一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

日本で個人主義が嫌われる理由とは?~神の歯止めを持たない日本人~

以前、1読者さんから教えていただいたことがきっかけで「日本人と『日本病』について」↓を読んでいる最中なのですが、山本七平岸田秀による対談形式なので比較的平易に説明されていて、これがなかなか面白いのです。

日本人と「日本病」について (文春文庫)日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀山本 七平

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今回から、その中でも興味深く思った処を感想等まじえつつ紹介していこうと思いますが、まず最初に岸田秀が「人間とは本能が壊れた動物」と説明している箇所を引用して行きます。これがわからないとその先に進めないと思いますので。

(~前略)

岸田 結局、それではなぜ日本人はこうなったのかという問題ですね。

山本 そうなんです。どうしてそうなっちゃうのか。これは岸田さんのおっしゃる本能の壊れた人間、その壊れ方の問題ですか。

岸田 いえ、それぞれの民族の文化の違いは、本能の壊れ方の違いなのではなくて、壊れたあとの対処の仕方だと思うんです。

人間は本能が壊れた動物だとぼくは言ってるわけなんですけれども、本能とは何かというと、行動形式を指図するものですよね。

本能が壊れていなければ、本能に指図された行動形式によって、この自然の中で生きていけるわけです。
その本能が壊れてしまったとなると、それに代る人工的な行動指針を人間は不可欠に必要とする

ところが、行動基準の根拠はどこに置くかとなると、根拠は実際どこにもない。

そこでヨーロッパと日本を考えますとね、きわめて単純化して言えば、ヨーロッパでは絶対的な唯一の神というものを創り上げて、そこから壊れた本能の代用品としての行動指針をぜんぶ引き出してきた

一方、日本は、人の和というか、自分が属している集団、自分の接している人々の間で、みんなの意見が一致すればそれに従うという行動指針ですね。

これも一つのすごい指針だと思うんですが、日本文化というのはこういう形なんじゃないか。

だから彼らのように、一つの絶対的な原理に立った行動指針をもつ人々から見れば、日本人はまったく節操がなくて、その場に流され、あっちで言ってることとこっちで言ってることが違う、ということになるんですが、日本人からすれば、そうした「和」こそが原理である。


山本 ユスフザイという人が、イスラム教徒には元来、人と人との間に契約がないということを紹介していますが(『文藝春秋』昭和五十四年五月号)、まったくその通りなんですね。

なぜそんなことになるかというと、アラーがいるわけです。
個人個人がアラーと対峙して、アラーとの間に契約を結んでいる。

これが学者のいう上下契約で、その契約内容が同じならば、結果において個人と個人との間に同じ関係が生ずる。これはユダヤ教徒も同じ形ですし、ヨーロッパも根本に戻るとこの形なんです。

宗教法というのが、神と個人との契約内容となっているわけです。
彼はこれをおかねの貸し借りにたとえて説明していますが、つまり貸借をどうすべきかは、各人の神との契約できまっている。

この契約の内容がつまり宗教法ですから、改めて個人と個人が話し合って契約をする必要がない

彼らの社会では、この神との契約に基づく自己規定のない人間というのは信用されないんです。神との契約がないんじゃ、何をするかわからない、これが彼らの精神構造の基本でしょう。

岸田 なるほど。

山本 日本人の社会には神がいないんですね。人間と人間とがいて、お互いの間で相手の立場に立って話し合うわけです。

ただ、おもしろいことに、この話し合いの結果を認証するというときに、「天地神明」という証人を引っぱり出すことがある。だがこの際も、天地神明と人間の間に契約があるわけではない。

(後略~)

【引用元:日本人と「日本病」について/P27~】

【関連記事:神、主人、奴隷の三角形とは~西欧の「契約」の背景にある神~


本能が壊れた人間というのは、動物なら本能で持っている(つまり自然に働くはずの)ブレーキが利かないことを意味しているわけですが、上記の説明だけではちょっと抽象的で難しいかもしれません。このあと紹介する箇所で具体的に説明されているので、わかりにくければそちらを参照してください。

日本は「和」の国だとか、話し合い絶対主義だとか言われますが、私自身、今までおぼろげに感じてはいたものの、その意味をはっきりと把握していなかったような気がします。

しかし、上記のように日本以外のヨーロッパやイスラムの例と対比してみると、日本の特異性というものを嫌でも認識せざるを得なくなりました。

神がいない世界に住む我らと、神を戴く彼らとが理解しあうのは非常に難しい……そう考えざるを得なくなります。

日本人が対外的に摩擦を起こす根本には、このことに対する意識が決定的に欠落しているのが原因ではないでしょうか?

そもそも、お互いを理解する為には、自分と相手がどこが自分と異なっているのか認識する必要があるはずです。

そうした違いを認識できなければ、相手も自分と同じ人間であるということになり、思考様式・行動様式も同じであるはずという「幻想」を抱いてしまうのではないでしょうか。

まず、神を戴く彼らとの違いというものを認識することが、”相互誤解”を解く鍵になると思うのですが。

しかしながら、そういう認識を持っている日本人は一体どれほどいるのですかねぇ。

話はちょっと逸れましたが、今日の本題に入りましょう。
なぜ日本人は個人主義を嫌うのか?
そのことをわかりやすく説明した箇所を以下引用していきます。

■個人主義的な自我

岸田 ここでもう少し、日本的自我について考えてみたいんですが、いわゆる行動形式の「歯止め」の問題ですね。

元来、動物には本能の歯止めがあるわけです。K・ローレンツの有名な話でいえば、狼の例がある。

狼は二頭が闘って、一方が負けたと思えばひっくり返ってのど元をさらすわけですね。すると勝ったほうはそれ以上噛みつかない。闘いは終わりです。

以後、負けた方はエサでも何でも譲って、そこに序列が成立するんですね。つまり、のど元をさらしたときにブレーキがかかるわけで、ブレーキも本能なんですね。人間の本能が壊れているということは、ブレーキも壊れているということになる。


山本 ああ、なるほど。

岸田 人間だけが無用の人殺しをする。
狼と追って、降伏してきた敵を殺す。自分の生存のために必要でなくても、単なる恨みから殺したりするわけです。

人間が壊れた本能のかわりに行動規範をつくり出したのならば、ここにも「歯止め」が必要ですよね。

そして、いわゆる近代的自我には、神という歯止めがあるわけです。

ところが、神のいないところで近代的自我をつくろうとしますとね、神という歯止めがないものだから、いわゆる近代的・個人主義的な自我と、単なる利己主義との区別がつかないんですよ。


山本 うん、区別がありませんね。

岸田 戦争中、「個人主義はいけない」としきりに言いましたが、神を持たない日本人に個人主義がどう映るかというと、利己主義に映る。

実際、神という歯止めがないんだから、近代的自我はそのままエゴイズムになってしまうんですね。

とにかく自分ひとりのため、ほかの人がどんなに傷つこうが損しようが、自分の快楽や利益さえ確保できればいいという主義になってしまう。

個人主義を日本人が嫌うというのは、そこです

必然的にエゴイズムに移行する個人主義を無制限に認めていたら、秩序が成り立たない。集団にとって危険なんですね。


山本 個人主義は、ある意味でヨーロッパの理想型みたいなんだけれども、これは「何々をしない」ということが一つの誇りになっているんです。

団体規約でもなんでもなくて、自分対神の約束で、これはしない、あれはしないという原則がはっきりしている。そして、これがはっきりしていればいるほど、社会が尊敬し、信用してくれるわけです。

前にアメリカ国務省日本課長のシェアマンと話したとき、アメリカ人の理想型とはこの意味の個人主義だと言ってましたな。

だいたい、人間の信頼関係というのは、マイナス的なものでして、「彼はこれだけは絶対しない」というところから始まるわけです。

汝、殺すなかれ、盗むなかれと同じで、あの人はここへ来ても私を殺さない、私から物を盗まない、私に対して偽証しない、というそこから始まるわけでしょう。

だから個人が神との契約の形でそういう規範をきちんと持っていることによって、信頼関係が成り立つわけで、これが彼らがいう個人主義の理想型なんですね。

岸田 そして日本人にはその形がない。

山本 でね、私は人々がなぜ自民党を支持するのだろうかと考えたんです。

すると、やっぱり信頼関係というのは、日本人の場合も、最終的に何かをしないということなんですね。

あいつは飲む・打つ・買うのとんでもない奴だけど、こういうことはしないという信頼の仕方がありますね。(笑)

自民党への支持というのはこれなんだな。
とんでもない奴だけど何かをしないと信じてる。

つまり、自分たちが自覚していない伝統的な文化的規範に触れるようなことはしない、という信頼があるんですよ。

自民党は伝統的な政治文化の上に乗っかってるだけでしょう。ところが野党はそうじゃないですね。

前に話に出た栃木県の市会議員の一家心中の場合の新聞記事みたいな日本の伝統的行動規範に根ざさない論理ばかり言ってるから、最終的に何かを托するかとなると、そういう気にならないということでしょう。

岸田 日本共産党が私有財産を認める用意があると言ってみたり、公明党が日米安保の意味を見直すと言ったりするのも、「何かをしない」という信頼性をかもし出したいわけですね。

(~次回に続く)

【引用元:日本人と「日本病」について/個人的な自我/P70~】


以下、私の雑感を述べていきます。

二人による上記の指摘は、非常に的を突いていると思います。
実際、日本において個人主義が嫌われているのも、利己主義との違いがわからないということでしょう。

日本人は、欧米の神の存在のような、個人主義を規制する共通の行動規範をもっていない。
あるとすれば、話し合いの「和」という原理だけ。
この原理は「和」であるから成り立つのに、個人主義はその「和」を平気で乱してしまうから歯止めが利かない。

多くの日本人は、はっきりそのことを認識していなくても、肌では感じているのではないでしょうか。

そしてこのことは実際の政治においても、大きなウエイトを占めているのではないかと。

自民党があれだけだらしなくても、政権政党でいられるのは、そうした面における信頼感が大きいのでしょうね。
そこら辺は野党もなんとなくわかっていて、民主党のように看板を架け替えて政権をとろうとしているのではないでしょうか。

ただ、民主党の政策の中身とか見てみると、日本の伝統的規範に触れる政策が多いような気がしてしようがないんですよね(旧社会党の人たちも大勢混じっているようですし)。

自分が未だに民主党のことを信頼できないのは、このせいだと改めて自覚した次第です(浅はかな解釈かもしれませんが)。

今日はこの辺でやめておきます。続きはまた次回紹介して行く予定。ではまた。


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コメント

戦後日本はGHQによる自虐教育が行われている
日教組を作ったのもGHQ

ケント・ギルバートさんの本を読んで下さい
洗脳から目を覚まして下さい

  • 2017/06/13(火) 07:14:34 |
  • URL |
  • 名無し #-
  • [編集]

1読者さんへ

1読者さん、こんばんは。お返事が遅くなりスミマセン。
いつもいろいろと参考になるコメントありがとうございます。

今までは、政権にしがみついていられた自民党も、今回ばかりは危なそうですね。
確かに今は変革期なのかもしれません。
私も麻生首相の能力はそれなりに買っているのですが、時間もないし衆参逆転の縛りもある。
もしかすると、建て直しできずにずるずると大敗…なんてこともあるような気がします。

まあ、仮に民主党が政権を取ったとしたら、どれだけ現実的になれるかに、日本の命運はかかっているような気がします。ただどうしてもイマイチ信頼感に欠けるんですよね。
政権交代があったとしても、期待しないほうがよさそうです。

>現在のように、国民にとってどうでもよいゴシップばかりを報道し、現政権の政策自体もまともに報道しないような状況では、政権交代以前にメディア再編が必要な気がしてきます

どうしてそのような報道になってしまうのか?
マスコミのせいもありますが、そうした報道を許容している国民の側の意識にも問題がありますよね。鶏が先か卵が先か…になってしまいますが、ネットというのはそうした状況を打開する一つのツールになりえる可能性を秘めているとは思うのですけれど…。

  • 2009/01/21(水) 19:09:29 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

mugiさんへ

mugiさん、こんばんは。

お返事ありがとうございます。レスが遅くなりスミマセン。

>しかし、親米文化人も劣らぬほど下らない者もいます。

日本の報道など圧倒的に欧米メディアの支配下にありますから、なかなか独自の視点を持てませんよね。そういう状況では、親中韓文化人などより、気付きにくく警戒を抱きにくい分、親米文化人の方が厄介かも知れません。

私自身も、mugiさんのブログなど読むようになって始めて、そうしたことに気付いたぐらいですから。
また、mugiさんを始めとするコメンテイターに指摘されて始めて気付くことも多々あるので、そういう意味ではネットというのは便利ですよね。
これからもよろしくお願いします。

  • 2009/01/21(水) 19:06:09 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

 以前、『自民党への支持』について、「自分たちが自覚していない伝統的な文化的規範に触れるようなことはしない、という信頼がある」とか、「自民党は伝統的な政治文化の上に乗っかってるだけ」というのはどういうことか、と考えてみたことがあります。
 これは、政策に文化的伝統を重んじる保守的傾向があることと、一知半解さんが仰るように、手続が話し合いの「和」に基づくという両面があると思いますが、とくに後者について、かつての自民党には「市町村会議員→都道府県会議員→自民党国会議員の派閥ないし族議員」という「稟議制」に類似したボトムアップ式の意思決定システムが、確固として存在していたように思います。これは一方で利権や腐敗を生む温床でもあったのですが、他方で政策の不合理な点を直ちに是正するというフィードバック機能を持っていました。それが、自民党に対する信頼の基礎にあったのではないでしょうか。

 しかし、このシステムは小泉時代にかなり壊されてしまった、という印象があります。小泉時代は、経済財政諮問会議という内閣府の諮問機関が重視され、自民党の族議員や政調会などが抵抗勢力として棚上げないし排除される傾向がありました。
 たとえば、経財諮問会議で医療費改正案に関する答申が出され実施されたことがありましたが、現場の勤務医には、こんなことをすれば地域の中核病院の多くが財政的に破綻しかねない、と反対する人が少なくありませんでした。そこで具体的な話を聞いてみると、確かにいかにも現場を知らない人間が机上で計算した案だと私も感じたので、「どうしてそのことを政治に言わないのか?医師会は何をしているんだ」と言ったところ、「どうも自民党には話しが通じなくなっているらしい」という答えでした。
 また、小泉時代には、一時的な補助金で誘導した市町村合併が奨励され、三位一体改革などともてはやされていましたが、民間の企業でも合併にはリストラが伴います。それでも最低限、長期的な財政的基盤が強化されれば良かったのですが、当時の改革では、国の財政削減を理由に本来は国の債務(負担部分)であったものが新たな地方自治体の債務とされたうえに、全体的な地方交付金等も削減されるという事例もあったと聞いています。
 こんなことをすれば、一時的に郵政選挙等で支持を得ても(この選挙自体、浮動票を集める一方で組織的な支持基盤を壊滅させる行為でした)、やがて自民党への不信は募り、伝統的な支持基盤が崩壊するのは当然です。そこを突いたのが、旧自民党の小沢氏であり、先の参議院選挙の結果だったのでしょう。

 ただ、小泉改革が無かったとしても、高度成長期以来の社会的変化(地方においても都市化が進み、人口の流動化による社会構造の変化)によって、伝統的な地域共同体が解体されることで国民の無党派層化は進み、早晩自民党の組織的な支持基盤が弱体化したのは確かでしょうし、それを無理に維持しようとしたから、業界団体等の利権化や政治腐敗を悪化させたという面も否定できません。

 私は、有力な選択肢として(政界再編よりも現実的だと思うので)保守政党たる自民党の建て直しを望んでいますが、その場合、中西輝政氏が英国の保守党を例にとって指摘していた‘農村型保守政党から都市型保守政党へ’の脱皮が不可欠になるでしょう。それが日本においてどう具体化されるのかはまだ分かりませんが、麻生首相は、小泉政権における政調会長時代から、「ただ(自民党を)壊せばいいというものではない」とか「壊したものは作り直さなければならない」と言っており、この点についての現状認識があり、その手腕に期待したいところですが、さて、その時間があるかどうか。もし、少しでも具体化できれば、次の総選挙で民主党に大敗することだけはないと思うのですが・・・・

 余談ですが、保守系の議員には、(民主党の議員も含め)ブログなどで不特定多数の国民と対話することを厭わない人が少なくありませんね。私は、以下のブログ↓を定期的に覗いていますが、
 衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり http://ameblo.jp/gusya-h/
まるでネット上で政策報告会を聞いているような気にさせられることがあります。将来の政治には、ネットが深く関わるであろうことを予感させてくれる例です。

  • 2009/01/20(火) 19:30:18 |
  • URL |
  • 1読者 #-
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見解の相違

一知半解さん、再び丁重なレスを有難うございました。

>これからも何回か、この岸田秀との対談について引用紹介して行くつもりですが、日本人にも神に代わる歯止めを持っていることを二人は指摘していますよ。
>また、アメリカ人の仮借なき攻撃性についても言及している処もありますし。


ならば、安心致しました。対談を最後まで拝読した後、コメントをした方がよかったのかも。
私が日本人クリスチャンの知識人に神経症的に疑いの目を向けずにいられないのは、欧米の植民地でキリスト教に改宗した現地人が、いかに植民地行政に協力的であったのか、いささか知っていることもあるのです。改宗まではしなくとも、欧米人に奉仕する知識人も珍しくなかった。最近購入したトルコの歴史小説にも、自国の文化や歴史を否定する自虐的知識人が登場するのに驚きました。
私がクリスチャンを見る目が厳しいのは承知しています。ただ、海千山千の欧米人は狡猾な手段も駆使するので、警戒しすぎるということもないと思いますが。

ネットではよく親中韓文化人に対する嘲りを見かけます。確かにその類には胡散臭い者も少なくないし、揶揄されても当然の人物もいる。しかし、親米文化人も劣らぬほど下らない者もいます。ある自称親米のブロガーなど、明らかに共和党シンクタンクの一員で、それ自体は結構ですが、米国の受け売りと提灯記事を書いている。民族自決など第三世界擁護ゴッコしているサヨクと違い、教養はある方なのですが、それだけに「中東の自由作戦」などの内容は暗然たる思いにさせられました。

日本に限らず多神教世界では、神という歯止めは持っていません。キリスト教以前のローマもジュピターの名は歯止めにもならなかった。それでも法と秩序が守られなかったどころか、公共精神は十分すぎるほどあった。「キリスト教徒を最も殺害したのはキリスト教徒だ」、と当り前のことを言ったイギリス知識人はかなりひんしゅくを買ったほどです。

以前、mottonさんから以下のようなコメントを頂きました。
確かに基本的人権なるものはキリスト教からきた思想なのですが、キリスト教的なものを排除して普遍的な概念を抽出することは可能なはずであり、でなければ日本やトルコの近代の歩みとは何なのかと思います。
もしかすると、欧米人はキリスト教がなくても近代社会が成り立つことを認めるのを無意識に恐れているのかもしれません。


先日“火星”さんも、一神教徒の姿勢を嘆いていました。
自らの信仰に対する行動には、配慮せよと押し付けますが、非信者に対する配慮等、見たことがありませんね。無配慮というよりも、一方的な押し付けばかりですが、、、

人間は己のことを棚に挙げて他人を批判する悪癖がありますが、日本人クリスチャンやサヨクもまた、旧日本軍の蛮行は糾弾しても、欧米や中韓人のそれは口をつぐむ者が少なくないではありませんか。前者には聖書を突きつけると結構効果がありますよ。「敵を知り、己を知る」以外、今のところ対策はないでしょうね。

  • 2009/01/19(月) 22:15:58 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

出羽の神の変種じゃないと思うのですが…

mugiさん、再度、ご丁寧なコメントをありがとうございます。

>キリスト、イスラム教が多神教への蔑視と優越の拠り所としているのが、「神の前の平等」の観念なのです。

なるほど、そういうこともあるのですか。
「神の前の平等」というので、異教徒に対する優越感と蔑視を持たれても日本人としては迷惑千万ですね。

>これは欧米知識人の受け売りそのものですよ。唯一神以外認めないので、多神教社会は神がいないと見なす。同じ神でも日本の神と絶対神ではまるで違いますし、日本人より遙かに信心深いヒンドゥー教徒に対しても、同じように見ていました。

う~ん、確かに受け売りかも知れませんが、これは実際そうなのだから仕方のない指摘じゃないですか?
それにこの指摘で、二人は日本が劣っていると決め付けていないと思いますし。
日本と欧米とが如何に違うか説明しているだけとしか思えないのですが。

それに、これからも何回か、この岸田秀との対談について引用紹介して行くつもりですが、日本人にも神に代わる歯止めを持っていることを二人は指摘していますよ。
また、アメリカ人の仮借なき攻撃性についても言及している処もありますし。

>そしてキリスト教の欠点を言わなかったのは、私からすれば巧妙な「嘘も方便」です。キリスト教の欠点には見ざる、聴かざるで通し、「日本教」の問題点は追求する。これも“出羽の神”の変種で、アンフェアな姿勢です。

mugiさんの主張するように、キリスト教徒には狡猾な面があり、異教徒への迫害が多いのも確かです。
ただ、日本では布教という面においては、あまり心配する状況にはないですし、聖書の暗部について語らないと即「アンフェア」だと見なすのは、ちょっと厳しすぎるのではないでしょうか?
(勿論、布教活動を押し付けてくる輩には、そうした点を問い質すべきだと思いますが)

見方を変えれば、mottonさんのような見解が出てくるのもわからなくありません。
勿論、日本だけが悪いのではないことも承知しています。
ただ、山本七平は日本人ですから、同胞の日本人に向けて警告を発しただけに過ぎないと思いますよ。
実際、欧米がスタンダードな世界にあって、相手を非難し、変えさすということは不可能にちかいと思います。
それよりも、「話せばわかる」と信じ込んでいる日本人の意識を何とかしないと、また誤解に基づく摩擦や悲劇が起こりかねないという視点から、山本七平はこうした指摘を行なっていると私は解してます。
いわゆる「出羽の神」的な上から目線の単なる日本人批判ではないと思うのです。
多分、この点が私とmugiさんとの見解の相違なのかもしれません。

確かにmugiさんが既に指摘しているとおり、山本七平の意見にも的外れなものがあります(それは人間である以上避けられないことです)。
ただし、それを以って、妥当だと思われる彼の他の主張まで排する気には私にはなれません。

勿論私が妥当だと下した判断が間違っていることもあるでしょう(私も鵜呑みにしやすい性質なので)。
mugiさんから見ておかしいと思われましたら、今後も指摘していただけると非常にありがたいです。

追伸
教えていただいたサイト、拝見しました。
確かに凄い記述です。これじゃクリスチャンが触れたがらないのも当然ですね。

  • 2009/01/19(月) 00:03:12 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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一知半解さんへ

レス、有難うございました。私からも長文レスになりますが、何卒よろしくお願い致します。

 仰るとおり中世までの欧州は庶民どころか、王侯貴族さえキリスト教の教義をろくに知りない始末でした。聖職者階級が知識を独占、「知らしむべからず」に徹していましたしね。それも示さず、欧米式の個人主義を安易に讃える浅はかな日本の文化人が少なくないので、やはり山本もその類か、と疑ったのです。

 キリスト、イスラム教が多神教への蔑視と優越の拠り所としているのが、「神の前の平等」の観念なのです。確かに神道や儒教、ヒンドゥー教など「神の前の平等」は説いておらず、その階級性を糾弾します。しかし、実際はキリスト、イスラム圏も凄まじい階級社会。その事実を指摘しても、「キリスト(またはムハンマド)の教えを誤って解釈しているから」で済ませるのが、一神教徒。これは厚顔な居直りでしょう。

>まず、山本七平の記述のどこに、多神教への蔑視があるのでしょう?

 日本で個人主義が嫌われる背景として山本は、「日本人の社会には神がいない」「神の歯止めを持たない日本人」の表現を使っていますね。これは欧米知識人の受け売りそのものですよ。唯一神以外認めないので、多神教社会は神がいないと見なす。同じ神でも日本の神と絶対神ではまるで違いますし、日本人より遙かに信心深いヒンドゥー教徒に対しても、同じように見ていました。迷信に基づく偶像崇拝者、などと。
 元から一神教は多神教へのアンチテーゼ、ズバリ言えば憎悪から生まれた宗教です。選民思想などレイシズムの極致でしょう。キリスト、イスラム教の「神の前の平等」も、かたちを変えた選民思想と言った人もいます。日本人でもクリスチャンとなると、「神がいない」日本社会を恥じている者が少なくないし、それが欧米への賛辞と劣等感に繋がっています。

『日本人とユダヤ人』が書かれたのは、キリスト教が日本に普及しない理由をユダヤ知識人と議論しあったことによるものでしたね。公言はしないものの、内心は山本もキリスト教が普及することを望んでいたのではないでしょうか?これはユダヤ人にも好都合なのです。キリスト教圏ならユダヤ人が食い込めるし、インド、中国も同じですが非一神教世界ならユダヤ人は活躍できない。
 山本の書には布教的要素は殆どないですが、聖書関連本の出版社経営者でもあった人物です。ならば、キリスト教に好感を持ってもらう方が個人的にも好都合。なお、山本書店の聖書本は聖書学者の間では評価は芳しくありません。

 山本が布教的行為をしなかったのは、それをすれば相当な反発を受けることを熟知していたこともあるのではないでしょうか。そしてキリスト教の欠点を言わなかったのは、私からすれば巧妙な「嘘も方便」です。キリスト教の欠点には見ざる、聴かざるで通し、「日本教」の問題点は追求する。これも“出羽の神”の変種で、アンフェアな姿勢です。

 以前貴方はmottonさんの論評、「全てを日本人(日本社会)に原因をもってきているように見えた。これは科学的思考ではなくレイシズム的思考…」に戸惑っておられましたね。改めて私もそれを感じさせられました。ユダヤシンパといえ、山本のあからさまなイスラエル擁護はハッキリ言って痛かったですよ。茶番劇の「カハン調査委員会報告」を持ち上げる、イラン・イラク戦争後の拙劣な分析など。
 日本人クリスチャンは総じて親イスエラルであり、中東戦争でイスエラル支持のデモを行い、カンパまでしていた者もいたほど。現代のガザ攻撃も一部のシオニストによるものであり、ユダヤ人への偏見は止めて、と書いていたブロガーもいました。「イスラエル・ロビー」は日本でも活躍していることでしょう。

山本も含め、日本人キリスト教徒が絶対言わない聖書の一部を紹介したサイトがあります。気が向いたら、どうぞご覧下さい。

「殺せ!と神が命じるとき」
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/divine_murder.html
「神のみ言葉(聖書)から…」
http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kami.htm

  • 2009/01/18(日) 21:18:52 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

mugiさんへ

mugiさん、コメントありがとうございます。レスが遅くなってすみません。

>欧州も近代までは血縁、門閥主義がまかり通り、個人主義が明確に現れてきたのは近代以降ですよ。

うーん、私はあまり歴史に詳しくないのですが、キリスト教が広まったといっても中世まで(ルターの宗教改革以前)は、キリスト教の教義を庶民は知らなかったらしいですし、そういう経緯を見れば近代以前に血縁・門閥主義がまかり通っていて不思議ではないような気がするんですが…。

>「個人が神との契約の形でそういう規範をきちんと持っていることによって、信頼関係が成り立つ」社会でありながら、欧州が根強い階級社会なのは如何なる理由なのでしょう?「神の前の平等」が原則のイスラムもまた、凄まじい階級社会。

これは神との契約が「神と人間との上下関係を規定」するにとどまっているが故ではないでしょうか。
つまり、神との関係では皆平等であっても、それがイコール「人同士が平等」とただちに結び付かない為かと。
逆説的ぽくなりますが、「神の前の平等」が原則なら、人と人の間が不平等であっても何ら不思議ではないような気がします。

>逆に見れば、個人が神との契約をきちんと守る社会というのは、神と契約しない者(つまり異教徒)と信頼関係が成立しないとなりますね。

そうですね。一神教徒から見れば、日本人というのは無節操で原則がないように見えると思います。

>「近代的自我には、神という歯止めがある」のが前提なら、神の違う異教徒には歯止めがないとも言えます。その結果がジェノサイト。

確かに一神教徒には、異教徒に対して歯止めがない分、そうした行為に走る独善性を多分に持っていると思います。手加減を知らないんでしょうね。

>山本は非一神教の宗教観に疎いのでは、と感じさせられましたね。やはり多神教への蔑視があるのでは。

う~ん、なぜ、mugiさんがそのように思われるのか、私にはちょっと理解しかねますv-393

まず、山本七平の記述のどこに、多神教への蔑視があるのでしょう?

彼の記述には、多神教と一神教を比較したところが多いですけど、「違い」を指摘こそすれ、「優劣」を論じているとは私には思えません。

彼の真意は、その「違い」を知ることで、相互誤解を無くしていくことにある、と私は受け取っているのですが。

確かにクリスチャンですから、キリスト教の欠点を述べた記述を眼にした記憶は無いです。
ただ、彼の記述には、布教的要素は殆どないと言ってもよいと思います。

私は、彼個人がクリスチャンであっても、他にその信仰を強要することのない人間だと考えていますので、特に気にならないのですけど…。

  • 2009/01/17(土) 18:50:31 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

神との契約

記事を興味深く拝読させて頂きましたが、これには異論があります。
山本は欧州の個人主義の成立過程をよく判っていないのではないでしょうか?

神との契約という概念なら、ユダヤ、キリスト、イスラム全て同じです。
しかし、イスラムは現代なお個人主義は見られず、血族や部族中心主義が殆どなのです。欧州も近代までは血縁、門閥主義がまかり通り、個人主義が明確に現れてきたのは近代以降ですよ。欧州の人権という思想さえ実はキリスト教精神に基づいています。

「個人が神との契約の形でそういう規範をきちんと持っていることによって、信頼関係が成り立つ」社会でありながら、欧州が根強い階級社会なのは如何なる理由なのでしょう?「神の前の平等」が原則のイスラムもまた、凄まじい階級社会。逆に見れば、個人が神との契約をきちんと守る社会というのは、神と契約しない者(つまり異教徒)と信頼関係が成立しないとなりますね。
「近代的自我には、神という歯止めがある」のが前提なら、神の違う異教徒には歯止めがないとも言えます。その結果がジェノサイト。

多神教圏はやはり神との契約という概念はありませんね。儒教はもちろん、ヒンドゥー教やゾロアスター教も同じです。契約こそしないものの、何が宗教的に正しい考えや行いか哲学として昇華させ、教典に記しました。
山本は非一神教の宗教観に疎いのでは、と感じさせられましたね。やはり多神教への蔑視があるのでは。

キリスト教も特にカトリックだと位階制で上部への絶対服従が求められる。「個人が神と契約する」のは建前もあり、それをクリスチャンの山本は買い被り過ぎていないでしょうか。プロテスタントでも聖職者に従うことを求められるのは書くまでもない。
私の経験からも言えますが、クリスチャンはキリスト教の欠点はまず口外しない傾向があります。聖書などいくらでも矛盾はあるけど、異教徒には言わないものです。神との契約など妄想に基づく迷信…と言ったら宗教は成立しませんね。

  • 2009/01/15(木) 21:49:32 |
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個人主義(笑)

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一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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