![]() | 日本がアメリカを赦す日 (2001/02) 岸田 秀 商品詳細を見る |
今回のエントリを読むに当たっては、以前にご紹介した「内的自己/外的自己」とか「精神分裂病/ストックホルム症候群」なる単語の意味を事前に把握していただいたほうがより良く理解できると思いますので、もしまだ読んでいない方は、まずは下記過去記事↓からどうぞ。
【過去記事】
・「内的自己」と「外的自己」とに分裂した近代日本/きっかけはペリー来航だった!?
・「自己欺瞞」と「精神分裂病/ストックホルム症候群」
この本を読んでつくづく思ったのは、憲法改正の問題にあたって「真の障害」というのは、単なる法律論うんぬんではなく、日本人が陥っている自己欺瞞という精神状態であること。
そして、これを打破するには、自ら陥っている自己欺瞞についてはっきりと自覚する以外に道はないのではないかということです。
それでは、戦後日本人が陥った自己欺瞞とは如何なるものなのか?そして、その自己欺瞞に基づく平和主義とは、一体何なのか?岸田秀の簡潔明快な分析をご覧ください。
(前回のつづき)
■欺瞞の代償
敗戦後の日本は、アメリカとの関係において、パトリシア・ハーストや宮嶋少尉が起こしたようなストックホルム症候群を国を挙げて大規模に大々的に起こしたのではないかと思われます。
本土決戦、一億玉砕を怒号していた日本が、敗戦後、掌を返すようにアメリカ占領軍に迎合し、政治や教育などあらゆる面にわたってアメリカの思想と制度を受け入れ、アメリカン・ウェイ・オヴ・ライフに憧れた急旋回は、精神分裂病における内的自己から外的自己への反転、あるいはストックホルム症候群としてしか理解できないと思います。
現実的・合理的現象としては説明できないことがあまりにもいっぱいあり過ぎますし、いま言ったような自己欺瞞も多く見られます。
例を挙げてみましょうか。
日本国民は戦争に反対だったが、軍部に強制され、引きずられたのだとか、間違った軍国主義国家から正しい自由民主主義国家へと生まれ変わったのだから、戦争に負けてよかったのだとか、新憲法は人類の反戦平和の理想にもとづく世界に誇るべき憲法であるとか。
これらのことを自己欺瞞だと言うと、いまいくらか勢力を盛り返しつつあるかのように見える右翼思想とか国家主義とかナショナリズムとかを弁護しているかのように誤解されるかもしれませんが、僕は、敗戦前の日本も敗戦後の日本も、方向は正反対ですが、ともに病的現象と見ているだけであって、他意はありません。
敗戦前の日本も敗戦後の日本もともにおかしいのですが、敗戦後の日本がとくにおかしなところは、おのれのおかしさを棚にあげて、あるいはそれに気づかず、敗戦前の日本のおかしさだけをあげつらっている点です。
たとえば、僕は憲法の不戦条項に必ずしも反対ではありません。
しかし、加藤典洋さんがどこかで言っていたと思いますが、日本国民が不戦条項に真に賛成なら、いまの憲法を改正して新しい憲法を作り、そこに不戦条項を入れるべきです。
内容が正しいのであれば、押しつけられたものだっていいではないかという議論がありますが、これは誇りを失った卑屈な者の議論です。
この議論は、強姦されて処女を奪われた女が、何の価値もない処女を長いあいだ後生大事に守っていたわたしは間違っていた、人間は男も女も性交を知ってこそ真に人間らしい生活ができるのだ、わたしを強姦したあの男はわたしに性交という真の人生への扉を開いてくれたのだ、強姦されたわたしは幸運だった、彼に強姦されなかったら、一生、性交を知らず、間違った不幸な人生を送ったであろうと考えて、強姦されたことを正当化し、彼に感謝するのと同じです。
この女の論理はどこかおかしくはないでしょうか。
このおかしさに気づかないのは、誇りを失っているからではないでしょうか。
内容が正しいのであれば、押しつけられたものだっていいではないかという議論は、働いて稼いだお金で買った食べ物も、売春して男にもらったお金で買った食べ物も、乞食になって恵んでもらった食べ物も、おいしくて栄養があれば同じではないかという議論と似ていないでしょうか。
あるいは、この議論は、「目的は手段を正当化する」として暴力革命を正当化したかつての革命政党の議論と似ていないでしょうか。正義の社会を実現するという正しい目的のためなら、暴力という好ましくない手段もやむを得ないというわけです。
しかし、暴力を用いて打ち立てた政権は暴力で維持する他なく、実際にはすべて、打倒した前の政権よりタチの悪い暴力的独裁政権となりました。
正しい目的は不正な手段を正当化するのではなく、不正な手段は正しい目的を腐らせるのです。
目的と手段は一つの有機的全体を成しているのであって、切り離すことはできないのです。
不正な手段で正しい目的を実現することはできないのです。
自ら進んで獲得したのではなく、他から押しつけられた平和主義は、ちょっとしたことですぐ脆くも崩れる偽りの平和主義にしかなりません。
どのような手段で獲得したかによって、形は似ていても違った結果になるのです。
強姦に話を戻します。
実際、強姦されるというと、暗い夜道で見知らぬ男に突然襲われてというイメージがあるようですが、ほとんどの強姦は顔見知りの男が犯人だそうで、いくらかは好意をもっていた男に強姦された女のごく普通の反応は、それが強姦であったことを否認しようとすることです。
とくに処女が強姦された場合はそうです。
強姦されたことは耐え難い屈辱なので、強姦されたと認めると、おのれの屈辱に直面せざるを得ないため、あるいは、人生の最初の性交が強姦であったというようなみっともなく悲惨な事実が自分に降りかかってきたとは思いたくないため、強姦を強姦と認めまいとするのだと思います。
わたしがスキを見せたのは、本当は彼と性交したかったからなのだ、わたしが無意識的にせよ彼を誘ったのだ、この結果はわたしが望んだことなのだ、こうなってよかったのだ、と無理やり思い込もうとします。
そう思い込むことができれば、それは強姦ではなく、おたがいの愛にもとづく性交、あるいは、自分も性欲を満足させるためにした合意の性交ということになります。
もちろん、これは自己欺瞞です。
この自己欺瞞を維持するため、彼女は、その後何回か自発的に性交に応じたりします。
いやむしろ、積極的に彼に性交を求めたりします。
自分はこの男を愛しているんだ、あるいは、自分は性交が好きで、性交はいつも自ら望んでしているのだということを自分に対して証明するためです。
(余談ですが、裁判では、強姦された女が、そのあと犯人の男と自発的に性交すれば、強姦されたと訴え出ても取り上げられないとのことですが、これは、強姦された女の心をあまりにも理解していない仕打ちだと思います。強姦されたがゆえに、そのあと引きずられるということがあるのです。)
しかし、いくら意識的には否認しても、無意識的にというか、心のどこかでは強制的に性関係に引きずり込まれた屈辱を感じていますから、決して性交を楽しむことはできず、そのうち屈辱感、嫌悪感が積もり積もって、ある日突然、後に反逆するか、後から逃げ出すということになります。
現実に強姦された女のこのような反応と、アメリカに対する日本の反応とは実によく似ています。
日本は、最初はペリーに、次にマッカーサーに強姦されたわけですが、最初のときはそれが強姦であったとの認識をどこかで否定しながらも、ある程度はもちつづけたように思われます。
いずれにせよ、無理やり引きずり込まれたアメリカとの友好関係はそのうち必然的に破綻をきたし、日本は、ある日突然、真珠湾を奇襲するわけです。
二回目に強姦されたとき、日本は、以前にもまして、それがあたかも和姦であったかのように思い込みました。
そしてふたたび今、アメリカと友好関係をもっていますが、そこに自己欺瞞があると、また同じようにいつかは破綻する危険があります。
敗戦後の日米関係に関して日本の側に自己欺瞞があることは否定し難いですが、自己欺瞞している日本人も、公式には日米は緊密な同盟関係にあるイコール・パートナーだなどと言いながら、心のどこかでは日本がアメリカの属国、子分であることを知っているんですよ。
(次回につづく)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/第三章 ストックホルム症候群/P68~】
私は、以前「押し付けられたから改正しなければならない」という憲法改正論は、憲法を改正する論拠としては若干弱いのではないかと感じていましたが、上記の記述を読んでその認識が浅かったことを痛感しました。
やはり、「押し付けられたもの」と「自主的に掴み取ったもの」というのは、「意識」という点で雲泥の差があります。
そしてその「意識の違い」は、岸田秀が指摘するように、「形は似ていても違った結果(偽りの平和)」となって表れるのではないでしょうか。
また、「強姦された女の論理」という指摘については、厳しいとは思いますがそう指摘しない限り、気が付かないほど自己欺瞞に陥っている日本人も多いのではないかな。
自分自身を振り返ってみても、心のどこかで日本がアメリカの子分ではなくイコール・パートナーであって欲しいと思いたがっていることは認めざるを得ません。
なかなか現実を直視することは難しいものですね。
ただ、反米感情が強い人、特に左翼に多く見られると思いますが、「日本はアメリカのポチだ」とけなす人がいますけど、そういう人は本当に現実を直視しているといえるのでしょうか?
そうした人びとの主張を見ると、いやそうした人びとに限って現実から遊離した絵空事・綺麗事を言うケースが多いように思います。
つまり、卑屈な「外的自己」的行動をしている日本人を罵るだけの、単なる憂さ晴らしのレベルに堕ちているのです。
これも、屈辱感ばかりに囚われて、それを発散する為の反米的言辞を弄する行為でしかなく、現実を直視しているとはとても言えないでしょう。
日米がイコール・パートナーと思い込む親米派も、「アメリカのポチだ」と罵る反米派も、共に現実から目を逸らし自己欺瞞に逃げ込んでいるといって差し支えないのではないでしょうか。
しかしながら、左右どちらも自己欺瞞に陥っているものの、個人的にはやはり左派の方が重篤であるような気がします。
私はつねづね護憲派の人たちが、どんなに理詰めで説得されても、頑なに9条護憲にしがみつくのを不思議に感じていたけれど、これは主に二つ要因があるように思います。
1つは、一種の反米的行動としての9条護憲。
要するに、アメリカが「日本がアメリカに二度と逆らわないように」与えた9条を、頑なに守ることでアメリカに抵抗するという「順法闘争」的抵抗手段として用いているわけですね。
これは、親の言いつけを過度に守ることで逆に親に逆らう子供の態度と同様です。
親への反抗・抵抗がとにかく目的ですから、理屈なんかどうでもいいわけです。
だから、どうしても硬直的で現実から遊離したものになってしまう。
もう1つは、やっぱり押し付けられたことに起因する「自己欺瞞」によるものですね。
つまり、彼ら自身でも、”無意識的”に「すぐ脆くも崩れる偽りの平和主義」であることを感じていて、その不安を打ち消す為に、さらにその「偽りの平和主義」にしがみつくということだと思います。
山本七平も、こうした彼らの行動を「ある異常体験者の偏見」のなかで「この不安は常に、虚構を崩さないで、逆に、虚構を事実と信じて安心しようという方向に動くのである」と指摘しています。
しかし、こうした自己欺瞞は、岸田秀のいうとおり、結局のところ、ますます現実から目を逸らさせるだけです。
現実から遊離した平和主義がもたらすものは、絶対に平和な世界ではないはずなんですがねぇ。
自己欺瞞の陥った人たちの眼を覚まさせる為には一体どうしたらよいんでしょうか。
(次回につづく)
【関連記事】
・「ニセ物に固執する精神」~憲法改正がタブー視される理由とは~
・平和主義の欺瞞【その2】~自己欺瞞によりますます卑屈になる日本~
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