  • [編集]

きりがないので。

一知半解さん、こんばんは。

当然のことですが・・・
戦時中に敵兵を30万人殺害しても合法だから無罪。
民間人、捕虜を一人でも殺傷したら違法で有罪。
(ただし敗戦国のみ。戦勝国は不問とす)

「あの記事は捕虜や民間人を日本刀で斬ったものである」と証言すれば偽証。
そもそも南京法廷では説明書も受理しない、証人尋問すらない。
南京裁判は捏造と虚報のみで処刑した、シナ人らしい裁判であった。(私見)

山本七平は百人斬りの向井敏明、野田毅に同情してるが(勿論、私も)
では、同じように虚報のみで処刑された三百人斬りの田中軍吉について、山中峰太郎をどのように批判しているのですか?
そして谷寿夫の裁判については何と?

巷では朝日の本多 勝一に対抗して、産経で山本七平が論争して何とやら。
何でイザヤ・ベンダサンというユダヤ人が絡んでいるの?

かなり感情的になっている御様子なので、この件はこれまでとします。
山本七平氏の『三百人斬りと谷裁判について』を楽しみに・・・

  • 2008/10/03(金) 20:33:29 |
  • URL |
  • (元)葵 #cwJ6o44Q
  • [編集]

あれは偽証以外の何物でもない。

(元)葵さん、こんばんは。

>(4)浅海記者は南京の軍事法廷に説明書を提出し「百人斬りは住民・捕虜に対する残虐行為ではありません」と弁護している。

とありますが、ごれは偽証にはなりません。どのような(結果として)反証できなかったと貴方は解釈しているのでしょうか?


まず、南京裁判では、記事が唯一の証拠とされています。
そしたら記事が、事実なのかウソなのかを何とかして証明するしかない。

隆文元弁護士も、記事のみを以って断罪すべきではないと弁護できましたが、その記事そのものを証拠を以ってウソだと証明することは出来なかった。だから、二人は浅海特派員の証言を唯一の望みとして縋ったわけでしょう。

しかし、取り寄せた結果、反証となるような証言ではなかった。この一連の経緯を見て、結果として反証できなかったと私は解釈しました。

そもそも、山本七平や私が問題にしている証言は、「同記事に記載されている事実は、向井、野田両氏より聞き取って記事にしたもので、その現場を目撃したことはありません。」であって、「両氏の行為は決して住民・捕虜に対する残虐行為ではありません。当時といえども、残虐行為の記事は、日本軍検閲当局をパスすることはできませんでした。(←こんな証言は既に知られていることで浅海特派員に改めて証言してもらう必要すらない)」ではありません。

”事実”を聞き取って記事にした…実に卑怯な逃げの証言です。事実と言われたからそれを信じたまでだ。といっているわけです。

それなら、なぜ、浅海特派員は、記事の中で野田少尉の「副官」をわざわざ「○官」と伏字にしたのですか?
伏字にしなければ、記事がウソだとばれるから浅海記者は伏せたんじゃないですか。
伏字にしたり、階級や職名を消したり、目的語を消したのは、それが虚報に必要だったからでしょ。
これらの工作から、「事実ではない」ことを浅海特派員はハッキリと自覚していたことは間違いない。

それなのに、いざ証言の段になって、「記載されている”事実”は…」と平気で証言した。
これのどこが偽証じゃないのですか?

「話されたこと」を”事実”と確信して報道することと、「話されたこと」をフィクションだと判りながら”事実”として報道することは、同じなんですか?
ましてや人の命が掛かっているときに、フィクションと知りつつ「事実」だと答える事が、偽証に当たらないとでも貴方は言うのですか?

(元)葵さん、貴方も浅海特派員にまんまとだまされているとしか、私には思えない。

>しかし浅海氏が偽証して向井、野田を見殺しにしたとなればあの軍事裁判は正当裁判となり、

なりません。
「浅海特派員が偽証して二人を見殺しにした」と「正当裁判かどうか」には因果関係などありません。

第一、あの裁判は、「百人斬り記事」が”唯一の証拠”として裁かれている以上、政治裁判という批判をまぬかれ得ないのですから、例え見殺しだったからといって、正当な裁判となるわけがない。

大体、浅海特派員のやったことは、南京裁判が唯一の拠り所とした「百人斬り記事」の信憑性を高めただけであって、その政治裁判を助けているだけじゃないですか。

いいですか。(元)葵さん。
南京裁判が唯一の拠り所とした「百人斬り記事」を、早い段階で訂正撤回すれば、南京裁判は(そうでなくても怪しい)その正当性を著しく失うわけですよ。

それが現実にはどうでしょう。
今の今まで、毎日新聞は訂正していない。
それを咎める私を、貴方は逆に批難する有様。

もう少し、浅海特派員の言動をよくご覧になってください。如何に浅海特派員が二人を見殺しにし、見殺しにした当人がその行為を「日中友好のために犠牲になった」と美談化しつつ、百人斬りを事実だと強弁していたかを。

それともう一つ。
(元)葵さんの主張は間違っていると思いますが、仮に南京裁判が正当裁判だったとしても、二人が偽証で見殺しにされた事実はなくなりません。

貴方の言っていることは、正当な裁判と認めたくないがために、「偽証」という事実を、「偽証」で無いと捻じ曲げるに等しいのではないかとすら私には思えます。

正当な裁判にしないという目的なら、事実であろうと平気で歪曲する。
要するに、これは「政治的立場で事実の認定を歪める」…という不正行為です。
それをやったから、戦前の日本は何の「事実」も見えず盲目同然となったことに気付かない限り、また同じ失敗を繰り返すかもしれませんね。

  • 2008/10/02(木) 23:46:03 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

ダイス氏へ
では蒙きを啓くに簡単に
経験知
一 論理とは、ロゴスの世界のこと(ronri)
二 感情とは、パトスの世界のこと(kanjou)
三 ロゴスとは、共有が可能なもの
四 パトスとは、共有が不能なもの
五 クオリアは、リアリティのこと
六 クオリアは、認識による現実感
七 証明は、同じものを連ねていく
八 証明は、違うものを捨てていく
九 論証は、等しくないと言えない(ronshou)
十 実証は、異ならないと言えない(jisshou)

これでも分からないなら、
まず、感情論とは何か?というプレゼン資料として
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/giron/x641.html
これである程度の「感情論」「論理」の相違点が理解できるでしょう。
 そして、「論理から感情論を排斥できる」実態を我々は駆使しています。
 今、現在使っているパソコンが感情なき論理のみの道具です。
 使う人間が感情を有していることはありますが
 そもそも、感情と論理の乖離などは珍しいことではありません。
 感情論ではAでもリアリティからはBという選択過程にも一面の論理性があるでしょう。

仮に、指摘ある三重矛盾状態の論理構造を想定すれば、永遠と根拠を求め続けて、最後に「人間の感性的根拠・論拠」というものにブチ当たるとしても、すべての論理を検証するだけの知性は、人類にはありません。
ある論理地点で思考停止することが暗黙の了解として出来上がっているからです。
しかし、その時点を感情論とする必要性はありません。
それは上で規定したように、感情とは共有しえないものであるはずですが、その感情も論理としての昇華を迎えることが可能だからです。
(論理学的に言えば、観念論のコモンセンス化)
今、使用しているパシコンという世界だけでも論理だけであることは否定できないでしょう。
単純に、論理を深淵まで突き詰めれば、人類の知覚的限界がある。それだけのことです。
その限界を感性で処理することには一定の合意がある。だから、感情ではない、ということです。

さて、個別に回答しましょう。
>動機と目的の間には何段階もの「区切り」を考えることができます。その一部分を取り出せば、感情ではない動機が存在するケースなど「当り前」に存在します。私の元コメントで、その事を否定した部分など無いはずですよ(有ったと言われるなら「ここだ」と指摘される事を希望します)。

感情論のみで持論を正当化しようという姿勢への批判です。
まず、「感情ではない動機が存在するケースなど「当り前」に存在します。」ならば、それを検証した上での結果を論じるべきでしょう。
感情論より論理性が優れているとは言えませんが、議論ならば、感情論は対象になりえないと言わざるをえません。
もっとも、その感情論レベルがいい人はご自由に
ただし、感情論で論理を無視した話を正当化されても論理正当性を重要視する社会への冒涜としか判断できません。

>こうやって突き詰めていったとき感情から逃れられないから、先人たちも悩み苦しんだものと理解しています。

 もしお二方が、感情と行動を完全に切り離す方法を見つけていらっしゃるなら、革命的な宗教を起こす事も可能でしょう。どうでしょう、新たに宗教を起こされて「悩める衆生」を救済されては。

前述したとおり、すでに革命的な道具を我々は駆使していますので、宗教にもなりえません。
むしろ、行使しているツールが感情を持たない論理で動くものであることを自覚できない感性は、非常に知的感覚が乏しいとしか思えませんが、いかがでしょうか?

>目的を達成する手段の一つとして論理を用いる事を挙げましたが、それが問題ですか?

問題です。その論理が論理的正当性がないからです。ないではなく、希薄・脆弱なだけ
多様性ある論理の中で自分の感情で価値づけするのではなく、他者の合意が図れるもの・共有化できうるものが、政治的な事象でしょう。
それを目指さないのが政治的には怠惰であり批判されるべき余地のあるものでしょう。
もっとも、合意形成という目的はあなたにとってのは不都合で面倒な概念かもしれませんが

>「とても、羞恥心のレベルが低い人の文章が羨ましくもあり、情けない。」とか「浅ましい人間が論理を語ることに怒りがあることもそうだが、」とか判りやすい言葉がちりばめられていますが、さぞかし立派な「感情ではない」動機をお持ちなのでしょう。
 ぜひそれらを開陳される事を希望します。

簡単なことです。言葉としての妥当性は、単語ならば「伝わること」を主体として言葉の適正さは放送用語ならば、共同通信社の「放送禁止用語マニュアル」、名前の漢字は「常用漢字」などの規定があるでしょう。
そもそも、私は感情論を述べないとは一言も発していませんので、批判される道理はありません。
感情論を否定しているのではなく、感情論を正当化することを否定しているに過ぎませんから・誤解・妄想なきようにw

>これは「感想」ですが、路傍の人様は「護憲を言う方で平和主義者に会った事がありません」の一言で理性を無くしちゃったんでしょうね。で、親爺ではなく親父様は、その路傍の人様に引きずられちゃったと。えぇ、ただの、私個人の「感想」ですが。

このような文章が単なる感情論です。
もっとも、当人は、感情論で議論することを恥じないようなのでご自由にw
それは、それでどういう世界で生活しているのか?という経験からこちらが経験則から判断するまでですからw

それこそ感想ですが、論理的プレゼンの必要のない世界で生きてるのでしょうけどね。

で、これは反論になっているのでしょうか?
私には、ダイスさんの文章は、
「感情論でいいんだよ・・感情論は許されるんだよ」と主張しているだけとしか思えませんが?
どこに論理があるのでしょうか?、また擬態的論理でしょうか?やはり、論理学をやってないとしか思えません。(嘲笑)

  • 2008/10/02(木) 16:51:29 |
  • URL |
  • 親爺ではなく親父 #-
  • [編集]

恥を忍んで葵参上!

『葵さんへ』という貴方の呼びかけで毒舌の葵は復活しました。

>私は、反証を、(許されなかったがために)提出できなかった、ではなく、
(結果として)提出できなかった…という全く違う意味に取っていましたが。
>反証できるとしたら、記事を書いた浅海特派員本人しかいないわけです。
その本人が、「記事は事実である」と偽証を述べたから、(結果として)反証できなかったというのが、私の解釈です。


御遺族側のHP  百人斬り訴訟について  2、冤罪と判明
http://www.senyu-ren.jp/100/001.HTM

(4)浅海記者は南京の軍事法廷に説明書を提出し
「百人斬りは住民・捕虜に対する残虐行為ではありません」と弁護している。

とありますが、ごれは偽証にはなりません。どのような(結果として)反証できなかったと貴方は解釈しているのでしょうか?

南京裁判は、首都であった南京を日本軍により攻略された、屈辱を晴らすための報復裁判と私は認識しております。
第16師団長中島今朝吾の手帳に『捕虜を捕らない主義』というのが証拠の一つであり、その実行犯が同じ第16師団歩兵第9連隊、元中島部隊所属の小隊長の向井敏明であり、その元副官の野田毅でなければならず、よって浅海氏の説明書を受理すれば、南京裁判は成立できなくなります。

虐殺を指揮した責任者は本当ならば中島今朝吾ですが、裁判前に他界しております。生存してる中で名の知れ渡った第6師団長の谷寿夫を身代わりにするために三百人斬りの第6師団中隊長、元大尉の田中軍吉を被告にしたのです。

南京裁判(東京裁判も似たようなもの)は虚報と捏造、そして冤罪の不当な軍事裁判であると当時の日本国民は承知しているから、処刑された人々を戦死と認め国民の手で裁かなかったし、靖国合祀も問題ないとなります。

しかし浅海氏が偽証して向井、野田を見殺しにしたとなれば
あの軍事裁判は正当裁判となり、軍事法違反をした鬼のような日本軍は事実となり、ドイツのユダヤ人惨殺と同じように日本は中国(本当は蒋介石の国民党政府)に永遠に謝罪し続けなければなりません。
そして日本国民は、日本軍の統帥大権を保持する大元帥、つまりは天皇の戦争責任を追及し、戦争の象徴でもあった日の丸は破棄し、天皇を賛美する君が代を否定しなければなりません。

田中軍吉でも分かるように、あの頃の新聞や雑誌には百人斬り報道に似たような記事が他にもあったようです。御二人の悲劇は、南京攻略に参加した事であり、第16師団にいたということであり、浅海氏との合同創作の虚報が元で処刑されたのではありません。

しかし、百人斬りが「合法か否かが分かりかねる」と言う貴方には、何を言っても『馬の耳に念仏』となります。
何故、君が代を拒否する赤教員を「あたりや」というのでしょうか?

>日本人がリアリストになれないのは、余りにも情緒優先で、判断の際、好悪や善悪の感情に囚われ過ぎているせいだと思う。

と貴方は仰いますが、私の嘲笑を込めた「あんた、ば~か? 」に囚われて

>しかし、冥王星さんがコメントで書いてくれた
「感想文しか書けない人間は、他人の話を聞けない。」というのは、どうやら本当かもしれないな…。


と反撃をしていますが・・・貴方は他人の話を聞ける人でしょうか?

>私は感情をとても大切に思いますから、今は過ぎ去った(?)貴方のブログの一連の嵐に対する貴方の対応を哀しく思っていました。

と言ったのに、その後のリンク云々の言葉に囚われて

>葵さんのブログ無くなってしまって、議論の成り行きとはいえちょっと責任というか負い目を感じておりました(葵さんにとっては、対応が悪かったかもしれませんが、私としてはあの時点では反論せざるを得なかったのです)。

と論点を逸らしています。それは誰かを庇う為に故意にとも思われますが。
私は『貴方のブログの一連の嵐に対する貴方の対応を哀しく思っていました』であり、↓この事を哀しく思ったのです。

http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-109.html

真面目に詳しく分かりやすく解説して下さっている福原さんの好意を理解せず、単に「ばか」の言葉のみに反応し、ナンチャラ法をかざして煙に巻き、人格攻撃する人を擁護する貴方が哀しかったのですよ。間違えないでね。

もし貴方が『他人の話を聞ける人』ならば
2008/09/22(月) 21:58:27 | URL | 一知半解 #f2BEFQoE [編集]

>報道自体には、さしたる悪意はないでしょう。
それだからといって、偽証をし二人を見殺しにした行為を不問にはできませんね。
なぜ、葵さんが、そこまで浅海特派員を庇うのか、私にはわからないな…。



私の駄文よりも福原さんの名文を、もう一度読み直して御覧なさい。

>リアリストに徹しきれないということは、だまされやすいということになりますね。

リアリストに徹するならば、信奉する人の言葉だけでなく
反対側の意見や思想も冷静になって検証すべきです。
それには心、つまり相手の感情を読み取り、貴方の心で決めれば、たとえ騙されたって納得がいくでしょ?
リアリストとは、感情の無いロボットではありません。
感情の豊かさが人間として必要と私は思います。

  • 2008/10/02(木) 14:56:13 |
  • URL |
  • (元)葵 #cwJ6o44Q
  • [編集]

論理を理解していないと断定されたダイスが参りましたw

>路傍の人様。親爺ではなく親父様。

 まず、「動機は感情なのか?」から。

「AのためにBをする」
「BのためにCをする」
「Cのために…」
というように、動機と目的の間には何段階もの「区切り」を考えることができます。その一部分を取り出せば、感情ではない動機が存在するケースなど「当り前」に存在します。私の元コメントで、その事を否定した部分など無いはずですよ(有ったと言われるなら「ここだ」と指摘される事を希望します)。

 対して、
「なぜZしたいのか、それはYだから」
「なぜYしたいのか、それはXだから」
「なぜXしたいのか…」
というように、行為の理由(動機)を行為からたどっていくと、感情になってしまうのじゃありませんか?(本能と言うべきものまで行ってしまう事もありますが、まぁ、それは行き過ぎってことで… あるいは、欲望を感情の範疇と定義するか本能と定義するかのグレーゾーン。)

 こうやって突き詰めていったとき感情から逃れられないから、先人たちも悩み苦しんだものと理解しています。

 もしお二方が、感情と行動を完全に切り離す方法を見つけていらっしゃるなら、革命的な宗教を起こす事も可能でしょう。どうでしょう、新たに宗教を起こされて「悩める衆生」を救済されては。

 次に、
> 「感情を補完するために論理が存在する・・・」
とお怒りなようですが、私は、目的を達成する手段の一つとして論理を用いる事を挙げましたが、それが問題ですか?
 目的の達成に感情的満足を伴うから「感情を補完」?
 「論理は論理として感情とは別個に存在する」、当り前じゃないですか。で、別個に存在するものは手段として用いてもいけないのですか? お二方は、感情と論理を完全に分離して行動していると自信を持って断言されますか。
 使用した論理が妥当かどうかは、その論理を用いて行われるコミュニケーションの結果になって現れてきます。そのため、目的達成のために自らの論理を点検するぐらい、するに決まってますって。と言うか、自らの使用する論理を点検する態度まで「冷静に議論をリード」や「議論の途中で理性的ではない態度をとってしまう方は…」という文に含んでいるつもりだったんですが、説明が不足でしたか? お二人が私に講義して下さった事柄なんて、当り前の事なんで、冷静に論理を使用しようとすれば「持論を正当化する論理A」と同時に「持論を否定する論理B」を考慮するのなんて暗黙の了解事項だと考えていました。
> ”感情的には、「A」でも、論理的には「A」を肯定できない、否定するしかない”
この様な状態に気が付いたなら、感情から導き出された目的を見直すか、目的達成の手段に論理を持ちなければよいだけの事です(後者は、護憲を言う方の言説によく見られると感じています)。

 今、この話題で一番興味のあるのは、路傍の人様・親爺ではなく親父様のコメントされた「動機」です。路傍の人様のコメントには「とても、羞恥心のレベルが低い人の文章が羨ましくもあり、情けない。」とか「浅ましい人間が論理を語ることに怒りがあることもそうだが、」とか判りやすい言葉がちりばめられていますが、さぞかし立派な「感情ではない」動機をお持ちなのでしょう。
 ぜひそれらを開陳される事を希望します。

 これは「感想」ですが、路傍の人様は「護憲を言う方で平和主義者に会った事がありません」の一言で理性を無くしちゃったんでしょうね。で、親爺ではなく親父様は、その路傍の人様に引きずられちゃったと。えぇ、ただの、私個人の「感想」ですが。

 風邪はひくは仕事は忙しいは、色々と面倒なので、とりあえずここまで。

  • 2008/10/01(水) 23:47:37 |
  • URL |
  • ダイス #-
  • [編集]

>判断には感情が必須ではありません。

sirokazeさんは必須だといってるのでなく、「入り込む」と言ってるのだと思うが。意図せず入り込んでる、影響を受けてると言ってるのだと思うが。
カバ・ミイラ・天動説、共に感情が入り込むことがある例として出してるのであり、感情抜きで論理化出来るといっても無意味。反論するのであれば「入り込むことがない」ことを証明しなければならない。

親父さんはsirokazeさんが書いてることを読み取れていません。「感情」の説明にある『観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。』が、親父さんの見る目を曇らせてはいませんか。

  • 2008/09/30(火) 22:37:55 |
  • URL |
  • sadatajp #oZwc76Mg
  • [編集]

横になりますが、
Sirokazeさんの主張する事例は感情論が介してるとは言えないものです。

>カバが突然口をあけたら、
あくびか? 呼吸か? それとも空中のエサをつかむのか?
それを判断するのは、人間の意だろう。

人間の意とは「意」=感情、というならばそれは間違いだろう。
アクビ・呼吸などは判断事象である。

「判断」http://dictionary.www.infoseek.co.jp/?ii=0&lp=0&sm=1&sc=1&gr=ml&qt=%C8%BD%C3%C7&sv=KO&se=on
1.物事の真偽・善悪などを見極め、それについて自分の考えを定めること。
2.論理学で、ある対象について何事かを断定する思考作用。

「感情」http://dictionary.www.infoseek.co.jp/?spa=1&sc=1&se=on&lp=0&gr=ml&qt=%B4%B6%BE%F0&sm=1&sv=KO
物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。

判断には感情が必須ではありません。
情動や気分がなくても、アクビ・呼吸という行為を机上論でも知ることができます。
論理的組立しか通用しないコンピュターの世界では感情論は必要性としないのは分かると思います。
経験・知識によって判断材料を得て、様々な判断事象から論理を構成するものではないでしょうか?

カバが突然口をあけたら、
「あくび」・「呼吸」etc → 判断材料
その判断材料から得たものが感情論でしょう。
カバの事例なら、
アクビなら「眠いのかな?」
呼吸なら「なんだ、呼吸か・・」
が感情論というものでしょう。

ミイラと脳、天動説の論理補完は完成されたものではありません。
つまり、論理補完されたように判断・認識されたに過ぎない話です。
これらは、宗教上・慣習上の論理を優先した結果であり、自然科学的論理の概念がない時代においての限界です。
ただし、地動説はユダヤ・キリスト教さえなければギリシャ時代にはピロラオス・アリスタルコス時代には論理的解明がほぼ果たされています。そこを逆光させたのがキリスト教という論理です。
事実誤認から発生した論理は論理としての正当性はないのは言うまでもありません。
論理として無効な論理に過ぎませんから、論理ではないと断じて処断されるものでしょう。
思い込みというものは、感情論以前の判断を誤認させる要因だからこそ、徹底的に問題になるのは、このような理由です。

論理は複線型に存在します。
問題になっている「感情論を正当化・補完するための論理」も論理の一つですが、
それは反証性・具現性などで証明さえ不可能な事例もあるでしょう。
感情論の論理は、まず感情論を優先するという前提に過ぎません。
それには、各人の価値観の多様性に対する配慮はありません。つまり、感情論は普遍性が導かれないだけではなく、個人の歪んだ価値観が行使される恐れがあるわけです。

現代社会が反証性・具象性を前提にする科学の視点が重陽されるのは、それらの価値を多くの人間が認めるからにすぎません。
しかし、現代社会は、創造論・ID説などの非科学的論理形成さえ需要する時代ですから。反証性・具象性は重要ではない時代かもしれません。

>自然科学分野ですら、容易に論理に人間の意図が入り込む余地はあることを示した。

前述したとおり、人間の意図、感情、判断を区別されることを要請します。

一方、もっと考えるべきこともあります。
<「カバが突然口をあけたら」、 あくびか? 呼吸か? それとも空中のエサをつかむのか?>
という限られた人間の意図で考えるべきではない。
まず、それが口であるのか?突然であるのか?という根本的疑問も追及する必要性がある。
永遠と論理の追求作業が必要である。
論理の多様性の果てにあるトリレンマに陥ることがある。
普遍的に正しいと規定するには根拠が必要である。
ある命題Aが正しいといえるには、その根拠Bが必要である。
根拠Bが正しいといえるには、その根拠Cが必要である。
根拠Cが正しいといえるには、その根拠Dが必要である
根拠を要求すれば無限に続くことになる。従って、原理・原則・法則などは明確に正しいとは言えないものであり、どこかで「正しいとする」という世界がある。ということであるそうだ。

論理も追及すれば、竜頭蛇尾、ウロボロスの輪であり完璧たりない。
それでも論理学が重要視されるのは、感情の個体差を埋めるための人間の処世術なのかもしれない。

説明ヘタですいませんっす。

  • 2008/09/30(火) 14:59:37 |
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  • 親爺ではなく親父 #-
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>>生物の観察実験などは感情論が入らずに形成できる論理実験である。

 そうともいえんだろうな。

カバが突然口をあけたら、

あくびか?
呼吸か?
それとも空中のエサをつかむのか?

 それを判断するのは、人間の意だろう。

前後解釈によりカバは退屈していた。
ゆえに、あくびをした。
これとて、そもそもカバ本人に尋ねて聞いたわけでもない。意識的解釈など、人間の都合でなんとでもなる。

たとえば、解剖実験でもそうだ。

 エジプトのミイラでは脳が保存されなかったのは、鼻水を出すだけの器官と考えられていたからである。
 今では、それら数千年の積み重ねの結果、大脳が記憶をつかさどり、小脳が運動神経を伝える役割をする器官であることが分かっているが、そこに至るまでにいくつもの人間による判断=つまり論理補完が行われている。
 ガリレオの例もそうだろう。今天動説を唱えている人間がいるか? あれも当時の知識では、「地動説」は論理学上正しくないという結論に無理やり到達していた代物である。

 自然科学分野や数学という一見、まったく感情を廃するような学問でもこの状態なのである。

 人の感情が左右する。人と人が結ぶ分野、たとえば政治、軍事、経済などの論理などは推してしるべしだろう。

>>論理学を正確にやってない人の論理妄言はやめてほしい。

 なんだろう。この上から目線は。
 そもそも、論理学を学んでいないと断言できるのだろうか?
  実は私は某大学で論理学を学んだのだが、せいぜい授業単位のタメである。
 だが、そんな不真面目学生だった自分でさえ、路傍の人氏の書き込みは、マトモな論理構成をしているとは思えない。
 そもそも自分が出したように、自然科学分野ですら、容易に論理に人間の意図が入り込む余地はあることを示した。
 本来、論理性を重視するなら、
「自然科学には感情が入り込む余地がないことはないのでは?」
 と逆の発想をして、検証するのが筋であろう。

 AはBである。
 Bでないなら、Aではない。

 所詮ここで終わっている。
 本来なら、さらに突き詰めて

 Bでなくても、Aである場合もあるのではないか?
 AでなくてもBになる場合があるのではないか?

 ここまでやって初めて論理学の初歩の初歩だろう。

 路傍の人は、「論理は、感情論で補完しない」という理論を打ち立てるには、「感情論を廃した絶対的な非の打ち所の無い、論理性が必要」になるわけで、残念ながら、そういう分野は、人間が介入している以上形成される理論は人によってしまうという最大の欠点により、否定されると思われる。
 ましてや、他人に指摘されるような非論理性を説明したところで、納得させられるとは到底思えない。

  • 2008/09/30(火) 00:55:22 |
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  • sirokaze #-
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私宛なのだろうけど、自然科学の法則・原理が感情論から生まれたとは言ってないし思ってもいない。論理を感情論の遺物と解してもいない。私が証明する必要はない。
私が感情をリンクさせようとしてるのは論理ではなく“人”。論理を語る“人”。

  • 2008/09/29(月) 00:24:22 |
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  • sadatajp #oZwc76Mg
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感情と論理をどうしてもリンクさせたい人が多いようなので、私から追記

自然科学の法則・原理などは感情論から論理形成の基礎が生まれたものなのですか?

論理を感情論の遺物と解する人は、上記の事例に感情論があることを証明してください。

  • 2008/09/28(日) 15:33:31 |
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  • 親爺ではなく親父 #-
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いきなり頭から違う。
「論理的に考えている人」ではなく「論理的であろうとする人」が。
「論理的であろうとする」のは、感情に流されまいとするから。
感情の制御が出来る人はわざわざ「論理的であろう」としない。
「論理的であろう」としなくとも論理的に考えることが出来る。
「論理的であろう」として感情を否定して排そうとする人が実際には感情的だったりする。

実際、論理的であろうとする人はかなり感情的。あなたもそう。wの多用・不愉快・稚拙さを恥じないで・冒涜・妄言と、感情たっぷり。あなたのコメントには感情が溢れてる。その感情は自身の正当化を指向してる。

  • 2008/09/28(日) 15:14:40 |
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  • sadatajp #oZwc76Mg
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「論理的に考えている人が感情論である」
とか言うのは妄想は頼むからやめてくれw

「論理は感情論を補完・正当化する手段」と考えている人の考えが全てではないw

論理学を正確にやってない人の論理妄言はやめてほしい。

例えば、生物の観察実験などは感情論が入らずに形成できる論理実験である。
発生した事象から想定される論理を仮説を立てて、事象と現状、仮説を連結、関係化する作業には、感情論は必要ではないw
事象観測結果が感情論と分離することのない無能の価値観で図るのはやめてほしいw
そういう人は、一度中等教育で教わった
十分条件・必要条件・必要十分条件・・・・という項目を勉強してきてほしい。


むしろ、「感情論を正当化するために論理を持ち出す」人間の価値観で、論理を語るのは、不愉快である。

己の論理の稚拙さを恥じないで、感情論と論理をリンクさせるのは、論理への冒涜である。

もっとも、論理も分かってない人の妄言だから、信用されないのは当人の問題だがw

  • 2008/09/28(日) 11:35:57 |
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  • 路傍の人 #-
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理論的であろうとする人は感情を否定して目を向けない。
目を向けないから、感情というものへの理解が足りない。
感情というものへの理解が足りないから、自身の感情のコントロールが出来ない。
コントロールが出来ていないから、感情に知らず知らずの内に流されてる。
感情に目を向けていないから、それに気づけない。
気づけないから、それを自分で止められない。
結果、理論的であろうとする人ほど実際には感情的だったりする。

感情の制御というのは非常に難しいものです。そう簡単に抑え込めるものではありません。感情を正面から見据え、制御する術を身に付けないと、知らず知らずの内に感情に流されることになります。論理的にはなれません。

  • 2008/09/28(日) 00:46:27 |
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  • sadatajp #oZwc76Mg
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わくわく44さんへ

そろそろ管理人の理解力を超えた議論になってきたようです(汗)。
ということで、ROM状態に入ります。
てゆーか、とりあえず沈思黙考!?

>わくわく44さん

>お玉さんは、「お玉さんが気に入るレベルまで軟らかい表現」しか表に出していないのです。

そうだったのですか。どうやら私は誤解していたようです。てっきり全部表に出ていると勘違いしてました。

第三者から見れば、表に出ているコメントだけがわくわくさんの意見だと捉えかねない恐れがありますよね。これってやっぱり検閲に等しいかも。

せめて一度は表に出してから消すべきじゃないか…とも思うのですが、難しい問題ですね。


  • 2008/09/25(木) 21:52:13 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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初めまして。
面白そうな話題なので突っ込ませてください。

路傍の人(瓦礫化)さんは非常に優れた思考回路をお持ちのようですが、常人以下の方々に理解させることは困難を極めるのでしょう。

ダイスさんのこの発言などは特に理解できていないことを象徴するように思えます。

>そのような主張される「動機」は何なのでしょうか? 感情ではないのでしょうか? さらに、その動機からストレートに導き出される「目的」にとって、路傍の人さまの主張は適切でありましたでしょうか?
 私の主張している事は、言い換えれば上記のようになります。

まず、主張の動機を感情論と捉えているようですが私は感情論とは思えません。
 理由は、「感情論の正当化・補完を目的とした論理形成」であるダイスさんから見た話でしかない、という重複状況でしょう。
 そして、感情と論理の優先順位は演繹法・帰納法という初歩的な思考で決定できるでしょう。
同時に「目的」に対して妥当性は「感情論を優先化するダイスさんの価値観では理解できない」というだけの可能性があります。

現代社会において、創造論という恐ろしい学問が存在します。
実は、ダイスさんを初め多くの人が陥ってるのは、「感情論を正当化・補完するための論理構成」にまったく危険性を感じないことです。
これは論理の多様性から相反する論理とのバランスを図れない短慮です。
持論を正当化する論理A・持論を否定する論理Bが存在するとします。
ダイスさんなどの思考回路では、必然的にBを見つけることは容易ではありません。
逆に感情論・結果論ありきを排斥することで多面的な論理を可能な限り見つけることができるわけです。
このA,Bの重要性・優位性は各人の価値観であり、数値化できないケースが多いのですが
Bを提示できない人間の論理はあくまでも都合論理というしかありません。
「両論表記」という文章が近年少ないのは、限られた情報量で簡単に説明しようとする努力(逆にいえば「堕落」・「手抜き」)の賜物ですがそれは論理性があるものではありません。

ダイスさんはまず論理というものを理解できていない可能性があります。
小生が説明する立場でもありませんので、割愛しますが、まずはダイスさん自身が「論理」という単語から追及されることをお薦めします。

次にsirokazeさんですが
>井の中の蛙というが、論理性の妥当性など、その個々による視点によって、いかようにも変容が可能であると思われる。

そのとおりです。
だからこそ、論理性の妥当性などの視点を放置して、簡単に事象を断定することを否定しているに過ぎないのである。
つまり「護憲は平和主義ではない」という安易な断定が主題として、論理性の追求がないという問題である。
従って、論理性の多様性の支店のないダイズ氏が問題提起されているわけである。

こんな感じです

  • 2008/09/25(木) 21:00:17 |
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  • 親爺ではなく親父 #-
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>路傍の人さま

 ご高説、承りました。
 で、路傍の人さまが、そのような主張される「動機」は何なのでしょうか? 感情ではないのでしょうか? さらに、その動機からストレートに導き出される「目的」にとって、路傍の人さまの主張は適切でありましたでしょうか?
 私の主張している事は、言い換えれば上記のようになります。

>一知半解さんへ
 レスをいただきましてありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
> 論理だけでも、屁理屈や冷たい人間と受け止められ、聞く耳を持たれなくなってしまうし…。
 あぁ、わかります~。私、家内からまでそういう態度をとられていしまって(T^T)。それで、多少人間が丸くなった(ずるくなった?)らしく、「相手の共感にうったえる」という手法も学習しました(^^;)。
 もっともネット上での議論については、「自分の考えを点検する」「情報の新たな切り口を探る」程度に考えて、あまり熱くならないように心がけています…、いきたいな、かな?
 相手がこちらの意見に賛同してくれれば、非常に心地よいものがありますが、テーマによってはそうならない事も多々あるのが現実。そんな時に思い出すのが、パソ通時代からの鉄則、「相手は目の前の論者にあらず。ROM者を納得させる事こそ心掛けよ。」です。それで良いのじゃないでしょうか。

  • 2008/09/25(木) 01:39:48 |
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  • ダイス #-
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>>「感情論の結果を正当化・補完するために論理を構築する」という論理思考しか考えていないのだろう。
 論理とは、持論の正当化ではなく、存在する認識論を事象・現象から接続・連結するものである。(実験観察の論理など)
意図しない不具合のでる論理も当然存在するし、むしろ「不具合な論理にどう相対するか?」で持論の論理の優位性を確立できるにすぎない。

 どうも俺はこういうのを見ると、一言いわずにはおれない性格である。明らかに矛盾していると思われる。

「感情論の結果を正当化・補完するために論理を構築する」という論理思考

 この結果が

「不具合な論理にどう相対するか?」

 であると思われる。したがって、論理に存在する認識論を事象・現象から接続・連結するものであるといっても、結局「感情論の結果を正当化・補完するために論理を構築する」になる。

 この違いは一言で言うと、「価値観」だと思う。

 イチゴで面白い話があったので、数学で面白い話を。


 一つの泥ダンゴがありました。もう一つの泥ダンゴがありました。あわせていくつでしょう?

 まあ、普通の価値観だと「2個」のダンゴと答えるだろうけれど。

 実はこれ、「1」でも正解。

 泥ダンゴを二つ合体させれば、当然1個の不恰好なひょうたんダンゴができるので、だんごは結局「1」になるという答えでも論理上、正解なのである。
 もちろん、2個と答える論理も正解だ。
 この場合の条件は、バラバラな集合体を、ひとつのエリアに集めて、くっつかないようにしてある状態の上で、各個数を数えることを前提条件においたものと捉え、2つの存在が認められるので、2個である。
 とまあ、小難しい論理性を用いるだろう。
 というか普通のヒトはこういうものを意図せずに、2であると言う。
 だが1で書いたように、命題からすれば、ここまできわめて限定条件を書いていない以上、いかようにも捉えられることができるのである。
 井の中の蛙というが、論理性の妥当性など、その個々による視点によって、いかようにも変容が可能であると思われる。
 すなわち、いかに論理的に書いたつもりでも、結局感情が優先する。
 俺はそれは否定するところではないとは思うが、常に念頭に置くべきだろうと思う。
 だいたい、主義主張の論理なんて、個人の持っている知識と裏づけをいかに面白く主張するかだと思っている。
 ただし、裏づけの無い妄想を、論理だとふりかざす「日本海は日帝残滓」とか、下朝鮮人のようなことはやめようねってのはありだろう。

  • 2008/09/24(水) 23:19:33 |
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  • sirokaze #-
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>昔お玉さんからコメ禁止の措置を食らっていた時に比べると、だいぶ表現が軟らかくなったみたいで、私も読んでいて嬉しくなりますね。

それは誤解です。
お玉さんは、「お玉さんが気に入るレベルまで軟らかい表現」しか表に出していないのです。
以前から、できる限り軟らかく表現しようとはしていますが、物事の性質上、それができない場合もあります。

それを表に出さないお玉さんの、ブログ主宰者としての社会的無責任さは、まだ是正されていないようです。

  • 2008/09/24(水) 23:08:23 |
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  • わくわく44 #-
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ダイスさん、わくわく44さんへ

>ダイスさん

初めまして。コメントありがとうございます。

>論理を積上げたり、相手の共感にうったえたり、あるいは自分を演出する事まで含めて、冷静に議論をリードしたほうが、自分の考えを実現できる可能性は広がりますから。

この点については、私もそう思っているのですが、最近議論していてどうなのかな…と思います。
果たして冷静に議論したとしても、相手は納得するのだろうか?ってね。

幾ら話し合っても、判ってもらえないことの方が多いんじゃないか…と感じてしまうんですよね。
そりゃ、第三者へのアピールという意味では、「自分の考えを広げられる」とは思うのですけれど。

論理だけでも、屁理屈や冷たい人間と受け止められ、聞く耳を持たれなくなってしまうし…。

とにかく、如何に相手をやり込めるか、というのが前面に出ると、もうだめですね。勝ち負けを決めることが、議論の目的じゃないけれど、困ったことに自分でやっていても、そういう形に陥りやすいんですよ。

お互い議論が成り立つようにするってのは、本当に難しいと最近つくづく感じています。


>わくわく44さん

こちらこそ、勝手にコメント引用してしまって済みませんでした。

最近、お玉さん処で活躍しているのを見てますけど、わくわくさんのコメントには、共感することが多いですし、非常に参考にもなります。

昔お玉さんからコメ禁止の措置を食らっていた時に比べると、だいぶ表現が軟らかくなったみたいで、私も読んでいて嬉しくなりますね。

確かに、議論を交わしていても交わることの無い方が多く、いらいらすることも多いですけど、穏やかにやっていきましょう。

そうすれば、わくわくさんの意見も表に出るし、読む私にとっても参考に出来ますので。

  • 2008/09/24(水) 22:17:51 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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ダイスさんへ

>議論を冷静に展開する方のほうが、「感情的な人間」であると考えます。
 なぜなら、「議論を通じてうったえたい事柄を実現しようとする意思=感情」が強いと判断するからです。

一見して正論そうに思うだろうが、浅慮である上に、非常に危険である。
”感情的には、「A」でも、論理的には「A」を肯定できない、否定するしかない”
という感情と論理の分離を想定しない人間の意見でしかないだろう。
つまり、「感情論の結果を正当化・補完するために論理を構築する」という論理思考しか考えていないのだろう。
 論理とは、持論の正当化ではなく、存在する認識論を事象・現象から接続・連結するものである。(実験観察の論理など)
意図しない不具合のでる論理も当然存在するし、むしろ「不具合な論理にどう相対するか?」で持論の論理の優位性を確立できるにすぎない。

ダイスさんのように、感情論と論理性は時には相克することを想定できない人が多いのだろうか?(そこまで論理能力が低い人ばかりとは思いたくない)

いかに人間の志向性が感情に支配されようとも、感情と論理の分離の努力を行うべきだと思う。
分離を努力しない人間だからこそ、「論理は感情を正当化する手段」と勘違いするのか?
悲しき思考停止、視野狭窄というべきでしょう。

>議論の途中で理性的ではない態度をとってしまう方は、その議論によってうったえたい考えをそれほど大切に考えていないのでしょう。

馬鹿げている文章である。
”「理性的」であることは正しい”と前提化しているの過ぎない。
人間の理性・本能など実態を把握できない抽象的なものであることも問題だが、
議論とは、論理性追及・説明責任・合意形成の過程である。
そこに本能的な人間性を踏まえた論題を排斥するのは、リアリティのある議論から逃避に過ぎない。
なにより、理性を神聖視できるならば、性善説で世界は統制できるだろうが、現実社会は性善説ベースでは十分には機能しない。
すでに「理性の崩壊」という近代的発現があるにも関わらず、理性を持ち出す・・・まったく説得力のない言い分であろう。
旧態依然としたトマスモアのユートピア世界の言動でもやりたいのだろうか?

>その意味で、護憲を言う方で平和主義者に会った事がありません。特に安易にネットウヨなんて言葉を使う人は平和主義者ではないでしょう。

「井の中の蛙大海を知らず」だろう。
何が「平和主義者」を規定するのか?は当人の問題だろう。
乱暴に「護憲に平和主義者がいない」と論じるのも勝手だが、世界の論壇では、護憲平和主義者と称される人間は数多く存在する。
改憲論者でも平和主義者もいるだろう。
どれだけ体系的な知識・教養・情報をもってして「護憲に平和主義がいない」と断ずるのは知らないが、所詮は「大海を知らない蛙」だろう。
私の知る冥王星氏などは護憲持論にも関わらず、EUの国際政治学(比較政治学)の論壇で「平和主義者」扱いされている。(当人は平和主義者の自信はないようだが)

護憲という巨大な肖像の中で、当人が知る世界のみで規定するのも仕方ないだろう。
しかし、総じて大海を知らずして、カテゴライズするような浅慮な言動をやっている人間だからこそ、右翼・左翼などという言葉に価値を感じてしまうのだろう。
 肖像の大きいものにも関わらず、その全体像を周知しているように詐欺的に論じる人間の文章の特徴だろう。
 思い込み・論議対象できない・浅慮というものの象徴性でもある政治用語で人をカテゴライズし、それで簡単に理解しようとしている人間の知的堕落・怠惰さの言動は、当人が自覚せずとも、醜態を晒すだけに過ぎない。

もっとも、多くの人間がその醜態を醜態とも思えない集団羞恥化している。

なぜ、このような思い込みの文章を堂々と書けるのか?
それを恥ずかしいと思えないのか?
とても、羞恥心のレベルが低い人の文章が羨ましくもあり、情けない。


過激な文章だが、「感情を補完するために論理が存在する・・・」なんて陳腐な志向性の論理を論じる知性は、論理の冒涜と思えて仕方ない。
その程度の論理しか構築できない浅ましい人間が論理を語ることに怒りがあることもそうだが、
このようなコメントが論理の誤解を生みかねないからこそ、警鐘を鳴らす必要性を感じた。

駄文だが、コメントの意味を理解できる人がいてくれれば幸いである。

  • 2008/09/24(水) 19:42:56 |
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  • 路傍の人(瓦礫化) #-
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ありがとうございます

一知半解さん

私の拙コメを評価していただき、ありがとうございます。
人間である以上、感情を排することはできません。私自身、感情を排して毎日過ごしているわけでもなければ、考えやコメントも感情が入っているわけです。

では、戦争を二度と起こさない、今現在の戦争を終わらせる、という「思い」を達成するというのはどういうことなのか。

これは、現実的に戦争が終わり、戦争が起こらないようにする、ということ以外に達成できる道はない。

では、どうすれば戦争が終わり、戦争が起こらないようになるのか。

これは、私自身がどう思おうとも、目の前の現実に対処しない限りどうにもならないわけですから、現実を踏まえて思考し、行動する以外に課題をクリアすることはできないのです。

つまり、なぜリアリストになるのか、なぜ感情をできるだけ排することが必要なのか、といえば、実は「今抱いている感情を無にしないため」なのです。

吉田茂が、どういう思いで日米安保条約を締結したのか、私は吉田茂を生で観たことがないので推測でしかありませんが、数々の文献からみるに、「早く占領状態を脱したい、再軍備もしたくないが、安全保障は担保しておきたい。では、どうすればこれらを実現できるのか。」という「答え」が、日米安保条約だったんだろうと推察します。

  • 2008/09/24(水) 17:37:56 |
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  • わくわく44 #-
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 始めまして。ダイスと申します。

 お玉さんの所の議論は拝見していました。

 で、感情の事なんですが…
 議論を冷静に展開する方のほうが、「感情的な人間」であると考えます。
 なぜなら、「議論を通じてうったえたい事柄を実現しようとする意思=感情」が強いと判断するからです。
 論理を積上げたり、相手の共感にうったえたり、あるいは自分を演出する事まで含めて、冷静に議論をリードしたほうが、自分の考えを実現できる可能性は広がりますから。
 議論の途中で理性的ではない態度をとってしまう方は、その議論によってうったえたい考えをそれほど大切に考えていないのでしょう。
 その意味で、護憲を言う方で平和主義者に会った事がありません。特に安易にネットウヨなんて言葉を使う人は平和主義者ではないでしょう。

  • 2008/09/24(水) 00:50:45 |
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  • ダイス #-
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わこさん、鍵コメさんへ

>わこさんへ

私が言いたいことは、やっぱりまず日本の置かれている立場というものをしっかり把握すべきではないのか?ということです。

「前提」とか「現状」が把握できていないから、対処法がおかしくなってくる。

それと、例えば米軍駐留について、そのデメリットを問題視するのであれば、その前に、メリットとの比較考量を出来るだけ客観的に行なうべきです(これが難しいのですけどね)。何事にも、光と影があるのですから。

どうも、わこさんの主張を見ていると、「アメリカ=悪者」というフィルターが掛かっているように思います。
人間ですから、善悪とか好悪の感情や偏見から逃れることは出来ませんが、なるべくそうしたフィルターを外す努力をしないかぎり、リアリストになれないような気がします。

それではなぜ、リアリストになる必要があるのでしょうか?
太平洋戦争を考えてみてください。

なぜ、日本は負けるとわかっていながら、無謀な太平洋戦争に突入していったのか?

彼我の能力を完全に見誤ってしまったからです。
リアリストになりきれず、戦力差を、希望的観測や実体のない「精神力」といった言葉でごまかし続けた結果です。情緒的言葉で自らをだまし続けたからです。

その結果が、敗戦と多大な被害でした。

本当に反省するということは、二度とそのような惨禍を招かないことだと私は考えます。
つまり、リアリストに徹すること。現実をしっかり把握することです。

現実を見れない平和主義者は、結果として戦禍をもたらすだけだと思う。

>考えてみれば、国を守ると言うことについての定義が、全然違う人たちとの議論がかみ合うはずもありませんでした。

かみ合わないのは仕方ないのかも知れません。
ただ、第三者の意見というのは、自分で自覚せず掛けているフィルター(そういっている私自身にも当てはまりますが)に気づくためにも有効ですから、出来れば耳を塞がないでいただければ…と思います。

結局のところ、「人は偏見から逃れられない」ということをまず、自覚する必要があるのではないかと思う次第です。

>鍵コメ下さった方へ

コメントありがとうございます。
気になさらなくて結構です。また、コメントいただけるようになれば、私も嬉しいです(結構気付かされることが多いので)。

  • 2008/09/24(水) 00:05:36 |
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  • 2008/09/23(火) 10:44:30 |
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葵さんへ

一応、誤解されないためにも私の解釈を述べておきます。

>>この三戦犯(野田、向井、田中)は、特別反証(反証とは、相手方の申し立てた事実又は証拠を反駁するための証拠)提出が許されなかった

>上記の意味を理解していますか?


一応私も気になって、ネットを検索してみたのですが。
参考先URL:http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/mas/jp_mas.html

朝日新聞 47年12月20日
「南京虐殺者に死刑」

 南京大虐殺事件で百人斬り競争をした元中島部隊所属の小隊長向井敏明、元副官野田毅、それに三百人斬りの田中軍吉元大尉の三戦犯は、十八日南京軍事法廷でおのおの死刑を宣告された。南京虐殺事件の共犯として起訴された他の者は、特別 反証(反証とは相手方の申し立てた事実又は証拠を反駁するための証拠)を提出することが出来たが、この三戦犯は反証を提出できなかった

笠原十九司『南京事件』P7~8


同じ笠原十九司氏からの引用ですが、ここでは記述が違います。どちらが正しいのか原書に戻らないとわかりませんね。

私は、反証を、(許されなかったがために)提出できなかった、ではなく、(結果として)提出できなかった…という全く違う意味に取っていましたが。

山本七平も言っていましたが、隆文元弁護士が幾ら弁護しようとも、唯一の証拠とされた百人斬り記事が、事実でないと証明することは出来ませんでした(彼に出来たのは、新聞記事そのもので戦犯を裁くべきではないということだったらしい)。

反証できるとしたら、記事を書いた浅海特派員本人しかいないわけです。
その本人が、「記事は事実である」と偽証を述べたから、(結果として)反証できなかったというのが、私の解釈です。

>自衛隊を正規軍にして、アメリカの下請けにすると言うのですか!あんた、ば~か?

下請けであろうと、結果として、日本の安全と平和が維持できれば私は構いませんが。
(そもそも、下請けになるかどうかもわからないし、どういう状態を下請けと呼べるのかはっきりしないから、何とも言えませんけど。)

まあ、相変わらずの毒吐きはご健在のようで、ある意味安心しました(苦笑)。

しかし、冥王星さんがコメントで書いてくれた「感想文しか書けない人間は、他人の話を聞けない。」というのは、どうやら本当かもしれないな…。

  • 2008/09/23(火) 09:40:39 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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よく分かりました

あなた方のお考え良く分かりました。
アメリカが今日本にしている事に、何の疑問もお持ちにならないというわけですね。

アメリカの命令下、泥沼の戦争をさせられ続けることになっても、一向に構わないということですね。
そんな人たちが、二言目には、国を守ると言っておられるようですが、国を守ると言う事は、どういう意味だと思っておられるのでしょうね。
考えてみれば、国を守ると言うことについての定義が、全然違う人たちとの議論がかみ合うはずもありませんでした。

尚念のために付け加えさせていただきますが、私は平和主義者ですから、
「日米安保条約を直ちに改正して、アメリカ軍を即時に撤退させよ。」と言うような物騒な事は全然思っていません。
此処まで占領されている米軍を、無理やり追い出したりするのは危険すぎますから。

只、折角占領軍から賜った、憲法9条を、如何してそんなにやすやすと手放す必要があるのでしょう?
米軍が居座っている限り、アメリカの意に反して日本を襲うよな無茶な国など有るとは思えません。
尤も、アメリカの軍需産業が、日本にもっと軍事予算を出させるために、どこかの国を刺激して日本を攻めさせる事が有るかもしれないとの危惧は残りますが・・・・
最終的にそういうことになることが有ったとしても、そうなったとしても、憲法改正して戦争に行かされるのと、大差ない(戦争をさせられる)状況になるだけですから、
わざわざ自分から進んで憲法を変えてまで、泥沼の戦争に、首を突っ込まされる危険を冒すべきではないと私は思っています。(信念と言うのは、感情か理性かは知りませんが・・・・)

だから憲法9条を堅持して、交戦権を認めることだけは避けるべきだと思っているのです。

憲法9条を改正すると言う事は、自分から首を差し出すようなものではありませんか。

  • 2008/09/23(火) 07:11:56 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
  • [編集]

わこさんへ

はい。単なる感情論に過ぎません。
路傍の人が説明しているのが全てだと思います。
仮に貴方や一般の人が抱くような「妄想規定」(規定しえないものが規定要件だと思う話)の事例は結構あります。
せっかくなので例題でも出しましょう。

西瓜、メロン、いちご、は果物と言えるものでしょうか?

より妥当な回答は、「果物的野菜」ということになるでしょう。http://misa.ac.affrc.go.jp/vegf/vfdef.htm
こちらでも参照くださいw

果物は「甘いもの」という概念がおそらく一般的でしょうから、
西瓜、いちご、メロンは果物扱いされますよね?
でも、甘いもの=果物、という規定は簡単に崩壊しちゃいます。
まず、人間の味覚そのものがファジーであることも問題ですが、タマネギ、トマト、キャベツなどは「甘い」ことも十分あります。
そもそも「甘み」があっても、その「甘み」以上の味があれば、甘みが存在しても感じられません。(多くの野菜の実態はこれでしょう)
しかし、それらは、野菜であり果物とはされません。

貴方の言う「支配されている」というのは、これと同じことです。
規定することに関係ない問題を持ち出しているだけの話。
だから、論理性のない話であり、メロンを果物とする主観的感情論でしかない・・ということです。

非常に乱暴な話ですが、この程度の話でしかないのです。貴方の「独立」という論理のレベルは(いや・・実はそれ以下なのですけどね)

論理として成立しえないものは論理ではないのです。
もちろん、一般的認識が間違いとはいえませんが、それがどれだけ根拠あるものか?妥当性があるものか?と問われれば、問題が残るでしょう。

したがって、わこさんの文章は論理性が成立しない文章であり、感情論に過ぎないでしょう。

それとも、「支配力」などの程度論をあなたはどれだけ精査した上で、独立を論じているのでしょうか?
はなはだ浅慮、思い込みに過ぎない論理に失望感よりも、嫌悪感を抱くものです。

逆上して、「甘いから果実」という理屈を押し通すのはご自由ですがねw

  • 2008/09/23(火) 03:48:07 |
  • URL |
  • 冥王星血尿mode #-
  • [編集]

馬の耳に念仏

もう嗤うしかないな。

>偽証をし二人を見殺しにした行為を不問にはできませんね。

何処で浅海氏は偽証したのですか?

>この三戦犯(野田、向井、田中)は、特別反証(反証とは、相手方の申し立てた事実又は証拠を反駁するための証拠)提出が許されなかった

上記の意味を理解していますか?
大元帥って誰のことか御存知ですよね?
それで貴方は左翼や日教組を批判するの?

>感情は大切だが、冷めた頭のほうがもっと大切じゃないかな。

はーい、禿同!これは貴方にとって一番大事な事ですねWWW

>真の独立国になるために改憲しようというのではなく、日本の安全と平和を守るためには、その方がベターだと考えているだけです

自衛隊を正規軍にして、アメリカの下請けにすると言うのですか!あんた、ば~か?
もっと真剣に、お玉ちゃんのブログ&コメント欄を読んで勉強すなさーい!
私は下品なアラシになりたくないので~
ごきげんよう~WWW












  • 2008/09/23(火) 00:31:36 |
  • URL |
  • (元)葵 #/LbNiOl2
  • [編集]

皆様、コメントありがとうございます。

>わこさん

コメントありがとうございます。

ちょっと誤解があるようなので、説明させていただきます。
私は、確かに改憲すべきというスタンスを取っていますが、わこさんが批難しておられるような「本当の独立」を求めようなどとは思っていません。
真の独立国になるために改憲しようというのではなく、日本の安全と平和を守るためには、その方がベターだと考えているだけです。

そもそも、本当の独立とは一体どういう状態なのか?という疑問が浮かびますが、これだけ世界が狭くなり緊密な関係を深めている以上、他国に依存せず生存していけるような国はありえません(アメリカといえども…です)。

ましてや、資源の無い日本が他国に何ら依存せずに生き延びえようとは思えません。

そうした前提条件が頭からすっぽり抜けているから、わこさんが常々憂えているネット右翼の若者たちは、「核武装」だの「真の独立を目指す」だの勇ましい主張を平気で唱えられるのではないかと…。

逆に日米安保に反対する方々を見てみても、安保解消して一体どのように安全保障を構築しようと考えておられるのかさっぱりわかりません。

わこさんがどのように考えているかわかりませんが…。
「武装中立」を理想としている(まさか、今時非武装中立ではないでしょうね)のかも知れませんが、これって誰も頼れないし、どちらにも味方しないということですよ。

自国の領域に入ってきた紛争当事国の軍隊はどこの国の軍隊であれ実力で排除することが「中立」ですが、そうした覚悟があるのでしょうか?中立を保つ気概がありますか?中立を保てる資源や条件がありますか?この国に。

そうしたことを考えずに、安保破棄を唱える人たちというのは、私から見れば、単にアメリカが嫌だという情緒オンリーになっているしか見えないのです。

>路傍の人さん

コメントありがとうございます。
感情と情緒の違いについて、詳しい説明をありがとうございます。
残念ながら、一知半解なる私はそこまで精査した上で、用語を使っておりません。
ですので、

>「情緒」に置換したのは、管理人さんの皮肉でしょうか?

ではなく、天然です(汗)。

こういうご指摘を受けると、今更ながら自分の一知半解ぶりを改めて痛感します。
(だから、よく「知ったか」になってしまうんですよね。気をつけているつもりですが、それ気にしていたら何も書けなくなる恐れが……と言い訳モード。)

>感情論排斥の言動というのは、自分が感情論の時に問題にしないことが多いことが問題だったりします。 つまり、相手が感情論的であるという批判のために「感情論は排斥する」という理想を言い出すわけです。(そのくせい、自分の感情論を自己批判しない・・・そういう方を山のように見てきました)

うっ、その懸念は私自身に当てはめても否定しきれないところがありますね。これまた気をつけていきたいと思います。

>(元)葵 さん

お久しぶりです。コメントありがとうございます。

>>秦郁彦氏は、「この3人はマスコミの戦時宣伝による不運な犠牲者というべき特異例であろう」と評している

>とありますが、それについて貴方はどう思いますか?そして下記の南京軍事法廷判決文については?


虚報が元で殺されたのですから、不運な犠牲者だと私も思います。
判決文も、荒唐無稽としか思えませんね。

>浅海特派員は御二人に良かれと思い武勇伝を載せたのであり、それなりの誠意も感じられますので、謝罪する必要は無いと思います。

報道自体には、さしたる悪意はないでしょう。
それだからといって、偽証をし二人を見殺しにした行為を不問にはできませんね。
なぜ、葵さんが、そこまで浅海特派員を庇うのか、私にはわからないな…。

>日日新聞の捏造記事を謝罪するならば、大本営発表を垂れ流した全ての新聞社やNHKも謝罪すべきであり、統帥大権を保持する大元帥も国民に謝罪し責任を取るべきとなるが・・貴方はお望みですか?

正確に言いますと、「訂正」すべきだと思います。それがマスコミが行ないえる「責任の取り方」ではないでしょうか?それをしないで、他者に反省を押し売りする行為はおかしいと思うのですが。

>山本七平は浅海特派員や大本営を悪者にしながら、敗戦国の哀しさ、そして戦後処理裁判の惨さ、不当さを読者に訴えたかったのではないかしら?

「私の中の日本軍」を読んでいただければわかると思いますが、彼が執筆した動機は、戦後、戦争の実態が歪められていることに危機感を覚えたが為だそうです。
戦後裁判の惨めさ・不当さを訴えたいというのは、山本七平の本意からはずれていると私は解釈しております。

>私は感情をとても大切に思いますから、今は過ぎ去った(?)貴方のブログの一連の嵐に対する貴方の対応を哀しく思っていました。

葵さんのブログ無くなってしまって、議論の成り行きとはいえちょっと責任というか負い目を感じておりました(葵さんにとっては、対応が悪かったかもしれませんが、私としてはあの時点では反論せざるを得なかったのです)。
リンク切れてしまったとはいえ、何となくお気に入りから外すのができないまま…、そのままになってしまいました。スミマセン。これから外させていただきます。失礼致しました。

>冥王星さん

コメントありがとうございます。

>完璧な論理などは存在しないことがまず論理の限界ですし、感想そのものを否定することができないからこそ、感想に逃げ込めるわけですからね。

そうですね。
そこで感想に逃げ込まずに踏みとどまれるかどうか…というのが、ポイントかも知れません。

今回は、情緒という言葉を安易に使って書いてしまいましたが、まあ、私のいいたいことは、結局のところ、「現実を認識できているのか?」ということですね(これは自分も常に問い直す必要があります。第三者の指摘というのはそんな時に重要ですね)。
情緒に流されるあまり、「事実」を歪めて捉えている人がどうも多いような気がしてならなかったので、記事にしてみた次第です。

  • 2008/09/22(月) 21:58:27 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

わこさんへ

>独立出来ているかどうかの判断が、如何して感情なのか納得がいきません。

独立であることを判断する明確な基準がないからです。

感情とは
物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。
です。貴方のコメントの感情は、
「日本は独立国ではない」という話ですが、独立国を規定する概念として以下の材料を提示しました。

>今の日本は経済的にもですが、軍事的には特に、
アメリカの支配下に置かれており、アメリカ駐留軍の配下として、
自衛隊をアメリカの意のままに使わせる密約までさせられていると聞いています。

指摘した材料は、「独立国を規定することに関係のない論理」を持ち出しているに過ぎません。
つまり論理性のない材料を述べているだけに過ぎない。
この文章もまったく論理性のない感情でしかないのです。

そもそも多くの国が相互関係を構築しており、どこ国も程度論の差異はあれど支配下(影響下)にある。
 経済・軍事もすべて完璧に自給自足できた国など存在したこともないし、通俗的な独立国は、総じて、相互従属関係にあるものであるからだ。
 
仮の私が独立国であるか?という命題を論理的に説明するならば
1:国家としての要件を満たしているか?
2:独立という規定の視座をどこに設けるか?
3:独立国と称される事例から、整合・適合性を導き出させるか?
という論理過程の精査を行うでしょう。
もちろん、論理過程すべてを開示する必要性はありませんが、論理たりえないものを述べているのだから、論理的文章ではないし、感情論に過ぎないということです。

もっとも、自分の出した材料が、独立を規定しえるものだと思ってるのでしょうが、実例という問題まで思考が及ばないと論理的だと当人は思いこんでしまうのでしょうが・・・・・

論理というのは、概念的ものだけでは成立しませんん。実例踏まえて想定して述べてくださいな

  • 2008/09/22(月) 19:32:31 |
  • URL |
  • 路傍の人(瓦礫化) #-
  • [編集]

冥王星と言う人がわこさんへ
「独立」という規定に関して、ただ感情を述べているに過ぎないわけで
と言う事を書いておられましたが、独立出来ているかどうかの判断が、如何して感情なのか納得がいきません。

この人は今の日本の政治家の、アメリカの意のままに動かせられている様子を、御覧になったことが無いようですね。

何を見ているかによって違うのであって、見てきたものによって感想も感情も形成されるのではないでしょうか?
もしかしたら貴方のご意見には、施主様がおありなのですか?
http://dendrodium.blog15.fc2.com/blog-entry-161.html

  • 2008/09/22(月) 07:18:11 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
  • [編集]

http://self0507.blog52.fc2.com/

記事はオモロイですね。

で、リアクションの面々もまた個性的w

わこさんへ
「独立」という規定に関して、ただ感情を述べているに過ぎないわけで、当人が
>情緒的にになって居られるのは貴方の方ではないでしょうか?
と他人を批判しちゃうことはやっぱり、違和感は拭えないでしょうね。
つまり、あなたのそのコメントのテーマがそもそも感情の産物でしかないのに、情緒を否定しているのは、自己矛盾でしかないということですがねw

元葵という人ならば
感想文は感想文で否定されても仕方ないでしょう。
感想文が許されないではなく「相対価値」が低いというだけの話。単なる感想文なら、はき捨てるほど存在しているということも。
単なる感想文は主観だけの話でしかなく論理もない駄文です。
政治を語るのに、感想だけですべて説明が可能なのでしょうか?
事実認識の積み重ねから他者の論理、己の論理のバランスを図る意識がない人のレベルの問題もあります。(そういう政治家が増えてますけどねぇw)
何よりも、こういう人間性がむしろ議論・対話の阻害要因になることも歴史が証明するような気がしますが・・・
そして、一番問題なのが、屁理屈という逃げ口上でしょうか?
論理的価値を否定するならば、それよりも重要な論理を提示して否定するべきでしょうが、それをやる技能、器量がない人もかなりいるようです。
屁理屈という批判は単なる負け犬の遠吠えと言える理由は、相克する論理で相手に相応することができるからに過ぎません。
もっとも、「俺は感想文でいいんです」という人の価値観も尊重されるべきでしょうが、論理性を追及する人間と同じにされるのは、不快ではありますけどね。
その理由も立証責任、説明責任に尽きます。
もっとも、そういう責任から逃避する習慣がある人だからこそ、感想文でしか述べられないという傾向も社会哲学での説明もあります。
早い話が、感想文でしか言えない人は、責任意識もない人ということです。
そうやって生きてる人がどうなるか?は当人が身をもって知ることでしょうが・・・・
(でも、世の中、こういう感想文が横行する部分も多いですからねぇ。そのうち、感想文が主流になるかもしれません)
そういえば、ある哲学者が述べていたことですが
「感想文しか書けない人間は、他人の話を聞けない。
逆に、論理的文章しか書けない人間は、自分の話を言えない。」
とのことですから・・・これもバランスなのでしょう・・・

路傍の人
意味不明。
オイラの名前出すな・・
emotion、feelingの相違点は、情緒、感情と逆転することもある。
emotion=情緒
feeling=感情
が一般的なのだろうが、
emotionでも激情的な意味合いが含まれることがあるので、精査されたし
あと、「感情論は排斥しきれない」という前提は当然だと思う。その中で問われるのは、自分の感情論だけを担保にする感想文だと思える。
仮に他人の感想に対してのアプローチ作業が行われれば、話は客体制を持ちえる因子があると思うのだが・・・・・
情緒という言葉の深みを再認識する機会でもあったが、使い分けするほどのこととは思えないのだが・・・・

最後に
管理人様へ
情緒的に生きる方が人間味があるし、楽だと思います。
完璧な論理なsどは存在しないことがまず論理の限界ですし、感想そのものを否定することができないからこそ、感想に逃げ込めるわけですからね。
そして、一人称の感想と、二人称・三人称の感想では分離して評価する必要性があるとは思いますが・・
感想を押し殺して、論理を追求している人間にとっては、感情論だけの文章は、駄文でしかないのですが、それもまた自由といえば自由で・・・・・まぁ、ディレンマもありますw

そうそう元葵とか多くの人が、被害者妄想しかねないので、整理しておきます
感想文が悪とはいいません。ただし、その感想文の相対価値はどれほどなのか?という問題です。
はっきり言えば、感想文なんてのは知識をベースにしないでも馬鹿でも可能です。感じたままを書くだけですからね。
そこには思考的妥当性などは一遍も介在しないで済むわけです。一方、論理を求めている人には、思考的妥当性は問われます。したがって、必然的に客観性、普遍性の要請を適えようとします。
つまり、感想文の方々は、「安っぽい」というだけの話で、それはご自由にということですw
分かり易く言えば、「棲み分け」しましょうということですw
感想文と批判されて逆上するようでは、棲み分けは不可能だと思いますがねw
もっとも「安っぽい」という主観さえも感情ですから、突き詰めれば感情なのですがwwwwwwwww

以上、失礼しやした

  • 2008/09/22(月) 05:33:41 |
  • URL |
  • 冥王星 #-
  • [編集]

粗忽ものでスマソ

名前を記入するのを忘れました。
ごめんなさい。
名乗らぬコメンテータ =私です。
今のHNは・・???(笑)

  • 2008/09/21(日) 23:11:00 |
  • URL |
  • (元)葵 #JdkX0IfQ
  • [編集]

いきなりですが・・・
山本七平は浅海特派員をかなり批判していますが、笠原十九司の『南京事件』で
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/taigaishinryaku_nankinziken_nankinsaiban.htm

>この三戦犯(野田、向井、田中)は、特別反証(反証とは、相手方の申し立てた事実又は証拠を反駁するための証拠)提出が許されなかった(1947.12.20)。秦郁彦氏は、「この3人はマスコミの戦時宣伝による不運な犠牲者というべき特異例であろう」と評している

とありますが、それについて貴方はどう思いますか?そして下記の南京軍事法廷判決文については?

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html
<事実>抜粋

>また日本軍の将校二人が殺人競争をおこない、ひとりは一〇五人を殺したがもうひとりが一〇六人を殺して勝利した。

>『フィクションだろうと、そのように思考する人びとがいるのは確かです。
仮に中帰連の連中が捏造していたとしても、彼らの思考は、戦場を「殺す場所」だと考えているわけじゃないですか』(貴方のコメント)


と発言する貴方にとって、戦場とは何?
中帰連は中気連なんだから~もう全員逝っちゃったかな?
生き恥を晒して~生きるも地獄、死ぬも地獄で閻魔様がお待ちかね。(爆)


>同月十九日、六〇歳を越えた農村婦人謝善真は、日本軍に中華門外の東岳廟で刀を使って刺殺された。そのうえ竹ざおを陰部に挿入され、いずれも残酷非道このうえないものであった。

何だか通州事件、その他もろもろを彷彿させるような~
これだけ多くの被害者の名前があり、日時もはっきりしてるのならば、

侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E7%B4%80%E5%BF%B5%E9%A4%A8

には多くの犠牲者の名前が刻まれている事でしょう!
被害者の遺骨を晒し者のように陳列するなんて悪趣味ではないかしら?

浅海特派員は御二人に良かれと思い武勇伝を載せたのであり、それなりの誠意も感じられますので、謝罪する必要は無いと思います。
戦争に勝っていれば英雄で勲章を貰えたかも?
原爆投下したパイロット二人は英雄として・・・(怒!)
しかし、ありえない話ですが・・・もし日本が戦争に勝っていれば戦犯間違いなし。そしてトルーマンなんか晒し首になってかもよ。

日日新聞の捏造記事を謝罪するならば、大本営発表を垂れ流した全ての新聞社やNHKも謝罪すべきであり、統帥大権を保持する大元帥も国民に謝罪し責任を取るべきとなるが・・貴方はお望みですか?

山本七平は浅海特派員や大本営を悪者にしながら、敗戦国の哀しさ、そして戦後処理裁判の惨さ、不当さを読者に訴えたかったのではないかしら?

難しい法律論は戦勝国のみが言えるのであり、法律や規律を守る善人の人殺しなんてありゃーしない。事後法でも裁かれたんですよ、日本は!

戦争は国益第一であり、情緒とか感情なんかで起きるものではありません。
アメリカの戦争を批判するのは尤もな事ですが、原油がどうなるかを思えば、中東の人々には申し訳ありませんが・・『適当に』アメリカの戦争に日本も加担するのは仕方がないと思います。外国人の命より日本人の命(哀)
いっその事、イスラエルを爆破させたら世界は平和になるかもと。(苦笑)

>また、逆を見てみれば、いわゆるネット右翼が主張している、「核武装論」とか、「自立独立」とかいう”威勢の良い”議論も、ある意味、情緒優先が窺えてならないんですよ。

被爆国だから日本が率先して核廃棄を世界に訴えるべき。
確かに・・しかし残念ながら・・無理。
だから私は三度被爆国にならないように、日本こそが核武装国になる権利を有していると思いますが、アメリカは許すかな?無理かもね。
非核三原則でノーベル平和賞を貰っちゃったし、反対する日本人が多数だし。
アメリカに防衛を任せている今の状態では「自主独立」は難しいでしょう。
『情緒優先』だなんて、御冗談を・・・パンを我慢するから核武装をと望んだ国民は何のためと思いますか?

「テロがあったら死ぬ覚悟、殺すより殺されるほうを選ぶ」じゃー、まるで北斗の拳で『オマエはもう死んでいる』状態。
私は殺される前に相手を殺す、過激な人ですから話が合いません。

私は九条教と揶揄していますが、九条は使いようによっては国益にかないます。日本は、そのようにして国や民を守り、経済の発展をしてきたのです。
ただ、九条グッズやその他・・九条を玩具にしたり、事実を歪曲して遊びなさんな、と言うことです。日本は、やるときはヤルしヤレル国なんですよ。

>感情を大切に思う方は、感情におぼれる危険性をもう少し自覚した方が良いと思う。

確かに・・・同意します。
人は気がつかないうちに人の心を傷つけ、人の善意を踏みにじります。
私は感情をとても大切に思いますから、今は過ぎ去った(?)貴方のブログの一連の嵐に対する貴方の対応を哀しく思っていました。

感情に溺れるのではなく、人の感情に対しての気配りはとても大事。
知らない間にリンクされてる私のブログ・・・ま~~だ、そのまま!
これじゃーブログを潰した意味ないじゃーん!
新しいブログを作りましたがTBはしません。学習能力あるからね(微笑み)

<ご注意>
私は彼のブログを読んでの感想を述べているのであり、感想文と貶される謂れはありません。感想文で間違いないのだから~絡まないでね。
屁理屈コキに構うほど暇人ではありませんからゴメンナサイ。

  • 2008/09/21(日) 23:07:00 |
  • URL |
  • 名無しの権助 #JdkX0IfQ
  • [編集]

お久しぶりの「路傍の人」です。

この記事のタイトルは「情緒」になっていますが、愚考するに「情緒」というような高尚な水準の問題ではないと思います。

「感情」と「情緒」は微妙に語彙が違います。
仮に翻訳するならば、feeling、emotionという相違点があります。

辞典によれば
「感情」:物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。
「情緒」:事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気。
(微妙な相違点をそれこそ”感じて”くださいw)
今の過激な政治言動に「微妙さ」があるとは正直思えません。己の思考にう対して疑念も葛藤もないような感情論であり、情緒というような高尚さを感じられません。
そして、今の政治見解が、「感情を起こさせる雰囲気」を作っているというのも理解できません。
単純に「その感情」しか提示できない・対話・議論できない、というだけの多いに未熟なfeelingとしか感じません。
もっと深く言えば「感情論」「観念論」の相違点でしょうか・・ニュアンスの問題なので意味不明な方は放置で結構です。

ただ、どうしても考えてほしいことがあるんですが
「感情論を排斥するように」というテーゼは重要だと思うのですが、
果たして、そういう言動をしている当人が「感情論抑制の努力をしているのか?」という命題は
かなり疑問を呈する部分が多いと思います。
誤解してほしくないのですが、「リアリストは感情論を排斥しきれません」
理由は簡単で政治意思はどれほど堅牢な論理でも感情論が優先されるケースが多々あるからに過ぎません。
 リアリストは感情論という現実まで受け入れるということです。リアリズムは、感情論・観念論をも包容する存在という理解が妥当でしょう。
(冥王星氏などは感情論を嫌悪しながら、それはそれで留保している無意味な凡例と思ってます)
 「感情論は常に留意するしかないもの」という諦めが必要ではないでしょうか?と厭世的見解を・・・

深刻な問題として
感情論排斥の言動というのは、自分が感情論の時に問題にしないことが多いことが問題だったりします。
 つまり、相手が感情論的であるという批判のために「感情論は排斥する」という理想を言い出すわけです。(そのくせい、自分の感情論を自己批判しない・・・そういう方を山のように見てきました)
 
 感情論を排斥しようとする当人が
コメント承認制は自由という感情論を通しつけるのが、興味深い「感情論」の実態ではないでしょうか?
 「情緒にながされる」のはそれで自由だと思うのですが、「”情緒だけ”で考えるな」というのが私の見解です。
 はたして、情緒、感情を排斥しきれる人間がどれだけいるのでしょうか?という問題提起をされてから、「感情論排斥」を考えた方がいいかと思います。

「情緒」に置換したのは、管理人さんの皮肉でしょうか?
そこに非常に気にかかってコメントしました。ある意味では、感情ではなく、いい意味で使える「情緒」に置換したのが、管理人さんなりの人当たりの良さと思いました。


  • 2008/09/21(日) 19:25:39 |
  • URL |
  • 路傍の人 #-
  • [編集]

前略失礼します。
日本がちゃんとした独立国であるならば、仰る通りかと思いますが、
残念ながら今の日本は経済的にもですが、軍事的には特に、
アメリカの支配下に置かれており、アメリカ駐留軍の配下として、
自衛隊をアメリカの意のままに使わせる密約までさせられていると聞いています。

そんな中、わざわざ憲法を改正して迄、戦争を出来る国に変えようとする動きが、
何を企んでの事かに、あなた方は鈍感すぎるのではないかと思います。
 
どうしたって、独立させてもらえない状況下に有るという、厳正な事実を見据えるということをおろそかにして、本当の独立を!と情緒的にになって居られるのは貴方の方ではないでしょうか?

  • 2008/09/21(日) 11:45:14 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
  • [編集]

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「亡国の記念日」をちょっとだけ

肩のこる話 ★☆☆ 今日は「建国記念日」である。昨年の教育基本法の「改正」が真っ正面からうちだした「愛国」ともあいまって、なんとも...

  • 2008/09/22(月) 19:59:35 |
  • たわいもない話

絶対に許せないエントリー

ここまで「言論の自由」を冒涜するのか? 白砂青松のブログ 日朝首脳会談から6年 本来なら、ご家族の方々はどんな方法でもかまわない...

  • 2008/09/23(火) 19:00:12 |
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一知半解

Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

http://yamamoto7hei.blog.fc2.com/

★★コメント欄運営方針★★
・基本的にどんなコメント(管理人批判も含め)でも一度は公開します。
・事前承認制ではありませんので、投稿するとすぐ表示されてしまいます。投稿前に、内容の再確認をお願いします。
・エロコメント及び勧誘サイトへ誘導するようなコメントは気付き次第、削除します。
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・管理人はコメント欄の運営については自由放任という立場です。当面は、たとえ議論が荒れてしまっても不介入の方針でいきます。議論はとことんやっていただいてかまいませんが、できるだけ節度やマナーを保って議論していただきたいと”切に”希望します。
・本人よりコメント削除要求があり、管理人から見て、明らかに事実無根の中傷・名誉毀損と判断した場合は警告の上、当該コメントを削除することがあります。

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