一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「ニセ物に固執する精神」~憲法改正がタブー視される理由とは~

前回の記事「平和運動に欠けている視点」で、1読者さんからコメントを頂きましたが、その内容が私には非常に興味深かったので取り上げさせていただきたいと思います。(1読者さん、実に面白い本を教えていただきありがとうございます是非読んでみたいと思います。)

まずは、1読者さんが紹介してくれた、岸田秀山本七平との対話をそのまま引用します(コメント欄においておくのはもったいないので)。

■日本国憲法はニセ物

(~前略)

山本 …憲法というのは、主権である国民と政府との間の一種の授権契約ですよね。…そういう発想が、憲法ということばを口にするとき、みんなにあるかどうかということになると......。

岸田 それが、ないんだな。

山本 ないでしょうね。

岸田 これも精神分析の例に引きつけていいますと、本当に本人の行動を決定している動機を本人が知らない場合があるでしょう。そういう場合、意識的には別の理由を持っているもんです。人間というのは、自分の行動を説明しないといけないから、いわばニセの説明を持ってくる。

日本の場合の法律とか、憲法とかを考えるとき、ぼくはいつもそういう神経症患者のニセの説明を思い出すんですがね。法律の条文で行動してないんだけれども、説明を求められるとそれをやるわけです。

山本 同時に、憲法改正絶対反対なんていう場合、その反対の理由がどこにあるかという説明は、だいぶニセの説明ですね。精神分析からいったら、その反対の理由というのはおもしろいんじゃないですか。契約を変えちゃいけない、しかし、実際に履行しなくてもよろしい

岸田 日本人にとって、なぜ憲法改正はタブーなんでしょうかね。

山本 これはもう精神分析の問題ですな。

岸田 精神分析から言えば、それを変えることがタブーであるという、そのことが、ニセ物である証拠なんですよ。神経症の患者の場合、意識的には偽りの理由を持っているので、その理由に断固として固執するんですね。

つまり、ニセ物であるがゆえに、変えられないんです。また、現実にそれを守り、それにもとづいて行動しなくてもいいんですから、変える必要もないわけです。

山本 なるほど、なるほど。そうすると、日本国憲法はニセ物。

岸田 ニセ物という意味は、憲法が理念や原理として間違っているとかいないとかいうことではなくて、日本人の行動を決定している本当の法じゃないということです。

山本 その意味じゃ確かにそうだ。…

岸田 そうです。固執するのは、いわば強迫観念と同じで、ニセ物でなければ固執する必要はないんですから。

山本 現実として、日本国憲法が機能していないがゆえに、逆に固執するということですね。

岸田 そういうことは、神経症とか精神病のような極端な例を持ってこなくても、日常の普通の人間の行動を見ればわかることで、たとえば、恋愛関係においても、どれほど好きな女でも、いやなところがあるし、つねに一緒にいたいわけじゃなく、あっちへ行ってほしいと思うときがある。

その愛情が本物だと、いやなときはいやだとはっきり言えるわけです。おまえのここがきらいだとはっきり言えるわけです。

ところが、本当は愛していないにもかかわらず、愛を偽った場合には、いやなときもいやと言えなくなります。愛情表現にフレクシビリティがなくなるわけです。

愛しているということに非常に固執し、つねに愛情を証明しようとする。誰かに「彼女のこれこれの欠点が気に入らないんじゃないか」とでも言われようものなら、ヒステリックに否定し、彼女の絶対性を強調する。
日本の憲法を絶対化しているのも、まったく同じことで、本当は尊重していないからですよ。


(~後略)

【引用元↓】

日本人と「日本病」について (文春文庫)日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀山本 七平

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つねづね護憲派の論調には、納得できないものを感じていましたし、それ以上にどうしてあんな憲法に固執するのか疑問でしたが、上記の説明を読んでその理由が掴めたような気がします。

この問題を、この二人が、「もはや精神分析の対象なのだ」と喝破しているのは見事だと思います。

そういえば、山本七平は「一下級将校の見た帝国陸軍」の中でも次のようにも述べていました。
以下の引用文を、護憲派の方々はよく考えてみたほうがいいと思う。

■死の行進について

(~前略)

なぜ思考を停止せざるを得なくなるのか。

「戦争とは結局そんなもんだ」ではない。

今の今まで「絶対にやってはならない」と教えかつ命じていたそのことを、最後には「やれ」と命ずるから思考停止になる

否、そうせざるを得ない、大は大なり、小は小なりに、すべてはそうでなかったか。

これは「判断を誤った」ことと同一ではない

人は全知全能ではないから、判断の誤りはありうる。指揮官とて例外ではない。従って、それを非難しようと私は思わない。

だが今の今まで「絶対にやってはいけない」と判断を下していたそのことを、なぜ、急に一転して「やれ」と命ずるのか――「戦闘機の援護なく戦艦を出撃させてはならない」と言いつつ、なぜ戦艦大和を出撃させたのか。

「相手の重砲群の壊滅しない限り突撃をさせてはならない、それでは墓穴にとびこむだけだ」と言いながら、なぜ突撃を命じたのか。

「裸戦車(空軍の援護なき戦車)は無意味」と言いつつ、なぜ裸戦車を突入させたのか。

「砲兵は測地に基づく統一使用で集中的に活用しなければ無力である」と口がすっぱくなるほど言っておいて、なぜ、観測機材を失い、砲弾をろくに持てぬ砲兵に、人力曳行で三百キロの転進を命じたのか。

地獄の行進に耐え抜いて現地に到進したとて「無力」ではないか。

無力と自ら断言した、無力にきまっているそのことを、なぜ、やらせた。――戦艦大和の最後は、日本軍の最後を、実に象徴的に示している。

出撃のとき、連合艦隊参謀の説明に答えた伊藤長官の「それならば何をかいわんや。よく了解した」という言葉。

結局これが、その言葉を口にしようとしまいと、上級・下級を問わず、すべての指揮され、命令され、あるいは説明をうけた者の最後の言葉ではなかったか。

(~中略~)

「戦後三十年たったこの民主主義社会で、全く事情の違う戦争中のことをとやかく批判しても無意味だ。はじめから次元が違う」という意味の言葉を口にする当時の責任者もいる。

確かに事情は違う。

(~中略~)

しかし、いまのべたことを私か、否私だけでなく多くの人がロにしたのは、戦争中と戦争直後であり、「三十年目」のことではない。

戦艦大和と同行した巡洋艦矢矧の艦長は生還され、連合艦隊参謀を面罵・難詰されたそうだが、同様の事件は、収容所でも頻発した

今の今まで「絶対やってはならん」と言いつづけ教えつづけ主張しつづけたことを、なぜ、不意に一変して「やれ」と言えるのか。

よく言われる「客観情勢の変化」は実は遁辞にすぎない。
情勢はある一点で急に転回してはいない。

それはむしろ発令者の心理的転回のはずであり、ある瞬間に急に、別の基準が出てくるにすぎない

それはむしろその人の内部の「二重基準」の問題であろう。

(~中略~)

大分前、大学を出たての二青年に、このことをもっと抽象的に話したことがある。

二人は事もなげに言った。

「大学だってそうですよ、教授も学生も。あれこれ言っても、いざ就職試験間近となれば、クルッと一転して、今まで否定していたことを、平気で主張しますよ」

「そうですよ。学問の自由・大学の自治。絶対機動隊はいれてはならんと言いつづけた本人が、いざとなれば平気で機動隊を入れますよ。別にどーってことないでしょ」


確かに、それまで言いつづけたことが虚構で、それを主張した本人が自分でそれを信じていないなら、そしてそれで支障ないなら「どーってことない」であろうが、戦争は虚構ではない。

だが、戦争以外の世界も、最終的に虚構ではない。
その証拠に、もし次のようなことが起こったらどうするつもりか。

いま多くの団体も政党もマスコミも、平和憲法は絶対守れと教えかつ言いつづけている。

だが、私は過去の経験から、また「精神カヘの遠慮」に等しきある対象への遠慮からみて、その言葉を、それが声高であればあるほど信用しない

一番声高に叫んでいたものが、何やら”客観情勢の変化”とかで、突然クルッと変わって、自分の主張を平然と自分で否定する

それが起こらない保証はとこにもない

それでよいのか

そのとき「それならば何をかいわんや。よく了解した」と言って、かつてのわれわれのように黙って「地獄の行進」をはじめるつもりか――方向が右であれ左であれ。

その覚悟ができているなら、この問題はそのまま放置しておいてよい

憲法だけは例外だなどということは、ありえないから

【引用元:一下級将校の見た帝国陸軍/死の行進について/P111~】


以上、二つの記述から、拙いながら要点を私なりにまとめますと次のようになるかと。

1.憲法は、「日本人の行動を決定している本当の法じゃない」ということ。つまりは虚構の存在。

2.虚構の存在であるから、その憲法はその”条文どおり”守られなくて構わない。

3.実際は守っていないのだから、憲法改正する必要がない。

4.護憲派は、憲法を「虚構の存在」だと肌では感じながらも、その虚構を強める方向に行動する。

5.強迫観念に基づく護憲論は、いつ転向するかわからない危うさを秘めている。

6.こんな状況について何も考えずほっといていいのか。”客観状況の変化”を名目にガラッと転向するかもしれないことを覚悟しとけよ。


とまあ、こんなところでしょうか。

ちなみに、5については、村山社会党が政権をとった途端、自衛隊は合憲であると言い、そして野党にもどった途端、それを引っ込めた行動に、はっきりと露呈しましたね。

まぁ、護憲派が、精神的に強迫観念を抱くのもある意味、無理もないと思う。

どんなに「平和憲法のおかげで戦後60年間平和だった」と唱えようと、自らの心の底では、信じきることが出来ない。一抹の不安を抱えたまま…。

山本七平は、「この不安は常に、虚構を崩さないで、逆に、虚構を事実と信じて安心しようという方向に動くのである」と指摘していましたが、まさに護憲派の行動はそのとおりじゃないでしょうか。

これも、情緒に流され、徹底したリアリストになりきれない日本人ならではの特徴なのかもしれません。

最後に護憲派の方々に、言っておきたい。

あなた方が、「平和の源」だと信じ込んでいる9条は、虚構に過ぎない。
あなた方の行為は、虚構の世界を作りあげ、人びとをだまそうとするものでしかない。そしてそれは平和を維持するのに有害なのだ…ということを。


【追記】

余談ですが、私は岸田秀という人の名前だけは知っていました。というのも、知人に山本七平の本を薦めて読んでもらったところ、「山本七平を読んでいると岸田秀と連想する」と感想を述べていたものですから。
これを機に、岸田秀の本を読んでみようと思います。1読者さん、ご紹介ありがとうございました。


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コメント

KYさんへ

KYさん、古い過去記事にコメントありがとうござあいます。

まったくもって、KYさんの仰るとおりです。
まぁ、言行不一致しているかぎり護憲派なんて誰からも相手にされないでしょうね。

  • 2010/03/02(火) 23:52:54 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

>本当は尊重していないからですよ

 護憲派がいかに憲法を蔑ろにしているかは、去年の「9条ナイフ事件」で完全に立証されたわけですが、彼らは強迫観念から「我々ほど現行憲法を愛している者はいない」と「思い込んでいるだけ」ですから、自らの言行不一致も気に留めないのでしょう。
 「みのお9条の会」から事件の経緯そのものが抹消されていることがその証左です。ネットにはあちこちに記録が残ってるのに、自分達のサイトから消去さえすれば事件を「なかったこと」に出来ると思い込んでいるとすれば、まさに彼らこそ「21世紀のビッグブラザー」でしょうね。

  • 2010/03/02(火) 18:49:00 |
  • URL |
  • KY #mQop/nM.
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mugiさんへ

mugiさん、コメントありがとうございます。レスが遅くなってすみません。

銭本三千年氏のブログ見てみました。確かにコメント受付してないようですね。
mugiさんのコメントが、それだけ急所を突いていたからなのでしょうか?
元ブンヤだった人ですから、意見を述べるのが得意でも、人から意見を言われるのは苦手なんでしょう。

>年末は何かと慌しいので、お体をお大事に。お互いに健康体で新年を迎えたいものです。

お気遣いありがとうございます。
この時期は、生活のリズムが崩れやすいのでほんと要注意ですね。宮城県はこちら埼玉より寒いでしょうから大変かとは思いますが、mugiさんも健康管理には気をつけて年末年始をお過ごしください。
私といえば、まだ本調子ではないのに、昨日職場の忘年会に行ってアルコール消毒(笑)してしまいましたv-400

  • 2008/12/27(土) 10:54:15 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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コメ削除措置

>一知半解さん

ま、「村野瀬」さんに限らず、他の左派ブロガーにも、暴言は一切なし、敬語で書いても問答無用でコメント削除する類もいますから。
そのような者に限って人道主義を説く。この連中には道理は全く通じない。

「村野瀬」さんに劣らぬ者もいますよ。先日私が記事にした元毎日新聞記者の銭本三千年(ぜにもと みちとし)氏のブログもそうでした。彼は戦時中の「日本基督教団」を軍国主義に迎合したと非難、何故、侵略戦争を聖戦として積極的に翼賛したのか?それは聖書のどの教えに基づくのか?と書いていました。銭本氏は同志社大学神学部でキリスト教倫理学を学び、現代は短大で教鞭を取っています。
それで私が、旧約聖書など聖戦翼賛教義が満載ではないか、ヨシュア記などその典型では、とコメントをしたら、削除措置となりました。私の前にカトリック信者が記事を見て感動したと良心的なコメントがありましたが、これも削除。そしてコメント、トラックバックを一切受け付けないサイトに変貌。

これだけでも元ブンヤの姿勢が知れますね。怒りより侮蔑を覚えます。氏はキリスト教の信仰を捨てたと言いつつ、「アンチ・クリスト」的コメントは認めない。

P.S
風邪を引かれたそうですね。年末は何かと慌しいので、お体をお大事に。お互いに健康体で新年を迎えたいものです。

  • 2008/12/25(木) 22:11:51 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

mugiさんへ

mugiさん、度々のコメントありがとうございます。

私が村野瀬さんを特に取り上げるのは、コメ禁止措置を取られたことが一番の理由です。
都合の悪い異論を排除しながら、博愛的な言辞を弄するその姿勢が許しがたいだけなのです。

彼女らの意見や考え方そのものは全く賛成できませんが、そうした意見があるのを認めることは何らやぶさかではないです。

コメ禁止措置や都合の悪いコメントは不掲載という手段を取られなければ、私もしつこく批難するつもりは無かったのですが…。

  • 2008/12/24(水) 23:22:05 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

>冥王星クンへ

何時もながらの“説教”という名の必死な負け惜しみ、ご苦労サンです。
いくら語尾でwを連発しても、憤慨振りが伝わってきます。「便所の落書き」なら、お互い様。それほど専門知識を持つ優秀な人が、塾の非常勤講師などしていますか?実名や顔まで出す学者や研究家ブロガーなど大勢いますよ。それが専門家の性であり、キミは12/15(月)付コメントに書いたように、「インテリでは御座いません」から分らないのでしょうけど。

ご自身のブログで、「冥王星です。ロリコンです。キチガイです。非正規雇用です。世界史講師です。ダメ人間です。生きてる価値が…」と自己紹介していたのは笑えました。
不思議なのは、キミはあちらこちらのブログで“説教”していたにも係らず、私のブログには何故か「遠征」されませんね。これまた卑劣な欠席裁判と言える。私もキミのそれに「遠征」つもりはありません。内容はつまらないし、「面倒くさい」(キミの台詞を借用)ので。


>一知半解さんへ

毎度ながら申し訳ございません。私も性格が悪いものですから、どうしてもそりの合わない人間は居ますね。
寛容なジェントルマンの貴方に不快な思いをさせたようで、お詫び申し上げます。
もっとも不思議なのは、一知半解さんが護憲派ブロガー「村野瀬玲奈」さんと相性が悪く、“ネットバトル”をしていたことです。貴方ほどの人物が、あの類の相手をする必要もないと私は思いましたが、価値観は人それぞれでしょうね。私は彼女や「お玉おばさん」のブログを見ても、全く腹も立ちません。むしろ、誰からも相手にされないはぐれ左派より微笑ましく思えます。もちろん私は彼女たちと見解は正反対ですけど。

以前、一知半解さんは偽善者が大嫌いと仰られてましたが、私は居丈高な“知ったか”がそれに当たります。本物の学者ブロガーと論争する技量のない者の遠吠えに過ぎませんから。匿名のネットではそれが可能であり、マスコミから非難されても無理もないでしょう。これはネット封殺に繋がる元です。

  • 2008/12/23(火) 12:21:36 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

mugiさんへ

mugiさん、レスが遅くなってスミマセン。風邪を引いて寝込んでいたものですから。

ご忠告ありがとうございます。ご指摘のとおり管理のあり方がなっていないと言われればそのとおりかも知れません。

私自身に対する批判・批難ならなんら構わないのですが、私のブログ上で第3者同士が批難しあうのをみると、確かにちょっとつらいものがありますv-406

私としては、mugiさんのご意見はもちろんのこと、冥王星さんのご意見にも参考となるところがあると思っているので、現状ではたとえ荒れようとも現在のとおりコメント欄を開放しておこうと考えています。そのせいでご不快になられたとしたら申し訳ありませんv-421

  • 2008/12/22(月) 23:47:11 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

まったく悲しい知性ですね

>MUGIさんへ

専門の知識を開陳しろというなら、開陳しますが、
専門分野は飽き飽きしてますのでブログにしません。
なにより、食うための手段ですからネタは保存しておくのが普通です。そもそも、インドネシアのムスリム化なんて歴史なんかブログでやって楽しいわけがない。それこそ専門ならば、もっと難解な用語出して説明しますしねw
 専門家というのは、専門分野に対しての価値を一般人には押しつけませんし、語るのに飽きているんですよ。
専門知識でインドネシアのムスリムでもやりましょうか?くだらない話ですよ。
ブログなんてのは当人のスタンスでしかありませんからwそもそも、専門分野し語れない程度になりたくないですしねw
 残念ですけど、MUGIさんの批判は、あなたの狭量さを明確化している程度としか思えません。それにその程度の愚痴を言うなら、当ブログでやればいいのでは?w
むしろ、あなたの知性は、冥王星がここを見るだろうという観測で行っている欠席裁判とも言える。やってることの卑怯さは自覚できないのでしょうか?できる人ではないから説教しているわけですがw

まぁ、便所の落書き程度としか思っていませんからw
あなたが管理人さんに進言しても価値観が違うようですねw
これって二回目の申請のような・・・・抗弁したいなら、迷惑かけないように違う場所でやりませんか?
あなたの行為は迷惑ですよ。私怨を持ち込むなんてw

>1言論者さんへ

文頭に専門を述べるべきだったでしょうか?
ちなみに、冥王星は解釈護憲派ですから、長谷部先生とは若干違いますので、誤解なきように。長谷部先生の批判は知っていますけど、特段関心するようなものは見当たりません。
受け入れられなかった逆上の落書き程度としか・・・・
日本の憲法学者が海外に比肩して劣るというのは、何より政治的要素に関して、踏み込んだ言動しないことにあると考えますので、どのちみ似たり寄ったり。
憲法学学者の歴史観まで踏み込んだ意見文もあるが、それだってオナニーでしかない。
どっちもどっちで、単なる政治の学術闘争でしかない。(歴史的には学閥政治闘争という亡国の兆しまで言えそうだが、御用学者に遠慮している人がいるので、落ち着いている程度)

で、冥王星個人として。
正直、冥王星は市中の改憲論が情動的だと断定しています。
「おしつけ憲法論」などはその典型例であって、「自主民定憲法」を評論する人間ほど、”私擬憲法”などの知識や情熱がないまま、改憲論を唱えている。
同時に、憲法解釈の支配者である内閣法制局の存在に関して、危険性を感じていない。
とても空疎だと断定します。護憲論にも空疎さを感じますが、現状では、まだ改憲論者の軽挙よりは、内閣法制局の憲法の解釈による支配を追認します。
「現実を法律のあわせる方向でしか認めない」形式主義的、法律万能主義的な憲法学者の姿勢は、それを超えないレベルで憲法を考えるという価値観であって、その超越を求める民意の妥当性を見いだせません。
それに、日本の法学に関して断定できますが、国際法から見た日本人の法意識は非常に低いと言えるでしょう。事例を出せば枚挙の暇がありません。
根本的に鎖国・島国根性でしか考えられない人間が圧倒的に多いと冥王星は感じます。
もっとも、冥王星も海外生活が長いわけでもないのですが、やはり違和感を覚えます。

・少なくとも、憲法を虚構というのは、法理論的には間違いと言えること
・日本人の憲法意識が低すぎること

という主張だけできれば、もうどうでもいいです

で、今後のROMという話は了承しました。

  • 2008/12/19(金) 12:34:30 |
  • URL |
  • 冥王星 #-
  • [編集]

1読者さんへ

1読者さん、こんばんは。
サイトの紹介、及び解説までしていただきましてありがとうございました。
ちょっと覗いたのですがかなりのボリュームと専門用語等もあるので、すぐには読みこなせませんが、じっくりと読んでみたいと思います。

しかし、1読者さんの解説を読んだだけですが、憲法学者さえも「ニセの説明」を持ってくるような処があるんですね。

素人の主張なら、それなりに見抜けるのですけど、専門家にやられると、我々素人はお手上げですv-428

  • 2008/12/18(木) 22:04:27 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

横レス、失礼致します

>1読者さんへ

やはり貴方は法学部出身の方でしたか。
私も憲法には全くの素人、管理人さん同様訳のわからない世界なので、ROMさせて頂きました。安全保障問題にゲーム理論を持ち込むなど、素人目から見ても異常ですね。

蛇足ですが、冥王星クンは「専門は歴史学。それも東南アジア通史・中央アジア中世史だけ」と言ってますが、彼のブログにはチベットを除き専門の記述が全く見当たりません。本当に専門がこれら世界の歴史なら、絶対にブログ記事にしていますよ。
以前、彼のブログのプロフィールに趣味が「歴史に詳しい奴を虐めること」ともありましたから、この一言だけで何とも…

冥王星はインテリでは御座いません…そもそも、インテリならばもっと無難な言い回しで逃げますし、ウィットに富んでます。というよりも、本当の意味でインテリって黙して語らないものだと最近思います。
インテリさんはあくまでも聞いてるだけで、間違ったことを言ってるのを見て「ほくそ笑んでる」ような生態系だと個人的には確信してます。なにより、冥王星がインテリならば…悲しくなるのでいいませんが…


ひと口にインテリといえ、非インテリと同じく十人十色ですが、彼の12/15(月)付けのコメントは興味深い。憲法学者が典型ですが、インテリなる者の実態など分りそうなものです。インテリになれなかった者のインテリへの定義と憧憬は滑稽で悲壮というか…私は役立たずインテリなどより、中卒でもエンジニアの方が遥かに社会のためになる、と思いますね。


>一知半解さん

大変厳しいことを言わせて頂ければ、ブログが荒れるのはアラシやそれに反応したコメンターより、ブロガーの管理方にあると私は思います。
冥王星とやらがここまで増長したのは、貴方の寛容さです(個人の資質としては結構ですが)。彼のコメントから数多のブログで締め出されたのが知れ、そのことへの恨みつらみの繰言。この姿勢ならそうされて当り前なのに、全て締め出したブロガーの意識やレベルが低いためと責任転嫁、究極の自己中です。人格障害の可能性が極めて高い。もし貴方が締め出せば、他で中傷するでしょう。

ネットユーザーは考えて書込みしていない、書きなぐりで無責任、うっぷん晴らしだけで書いている、ルール、マナーがない…など彼はコメンター糾弾の長広舌を振るいますが、これは全部彼自身に当てはまる。以前、福原さんが「真摯な論者ではない」と言われていましたが、まさにその通り。はじめからアラシが目的ですよ。貴方の寛容さに付け入っているだけであり、どうせこのブログでは何を書いても許されると、タカを括っている。

彼の難読な文章もインテリゆえではなく、単なる格好付けです。当人の性格も反映し、あれだけつまらないブログも珍しい。彼なら日本人一般のレベルが低いため、と読み手のせいにするでしょうが、マルクスさえもっと易しく読みやすい。
「文章は用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間内でしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けねばならない」と言ったのはカエサルですが、世界の古典など、簡素な表現の作品が大半。ブログから彼はあまり本を見ているようにも思えません。ロリコンアニメは違いますが(笑)。

もちろんここは貴方のブログなので、どのような方針で運営するのか、決定するのは貴方です。しかし、悪貨が良貨を駆逐するのはコメントも同じ。ネット読者など気短なので、つまらないと思ったら去るのも早い。
私にとってネットは情報収集と趣味が目的であり、それ以上の意義はありません。それで収入を得ているのではないので。

なお私もインテリではありませんので、悪しからず(笑)。本人は激昂するでしょうが、冥王星クンと同じく“しったか”の知的弱者です。だから同類嫌悪でそりが悪い。ただ、彼のように方々のブログでトラブルを起こし、締め出しを喰らってはいませんが。

  • 2008/12/18(木) 20:50:18 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

>>一知半解さん

 せっかくROMっていらっしゃったのに、突然の打ち切りを宣言してしまい、申し訳ありませんw

 でも、このままでは一知半解さんにとっても消化不良でしょうから、冥王星さんに紹介したサイトの最後の部分(資料(2): 無為徒食の憲法学者の有害無比な生態)に少し気になるところがあったので引用します。

>…今から30年くらい前までは日本の憲法研究者のサークルには「自分達は嘘をついている」という後ろめたさと同時に「嘘をついてでも平和・人権・民主主義を日本社会に根づかせることは憲法学者の使命である」という覚悟があったと想像する。

>…現在も憲法学者は、欧米の法概念論や法学方法論をフォローする場合と現行憲法を解釈する場合には全く異なる理論のパラダイムを使い続けている。しかし、彼等にはなんらの慙愧も覚悟も感じられない。正に、惰性である。否、この輩は、世界水準では噴飯ものの自分達の憲法解釈が日本社会で尊重されることをあたかも既得権の如く考えている…

 とくに後者の「欧米の法概念論や法学方法論をフォローする場合と現行憲法を解釈する場合には全く異なる理論のパラダイムを使い続けている」という部分(私はこれを山本氏風に「翻訳の詐術」と呼んでいました)は、私が改憲論者になった大きな理由の一つで、憲法学者だけでなくマスコミも頻繁に使う手法だったのですが、最近はこれが通用しにくくなってきたことが、比較法を持たず、政治思想や法哲学、社会学的手法を駆使する“異例の憲法学者”* である長谷部教授を生んだ理由なのか、とハタと気づかされました。
 しかし、判例理論をあえて読み替えることによる正当化とか、安全保障問題にゲーム理論を持ち込むなど、もはや法律解釈学の範疇を超えています。ところが、こういう人でも教科書を書く場合にはそれなりに‘まとも’だから困るのです。もっとも、そうでなければ授業では使えず、売れませんけれど。

 これに対して、前述の松井教授は、正統的な英米法の理解に基づいて、その系譜にある日本国憲法を日本の現状を踏まえつつ解釈するという極めて妥当なものでした。その結果、憲法改正の限界は原理的なものしか認めず、9条の改正も暗に支持するという態度を取っていました。最初に彼の本を読んだ時は、ようやく日本にもこうした現実的な考え方ができる真っ当な憲法学者が生まれたのか、と考えていましたが・・・

>…悪貨は良貨を駆逐する。「平和・人権・民主主義・個人の尊重・国連中心主義」に象徴される戦後民主主義の既得権益を守ることでは利害を共通にする内閣法制局等の官僚勢力と多数派の憲法学者の連合軍を前にしては、優秀な憲法研究者は孤立を余儀なくされてきた。

 この指摘の通りだとすると、松井教授のカナダ・ブリティッシュコロンビア大学教授就任は、日本の憲法学会から追い出された(あるいは逃げ出した)結果かもしれないと思い、暗澹たる気分になってしまいました。

 こうした点から見ても、山本七平氏が盛んに評論活動をしていた時代に抱えていた問題が、本質的にはまだ何も解決していなかったということに、今回は改めて気づかされました。

 新しいエントリーのシリーズも始まったようですから、私もROMに戻りたいと思います。


*日本の法律の多くが継受法である宿命から、憲法に限らず、他の法分野においても、必ず一つは比較法(母法である場合が多い)を選択することがアカデミズムでは一般的であろうと思います。冥王星さんが指摘していた戦前の美濃部・佐々木博士、戦後直後の清宮・宮沢博士、そして芦部博士などは明治憲法時代以来の学者ですから、ドイツ法が比較法であり、ドイツ法学の影響が強く出るのはやむを得ないことです。しかし、現行憲法は明らかに英米法の流れを汲むものですから、いつままでもそのままというわけにはいきません。
 そこで、芦部博士は60年代に米国に留学し、その法理論を導入することで一世を風靡したのです。その後、佐藤(幸)教授は70年代に留学し、初めて体系的に憲法訴訟を紹介し、以後、続々と米国留学経験をもつ憲法学者が増えていったはずです。私の憲法学の教授も70年代末から80年代にかけて留学経験があり、松井教授は80年代の留学組です。米国留学経験のある憲法学者にとって、過去のドイツ法学による影響や主権論争(樋口教授らによるフランス法学の影響)は、触れることはあっても本質的な問題ではなく、徐々にそうした呪縛から解放されるかに見えました。

 松井教授は、その著書の‘はしがき’で少し異例のことを述べているので少し引用します。
「筆者は1955年に生まれた。(註:長谷部教授は1956年生まれ)…大学紛争の後の挫折感と無力感が広がりつつある時代風潮の中で、われわれの世代は「シラケの世代」だとも呼ばれた。…何ごとであれ「さめた目」で見てしまうことがわれわれの世代の共通項かもしれない。
 だが、そのおかげで、われわれの世代は、それまでの世代と異なり、日本国憲法に対してもさめためで見ることができた。また、結局のところ何もできないのは、われわれ自身が過去の思考の呪縛にとらわれて、自由な発想ができないせいであることも分かった。これを打ち破らなければ、未来はない。その結果、われわれの世代は過去の憲法学を見直し、過去の憲法学をと異なる憲法学を打ち出すことができた。…」

 しかし、確かに松井教授は『過去の思考の呪縛』を打ち破る憲法学を指向しましたが、長谷部教授はそれとは真逆の『過去の思考の呪縛』を再構築する憲法学を指向していると思われる点は、皮肉なことと言うしかありません。

  • 2008/12/17(水) 23:18:43 |
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>>冥王星さん

 申し訳ありませんが、今回は一つ一つ文章を取り上げた反論は行ないません。それをやってもキリがなさそうですし、どんどん論点もずれていきそうです。それに私は、最低限、専門用語を使う場合には原典にあたる癖があるのですが、それをやっている時間がないというのが正直なところです。
 それに、冥王星さんは、そうした対応を取ることもなく、書きなぐりに近い状態のようですから、わざわざそれをやる価値も見出せません。
 ですから、今回はいくつかの点についての雑感を述べるに止めます。

>PS:冥王星の専門は歴史学です。それも東南アジア通史・中央アジア中世史だけですので、突っ込まれるとボロが出るので悪しからず。…

 これを最初に言ってくださいw
 こういう言い方をしては失礼かもしれませんが、読む人が読めば、もうボロは出ていると思います。おそらく法学部できちんと勉強をしている学生が冥王星さんの文章を読めば、この人は法律を学んだことがないのではないかということはすぐに気づくと思います。
 どの専門分野でもそうでしょうが、その分野独自のテクニカルターム(専門用語)と理論構成があります。
 率直に言って、冥王星さんのそれは法律を学んだ人のものではありませんし、(今回もそうですが)用語もその使い方も、そして理論構成もかなり変です。ただ、問題を真摯に考えようとしていることは分かるので、それを伝えるのに必ずしも法律用語を使う必要はなく、できるだけ平易な言葉と論理で説明するべきではないでしょうか。とくに教育者ならそうでしょう。
 それに私は、法律にはテクニカルな面があり、専門家でなければ分かりにくいところがあるのは仕方がないとしても、とくに憲法については、普通の国民が普通の言葉で、常識に基づいて論じるべきものだと思っています。

 ちなみに私は、一応法学部の出身ですが、憲法は専門ではありませんでした(専門ではない立場だったからこそ、学生時代から改憲論者になったのかもしれません。自分の専門であれば、立場やしがらみもあって、思ったことをハッキリ言うことは難しいでしょうから)。したがって、前回の私のコメントも、せいぜい法学部の学生レベルの内容だと思ってください。

>確か、長谷部先生の解説の一説から引用したような・・いずれにしろ、調べた上で解説しようと思います。

 いや、これを教えて頂いたのは助かります。
 なるほど。“護憲派最後の砦”と言われる長谷部恭男東大教授が冥王星さんの‘もとネタ’の1つでしたか。それなら、冥王星さんの言わんとするところが何となく分かりますw

 私の‘もとネタ’も言っておかないとフェアではないと思うので一応言っておきます。私が学生時代に憲法の教科書に指定されていたのは、佐藤幸治京大教授(当時)の著作でした(世代がバレますw)。また、比較的最近のもので結構気に入っていたのが、佐藤(幸)教授の弟子筋にあたり長谷部教授と同年代の松井茂記大阪大教授の著作です(英米法の専門家でもあり、比較法の観点からの日本国憲法の解説は、山本七平氏の思考と共通する面があって大変面白かったのですが、今回ググッたらカナダ・ブリティッシュコロンビア大学法学部教授にも就任していたようです。知りませんでした…orz)。

 それにしても、東大法学部の憲法学教授は代々護憲派でないと就任できないというのはやはり本当のことだったようですね。芦部教授も二十数名(?)いた弟子のうちから誰一人後継者を指名せず、既に東北大学の教授だった樋口陽一教授を東大に招聘しています(比較憲法の大家で、フランス憲法の専門家でした)。そして、長谷部教授ですか・・・ただ、この人は経歴を見る限り、留学経験や比較法がなく、その意味ではどちらかといえば学究肌だった芦部教授より、全共闘時代に花々しく活躍したと言われる小林直樹東大教授(当時)に近いタイプの人かもしれませんね。実はこの小林教授の著作への疑問が、私が改憲派になるキッカケだったのですがw

 また、長谷部教授の教科書については、2,3年前にザッと目を通したことがあり、とくに面白そうな点もなかったのでそのままにしていたのですが、調べたら「憲法と平和を問いなおす」(ちくま新書)という本を出版して話題になっていたのですね。なるほど、この点も小林教授によく似ています。

 なお、既にご存知かもしれませんが、今回、長谷部教授に関する問題についてググッていた際に見つけた、面白いサイトを紹介します。

[憲法改正 長谷部恭男批判]
憲法改正の秋 長谷部恭男の護憲最終防御ラインを突破せよ!
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/E/E60.html

 内容は、もともとブログに書いたものをまとめたものらしく、酷士様的な表現があったりと、結構おどけたところもありますが、私よりはるかに専門的に学んだ人がそれなりに真面目に書いたもののようです。結論は若干異なっていますが、私の考え方と共通する部分も少なくありませんでした。

 というわけで、申し訳ありませんが、自己解決してしまったので、冥王星さんとの討論はここまでにさせてください。
 ただ、久しぶりに憲法の教科書を読み返したり、憲法問題を考え直す機会を与えてくださったことに、感謝いたします。

  • 2008/12/17(水) 23:10:29 |
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冥王星さんへ

冥王星さん、レスどうもです。

残念ながら、もう私には訳のわからない世界に入ってきました(汗)ので、後はROMさせてもらいます。

>最近、承認制コメントのブログが多いようですが、それがどれだけ言論的公平性を担保するのか?という問題意識のない人が多すぎると危惧してます。
>だから、承認制みたいになれば面白いかもしれない・・と・・・邪推してたんですが・・・しませんでしたね。


まあ、コメント承認制にした方が、楽だし荒れないのでそういうブログが多いのでしょう。
私んとこなどは、弱小ブログですので、今のところヘイトコメントとか付かないのでなんとかやってます。
まあ、たとえ議論が荒れようとも、炎上しようとも、承認制にするつもりは今のところありません。

ただ、「削除」という手段のかわりに、「ごみコメント」として分ける機能があればいいのにな…と考えています。そうすりゃ、管理人が何をごみ扱いにしたか、一目瞭然ですしね。

山本七平は、「異論を認めないものを”日本軍”と見なす」としていました。
彼の著作を読むと、異論を認めることの大切さというのがわかります。
そういう意見に共感しているので、コメント非承認制としているのですよv-290

  • 2008/12/16(火) 23:47:24 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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送信一発で投稿できるのは便利ですよね?(意味不明)

 非正規雇用は危ないなんてのは、暴論だと思う”契約社員のくせに、正社員よりも多めの給与”の冥王星です。

1読者さんへ
また長い返信に対して、長い論争になりそうなのですが・・・

>(ケルゼンの主張は)形式的な憲法改正反対の論拠となり得るでしょうが、冥王星の主張との関係性はない

冥王星の主張は、あくまでも法論理の視点で憲法を考える必要性です。冥王星は護憲・改憲には拘りはありません。(どっちでも、幸福実現できるならいい)

>この考えも結局は形而上学的な観念論の一つと考えていますが。

観念論的なものでしょう。あえて、冥王星は意図的にケルゼンの観念論を持ち込んで、憲法の見方の危うさを警鐘したに過ぎません。
少なくとも、法の見方としてケルゼン的観念論は絶対的に無意味ではありませんし、それは国際法でも国内法でも通じるものでしょう。同時にこのような法理論は著作権法の世界ではしばしば援用されるものであることも重要と考えるわけです。
まぁ、ケルゼンみたいな大家が憲法擁護するわけでもないんでしょうから、既存の観念論的なアプローチへのアンチテーゼの意味で主張しているわけです。

>ケルゼンがどの文献でどのような文脈から述べたものを引用したのか、紹介してくださると助かります。

これに関しては、箇所を忘れています。それに関してはいずれ探しますが、手元に著作がないので、時間をいただけると助かります。
確か、長谷部先生の解説の一説から引用したような・・いずれにしろ、調べた上で解説しようと思います。

>「法の不作為」とは何でしょう?「立法の不作為」なら分かります。そして、確かにそれは、主として国会における政治的な問題でしょう。

立法の不作為の方が妥当だと思います。訂正しておきます。

>憲法に限らず、それぞれの法分野で解釈方法が異なるのはその通りですが、憲法だけがとくに違っているということはありません。

冥王星はそうは思いません。憲法学として憲法訴訟というのは別系統の学問として体系化されているのはご存じだと思います。
諸外国の憲法はシビルロー的ですが、日本の憲法はコモンロー的でありならも、司法消極主義によって行政権の暴走が可能になっているという異質さがあります。これは、日本独特の状況だと冥王星は考えていますし、憲法統制の根本が行政権でも民主的正統性のない内閣法制局にあることへの批判含めて、憲法学が行うべき部分と解しています。
本義政治的であるべき憲法がなし崩し的に政治的素地を内閣法制局任せにしているという論題を理解してほしいことが冥王星の主張の主題であります。

冥王星の立憲主義は
特定の基本法(憲法)によって国家権力が牽制・統制されるイデオロギーを立憲主義と規定しています。
その憲法の解釈裁量に関しては、当事国人民の認証・合意によって構成されるものであって、立憲主義国として抵抗権が認められている状況であれば、そこは立憲主義国と言えるでしょう。自国に基本法がなくても、世界人権宣言などの国際人権法・慣習自然法を尊重している国家・人民は立憲主義と断定しています。
立憲主義の視点は「悪法は法か?」という部分にも論及が必要なので、この程度で堪忍してください。

>憲法草案に関して

自民党草案・読売草案・民主党草案と多くの草案は見ました。
個別に条文を拾って解釈問題を指摘することもできますが、それをわざわざここでやる必要性があるでしょうか?
同時に、当時議論されたといいますが、どれだけの人が議論して、現在に至っていますか?彼らの改正への熱はもう覚めたんでしょうか?
それについては、国民投票法の審議過程で一度でも、前文改正・憲法三原則の改正が可能なのか?という改憲の限界論の審議は行われていないことに中身がわかるでしょう。
どれだけの人が憲法改正の限界について議論し、審議されたか?
ほとんどされていません。学術的部分という部分も多いわけですが、憲法改正のテクニカルな部分は前文・国際法・国内法との整合性と踏み込んだ展開・質疑が行われるべきでしょうが、それすら見ていません。
”私擬憲法”は議会さえない時代の産物ですからオナニーになりますが、政党・新聞社レベルが国民投票法審議で憲法改正の限界点を考えずに草案を作るなどは、お粗末と言わざるを得ません。それだけ現実的な問題点から逃避しつつ草案を作ったと言えるでしょうか?
だから、評価できないし、評価しようがないのです。

>実際の政府の解釈は、解釈の変遷が問題になることはあっても、充分に合理的な解釈の範囲内だと思います。

冥王星はこれを全否定できません。
しかし、法解釈のテクニックの領分であり、それが法としての生命を持つには、法を理解し、尊重できる体制が必要でしょう。
その解釈工学的な法律によって法が人民と無縁・疎遠になってしまったことは、やはり批判されてしかるべきでしょう。冥王星も解釈改憲という言葉は気に入らないので、本義は使いたくないのですが、解釈護憲なんてのはアフォっぽく判断されるので極力言わないようにしています。

>また、内閣法制局の教条的(ある意味で素直)な解釈は、しばしば時の内閣と対立してきましたが、内閣法制局の人事自体が利権化していて、安倍内閣当時、公務員制度改革の一環として問題となったことはご存知ないですか。

安部内閣当時はNSC(国家安全保障会議)設置で内閣法制局との対立構造が先鋭化したというのが冥王星の見解です。
内閣法制局の利権構造はそれこそ公官庁の領分であって、介入しようもないと定款しています。

八月革命説は問題点として解釈の相違点として追及することに限界があるので、割愛させていただきます。
(ちなみに、学説的には優性という話です)

>法である以上やむを得ないところかもしれません。また、内閣法制局の解釈も、決して無理矢理とかフレキシブル過ぎるというものではないのですが、とくに集団的自衛権に関するものなどは、あまりに教条的で(そうとしか表現できない)うんざりしますし、問題なのは政府にアドバイスをするという立場を超えて、それに固執しているように思われる点です。

法解釈のモラトリアムの必然性・蓋然性は当然のことと思います。
内閣法制局レベルの有識者の集まる第三者機関がないシンクタンクがないから、立法府がまもとに・・・・(以下略)

>(司法積極主義などの)概念自体が曖昧であるだけでなく、結局のところ裁判所の取るべき姿勢ないし態度の問題に過ぎません。おそらく統治行為論(ないし政治的問題)=司法消極主義と捉え、その逆を考えたのでしょうが、統治行為論は司法権の限界に関する問題で、司法消極主義と同義ではないのです。

完全なる同義ではないのは分かります。
ただし、司法消極主義が「裁判所は司法判断をする際に立法府・行政府という本来の政策決定者の決断を最大限尊重すべき」という発想にしても、政策決定者が判断を下していないようなものまで司法判断を下さないのは如何なものでしょうか?
もちろん、日本の裁判は公法だけで消極的であるんだから、司法消極主義ではないとも言えるのですが、政治判断が明確ではないならば、司法は三権として判断を出す権利があってもいいと思います。海外の司法権と違い形式的にも国民審査という経緯を経ている最高裁・下級裁が引け目であることは、むしろ国民審査を蔑ろにしているとも言えるでしょう。
少なくとも、国民審査という制度によって確立している日本の司法は、内閣法制局よりも政治的(民主的)正当性が高いことを考えて、責任をもって判断してほしいと思います。
司法権の暴走が想定されるほど司法が危険とは思えませんし、(憲法訴訟に関しては)自制的すぎると冥王星は感じています。

>司法権の判断を尊重するのは、三権分立の趣旨からいっても当然であるだけでなく、司法権にもまた限界があるということではないでしょうか。

司法権・内閣法制局の政治的(民主的)正当性の相違点は権限の射程を制約するものだと思います。

>「創文」2002年12月号の記述あたりにいい文章がありますが・・・・引用が・・

趣旨としては、自然法と日本の憲法学者の観点でいえば、イェリネック、ケルゼンの影響が強い憲法学者が多いとのこと。事例としては美濃部達吉、佐々木惣一、宮澤俊義、清宮四郎、黒田覚、芦部信喜、小林直樹、杉原泰雄、樋口陽一(黒田は該当しないと思うが)
いわゆる新カント派隆盛は今も継続していて、諸外国の憲法学者が、現象学・トマス主義派(スコットランド常識学派)にシフトしているのに比べると問題というような趣旨が書いてあったはずです。(法哲学は嫌いなので理解深度は疑問あり)

>むしろ冥王星さんのような人が、分かりやすく説明するべきなのではないですか。

無理です。行政的優位性が当然のように思うような社会が今の一般社会です。
三権分立さえ知らない文系大学生が存在できる時代では無理だと思います。
なにより、権力の牽制という意味でいえば、人民自身が権力を保持して暴走している可能性さえ危惧できないような歴史観が隆盛している時代に無理でしょう。
三権分立をなし崩しにしているのは、何よりも国民です。それを見事に体現しているのが、政党政治でしょう。
野党が与党を監視するという政党政治の利点は、二大政党制の元に単なる対立構造に終始して監視ではなく、政権獲得が立法府構成員の目的化しています。
まだ国政はいいほうです。地方の三権なんか壊滅的です。(地方は二権ですねw)
結局は、国民が行政にしか視点がないんです。だから、憲法草案策定されても、意見しないし、意見が出ない。
もっと言えば、どこぞの保守派の方々は、どこぞの雑誌社の主力投稿者の憲法草案を中身を見ずに支持し始めるわけです。
思考停止・思考硬直は教育では治せません。
その人間の器の問題であり、その人生経緯の問題です。
失敗を糧にできない、糧にしようとしない逃避型人間は、反面教師からは私怨しか醸成できません。反面教師から学びえる学習方法ができない人間が多い・・・これが冥王星の現在の日本人の一部趨勢への諦観であり、現状分析です。

このサイトにもリンクしているある方などは、引用先の間違いを指摘しても間違いを認めないような言動していたわけですから、オッカナイですけどねw
麻生総理みたいに間違いを認める位の人間的器がない人間なんてのは、Sirokazeさんだけでもないでしょうが・・
(間違いと思えないレベルではなく間違いだと当人が認めているのにも関わらずである)

しかし、長い悪文で申し訳ない。
以上。自衛隊法87条2項の自衛官の政治行為制限の妥当性について疑問視している冥王星でした。

PS:冥王星の専門は歴史学です。それも東南アジア通史・中央アジア中世史だけですので、突っ込まれるとボロが出るので悪しからず。
なるべく回答しようと努力していますが、漏れがあったら、指摘してもられるとありがたい。




  • 2008/12/16(火) 14:42:13 |
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  • ヒールを履いた小学生に驚く三十路のオヤジ冥王星 #-
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(つづき)
>改憲論が降って湧いては改憲に至らないのは、強烈な条文のプレゼンができないからだと思います。
解釈改憲という詐欺的な方法論が実行されて、憲法が不明瞭になっていることもその背景にあるでしょうが、内閣法制局の解釈改憲によって順調に運営できた結果論があることがもっとも大きな実績とは思いますが・・・・
 改憲に至らないのは、国民の意識も含めた国際的・国内的政治状況の結果であることは残念なことです。なお、「解釈改憲」という言葉はマスコミ用語に過ぎません。実際の政府の解釈は、解釈の変遷が問題になることはあっても、充分に合理的な解釈の範囲内だと思います。また、内閣法制局の教条的(ある意味で素直)な解釈は、しばしば時の内閣と対立してきましたが、内閣法制局の人事自体が利権化していて、安倍内閣当時、公務員制度改革の一環として問題となったことはご存知ないですか。

>指摘する必要性があるでしょうが、前文・憲法三原則の改正については、その可否が不明瞭です。八月革命説を採用すれば、前文さえも改正できますが、できるとは思えません。
 前文といわゆる憲法三原則を憲法改正の限界と考える立場は、おそらく芦部信喜教授あたりの説でしょう。また、芦部教授も佐藤幸治教授も、私の指摘した憲法改正条項も改正の限界に当たるとしています。私は、憲法改正の限界は、法理論上、主権原理とそれと直接結びついた国民の権利についてのみ認められるという立場をとっています(また、自民党草案も芦部・佐藤(幸)説には立っていません)。もっとも、革命などによって新たな主権原理による憲法が制定されてしまえばそれまでですが。なお、八月革命説は、現行憲法の制定過程の欠陥を法理論的に糊塗するためのものでしかないと考えています。

>そして、「条文を読めばある程度の推測ができる」、と言いますが、その法解釈の奇形化が憲法危機に至ったことを鑑みて、当然分かりやすい条文になるでしょうが、その分だけフレキシブルな行政の運用が求められるでしょう。そうなれば、確実に問題になるのが、「内閣法制局」の無理やりな法解釈論。また憲法条文の内容が反故にされる可能性は高いでしょう。内閣法制局を嫌悪しているわけではありませんが、あまりにも行政権力による恣意的法解釈の余地を認めている国民が信用できません。
 条文を読めばある程度の想定できるというのは、従来の解釈論の内容をある程度理解しているということが前提で、残念ながら法文が国語的意味で簡単になるということではありません。これは、法である以上やむを得ないところかもしれません。また、内閣法制局の解釈も、決して無理矢理とかフレキシブル過ぎるというものではないのですが、とくに集団的自衛権に関するものなどは、あまりに教条的で(そうとしか表現できない)うんざりしますし、問題なのは政府にアドバイスをするという立場を超えて、それに固執しているように思われる点です。

>冥王星は解釈護憲論なので矛盾しますが、司法積極主義による司法権の憲法介入によって解釈護憲を成し遂げられると期待していますので…
 司法積極主義は、司法審査権行使の方法に関して裁判所に一定の政策形成や価値実現を認める立場ですが、一般には人権保障における違憲審査に関するもので、9条のような安全保障問題に適用された例は無かったと思います。また、その概念自体が曖昧であるだけでなく、結局のところ裁判所の取るべき姿勢ないし態度の問題に過ぎません。おそらく統治行為論(ないし政治的問題)=司法消極主義と捉え、その逆を考えたのでしょうが、統治行為論は司法権の限界に関する問題で、司法消極主義と同義ではないのです。

>今、法律の支配者は、内閣法制局にあります、それは解釈・運用・立法まで支配していると言えるでしょう。憲法改正・護憲論も、現実的にはその憲法をなし崩しにできるうる内閣法制局への問題意識が希薄なのが、とても気になるのです。
 この現状認識は私と異なりますし、内閣法制局については前述しました。

>改憲したけど、内閣法制局の解釈で、護憲っぽくなった・運用される・・なんてのはありえないシナリオではありません。ただし、内閣法制局は不思議にも司法権の判断は反故にしない・できないからこそ、司法権への配慮を要請しているのですが・・
 内閣法制局は、特定の問題についてあまりにも頑な解釈態度をとるということと人事に関すること以外に、私には問題があるようには思えません。また、司法権の判断を尊重するのは、三権分立の趣旨からいっても当然であるだけでなく、司法権にもまた限界があるということではないでしょうか。

>まぁ、ケルゼン流の法理論を国内法で使えないことはないという意味で、刑法・道交法の事例を出したので、それだけ理解してくれればいいです。
 ここがさっぱり分からないところです。しかも、ケルゼンの法理論は法実証主義の一種(純粋法学ともいう)であり、この法実証主義自体がナチスの台頭に無力であったことから、戦後は著しく影響力が低下した過去の考え方であり、少なくとも私は、前述の場合を除き、現在の日本の法解釈学に影響を与えた例を知りません。

>内閣法制局とか三権分立の論題とか、正直、今のネット世論には無意味な説教ですから・・・
 むしろ冥王星さんのような人が、分かりやすく説明するべきなのではないですか。

  • 2008/12/15(月) 22:00:54 |
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>冥王星さん

 今回は、日頃の方針に反し、極めて理屈っぽく、しかもかなりの長文になってしまったことを予めお詫びいたします m(__)m

 憲法は虚構ではないという点について、説明はまるで違いますが、同じ結論なのは嬉しいことです。

>法の実行性とは、それが守られていることだけで論じるものではありません。
 「実行性」ではなく、「実効性」です。意味は後で述べます。

>それはケルゼン流で指摘したとおり、法を守る人間を正当化するための法の存在意義によって言及できます。 法とは「守らない人間のためにある」だけではなく「守る人を正当化するためにある」とも言えるのです。守らない人間がいるから憲法・法が無意味というのは、「守られない人間」を批判するべきであって、「守る人間を正当化する法」としての使命を亡失してはなりません。
>ケルゼンからの引用です。法の生命という論題は、国際法だけの論題ではありません。国内法にも通用することは、実行性・拘束性のない条例・政令などでも適用できることでしょう。

 どうもよく分からない文章です。確かにケルゼンは、法実証主義的立場から、憲法の妥当性を基礎づけ授権するより高次の法規範である「根本法規」を提唱し、従来の日本の憲法学に大きな影響を与えました。また、この理論は、政治情勢の変化によって現実に憲法改正が行なわれても、それだけでは憲法の正当性は導かれない(事実から規範は導かれない)とする点で、形式的な憲法改正反対の論拠となり得るでしょう。しかし、それがどう冥王星さんの主張に結びつくのか、さっぱり分かりません。もっとも私は、この考えも結局は形而上学的な観念論の一つと考えていますが。
 また、一般に「法とは何か?」という場合、(1) 妥当性(≒正当性)と(2) 実効性(≒強制力による担保)を要件にあげることがあります。とくに(2) は、道徳規範と実定法を区分するメルクマールになると同時に、それが無いことが国際法の法的性質を否定する論拠となる場合があり、冥王星さんの主張はこれに対する国際法学者の反論の(正確ではない)援用のように思えたので、前回のようにコメントしたわけです。また、その主張において、(1) と(2) の要件が揃い、典型的な法とされる国内の実定法を例にあげるのは矛盾だということも指摘したつもりです。また、罰則のない取締規定や民法の任意法規であっても、それが裁判規範となる限り、裁判を通じて国家権力の強制力が及ぶことは言うまでもないことです。
 いずれにせよ、ケルゼンがどの文献でどのような文脈から述べたものを引用したのか、紹介してくださると助かります。

>現実との乖離に関して法だけで解決できないのが現代社会の現実でしょう。それは法の不作為などの存在でもわかるように、法だけで対処する問題ではありません。
 「法の不作為」とは何でしょう?「立法の不作為」なら分かります。そして、確かにそれは、主として国会における政治的な問題でしょう。

>その問題を法ではなく政治的視点が強い憲法で調整するのが、憲法学の視点です。
憲法は一般法学とは別物と言えるほど政治的視点が強いものであり、国際政治的な視座まで強く要請する基本法です。
 確かにフランスならそうかもしれません。しかし、日本ではむしろ逆で、憲法学者にはそれぞれに強い政治的指向性を感じることがあるものの、解釈論自体は前述のケルゼンの例でも分かる通り、(とくに9条や前文に関する部分では)極めて観念的かつ形式的で、軍事的な視点はもとより、歴史的・国際政治的な視座も欠落した、文字通り“象牙の塔”と言われる状況にあることは周知のことではないですか。また、憲法に限らず、それぞれの法分野で解釈方法が異なるのはその通りですが、憲法だけがとくに違っているということはありません。
>そういう部分では、憲法訴訟がコモンロー的で面白いですがw
 この部分は、アメリカ法の直接の影響を受けた新しい分野で、コモン・ロー的な要素が強いのは事実ですが、合憲性判断基準と同様に、学説状況は一学者に一学説と言ってもいいほど未成熟な分野でもあります。

>具体的にどこでしょうか?当事国の憲法解釈の自由を尊重しないで、某国は立憲主義ではないというならば、それこそナンセンスでしょう。憲法解釈をつかさどるのは、外国人ではなく当事国人民であり、その人民が支持した体制が運営するものに他なりません。是非、具体的に立憲主義ではない国という指摘はしてほしいと思います。
 憲法があること=立憲主義ではないのはご存知ですよね。憲法学上、立憲主義とは「(国家)権力の行使を(自由を確保するために)憲法で統制しようとする原理」をいいます。()内を強調してとくに近代的立憲主義ということもあり、さらに、権力分立制や人権保障を含むとする立場もあります。したがって、形式的に憲法や国家機関が存在しても、その上位に共産党が君臨し、何よりも党の政治的判断が優先される国家は、立憲主義ではないということは自明のことではないですか。
 ちなみに、冥王星さんの定義はどのようなものですか?

>で、どこまで解釈論・草案が出来上がってるんですか?
国民投票法ではどういう形体で賛否が問われるのか?・・・その問題からしても、これらで済まされるわけはないでしょう。そして、たたき台としてその後の進捗は見ていますか?
 私が引用したものを読んではいないのですか? その内容は、しばしば法の大幅な改正や全面改正の場合に法務省等が配付する“新旧条文対照表”の形になっています。つまり、完全な憲法改正草案です。それを‘叩き台’と言ったのは、これが自民党草案だからです。しかし、一国の政党が時間をかけ調整を繰り返してまとめたものですから、‘私擬憲法’などとは格が違うのも確かです。当時は頻繁にマスコミでも報道されていましたから、憲法改正に関心があるのなら、仮に反対の立場であっても、一度は目を通しておく機会があったのではないですか。
(つづく)

  • 2008/12/15(月) 21:58:22 |
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チョウチナンコウのオスみたいにメスの器官になってみたい冥王星です。
(チョウチンアンコウという生き物はオスがメスに寄生していきています)

今日は、活動先のPCから(これ税金の一部の可能性が・・・・)

さて、ホモでヒモになりたい冥王星の暴論を返信を
管理人様へ


>一般人からしたら、そうした無理を解釈で合憲とするより、素直に改憲して誰もが納得のいくようするのが、憲法を遵守する道だとしか思えないのですけど。余りにも単純でしょうか?

「そうですね。」と言いたいです。
しかし、奇形的ともいえる法解釈工学が憲法を良い意味でも悪い意味でも発展させています。
例えば、憲法には諸外国で想定されるだろう「環境権」まで解釈上の運用で取り扱うことが可能です。(詳細の説明は割愛)
つまり、憲法が一般人の思考能力では意味不明になっているという問題点は深刻とは言えると思います。
その一方でどれだけの日本人が憲法論について議論したきたでしょうか?
例えば、集団的自衛権の法源はどこにあるんですか?と法理論以前に権利の根源すら明白ではない状態で、「それは権利だ」といってしまえる状態があります。
簡単にいえば、その憲法の規定の根拠まで考えて憲法争論していないことへの問題もあるのです。それができないから、解釈的な悪用も可能になっているわけです。(ちなみに、冥王星は集団自衛権のオリジンでは国際法識者としては、マイノリティですので紹介しかねます)
問題意識は非常に妥当性があるとは思いますが、改憲しようとも内閣法制局の裁量権でなし崩しにできる状態の日本では改憲に意味があるのか?という問題点が実に深刻に介在します。
それを解決するためには、三権分立の徹底などの方策が必要にも関わらず・・・・・・・・・・。
それだけ内閣法制局がいい意味でも悪い意味でも立派で凄いんですが、世論はそれすら問題意識にない。
「憲法変わればすべて変わる」みたいな誤解しているわけですから、呆れます。
で、「実に素直に憲法の条文が作られた」としても、法解釈世界は、抜け道を探し出せるんです。9条・解散権・学問の自由(大学自治)・98条・・・・枚挙のいとまもないほど、憲法をなし崩しにできる行政権・・・・・
別に行政権が悪いんじゃなくて、それを牽制しない司法・立法や具体的な問題点をつけない世論が無能すぎるだけなんですけどね。
(国籍法騒動なんかは見事に行政現場が周知しているので、問題がないという実例)
単純な見方がNGではないんですが、それが悪用できるのは法律の恐ろしい部分なわけです。
そして、単純な立法になればなるほど、周辺法規との整合性の課題が発生するので、また厄介でもあります。
(改憲論の落とし穴ともいえるのですが、憲法改正で発生する関連法規との整合性課題をどこまで改憲草案は想起できているのでしょうか?それは結構、今後の楽しみではあります)
まぁ、結論からいえば、楽観視してれば、行政権力の暴走を許すとしか言えません。(人権擁護法案・共謀罪などが静止できたのは護憲論者が躍起になった結果でしょうし)
改憲できなかったのは、行政権の解釈改憲が巧緻だったから、という視点がない改憲論ばかりなのは、ご愛敬ということでw

>日本が、単に改憲が必要とされる深刻な状況に今まで陥ったことがないだけ…というのが実情ではないでしょうか。

その実情分析に関してはまず否定できるでしょう。
直近ではPKO法案成立時期などは改憲要請が高まった時期ですし、安保闘争時代は憲法争論の最高潮だったでしょう。
大日本帝国憲法下から常に改憲要請が存在しながらも、それを軽視してきたのは行政権の怠慢とも言えましょうが、それを必要としながらも、「空気の如く当たり前の存在としか感じられなくなった」結果が、憲法を放置する状況になったと分析します。
逆に深刻な状態において、憲法問題を無視してきた歴史的経過があると言えるでしょう。
大政翼賛会時代には憲法停止ということも深刻な問題だったわけですが、意識が低いから気の止めない。
(憲法停止という非常事態が恒常化し争論にならないような国家なんて日本くらいだと思われ)

>そうした深刻な状況が起きた時に、憲法は持ちこたえることは出来ると思いますか?
解釈改憲で対応できなくなったときに、守れない憲法を抱いて死ぬ覚悟が一般庶民にあるでしょうか?

憲法は持ちこたえられません。憲法の存在価値を不意にする民意・行政がある限りは、どんなに立派な憲法でも簡単に無意味になります。(国家緊急権は割愛)
憲法そのものだけではどうしようもないのです。だからこそ、改憲論・護憲論は政治手段としての価値が低いと考えるわけです。

あえて、改憲論の方に指摘しておきますが、”集団的自衛権”が憲法規定に盛り込まれても、”権利があるが行使はしない”という立場を内閣法制局が死守する可能性は高いですよw

>それから井沢氏が歴史論争で逃げ回っていると仰ってますが、どこでそうした事を調べることが出来るんでしょう?そうした事がわかるサイトとかありましたら教えて欲しいです。

サイトはないですよ。その理由は簡単です。
井沢元彦氏を批判することにメリットがないからw
簡単にいえば「何いまさら、批判しているんだね?彼は市中の人であって鞭打つ対象ではないよ」という人が圧倒的であるからです。
逆に、「井沢叩きやってんだ?そんなことする前に自前の研究をやれよ」と説教されるのがオチでもあるでしょう。
こういうのは学術世界の悪い部分でムレの行動ではあるのですが、実はこうなるのは当然のことなのです。

考えても見てください。当人が「反論しない」と言ってるのを批判することって虚しいことなんですよ。それって「欠席裁判」なわけです。
識者のような存在は一方的言動は好まないものです。対論・争論によって一致を確認したいわけです。そういう思考回路の持ち主なわけです。
冥王星みたいな愚昧は批判対象が関与しない「欠席裁判」はできますけど、一般の方はしない。
井沢氏が批判した学者さんは「欠席裁判」で批判されたわけで、同じことはできないわけですよ。相手が卑怯なやり方で批判するからって同じ卑怯なことはできないという理性が働くわけです。
冥王星もやってもいいですが、それは欠席裁判ですし、井沢氏の歴史感の自由まで否定する記事になることが想定できるから自制しているだけだったりします。(モンゴル通史なんかは相当問題ですしね)冥王星は歴史修正主義批判さえしない自由主義者ですが、言論的暴力の自由まで認めるつもりはないので。
 井沢氏のやっている言論方法というのは本質的には「言論的強姦罪」なんですよ。
仮に井沢氏の批判への反論を、井沢氏が反論してくれればその批判も検証されるべきでしょう。
しかし、言いっぱなし・資料検証の要請などを全面的に却下する姿勢は、物書きのマナーとしてもNGなんです。(ジャーナリスト・記者として討論・争論するようなメディアに生きていない人などはそうなってしまうんでしょうね)
言論の自由というのは、その被害者の救済も想定されるべきなのは言うまでもありません。
しかし、彼はそれすらも拒んだわけです。

「言いっぱなし」ならいくらでも嘘・虚偽はできます。それこそ彼が批判するような対象と同じようなことを彼が行っていると批判できます。
しかし、批判する相手と同じことをやってることからも整合性と正当性を失っているわけです。
物凄くわかりやすく言えば、
コメント承認制にしている管理人(井沢氏)が、有意な反論でありながらも、自分にとって不都合のコメントとして削除するようなものです。
そういう人の表現の自由を保障するのも民主主義ですが、法的には許されても道義的には批判されても仕方ないでしょう。
この批判は一般の週刊誌などにも通じる話です。自前で報道倫理委員会・外部倫理委員会のない編集が多い日本のジャーナリズムなんてのは、それこそ言論暴力団と言われかねません。(新聞社・放送局は概ね第三者機関まである)

>まあ、冥王星さんのご指摘どおり盗用となれば、胡散臭い人物ということにもなりそうですが、元来、私は節操がない人間なので、主張する人物が何であれ、言っていることが正しいと思えれば、その説自体は認めても構わないと思っています。

盗用の確信犯である可能性は比較的ささやかれていますが、証拠がない(そりゃ、検証しようにも井沢氏は反論しないのでw)
ちなみに、胡散臭いという問題ではなく、オリジンへの敬意があってほしいわけです。
書籍の巻末に出典元は書いてますよね?あれって漏れずに書くことがかなり重要だったりします。井沢氏の書籍には、その配慮が見当たらない。(記者あがりだから仕方ないという人もいるが)
ちなみに、冥王星は民俗学の仮説は人文科学の領分なので否定できません。「そう思ってるなら、反証できる?」とは問答しますけどね。

幾度でも言いますが、冥王星はインテリでは御座いません。
一度、冥王星の情報は偏重化しています。
そもそも、インテリならばもっと無難な言い回しで逃げますし、ウィットに富んでます。
というよりも、本当の意味でインテリって黙して語らないものだと最近思います。
インテリさんはあくまでも聞いてるだけで、間違ったことを言ってるのを見て「ほくそ笑んでる」ような生態系だと個人的には確信してます。
なにより、冥王星がインテリならば・・・・・悲しくなるのでいいませんが・・・

とりえあず、冥王星の言動は「人としてどうなのよ?という批判は甘んじて受けます。
失礼承知でバラすと、激怒して削除すればそれはそれで新展開だった、と思ってます。
最近、承認制コメントのブログが多いようですが、それがどれだけ言論的公平性を担保するのか?という問題意識のない人が多すぎると危惧してます。
ここは、冥王星が知ってる数少ない「非承認制ブログ」なわけですから、貴重でありながら、奇特です。だから、承認制みたいになれば面白いかもしれない・・と・・・邪推してたんですが・・・しませんでしたね。ちょっと残念。(無礼だな)

以上。カタツムリにように「ふたなり」(両性の性器を保有していること)になったら、妊娠してみたい冥王星でした。
失礼しやすした・・・

  • 2008/12/15(月) 17:04:09 |
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  • 二次元ロリコン戦士冥王星 #-
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やはり疑問だ

>法とは「守らない人間のためにある」だけではなく「守る人を正当化するためにある」とも言えるのです。
>守らない人間がいるから憲法・法が無意味というのは、「守られない人間」を批判するべきであって、「守る人間を正当化する法」としての使命を亡失してはなりません。


筋論としては、言ってることは何となくわかるんですが、それでも法律に素人の立場から見れば疑問です。

「守らない人間」が悪いのはわかります。
でも条文どおりなら「守れない」んですよ。「守らない人間」じゃなく「守れない人間」なんです。

一般人からしたら、そうした無理を解釈で合憲とするより、素直に改憲して誰もが納得のいくようするのが、憲法を遵守する道だとしか思えないのですけど。余りにも単純でしょうか?

>改憲論が降って湧いては改憲に至らないのは、強烈な条文のプレゼンができないからだと思います。

解釈改憲でごまかされている背景がある…との指摘は頷けますけど、プレゼンができないから…というのはちょっと疑問ですね。

日本が、単に改憲が必要とされる深刻な状況に今まで陥ったことがないだけ…というのが実情ではないでしょうか。

そうした深刻な状況が起きた時に、憲法は持ちこたえることは出来ると思いますか?
解釈改憲で対応できなくなったときに、守れない憲法を抱いて死ぬ覚悟が一般庶民にあるでしょうか?

法を語るなら勉強しろ…と冥王星さんは仰いますが、実際問題、一般人は冥王星さんのレベルまで法理論を理解できませんよ。

確かに私の主張などは、実行性もないし、現実的アプローチでもなんでもない。そりゃ、ご指摘のとおりですよ。井戸端論議レベルです。机上の空論だと言われても仕方ないです。

ただ、そうした井戸端論議が、なぜ実際の改憲へと繋がらないのか?

それは、日本人が憲法のことを、現実問題として重要視していないからとしか思えません。
そういうこともあって、「日本人の行動を決定している本当の法」じゃないと言えるのでしょう。

結局のところ、腹の底では憲法なぞ信じていないんでしょうね。一般庶民は。

冥王星さんの説明を読んでいて、それでもやはり伺いたいのは、

なぜ、そこまでして虚構を維持しなければならないのでしょう?解釈護憲というスタンスを維持するのはどうしてなんでしょう?

ということです。

本来守らねばならない立場の人間でも素直に従えるような条文に直すことがなぜいけないのでしょう?根本的な疑問がどうしても浮かんでなりません(まあ、ホントに単純ですけどね)。

それはさておき、井沢氏の件については、サイトを教えていただきありがとうございます。

ちょっと覗いて見ましたが、ボリュームありそうなのでまだ判断できません(そもそも忠臣蔵についての井沢氏の記述を読んでないです)。

まあ、冥王星さんのご指摘どおり盗用となれば、胡散臭い人物ということにもなりそうですが、元来、私は節操がない人間なので、主張する人物が何であれ、言っていることが正しいと思えれば、その説自体は認めても構わないと思っています。

>情動が正当性を担保しえるなら、全体主義も魔女狩りも集団ヒステリックも甘受するべきですが、してますか?

私も甘受したくありません。
ただ、自分では情動だと気付かない場合も多々あり……(汗)。
そうした時に、指摘してくれる人というのは貴重だと思ってます。

  • 2008/12/15(月) 00:21:09 |
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管理人さんへ

60兆個の細胞のうち、脳内細胞のRNAがコピーミスしたっぽい冥王星です。

>そりゃ、「無意味」にやったらどうかと思いますけど…。
ただ、岸田秀や山本七平が護憲派の行動を説明するのに精神分析を持ち出したのが無意味とは思えませんが。
実態としてそのとおりであって、冥王星さんだってそれ自体は否定できないでしょ。

全否定できませんね。しかし、単なる精神論に過ぎません。憲法の機能性は一部だけで評価することもできますが、あまりにも視野狭窄であり科学的視点からの検証がなさすぎます。

>それから井沢氏が歴史論争で逃げ回っていると仰ってますが、どこでそうした事を調べることが出来るんでしょう?そうした事がわかるサイトとかありましたら教えて欲しいです

うい。http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/shohyo/shohyo045.htm
http://www.12-14.jp/index.html

つうか、井沢氏の主張のエッセンスは、80年代の民俗学の盗用なのは有名。
それをさも自分が提唱したような言い方しているのが、問題点。
他にも部分的に論究すれば穴ぼこだらけ。
というか、世界史の講師レベルでも元寇の記述の杜撰さ、沖縄の中世史の記述のねつ造・偽造などはかなりのもの。
申し訳ないが、最近、彼が出てこれないのは、学会の圧力もあろうが、郷土史研究家の連合同盟が彼への資料提供拒否までやってるのが実情。(そんなことを表に出さないのは、言うまでもないっすよね?)

ちなみに、うちのブログで個別記事を取り上げてもいいですが、かなりの引用になりますし、著作権者が引用に関してはかなりナーバスですので、リスキーだったりします。
如水会での学術論での引用でも、ケチつけてきたのですから、相当、気にしているようです。

ついでに言えば、新潮社から多く出版が最近でているのは、もっともその危険性を露呈させているでしょう。

新潮社と井沢氏の関係は知りませんが、新潮社と言えば、名誉毀損の言論会社。
暴力団の規定は、その集団の構成員の前科の割合で占めるわけですが、新潮社ほど毎夜毀損は敗訴している会社はありません。
しかも、こすいことに、謝罪文章がある時だけ、目次を巻末に移動するなどの行為・
言論のテロリストの巣窟が新潮社なわけですが、そこでも堂々としてますからご立派です。
まぁ、歴史家として井沢氏のネームバリューは歴史的知識のある人には、「なんだそれ?」程度のなのですが、まぁ、信用する人はご自由に。

個人崇拝も自己責任でお願いします。冥王星は井沢氏に対して価値を感じないし、むしろ思想家して史実を捻じ曲げる部類だと論究しておきます。まるで、戯曲化した東洋史のようにw

ついでに、冥王星の「嘲笑」は見下しとは限りません。何より、それが本当に妥当性がある主張なのか?という意味で自嘲している意味もありますので・・・もちろん、悪意解釈される可能性は想定した上で、記述しているので、ご自由に・・・とだけ。

同時に、私は自分のレベルが高いという確信はありません。ただ、視点が狭いよ、考えた上での話なの?という思考姿勢に関しては、糾弾します。
知識なんてのは問題じゃなくて、学ぼうとする意欲と疑う意識が冥王星にとっての価値ある相手でしかありません。
どんなに間違っていようとも、学ぶ・学びえる相手ならば、相手を選ぼうとは思わないので冥王星は、このようなスタンスをとってます。

同時に、だからこそ、冥王星は門戸を閉じませんし、対論・討論できる相手を差別しません。
それがどれだけ蒙昧・無能であろうとも、発言する権利は奪わないのが冥王星の矜持ですからw

そして、管理責任者としての判断は当然、否定しませんので、どのように取り扱われようとご自由にしてください。

相変わらず長いですが、冥王星はあくまでも情動だけで政治を考えることはできません。意識的にそうしないように努力しています。
むしろ、そのような努力もしないで精神論で持論を正当化される人に嫌悪感を抱くだけの話です。
情動が正当性を担保しえるなら、全体主義も魔女狩りも集団ヒステリックも甘受するべきですが、してますか?

とだけ

相変わらずの長文失礼しまちた

  • 2008/12/14(日) 12:40:48 |
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  • 冥王星 #-
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1読者さんへ

ペプチド結合によって水分になってアルコールが冥王星です。
>少なくとも私は、法が虚構(実効性がない状態)であっては困るという立場です(なお、山本氏等の立場も同様でしょう)。

憲法は虚構ではありません。
何より、空気のようにその憲法が我々の権利・国家を正当化しているだけの話です。
簡単にいえば、呼吸する人間が「酸素」を知らずにして、”空気はいらないよね”と言ってるだけの話と言えましょう。
つまり、「あることが当然だから見えなくなっている」だけ。
それが、憲法であり民主主義なのでしょう。
存在の有意性に気がつかない。


>少なくとも私は、法が虚構(実効性がない状態)であっては困るという立場です(なお、山本氏等の立場も同様でしょう)。

法の実行性とは、それが守られていることだけで論じるものではありません。
それはケルゼン流で指摘したとおり、法を守る人間を正当化するための法の存在意義によって言及できます。
法とは「守らない人間のためにある」だけではなく「守る人を正当化するためにある」とも言えるのです。
守らない人間がいるから憲法・法が無意味というのは、「守られない人間」を批判するべきであって、「守る人間を正当化する法」としての使命を亡失してはなりません。

>これはたぶん、国際法は法か?

ケルゼンからの引用です。法の生命という論題は、国際法だけの論題ではありません。国内法にも通用することは、実行性・拘束性のない条例・政令などでも適用できることでしょう。

>国内法規の中でも、とくに憲法については、特定の条項についてこのように考える立場も以前はありました(プログラム規定説)が、現在の解釈学では、ほとんどの条項に何らかの法的意味を認めるのが普通です。だからこそ、現実との乖離が問題になってくるのですが。

現実との乖離に関して法だけで解決できないのが現代社会の現実でしょう。それは法の不作為などの存在でもわかるように、法だけで対処する問題ではありません。
その問題を法ではなく政治的視点が強い憲法で調整するのが、憲法学の視点です。
憲法は一般法学とは別物と言えるほど政治的視点が強いものであり、国際政治的な視座まで強く要請する基本法です。そういう部分では、憲法訴訟がコモンロー的で面白いですがw)

>立憲主義の定義にもよりますが、日本のまわりにもいくつかあるじゃないですか

具体的にどこでしょうか?当事国の憲法解釈の自由を尊重しないで、某国は立憲主義ではないというならば、それこそナンセンスでしょう。
憲法解釈をつかさどるのは、外国人ではなく当事国人民であり、その人民が支持した体制が運営するものに他なりません。
是非、具体的に立憲主義ではない国という指摘はしてほしいと思います。
(ルクセンブルクとか出されて長文返信になりますけどねw)

>憲法改正が具体的な政治日程にあがれば、当然これ↓が叩き台になるでしょうね。

で、どこまで解釈論・草案が出来上がってるんですか?
国民投票法ではどういう形体で賛否が問われるのか?・・・その問題からしても、これらで済まされるわけはないでしょう。
そして、たたき台としてその後の進捗は見ていますか?
「私擬憲法」のように世論争論で憲法を創出できるのは理想像かもしれませんが、どれほど煮詰めた草案があるのでしょうか?
改憲論が降って湧いては改憲に至らないのは、強烈な条文のプレゼンができないからだと思います。
解釈改憲という詐欺的な方法論が実行されて、憲法が不明瞭になっていることもその背景にあるでしょうが、内閣法制局の解釈改憲によって順調に運営できた結果論があることがもっとも大きな実績とは思いますが・・・・



指摘する必要性があるでしょうが、前文・憲法三原則の改正については、その可否が不明瞭です。八月革命説を採用すれば、前文さえも改正できますが、できるとは思えません。

そして、「条文を読めばある程度の推測ができる」、と言いますが、その法解釈の奇形化が憲法危機に至ったことを鑑みて、当然分かりやすい条文になるでしょうが、その分だけフレキシブルな行政の運用が求められるでしょう。そうなれば、確実に問題になるのが、「内閣法制局」の無理やりな法解釈論。
また憲法条文の内容が反故にされる可能性は高いでしょう。
内閣法制局を嫌悪しているわけではありませんが、あまりにも行政権力による恣意的法解釈の余地を認めている国民が信用できません。
冥王星は解釈護憲論なので矛盾しますが、司法積極主義による司法権の憲法介入によって解釈護憲を成し遂げられると期待していますので)

今、法律の支配者は、内閣法制局にあります、それは解釈・運用・立法まで支配していると言えるでしょう。
憲法改正・護憲論も、現実的にはその憲法をなし崩しにできるうる内閣法制局への問題意識が希薄なのが、とても気になるのです。

改憲したけど、内閣法制局の解釈で、護憲っぽくなった・運用される・・なんてのはありえないシナリオではありません。
ただし、内閣法制局は不思議にも司法権の判断は反故にしない・できないからこそ、司法権への配慮を要請しているのですが・・まぁ、ケルゼン流の法理論を国内法で使えないことはないという意味で、刑法・道交法の事例を出したので、それだけ理解してくれればいいです。
内閣法制局とか三権分立の論題とか、正直、今のネット世論には無意味な説教ですから・・・

相変わらず長い返信、失礼しました



  • 2008/12/14(日) 12:14:05 |
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  • 冥王星 #-
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冥王星さんへ

>そして、大日本帝国憲法からずっと改正していない日本の憲政というのは異常ですが、何より、憲法という基本法に対する意識はあまりにも希薄というべきでしょう。

冥王星さんもそう思われますか。
素人の私にも、現憲法の不合理性について改めようとしない態度が、結局のところ法を軽視しているとしか受け取れません。

>あと、非常に不愉快なんですが、無意味に宗教化・精神論にされるとどうしようもないのですが?

そりゃ、「無意味」にやったらどうかと思いますけど…。
ただ、岸田秀や山本七平が護憲派の行動を説明するのに精神分析を持ち出したのが無意味とは思えませんが。

実態としてそのとおりであって、冥王星さんだってそれ自体は否定できないでしょ。

こうした手法を何でも濫用して自己の主張の正当化を図るのは、さすがにどうかとは思いますけどね…。ただ今回の件が、そうした濫用に当たるとは思えません。

それから井沢氏が歴史論争で逃げ回っていると仰ってますが、どこでそうした事を調べることが出来るんでしょう?そうした事がわかるサイトとかありましたら教えて欲しいです。

具体的に彼の主張のどこがおかしいのか指摘されたものを読んでみないと何とも判断ができないですね。
私も井沢氏の一ファンですので、もし、よかったら冥王星さんのブログで、具体的に取り上げていただくと嬉しいですね。

>少し考えれば、法の意味はわかるでしょ?しかしも個人崇拝に近い考えってどれだけ正当性があるんですか?(嘲笑)
>「〇○さんが言ったから正しい」なんて世界観で論じるのは、ノストラダムスを信用している人と同じとも言えるんですが?(嘲笑)
>こういうのは恥ずかしくて冥王星にはできませんけどね。(合理性のない抽象論・精神論でも)ご自由に


別に「山本七平が言ったから正しい」なんて言ってないつもりですが。

私が引用したのは、山本七平を「権威」として引用したわけじゃなく、彼の主張に妥当性があると思うから引用したに過ぎませんよ。

確かに私は自分の言葉で言っていないし、その点について馬鹿にされても仕方ないけど、ノストラダムスを信用している人と同様だとの評価とは、正直不愉快です。

最後に前々から思っていたことをちょっと言わせてください。
冥王星さんの書き方「例えば(嘲笑)を文末につける等」も、それはそれで一つのカラーだと思うし、私自身そうした対象として批評されるのは構わないんですけど、それでももう少し何とかならんか…と思いますね。

冥王星さんのレベルからしたら、周りが馬鹿に見えて仕方がないのはわかりますし、そうした馬鹿相手に礼儀は必要ないという見解なのかもしれませんが、馬鹿にも感情はありますから反発を食らうのは当然の成り行きかと。

そうした態度を取ることで気分が晴れるのかも知れませんが、冥王星さん自身も貶めているようにしか見えません。何も相手にレベルをあわせる必要はないでしょ。

どうも他人を蔑視するインテリならではの臭気を感じてしまいます。
厳しいことを言わせて貰いますと、「頭が良いのは十分認めますが、品性がそれに追いついていない」としか思えない。
実際そうなんだから仕方ねえだろと開き直るのなら、何も言うことはないですけどね。

私としては、議論が荒れる元になると思うのでこうした表記は余り歓迎できません(コメント自体は大歓迎ですよ。非常に参考になる意見が多いですし)。
せめて余計な表現を書かずに、主張だけ書くことはできませんかね?v-421

  • 2008/12/14(日) 01:13:56 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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> 冥王星さん

 この「コメンター」には、私も含まれると思うので、改憲派の立場からお答えしておきます。
 もう少し質問を整理してもらうと助かるのですが、一応、関連がありそうな部分だけを抜粋します。

>法が虚構であるというのはどういう視点で論説しているのでしょうか?
 少なくとも私は、法が虚構(実効性がない状態)であっては困るという立場です(なお、山本氏等の立場も同様でしょう)。

>世の中の法・規範とは単純に、「守られている前提をもってして存在が正当化される」ものではありません。
 これはたぶん、国際法は法か?という論点などで展開される解釈論を援用したものだと思いますが、その例として、国家による強制力を前提にした刑法や道交法(ひいては憲法も同じ)を例にあげるのは、国際社会と国内社会の質的な違いを看過するもので、適切とは言えませんね(なお、罰則のない法令等の問題は、また別です)。

>「守ろうとする人」がいて、その人たちの正当性を形成していることにも法としての意味があるのですが?
 国内法規の中でも、とくに憲法については、特定の条項についてこのように考える立場も以前はありました(プログラム規定説)が、現在の解釈学では、ほとんどの条項に何らかの法的意味を認めるのが普通です。だからこそ、現実との乖離が問題になってくるのですが。

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>逆質問するんですが、立憲主義を否定する国なんてあるんですか?w
 立憲主義の定義にもよりますが、日本のまわりにもいくつかあるじゃないですかw

>大日本帝国憲法からずっと改正していない日本の憲政というのは異常です…
 現在の日本国憲法は、明治憲法の改正手続によって成立しています。そのことがまた、問題なんですけどね。

>具体的な改正案を誰が出して、解釈論まで指摘しているんですか?w
 憲法改正が具体的な政治日程にあがれば、当然これ↓が叩き台になるでしょうね。

自民党新憲法草案全文
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/051028jimin-sinkenpousouan.pdf
(参考)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/jiminkaikenann.htm

 ただ、個人的にはこういう全面改正だと論点が拡散してしまうので、(1) 前文と9条関連、(2) 憲法改正条項(できれば、(3) 緊急事態条項の新設)を先行させた部分改正を目指すべきだと考えています。
 なお、解釈論については、通常こうした改正案は従来の解釈の延長線上にあるのが普通なので、条文を読めばどのような解釈になるのかはだいたい想定できます。

  • 2008/12/13(土) 22:28:32 |
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そうそう・・・ちょっとこの記事のコメンターに一言。

法が虚構であるというのはどういう視点で論説しているのでしょうか?

この引用先の人間が法哲学・法理論がないだけで「知ったか」やってるだけでしょ、としか言えません。(っていうか、素人さんが知ったように法律を語る弊害の典型例でしょう)

世の中の法・規範とは単純に、「守られている前提をもってして存在が正当化される」ものではありません。

殺人罪・道交法違反者が存在しても、刑法・道交法は無為なるものではありません。

あなたたちがやろうとしているのは、「犯罪者が後を絶たないから、刑法は無意味」というような短慮(ケルゼン流にいえば、無能による法理論)ですよ。

それとも、あなたたちは、9条が守られていないから、無意味という理屈ならば、刑法・道交法などの存在は虚構だと断定するんですか?w
冥王星は、解釈護憲という現状維持派ですが、護憲でも改憲でもありません。個人的には、そういう議論からして、視野が狭いとしか思っていません。はっきりいえば、なんて思考回路が短い人の判断基軸なんだろう、としか思ってませんので、あしからず。(左翼・右翼みたいな傲慢で身勝手な規定できない話ですわ)

これって、法哲学の基礎の話なんですが、「虚構」だと思うのは結構ですが、その法が法としての生命をの持つのは、守られていることが担保ではありません。

「守ろうとする人」がいて、その人たちの正当性を形成していることにも法としての意味があるのですが?理解できませんか?w

あなたたちの法哲学では、守られない法には意味がない虚構なんでしょ?

 それならば、条例・政令なども虚構ということになるんですよね?だって、守られないし、拘束力もないんですからね。

あと、非常に不愉快なんですが、無意味に宗教化・精神論にされるとどうしようもないのですが?
 一種、宗教化・精神論化すれば、それを否定することができなくなります。
そうやって、持論の正統化作業を行えば、暴論しない限りは、なんとでも言えるんですよ。

その理由は、思想信条の自由の上に成り立つ、思考硬直ですね。
宗教は、宗教を疑う作業を要請しませんし、疑うことを全否定しますから、それこそ思考硬直。
考え、追及することができない人類なんて、人類としての価値があるんでしょうか?w便利ですよね?宗教・精神論。
宗教はアヘンなんですが、考えれば自制できるような暴論に近いことを客観的に俯瞰できないんでしょうか?冥王星には、とても理解できないだけではなく、見苦しいオナニーと映りますが・・・・・いえいえ、オナニーはご自由に。オイラもオナニー大好きですし、やってますから

注釈:日本教という考えは、日本仏教で用いられたことがあります。日蓮宗系統だったはずですが、文献はURLにありませんが、初出は山本氏ではないでしょう。
というか、最近、井沢元彦氏と面識をもったのですが、相変わらずの言論逃避ぶりに、関係者一同が「まぁ、やりたいことやって、ああなったわけだし、自業自得じゃないの?」という筋の発言をしていたことが記憶に深くあります。
まぁ、深く追求しないで、都合のいい部分だけで歴史を論じてれば、専門家に追及されて反論できなくなるのは、当たり前のことですよw
忠臣蔵騒動でもコテンパにやられて、反論できずに「反論しない。しかし、私が正しい」という趣旨の発言しているようでは、どうしようもないですよ、とw
いえ、事実ですから。がんばれ。井沢氏

「あなたの歴史観は『三国志演義』のように愚民大衆化して、疑似史実化しても、史実は変わりませんから」と慰めの言葉をかけてた恩師の姿が目に浮かびます。(言いすぎだと思ったんですけどね)

少しは、法を語るなら、勉強してくださいよ。
少し考えれば、法の意味はわかるでしょ?しかしも個人崇拝に近い考えってどれだけ正当性があるんですか?(嘲笑)
「〇○さんが言ったから正しい」なんて世界観で論じるのは、ノストラダムスを信用している人と同じとも言えるんですが?(嘲笑)
こういうのは恥ずかしくて冥王星にはできませんけどね。(合理性のない抽象論・精神論でも)ご自由に

  • 2008/12/13(土) 12:19:47 |
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お久しぶりですww
っていうか、給油新法成立したので、こっちはボランティアが一段落したので、他人様のブログにコメントを復活w

逆質問するんですが、立憲主義を否定する国なんてあるんですか?w

改憲・護憲でもどっちでもいいですが、憲法の存在を軽視した国家を冥王星は知りません。
現実、今どこまで具体的な憲法草案を作った人がいるんですか?
そして、大日本帝国憲法からずっと改正していない日本の憲政というのは異常ですが、何より、憲法という基本法に対する意識はあまりにも希薄というべきでしょう。

現実、改憲派にはもっと辛辣な批判ができるでしょう。国民投票法によって手続法として憲法改正が可能になりましたが、具体的な改正案を誰が出して、解釈論まで指摘しているんですか?w

護憲にも言えることですが、憲法を死守が目的なんですか?w

立憲主義・民主主義は目的ではありません。政治思想を目的化していいんですか?w

イデオロギー闘争したいなら、ご自由にやってください。でも、政治の目的はイデオロギー闘争ではありません。それは多くの思想家・哲学者が指摘する部分であり、思想を目的化した時点で、思想を理解していない人間の似非思想になるだけの話です。

さて、思想を目的化している方はポジショントークしてください。そんなのは実態ある政治には何ら意味を持たないオナニーでしかありませんからw

  • 2008/12/13(土) 11:47:05 |
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愚樵さん、1読者さんへ

>愚樵さん

こんばんは。コメントありがとうございます。

>9条だけが虚構であるかのような印象を受けますが、そうだとするならそれは違うと思っています。

確かにそのような印象を与えてしまう書き方かもしれません。個人的には、89条なんかも守られていないと思います。

>9条が虚構であるからといって、それが直ちに無意味であるという論理にはなりません。

もちろん、無意味だと思ってません。9条の精神そのものは、改憲派の私も非常に意味があると思ってます。

ただ、守れないものを明文化するのはおかしいと思うだけです。それは、結局のところ、形を変えた憲法軽視にしかつながりません。9条の理念を尊べば尊ぶほど、現実の憲法はないがしろにされていく……それでいいんでしょうかねえ?

また、日本教については、私も山本七平の著作を全て読んでいるわけではないので何ともいえません。
ただ、日本教というものが姿形が見えず捉えにくいのは、「その規範がすべて言外でなされているからだ」…という山本七平の指摘は、結構的を突いていると思います。

>1読者さん

いつもわかりやすいコメントありがとうございます。

>不合理なところや機能しないところがあるなら変えてもらわないと困る」ということに尽きます。

そのとおりですね。
実際、困る事態になったら、「クルッ」と転向するのでしょうがその時起こる混乱にどのように対処しようというんでしょうか?無理やり合憲ということにしてしまうのでしょうか。
そうした混乱を予想しない、予想したくない、という思考停止も働いているせいかもしれません。

>結局、戦前の失敗から学ぶべきことは、考えの方向性ではなく、考え方それ自体だということでしょうね。

そのとおりだと思います。
ただ、これって自らが意識して初めて、気付けるものですよね。山本七平のように徹底的に思考を重ね、原因を追究して初めてたどり着ける結論だと思うのです。

私なんか、自らの力でそこまでたどり着くことはできませんが、彼の著作を読むことで(いわば、彼の力を借りて)、何とか理解することはできるようになりました。

それまでは、ニセの説明に散々引っかかっていましたけど(笑)。

このことに気付かない限り、いずれまた似たような失敗をしてしまうのでしょう。

  • 2008/12/07(日) 02:07:59 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

まさか本文で取り上げていただけるとは思いませんでした。いつも長文のコメントでご迷惑をかけているので、お役に立てたなら嬉しい限りですw

引用した対談部分については、「憲法」を「人権」や「民主主義」に置き換えても成り立つ気がしますね。

私は、学生時代以来の改憲論者ですが、その内容を理論的説明を削ぎ落としてシンプルに言えば、「憲法は、政府と国民の―最終的には国民の生活を守るための―約束であり、日本の行動を支える根本法規である(俗に言う‘掟’でも理想論でもない)。だから、不合理なところや機能しないところがあるなら変えてもらわないと困る」ということに尽きます。

>「絶対にやってはならない」と教えかつ命じていたそのことを、最後には「やれ」と命ずるから思考停止になる。…
>発令者の心理的転回のはずであり、ある瞬間に急に、別の基準が出てくるにすぎない。それはむしろその人の内部の「二重基準」の問題であろう。…
>一番声高に叫んでいたものが、何やら“客観情勢の変化”とかで、突然クルッと変わって、自分の主張を平然と自分で否定する。…

これらは、山本氏がしばしば指摘する点ですが、私は個人的に「評価規範」と「行動規範」分離と呼んでいました。俗に言う「言ってることとやってることが違う」ということです。一般的な日本人は、「本音と建前」の問題はあるものの、この二つをできるだけ一致させて生きようとするのではないでしょうか。伝統的な規範で生きている人ほどそうした傾向が強いでしょうし、それが“正直”ということだと思います。欧米では、これが一致していない人は社会的信用が0です。もっとも、中国では、これが一致している人はお人好しかただの馬鹿者に過ぎないそうですが。

>これも、情緒に流され、徹底したリアリストになりきれない日本人ならではの特徴なのかもしれません。
 結局、戦前の失敗から学ぶべきことは、考えの方向性ではなく、考え方それ自体だということでしょうね。
 徹底的に国際的な現実を見据え合理的に考えた結果、軍備増強は必要であり、場合によっては核武装も必要だという結論になったとしても、それはそれです。もちろん経済的な問題は無視できませんが、国際的評価等については、戦前の教訓を踏まえ外交的に解決すべきでしょう。

*引用部分に間違いがあったみたいです...orz 
 「愛だ」→「間」です。可能なら直してくださると助かります m(__)m

  • 2008/12/05(金) 18:31:59 |
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  • 1読者 #-
  • [編集]

9条は虚構。その通り! だが...

一知半解さん、お久しぶりです。TBありがとうございます。

私の立場は護憲派ですが、9条が虚構という意見には賛成。ただ、記事を拝見しますと9条だけが虚構であるかのような印象を受けますが、そうだとするならそれは違うと思っています。9条のみならず、憲法という規定そのものも、国家も、私たちの生活を左右する市場も、み~んな虚構...、と唯幻論の岸田秀ならそういうでしょうね。

虚構は、虚構だから意味がない、価値がないものではありませんね。虚構は、意味あるもの、価値あるものと信じる者がいて、初めて実質になります。国家、市場も、そうした「信者」によって実質を得、機能しています。それからすれば、9条が虚構であるからといって、それが直ちに無意味であるという論理にはなりません。もちろん、どうあがいても実質たり得ない虚構であるかもしれませんが。

私は山本七平氏の思想については詳しくは知りませんが、確か日本教という概念を提唱したのは氏が最初だったと記憶しています。その日本教を一言でいってしまうと、自然=あるべき姿であることを最上とするものですよね。その日本教の観点から見ると、人間がこの世で行う取り決めはすべて不自然な事柄――すなわち、虚構であるわけです。

では、日本教とはリアリストではありえないかといえば、そんなことはないと思います。真の日本教とはリアリストであると私は思ってます。人間社会のルールをすべて虚構と捉えることは、ある意味究極のリアリズムでしょう。

ところが戦後、いや、明治維新以降の日本人には真の日本教とが少なくなった。それは、明治政府が西洋列強に模した近代国家を作るために西洋の一神教の思想を取り入れたところに原因がある。西洋流の人間と神の間との契約という概念を、天皇=万系一世に置き換えたんですね。それが明治憲法でした(こんな置き換えの発想はリアリストでなければ為しえません)。

戦後は、万系一世が基本的人権に置き換わりましたが、そうした過程で日本人の中にも一神教的な思考がすり込まれたのでしょう。9条のみを虚構だというとらえ方は、私から見れば本来の日本的ではない、西洋流のとらえ方のように思われます。

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  • 2008/12/07(日) 03:02:48 |
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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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