一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~

前回まで「日本軍の実態」がいかなるものであったか、主に岸田秀の記述を紹介してまいりました。
今回以降は、山本七平の「私の中の日本軍(上)」から、インパール作戦を例に挙げながら日本軍の実態と、その世界を作り上げた「トッツキとイロケ」に関する記述を紹介していきたいと思います。

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■「トッツキ」と「イロケ」の世界

横井さん(註1)が興奮して、思わず「一人斬り」を口走ったときの報道と解説によると、横井さんの手元に「お前なんぞは炊事番で後方にいたくせに……」といった手紙が山積し、それを読んで思わずカッとなって、「俺だって白兵戦をやったんだ」という意味のことを口走ったのであろう、ということであった。

(註1)…元日本兵。太平洋戦争終結から28年目、グアム島で地元の猟師に発見された(wiki参照)。

もっともこの解説が正しいかどうかはわからない。
一見正しそうに見える解説ぐらい危いものはないからである。

しかし、横井さんのところに、こういった種類の手紙が来たことは事実であろう。

私はこれを読み、憂鬱になった。

戦後もう三十年近くたち、戦争に対してさまざまの面での反省も批判もなされたはずなのに、まだこういった手紙が来るのであろうか。

こうしてみると、日本軍のもっていたあの病根とも宿痾とも病的体質とも先天的奇形ともいいたいあの体質がまだ残っているのか、いや、これは単に旧軍人に残っているだけでなく、もっと根の深い民族的体質なのではないか、といった感じである。

これは私にとっても実にいやな思い出だからである。

炊事番への蔑視は、大きく考えれば補給の、および後方業務への軽視、同時にそれに従事する者への蔑視である。

輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ・トンボも鳥のうち」とか「輜重輸卒が兵隊ならば、電信柱に花が咲く」といった嘲歌が平然と口にされた日露戦争時代から太平洋戦争が終るまで、一貫して、日本の軍人には補給という概念が皆無だったとしか思えない

確かに百人斬り」が戦争の実態として通る世界には、補給という概念が入る余地はない

このことは大きく見れば、戦後有名になったインパール作戦(註2)における牟田口司令官小畑参謀長の対立にも関係する。

(註2)…インパール作戦とは、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され6月末まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。 補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、歴史的敗北を喫し、日本陸軍瓦解の発端となった(wiki参照)。

輜重出身で補給の権威といわれた小畑参謀長はあくまでインパール作戦に反対する。
これに対して牟田口司令官小畑参謀長を罷免しても作戦を強行する。

事実かどうか知らぬが、これに対して小畑参謀長は「神がかりの司令官の下では云々」の一言を残して去ったという。
これを関いて歩兵出身の牟田口司令官が何と言ったか知らないが、おそらく腹の中では「フン、輜重あがりの腰抜けめ……」と呟いたであろう。

こう書いて来ると牟田口司令官が異常な人間のように見えるが、私の知る限りでは、当時は、いやおそらく今も牟田口司令官のような型が普通で、小畑参謀長のような人は例外だったのである。

日本人でなければ、読んだ瞬間に「物理的に不可能」と感じられる「百人斬り」が事実で通り、これを報ずることが大いに意義ありと信じられ、それを否定する者が常に「非国民」にされる世界とは、いわば「神がかり」が主導権を握る世界であり、それはまた「物理的に不可能」なインパール作戦が「事実」になってしまう世界であり、同時に必ず小畑参謀長が排除される世界であり、またそれは、後方にいるかまたは後方にいると目されている者が、心理的に排除されまいとして、いわば無視されまいとして、異常な興奮とともに「一人斬り」やら「百人斬り」やらをしゃべり出す世界である。

――横井さんは炊事番、野田少尉は大隊副官で軍隊の渾名は「当番長」、向井少尉は歩兵砲小隊長、いずれも白兵戦には無関係の人、すなわち後方にいるか、後方にいると目されている人たちである。

この「神がかり」に対する態度は四つしかない。

「長いものには巻かれろ」でそれに同調し、自分もそれらしきことをしゃべり出すか、小畑参謀長のように排除されるか、私の部隊長のように「バカ参謀め」といって最後まで抵抗するか、私の親しかった兵器廠の老准尉のように「大本営の気違いども」といって諦めるかである。

「バカ参謀」とか「大本営の気違いども」とかいっても、これは単なる悪口ではない。

事実、補給の権威者から見て、インパール作戦を強行しようとする者が「神がかり」に見えるなら、補給の実務に携わっている者から見れば、大本営自体が集団発狂したとしか思えないのが当然である。

彼らの気違いぶりを示す例ならありすぎるほどあるし、またあるのが当然である。

何しろ、狂人でないにしろ「神がかり」が正常視されてその意見が通り、常識が狂人扱い乃至は非常識扱いされているのだから、そうでなければ不思議である。

それがどういう結果を招来したか
悲劇はインパールだけではない。

次はそのほんの一例にすぎぬが、たとえば『聖書と軍刀』の著者、大盛堂社長舩坂弘氏は「福音手帖」という雑誌の対談で次のように言っておられる。

「私の(行った)島は……アンガウルという小さな島でした。そこに初めは日本兵が千三百人いたんですが、食糧も水もなくて、結局ニカ月で百五十人ぐらいしか生き残れなかったんです」

「どうしていたんですか」

「一ヶ月も水や食糧がありませんから、水のかわりになるのは……小便ぐらいのものだったんですが、しまいにそれも出なくなりました。食物はカエルやヘビをつかまえて食べました」。


牟田口司令官が「神がかり」なら、この作戦を強行したものは「狂人」としかいえない。

従ってこういう状態におかれた者が前線から逆に大本営の方を見れば、そこにいるのは「気違いだ」としかいいようがないのである。

実情は、すべてがアンガウル島であった

ニューギニアやフィリピンの戦死者を克明に調べてみればよい。
「戦死」とされているが実は「餓死」なのである

もちろん餓死者は死の少し前に必ず余病を併発するから、さまざまな病名をつけることが可能であろうが、実際は餓死なのである。

アンガウル島では千三百名の九割が餓死で、残る一割が戦死、舩坂氏は奇跡的な生還者だが、ルソン島の「餓死率」もこれに近いのではないかと思う。

従って「大本営の気違いども」といった言葉は、戦後のいわゆる軍部批判と同じではない

彼らがこれを口にしたのは戦争中であり、時には激戦のさなかであって、そこには非常に強い実感の裏打ちがあり、同時に気違いに殺される者に似た諦めがあったのである。

(次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍(上)/「トッツキ」と「イロケ」の世界/P103~】


今回この記述を紹介する動機となったのは、皆様ももうご存知のとおり、ブログ「ねずきちのひとりごと」でインパール作戦を賞賛した記事を読んだことがキッカケでした。

もちろん、ねずきち氏が主張するようにインパール作戦の意図自体は、(後付けとはいえ)インド独立という「崇高な目的」だったかもしれない。
しかし、それはインパール作戦を強行した人間の責任を免罪にはしないのです。
それは、却って責任の所在を不明にする役割しか果たさないのです。

そもそも、単なる「神がかり」状態の人間を、聖人の如く評価することは、まるで「過ちを正しい」と言いくるめるようなものです。

日本人としての誇りを取り戻したい…というねずきち氏の意図はわからなくもありませんが、美談化という「自慰」してまで取り戻さねばならないのでしょうか?

そんなことをせずとも、日本には十分誇りうる歴史があるのに…。

捏造の歴史によって得られるプライドは、薄っぺらい底の浅いものに過ぎません。

自己欺瞞・自己正当化という自慰的「捏造」の歴史を基に誇るのであれば、それはねずきち氏らが忌み嫌う朝鮮人と一体何が違うのでしょう。

ねずきち氏の当該記事のコメント欄で、私のコメントに逆上し、罵詈讒謗を加えてきた人たちの行動は、まさに捏造された歴史を誇る朝鮮人のそれに等しい。

捏造された歴史を吹聴することは、空っぽで虚勢ばかり張るような人間を生み出すばかりです。

それどころか、本来学ぶべきはずの歴史の教訓すら消してしまう。
こんなことで果たして地下の英霊は喜ぶでしょうか?

こう考えてみると、自虐史観はもってのほかですが、自慰史観もそれに劣らない害悪をまき散らすのだな…と今回つくづく感じました。

歴史はありのまま見るという姿勢を貫くことは非常に難しいですが、その姿勢を取り続けようとすることが大切ですね。なかなか大変なことではありますが…。

さて、次回は戦犯容疑者収容所にいた日本兵は、大本営をどのように見ていたのかという箇所の記述について紹介していきます。
ではまた。


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コメント

葵さんへの再反論

葵さんより私論への再反論がありました。対話を期待したのですが、まるで「とっつき」で会話になりません。もって自戒としたいと思います。参考までに、私の再反論を紹介しておきます。「いろけ」をする人ばかりではないとを知っていただくためです。
http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-e4c9.html

  • 2010/04/03(土) 01:34:41 |
  • URL |
  • tikurin #wQAHgryA
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一知半解さんへ

撤退宣言したのに『葵様への返書』だなんて・・・困ったね。
一知半解さんにはご迷惑を承知しつつ、今回だけコメントをお許しください。

『ものいえば・・・・』

http://boyaki-555.at.webry.info/201004/article_1.html

  • 2010/04/01(木) 13:04:13 |
  • URL |
  • 葵 #cwJ6o44Q
  • [編集]

葵様への返書

葵さんからLAST突っ込みをいただきました。なんと、かって山本七平の戦争体験談を駄作と思っていたが「大事だ」と評価されるようになっておいでのようで、その山本の言葉を、私たち(一応「一知半解」さんも共犯ということに・・・)が誤読しているのが悪い、とお叱りをうけました。

 もちろん、私たちが紹介しているのは山本七平であって「自分」たちではありませんから、つまり、私たちのは刺身のツマのようなものですから、より優れた山本解釈が現れれば有難いわけで、葵さんにはよろしくご教示いただきたいと思います。

 そんなわけで、今回はお返事差し上げることにしました。ついては、葵さんも折角のお料理ですので、変な臭気を出さず、上品に召し上がっていただきたいと思います。http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5496.html

  • 2010/03/30(火) 17:08:09 |
  • URL |
  • tikurin #wQAHgryA
  • [編集]

陰口はしない主義

tikurinさま

貴方のコメントを無断拝借して持論を述べました。いつもの揚げ足取り・・・かもね?

http://boyaki-555.at.webry.info/201003/article_3.html

もし私が、貴方のコメントを誤読してる非礼がありましたらお知らせください。

  • 2010/03/25(木) 16:54:22 |
  • URL |
  • 葵 #cwJ6o44Q
  • [編集]

攘夷思想よりディアスポラへの挑戦

ap_09さんへ
 中間がないというより、自己の考えと他者の考えを相対的な関係において捉えることができないということですね。自己の考えはどうしてできているか。それは、その人の素質や育った環境、受けてきた教育(=歴史)などによります。同様に、他者のそれもその人に与えられたこれらの条件によります。このことは民族や国家についてもいえます。
 では、自己と他者の考えが現実問題の処理において対立した場合はどうするか。他者が圧倒的に勝っている場合は、自虐や自己否定に陥る。しかし、そうした心理状態は長くは続かないから当然反発心が生まれる。さらに、それを根拠づけようとすると自己の歴史の優位性を主張するようになる。それが行き過ぎると他者の存在の否定するようになる。
 では、こうした悪循環からいかに脱却するか。それは自己あるいは自民族や国家の存在を歴史的に把握するということですね。というのは、自分はもちろん民族や国家も一種の有機体で独自の根をもって成長しているから、その現在を理解するためには、それが受けた他の文化の影響も含めて、それを歴史的に把握する必要があるということです。
 日本の場合は、中華文明の圧倒的影響下にありましたが、海に隔てられていたおかげで安全を確保でき、独自の文化の根を育てることができました。しかし、中華文明の影響力が圧倒的であっただけに、思想的には、それへの迎合と反発というパターンを繰り返さざるを得ませんでした。
 確かに、かなの発明による国風文化や、器量第一の武家文化や象徴天皇制など独自の文化の根を育てることができました。しかし、中華文明のもたらした仏教や儒教の思想的影響力は圧倒的で、それを自己の文化に取り込もうとする時、これらに対する迎合と反発というパターンの繰り返しから、完全に脱却することができなかったのですね。
 明治になると、その迎合の対象が中華文明から西欧文明に切り替わりましたが、従来の中華文明に対する劣等意識の反動で、中国に対する優越意識を持つようになりました。次いで、西洋文明への迎合が反発に変わり、ついに東洋文明のチャンピオンが日本が、西洋文明のチャンピオンであるアメリカと対決する、という風に民族意識が変化していったのです。
 同様の心理変化は戦後にも見られますね。最初はアメリカ民主主義に対する迎合、それからソ連共産主義、中国毛沢東主義へと次々に・・・。そして、それへの幻滅と反発、再び自己の歴史の正当化からその美談化へと・・・。それが現在の状況ですね。これを放っておくと、再び自己絶対化に陥ることになります。
 では、そうならないようにするためにはどうしたらいいか。それは、先に述べたように、自己及び自民族を歴史的に把握するということです。それができれば、他者の文化も同様に歴史的に把握することができる。その上で、今後自分たちが生きのびていくためには、どのように彼らとつき合ったらいいか冷静に考えることができるようになる。
 優れた中心文化に接ぎ木して生き延びるか、それとも自己独自の文化の芽を育てそれを発展させていくか。それは和魂洋才ということになるが、難しいのは、洋魂洋才が一セットであるということで、洋才だけ切り離して採り入れようとしても、洋魂の影響を免れ難いということです。
 この問題をクリアーするためには、自己の文化を和魂和才一セットで把握する視点を持つことが大切です。つまり、自己の思想形成を歴史的に把握するということです。その上で、洋魂洋才の文化から何を学ぶか。その文化的遺伝子の内どれを、日本文化の新たな創造的発展に取り込んでいくかを考えなければなりません。
 では、具体的にはどうするか。かっての「陸軍パンフ」は「たたかひは創造の父、文化の母である」といい国防国家建設を謳いました。これに対して美濃部達吉は、それは「国家既定の方針」(立憲君主制下の議会制民主主義=洋才)を無視するものであり、「真の挙国一致の聖趣にも違背す」と批判しました。このため美濃部は陸軍の怨嗟を受け、その後天皇機関説問題として糾弾されることになりました。
 この場合、確かに、「文化的創造」も一面「たたかひ」だと思いますが、それが単純に戦争の勝ち負けに還元されたことが問題でした。というのは、すでにこの頃、西洋文明は「戦争を外交の手段」としてそれを合理的に処理する思想を持っていたのです。これに対して軍部のこの思想は「一か八か」の”賭け”の域を出ませんでした。
 結論的にいえば、やっぱり、その思想の”「現実」コントロール能力が貧弱だった”ということですね。西洋文化は、戦争を外交という「国際社会の生き残り競争」の手段としてコントロールするだけの思想的したたかさを持っていたのです。では、日本人はこうした昭和の失敗の教訓から、何を学ぶことができたか。その思想を咀嚼しえたか。
 これについては、否というより、こうした思想を持つこと自体を拒否しているように見えますね。でも、徳川幕府による260年間の平和でさえも、各藩の軍事力を最小限にコントロールする思想によって維持されたのです。では、今日の国際社会はどうか。その平和を「公正と信義」に基づく言葉のみで維持できるか。
 それは、日本の江戸時代もそうであったように、現在の国際社会の平和を維持するためには、国連軍が各国の軍事力をコントロールする力を持たない限り無理だと思います。まして、宗教を異にする各部族、それも自己絶対化に陥りやすい部族や個人が大量破壊兵器を手にする時代の安全保障は、一層複雑かつ困難なものになると思います。
 こうした現実を”見ない”、というより、”逃避する”ような思想では、「たたかひは自虐の父、自滅の母」というようなことになってしまって、せっかく日本人が歴史的に創造してきた独自の文化の根を枯らしてしまうことにもなりかねません。その時は、接ぎ木もさせてもらえず、日本文化は立ち枯れる外なくなります。
 それは、結局、明治維新期に韓国や中国が陥ったような状況を、今度は逆のパターンで再現する事になるかもしれません。小松左京の小説に「日本沈没」と言うのがありますが、これは、日本人には一度ディアスポラが必要だというメッセージだとも言います。日本の若者には、攘夷思想なんかに陥らないで、ぜひ、このディアスポラに挑戦してもらいたいものですね。

  • 2010/03/21(日) 14:13:28 |
  • URL |
  • tikurin #wQAHgryA
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tikurinさん、ap_09さんへ

>tikurinさん

明快でスッキリまとまったコメントをありがとうございます。

確かに、戦争などの極限状態においては、その民族の行動原理というものが、はっきりと露呈してしまうのでしょう。

山本七平はそれを自ら嫌というほど体験したが故に、日本人とは何かを追及し続けたのでしょうね。

私もtikurinさんのように上手くまとめてみたいのですが、元来頭が悪いので引用紹介しているのが分相応だと思ってます。

このやり方だと、受け売りや、布教同然に受け取られるのは当然ですから、一部の人達には反発されてしまうのはある意味、仕方がないですね。

>私にはまだ有用な議論を喚起するに至っていませんが・・・

そんなことはありません。
tikurinさんのブログは、山本七平の考えを理解する上で、非常に参考になります。

また、tikurinさんの主張自体も、理路整然としていて、論旨も明快だと思います。

ただ、(良い意味で受け取っていただきたいのですが、)ちょっと隙がない印象があるかも…。

私のブログが対話を呼び起こしているように見えるのは、単にツッコミ易く隙だらけであるからだと思います…(汗)。

そんな時、tikurinさんのコメントを頂くと、非常に頭が整理されて、あぁ、このことを自分は言いたかったのだ…とよく実感することしきりです。

これからも、アドバイスをいただけますと嬉しいです。
よろしくお願いします。


>ap_09さん

再レスありがとうございます。

現実は確かに、理想どおりには行かないと思います。
プロパガンダが、有効な世界であることも事実です。

言葉が足りなかったかもしれませんが、「愚直に主張しろ」とか「直球勝負に徹しろ」といいたいのではありません。

幾ら、事実を提示しても、相手が聞き入れる態度を取るように、誘導しなければ無意味です。

そのためには、やはり自らの都合の悪い事実も認める態度を示す必要があると考えています。

ユダヤ戦記を書いたヨセフスは、反ユダヤ感情が渦巻く古代ローマ時代にあって、ユダヤ人の代弁者として大活躍した人物ですが、自らの主張に信憑性を持たせるため、ユダヤ人自らにとって恥であるようなこともキチンと記しています。
だから、彼の主張が現代までも読み継がれた。

いずれ、これについても山本七平の記述がありますので、引用紹介したいと考えています。

南京大虐殺や慰安婦問題を考えるとき、ヨセフスの取ったやり方というのは、参考になるのではないか…と考えている次第です。

  • 2010/03/18(木) 23:28:50 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

tikurin 様
自己の絶対視から、その裏返しともいえる自虐や自己否定へと、極端から極端へ振れ、中間が無いということなのでしょうか。なぜそうなるのでしょう、面白いですね。外国の人は、自分が一番の一本調子のことが多いように見えます。

一知半解様
>自らに都合の悪いことでも、是は是、非は非と認められるかどうかという姿勢が必要だと思います。

エントリーに関係なくて申し訳ないのですが、よろしければさらに考えをお聞かせ下さい。
市井で生活を営むことと、思想や科学、学問の追及であれば、より良いもの、理想の追求としておっしゃる通りだと思うのですが、政治や外交では、現実にはそうは行かないのではないでしょうか。

政治も外交も相手に対して如何に優位に立てるだけの力(=暴力・経済力)を保有しているかどうかだけのような気がします。弱いものは支配されるか滅ぼされる危険と常に背中合わせであるのが、残念ながら世界の現実ではないでしょうか。
要は力を持った側に、それを破壊やごく少数の特権者の利益だけでなく、多くの人の共存・繁栄のために供するだけの度量や徳性があるかどうかが、安定した良い社会か、果てしなく殺し合いや奪い合いを続けて行く社会を作るかの違いのように見えます。徳性と言いましたが、『情けは人のためならず』と言う通り、より多くの構成員に力が行き渡り一人一人にその力を増すチャンスや希望がある方が、共同体総体(たとえば国)としての総力が増すから、結果として外敵に対しても優位になり、結果として繁栄と安定を享受できるようになるという意味です。
極端に聞こえるかもしれませんが、こういう意見をどう思われますか。

自己絶対化を克服すること

司馬遼太郎には昭和が書けませんでした。精神衛生上悪いといって・・・。山本七平はその昭和を、戦場の自分自身を語ることでその実相を伝えようとしたのです。それは自虐でも美談でもなく、戦争で露呈した日本人の弱点を言葉(=思想)で克服しようとする試みでした。
そのポイントは”自己を絶対視する思想をいかに克服するか”ということで、そこで、尊皇思想における現人神」思想の思想史的系譜を明らかにしようとしたのです。氏の聖書学はそのためのヒントを与えるものでした。
mugiさんは、浅見定雄氏を山本批判の切り札に援用されますが、浅見氏はmugiさんが最も嫌う”非寛容な一神教”クリスチャンで、思想的には”先鋭な”反天皇制、反元号、反靖国、反軍備、親中・朝論者です。 氏の著書を見ると、氏の意見に賛成なら”できの悪い”生徒でも及第点をもらえるが、その逆なら大変な目にあう、そんな恐ろしさが感じられます。
 この強度のイデオロギー性は教師としては問題ですね。確かに、氏の山本批判(ただし、ベンダサン=山本七平とは言えない)には肯首すべき点もあります。しかし、それを台無しにするものがある。上記の点もそうですが、その論述に憎悪が感じられる点学者としては不名誉だし、クリスチャンとしては致命的です。(同様の指摘は立花隆、小室直樹氏もしています。)
 そのため、氏は、山本七平の「日本人論」の優れた部分が全く見えなくなっている。もちろん、その動機はキリスト教左派(?)の立場からする日本の伝統思想批判ですから仕方ありませんが、これでは自虐どころか自国美化にしかなりません。
 山本七平の日本人論の独創性は、こうした日本人の思想形成における自国否定とその反作用としての自国肯定の非歴史的循環論からいかに脱却するかということ。これを日本思想史の課題として捉えることで、そのベースとなる伝統思想を思想史的に解明することにありました。 
 私が山本七平を紹介するのは、その日本人論が、私たちが無意識的に生きている伝統思想を自覚的に把握し、それを対象化できるようにしてくれたと考えるからで、それが、次の時代の日本の思想的発展を考える際の議論の土台になると考えたからです。
 残念ながら、私にはまだ有用な議論を喚起するに至っていませんが・・・。一知半解さんは、辛抱強くそうした議論の場を提供されていますね。提起される題材もタイムリーです。それが幅広い対話を呼び起こしている理由だと思います。私もこの対話に参加できることを有難く感謝しています。
 なお、浅見氏の山本批判についての総論は以上の通りですが、具体的な各論については、今後私なりにじっくりと時間をかけて検証していきたいと思っています。

  • 2010/03/18(木) 00:24:42 |
  • URL |
  • tikurin #wQAHgryA
  • [編集]

ap_09さんへ

ap_09さん、レスありがとうございます。

確かに主張すべきはキチンと主張することが大事ですよね。
ただ、その際、自らに都合の悪いことでも、是は是、非は非と認められるかどうかという姿勢が必要だと思います。
その姿勢を欠くと、いくら主張してもまったく受け付けてもらえないばかりか、プロパガンダ扱いされてしまって終わりですから。

そういう意味では、慰安婦や南京大虐殺問題への対応というのは、難しいものがありますね。

ap_09さんの仰るように、確かにmugiさんにはそのような面も見受けられますが、それでも彼の批評には鋭い切り口があると思いますし、参考にすべき点が多々あると思ってます。
(ただ、惜しいかな、好悪の感情が入ると途端におかしくなるようですが…)

今回、このような形になったのは残念ですが仕方ありません。

  • 2010/03/17(水) 23:25:04 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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一知半解様

>言語を操る能力というものを鍛えないといけないような気がします。

同感です。人を煙に巻くような演説やレトリックというより、論理思考の方法と、コミュニケーション能力が大事だと思います。自己主張という点では、たとえば朝鮮慰安婦問題でニューヨーク・タイムズの記事に対して、ワシントンポストに日本から反論広告が出ましたが、あの後米国の慰安婦問題に対する嫌日感情に対する風向きが変わって来たようです。やはり主張すべきはキチンとするのが大事なようです。

それにしても、mugiさんや葵さんは特別で、あまりにも下品で支離滅裂ですが、他人を罵倒、中傷して自尊心を満足させる必要がある人にとっては、ウサ晴らしになって楽しいのかもしれません。普通に良識のある人は、まず支持しないと思います。そういう人が寄り集まるような所には近寄らないのが一番です。

人に影響を与えるという点では、人気ブロガーであるねずきちさんの方がよほど怖いものがあるかもしれません。

ap_09さんへ

ap_09さん、レスありがとうございます。

ご指摘のとおりですね。
日本人の議論を見ると、どうも自己と自己の意見が一体化している場合が多いように思います。

この二つを峻別できない。
だから、異論を言われると自らの人格を傷つけられたと思いこんでしまい、その結果、人格攻撃も多用されてしまうのではないでしょうか。

今回、結局のところ、自分も同じ手段を使ってしまったわけですが、こうなるともう泥仕合ですね。

なぜこうなってしまうのかをちょっと考えて見ますと、日本の社会というのがある種以心伝心の世界であるせいも一因かと。

言語に表さなくても通用するということは、言語を通じてコミュニケーションをとることが下手ということだと思うのです。

日本が昔のように、日本人だけのコミュニティならそれでも良いのかも知れませんが、今後、ますます国際化せざるを得ない以上、言語を操る能力というものを鍛えないといけないような気がします。

まとまりませんが、コメントいただいてそのようなことをふと思った次第です。

  • 2010/03/16(火) 21:29:03 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

>本当に建設的・生産的に議論するというのは難しいものですね。

日本人はその集団主義の文化においては、少なくとも私の世代か、より上の大衆のレベルは、議論の仕方を知らないと思います。弁の立つ人がいると、議論ではなく場の雰囲気を醸し出し、雰囲気に飲まれて、理性でなく感情で一体感を求めて行く傾向が強いようです。それを意見の一致と勘違いしているようです。
また議論のための意見・考えを表出すると言う行為は、議論のために討議可能な考えを提供しているにすぎないのに、その“考え”と、それを表出をする“個人の人格”との区別ができず、考えを検討し合う“議論”でなく“人格のおとしめ合い”に堕する泥仕合に陥りがちなのが、日本人の議論の場での特徴です。山本七平氏はそういうことをわかり易く指摘しているのではないかと、私は解釈しています。

戦前の大衆による開戦に対する圧倒的支持もこういう感情的扇動に乗りやすい集団心理があったそうですね。日本人がカルトにはまり易いのも同じ心理ではないかと思います。というのをアメリカに来て自分自身についてよく思い知らされたので、どうやって自己表現するかということも含めて、この点に対して自分を矯正訓練中です。

戦後の教育にはいろいろ功罪があるのでしょうが、この点では、若い世代の人の方が、冷静に議論ができる人が増えつつあると思います。日本の民主主義は成長していると思います。ですから、現在でもまだ難しいかもしれませんが、確実に希望がありますよ。

旧約聖書の「出エジプト記」に、モーセに率いられてエジプトを脱出したユダヤ人が、カナンに入るまで40年もの長きに渡り、荒野をさまよったという記述があります。
曾野綾子氏が聖書のこの部分について、エジプトで奴隷として生まれた世代が死に絶えて、新たな自身を律することのできる、本当の自由人だけのユダヤ人に交代するまで、新天地に入り建国するのを許されなかったと、どこかで言及していました。

つまりエジプトの奴隷世代は、モーセにくっついてエジプトを離れたがために、荒野で、ある意味でエジプト時代より厳しい生活を送らされただけで何も良い目に合わず、次世代を生むための犠牲になったということのようです。非常に厳しく悲しい人間の現実を言い表わしており、とても印象に残ったので覚えています。

日本人についてもそういうことだと思っています。本当に気長でないとだめですね。

ap_09さんへ

ap_09さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

本当に建設的・生産的に議論するというのは難しいものですね。
ネットをやっていてつくづく思います。

まぁ、世の中、そうでない人もいるでしょうから、気長に続けていきたいと思います。

励ましのコメントありがとうございました。

  • 2010/03/14(日) 20:30:14 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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mugiさんへの最後の反論

こちらにはコメントいただけませんでしたが、mugiさんのブログコメント欄で反論を頂きましたので、このコメント欄にて再反論しておきます。

ただ、私も前回mugiさんのコメント欄において最後のコメントとしたこと、さらにmugiさんの要望もあり、拙ブログ上のみ掲載することにしました。

mugiさんの再反論を読んでいて気になったのは、私の意見を主観に過ぎないと決め付ける癖です。

勿論、主観の入らない意見などありえませんが、問題にすべきはその意見に説得力が有るか無いかという点であって、主観の有り無しではないはず。
どうも議論を逸らしているとしか思えない。

もう、ここまで来ると、お互い言いあっていても無意味でしょうから、後は第三者の判断に任せます。

以下、気になった点に個別に反論です。

>そもそも、はじめに山本を読むように熱心に要請したのは貴方に他ならない。

なかなか鋭い切り口のご意見を述べられていたので、どうかな…と思って勧めてみたわけです。
しかしながら、結局のところ、私の買いかぶりに過ぎなかったようですね。残念ながら。

>これが英米の言論界なら、もっと厳しい論調が浴びせられます。互いに言いたい放題であり、お体裁ぶる日本とは違うのは実に羨ましいと思います。

普段、”出羽の守”を批難するmugiさんらしくない「物言い」ですね。

>貴方もtikurinさんも非常に粘着質であり、そのようなタイプほど厭わしい者もない。左右双方のブログで締め出されたのは、その人格ゆえです。つまり、皆からの嫌われ者ということ。

私をコメ禁にしたのは、相手が反論できなくなったからでしょうね。
私は貴方のように相手の人格を攻撃しているわけではないですし、アラシ目的でコメントしているわけではありません。
耳が痛いことを指摘する人間が嫌われるのは、仕方ないことだと諦めてます。

しかし、そもそも粘着質なのはmugiさんご自身でしょう。

私は山本七平を勧めはしたが、mugiさんが受け入れないからといって、過去に貴方のブログまで押しかけて罵倒したことはありません。

今回”だけ”です。

私のブログ上にて、私を罵倒しておいて、反論されるとさらに罵倒を繰り返す貴方こそ、粘着質と判断されても仕方ない。

今回、私は貴方の「やり方」をそのまま踏襲したのです。
つまり、貴方は、鏡に写った自らの姿を嫌悪しているに過ぎないのです。

そもそも、相手が自らの反論に納得しなければ、「自分はそう思わないけれど、そういう意見もあるんだね。」とすれば済むはず。

般若さんが仰るように「納得しなければさようなら。」でいいはずであって、なぜ相手を罵倒する必要がありますか?

それは、すなわち相手を自分と同じ人間として認めず、相手の人格を全く無視しているからに他なりません。
まさに「聖トマスの不信」を認めない態度そのものと言ってよいでしょう。

そういう貴方が、そのことを端的に指摘した山本七平を攻撃するのはある意味当然の結果かも知れません。

それはさておき、私は貴方がご自分のブログ上や葵さんのコメント欄で私のことを罵倒しようが、自分の庭を荒らされない限り、やり返すことは無いでしょう。

それは、あなた方に何を言ってもムダということがはっきりわかったからです。

幸い、私のブログには出向かないと仰っていただけたので、今後、私もこうしたコメントをせずに済みそうです。

こうしたやり取りは、仕方ないとはいえ、気分が良くないものですからね。

なにはともあれ、これで私の反論を終わります。
長らくお付き合いいただきありがとうございました。
では、失礼。

  • 2010/03/14(日) 20:15:39 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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こんにちは。
直接エントリーに関係ないコメントですみません。

なかなかよくわからないのですが、最近発見したのは、極左翼も自称保守派の中にも、宗教的信仰に近い懲り固まり方で、排他主義になって、異なる見解の者は抹殺してしまえの方向に走る傾向があるようです。カルト的ということではどちらも同じですね。その行動様式は、いわば共産主義とソックリ、全体主義のように見えます。私は知らないことを知りたいだけなのですが、相手が全体主義者だと、コミュニケーションは成立しないようです。

ねずきちさんは美談がお好きなようですが、赤線復活=女性の人身売買復活に賛成、朝鮮人は無差別に日本から追い出せ(スパイ活動や破壊活動するような人はもちろんそうすべきですが、そうでない普通の人もおいでです)なので、びっくりして読むのを止めました。

mugiさんは本当に文章がお上手で、一時本気で尊敬していたところもあるのですが、もとはといえば、私が「海外ニートさんはあなたの思っているような人じゃないよ」言ったところから、海外ニートさんのことも含めて中傷合戦、彼にとっては私も海外ニートさんも唾棄すべき人間になってしまったようです。
でもまぁ、罵倒の内容が本当じゃないなら気にする必要はないので、それはそれで結構なんですが(葵さんの反応も含めて、なんだか魔女狩りか文革みたいでした(笑)。葵さんのおっしゃるように医者でハデに遊びまわっているような人は私は知りません。ほとんど皆ワーカー・ホリックです。日本では1週間40時間労働とすると、一月大体150~200時間ぐらいの残業が普通です)、mugi さんはキリスト教にそういうところがあるというご自身の批判とそっくり同じ、カルト的狂信的な決めツケで人を罵倒、排他するのがお好みのご様子と発見しました。私は伊藤野枝が奔放でわがままなところがあったとしても(この批評も正しいかどうかは疑問です)撲殺されて遺体が井戸に投げ込まれるという残酷な殺され方をして当然という見解には、ドン引きしてしまいます。イデオロギー以前の問題だと思います。

一知半解さんは良識をわきまえられた方のようなので、今後も頑張って下さい。最近も冴えていらっしゃいますよね。御記事を楽しみにしています。

mugiさんへ

mugiさん、レスご苦労様です。

まず、最初におことわりしておきますが、今回の泥仕合に至るキッカケは貴方から始めたことであることは改めて指摘しておきます。

私はなるべく、議論に対して反論しようと常に心掛けております。
自分の方から「相手の人格そのもの」に対して攻撃を始めたことはないつもりです。

実際、過去の経緯を振り返っても明らかですが、貴方がまずレッテルを貼り始めた。
確か、私の過去記事やmugiさんのブログ記事上で、貴方がtikurinさんと論争した頃(去年の夏頃?)ですね。

私の過去記事コメント欄にも載っていますが、貴方のコメント欄では、tikurinさんのコメントは削除されてしまったのもあるはず。(都合が悪くなると、削除するのは左翼と同じ手法ですね。)

幸い、tikurinさんがあなた方との論争について、下記HP↓にまとめてサルベージしてくれていますので、リンクを貼っておきます。

・「山本七平」学のすすめ/論争編
http://www7b.biglobe.ne.jp/~sitiheigakususume/goroku_ronsou.html

貴方は見事にtikurinさんに論破されてましたが、それ以来、tikurinさんに対して人格攻撃するだけにとどまらず、私に向かっても暴言を吐くようになった。

しまいには私のことを「カルト」呼ばわりまでする始末。
これでは私も黙ってられませんよ。

私のコメントに怒ってらっしゃるようですが、私のコメントは貴方ご自身の攻撃姿勢の「鏡」に過ぎないのです。
私は貴方が吐いた唾を、吐き返しているだけなんですよ。

私が貴方にレッテル貼りをやめてくれ、と抗議しても、今回のレスにもあるように、「左翼の泣き言」扱いして開き直る始末。

人を不当に辱め、それに”追い討ち”を掛けて恬として恥じない。
自己正当化にも程があります。

本当に、貴方という人は、異論に対して狭量かつ傲慢極まりない人間だと思わざるを得ません。

以下、頂いたレスに対して個別にお答えします。

>そもそも、山本の「中心テーゼ」とは何を定義するのでしょうか?

それは、結局山本七平が何を主張したいのか、ということです。

「聖トマスの不信」で言えば、この不信を表明することの大切さ、そしてこれを認めないことが二重の虚偽という状態をもたらす危険につながることを、彼は言いたいのだろうと私は考えます。

貴方はこの「中心テーゼ」には用心深く絶対に触れず、聖書の引用が間違っているからおかしいとか、米国やユダヤから資金を貰っていたのではないかとか、枝葉末節の周辺ばかり指摘し、似非文化人であると断言するばかり。

>少しでも想像を働かせれば察しは付くはず。同時に貴方自身も、山本が米国やユダヤから全く資金提供を受けていなかったという、ハッキリした根拠は示せないでしょう。

幾らなんでも、開き直り過ぎです。
貴方は証拠も示せないくせに、他人を「似非文化人」呼ばわりしているのですよ。

>左翼がよくやる手段に、旗色が悪くなると相手のメンタル面を攻撃、「強迫神経症」「脳内妄想」と相手の人格を貶める手段を弄す。

それは貴方が先に始めたことでしょうに。
私のことを「カルト」呼ばわりしたのは貴方だったはず。

>コメ禁を喰らったからと、貴方自身が飽くことなく“ファン”と村野瀬さんへの悪口と恨み言、揶揄を繰り返しているのと同じですよ。

私の場合、アク禁・コメ禁されているので、批判の場がないのです。

それに対して貴方の場合は、私のブログコメント欄が解放されているのにもかかわらず、陰口で批判するばかり。

ヘタレと言われても仕方ないのでは…。
一緒にしないでいただきたい。

>、「「自慰史観」とは私の造語ですが」と断言しつつ、葵さんにこの件を追求され、「私も自分のオリジナル造語だと主張するつもりは毛頭ありませんので、今回の発言は撤回させていただきます」と、”逃げ”を打った。これも実に不誠実かつ欺瞞にみちた回答です。

確かに軽率な言葉でした。
軽率だったことに対する批難は幾らでも甘受しますが、私は貴方と違って開き直るような見苦しい真似はしたくないのです。

間違いは間違いだと素直に認め、撤回する。
私はそのように心掛け、行動しているに過ぎません。

>確かにどの点が有害か、「具体的に」指摘するべきでしょうけど、そのテーマだけで延々と続くし、他に書きたいモノも書けず飽きてしまうので、今のところやるつもりはありません。

それは非常に残念です。
あれだけ「似非文化人」呼ばわりしておいて、それは余りにも無責任極まりない姿勢じゃないでしょうか。
まぁ、貴方にもご都合があるでしょうから、無理強いはしませんけどね。

>少なくとも貴方のブログで、山本の間違いを率先して挙げたのを私は見たことがありません。

例えば、下記記事↓で次のように指摘したこともありますが。お見過ごしでしょうか?

>いや、なぜレイシズムが存在するのか?これは多人種国家の宿命であろうか?

>そうはいえまい。
>南米の多くの多人種国家には、レイシズムはないといわれるから―。(註3)

>(註3)…アメリカ社会において現れる「現象」としてのレイシズムという意味だと思われる。ただ、南米に人種差別がないのか?と言われればそんなことは無いのではないかと私は思う。<


・レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-274.html

>山本批判の意見を押し付けないでほしいと要求しつつ、己は方々のブログを巡回して自分の意見を押し付ける自己中心主義。

不当かつ不適当な山本批判はいただけない。と言っているだけですよ。
批判するなら、納得できる理由を示せと要求しているに過ぎない。

それに「押し付ける」も何も、私は相手が山本七平の意見に頷かなくても、貴方のように相手を罵倒し始めたりしていませんが。

普通、「押し付ける」というのは自分の意見に従わない相手を”罵倒する”ことを言うのではないでしょうか。
そのような貴方に言われるのは非常に心外です

>単なる日本人批判だけならまだしも、貴方のブログ記事を見るほど、日本国民に贖罪意識を植え付ける意図があるように感じられます。

どこに贖罪意識を植え付けるような意図があるのでしょう?
貴方には、「反省」と「贖罪」の違いもわからないようですね。

>自分が感銘しても他人も同じとは限らない、程度が社会人でも未だに分からないのですか?

それぐらいは私にもわかります。
ただ、貴方ほどの聡明なブロガーが、まさか理解できないとは思わなかった。

これは、正直な感想です。
聡明な人間でも目が曇ることはあることを、再度確認する機会を与えていただきありがとうございました。

>貴方は自身を単純だと何度も書いており、読解力に疑問があることを認めていた。単純な人間ほど宗教に入れ込みやすいのです。

貴方もいい加減、そのように相手を決め付けるやり方はおやめになったらいかが?

私は別に山本七平そのものを崇めているわけではないことは、ブログを見ていただければ明らかだと思いますけど。

>そんな貴方自身、浅見定雄をロクに読まないで批判するという自慰記事を書いていた。

それはこれ↓のことですね。

・サンヘドリン規定「全員一致の議決は無効」一考/~浅見定雄の山本批判に妥当性はあるか?~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-204.html

今思えば恥ずかしい限りです。
しかしながら、上記記事については、次の記事↓で自らの誤りを認めておりますが。

・あらためて自分の一知半解ぶりを反省する。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-208.html

人間誰しも間違いはあります。
これは仕方がない。
しかし、問われるべきは間違った後の行動でしょう。

その点について、私は自ら間違いと思ったことは、率直に誤りを認めてきたと自負しています。

それに対して、貴方の意見は、私に誤りを認めさせる根拠が希薄なのです。

そして、貴方は自分の意見に反論されると決まって相手の人格を揶揄する発言をし始める。

私以外の人間に対してもそうです。
つい最近も、ap09さんを罵っていましたね。

貴方こそ、自分の意見が絶対だと思っているとしか思えない。
反論に対して、真摯に対応せず、相手の人格を攻撃してやまない。
挙句の果てには、レッテル貼りそのものやっているにもかかわらず、「泣き言を言う」とまで逆切れする。

貴方の知的レベルは認めますが、惜しいかな、肝心の人格がそれに追いついていないようだ。

繰り返しますが、貴方は山本七平本人を「似非文化人」呼ばわりし、彼の意見を支持する私を「カルト」呼ばわりしているのです。

それほどまで主張するなら、貴方には、その理由をはっきり示す責務があるにも関わらず、揚げ足取りとしか思えない理由しか示さないし、他方では全否定したつもりはないなどと逃げを打つ。

「似非文化人」とか「カルト」呼ばわりして、よくまあ、全否定していないといけしゃあしゃあ言えるものです。

相手の人格すら否定しておいて、なにが「全否定じゃない」…ですか。
不誠実さにも程があります。

>私は貴方と違い、つまらないと思った相手とは議論を続ける気にはなれません。

私もありませんよ。
ただ、人の人格を不当に貶めるような貴方の無礼な言動には厳しく反論していく。

貴方が私の人格を攻撃すれば、それに返すだけのこと。それだけのことに過ぎないのです。

こちらだってこんな泥仕合したくはありません。
自らの名誉を守るためにやっているだけに過ぎないのです。

>他人の言葉の受け売りをする者ほど、頑なで自分の誤りを認めないと言った人がいます。

前述したように、誤りを訂正することにやぶさかでない私には当てはまらないですね。

随分と貴方のブログを拝見させてもらってますが、まともに自分の誤りを認めた記述を見た記憶がありません。

むしろ、反論には人格攻撃、そしてあるときは削除までしていた貴方にこそ、当てはまるのではないでしょうか。

長々と答えてしまいましたが、私自身にとっても貴方との泥仕合は残念でした。
しかし、自分から始めたことではないので、その点については悔いはありません。

私のブログにおいでになれば相手することもあるでしょうが、貴方のブログに出向くことはないでしょう。
(あるとしたら、TB打つぐらいか。)

もうこれ以上、応対しない方がお互いの為かと。
mugiさんもブログ更新頑張ってください。
一読者として愛読していくつもりですので。

それでは、失礼。

  • 2010/03/12(金) 22:35:59 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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葵さんへ

葵さん、トラバできないのは私にもわかりません。
なにも制限してませんけどね。

一応、貴方の記事のリンク↓を貼っておきます。
これでご容赦あれ。

・私信>一知半解さん
http://boyaki-555.at.webry.info/201003/article_2.html

  • 2010/03/12(金) 22:26:59 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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再度挑戦

どうやら私のURLが対象かも?(爆

  • 2010/03/12(金) 16:46:03 |
  • URL |
  • 葵 #ckuSEtt2
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お言葉に甘えてTBしたのですが
英数字の比率が大きすぎるためスパムと判定されました。」とはじかれました(嗤)

  • 2010/03/12(金) 16:40:49 |
  • URL |
  • 葵 #69ZfP.Cw
  • [編集]

私は、山本周五郎の小説を大体読破致しました。そのあとは藤沢周平でしょうか。これも大体読破したはずです。でも、大分前のはなしになりますが。

どちらにも共通することは、どちらも最初は硬い内容ばかりでしたが、次第と円熟味を加えるにしたがって、ユーモアを加味されるようになったことです。特に、藤沢周平氏はそのことによって作家としてある脱皮をされたとのことでした。

ユーモアが表現できるようになれば文章を書くという行為も、ひとつのステップアップと言えるのかもしれません。

  • 2010/03/11(木) 23:23:47 |
  • URL |
  • 杜若 #JalddpaA
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横槍コメント失礼します。

 見たくなければ見なければ良いし、否定をするならば具体的に否定の材料を提示すればよい。。
 納得しなければ、さようなら。で何も問題ないでしょう。。人それぞれですから。
 公の場といっても、思想や言論は自由ですから各々が責任を持てばそれで済む話です。 
 
 何事も引き際が肝心です!
 
 相手を納得させるためだけの議論は自分の大切な人生を大いに削りますよ!!
 
 

  • 2010/03/11(木) 23:01:32 |
  • URL |
  • 般若 #-
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吉田五郎太さんへ

 再び、とても参考になるご忠告を有難うございました!

 仰るとおりですね。やはり怒りに任せて書くと、刺々しい文面になってしまう。批判するにせよ、『ネタ(芸人のソレ的な意味で)』にするつもりだと、読み手も印象が違ってくると思います。ブログは読まれてナンボのものなので、肩の力を抜き、ユーモア交じりで書く方が断然よいはず。

 言うは易し、行いは…で、私にはとても芸人技のネタはやれそうもありませんが、以後、お粗末な頭に留めるように致します。

  • 2010/03/11(木) 22:11:08 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
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返信 その②

(続き)
>貴方はロクに読んでいないから、わからないでしょうが、山本七平は、日本人の行動を決定付けている(日本人自らがはっきりと意識していない)原理・規範を明らかにしようとしたのです。
>それだからこそ、「山本日本学」と称され、評価されるようになっている。


 山本教徒の嫌らしさは読んだことをひけらかし、自分の意見を押し付けること。だから左右共にソッポを向かれる。まさか職場でも、山本を宣伝しているのではないでしょうね?充分に読んだ人が私と同じく無名の弱小ブロガーなのもお笑い種です。
 身内の馴れ合いが著しい日本の出版会が、まだ儲かりそうな過去のベストセラー作家を持ち上げ、「山本日本学」と讃えるのは当り前ですよ。評価するのも業界人。同時に非難したのは左派文化人ばかりではなく、司馬遼太郎も反感をむき出しにしたと、tikurin氏も書いていた。虚構の権威を有難がるのも左翼そっくり。

>それならば、どの点が現代において有害なのか「具体的に」指摘すべきでしょうな。

 山本に感化された貴方の日本軍批評が典型でしょう。「真実」とばかり、山本の体験談イコール旧日本軍全体と見ている。「何かの側に立つということで、対象と自己を同一化してしまうのは日本人独自の行き方」と山本は書いてましたが、まさにそれを実践している。
 確かにどの点が有害か、「具体的に」指摘するべきでしょうけど、そのテーマだけで延々と続くし、他に書きたいモノも書けず飽きてしまうので、今のところやるつもりはありません。

>山本七平の些細な間違いも否定したことはありませんし、

 少なくとも貴方のブログで、山本の間違いを率先して挙げたのを私は見たことがありません。

>もちろん、精神的に不安定なわけでもありません。

 ネットでは何とでも言える。山本批判の意見を押し付けないでほしいと要求しつつ、己は方々のブログを巡回して自分の意見を押し付ける自己中心主義。先月末頃、貴方は「仕事が上手くいかず…」とブログでこぼしていましたね。その鬱屈を晴らすため、山本を利用して、自分の気に入らぬスタイルのブログに噛み付くのですか。杜若さんが書かれた通り、「高尚な社会批判が、実は人間関係のトラウマに起因することが多いことはよくあること」。

>相手の態度を批判しても、それで貴方の主張が正しいと証明されるわけでもない…ということぐらいはわかってますか?

 貴方ご自身、それを自覚していますか?己のことは客観視は無理なので、読者に判断を委ねたいと思います。

>相手を揶揄したり、小馬鹿にするのは楽しいかも知れませんが、それでは単なる「自慰」ですね。
>第三者からみれば、みっともない行為と思われても仕方ないかもしれませんよ。


 全く構いませんよ。貴方と違い、「みっともない行為」を私は恥じないし、貴方を見苦しいと感じている第三者もいるかもしれない。そもそも、カネにもならぬブログ自体が「自慰」に過ぎないではありませんか?私は思う存分「自慰」を楽しむし、それこそネットの醍醐味と考えているから。

>しかし、山本七平の主張を、単なる日本人批判としか捉えられないというのは、貴方のへそ曲がりな性分ゆえなのでしょうが、余りにもお粗末な解釈でしょう。

 単なる日本人批判だけならまだしも、貴方のブログ記事を見るほど、日本国民に贖罪意識を植え付ける意図があるように感じられます。山本に好意的なブロガーさんもキリスト教優位思想が鼻につくと感想を述べていたし、一神教と共産主義は同じ系列の思想だとも言っていました。あのmottonさんも「全てを日本人及び日本社会に持ってきている」と、不快感を表していました。結局は価値観の違いでしょう。
 以前の貴方のコメントでも、「山本を全否定する」との表現を繰り返しており、とかく山本批判には強迫神経症露わになるとしか思えません。山本批判を全否定したい心情と見受けられます。
 
>歴史ブロガーを名乗ってらっしゃるのですから、少しは過去の歴史から教訓を得ることが出来るだろうと思いましたが、

「過去の歴史から教訓を得る」と言う者ほど、歴史を分かっていないとの証明です。歴史に学ぶと言うのは容易でも、どの歴史に学ぶか、その選択が極めて難しいと言ったのは、高坂正堯氏です。時代と状況は目まぐるしく変化し、過去から滅多に教訓を得られなかったのが人類史です。「過去の歴史から教訓」の強調も、マルクス史観を思わせます。

>山本七平の貴重な提言から、貴方は読み取ることが出来ないようですね。

 毎度ですが、それは“信者”だけの思い込みです。そうでない者は必ずしも「貴重な提言」と思わない。それほど優れた識者が、歴史ブログでは全く顧みられない現実を直視して下さい。結局、貴方の意見はそれだけなのですよ。山本の貴重な提言を読め、の長広舌。自分が感銘しても他人も同じとは限らない、程度が社会人でも未だに分からないのですか?
 貴方は自身を単純だと何度も書いており、読解力に疑問があることを認めていた。単純な人間ほど宗教に入れ込みやすいのです。

>ロクに読まないで批判することの愚かさを、自らネット上に晒しつづけるのも貴方のご自由です。

 便利なことに貴方のブログだけで、山本の思想は読めますが、見るほどに疑念が深まる内容でした。そんな貴方自身、浅見定雄をロクに読まないで批判するという自慰記事を書いていた。
 山本は聖書を読むことを勧めていたにも係らず、貴方自身も聖書をまず読まないはず。聖書だけでなく本の解釈や読解力は十人十色という原則をお忘れのようですね。何度読んでも分からぬ者は分からないし、熟読で尊敬を受けることを期待するのは幼稚だけでなく、愚かというものです。貴方自身はその尊大さと愚かさに気付かぬまま、その悪癖をネットで晒し続けることでしょう。

 そもそも、貴方はこの記事に関する反論を全く書いていない。おそらくロクに読まないと見ています。この記事ではユダヤシンパと責めているのではなく、聖書からの的外れな引用を挙げており、記事「日本人のためのアラブ史教科書?」でも、山本の記述の怪しさや詐術を書いている。ロクに読まないで批判するのは貴方自身。『中学生でもわかるアラブ史教科書』(祥伝社)を読んでいますか?
 ただ、この記事と「日本人のためのアラブ史~」共に宗教や中東の基礎知識がない人には、理解がいささか難しいことは認めます。だから、これら記事への反論を全く書けなかった。

>ただ、私のブログにコメントする場合は、それなりのお相手はさせていただきますから、ご覚悟いただきたい。

 たぶん、これが最後かもしれない。これ以上の議論は不毛だし、第一面白くもありませんから。私は貴方と違い、つまらないと思った相手とは議論を続ける気にはなれません。これが私のスタイルだから、仕方ありません。私にとってネットは趣味であり、それ以上の思い入れはない。
 今後もし、貴方が拙ブログにコメントしても、レスをするとは限らないし、場合によっては削除も検討していることを覚悟願います。貴方が左派だけでなく、右からも締め出されたのも、彼らよりも貴方のスタイルが原因です。もう言われる年でもない貴方のスタイルを批判するのは無意味です。名は失念しましたが、他人の言葉の受け売りをする者ほど、頑なで自分の誤りを認めないと言った人がいます。

 貴方にとっても不快な返答でしょうし、互いに感情的になっていますから節度が保てたのかも疑問ですが、ご了承願います。またも泥仕合となりましたが、今後の貴殿のブログの健闘をお祈り致します。

(転載終了)

  • 2010/03/11(木) 21:52:41 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
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返信 その①

こんばんは、一知半解さん。
拙ブログ記事への反論コメントを有難うございました。

一昨日の拙ブログへのコメントへの返信を転載させていただきます。長文なので2回に分けましたので、何卒よろしくお願いします。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/de0a7eb271436afb1163cd97e2cc1c11?st=0#comment-form

(以下転載開始)

 私は貴方のHNを「一知半解男」「一知半解」と双方記載しており、初コメント時点では前者を使用されていたので、こちらも使いました。そのため、現HNに直す必要もないと思うし、統一するつもりもありません。

 貴方は初めて山本を紹介した時、「そこらの大学教授が書いているような底の浅い稚拙な日本人論でないと私は(個人的にですが)受け取っております」とコメントされました。学者とは思えない貴方が「そこらの大学教授」とは、ずいぶん傲慢な言い方だと感じたし、相当な入れ込みようだと思いました。浅見定雄に痛烈な批判本を書かれた山本がそれに反論したかと、私は昨年末に貴方のブログで問い合わせました。しかし、その問いに貴方は無回答。もし、山本がきちんと反論していたならば、貴方かtikurin氏が資料を提示していたはず。結局はプロの学者に太刀打ちできなかったという証左です。それだけで、所詮“プールサイダー”に過ぎなかった。

>そんな私のことをあくまで「盲信の信者」と決め付けたいなら、彼の中心テーゼをひっくり返してからにしてください。

 そもそも、山本の「中心テーゼ」とは何を定義するのでしょうか?山本の中心テーゼは心酔者同士でも異なるし、ましてアンチならテーゼ自体、信者とは確定対象が違ってくる。設定自体が不可能事を持ち出すのでは、議論になりません。

>それもできないくせに、人をそのように呼ぶならば、貴方のことを「揚げ足取りのレッテル貼り」と断定させていただきます。

 失言を指摘されたり、論破されて言うに事欠いた左翼がよく使う泣き言が「揚げ足取り」と「レッテル貼り」。相手に付け入られるミスを犯す方、「李下に冠を正さず」の諺どおり、疑いを招く言動をする側の責任なのです。揚げ足取りが嫌なら発言に注意するべきで、間違いを指摘され、「揚げ足取り」と泣き言を言うのは甘えに他なりません。

>山本七平が米国とかユダヤから資金提供を受けていたように盛んに吹聴していますが、根拠や裏付けがあって言っているのですか?
>単なる貴方の憶測に過ぎないのではないですか?
>そうでないなら、そのハッキリしたソースを示していただきたいものです。


 貴方も政治ブロガーなら、世界各国が同盟、仮想敵国問わず文化人に資金提供、シンパ形成をすることくらい、国際情勢としてご存知のはず。もちろんこの類のことは表には出ませんよ。証拠が出ないようにするのが当り前だし、何処に資金提供したと公言する者がいますか?しかし、少しでも想像を働かせれば察しは付くはず。同時に貴方自身も、山本が米国やユダヤから全く資金提供を受けていなかったという、ハッキリした根拠は示せないでしょう。

 左翼がよくやる手段に、旗色が悪くなると相手のメンタル面を攻撃、「強迫神経症」「脳内妄想」と相手の人格を貶める手段を弄す。tikurin氏も似たようなコメントをしており、これまた人格攻撃の手段です。本当に左翼に酷似した意見を述べられますね。同じ表現を何度も繰り返すことは、精神面での不安さの表れであると言った人もいます。他人よりご自身のメンタル管理をされたら如何?貴方の言葉をそのままお返しします。
そういう態度を貴方が取るのは、貴方が一種の「強迫神経症」に陥っているからだと私は思います。自らの主張に神経的な不安を抱き、それを鎮めるために、何度も否定行為に”拘泥”する。

 貴方は何度も自己欺瞞を言われますが、それに無縁な人間などいるのでしょうか?世の中にはままならぬことが山ほどあるし、時にはそれが必要なことがある。私は自己欺瞞を恥とは思わないし、他人の自己欺瞞行為を糾弾している当人こそ、自分の内にそれがあることが認められない。それがあること自体屈辱だし直視を避け、他人の自己欺瞞を責めて悦に入る。そんな行為は一時的な自慰行為に過ぎず、「病状」を進行させる。これぞ、実に「欺瞞に満ちたやり方」です。

>お互いのブログで私の悪口を言ったり、揶揄したりして憂さを晴らしてるようですが、
>そうせざるを得ないのも、典型的な強迫神経症状の現われじゃないでしょうか。


 コメ禁を喰らったからと、貴方自身が飽くことなく“ファン”と村野瀬さんへの悪口と恨み言、揶揄を繰り返しているのと同じですよ。Apeman先生や最近は「ねずきち」さんを槍玉にしているのも、第三者からすれば典型的な強迫神経症状と疑われるでしょう。悪口は憂さ晴らしと同時に、娯楽でもありますから。

 貴方のブログで私は初めて「自慰史観」なる言葉を知りました。しかし貴方は杜若さんへのコメントで、「自慰史観」とは私の造語ですが」と断言しつつ、葵さんにこの件を追求され、「私も自分のオリジナル造語だと主張するつもりは毛頭ありませんので、今回の発言は撤回させていただきます」と、”逃げ”を打った。これも実に不誠実かつ欺瞞にみちた回答です。山本に感化され、詭弁にも長けたのかもしれませんが、まさに「自慰」。これだけで貴方の精神だけでなく、性格も疑われます。もっと真摯な方かと思っていたら、私の思い違いでした。

>日本人の価値観とか風習とかは、時代ごとに変わっておりますが、戦前戦後通じて日本人の行動原理というモノは、殆ど変化しておりません。

 当り前ですよ。行動原理を変えようと山本の言葉を方々で宣伝して力むのこそ、道化じみてますね。

  • 2010/03/11(木) 21:44:36 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
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吉田五郎太さん、葵さんへ

>吉田 五郎太さん

こんばんは。
いろいろとお気遣いのコメントをありがとうございます。

mugiさんとは、過去の色んなやり取りの末、このような形となってしまいましたv-406

まぁ、確かに私のブログは、受け売りが多いですから、考えが異なる人から見れば、それが虎の威を借りるキツネのような姿勢に見え、反感を覚えるのでしょう。
それはやむを得ないかな…と思ってはいるのですが。

身から出たさびとは言え、こういう形になってしまうのは残念ですね。

それはさておき、有益なアドバイスありがとうございました。確かに耳が痛い…。

勿論、吉田五郎太さんの仰るようにすれば、より良いのでしょう。
しかしながら、言い訳になってしまいますが、ご覧頂いてお分かりのように、私はちょっと思考が粗雑で極端に走りがちな面があります。

当ブログにも度々コメントを頂いてます、tikurinさんのように山本七平の主張を十分に咀嚼して、自らの言葉にできるならば、仰るようにしたいとは思いますが、今のところ、まだ、その自信がありません。

引用を多めにしているのは、やはり山本七平の主張を正確にご紹介したいから、ということでご理解いただれれば幸いです。

もちろん、たくさんの人に読んでもらいたいですけど、自己満足の部分もありますので、今のところ、現スタイルで続けたいと考えております。

アドバイスどうもありがとうございました。


>葵さん

勿論、記事にされるのはご随意にされたらよろしいのではないでしょうか。
いちいち私に伺う必要もありませんし、どうぞどうぞ。

なにが「いびつ」なのか私にはわかりませんが、そこのところ、貴ブログでご指摘ください。
拝読させていただき、為になるところがあれば、今後の参考にしたいと思います。

  • 2010/03/11(木) 21:43:33 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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一知半解さん

貴方の私へのご返答、とても興味深いものですが、貴方のコメントを拝借して、私のブログ記事にしても宜しいですか?
私は最初から貴方の引用の仕方は、山本の名誉を損なうと言っております。貴方の引用と解釈の仕方が『いびつ』なんですよ。
>それに、歴史をおさらいするのは、葵さん、貴方の方です。

私・・2年間ですが、高校で歴史教師をしていたのですが、貴方は私と歴史について論争する気持ちはありますか?私は貴方に負けない自信がありますよ。

>世界史では万単位以上の虐殺事件は幾らでも出てきますが、日本史で日本人同士がそのような事件を起こした例は殆どないと思いますが。

>私の知る限りでは、織田信長の伊勢長島の一向一揆殲滅戦ぐらいしか思い当たりません。

>戦国時代といっても、寝返りすれば味方の兵となるようなことが多く、取った駒を生かせる将棋のゲームのような世界でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

唖然とさせられました!悔し紛れで恥を晒すのは・・・どーでもいいですけどね(笑)


  • 2010/03/09(火) 23:36:47 |
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  • 葵 #cwJ6o44Q
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雲行きが……

ちょっと怪しいですなぁ。いや外の天候のことですよ?(ちなみに天気予報によると、明日は嵐になるとかならないとか……)

また例によって考えがまとまらないので、今回はホントにちょっとだけ。

>杜若さん
僕の拙い助言、聞いてくださってありがとうございます。少しでもプラスになれば幸いです。
それと……ある意味『究極のユーモア』に満ち溢れたブログのご紹介、(心から)感謝いたします!『玉蔵先生』の何やら全て“超越”したようなあのお姿及び文章には、ただただ平伏するばかりです……。

>mugiさん
大変丁寧なレスを戴き、ありがとうございます!あと、橋本氏のHPの紹介もとても喜んでいただけたようで嬉しいです。
さて、実は先ほどこちらのトラックバックにあった貴方の『山本七平評』、一通り拝読させていただきましたが……かなりの長文でしたので細かい、そして最終的な批評は今は控えますが、やはりmugiさん自身打ち明けてくださったように、
『“キリスト教・クリスチャンアレルギー”から来る、いささか冷静さを欠いた文章』
……というのが、残念ですが現時点での僕の感想です。僕に返してくれたレスの時のような快活さは、あまり感じられませんでした。
差し出がましいかも知れませんが、もう少し肩の力を抜いて、キリスト教や、七平氏を始めとするクリスチャン系知識人を、『ネタ(芸人のソレ的な意味で)』にするつもりでやってみてはどうかなぁ、なんて。
え?「お前はやれるのか」?……忘年会の出し物考えると『脳が硬直する』という事実からお察しください……(汗)。でも、mugiさんなら決して不可能ではないと思いますよ。

>一知半解さん
どうやらmugiさん達『山本七平アンチ(?)』の方々と貴方との間には、“新参者”の僕にはうかがい知れないほどの『対立の歴史』があるようですね。
そのこと自体について僕がどうこう言うのは筋違いかもしれないし、繰り返しですが『どうにも考えや言葉がまとまらない』ので、今回は『保留』とさせてください。
ただ、貴ブログの方針について、余計な意見をば。
もう少し、一知半解さん自身の考え、言葉を増やし、七平氏や『岸田秀』氏などの文献の引用を若干抑えて、バランスの取れたエントリーにすれば、より面白くなるかも……。僕なんかは長文読むの結構好きなんであまり問題は感じませんが、慣れてない人からすると、
『何これ~、読むのメンドクサ~』
で終わってしまうように思えるんです。もちろん、できるだけ多くの七平氏らの『言葉』を伝えたいというお気持ちは大変よく分かるのですが、読まれなければ『宝の持ち腐れ』になっちゃうのも事実ですしね。
(もし↑の提案が「余計なお世話」でしたら大変失礼しました。)

ひとまず、これにて。

  • 2010/03/09(火) 23:32:52 |
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  • 吉田 五郎太 #OAxxUYaQ
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mugiさんへ

mugiさん、レスご苦労さまです。
貴方の主張に対して、長文になりますが、以下のとおり反論させていただきます。(貴方の文章引用が一部順不同になりますがよろしくお願いします。)

>たとえ第一級の学者が根拠を挙げて批判しても、貴方は絶対受け付けないのはこれまでの流れで分かりました。

吉田五郎太さんがコメントで次のように仰ってます。

>七平氏の“中心テーゼ”が全て『無意味』にして『棄却されるべき』ものかどうかは、別である(ちなみに僕個人の結論は『NOである』)

私の結論も吉田さんと同じくNOに過ぎません。

(貴方や一流学者?の浅見定雄も含めた)アンチ山本七平の反論は、山本七平の”中心テーゼ”から逃げ回り、周辺の揚げ足を取るだけのモノに過ぎないと指摘しているのですが、これについては、いつもまともにお返事いただけないようですね。

私は別に彼がユダヤシンパであることを否定したことはありませんよ。

そんな私のことをあくまで「盲信の信者」と決め付けたいなら、彼の中心テーゼをひっくり返してからにしてください。

それもできないくせに、人をそのように呼ぶならば、貴方のことを「揚げ足取りのレッテル貼り」と断定させていただきます。

>私も室長さんとのやり取りで、「たとえ戦後の日本で米国から資金を得ていた文化人でも、日本の国益になる正論を吐いていれば構わない」とコメントしてますが、故意なのか貴方が無視した理由は不明です。

貴方の発言は、単なる仮定の話ですよね。
そういいつつも、とにかく否定しようとする。

そんな仮定の話は評価しようが無い。

むしろ、その発言の裏には、「山本七平は日本にとって有益な主張をしていない」というホンネが、文意から十分窺えますけど。

そもそも、山本七平が「米国から資金を得ていた」というのは本当ですか?
貴方は、山本七平が米国とかユダヤから資金提供を受けていたように盛んに吹聴していますが、根拠や裏付けがあって言っているのですか?
単なる貴方の憶測に過ぎないのではないですか?
そうでないなら、そのハッキリしたソースを示していただきたいものです。

>仰るとおり、ユダヤ代弁者でも“プールサイダー”でも、有益な意見なら全く差し支えないと思いますし、ベンダサン名義の著で正論も充分書いてます。
>その点は私も認めたつもりだし、全否定をする気はありません。


そうであるならば、私を批難するのはいい加減止めていただきたいものです。

私が山本七平に賛同しているのも、彼の意見が有益だと考えているからなのですから。
私は彼がユダヤシンパだから、賛同しているわけではないのですよ。

貴方は他方でそのように”逃げ”を打ちつつ、一方で私のことを躍起になって否定する。
非常に「不誠実な批判」で、「欺瞞に満ちたやり方」です。

これでは、残念ながら、到底実りある生産的な議論にはなりえませんね。
(だから、貴方の記事にコメントするのは無駄だと思ったわけです。)

そういう態度を貴方が取るのは、貴方が一種の「強迫神経症」に陥っているからだと私は思います。

自らの主張に神経的な不安を抱き、それを鎮めるために、何度も否定行為に”拘泥”する。

その為なら、平気で相手にレッテルを貼り、相手の人格を貶める手段を弄す

ただ、それは決して成功しないでしょう。
成功したとしても、それは主観的なものであって、自らを欺く行為に過ぎない。
客観的に見れば、単なる自己欺瞞行為に他なりません。

たとえ私がそう指摘したとしても、貴方がそれを認めることが出来ないのはわかります。
自己欺瞞行為を認めることは、本人にとって屈辱でしょうから。

しかしながら、それを直視できない限り、貴方はいつまでたってもその「症状」から脱出できないでしょう。

あいにく残念ながら、貴方も葵さんもそうした”病気”に罹ってしまわれたようですね。

お互いのブログで私の悪口を言ったり、揶揄したりして憂さを晴らしてるようですが、そうせざるを得ないのも、典型的な強迫神経症状の現われじゃないでしょうか。

ただ、そういうあなた方が、私を「盲信している」と攻撃するのなら、私も反撃せざるを得ませんので、そこのところは覚悟してくださいね。

>私が山本の主張を危惧するのは、葵さんも仰られているように、'70年代は有益でも、価値観も変わり今では有害だと思うからです。

日本人の価値観とか風習とかは、時代ごとに変わっておりますが、戦前戦後通じて日本人の行動原理というモノは、殆ど変化しておりません。

貴方はロクに読んでいないから、わからないでしょうが、山本七平は、日本人の行動を決定付けている(日本人自らがはっきりと意識していない)原理・規範を明らかにしようとしたのです。
それだからこそ、「山本日本学」と称され、評価されるようになっている。

それが、貴方によれば、有害だとか通用しないということになるわけですが、それならば、どの点が現代において有害なのか「具体的に」指摘すべきでしょうな。

>精神的に不安定な人間ほど、何か絶対的なものに帰依したがるので。

そもそもですが、絶対視してませんよ。
山本七平の些細な間違いも否定したことはありませんし、親ユダヤの立場も否定したことはありませんが…。
もちろん、精神的に不安定なわけでもありません。

前述したように、貴方が”中心テーゼ”から逃げ回り、周辺の揚げ足を取っているだけなので、立場を変えていないだけの話です。

>気付かないでしょうけど、道徳を振りかざす説教など、貴方の口調は左翼に似ています。

いささか説教くさくなってしまうのは、いたしかたないですね。
かといって、相手をちゃかしたり、喧嘩腰で議論するのは失礼ですからそうした態度を取るつもりもないですし。

これが私のスタイルですから、仕方ありません。
そうした私の態度が気に入らないのなら、存分に批判してもらって構いませんよ。

ただ、相手の態度を批判しても、それで貴方の主張が正しいと証明されるわけでもない…ということぐらいはわかってますか?

相手を揶揄したり、小馬鹿にするのは楽しいかも知れませんが、それでは単なる「自慰」ですね。
第三者からみれば、みっともない行為と思われても仕方ないかもしれませんよ。

>ユダヤシンパや代弁者、似非文化人というのは私の率直な山本への感想、批評であり、それに賛同する人もいる。そうでないと否定するなら、根拠の提示と冷静な反論を貴方は行って下さい。

だから、「ユダヤシンパと言うな!」などと最初から主張しておりませんが…。
単に貴方がそう思いこんでるだけでしょ!!

私が再三主張しているのは、”ユダヤシンパという事柄”のみ”を以って、山本七平の中心テーゼを否定するのは止めていただきたいということです。

結局のところ、貴方の主張はそればかりだから、レッテル貼りとしか思えないと私は言いたいのです。
そこのところ、お間違えないようお願いします。

しかし、山本七平の主張を、単なる日本人批判としか捉えられないというのは、貴方のへそ曲がりな性分ゆえなのでしょうが、余りにもお粗末な解釈でしょう。

歴史ブロガーを名乗ってらっしゃるのですから、少しは過去の歴史から教訓を得ることが出来るだろうと思いましたが、どうやら私の買いかぶりのようです。
クリスチャン嫌いで目が眩んでらっしゃるのか、山本七平の貴重な提言から、貴方は読み取ることが出来ないようですね。

まぁ、人それぞれ読解力に差がありますから、こればっかしは仕方ありません。

貴ブログで、気が済むまで存分に、山本七平を「似非文化人呼ばわり」されれば宜しいのではないでしょうか。

ロクに読まないで批判することの愚かさを、自らネット上に晒しつづけるのも貴方のご自由です。

ただ、私のブログにコメントする場合は、それなりのお相手はさせていただきますから、ご覚悟いただきたい。

以上、長文乱筆ですが、回答でした。
貴方にとっては気に触る回答でしょうが、これでも節度を保っているつもりですので、ご容赦のほどを。

  • 2010/03/09(火) 21:26:54 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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杜若さんへ

杜若さん、こんばんは。

どうやら私の対応で、機嫌を損ねてしまわれたようですね。
済みませんが、私も相手におもねることはしたくなかったのです。その点はご了解ください。

>この方はよっぽどユダヤがお好きなようですね。
>私も、日湯同祖論にはときめいた頃がありましたが、今では気にならなくなりました。


山本七平は親ユダヤでしたが、日ユ同祖論などは全く唱えていないと思います。
その点は誤解なきようにお願いします。

なぜ、ユダヤ人が迫害を受けてしまったのか、そしてそれにユダヤ人がどのように対処したが故に、今までユダヤ民族が生き延びてこられたのか、を彼は追求したのです。

ユダヤ人も、日本人も、世界における立場は、異端でありながら、欧米世界において成功者の位置にあります。

「日本人とユダヤ人」は、ユダヤ人がこうむった迫害が、日本人にとっても、他人事でないことを警告した書であると私は思っています。

  • 2010/03/09(火) 21:19:41 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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葵さんへ

葵さん、こんばんは。

>貴方の造語だったのですか!驚きました。貴方は、さぞや名のある歴史学者・・恐れ入りやの鬼子母神です。

またまた、若造の揚げ足取りですか(苦笑)。

それはさておき、そういう用語があったことをご指摘いただいたことは、素直に礼を言っておきます。

私も自分のオリジナル造語だと主張するつもりは毛頭ありませんので、今回の発言は撤回させていただきます。

>山本七平の戦争体験談は国益に適うものですから良書と思っています。しかし、今の時代では無理が有りますし、貴方の読み方は有害である、と思うのです。何度も貴方に伝えておりますが、山本七平に心酔するのならば、今の価値観や社会情勢を見て抜粋する箇所を選ぶべきです。

まともに読んだことの無い人からそんなことを云われてもこちらは当惑するばかりです。
なにを以って有害だとか、時代に合わないとか決め付けることが出来るのか?
ろくな根拠も示さず、批難されても困りますし、不愉快極まりない。

要するに、貴方は「山本七平は必ずしも悪くない。引用する私が悪い。」と言いたいだけでしょ。

最初の頃の貴方はそうではなかった。
さんざん山本七平を貶してましたよね。
ところが、最近は軌道修正して、山本七平の引用をする私が悪いと貶し始めた。

山本七平の主張を全否定することの”愚”をようやく気付いたのは、遅まきながら貴方にとって良い傾向だとは思いますけどね。

それでも、軌道修正したのはちょっと姑息だよなぁ。

ま、私のような若造に反論されたのが、よほど癇に障ったのでしょうし、それはわからなくもありませんが、貴方の反論は罵倒も多く、品も悪いし、まるでヒステリー女そのもので相手にするに耐えない。
(それでも最近は、落ち着いてきたとは思いますけど、それにしても一時はひどかったですな。)

貴方は、それで憂さ晴らしできて、スッキリ爽快なのかもしれませんが、ウンコを投げつけられる当方としてはたまりません。
これでは到底、相手をする気分になれませんよ。

今回は、コメントいただいたのでお相手させていただきましたが、貴方のブログまで行ってお相手する気はないことはお断りしておきます。
(せいぜい、ご自分のブログでmugiさんと私の悪口言い合って憂さを晴らすことですね。)

しかし、この際ですから、貴方がTBされた記事内容についてちょっと反論しておきますか。

まず、「無駄死に」発言に相当お怒りのようですが、この発言を許せないといえるのはインパール作戦の英霊の遺族ならその心情はわからなくもないし、尊重させていただきます。

しかしながら、関係ない貴方に言われる筋合いはありません。

兵士だった山本七平が嫌った言葉に、「戦場の兵士さんのことを思え」という言葉がありますが、そういう「対象」に己を同一化させ、論理ではなく感情で、相手の反論を封ずる手段が如何に、日本人の言動・行動を束縛し、道を誤らせ、悲惨な結果を招いたか。

裸の王様を裸と言うな…と言っているようなものです。
相手の発言が気に入らないからといって、こうした手法を気安く使わないでいただきたいものです。

それに、歴史をおさらいするのは、葵さん、貴方の方です。

世界史では万単位以上の虐殺事件は幾らでも出てきますが、日本史で日本人同士がそのような事件を起こした例は殆どないと思いますが。

私の知る限りでは、織田信長の伊勢長島の一向一揆殲滅戦ぐらいしか思い当たりません。

戦国時代といっても、寝返りすれば味方の兵となるようなことが多く、取った駒を生かせる将棋のゲームのような世界でした。

戦国時代といえど、世界水準から見れば、平和だったのですよ。それだけ日本は戦乱が少なかった。

そうした認識に基づいて、私とtikurinさんが話し合っていたということを、貴方はわかりもしないで批判しているだけのことですね。

>でもApeman先生は百人斬りの二人の将校を『ホラ吹き』呼ばわりはしませんでしたよ。

当たり前の話じゃありませんか。
Apeman先生は、百人斬りを事実にしたがっている。そうした人間が、ホラ吹き呼ばわりするわけが無いでしょうが!!!

そもそも、両少尉が「ホラを吹いた」とみなされても仕方ないのは、戦場の誘惑や兵士の心理など様々な要因が絡んでいたゆえであって、山本七平は彼らを単純に「ホラ吹き」と批難していたわけではない。

貴方はそんな基本的なことすら、わかっていない。
単純に、山本七平が両少尉のことをウソツキ呼ばわりしたと思い込んでいる。

ホラを吹いたが故に無実の罪で殺された両少尉の名誉を回復しようと努力した彼の意図すらわかろうとせず、逆に両少尉を死に追いやった毎日新聞の肩を持つ始末。

そんな程度の人間が、したり顔で私の引用が悪いと批判するとは…。

冗談も大概にしてくださいv-293

  • 2010/03/09(火) 21:16:19 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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吉田五郎太さんへ

初めまして、吉田五郎太さん。mugiなるハンドルの愚か者です。

 親切なご忠告を有難うございました。仰るとおり、私はキリスト教アレルギーがあり、山本若しくは「クリスチャン系日本人知識人」をどうも神経症的に見てしまいます。冷静を欠いた意見だったかもしれないし、不快を感じられたのなら大変失礼致しました。クリスチャン系に限らず、「日本教徒」にも、いくらでも如何わしい文化人や知識人がいる。
 仰るとおり、ユダヤ代弁者でも“プールサイダー”でも、有益な意見なら全く差し支えないと思いますし、ベンダサン名義の著で正論も充分書いてます。その点は私も認めたつもりだし、全否定をする気はありません。

 ただ、やはり聖書を引用しての日本軍及び日本社会の非難は、どうしても違和感と疑念がありました。そこで長い記事にしましたが、その感想は読者の判断に委ねたいと思います。出来がよいとは私自身も思っておりませんから。
 杜若さんも他の記事でコメントされたように、「高尚な社会批判が、実は人間関係のトラウマに起因することが多いことはよくあること」なのは事実だし、私もそのニオイを感じたのです。山本はやはりウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムのお先棒を担いでいた?と疑いたくなる。山本も人間だから誤認は当然にせよ、枝葉末節、問題ないと強弁するファンの回答を見るにつれ、戦前の青年将校は彼らと重なります。

 とても内容の濃いサイトを紹介して頂き、有難うございました!このHPはじっくり読むに相応しいものですね。
『山本七平評価』に限らず、マルクスについても大いに参考になるでしょう。それにしても、名だたる学者連中でも論争となると、レトリックによって感情が煽られるのだから面白いですね。まして浅学非才の無名ブロガーなど…

(追記)
 阿川弘之氏、懐かしいですね。私が読んだのは『井上成美』だけですが、天ちゃんの言葉が出てきて笑えました。実は私の昭和一桁の父も家では天ちゃんと呼んでいたのです。

  • 2010/03/08(月) 22:00:48 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
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一知半解さんへ

こんばんは。
ご無沙汰しているにも関らず、丁寧なご回答を有難うございました。

>>貴方のご指摘は、私にとっては山本七平の主張をひっくり返すには到底足りない些細な批判に過ぎなかったのです。

 予想通りの返答でしたね。もちろん、そう思われるのはご自由だし、たとえ第一級の学者が根拠を挙げて批判しても、貴方は絶対受け付けないのはこれまでの流れで分かりました。だから「信者」なのです。私がトラバしたのも、貴方に指摘するためではなく、ここを見ているアンチ山本派への伝言でした。

 私も室長さんとのやり取りで、「たとえ戦後の日本で米国から資金を得ていた文化人でも、日本の国益になる正論を吐いていれば構わない」とコメントしてますが、故意なのか貴方が無視した理由は不明です。私が山本の主張を危惧するのは、葵さんも仰られているように、'70年代は有益でも、価値観も変わり今では有害だと思うからです。

>>山本七平を否定せずにはいられない神経症的不安を抱えているように見受けられます。

 私も貴方が山本を絶対視せずにはいられないのは、神経症的不安が背景にあるのではないか、と憶測しました。精神的に不安定な人間ほど、何か絶対的なものに帰依したがるので。今にして思うと、初コメントから他の方々とは違う執念にちかい気迫があり、あれほど粘ったのは、他にサヨクと宗教関連者くらいです。
 以前のコメントにも書きましたが、歴史好きは執拗さと無縁ではいられず、関心を持てば徹底追求したがるのです。最初に私に山本を熱心に紹介したのは、貴方だということをお忘れなく。貴方のご期待とは正反対になりましたが。

 オリジナリティを持つ人はあまりいないし、私にそれがあれば無名ブロガーなどしていない。山本も始めの頃はオリジナリティに自信がなかったのかもしれない。だから覆面作家をやり、次に評論家となったと見ています。ただ、ユダヤ人を装ったのこそ、山本の特異なオリジナリティでしょうね。貴方が初コメントした拙ブログの記事に、バートランド・ラッセルの言葉を載せてます。
自分が長い間、当然だと思い込んでいた物事や出来事を、時には疑ってみることは全ての人間行動において健全なことなのである…

 レッテル貼りという言葉は、左翼の常套句ですよ。彼らほどレッテル貼りに長けている者もいないのに、都合や旗色が悪くなるや、たちまち「レッテル貼り」といじけ、被害者面をする。これぞ、自由な言論と表現を妨害するに他ならない。気付かないでしょうけど、道徳を振りかざす説教など、貴方の口調は左翼に似ています。立場の違いはあっても、Apeman先生や村野瀬さんと言い分がますます似てきたように思えます。

 ユダヤシンパや代弁者、似非文化人というのは私の率直な山本への感想、批評であり、それに賛同する人もいる。そうでないと否定するなら、根拠の提示と冷静な反論を貴方は行って下さい。山本の書を熟読された貴方はさぞ教養があるでしょうから、大胆で鋭い見解が出来るはず。そして私の取るに足りぬ些細な批判を尽く粉砕して下さい。

(追記)
 それにしても、「悪魔化」という表現は実にユニークですね(笑)。山本の真似にせよ、私自身は信仰心が稀薄なので、「悪魔化」という発想など出来ません。私自身も、貴方がこれほど山本を絶対視するのを、「自信が自らの主張に無い」からに他ならないと見ていますし、お互い様で何を言っても平行線でしょう。

以上、「悪魔化」したコメントを失礼いたしました。

  • 2010/03/08(月) 21:57:21 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
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>吉田 五郎太 様

ご助言ありがとうございます。
私も、あまりこちんこちんはすきではありません。

なので、時々こんなところも覗いています。
黄金の金玉を知らないか?
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/

結構息抜きが出来ます。このブログ主さんには失礼とは思っておりますが、、。


>一知半解 様
私も、自慰史観について聞きなれなかったもので調べると使われてるみたいですね。貴方は知らないで自作と思われたのでしょう。

人には機嫌というものがありやっかいです。
私も、そのリズムで生きております。体調もそうですね。リズムがあります。(ただ私の場合には韓国、朝鮮人を持ち出されるとちょっと箍が外れます。一種のアレルギーです。)

ところで山本七平氏といえば「日本人とユダヤ人」ですかね。久しぶりに思い出しました。
遠い昔にたぶん読んでいるのでしょう。内容の記憶はさっぱりありませんが、学生の頃手にとった記憶がかすかにあるようです。
この方はよっぽどユダヤがお好きなようですね。
私も、日湯同祖論にはときめいた頃がありましたが、今では気にならなくなりました。
というよりも、ちょっとユダヤには反感を持つタイプの方かもしれません。これも貴方とは反対路線でしょうか?

  • 2010/03/08(月) 18:30:56 |
  • URL |
  • 杜若 #JalddpaA
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ごめんなさい、もう少しだけ。

>mugiさん
申し訳ないです、「初めまして」の挨拶が抜けてましたね、大変失礼しました。
それと橋本氏のページへのリンク、TOPへと飛んでしまうようですね。僕が挙げたのは同ページ内『橋本努「ウェーバーは罪を犯したのか――羽入-折原論争の第一ラウンドを読む」』の中の該当部分です。重ね重ね失礼しました。

>杜若さん
どうも初めまして!吉田五郎太と名乗る大馬鹿者です。
え~、今の日本及び日本人に対する問題意識、僕も一応は持ってるつもりです。ただ、よくネット上にて散見される肩肘はった言説の人たちのやり方ばかりでは、やっぱり『息切れ』しちゃうし、長続きしないと思うんですよね。
(事実杜若さんも今回、“疲れちゃった”わけで。)
ちょっと提案ですが、とりあえず、ここは『古きよき時代の日本海軍』のノリでやってみませんか?以下は作家にして元海軍士官でもあった『阿川弘之』氏の文章です。

(前文略)
私自身は、日本の国の在り方として、一番上に、象徴でも元首でもいい、天皇さまがいて下さるというのは、国際的な視野で考えても実に結構なことだと思ってます。だけど天皇陛下を神様だなんて思ったこと、戦中戦後を通じて一度もありません。海軍へ入ってからも、平気で天ちゃんって言ってましたよ。事実また、海軍には、それを許す空気があったのです。まさか奨励はしてませんでしたけどね。
海軍中将のくせに天ちゃんと言った人の逸話があるんです。昭和の何年か、陛下が聯合艦隊へ行幸されたときのこと、副官がコチコチになって、
「この度、大元帥陛下の聯合艦隊行幸に際しまして」
とか言うもんだから、「誰が?」「何?」分かっているのにわざと何度も聞き返して、
「ああ、天ちゃんか」と言ったというんです。陛下を軽んじてるわけではない。まあ君、そうコチンコチンになるなよということでしょうね。
(『国を思うて何が悪い』光文社文庫版p43より)
僕らも阿川氏が言うように、あまりコチコチにならず、それこそ天皇陛下をプライベートで「ほら天ちゃんがあの時さぁ……」と話せるくらいの柔軟さ(?)でやったほうが、精神衛生上いいかもしれませんよ。

  • 2010/03/08(月) 02:22:14 |
  • URL |
  • 吉田 五郎太 #OAxxUYaQ
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う~む。

少し、横合いから失礼しますよっと。

>mugiさん
え~と、以前の貴方の一知半解さんへのコメントなどを読んでみて思ったんですが、どうしても貴方は山本七平氏、あるいは『クリスチャン系日本人知識人』のことになると、ちょっと神経質になられるようですね?実際にそういった方々と何があったかは存じませんが、ひとまず少し冷静になられたほうがいいかと。
あと、七平氏の“いざや便、出さん”……じゃなかった、『イザヤ・ベンダサン』時代の著書内の、ユダヤ人およびその文化への誤認、さらにはその他の杜撰さなどは、事実であれば確かに批判されても仕方ないと僕も思います。ただし、それによってベンダサン、つまり七平氏の“中心テーゼ”が全て『無意味』にして『棄却されるべき』ものかどうかは、別である(ちなみに僕個人の結論は『NOである』)と考えるべきではないでしょうか?そうじゃないと、かの『マックス・ウェーバー』とその言説ですら(mugiさんの今の考え方だと)全否定せざるを得なくなるかもしれないんですよ……。
↑についてはくわしくは下のリンクのテキストをご参照のこと。ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に関して問題提起した倫理学・文献学者『羽入辰郎』氏と、それに反論した東大名誉教授『折原浩』氏の論争を、北大准教授『橋本努』氏がまとめたものです。(長文注意)
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Japanese%20Index%20Max%20Weber%20Debate.htm
この橋本氏のテキストの中の、『第二の論点:ウェーバーは知的に不誠実な人間なのか』の部分なんか、特に今回の『山本七平評価』の問題においては参考になるかと思いますです。

  • 2010/03/08(月) 01:33:54 |
  • URL |
  • 吉田 五郎太 #OAxxUYaQ
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眠れぬ夜の戯言

>「自慰史観」とは私の造語ですが、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%85%B0%E5%8F%B2%E8%A6%B3

↑貴方の造語だったのですか!驚きました。貴方は、さぞや名のある歴史学者・・恐れ入りやの鬼子母神です。

>貴方とよく議論されている室長さんも、「山本七平がCIAエージェントでも、言っていることが正しければ構わない。」と仰ってますけど。

アンチ山本信者の私ではありますが(笑)70年代には、山本七平の戦争体験談は国益に適うものですから良書と思っています。しかし、今の時代では無理が有りますし、貴方の読み方は有害である、と思うのです。何度も貴方に伝えておりますが、山本七平に心酔するのならば、今の価値観や社会情勢を見て抜粋する箇所を選ぶべきです。
何で貴方は『Apeman先生』と呼ぶのですか?
Apeman先生と同じ思想だから尊敬しているの?でもApeman先生は百人斬りの二人の将校を『ホラ吹き』呼ばわりはしませんでしたよ。

昼寝をしたので練られなくなりましたので徘徊しております。どうやら眠れそうです、明日まで。残念ながら永眠は、まだ先のようですが。
ごきげんよう~、おやすみなさいませ~ZZZ

  • 2010/03/08(月) 01:21:51 |
  • URL |
  • 葵 #cwJ6o44Q
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杜若さん、mugiさんへ

>杜若さん

何度もコメントいただきありがとうございます。

「自慰史観」とは私の造語ですが、日本の素晴らしい歴史に酔いしれている方々にとっては非常におもしろくなく、いささかキツイ表現だったかもしれません。
お気に触られたのでしたら、ごめんなさい。

しかしながら、自己正当化・自己欺瞞にも限度と言うものがあります。
現に、ねずきち氏のコメ欄は、まるで悲憤慷慨する青年将校さながらの情景です。

彼らの目には、「冷静な意見」が「異端」に見え、自分同様に激高しない人間は、だれかれかまわず工作員とか朝鮮人と決め付ける。

それが、日本人の矜持というものですか??
そういう人間が増えることが、精神的荒廃から脱却することなのでしょうか??

勿論、杜若さんの仰るように、日本人の精神的荒廃が激しいことは認めます。

しかしながら、それを自己欺瞞・自己正当化までして、矯正することは間違っていると私は思うのです。

私のそういう考え方が自慰的だとのご批判については、貴重なご意見として受け止めさせていただきます。

また、疲れきってしまわれるほど付き合っていただきまして、ありがとうございました。

ねずきちさんの常連の方で、まともにお話できたのは貴方だけでしたが、冷静に議論することができてよかったです。


>mugiさん

こんばんは。
ご無沙汰してます。
以下、ご回答いたします。

貴方のご指摘は、私にとっては山本七平の主張をひっくり返すには到底足りない些細な批判に過ぎなかったのです。

それに、仮に山本七平が何者であろうが、彼の言っていることが日本にとって有益であれば、それを支持するのがなぜいけないのか??

私にはさっぱりわかりません。

貴方とよく議論されている室長さんも、「山本七平がCIAエージェントでも、言っていることが正しければ構わない。」と仰ってますけど。
そうした度量は貴方にはないようですね。

そして、室長さんのご意見はスルーで、私だけ盲信の信者扱いですね。

まぁ、私の場合は受け売りだから…とでも言いたいのでしょうけど。
確かに私の意見にはオリジナリティというものはありません。
それは認めますが、そういう貴方の意見にオリジナリティがあるでしょうか?

大体、ユダヤシンパだとか代弁者とか似非文化人とかそういうレッテルをやっきになって張ろうとする貴方の姿勢は、非常に感心できません。

今回トラックバックいただいた一連の貴記事を拝見しましたが、やはりレッテルをやっきになって張ろうとしている冷静さを欠いた強引な批評としか思えませんでしたね。

ここまで山本七平批判にこだわる貴方の姿勢を見ていると、やはりある種の強迫神経症的なイメージを抱かざるを得ません。

山本七平を否定せずにはいられない神経症的不安を抱えているように見受けられます。

まぁ、そのような貴方には何を言っても無駄でしょうから、貴ブログのコメ欄にはあえてコメントしませんでしたが、こちらにこうしたコメントを書き込まれた以上、私も率直に返答させていただきました。

失礼いたしました。

(追記)

しかし、アンチ山本の方々って、ことごとく山本七平そのものを悪魔化しようと努力をするものですね。
Apeman先生しかり、mugiさんしかり。

悪魔化せずにいられないのは、山本七平の主張を根底から覆すだけの「自信が自らの主張に無い」からに他ならない…と思わざるを得ませんね。

  • 2010/03/07(日) 23:46:09 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

>mugi 様

救われる助言ありがとうございます。私はたいがい我慢強いほうですが、さすがに今回の記事には疲れてしまいました。
私は、いまさら山本七平氏の書籍に目を通そうとも思いませんし時間もありません。
だから内容も知らずにこのブログに参加するのは本来失礼にあたるとも思うのですが、ねずきちのひとりごとブログで知り合って以来、おじゃまするようになりました。

一知半解様も我慢強そうですが、今回は私が先に睨めっこに負けたようです。
ですが、本来は睨めっこなどしたくないのですよ。
そして私のこの国を思う心情も変わることがないと思っております。
いつまでも平行線なんでしょうかね? ますます疲れる一日でした。
でもありがとうございます。

  • 2010/03/07(日) 22:31:09 |
  • URL |
  • 杜若 #JalddpaA
  • [編集]

横レス、失礼致します

初めまして、杜若さん。

 此処の管理人に何を言っても無駄ですよ。何しろ、自ら「山本七平信者の一知半解男です」(2008/03/16(日) 12:38:55)と自称しており、完全な山本絶対教徒です。彼にとって山本は神であり、左右問わず方々のブログに山本の福音を伝道されているほどですから(笑)。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-20.html

 で、私も彼の熱心なコメントを受け、イザヤ・ベンダサン名義の山本の著書「日本人とユダヤ人」「日本人と中国人」を読んでみました。悪くはなかったですが、ユダヤ人がこのような発想をするのはありえない、と思う箇所があり、前者などイスラエルの代弁者そのものの発言もあった。昨年読んだ「中学生でもわかるアラブ史教科書」に至っては、私がこれまで見た中で最悪の中東史本でした。
 その他はこちらのブログから山本の思想を知りましたが、見れば見るほど疑わしい点が出てくる。それをいくら指摘しても、一知半解氏の山本の信頼は揺らがない。此処まで一評論家を絶対視する心情は、理解不能です。

 私は政治ではなく歴史ブロガーです。歴史ブロガーから見ると、政治ブロガーさんはどうも歴史に疎く、お手軽評論本や歴史小説を見て、歴史を学んだつもりになるタイプが多い。wikiも絶対ではありませんが、山本への論評に芳しくない内容があります。
山本の著作には記憶に頼った不正確な引用や、出所のあきらかでないエピソードの披露などが多く…」「著作の中には、単に結果として事実認識や論理展開を誤っただけでなく、読者をあざむくために意図的・積極的に虚偽の事実を示している事例があることも広く知られるようになり…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3

 要するに山本は「事実に基づかない美談化された歴史」「虚飾の歴史」を書いているということ。繰り返しますが、評論家であって歴史学者ではない。ハッスルしてもアマでありプロではないのです。山本と心情的に一体化するのは個人の自由ですけど。
 こちらのブログにもトラックバックを送ってますが、もし、気が向かれたら、拙ブログでの山本への批評記事「評論家という名の似非文化人」をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/5c403a67c981a4b550cd36325557146d

  • 2010/03/07(日) 21:45:37 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

私は、自慰史観という表現をここで初めて知りました。

今は、日本人の精神的荒廃が激しいときです。これは日清、日露戦争時の外的危機よりも数段恐ろしい現実です。個人から国家まで、外的危機よりも内的危機がより恐ろしいのは自明の理でしょう。

そんなことにも気が付かれないとは。
私には、貴殿の文章にこそ自慰的なものが感じられて仕方がないのですが。

今回の記事には私もほとほと疲れました。
ただ、付け加えれば、政治ブログランキングに参加されておられるなら、もっと大局を見ることにも忘れずにいていただきたいと思います。でなければ別のランキングに変更なさった方が間違わずに済みます。

  • 2010/03/07(日) 17:17:55 |
  • URL |
  • 杜若 #JalddpaA
  • [編集]

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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