一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

残飯司令と増飼将校【その2】~困窮した下級将校~

前回の続き。
それでは、残飯司令や増飼将校とはどういったものか、山本七平の記述を紹介していきます。

さてここで少し「将校」なるものの実体を書いておかないと、以上のことを的確に説明できない。

今では、軍隊とか軍部とか軍人とか非常に簡単に片付けられているが、将校一つ取りあげても、その構成は実に複雑であった。

軍の末端を支えているいわゆる下級将校(青年将校もこの中に入るわけだが)は、大体四系統に分れ、はっきりと差別があった。

第一がもちろん士官学校出の将校で、これは今の官庁でいえば東大出であり、階級は同じでも別格であった。

次が「少候」と「特進」である。
これはいずれも軍隊内俗称だが、正規の名称は知らない。この二つはいずれも一兵卒からの叩き上げ、いわば「現場出身」で、軍隊における「無学歴将校」である。

このうち「少候」は、准尉・曹長のとき「少尉候補者試験」という将校登用試験に合格して、一種の短期の士官学校に派遣された人、階級は少佐どまりであった。

何年いても少佐以上にはまず絶対になれない。苦学力行型の人が多く、また型破りの名物将校が多かった

「特進」も一兵卒からの叩き上げだが、「少候」とはちがって、一に年功序列だけで将校になった人で、大尉どまりであった。

従って「老齢」といいたい人が多く、私か軍隊に入って何より驚いたことの一つは、自分の父親と同年輩のように見える中尉・少尉がいたことである。従って大尉ともなると文字通りの「老大尉」であった。

軍隊は一種の膨大な官僚機構であり、従って非常に細かい「規則・服務規定」があり、これを「成規類聚」といったが、こういう細かい規定に通暁している、いわば「生き字引」的な存在がこの人たちで、多くの場合、普通の社会における「万年課長補佐」のような地位にいた。

課長は東大すなわち陸士出で、あらゆるポストは出世への腰掛けにすぎず、実務を握っているのはこの人たちであった。

従って年齢といい風貌といい「軍人」というより「吏員」といった感じ、いわば「軍隊事務官」とてもいいたい感じの人が多かった。そして当時、最も生活にこまっていたのがこの人たちであった。

もう一つが「幹候」であり、これも本職の将校や下士官をいら立たせる奇妙な存在だったが、今回は一応除外しておこう。

「特進は食い意地がはって銭にきたない」

これが軍隊内の定評であり、また事実であった。
私なども、軽蔑はしないまでも、何となく「コセコセ、コマゴマと嫌な連中だ」という感じを持っていたが、今にして思えば、逆にそういう感じをもってすまなかったという思いもする。

この人たちは、恐らく一人の例外もなく、貧しい家庭の生れであり、多くは農村の次男・三男であった。兵役が終り、満期除隊になって故郷に帰っても生活のめどは立たない。

軍隊に残れば少なくとも衣食住は保障され、まじめに勤めていれば階級はあがり、准尉で退役になればわずかながらも恩給がついて老後の最低生活は保障される。

この人たちが軍隊に残ったのは、軍国主義に共鳴したのでもなければ、立身出世を望んだからでもなかった

軍隊という最低生活(われわれから見れば)でもよいから生活の安定を望み、准尉の恩給という最低の恩給でもよいから老後が保障されることを求めたという、非常につつましい人びと、いわば最も小市民的な生活の安定を求め、その代償として、生涯を下積みで送ることを一種の諦念をもって覚悟した人びとであった。

従ってその実体は、今の人が考える「軍人」とか「軍部」とかいった虚像からは、実に縁遠い存在であった。士官学校出は、彼らを差別しながら、実務は完全に彼らに依存していた

だが戦争とそれに伴うインフレは、この特進将校が求めたささやかな安定を遠慮なく奪っていった

特進の多くは、大体曹長のとき、すなわち営外居住を許されたころに結婚しているから、晩婚であり、中尉・大尉ぐらいのときに、育ちざかりの子供を二、三人かかえていた。

これでは生活が苦しいのは当然である。面白いことに、彼らはほとんどみな愛妻家であり、今の言葉でいえば「マイホーム主義者」といえようか。彼らは出世に縁なく、「万年大尉」が限界であったから、家庭にだけ希望となぐさめを見出していたとしても不思議ではない。

(~中略~)

「残飯司令」にはじまる渾名、というより一種の悪罵は、主としてこの人びとに、いわばインフレの被害をまともに受けている特進に向けられていた。

軍隊には週番勤務という制度があり、この週番勤務を統括するのが週番司令で、だいたい中隊長クラスの一人が一週間交代で部隊に泊りこんでこの任にあたる。

その下に各中隊で、中隊づき将校が週番士官として同じように交代で泊りこみ、その下が週番下士官・週番上等兵で、午後五時から翌朝九時まで、すなわち将校が帰宅している間は、すべてが週番司令の指揮下、つまり週番系統で部隊が運営される。

従って午後五時以後は、週番司令より偉い人は連隊にいなくなる。
この週番は公務であるから、当然夕食は部隊から支給され、いわば正規の「食事伝票」が切られて炊事にまわされているわけである。

ところが、特進が週番につくと、夕食時に家族がやってくる

将校の家族の面会にもいろいろと規則はあったが、五時以後の週番司令に関する限り、彼以上偉い人間は連隊にいないから、実際は自由である。

夕食直前に全家族が現われると、当番兵はもう何もかも呑みこんでいるから、炊事に話をつけて黙ってその人数だけの夕食を準備する。

連隊には三千人近い人間がおり、また動員中には一時的には万を越すこともあるわけだから、四、五人分ぐらいは実際はどうにでもなる。

事実、大きな蒸気釜や食缶・食器に付着した飯粒を洗い落した残飯だけでもバケツに何杯もあり、養豚業者が毎日のように引きとりに来るほどだから、実質的には何ということはないのだが――しかし、この家族の分は、食事伝票が切られていないのだから、もしそういう分がありうるとすれば、名目的には「残飯」以外にはありえない。

従ってこういう食事のことを「残飯給与」といった。そこで家族に残飯を給与している週番司令という意味で「残飯司令」と呼んだわけである。

だが「残飯司令」は、たとえ不正ではあっても、われわれには実害はない。

一番こまるのは「残飯出勤」であった。見習士官のころは、日曜日ともなると週番士官以外に自分より偉い人は中隊にいないし、この週番が同僚の見習士官ならば、この時こそはと全員羽根をのばして休養をとるわけである。

また兵士たちものんびりしている。ところが何の予告もなく、昼食直前に不意に中隊長が出現する。そして一回に何やかやと注意を与え、昼食をすますと帰ってしまう。これが「残飯出勤」で、全くの脅威であった。

「増飼将校」と「ポロかつぎ」は馬にちなんだ蔑称である。

馬にもやせた馬や太った馬がおり、それに応じて、またその他の健康状態に応じて飼料の量を加減した。飼料を一定量だけ多く与える馬を「増飼馬」といい、少なく与える馬を「減飼馬」といった。

特進将校には食事について、特に量について、口やかましい人が多かった。

幼時からの食習慣のためであろうか。昼食は将絞集会所で進隊長をメインテーブルにすえての会食なのだが、この際、「将集当番長」は、特進将校の食事の量には常に気をつかわねばならなかった。

彼らは「○○中尉は増飼」とか「××少尉は減飼でもかまわない」とかいいながら盛りつけをしたわけである。

これは馬の食槽に飼料を入れる入れ方と同じなので「増飼馬」ならぬ「増飼将校」という言葉が生れたわけであろう。

だがもっと別の意味も合まれていたともいわれる。
馬は一日ニ食である。従って「増飼将校」とは家庭の米代を節約するため一日二食ですませ、そのうめあわせに連隊で二食分食べている者の意味、端的にいえば朝食抜きで昼食を二倍食べている者の意味だともいわれた。

以上はいずれも私の直接の体験だが、さて「ポロかつぎ」になると噂しか知らない。

従って真偽のほどはわからない。ボロとは襤褸のことではなく馬糞の軍隊語である。馬房から馬糞をかき出す道具を「ポロかき」といったが、「ポロかつぎ」はおそらくこの語の転用である。

すなわちボロを持ち出させて、近郊の農家に肥料用に売るか食糧と交換することを言った。だが私は現場は知らない。知っているのは「精神訓話だって!偉そうなこと言いやがって、裏じゃボロをかついでやがるクセに」という兵隊の私語だけである。

だがこう書いて行くと実に類型的になってしまう。

もちろんこういった人びとは例外であったろうし、退役佐官の保険外交員も例外かも知れぬ。また以上のことも汚職というほどのことではない――しかしこういうことはすぐ兵隊の目にも社会の目にも入る

そしてその行為は、平生の言動とあまりにギャップが大きすぎるから、かえって軽侮をかう

彼らとて兵士の軽侮の目を感ぜざるを得ない。

特に、まじめで敏感でプライドの高い将校ほど、一部の同僚への兵士の目が気になる。

そして「こんなことで国軍は一体どうなる、兵の信服を失って、どうして戦場で彼らを指揮できようか」と真剣に悩む

私自身もその悩みを打ち明けられたことがあるが、そのロ調は本当に真剣そのものであった。

(~次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍(上)/残飯司令と増飼将校/P54~】


これを読むと、戦前の軍隊というのも、今の官僚組織とあまり変らなかったんだなぁ…と改めて思いますね。士官=キャリア、特進=ノンキャリアって感じでしょうか。

次回はいよいよ生活に苦しんだ将校たちが、どのような心理状態に陥っていったのか――山本七平の鋭い分析をお楽しみに。

【関連記事】
・残飯司令と増飼将校【その1】~ニ・ニ六事件が起こった背景には~
・残飯司令と増飼将校【その3】~集団では極端に称揚され、個人では徹底的に軽蔑された軍人たち~
・残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~


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コメントありがとうございます。

山本七平がお好きとのこと、嬉しくなっちゃいますね。

このブログは、山本七平の記述を紹介するだけの駄ブログですが、私の駄文も含め、読んでいただけると嬉しいです。よろしくどうぞ。

  • 2009/11/04(水) 19:24:52 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

はじめまして。
山本七平が好きで、いろいろ検索していてここへ辿り着きました。
ぼちぼち読ませてもらいます。
どうぞよろしく。

  • 2009/11/04(水) 00:02:38 |
  • URL |
  • デブ猫 #7F/X6Mqk
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一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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