一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

マスコミの「予定稿」とは【その1】~田原総一朗の「取材」を例に考える~

今回から、何回かに分けて山本七平著「日本はなぜ敗れるのか―敗因21カ条」の第1章「目撃者の記録」を紹介していこうと思います。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03)
山本 七平

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なぜ紹介しようと思ったかというと、日頃読んでいる産経新聞の阿比留記者のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」の記事に、たまたま田原総一朗氏のことが取り上げられていたのがきっかけなんですが。

阿比留記者はこの記事の中で、田原総一朗のことをはっきりと嫌いだ…と記していますが、実は私も同様に大嫌いなんですよ。

今回紹介する「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)」というのは、小松真一氏が書いた日記「虜人日記 (ちくま学芸文庫)↓」をテキストに、日本の敗因を解き明かすといった形で書かれているのですが、その「虜人日記」を紹介する際、引き合いに出されているのが、若き日の田原総一朗氏です。

虜人日記 (ちくま学芸文庫)虜人日記 (ちくま学芸文庫)
(2004/11/11)
小松 真一

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山本七平は、田原総一朗小松真一を対比させ、なぜ小松真一の「虜人日記」が戦中の史料として価値があるのか…と言うことを見事に解説してくれます。
そして、そこで田原総一朗は、ある意味見事なまでに、いわば完膚なきまで批判され、さらし者とされています。
悪しきマスコミの代表として。

それを皆さんに紹介しつつ、信頼できる史料とは一体どういうものなのか。そして、マスコミの取材の問題点は何なのか。ということを山本七平の記述をヒントに考えていければ…と考えています。

それでは、最初から引用を始めましょう。

■第1章 目撃者の記録

「横井さんや、小野田さんの手記、どうお考えですか」

「……」

ちょっと返事ができない。返事ができないということは、二人の手記が虚妄だという意味ではない。

だがかりに今、押入れを整理していたら、三十年も前の日記が出て来たとする。何気なく読む。

そのとき人は感ずるであろう、いま自分の内にある三十年前の「思い出」と、日記に書かれている当時の「自分の現実」との間の大きな差を――そしてこの差は、二十年前、否、十年前の日記にも感ずるはずである。

ではその人のその「思い出」は虚妄であろうか。

そうはいえまい。
その人がいま、ある種の「思い出」をもっているということは、あくまでも事実なのだから、その「思い出」を、何の対社会的配慮もなく、思い出ずるままに記したなら、そういう「思い出」を抱いているという事実は、あくまでも事実であろう。

だが「思い出」は「思い出」であって、だれにとってもそれはそのまま、三十年前の「自分の現実」ではない。

返事に窮するのは、まずこの点であって、相手の質問が、両氏の記録を「三十年間の正確な記録と思うか」の意味ならば、私の返事は「思わない」となる。

しかし、それは両氏が虚妄を語っているという意味ではない。両氏のような立場におかれれば、両氏のように語る以外に方法はあるまい。

「では両氏はその思い出を『思い出』ずるままに語っていると思うか」と問われれば、その返事は留保せざるを得ない。だがしかしここに取材に関連する問題も介在する。だがこれは後述しよう。


では、どのような形になれば、正確な記録になりうるであろうか。

もしかりに、横井・小野田両氏が、昭和二十年前後に相当詳細な日記をつけ、それをどこかに埋めて忘れてしまったと仮定しよう。

内地に帰ってしばらくたってからそれを思い出し、何らかの方法で再び手に入れ、それを一言一句訂正せずに公表し、その内容のうち現代人に理解できない部分や情況は、註や解説の形で読者が納得するまで説明する、いわば当時の自分の状態と現在の自分の状態の間に立って自ら通訳するという形をとったと仮定しよう。

もしそれができたら、おそらくそれが、現在われわれが読みうる最も正確な記録であろう。

では、そういう記録があるであろうか。

ある。私は、小松真一氏の『虜人日記』に、それを見出したのである。

前々号の本誌〔角川書店刊『野性時代』一九七五年二月号〕で林屋辰三郎氏が

「私は、常に、歴史資料は、『現地性』と『同時性』という二つの基準に照らされなければならないと考えます。文献ならば、それが、その場所で書かれたものかどうかということ、これが『現地性』です。

そして、その時に書かれたものかどうかということ、これが『同時性』です。このX軸とY軸の二つの軸で判定して、その基準に近づけば近づくほど、史料として価値が高いということです」


と記されている。

この基準は、現代史にもそのまま適用できるであろう。

従って横井・小野田両氏の記述は「現地性」はあるが、現代史の基準としては、戦争中と戦争直後の部分に関しては、「同時性」がうすいと言いえよう。

だが問題はそれだけではない。

現代史ではこのほかに、生存する関係者への配慮や、政治・経済・外交上の要請から、資料に意識的な改変は加えられていない、という保証も必要である。

政変のたびに改変される”党史”は、現地性と同時性はもっていても、否、もっていればいるほど、その信憑性には疑問をもたざるを得なくなる。

またたとえそれほどでなくとも、その現代史の中の一員としてその社会に生きている限り、人は、対人関係・対社会関係の完全な無視はむずかしい。

従って、時勢への配慮とそのための意識的無意識的迎合があっても不思議ではないわけだが、この点において、それが皆無なのがまたこの『虜人日記』なのである。

――なぜそう断言できるか。著者の成り立ちがそれを示しているからである。

著者の小松真一氏は軍人ではない。

氏は、陸軍専任嘱託として徴用され、ガソリンの代用となるブタノールを粗糖から製造する技術者として、敗色が濃くなった昭和十九年一月比島〔フィリピン〕に派遣を命ぜられ、結局、われわれと同様の辛酸を舐めて、終戦を迎えたのであった。本書の「序」には、次のように記されている。

■序

昭和二十年九月一日、ネグロス島サンカルロスに投降してPW(捕虜)の生活を始めて以来、経験した敗戦の記憶がぼけないうちに何か書き止めておきたい気持を持っていたが、サンカルロス時代は心の落ちつきもなく、給与も殺人的であったので、物を書いたりする元気はなかった。

レイテの収容所に移されてからは、将校キャンプで話相手があまりに沢山あり過ぎて落ちついた日がなく、書こう書こうと思いながらついに果さなかった。

幸か不幸かレイテの仲間から唯一人引き抜かれて、ルソン島に連れて来られ、誰一人知った人のいないオードネルの労働キャンプに投げ込まれた。

話相手がないので、毎日の仕事から帰って日が暮れるまでの短い時間を利用して、記憶を呼び起こして書き連ねたものである。


この序文に、人は何の感動もおぼえないであろう。

だが、当時、「書く」ということは、大変なことであった

第一、紙もなければ筆記具もない。どこを探しても、一冊のノートも一瓶のインクもない世界である。

氏は、その書写材料をどうやって人手したか記していないが、手製の八冊のノートを手にしただけで、私には、労働キャンプでこれだけのものを作ること自体が、どれほど大変な作業であったかを、思わざるを得なかった。

表紙は、米軍の部厚いクラフト紙、中はタイプ用紙である。この紙がよく入手できたと思う。

カランバン第四収容所で私の隣りにいたKさんは、トイレットペーパーを四枚かさねて、その上に、エンピツでソーッと書いて、戦犯裁判に備えるメモを作っていたのだから。

八冊とも、きれいな和綴である。
だがこのとじ糸は、元来「糸」ではない。カンバスベッドのカンパスをほぐして作った糸である。

日常生活で、紐や糸がどれほど決定的な必需品かわれわれは意識していない。従ってそれがなくなってしまった生活は想像できないであろう。

カンパスベッドは、そういう情況下では、大変に有難い糸と紐との”原料”であった。いくつかのベッドが秘かに処分されてそのために消え、同時にその脚は、後に、マージャンパイの材料やパイプになった。

小松氏は鉛筆は持っておられたらしい。だがこの日記に豊富に出てくる巧みなスケッチの色彩は、絵具ではない。

殆どが、収容所の医務室から手に入れた薬品である。
マラリヤの薬のアデブリン錠を水で溶いた「黄」、マーキロが「赤」、また皮膚病の化膿に使われた色素剤が濃紫色、さらにこれらの”原色”を混ぜて、さまざまの色がつくられた。

当時、これらの”絵具”は大いに活用され染料にもなった。

(~中略~)

本書は、まずその材料が、その内容の「同時性」と「現地性」を余すところなく証明している。

この点、昭和三十年に東京で印刷された記録とは、その価値が違う。

従って比較すること自体が、はじめから無意味かも知れない。だが現代史資料は、前述のように、それだけでは必ずしも正確ではない。

”終戦”は単に日本が戦争に敗れたというだけでなく、一つの革命だった

昨日までの英雄は一転して民族の敵となった。

同時にすぐさま新しい独裁者が、軍事占領に基づく絶対の権威をもって戦後”民主主義”を推しすすめていた。

従って当時の多くの人の記述に見られるのが、新しい時代に順応するための自己正当化の手段としての、過去の再構成である。

それは時には自己の責任を回避するため、一切を軍部に転嫁し、これを徹底的に罵倒するという形になったり、自分や自分の所属する機関を被害者に仕立てるという形になっている。

ある大学は軍部に追われた教授を総長に迎えた。
軍部に追われたというが、実際は、彼を追い出したのは大学である。

しかし、その大学がその教授を総長に迎え、大学自体をその総長と固定することによって、自分の過去を再構成し、あたかも大学自体がその総長同様に被害者であったかの如き態度をとって、そのまま存続した。

同じことをした言論機関もあるが、もちろんこの傾向は、あらゆる機関から家族・個人にまで及んでいる。

こういう場合、その大学や機関等の記す「戦中史」や「回想記」は、たとえ、「直後にその場」という「現地性」と「同時性」を備えていても、信頼できる歴史でも記録でもない

否、むしろ、最も信頼に値しないものの一つであろう

この点『虜人日記』は、まさに稀有な状態にあるといえる。

氏は軍に所属し、従ってその内部でつぶさにその実状に接していながら、軍隊という組織に組み込まれていない特異な地位にある技術者であった。

従って組織への配慮、責任の回避、旧上官・旧部下・同期生・軍関係学校たとえば中野学校の先輩後輩といった関係等への思惑、部下の戦死に対する釈明的虚偽や遺族のための”壮烈な戦死”という名の創作等々からすべて解放されている

同時に氏は、内地の情況を全く知らなかった。

中心的なカランバン収容所でさえ、内地のことは殆どわからない。まして地方のオードネル労働キャンプでは、内地情報は一切不明と言ってよい――この点は後述するが。

従って、内地の変化を先どりして、それをもとにして過去を記すといったことは、氏の場合は起りえない

またアメリカの労働キャンプには、ソヴェト式の思想教育は皆無であったから、”民主的観点”から事を曲げて書く、ということも起りえない

この状態は私の『ある異常体験者の偏見』でも触れたが、一種の短い空白期間ともいうべき、非常に面白い時間――そして、比島の収容所の人間だけが味わったと思われる時間であった。

思考への圧迫は一切皆無、軍事的圧迫はもちろん、アメリカ民主主義的圧迫もない。

そこには、「お前はかく考えねばならぬ」という思想的権威が皆無の世界であった。

軍国主義は消えた、しかし「民主主義者になれ」と強制されたわけではない。
従って、そういう擬態も必要でない。

軍国主義の絶対化が消えたという以外では、過去はそのまま存続しており、人びとはごく普通に、軍国主義なき時代の普通の日本人がもつ伝統的常識でごく自然に対象を見た一時期である。

新しい「タテマエ」も、その「タテマエ」を表象する「民生日本」とか「文化国家」とかいったスローガンも、そのスローガンを戦争中同様に騒々しく”奉唱”し強制する言論機関も、何もなかった。

第一、新聞もテレビもラジオもなかった。

そして小松氏は、この位置で、まだ過去とは言えないほど身近な過去とそれにつづく現在を、そのままに見、そのままに記しているのである。

先日、小松真一氏の御子息にお目にかかったとき、氏は次のような意味のことを言われた。

――自分は戦争を知らない。そしていま、ちょうど父がこれを書いたとほぼ同じ年齢になった。そしてこれを読んで、少しも違和感がない。あの情況で、あのような状態を見たら、こういう見方をし、こういう感じ方をするであろうと思われる通りのことが書かれている、と。

本書を読めば、おそらくすべての人が、同じようなことを感ずるであろう。

一体これは何を意味しているのであろう。

厳密にいえばこれは、「戦前」(終戦前)とはいえないが、「戦後以前」に、戦争について書かれた本であり、「戦後」の影響が皆無の記録なのである。

これは、われわれの常識とそれを基礎づける基本的価値判断の基準が、戦前も戦後も変わっていないことを示しているであろう。

そして本書が提起している一つの問題は、なぜその常識を基準として国も社会も動かず、常に、”世論”という名の一つの大きな虚構に動かされるのかという問題である。

これは戦前だけのことではない

日中復交前に本多勝一記者の『中国の旅』がまき起した集団ヒステリー状態は、満州事変直前の『中村震太郎事件』や日華事変直前の『通州事件』の報道がまき起した状態と非常によく似ているのである。

こういう場合、「常識」は発言できない
それでいて常識はつねに変らず厳然と生きている。

横井・小野田両氏がすぐに現在の社会に適合できたとて、このことを考えれば、少しも不思議ではない。

ではそれでいてなぜ二人は、虚構の”非常識”の世界に生きつづけていたのか。
だがそういう生き方は、戦後の日本の内地にも、形を変えて生きつづけているであろう。

本書は、これを解く一つの鍵と思うが、しかし話が先にすすみ過ぎたようである。
この問題の探究は一先ず措き、ここでまた『虜人日記』出現の経過に戻ろう。

(~次回へ続く~)

【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第1章 目撃者の記録/P1~】


長くなったので、今回はここまで。

上記の記述を読むと、史料というのは「現地性」と「同時性」を備えているからといって、信頼できるとは限らない…ということがよくわかるのではないでしょうか。

また、「新しい時代に順応するための自己正当化の手段としての、過去の再構成」…という指摘もよく考える必要があると思います。

戦前の出来事について論争される際、この点は非常に問題となっているのではないでしょうか。
史料の真贋を見抜くためには、この点への意識が欠かせないと思うのですが、現状を見るに非常に危ういものを感じてしまいます。
(第一、本人の証言だけで、コロッと信じている人が多いことだけみても危ういと思う)

まあ、今日はこの辺にしておきましょう。

それはさておき、まだ、田原総一朗が出てきませんが、我慢してくださいネ。
きちんと前振りに目を通しておかないと、理解できない処もでてきますので。
宜しくお願いいたします。


【関連記事】
・マスコミの「予定稿」とは【その2】~田原総一朗の「取材」を例に考える~


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コメント

山田さん、コメントありがとうございます。
(あれっ、そういえば、「仮)」がいつの間にか取れてますね…)

確かに現状では時期尚早かもしれませんが、そうも言ってられませんし…。

せめて史料の真贋を見極めることぐらいできないといかんと思うのですがねぇ…v-390

  • 2008/12/18(木) 21:34:53 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

昔、中国では王朝の歴史を編纂する時は、次代ではなく、その次の代における王朝が編纂すべしと言われていたものです。
そう言った事や、この記事などから考えると、右翼にしても左翼にしても、「日本とは…、日本の歴史とは…」と語ったりするのは、時期尚早かもしれません。

  • 2008/12/17(水) 17:02:01 |
  • URL |
  • 山田二郎です #JalddpaA
  • [編集]

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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