一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

聖トマスの不信【その1】「事実論」と「議論」の違い

前回の記事「仮に天皇制が廃止されたとしたら、どのような混乱が起こるか?/フランス革命と第一次ユダヤ戦争を振り返る」の続き。

前記事の終わりに、次回は天皇の政治利用について、山本七平の記述を紹介していくと書きましたが、今回「ある異常体験者の偏見」の中からご紹介する「聖トマスの不信」はいろいろと参考になる記述が多いので、天皇の政治利用以外の論点にも触れながら、一章まるごとを最初から最後まで何回かに分けながら引用して行きたいと思います。

取りあえず今日は、「事実論」と「議論」の違いについて書かれた箇所をご紹介します。

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平

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◆聖トマスの不信

新井宝雄(註1)の反論が載った号の目次に「論争の愉しみ」という通し題がついていたが、大変に良い表題だと思う。

(註1)…毎日新聞の編集委員。著書「ある異常体験者の偏見」は新井氏との論争を一冊の本にまとめたものである。

万人は万人考え方が違うのだから、もし論争というものが起らなければ、起らない方が異常なはずである。
論争があるということは、人も社会も正常である一つの証拠であろう。

論争をするということは、自分の「考え方・見方」は改めうる可能性があることを、相互に前提にしているはずである。
そうでなければ論争自作が肺活量の問題になってしまう。

だがこういう論争と「事実の探究」は、はっきり別である

一つの「事実」があったかなかったかという問題は「証明」の問題であって、もし論争が起りうるとすれば、その証明方法が正しいか否かという点、すなわち証明の過程の検証に関連してのみ起ることで、「考え方・見方」の差によって、一つの事実が現われたり消えたりするわけではない

従って「事実か否か」の検証にまつわる議論を、一応「事実論」と名づけると、この「事実論」と「議論」とは全く別であり、この両者は絶対に混同してはならない――とするのが議論の前提であろう。

実は、後述するように「軍人的断言法(註2)」は、この二つを故意に混同することによって成り立っているからである。

(註2)…山本七平が作った造語。即ち「判断を規制していって命令同様の一種の強制力を発揮する言い方」を指す。
過去記事↓参照。
・アントニーの詐術【その1】~日本軍に「命令」はあったのか?~
・アントニーの詐術【その3】~扇動の原則とは~


この点で私は、『諸君!』に連載している『百人斬り競争』の究明と、新井宝雄氏との論争は、全く別のものと考えている。
前者はいわば「事実論」であり、後者は「議論」である。

前者の「事実か?」「新聞記者の創作か?」という問題の探究は、もちろん、探究する人の思想・信条等とは一切関係ないことである。

百人斬り競争』を「事実」とする人間は平和的・進歩的・友好的人種で、「虚報」だとする人間は、保守反動の軍国主義者だ、などということはもちろんありえない

要は事実か虚報かという問題だけである。

従ってこの問題そのものは「究明」の対象であっても、「討論」の対象ではない。

従ってもし、何らかの脅迫的方法で「事実」でないことを「事実」だといわせようとし、また「虚報」だと証明しそうな者に、罵詈讒謗や中傷やいやがらせでそれをやめさせようとする者がいれば、それは拷問をつかって虚偽の自白や証明をさせた特高的人間と同じはずである。

鈴木明氏が『百人斬り競争』の究明をはじめた瞬間に、差出人が「本多勝一、警視庁捜査第三課柿崎純三」という連名の妙なはがきが来た。

もちろん差出人が御本人かどうか知らないが、さまざまな悪口と共に「なぜそんなことをするのだ」お前のような奴は「あとは死あるのみ」だと書かれていた。

このはがきを見た瞬間、私は、「ははあ、やっぱり創作記事だな、そして先方も内心ではそう思っているんだな」と感じた。

おそらく差出人は、私と鈴木明氏が連絡をとっていると思ってのことであろう。
私は鈴木氏には、今年の五月の「大宅賞」授賞式ではじめてお目にかかったので、当時は全く面識はない。
またまことに非常識な話なのだが、私はまだ文藝春秋を訪れたことがない。

まことに失礼をしているとは思うが、どうも出不精は徹底してしまったらしい。
そういう事情があるので「この見方にはひどい疑心暗鬼があるな、内心では事実と恩っていないな」と感じた。

内心そう思わねば、こんなはがきをよこすはずはないし、本当のことを証言されてはこまると思わなければ拷問的方法などとるはずはないからである。
実はこのはがきが、『百人斬り競争』を取りあげた発端の一つだった。

以後、こういう手紙はずいぶん来た。

半ば組織的らしく、ガリバン刷りのものまであり、また差出人が「『諸君!』編集部内部告発者」などという面白いのもあった。
これらが来ると、私の事務所では、みなで面白がって読み、さまざまな推理をしてたのしむ。

しかしそういう手紙を何千通送りつけても、それによって「虚報」が「事実」になるわけではない

「事実」を究明するということはその人の思想・信条・宗教的信仰等に一切関係がない――という原則は、実は「聖書学」という学問の原則なのである。

聖書学というのは、語弊がある言い方だが「エジプト学」とか「日本学」とかいったような総合的科学であって、これが語学・史学・考古学・史料学・古文書学・地理学・思想史等々にわかれ、世界的規模で大発掘をやり、また時には電算機やカーボン14法まで使って、あらゆる面から聖書の世界を究明しようとする学問、「二十世紀で最も進んでいる科学は原子物理学と聖書考古学」といわれるほど進歩している学問である。

しかし日本ではほとんど知られていないので、「キリスト教書」の出版社と「聖書学図書」の出版社を、区別してくれないのが現状である。

しかしこの世界こそ、思想・信条と「事実論」とを絶対的厳密さをもって峻別しておかないと、聖書学という学問自体が成り立たなくなってしまう

たとえば発掘によってある「事実」が出てきた。
もしだれかが「私は私の宗教的立場から、それを『事実』とは認めるわけにはまいりません」と言ったら、その瞬間、この学問は消えてしまうからである。

もっともすべての学問は、結局は同じことで、「私は私の政治的立場(もちろん「思想的立場」でもよい)から、それが『事実』でも『事実』とは認めるわけにはいきません」といったら、その瞬間に、その学問は消え、政治的・宗教的プロパガンダになってしまうはずであり、これはまたすべての報道機開にも適用される原則のはずである。

少なくとも西欧では、聖書学は、以上の危険が最も大きい学問なので、逆に、「事実論」に思想・信条・宗教的立場が絶対に入ってはならない、という点で神経質なぐらい峻厳になる。

無理もない。
彼らの対社会的問題は、ここに集約されてくるからである。

そしてダイスマンが西洋古典学の方法を聖書の研究に導入して以来、彼らは実に長い戦をつづけつつ、一つの原則と方法論とを確立してきた。

日本ではキリスト教伝統というものがないから、「聖書学」の本はあまり売れないかわりに、罵詈讒謗の手紙もあまりこない。

だがこれがいわゆるファンダメンタリストの多いお国では、なかなか大変な面もあるらしい。

死海写本』の訳者の新見教授は有名なマイレンバーグ博士のお弟子さんだが、留学中、毎朝起きるとすぐ同博士のところに行って、夜のうちにだれかが博士邸にはりつけた「マイレンバーグは悪魔の手先……」といったポスターをはがすのが日課だったそうである。

同教授はこれてアメリカの悪口やスラングを研究されたそうで「その研究の方が権威?」と冗談を言っておられた。

私自身は今まで余り経験はなかったが、今回『百人斬り競争』の究明で大分似たものをいただいたので、新見教授のまねをして研究させていただいた。まだ到底「権威?」とはいいかねるが、大変に面白い点もあるので、いずれ資料として利用させていただこうと思っている。

「事実論」は、その人の思想・信条に関係ないという行き方は、そう言ってしまえば当然とはいえ、時には私などにも非常に不思議に見えることもある。

たとえば、エルサレムの有名なドメニコ会聖書学研究所などで、高名な学者である神父さんが、写本断片――と一口に簡単にいうが、これが、くちゃくちゃに破いて丸めて屑龍にすてた新聞紙を二千年間砂漠にさらしたような惨状のものもある――を整理し、一片一片をつなぎ合わせて穴だらけの一ページをやっと復原し、写真にとり、活字転写版を作るという作業を、昔の修道僧通りに一生黙々としてやっている――だがその中から、カトリックニ千年の伝統的教義をひっくりかえすものが現われて来ても不思議ではないのである。

そして今まてもずいぶん、センセーショナルな報道が、外国紙をにぎわした。
しかし何か出てきても「事実」は「事実」で、神父さんは黙々と作業をつづけている。

これは日本でいえば、宮内庁に発掘部というのがあって、どんなセンセーショナルな報道が新聞をにぎわそうと、その職員は生涯ただ黙々として仁徳天皇陵の発掘をつづけている、というに等しいからである。

もっとも、天皇陵とさらに似たケースをあげれば、ヴァチカンのサンピエトロの地下の発掘いわゆるペテロの墓の発掘である。
ルドウィヒ・カース博士による発掘でペテロの墓廟の一部と、二世紀の信徒の掻き文字――簡単にいえば巡礼たちの落書で「ペテロよわがために祈れ」とか「わがために取りなしを」といった稚拙な文字がほとんどである――が発見され、一部の成果はすでに公刊されている。

朝日新聞のローマ特派員の記事に、ヴァチカンはペテロの殉教の地に建てられていると書かれていたが、これは誤りで、発掘によればやはり、エウセビオス以来の伝承通り墓の上で、殉教の地の上ではない。

殉教の地は伝承によればネロの宮殿のあったパラティン丘であってヴァチカン丘ではない。
だがいずれにしても、こういう種類の発掘は日本ではむずかしいであろう

なぜむずかしいのか。

あらゆる点からみて、日本では、どっちの方向を見ても、「事実論」は「議論」でなく、「事実論」は「その人の思想・信条とは関係ない」という状態は、当分、望めそうもないからである。

何しろ、『百人斬り競争』のように「なかったこと」が「あったこと」になるかと思えば、増原長官の辞任の弁(註3)のように「あったこと」が「なかったこと」になってしまうからである。

(註3)…防衛庁長官であった増原惠吉が昭和天皇への内奏において、昭和天皇から戴いたお言葉を新聞記者に漏らしたことがキッカケで天皇の政治利用と批判を浴びて辞任する羽目になった。その辞任の際、増原長官は「天皇陛下から国政に関する御発言があったという事実は一切ございません」と以前本人が新聞記者に話した内容を否定したことを指す。以下HP↓参考のこと。

・増原内奏問題(wiki)
・「天皇のご発言の政治利用」に関する二重基準


おそらく同じ精神構造から出ていることであろう。

「事実論」は思想・信条には関係ないから、「事実論」を思想・信条を基にして批判してはならない――という原則は、やはり新約聖書の時代からあるのだと思う。

というのは「トマスの不信」という面白い話が出てくるからである。

(次回へ続く)

【引用元:ある異常体験者の偏見/聖トマスの不信/P132~】


考えてみれば、沖縄戦の教科書の記述を巡る騒動一つとって見ても、多くの日本人には、依然として事実の究明を行なうための「事実論」が行ない得ないまま…といって差し支えないのではないでしょうか。

政治的立場で「事実の認定」を歪めることを、ロマン・ロランは”最大の不正”としましたが、この”不正”が如何に人々の判断を誤らせ災厄を招いてきたか。

そのことに気付き、そうした誘惑に陥らないことが、先の大戦の反省をするということのはずなのですが…。
残念ながら、戦後も依然として同じ轍を踏んでいるようです。

それはさておき、いよいよ次回、「聖トマスの不信」について書かれた記述部分を紹介してまいります。
ではまた。


【関連記事】
・仮に天皇制が廃止されたとしたら、どのような混乱が起こるか?/フランス革命と第一次ユダヤ戦争を振り返る
・アントニーの詐術【その1】~日本軍に「命令」はあったのか?~
・アントニーの詐術【その3】~扇動の原則とは~
・人はみな「選択的良心」の持ち主である。

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コメント

管理人のみ閲覧さま

管理人のみ閲覧さま

お気遣いいただきましてありがとうございます。
あちらでは、特にお答えせずにスルーしてしまって済みませんでした。
不快になるなんてとんでもない。おかげで助かりました。

また、誤字のご指摘ありがとうございます。
早速訂正させていただきます。
ただ、誤字ではないかとご指摘いただいた「信徒の掻き文字」は、原書にあたってみましたが、誤字ではありませんでした。たぶん、粘土板などに”掻いた”ことを指しているのではないでしょうか。

色々とコメントありがとうございました。
意見の相違はあれど、これからもよろしくどうぞ。

  • 2010/05/26(水) 23:47:42 |
  • URL |
  • 一知半解 #-
  • [編集]

管理人のみ閲覧できます

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  • 2010/05/26(水) 19:45:37 |
  • |
  • #
  • [編集]

sv400s_dracinさんへ

sv400s_dracinさん、コメントありがとうございました。
レスが大変遅くなってすみません。

また、TBもありがとうございます。
ハイチの震災は、地震国に住む我々にとって他人事ではありませんよね。
現地では、治安も悪化しているとか…。
こういうニュースを聞くと、世の中とはつくづく不条理なものだなぁ…と思います。
私もわずかですが、地元の役所を通じて寄付しようかなと考えているところです。

  • 2010/01/17(日) 23:17:28 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

ありがとうございました

>一知半解さん
 「お玉さん」のブログで、お礼をすればよかったんですが、会話の流れが早すぎて…私信ですので、せっかく進行している会話の流れを止めたくありませんでしたので、こちらでお礼申し上げます

>sv400s_dracinさん

>この場合の「アメ」って何か、わからないんだよね

日本のアメは、日朝国交正常化による経済支援です。
アメリカのアメは、金王朝体制維持の保証です。

>中南米以外の国に対して「経済制裁」の効果があったのは聞かないような気がする

経済制裁が成功した事例としては、リビアの核開発放棄が挙げられると思います。
まぁ、リビアの場合も経済制裁だけではなく、空爆とかの武力行使も併用していたと思いましたけど。

  • 2010/01/12(火) 16:06:00 |
  • URL |
  • sv400s_dracin #-
  • [編集]

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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