一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「自己の絶対化」と「反日感情」の関連性~日本軍が石もて追われたその理由とは~

やれやれ、なんだか田母神氏を巡って、すったもんだの大騒動になってきましたね。
言論の自由とか、文民統制とか色んな方向に議論が行っちゃってますが、一体どのように収束するのでしょうか。
これが、自衛隊の思想統制などと妙な方向に走ってしまわなければ良いのですが…。

それはさておき、前回「石の雨と花の雨と」を上げたところ、コメントを幾つか頂き、それに応える意味で、今回も新たに山本七平の記述を引用していきたいと思います。

なぜ日本軍が石もて追われたのか。
山本七平小松真一は、その理由に「一人よがりで同情心が無い事」や「日本文化に普遍性なき為」を挙げています。
今日はそれに関する記述を「日本はなぜ敗れるのか」↓の中から以下紹介していきます。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03)
山本 七平

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■自己の絶対化と反日感情

(~前略)

一体問題はどこにあるのであろう。
戦争中、「鬼畜米英」という言葉があった。事実、戦場には”残虐行為”は常に存在するものであり、もちろん米英側にもあり、その個々の例を拡大して相手の全体像にすれば、対象はすべて人間でなくなり、「鬼畜米英」「鬼畜フィリピン」「鬼畜日本軍」になってしまう。

そしてこういう見方をする人たちの共通点は常に「自分は別だ」「自分はそういった鬼畜と同じ人間ではない」という前提、すなわち「相手を自分と同じ人間とは認めない」という立場で発言しており、その立場で相手の非を指摘することで自己を絶対化し、正当化している

だが、実をいうとその態度こそ、戦争中の軍部の、フィリピン人に対する態度であったのである。

そして、そういう人たちの基本的な態度は今も変らず、その対象が変っているにすぎない――そのことは、前述の短い引用と本多勝一氏の日本軍への描写を対比すれば、だれの目にも明らかなことであろう。

そして小松氏には、この態度が皆無なのである。

氏は、実に危険な、おそらくフィリピンで最も危険な場所におり、しかも全軍がジャングルに引揚げるという直前、別の記録でみれば、到底どうにもならない”残虐状態”の渦中にあるはずなのに、その恐怖すべき相手であるはずのゲリラと悠々と交渉して相互の諒解に達している。

また、コンスタブ〔べ〕ラリーヘの対処の仕方などは、一種、みごとといえる。
というのは、この日本軍の養成した警察隊の、比島潰乱期における日本軍への反乱は、さまざまなゲリラより恐るべき諸事件を発生させているからである。

そしてそれらの事件の背後には、現地における対日協力者への、あらゆる面における日本側の無責任が表われており、この問題の方が、私は、戦後の反日感情の基になっているのではないか、とすら思われるからである。

前述の本多勝一氏の『中国の旅』における「治安維持会」(対日協力者) への定義などを読むと、戦後そのために苦難の道を歩んだ中国人やその一族がこれを読んだら、日本人なるものをどう見るであろうと、少々、慄然とせざるを得ない

悪名高きベトナムのアメリカ軍さえ、対米協力者の生命の安全とその保障および現地の混血児に対しては、少なくとも最後の最後まで責任をとった。

そしてこれを批判した者に対する、台湾人からの痛烈な再批判があった――事実、台湾出身の評論家林景明氏なども、この点における日本人の倫理観を強く批判する、アメリカのあの態度を批判するなら、戦争中徴兵した台湾人への軍隊内における強制貯金ぐらいは補償したらどうなのだと。

日本人は、一切の対日協力者を、その生命をも保障せず放り出し、あげくの果ては本多氏のように、その人たちに罵詈雑言を加えている、と。

これでは、もう話し合いなどは一切ない世界になってしまう

だが小松氏にはゲリラとも話し合いができた。そして結局、ゲリラとの話し合いのできる人間だけが、対日協力者とも話し合いができ、相互に納得できる了解に達しうることができたわけである。

小松氏が、以上のような話し合いをしたのは、言うまでもなく、日本軍の敗退がすでに決定的となった段階においてであった。それなら、緒戦当時、あの「四か月間」に、小松氏がやったような「話し合い」が、中部山岳州の残存米比軍やモロ族との間に、できなかったのであろうか。

できなかった

なぜであろうか。一言でいえば「日本文化に普遍性なき為」「一人よがりで同情心が無い事」のためであった

ではなぜ小松氏にそれができたのか、氏はそれを知り、そう書けたからにほかならない。

だがそれが言えない者、それが書けないもの、そこにあるのは、自己の絶対化だけであり、「他に文化的基準のあること」を認めようとしない、奇妙な精神状態だけであった。

絶対化してしまえば、他との相対化において自己の文化を把握しなおして、相手にそれを理解さすことができなくなるから、普遍性をもちえない。

言うまでもなく普遍性はまず相対化を前提とする。

それは相手が自分と違う文化的基準で生きていることを、ありのままに当然のこととして「知ること」からはじまる。

もしそれが出来ないなら、自分だけが人間で、他はすべて人間でないことになってしまう――鬼畜米英・鬼畜フィリピン人・鬼畜日本軍と。

そしてそれは「一人よがりで同情心が無い事」であり、その人間が共感や同情らしき感情を示す場合は、何らかの絶対者に拝脆して、それと自己を固定して自己絶対化を行なう場合だけである。だがこれは、本質的には共感でもなければ同情でもない

昭和十九年、私かマニラについた時以来、朝から晩まで聞かされていたのは、フィリピン人への悪口であった。「アジア人の自覚がない」「国家意識がない」「大義親を滅すなどという考えは彼らに皆無だ」「米英崇拝が骨の髄までしみこんでいる」「利己的」「無責任」「勤労意欲は皆無」「彼らはプライドだけ高い」等々――。

だがだれ一人として、「彼らには彼らの生き方・考え方かある。
そしてそれは、この国の風土と歴史に根ざした、それなりの合理性かあるのだから、まずそれを知って、われわれの生き方との共通項を探ってみようではないか」とは言わなかった。

従って、一切の対話はなく、いわば「文化的無条件降伏」を強いたわけである。

それでいて、自己の文化を再把握し、言葉として客体化して、相手に伝えることはできなかった

考えてみれば、そうなるのが当然であって、従って、そこに出てくるものは、最初にのべたように彼らを「劣れる亜日本人」とみる蔑視の言葉だけなのである。そしてこの奇妙な態度は、戦後の日本にもそのままうけつがれた

昭和二十二年、フィリピンから帰って最初に私が感じたことは、そのことであった。

多くの人は、進駐軍に拝跪し、土下座して、わずか二年前の自分の姿を全く忘れたように自己をアメリカと心情的に同定して、戦前の日本人を「劣れる亜日本人」と蔑視していた

これはまさに「反省力なき事」である。

そして同じことは、日中復交時にも起ったが、どのときも共に、この「反省力なき事」の標本のような人たちが、「反省が足りない」と人びとに、同じように拝跪することを強要していた

だがその人びとは、かつて、台頭する軍部に最初に拝脆した人びとではなかったのか!

そういう人々がフィリピンに来た。
緒戦当時の本間軍司令官は、陸軍切っての「西欧通」といわれ、確かにそれらしい配慮はあった。フィリピン人の殆どがカトリック教徒であることを考えて、土井司教(後の枢機卿)をつれて行ったり、また現地のパワー・エリートの多くがハーバードやエール出身のことを考慮して、同校卒業の大学教授なども帯同していった。

だが問題は、一司令官のこういった配慮で解決する問題ではなかった。
同時にそれらの人の殆どすべては、軍と意見があわず、きわめて短時日のうちに帰国している。それはむしろ軍の方で「やっかい払い」をした、と言った方が正確なような状態であった。

自己を絶対化し、あるいは絶対化したものに自己を同定して拝跪を要求し、それに従わない者を鬼畜と規定し、ただただ討伐の対象としても話し合うべき相手とは規定しえない。

結局これが、フィリピンにおける日本軍の運命を決定したといえる。

フィリピン人をせめて日米の間で中立化させておくこともできなかった悲劇、その理由は、引用した記録と小松氏の文章を読み比べれば、だれの目にも明らかであろう。

だがすべての人間に、それがなし得なかったのではない

小松氏だけでなく、同じようなことが出来た人もおり、そういう人びとには、フィリピン人から収容所への絶えざる「差入れ」があった

そのことを小松氏も記している。
従って問題は常に、個人としてはそれができるという伝統がなぜ、全体の指導原理とはなりえないのかという問題であろう。

【引用元:日本はなぜ敗れるのか/自己の絶対化と反日感情/P145~】


ネットしていて、左右どちらにも見られるのですが、極端な人ほど「相手を人と認めない」ような気がします。最初から論議する相手ではなく、見下し軽蔑する対象としてしか扱わない。

こういう人々をみると、戦前から何も変っていないんだな…と改めて思わざるを得ません。

個人的な感想になりますが、いわゆるネットウヨの言動に対しては、今までの左よりだった反動という面もあって、感情的になり過ぎて馬鹿なこと言ってやがる…としか思わないのです(もちろん、こうした行き過ぎは正さねばならないと思いますが)。

それに対し、左翼と言うのは嫌ですね。

何が嫌かって、それはまさに山本七平が指摘したとおり、

『「自分は別だ」「自分はそういった鬼畜と同じ人間ではない」という前提、すなわち「相手を自分と同じ人間とは認めない」という立場で発言しており、その立場で相手の非を指摘することで自己を絶対化し、正当化している。』

としか思えないからです。
道徳的優位という偽善の衣を被っている分だけ、始末が悪い。
私の見るところ、左翼のブログには、そういう腐臭を思いっきり発散しているところが多いですね(本人はどうせ気付くことはないんだろうけど)。

話が横にずれちゃいましたが、結局のところ、「相手と話すこと」が個人では出来ても、日本人全体として出来ないのはどうしてなのかという山本七平の指摘は、よく考える必要がありそうです。


【関連記事】
・「石の雨と花の雨と」~石もて追われた日本軍/その現実を我々は直視しているか?~


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コメント

mugiさんへ

mugiさん、こんばんは。

>宮城県産牡蠣って、地元の人間でも普段はあまり食べず、スーパーでは安い広島産が売られています(嘆)。

それはもったいない。あれだけ三陸の海の幸があるのに~。塩釜の仲卸魚市場にも行きましたが、安くて新鮮な魚介を食べられる近所の皆さんがうらやましくなりました。その場で剥いてくれた生牡蠣や生ホタテ、めばちまぐろおいしかったですよ。また行きたいデスv-290

それはそうと。

>『「超」文書法』(野口悠紀雄 著、中央新書1662)に、「文章を言い訳から始めてはいけない」とあり、これは大抵後で批判された時、「だから言っていただろう」と言えるための保険、言い訳はアリバイ作りとしています。

勿論、山本七平についてもそのように見ることは出来ると思います。
ただ、彼はこの本の中で、日本人が「公平中立純客観的立場に立ちうる」と錯覚していることを憂えていました。なぜなのかはちょっと一言で説明できませんので読んでいただくしかないと思いますが、そうしたこともあって、題名に偏見をつけたのでは…と考えています。

>つくづくクリスチャンの感性と発想だと思いましたね。一神教は他の価値観を認めたがらない。

うーん、そこがわからないですね。彼は他の価値観を認めてないでしょうか?
私には、彼の本を読んでいても、あまり非寛容的な面を感じ取れないのですが…。
むしろ、アンチ・アントニーを進んで認めるなど逆に思えるのですが。
それにキリスト教を布教するような記述もmugiさんの指摘した箇所以外に見かけたことないですよ。

>ところで、山本はクリスチャンでもプロテスタント、メソジスト派ですか?

ごめんなさい。
山本七平のことが好きですが、彼の宗教についてはまったく疎いのです。私は彼から宗教のことを学ぼうとは思ってなかったので。役立たずでスミマセン。
こんなところも一知半解ですね。イカンイカン。

  • 2008/11/19(水) 20:57:40 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

偏見

社員旅行で宮城県に来られましたか!家族旅行でも是非お越し下さいませ(笑)。
宮城県産牡蠣って、地元の人間でも普段はあまり食べず、スーパーでは安い広島産が売られています(嘆)。

人それぞれ思考と趣味が違うように、熱心な山本ファンとそうでない者だと、やはり見方は異なってくると思います。
ただ、私は「ある異常体験者の偏見」は未読であり、新井宝雄氏の反論も同様です。やはりこの本を全編通して読まない限り、憶測となってしまいますね。

実は「ある異常体験者~」をいささか敬遠していたのは、題名に「偏見」の言葉がついていたからです。
『「超」文書法』(野口悠紀雄 著、中央新書1662)に、「文章を言い訳から始めてはいけない」とあり、これは大抵後で批判された時、「だから言っていただろう」と言えるための保険、言い訳はアリバイ作りとしています。
人間誰しも偏見と無縁ではありませんが、端から“偏見”と断りがある真意は、「偏見と最初に断わっていたのだから、読み続けたのはあなたの責任だ」とも取れます。“偏見”だから大目に見ろ、と。

野口氏はイェール大学でPh.D(経済学博士号)を取得したにも係らず、日本の学会や言論界によくいる「欧米デハ」の輩を、「出羽ギツネ」と痛烈に皮肉っています。似非学者のこけおどし、と。山本はまさかそのような低レベルの文化人ではないでしょうが、彼の本や貴方が紹介されている文章を見て、つくづくクリスチャンの感性と発想だと思いましたね。一神教は他の価値観を認めたがらない。

ベンダサンは日本人に旧約聖書だけでもよいから読んでほしい、と『日本人とユダヤ人』で書いてました。
ところで、山本はクリスチャンでもプロテスタント、メソジスト派ですか?

  • 2008/11/18(火) 22:25:41 |
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  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

mugiさんへ

mugiさん、こんばんは。レスが遅くなってすみません。
実は、土日で職場旅行ということで、mugiさんのお膝元の宮城県に遊びにいっていたもので… (^^ヾ
松島行ってかき小屋の焼き牡蠣食べ放題を堪能させていただきました。気が向いたらブログでUPするかも…。

それはさておき。

>ベトナム戦争時の米国協力者の件、針小棒大とは言いませんが、誇張もあるのではないか、と私は見ています。

どうも、私は根が単純というか、鵜呑みしやすいタイプなので、mugiさんのご指摘は、いつも考えさせられます。確かに誇張もありそうですね。

誇張の度合い、そして対比が正しいのか…という点は、色んな見方から検証する必要はあるでしょう。
その際に、mugiさんのご指摘は、結果的にアンチ・アントニーの役割を果たしているわけで、非常に参考になります。

ただ、それでも、この場合の山本七平の対比が、それほど不適切ではないようにも思うのですが…。

彼がむしろ強調したかったのは、対日協力者を見捨てたことより、「本多氏のように、その人たちに罵詈雑言を加えている」行為だったのかも知れません。これは単に見捨てた以上のヒドイ行為ですから。少なくともこれについては、素直に反省すべき事柄じゃないかと思うのですが?

>山本のような従軍体験をもつ言論人の意見は重要です。ただ、それは一個人の体験であり、そればかりが絶対とは限りません。

もちろん、そのとおりです。私自身は絶対視してないつもりなんですが、mugiさんから見るとそのように見えますか?第三者からみると、そうなのかなぁ…?

>でも、時として「体験」は「事実」を見誤らせることもあるのではないでしょうか。それは自分個人の体験という狭いフィルターを通しての捉え方しかできなくなるという危うさ故です。

これについては、山本七平はかなり注意していると思いますよ。
それは、彼が自らの見解を「偏見」であると自覚していることからも窺えると思います。

また、彼は従軍という異常体験をしていますが、「ある異常体験者の偏見」の中で新井宝雄氏に次のように反論しています(新井氏の反論を読んでいないでしょうから掴みづらいかもしれませんが)。

>第一に「私も異常体験者」という言葉だが、これは私にとっては非常に不思議な言葉であった。

というのは私が自分の問題とし、また社会一般にとっても問題と思うのは「偏見」であって、異常体験そのものではないからである。一個人の体験は他人が共有することはできない。

従って体験そのものはその人だけの問題だが、それから生ずる「偏見」はそうではなく、他の人も共有でき、時にはそれが悲しむべき結果にもなる。

偏見は社会的通念にまでなり得るからである。

確かに「偏見をもつことはよろしくない」といえる。しかしそう言ったからといって、それはその人に偏見がない証拠になるわけではない。

むしろ逆で、これは自らの内にも偏見があり、従ってそれを一方的に普遍化したり公式化したりしてはならないという自戒を意味する言葉のはずである。

異常体験者は、体験と偏見とが自分の中で密着しているから、逆に、この自戒が強い


少なくとも、山本七平がこのような態度を取っていることは、素直に評価したい…と思っているんですが。

  • 2008/11/17(月) 00:15:25 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

一知半解さんへ

私も先日、「田母神発言」について記事にしましたが、あるブロガーさんからこのようなコメントを頂きました。

「今でもいつでも見られるごく普通の侵略国家のひとつ…「侵略国家」で何が悪いとか、日本は侵略に失敗した、残念!とか発言して、喜ばれる社会だったら良かったのですが」

私も全く同感です。ちなみにこの方は准教授をされています。ネットでは学歴・経歴詐称をする類は珍しくもありませんが、ブログや発言を見れば、この方は99%本物だと思います。当人は何も言いませんが、貴方とは意見が異なるmottonさんも知的職業に就いていると私は見ています。私よりもずっと学がありますし。もちろん学者もピンキリであり、その意見が正解ばかりとは限りませんが。

ベトナム戦争時の米国協力者の件、針小棒大とは言いませんが、誇張もあるのではないか、と私は見ています。米国の御用記者、文化人など日本のメディアに珍しくもないし、ネットにさえ見かけますよ。ハリウッドのベトナム戦争モノって、もろにプロパガンダですからね。反省モードを装いつつ、自己弁解と憐憫に浸っている。
あと、サイゴン陥落で真っ先にビザが取れ、米国移住が比較的容易だったのは女性でした。特に米軍と繋がりのある店員は早々にビザが取れたのに対し、男の政府高官など必死に奔走してもなかなか取得できなかったとか。売春婦なども有利だったはずですよ。レディファースト精神ではありませんが、このような場合、女性の方が得であり、その点で日本軍も変わりなかったのでは?

クリスチャンの山本が戦後悔い改め、信仰に帰依するのは分らなくもない。しかし、それは「絶えず罪悪感を植えつけなければならない」との占領軍の方針に結果的に添うものであり、当人が協力若しくは利用された節もあるのでは?キリスト教徒が植民地政府に協力するのはインド、中東も少なくなかった。
山本は「日本人ほど偽メシアに騙される民族もいない」と『日本人と中国人』で書いていますが、偽メシアという見解こそ、一神教的で異質です。これには私も大いに異論があり、そのうち記事に取り上げる予定。

山本のような従軍体験をもつ言論人の意見は重要です。ただ、それは一個人の体験であり、そればかりが絶対とは限りません。ある賢明な主婦ブロガーさんが、筑紫哲也について意味深いコメントをしてますが、山本にもある程度当てはまらないでしょうか。

「でも、時として「体験」は「事実」を見誤らせることもあるのではないでしょうか。それは自分個人の体験という狭いフィルターを通しての捉え方しかできなくなるという危うさ故です。「事実の検証」ということには、「個人の体験という主観性」よりも、「資料を調査するという客観性」こそが求められると思うのです」

  • 2008/11/15(土) 16:56:29 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

mugiさんへ

mugiさん、コメントありがとうございます。

>旧約聖書のヨシュア記など、もろに民族浄化のオンパレード、「神が命じた」で大虐殺を正当化。敵の女子供を殺害しなかった部下をモーセも叱り付け、「男を知らぬ女以外」殺せと厳命しています。

そういうことはやはり、相手を人と認めないという姿勢を持たねば到底出来ないですよね。

>そしてイスラムやヒンドゥーの“普遍性”も文化圏が違えばそうではないように、“普遍性”を安易に持ち出すのは、下手すればそれに程遠い議題に陥らないでしょうか?

そうですね。
まあ、小松氏が敗因の一つに挙げた「日本文化に普遍性なき為」という理由を、山本七平は、上記の解釈でとらえたわけですけど、文化という表現が適切かどうかちょっと疑問に思うところもあります。ぶっちゃけ、相手と交渉できる姿勢・バックボーンを持っているか否かという問題であって、これを文化と表していいかどうか。思想・行動パターンといった方がいいような気もします。

>ベトナム戦争時のアメリカが協力者を保護したのは、むしろ例外的なケースです。
>そして戦勝国でもイギリスやオランダは協力者を見捨てました。


そうすると、アメリカの例を引き合いに出して比較するのは、ちょっと日本軍にとっては酷だったかもしれません。ただ、だからといって反省しなくていいというわけにはいかないと思いますが。

そもそも、売春婦に過ぎなかった慰安婦なぞに償い金など出すくらいなら、対日協力者への補償を優先すべきじゃないかと。順序が狂っているような気がします。

>「平和」を唱えている連中って、戦時中の「八紘一宇の精神」を連呼していた輩と酷似していますね。

確かに。
まあ、八紘一宇で謳われていたのは、”東洋平和”でしたからおんなじなんでしょう。
似非看板に引っかかるのは、今も昔も現実から逃避する人なんでしょうね。

それは構わないのですが、そうでない者を、簡単にエージェント呼ばわりするようになると、ちょっとどうか…とv-15

確かにそう決めつけないと”現実逃避し続けられない”のはわかるんですけどね。

リアリストになりきれない者ほど、こうした精神状態に陥りやすいような気がします。戦前の日本に反省する点があるなら、まさにこの点なんですがね。
平和を声高に叫ぶ人ほど、こうした精神状態が多く見受けられるのは皮肉としか言いようがありません。これこそまさに「反省力なきこと」の見本じゃないかと。

  • 2008/11/14(金) 13:42:00 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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選民思想

「自己の絶対化」とは原理主義であり、これは選民思想、要するに「相手を人と認めない」に繋がります。
旧約聖書のヨシュア記など、もろに民族浄化のオンパレード、「神が命じた」で大虐殺を正当化。敵の女子供を殺害しなかった部下をモーセも叱り付け、「男を知らぬ女以外」殺せと厳命しています。

『日本人と中国人』にも書かれてありましたが、日本は辺境の文明であり、普遍性が薄いのは事実です。ただ、辺境の文明ならユダヤ、アングロサクソンも同じで、欧州文明の辺境が英米、こちらも欧州大陸諸国から異質と見られているとか。
そしてイスラムやヒンドゥーの“普遍性”も文化圏が違えばそうではないように、“普遍性”を安易に持ち出すのは、下手すればそれに程遠い議題に陥らないでしょうか?

ベトナム戦争時のアメリカが協力者を保護したのは、むしろ例外的なケースです。ベトナム戦争はアメリカの権威を失墜させましたが、国力はさほどダメージを受けていない。アフガンに侵攻、国家経済が破綻した旧ソ連とは違います。そして戦勝国でもイギリスやオランダは協力者を見捨てました。東南アジアの華僑、アフリカのアラブ系など、宗主国が去った後、大規模な迫害と虐殺が待っていた。これら地域ほど組織的、大々的ではないにせよ、独立後のインドもアングロインディアン(英印ハーフ)やキリスト教徒への迫害と無縁ではなかった。もちろん戦略も立てずに現地に進軍した日本軍は、同胞をも苦しめましたが。

右派にも同じタイプはいますが、左派が偽善の衣を被っているのは劣等感の裏返しだと私は見ています。中身のない者ほど大言壮語、ネット弁慶やアマゾネスとなって強者気取り。権威にすがり、「世界では~」を言いながら、書き込み内容は全くの世間知らず。
「平和」を唱えている連中って、戦時中の「八紘一宇の精神」を連呼していた輩と酷似していますね。反戦平和主義者からすれば、一知半解さんのようなブロガーは武器屋のエージェント認定となる(笑)。ならば、私は武器屋の営業マンかも。以前親米ブロガーから「過激左派」視されたこともありますが、アラブの内ゲバを挙げた時は米帝の手先と呼ばれましたね。v-15

  • 2008/11/13(木) 22:49:43 |
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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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