一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

感情国家・日本【その1】~日支事変は世界にどのように受け止められたか~

日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)
(2005/01)
イザヤ・ベンダサン

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今日から何回かに分けて、上記の「日本人と中国人」を引用しながら、南京事件とは一体どういう事件であったのか?そして、何が「真の問題」なのか?ということを考えていきたいと思います。

まず、この本が書かれた動機について紹介しておきましょう。
それは、本書の前書きに書かれていますので以下引用します。

本書は、月刊『文藝春秋』において、昭和四十七年(一九七二年)より四十九年二九七四年)にかけて断続的に連載され、その後、平成八年(一九九六年)に「山本七平ライブラリー13巻『日本人とユダヤ人』」(文藝春秋)に収録されたものを、今回、はじめて単行本化したものです。


■読者のみなさんへ

本稿は、上にも記したとおり、今を遡ること三十三年前、一九七二年に執筆が開始されたものです。

この年は、日中両国が歴史的な国交回復を遂げ、日本中が朝野をあげて沸きかえっていました。
その一方で、台湾との問で締結されていた日華平和条約は、一方的に破棄されたのです。

本橋の執筆が開始されたのは、まさにそうしたときでした。
「条約より市民感情が優先される」、このようなことがあっていいのか。

そうした疑問と、憤りにも似た気持ちが、著者を本稿の執筆へと駆り立てたことは、疑いのないところです。

もちろん、ここで著者が言いたいことは国交回復の是非ではなく、こうした折りに顔をのぞかせる、一時的な感情にあまりに支配されることの多い日本人の特性(この場合は明らかに欠点)についてでした。

日中関係というのは、考えてみれば、双方が対等でまともな関係を持ったという時代がありません。

古代は日本が朝貢する関係、その後も正式な国交はなく、政経分離の時代が続きました、足利義満は朝貢することで貿易の実利を得ようとしましたが、彼の死後、再び断絶。

秀吉は明との交渉を決裂させて、第二次朝鮮出兵へといたります。徳川時代も国交はなく、国内では異常な中国ブームから、一転して中国人蔑視へと移ります。さらに明治以降についていえば、知っての通りです。

このように、日本がこれまで中国と、まともに付き合ってこられなかった理由は何なのか、今後はどうしたらいいのか。これまでの歴史的経緯を検証し、日本の側から問題点を追究しようとしたのが本稿です。

依然ぎくしゃくした問題が絶えない両国関係を見るにつけ、三〇余年たった今、本書を改めて世に問う意義は少なくないものと信じます。

(~以下略)

平成17年1月吉日          祥伝社書籍出版部


つまり、日中国交回復時の騒動が、動機だったわけですね。
それでは、早速南京事件に関わる部分を引用していきましょう。

日支事変を、世界はどう捉えたか

日支事変が始まったとき、世界の多くの人は、これを日本の全く不可解な行動とは見ず、一種の「七年戦争(wiki参照)」〔一七五六~八三年にオーストリアとプロシアとの間で行なわれた戦争〕と判断していた。判断の当否は別として、確かにそう見えた。

言うまでもなく「七年戦争」はプロシアにとっては「シレジア領有確認戦争」である。いわゆる「オーストリア継承戦役」〔一七四〇~四八年〕で、フリードリヒ大王は、いわば「火事場泥棒」的にシレジアを奪取したが、取られたオーストリアはもとより、欧州の列強は、その領有権を本心では承認していない。オーストリアはもちろん奪回を計る。

大王は七年戦い、得たものは既得の領土の所有権の確認――いわばそれによって生ずる新国境を、公認の境界としてオーストリアと列強に確認させただけであった。

国境という概念のない日本人にはわかりにくいであろうが、これは常に、戦争の原因になる重要な問題の一つである。

パレスチナ戦争は七年戦争とは全く性格が違うが、しかしこれも一種の「国境取得=承認戦争」だとはいえる。日本の新聞はこのことが全く理解できないので、旧停戦ラインを国境の如くに記し、それと新停戦ラインの間を占領地としているが、これは誤りであって、両者とも停戦ラインにすぎない。

停戦ラインはあくまでも停戦ラインであって、国境ではない。

ヨーロッパ大陸を旅行した日本人が、「国境とはつくづく大変なものだと思います。日本に国境がないのは有難いことだと思います」というが、イスラエルにはその「つくづく大変な」国境すらなく、何とか国境がほしいと願っているわけだから、日本人の「パレスチナ問題批判」が、『日本人とユダヤ人』で記したように、マリー・アントアネット式批判(註)になるのも致し方あるまい。

(註)…【過去記事】名文章ご紹介シリーズ【その1】を参照。

しかし忘れてはいけない。
このような批判の底にある認識不足に基づく独善的断定が、実は、日支事変の最大の原因の一つであったことを。
しかし、そのことは未だにわかっていないらしい

国境とはあくまでもそれに接する両者が合意した線であって、お互いにその外側は他国と認め、その外側で生じた問題には干渉の権利がないと相互に認めること、簡単に言えば相手の存在を認めることである。

この国境の存在を認めないということは、相手の存在を認めないということである。

従って、どのような形であれ、両者合意の一つの線を確認・確保し、同時に世界の列強にそれを承認させ保証させる、それによってあるいは自己の安全を計り、あるいは事態の安定化を計る、時にはそのためにのみ戦争さえ起こる、ということは、少なくともヨーロッパ人にとっては、不可解なことではない。

もちろんこのことは、問題解決のためにこのような手段をとることの是非善悪とは、別の問題である。

■日本は眠れる大国を刺激する名人

従って、日支事変が始まったとき、世界の列強の殆どは、これを一種の「七年戦争」と理解したのは当然である。

「シレジア領有確認戦争」と同様の「満州領有確認=満州国承認獲得戦争」、すなわち中国政府に満州国の独立を承認させるための軍事的行動乃至は軍事的示威行動と見た。そして蒋介石自身も明らかにそう考えていたし、また、後述するように、彼には、そう考える根拠があった。

従って宣戦布告をしないのもその故で、これは、示威目的さえ達すればいつでも兵を引く用意があるという意思表示で、日本自身も、これをあくまで軍事的示威行動と規定し、戦争とは規定していないのだと彼も世界も考えていた。

西欧がこう考えた底には、やはり二つの伝統的な考え方が無意識のうちにあったからであろう。
ヨーロッパというユーラシア大陸の一半島に住む人びとには、「大国は半睡状態にしておけ」という行き方が、本能のように備わっている。

彼らは、その昔のモンゴルやトルコ、その後継者のロシア、すなわち彼らがアジアと考えた地の大国の脅威に、祖先伝来的な敏感さをもっていた。ナポレオンはモスクワを「アジアの首都」と呼んでいる。そして彼自身も、この地に一種の本能的な恐怖心をもっていた。

しかし大国には大国の弱点がある。それは「自給自足的な半睡状態」に絶えず落ちこもうとする傾向があり、同時にこれへの抵抗がある。文化大革命もその一つであろう。

そして半睡状態を助長してやることこそ小国の安全だ、ということは、ヨーロッパ大陸にとっては一種の本能でもあった。同時にこれを逆用もした。

そしてこの逆用の名人はイギリスであり、それが、フランスにおけるド・ゴール的反英感情の基となっている。この感情はド・ゴールの専有物ではない。

従って昭和期の日本の行動は、常に彼らに奇異に見えた

この不思議な国は、半睡状態におちいろうとする大国を刺激して叩き起こす名人なのである――熊の横っつらをはりとばしたり、竜の髭を引き抜いてみたり、金袋によりかかってうとうとしている怪獣マンモンの袋に大穴をあけて、あわてて目をさまさせたり……。

だが日支事変の始まるころには、欧州の列強も、まだ、日本人のこの不思議な癇癖には気づいていなかった。
これが彼らも、示威で終わるであろうと考えた、目に見えぬ基本的な理由の一つであろう。

だがそれとは別に、明白に、そう考えるべき根拠もある。

蒋介石近衛文麿の秘密交渉

それがすなわち、蒋介石もそう考えていた根拠である。昭和十年十月、日本政府は、日中提携三原則を中国に提案した。すなわち排日停止・満州国承認・赤化防止の三ヵ条である。

この一年前すなわち昭和九年十月十六日、中共軍は大西遷を開始し、十一月十日に国府軍は端金を占領し、蒋介石の勢威大いにあがった時であったから、日本もそろそろ「火事泥」の後始末にかかるのも当然の時期であろう、と蒋介石も世界も考えたのもまた当然である。

蒋介石はもちろんこの「日中提携三原則」を受け入れなかったが、しかし、これは外交交渉という点から見れば当然のことである。

彼は何もこの提案をポツダム宣言の如く受諾せねばならぬ状態にはないし、第一、こんなばかげた提案は、おそらく世界の外交史上類例がないからである。

日本は満州国は独立国であり、民族運動の結果成立した国であると主張している。
従って満州国と日本国とは別個の国のはずである。

それなら満州国承認は、あくまでも中国政府と満州国政府との間の問題であって、日本国政府は何ら関係がないはずである。

従って秘密交渉ならともかく、公然とこの主張をかかげることは、その後も一貫して日本政府は、一心不乱に、「満州国とは日本傀儡政権であります」と、たのまれもしないのに、世界に向かって宣伝していたわけである。

この辺もまた、まことに支離滅裂で面白いし、この点では今も同じだが、先へ進もう。

(~次回に続く)

【引用元:日本人と中国人/一章 感情国家・日本の宿痾/P20~】


ここまでの引用で、南京事件の引き金である日支事変が、満州国を巡って起きたということがある程度理解できるのではないでしょうか。
ちょっと長くなりましたので、この辺でやめて、次回に続けます。では。

【関連記事】
・感情国家・日本【その2】~トラウトマン和平工作はなぜ成功しなかったのか~
・感情国家・日本【その3】~戦前の日本は軍国主義以下~


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