一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

内なる「悪」に無自覚な日本人/性善説がもたらす影響とは?

考えも意見もまるで私と違うけれど、それでもよく拙ブログにコメントやトラックバックをいただけるブログ主さんがいます。
「春夏秋冬」の和久希世さんです。

最近は、私の記事も(批判的ですが)取り上げてくれたこともありまして、それはそれで感謝しているのですが、彼女と議論を交わす度に、どうしても連想してしまうのが、山本七平岸田秀の次の対談です。
今日はその記述について紹介したいと思います。

日本人と「日本病」について (文春文庫)日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀山本 七平

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◆現代日本教信仰箇条

(~前略)

山本 なるほど。それではこの諸症状とやらをしばらく挙げつらってみましょうかね。

今、お話にでた社会の中に不自然をみて、それを悪であるとする発想は、人間は善であるという性善説と表裏の関係にありますね。

人間は善い、自分は善い、しかし社会が悪いのだと。

岸田 つまり、その場合、社会の悪はどこから来るのかということまでは分析しない。今、お話にでた社会悪の構造的原因まで追究しないことが多いですね。

山本 そしてナマズを持ち出す
小室直樹さんが地震ナマズ説という比喩を使っているんですが、地震が起きるのはナマズが暴れるからだ、ナマズが諸悪の根源である、ナマズを殺せばすべてが解決するという発想ですね。

日本人は特にこの発想に陥りやすい

だから「諸悪の根源」は絶えず必要なんだそうです。

岸田 それで日本の捕り物には、必ず悪人が登場する。
そして悪人を殺すか、悪人が改心するかすれば、一件落着、めでたし、めでたしです。

悪人がいるから悪が生じる、世の中が善人ばかりなら悪は起きないという抜きがたい前提がある

悪が生じるのは、社会組織の何らかの欠陥に原因があるのではなくて、自分以外の誰かが悪人で、その悪人が「人間性」を失って悪いことをするからです。

いや、もっとも西欧にもユダヤ人を悪人に仕立てて、虐待した例があるから、日本人特有の幻想であるとまでは言いきれないんでしょうが


山本 ただ、西欧社会のスケープ・ゴートというのは、羊そのものに罪はないという意識が、スケープ・ゴートを仕立てる側にあるんですね。

羊は元来、罪とは無関係です。

そこで自分たちの罪を身替わりの羊に転嫁しているという自覚がある

第ニイザヤ書」の有名な「苦難のしもべ」にしても、新約聖書のキリストにしても、罪のない人間として設定されているからこそ、人間の罪をすべて背負って処刑されたりすることができる。

ところが、日本の場合は、諸悪の根源を殺しても、それが自分たちの罪を転嫁されて身替わりになって死んだのだという痛みがともなわないでしょう

何しろ″諸悪の根源″なんですから……。

岸田 罪をなすりつけている意識がまるでないわけだ。

山本 新約聖書には、善玉、悪玉という意味での悪人という存在は出てこないんですよ。
人間はすべて、いわば「善悪人」です。

岸田 ところが、日本の社会が悪人を必要とするのは、皆が自分を善人だと考えるからであって、自分の内なる悪に無自覚なためですね。

自分の内なる悪に無自覚だから、他人にそれをなすりつけなければならなくなる。

ほんとうの悪人というのがいるとすれば、それは、他人を悪人に仕上てあげる人なんですよね。
そうしているという自覚なしに

ぼくに言わせれば、あいつは悪人だと言って正義を振りかざす奴がいちばんたちのわるい悪人です。

それにしても、なぜ日本人はこうも簡単に自分が善人であると思いこめるのか


山本 これも幻想だな。

岸田 大いなる幻想、赤ん坊善人説につらなる幻想ですよ。

ぼくは以前、主観と客観は逆比例する、という文章を書いたことがあるんです。

たとえば、自分が思いやりの深い人だと思いこんでいる人間がいるとします。
自分は他人の気持ちをよく理解し、汲みとってやっていると、日頃考えているわけです。

すると、彼は自分が人の心を理解せず、人を傷つけるケースがあってもそれに盲目になる。

自分を思いやりの深い人間と思っている者は、じつは自分が人を傷つけている事実に盲目である者にすぎない

逆に、真に思いやりのある人間というのは、自分はつねづね、人の心を傷つけてしまっている事実をよく知っているんです。

主観と客観の関係というのはそんなふうに逆比例する。
それを、″思考の全能″ではないけれど、主観イコール客観と置いてしまうから恐いんです。


山本 パウロにみられる「罪」の意識というのは″わが欲する善は行わず″″わが欲せざる悪を行う″である。

この罪のある人間から、どうやって脱してゆけるのかという問題意識なんですね。

人間は自分が欲する善は絶対に行わないものだという前提に立つとしますと、もし善意があるとすれば、自分がそれを実行していないという意識としてしかないわけです。

自分が欲していないことばかり実行しているという意識ですね。

日本では善意もそのまま実行してしまう
これは明治維新より古い発想だから根が強いですな。

岸田 そんな言いかたをすると、ひねくれていると思われますよ。(笑)

山本 そうなんです。「善意が通らない」と言うから、そんな善意が通ったら社会は大変なことになるといえば、憤慨されますから。

戦後は特に自分が善で社会が悪だという単純形式で来ておりますから。

岸田 そこで、この悪い社会をぶっつぶせばよい、と。革命もまた性善説を前提にしているんですな。

(後略~)

【引用元:日本人と「日本病」について/純粋信仰/現代日本教信仰箇条/P131~】


以下、私なりの浅い解釈です。

昔から痛感してたのですが、日本人ってとかく「善悪」のフィルターで物事を判断しがちですよね。
とにかくそれがないと判断できない…というようなくらい、そのフィルターが重んじられます。

まぁ、犯罪とかについては、そういうフィルターが掛かってしまうのも仕方ない(これはこれで恐ろしい面も秘めていますが)とは思いますが、政治にまでそのフィルターを当然の如く当てはめるんですね。

そうすると、政治の世界も見事なまでに勧善懲悪の世界に染まってしまいます。
(これの典型的なサンプルが先にご紹介したブログ「春夏秋冬」なのですが)

ただ、市井レベルでそうした判断を下す分には仕方ないとも思う一方、そうはいっても余りにも、度が過ぎるような気がしていました。

見回してみれば、「善悪」で判断しているのはなにも彼女のような護憲派だけではない。
ネット右翼にもたくさん見受けられます。普通の人たちもそう。
(自分もその気が無いとはとてもいえませんし…。ただ、そうはいっても左派はその気がとりわけ強いと思いますが。)

今まで、なぜ皆がそうなってしまうのかわからないまま、やもやした気持ちでいたのですが、上記引用の対談を読んで初めて納得がいきました。

要するにこれは我々が、”内なる「悪」に無自覚なため”だったのですね。

この点をわきまえない「性善説」というのは、恐ろしい結果をもたらしかねないものだということに気付いて欲しいものです。
日本の場合、これに起因する犠牲者というのが多いような気がします。

それはそうと、私が愛読しているブログ「Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~」でも、ちょうど似たような記事をUPされてましたので、その記事の中から参考となる部分を一部引用させていただきます。

(~前略)

リベラル派=サヨクの人たちというのは、どうもものごとを善悪で見過ぎていて、自分たちこそ善であるという倫理的優越感から、それを疑うことを認めない傾向が強い
ように思います。

「怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである。」――フリードリヒ・ニーチェ「善悪の彼岸」より

【引用元:「Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~/Why So Serious?」より一部引用】


上記のニーチェの言葉は知らなかったのですが、この事を考える際、非常に参考とすべき警句であると思います。

少なくとも、政治の世界に「善悪の概念」を持ち込むのは控えるべきでしょうね。
このことは、和久希世さんにはわかってもらえないような気がしますが…。


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コメント

屈折した相手に善悪は通用しない

>相対的に、日本の立場が善であったと判断できはしないでしょうか。

私もその判断は概ね正しいと思います。
ただ、中韓の立場では、決してそのような見方をしないでしょうし、彼らと付き合っていく上で、善悪というのは何ら決め手にはならないように思います。

客観的に見て、戦前の日本が韓国・満州国に善政を施したのは間違いありませんが、その行為が善であったからといって、彼らが素直に評価することはないでしょう。
彼らも心の底では、日本の統治は良かったと考えているかもしれませんが、プライドが許さないのです。
自分で為しえなかったことを、格下の日本にやってもらったという拭い切れない負い目があるのでしょう。

そんな彼らに、日本が善だったと主張しても無意味ではないでしょうか。
屈折した精神を持つ相手と割り切って、付き合う必要があるように思っています。

  • 2010/01/24(日) 16:44:47 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

善悪と言うものは相対的な概念であって、明確なラインが引かれることはありません。もし、その世界の悪を根絶できたと錯覚しても、その世界により高度な精神世界があれば、そこにはすでに善悪という概念が生まれる素地がある。

人間には、絶対的な善悪などないのではないでしょうか。常に相対的です。

ですから、あくまでも人と人、民族と民族、国家と国家、のような分類の中で我々は客観的な知識を蓄えなければ判断できません。
そして、今私たちは、このネットと言う世界である程度、客観的な事実を知ることが出来る。それこそが善悪の基準となるものです。
もし、他国に日本より善と判断されるものが多ければ、その国は相対的に日本より善であるし、逆ならば悪と判断できる(あくまでも相対的に)。

そういう見地から判断して、私はこの近代史の中での特亜とよばれる国々を善だと思うことはありません。
相対的に、日本の立場が善であったと判断できはしないでしょうか。

  • 2010/01/23(土) 16:04:49 |
  • URL |
  • 杜若 #-
  • [編集]

お言葉に甘えて・・

コメントをしようとしたら、禁止ワードとかで送信できませんでしたので、私のブログにUPしてお知らせします。もう・・私は偏執狂状態です(笑)さすがに・・自己嫌悪ですので・・・・
とりあえず・・
http://boyaki-555.at.webry.info/200908/article_4.html

  • 2009/08/15(土) 21:08:29 |
  • URL |
  • 葵 #cwJ6o44Q
  • [編集]

通りすがりさん、mugiさんへ

>通りすがり さん

考えさせられるコメントをありがとうございます。
「理想が高邁なほど闇が深い」というのは、上手い表現ですね。
矛盾を抱えながら生きるのがサルならぬ人ゆえなのでしょうが、その矛盾を理解して生きるのと、全く気付かず生きるのでは違ってくるでしょうね。

>mugiさん

コメントありがとうございます。
私はこのコラムをどうも単純に捉えてしまっているのかも知れませんが、キリスト教の「原罪」という命題についてはあまり主題ではないような気がします。

私の単純な捉え方では、善悪二元論に陥ることの危険について語った対談、ということですね。

>もちろん後者が優れていると確信しています。その点で山本も同じなのであり、日本の「恥の文化」を恥ずかしく見ていた。

いや、私が読んでいる範囲で判断する限り、そんなことはないと思いますが。

山本七平は、優劣をつけているわけではなく、それぞれの長所・短所を述べているだけだと私は受け止めてます。
(もちろん、日本の短所に、より厳しい指摘を行なっているきらいはありますが。)

それはあくまでも欧米と日本を比較したに過ぎず、優劣をつけるためのものではなかったと私は考えております。

>よく魔が差す、人の心には魔物が住むなどの表現から、日本人が内なる「悪」に無自覚とは思えませんけど。

う~ん、確かにそういう表現はありますが、そこには「他者に罪を転嫁したという意識はない」のでは?
むしろ、その意識を助長する「言い訳」としての表現と見ることもできなくないような気がします。

  • 2009/08/14(金) 23:43:47 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

恥の文化

先日は拙ブログ記事を引用頂き、有難うございました。

 なるほど、クリスチャンらしく山本は原罪を語っていますね。人は皆罪人であり、凡夫と見なす仏教とは意味合いが異なる。『菊と刀』でベネディクトは日本を「恥の文化」、欧米を「罪の文化」と定義しましたが、もちろん後者が優れていると確信しています。その点で山本も同じなのであり、日本の「恥の文化」を恥ずかしく見ていた。この書について私も以前記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/6103901f39e7eec884bec0bcf9e856ff

 ただ、同じ一神教でもユダヤ、イスラムには原罪はあまり見られず(それがある宗派もあるかもしれませんが)、その点でキリスト教と異なります。異端と断罪された人々がどうなったのか、山本は触れないのでしょうね。
 よく魔が差す、人の心には魔物が住むなどの表現から、日本人が内なる「悪」に無自覚とは思えませんけど。これはブログネタになりそうです。ただし、批判的見解になりそうですが。

  • 2009/08/12(水) 22:56:43 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

一言

大昔に‘人間とサル’という本を読んで、愛が深いほど憎しみも強くなるという一節に深く共鳴したことがあります。
理想が高邁なほど闇が深いということにもつながるでしょう。
自分と同じく人も愛や理想を持っていると考えていくと、最終的に色即是空へ行き着く。
しかし、観念として色即是空が正しくても、愛を捨て理想を持たず人に譲る生き方が正しいとは言えない。生を全うすることにならないからです。
空と知りつつ色に生きる。その覚悟があるかないかが、人としての格の分かれ目だと思います。
もしかすると、今の日本人はその点でとても幼いかもしれない。先が危ぶまれます。

  • 2009/08/12(水) 13:27:58 |
  • URL |
  • 通りすがり #-
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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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