一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「トッツキ」と「イロケ」の世界【その6】~「虚構の世界」が日本を滅ぼした~

前回の記事『「トッツキ」と「イロケ」の世界【その5】~二種類いるトッツキ礼賛者~』の続き。
今回の引用部分において、山本七平は、トッツク人間の性向と似たものを、新聞記者が持っていることを指摘しています。

私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))
(1983/01)
山本 七平

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前回の続き)

この「逆」すなわち復讐の方法は実に多種多様で、私の知っているだけで十以上になるが、一番普及していたのが「フケメシ」であろう。

私と同時代に大日本帝国陸軍にいて、「フケメシ」という言葉を知らない者はおるまい。

旧軍隊をいかに美化したところで、また内藤誉三郎氏がいかに一糸乱れずと感じたところで、そんな虚飾は、この「フケメシ」という言葉の存在の前に、一瞬にして消しとんでしまう

三島由紀夫氏が切腹したとき、私は反射的に、氏はこの「フケメシ」という言葉を知らなかっただろうなと思った。
フケメシとは読んで宇の如く、メシの中にフケをまぜて食わせることである。

もちろん本当ではあるまいが「ドロガメは毎日フケメシを食わせられているそうだ」という噂もあり、みなそれを聞いて、内心快哉を叫んでいるわけであった。

そういった人物に限って「秀才だ秀才だ、陸大出だ」と一方的にトッツイてくるのだが、実際は、砲兵に関する常識さえないとなれば、その道三十年の老兵は内心おだやかでない。

この部隊長はその生涯が砲兵であり、何しろ知らないことは何もない。

さらに上級司令部にいて多くの情報に接しているから、アメリカ軍の砲兵への分析も実に正確であり、後に私がアメリカ軍の集中砲火から逃れ得たのも、この部隊長の講義のおかげである。

そういう人だから、この部隊長のドロガメ参謀への反発は、一種の生理的嫌悪感にまでなってしまう。
それが伝染してくるから、事実私などには、ドロガメの名をきいただけで、何かうす気味悪いヌラヌラとした大きな爬虫類のような感じをうけ、背筋がゾーッとして来るのである。

そこへ陳情に行き交渉しなければならないとすると、これは一体どうすりゃいいのか。
妙案は全くなかった。

何しろ相手は、自分は陸大出だから、軍隊のことはすべて知っていると自己規定しているわけである。

従って何か自分に理解できないことを口にされれば、すぐにその鋭敏なプライドが傷つくから、瞬時に相手の口を封じて一方的に怒鳴りはじめ、ひとたび怒鳴りはじめれば自分の言葉に興奮して、気違いのようにわめき散らし、撲る蹴るとなる。

従って「実戦では」とか「実際は」とか「実情は」という言葉は禁句なのだが、こまったことに「実際」は、部隊長のいう通り「バカ参謀が! 陸士陸大を出おって、砲兵の射法則のイロハのイの字も知りよらんで、勝手な熱を吹きおる」のが「実情」なのである。

こういうタイプの人は、戦後はあまりお目にかからないが、暴力という点を別にすれば、新聞記者の中にはいるようである。

いわば自分は何もかも知り、かつ何もかも理解しているという前提に立つので、自分の知らないことや理解できないことを、すべて、嘘か間違いか、ありえないことにしてしまうタイプである。

従って自分に理解できないことがあると、それを理解するために質問しようとはせず、反射的に「おかしいですね」「そんなことはないでしょう」と言い、あげくの果ては滔々と一方的にまくし立てて、「つまるところ、こういうことですネ」と勝手にきめて帰ってしまい、こちらを唖然とさせるタイプである。

とくに、何か事件があって、「識者の意見」をもとめる新聞記者にその傾向が強い
自民党はけしからんということになれば、彼の意見に同調しないと叱られそうになる。

白か黒かではなく、彼が白だと思えば白と答えないと不機嫌になる。
もちろん、その他の色はない。――私は叱られても自分の意見で通し、たいていはボツになる。

結局は、この「ドロガメ参謀」は、こういった人と絶対権力をもつワンマンがいっしょになったようなタイプなのだろうが、軍隊では人格的にボツにされるだけでなく、人間そのものがボツにされてしまうこともあるわけである。

多くの人が文字通りボツにされてこの世から消えた。
花谷中将の周囲だけで、どれだけの人間がボツにされたか。

映画や新聞記事はフィクションの世界だからこれでもいいかも知れない。

しかしこれを現実の世界へと強制されると、結局は、恐怖の余りフィクションに同調して「トッツキ」と「イロケ」で構成される虚構の世界に部隊ごと逃げこんで「稲の移植」といった演技を全員でやるか、一人斬りや、百人斬りを演じたり口走ったりして個人的に逃げるか、生命までボツにされても抵抗するか、彼らは気違いだといって諦めるか、それしか方法がない

私は前に、「日本の軍人は、日本軍なるものの実状を、本当に見る勇気がなかった(註)」と書いたが、そのとき脳裏にあったことの一つは、この「トッツキ」と「イロケ」が生み出す虚構の世界である。

(註)…拙記事『残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~』参照のこと。

そして日本を滅ぼした原因の一つはこれだと思っている。
そして将来日本を滅ぼすものがあれば、やはりこれだと思っている。

自らの目をつぶした大蛇が、自分で頭に描いた妄想に従って行動し、のたうちまわって自滅した
日本軍への私の印象はそれにつきる

(次回へ続く)

【引用元:私の中の日本軍/「トッツキ」と「イロケ」の世界/P117~】


「自分の知らないことや理解できないことを、すべて、嘘か間違いか、ありえないことにしてしまうタイプ」というのは、確かに厄介な存在ですよね。

こういった人間が絶対権力を握り、自分の考えを他に強制できるようになってしまうと、トッツキとイロケの世界が出現してしまう…というわけです。

そして、マスコミにそうした「傾向」が濃厚にあるというのは、確かに頷けるところです。

そこで気をつけなければならないのは、例えば日本人の意識を一変させるような(北朝鮮の拉致事件のような)事件が起きたり、平時ではありえない緊急の事態が勃発した場合、そうした「傾向」と、事態に対処するためには手段を問わないという「考え」が一つになって、一時の感情に流されると「トッツキ」と「イロケ」の世界が出現する可能性が大いにあるという点ではないでしょうか。

そうならないためには、どんな時においても、法を遵守するという原理原則を貫き通す必要があるはずですが、果たして一時の感情に流され易い日本人にそれが守れるか…??

以前の記事『「話し合い」と「結果の平等」がもたらす「副作用」【その3】』において、「日本人は、前提なしの無条件の話合いに基づく合意が絶対であり、それを外部から拘束する法的・倫理的規範は一切認めない」という性向を持つことをご紹介しましたが、そういう日本人の性向を鑑みますと、いささか不安を覚えざるを得ないのであります。

さて、次回もこの続きを紹介してまいります。
ではまた。

【関連記事】
・「話し合い」と「結果の平等」がもたらす「副作用」【その3】
・残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その1】~「神がかり」が招いた”餓死”という悲劇~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その2】~現場の兵士が抱いた”やりきれない気持ち”~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その3】~部付(ブツキ)はコジキ~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その4】~大日本帝国陸軍の”大躍進”~
・「トッツキ」と「イロケ」の世界【その5】~二種類いるトッツキ礼賛者~


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コメント

>>一知半解さん

 この場をお借りして、おおよそtikurinさんが、ここでコメントした部分に対する反論は、ここでさせて頂き、全文はtikurinさんのブログにて行なわせて頂こうと思います。

>>tikurinさん

 レスありがとうございました。
 遅くなりましたが、私が答えられる範囲で、お答えさせて頂こうと思います。

>岡崎久彦氏は…(『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか』)と言っています。

『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか ― 隣の国で考えたこと』は、岡崎氏の在韓国大使館での勤務後、1977年に出版された本だと思います。ということは、この当時の韓国は、朴正煕大統領の下、日本語世代が現役バリバリで活躍し、後に「漢江の奇跡」と言われるようになった時代ということになります。

 その当時、実際の韓国を見た岡崎氏が、引用された文章のような感想を持ったとしても、不思議ではありません。また、その文章自体を読めば分かるように、そこには、当時の日本人の側が持っていた、ある種のパターナリズムも見て取ることができます。
 もっとも、そうした情緒的な面だけではなく、当時は冷戦の真っ只中ですから、日韓友好、ひいては日本の韓国に対する支援は、日本の共産圏に対する防波堤を強化するという意味で、日本の国益にも直結していました。

 問題は、こうした感覚を修正することもなく、冷戦終結によって東アジア情勢も大きく変化した90年代、さらに21世紀にまで持ち越してしまっている点です。

 ただ、岡崎氏自身は、後に「日韓関係は日米関係の従属変数」と言い切っています(要するに、日韓関係は日米関係次第。韓国をとくに問題にする必要はない、ということでしょう)。岡崎氏は、情勢判断の専門家ですから、国際情勢(韓国の国内事情も含む)が変われば、当然その結論も変わってくるということだと思います。

>近年の韓流ブームに見られるように、儒教的な倫理観を共有する部分も相当あるのではないですか。

 韓流ブームについては色々ありますが、一応ネットなどでお調べください。
 また、一口に儒教的な倫理観と言っても、日韓のそれは全く違うということは、呉善花さんが頻繁に取り上げる主題的なテーマですから、そちらでご確認ください。

>お説のようなパターナリズムからの脱却が、おそらく双方に、求められているのではないかと思います。

※パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう。日本語では「父権主義」「温情主義」などと訳される。

 上記の※を見て頂ければ分かるように、残念ながら、これでは意味が通じません。
 また、私が「歪んだパターナリズム」と呼んだのは、これに屈折した贖罪意識が混じり込んだもののことをいい、状況が変わっても、いつまでも韓国を一つの外国=ある意味で対等な当事者(当然日本が国益を主張すべき相手)と見ることができない精神性を指しています。

>呉善花さん…は、韓国語に漢字の訓読みを導入することを提唱しておられるようで、がんばっていただきたいと思いました。

 呉善花さんは、日本での様々な出版や発言が原因で、事実上、韓国政府からの迫害を受け、すでに日本に帰化していますから、韓国でできることには限界があるかもしれません*。

 また、呉善花さんには、他にも『攘夷の韓国 開国の日本』(1996年 山本七平賞受賞)、『韓国併合への道』(文春新書 2000年)などの名著も少なくありません。近年では、呉善花さん(元韓国人)、石平氏(元中国人)、黄文雄氏(台湾人)は、日本における重要な保守系の論客と言ってよく、かなり国際的になってきました。

*呉善花さん 母の葬儀で“帰国”拒否される
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/071009/kor0710091654001-n1.htm

>…氏(=洪思翊中将)の精神が自己絶対化からは遠いものであったことを示していると思います。

 自分で書いたものですが、「自らの主観的信念に対する忠誠」というのはあまりいい表現ではありませんでした。確かに、これでは「自己絶対化」と読めてしまいます。もっとも、自尊心や思想に対する忠誠という場合は、そうした意味も含まれるとは思いますが。

 本来は、「神」または「天」(朱子学の場合)を絶対化するが故に、人は殉教・殉難へと至るわけです。
 では、洪思翊中将の場合はどうか。おそらく氏の場合も「天」を絶対化する発想の延長線上で、自らの決断を含む天命を受け入れた(あるいは天命を義として絶対化した)ということかもしれません。
 確かにこれは、士大夫たる態度に通じるものだと思います。

 ただ、日本人にとっては、この「絶対」ということが非常に理解しにくく、岸田秀氏も仏教学者の三枝充悳氏との対談で、日本にはキリスト教などの外来思想の「根本にある絶対性は、(絶対に)受け入れ」ないという極端な相対主義があると指摘しています。こうした点に、日本における「殉教」に対する拒否感に繋がる一側面があるのは確かでしょう。
 しかし、この「絶対」ということが感覚的に理解できないと、西欧思想の多くも、朱子学など一部の中国思想も理解できないということになってしまいます。

 私にとって、山本氏は、西欧や中国の古典などを読む上での非常に優れたナビゲーターで、たとえば「神の絶対性」という点についても、『禁忌の聖書学』の「結末なきヨブの嘆き」を読んで、初めて理解できたような気がしました。それまでは、どうしてもM・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理…』などで取り上げられている予定説(=決定論)を感覚的に理解できずにいましたから。

  • 2010/04/16(金) 18:30:18 |
  • URL |
  • 1読者 #-
  • [編集]

一読者 様へ

i一読者 様へ
大変参考になるご意見(参照)ありがとうございます。今後とも勉強していきたいと思いますので、忌憚のない対話ということで、よろしくお願いします。

(読) 一般論として、韓国理解に歴史的観点が必要なことはその通りだと思います。とくに朱子学的伝統のマイナス面を直視することは重要でしょう(今まではこのことを軽視し過ぎましたから)。ただ、個人のレベルならいいのですが、日々現実の韓国と向き合わなければならないビジネスマンやジャーナリスト、政治家などは、韓国社会の現状を把握して的確に対応すべきであり、歴史的観点からの情緒的な対応が正当化される余地はほとんどないように思います。

tiku 歴史的観点を持つことが、ただちに情緒的な対応をもたらすとはいえないのではないでしょうか。近代史についてはそうした傾向があることは事実ですが、そうした情緒的対応に陥らないためにも、より長い目で見た歴史的観点を持つことが大切だと思います。

 岡崎久彦氏は「日韓の感情的摩擦の原因は巨視的に言えば、近代化が早かったか遅かったかの違いに集約される」といっています。この差が縮まる過程では競争も激しくなり愛憎ともに増幅されるが、「この時こそ、われわれ日本人としては、過去の歴史の重みに深く思いを致して、また将来長い目で見た日本と韓国との関係でどうすることが両国双方に得になるかを決して見失わないようにして、問題があれば、感情問題にならないようにスマートに妥協で処理して行き、協力できることは何でも協力していくということで、韓国近代化の最後の仕上げを暖かく見守るのが正しい態度と思います」(『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか』)と言っています。

 感情的にならずスマートに妥協する術も身につけると同時に、韓国の近代化に協力を惜しまないという日本の基本的姿勢も見失うべきではないと思います。それが日本の安全保障にもなるわけですし、呉善花さんのような韓国人も現れているわけで、近年の韓流ブームに見られるように、儒教的な倫理観を共有する部分も相当あるのではないですか。

 韓国併合時代日本もいいことをした、と言うことも事実でしょうが、皇民化政策によって、彼らを民族文化喪失の危機に追い込んだことも事実で、こうした失敗を繰り返さないという意味において、お説のようなパターナリズムからの脱却が、おそらく双方に、求められているのではないかと思います。

(読) 韓国の漢字教育廃止も知る人ぞ知る問題で、司馬遼太郎氏は、70年代(?)の対談集でこの問題に触れ、将来の日本人と韓国人は英語で意思疎通をするようになるのではないか、と述べていたと記憶しています。

tiku 呉善花さんの『漢字廃止で韓国に何が起きたか』を読みました。韓国には「漢字教育推進」の運動もあるようで、また氏は、韓国語に漢字の訓読みを導入することを提唱しておられるようで、がんばっていただきたいと思いました。

(読) 山本氏は、「自らの信仰(神)への忠誠」から殉教へ、という西欧の伝統的な精神史に関する理解から、それと同質のものを、ドグマたる朱子学の「政治的大義への忠誠」から殉難へ、という過程の中に見出し、その一変容を洪思翊中将の「自らの決断への忠誠」という考えに見たのではないでしょうか。

 これらは、ともに「自らの主観的信念に対する忠誠」に基づき迫害や受難を甘受するという態度で、同じ『型』だと言ってもよいのではないでしょうか。
 こうした観点からは、洪思翊中将の最期の言葉は、まさに「殉教者」の言葉と同様のものと受け取ることができるような気がします。

tiku キリスト教と朱子学が殉教を正当化する論理を持っている点で共通する面があることはその通りだと思います。吉利支丹の教えの中で日本人が最も激しく抵抗したのはこの教え=思想に殉ずること、すなわち「殉教」であったことは、ベンダサンの『日本教徒』や『日本的革命の哲学』の中で詳細に論じられています。

 その理由は、当時の日本人は「思想」を、人間が生まれながらに持っている「善悪を知る心」=善心を磨くための「磨種(とぎぐさ)」(石田梅岩)と考えたからで、それは人間教育の方法論に過ぎない。その方法論を頑迷に固守して、自分の意志で処刑を選んで殉教するということは、「自然ノ道理」に反する、という風に考えたのです。(そうした考え方が今日に及んでいる)

 この点、キリスト教の教えは「 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ福音書)という言葉に見られるように、言葉=思想を、神の意志と結びついたものとしてとらえる伝統を持っています。ここから神の教えに殉ずる→「思想に殉じる」という考え方も出てきているのではないかと思います。

 ただ、こうした考え方に危険性が孕まれていることも事実で、それに歯止めをかけているのが、イザヤ書の次の言葉「64:6全てわれらの義は瀆れた布きれの如し(日本聖書教会)」だとベンダサンは言いました。浅見氏はこうした見解を批判し、イザヤの言葉は、「正すべきだったのに正さず、清めるべきだったのに清めなかった」ことを懺悔しているのであって、「正義を口にすればけがれる」等といったのではないと山本七平を批判しました。

 しかし、ベンダサンが言ったのは、「人間が正義を口にし自分を絶対化することの危険性」についてであって、イザヤ書の言葉も、「正しいと思ってやったことが罪を犯すことになった」といっているのですから、ベンダサンは、特に間違ったことをいった訳ではないと思います。そうした抽象化が間違っていると言うなら、それでは浅見氏は、ベンダサンの指摘する「人間の正義」に対する歯止め、という考え方について、そういう考え方は聖書にはないと言われるのでしょうか。道理で・・・という感もしないではありませんが。(下線部4/15修正)

 山本七平自身は、「人間の正義」には歯止めがかけられなければならない、ということを、自らの軍隊経験を通して知ったのだと思います。つまり、人間が自らの思想を正義として絶対化することの危険性を、昭和の「現人神」思想の中に見たのです。そして、もともと、そのような絶対思想は日本にはなかったはずなのに、どこから、そうした危険思想が生まれたかを、日本の思想的系譜の中に探ろうとしました。その一つの成果が『現人神の創作者たち』でした。つまり、それは朱子学の正統思想に淵源するものであり、それが浅見絅斎に至って殉教の対象となる「現人神」思想を生み出していると見たのです。

 では、「洪思翊中将」の場合はどうか。氏の思想が朱子学の影響を受けているのは当然でしょうが、では、その生き方は「現人神」への殉教者たちと同じだったかというと、そうとは言えず、氏は、敗戦により天皇が消え、日本軍が壊滅したのちも、自分がユニフォームを来ている間はそれに忠実であろうとした。しかし、それは、氏がフィリピンで南方総軍の兵站総監(その下に兵站病院や捕虜収容所があった)の職にあった間に発生した「捕虜虐待」という戦争犯罪の責めを負うことも意味していた。氏自身は、それを自らの罪だとは思わなかったけれど、あえてそれについては弁明せず、その罪を自ら負って慫慂として死刑台に立ったのです。

 氏は、もちろんクリスチャンではありませんでした。しかし、その死に際して片山氏に読んでくれと言ったのは、旧約聖書の詩編五一篇でした。それは、「ああ神よ ねがわくは汝の仁慈(いつくしみ)によりて われをあわれみ 汝の憐憫(あわれみ)の多きによりて わがもろもろの愆(とが)をけしたまえ わが不義をことごとく洗い去り われをわが罪より清めたまえ。 われはわが愆を知る わが罪は常にわがまえにあり。・・・」という言葉でした。ここには、自らを正義と主張する姿はありません。

 つまり、自分自身は正しいと思うことをやってきたが、それをあれこれ弁明してみても他を非難することになるからそれはやらない。それは確かに冤罪というほかないものだが、そうした責任を問われる職に就いたことは自らの選択でもあったわけで、これは一種の「敗戦罪」であってその咎は自ら負うしかない、ということだったと思います。おそらく、これは一種の「士的廉潔」を表わす精神だと思いますが、それが、先に紹介した聖書の詩編の言葉と共鳴するものであったことは、少なくとも、氏の精神が自己絶対化からは遠いものであったことを示していると思います。(長くなりますので後半部は下記私ブログにてご覧下さい)http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-7ccf.html


  • 2010/04/12(月) 17:42:47 |
  • URL |
  • tikurin #wQAHgryA
  • [編集]

>1読者 様

貴方の洞察はなかなかのものと思います。
内容のない私が、こんな事を書いても、何の説得力もありはしませんが、まさしく正論と感じました。
薄意短文、失礼致しました。

  • 2010/04/11(日) 11:45:17 |
  • URL |
  • 杜若 #qKuIJ8qA
  • [編集]

 前回のコメントは、
>tikurinさん
 へのものでした。

 失礼いたしました。

  • 2010/04/11(日) 10:00:12 |
  • URL |
  • 1読者 #-
  • [編集]

 レスが送れて申し訳ありませんでした。
 ここ数日、少し忙しかったものですから。

>私たちの韓国理解に歴史的観点を入れるべき事の重要性を提示しているのではないでしょうか。つまり、横軸の情報ばかりでなく縦軸の情報も考慮し総合判断することが必要だと。

 一般論として、韓国理解に歴史的観点が必要なことはその通りだと思います。とくに朱子学的伝統のマイナス面を直視することは重要でしょう(今まではこのことを軽視し過ぎましたから)。
 ただ、個人のレベルならいいのですが、日々現実の韓国と向き合わなければならないビジネスマンやジャーナリスト、政治家などは、韓国社会の現状を把握して的確に対応すべきであり、歴史的観点からの情緒的な対応が正当化される余地はほとんどないように思います。

参考:中韓を知りすぎた男
http://kkmyo.blog70.fc2.com/
※最新のエントリーとして、韓国ビジネス記1~3が連載されています。もっとも、現在のネット上には、こうした中韓とのビジネス体験記は無数にあります。
 私は、たまたま十数年以上前から、中韓ビジネス上の様々なトラブル事例を知っていましたが、日本のマスコミは、こうした問題だけでなく、中韓に不都合な国内問題もほとんど報道しないという傾向があります。一昨年の「毒餃子」問題にしても、そもそも香港返還前に起こった「毒菜」問題がキチンと報道されていれば、その後の日本における中国野菜輸入ブームも「毒餃子」問題も起こらなかったかもしれません。
 韓国の漢字教育廃止も知る人ぞ知る問題で、司馬遼太郎氏は、70年代(?)の対談集でこの問題に触れ、将来の日本人と韓国人は英語で意思疎通をするようになるのではないか、と述べていたと記憶しています。

>見つけたら、参考までに教えて下さい。
>「現人神の創作者たち」の見出しに「政治が宗教になる世界」があります。…

 『全集』で確認しました。ご教示ありがとうございました。
 私が山本氏の書籍を集中的に読んでいたのは、十数年以上も前のことですから、やや記憶が曖昧になっている点もありますが、ざっと読み返してみて、当時考えていたことをいくつか思い出しました。
 ただ、違和感を感じた部分については、その他の書籍をすべて読み返すわけにもいかず、見つけられませんでした。

>…これは、上記の「政治的大義への忠誠」とどう違うか。
>…処刑台にあがる直前、氏は、立ち会いの片山氏に「私は悪いことはしなかった。死んだら真っ直ぐ神様の所に行くよ。だから何も心配するな」といったそうです。

 山本氏は、「自らの信仰(神)への忠誠」から殉教へ、という西欧の伝統的な精神史に関する理解から、それと同質のものを、ドグマたる朱子学の「政治的大義への忠誠」から殉難へ、という過程の中に見出し、その一変容を洪思翊中将の「自らの決断への忠誠」という考えに見たのではないでしょうか。
 これらは、ともに「自らの主観的信念に対する忠誠」に基づき迫害や受難を甘受するという態度で、同じ『型』だと言ってもよいのではないでしょうか。
 こうした観点からは、洪思翊中将の最期の言葉は、まさに「殉教者」の言葉と同様のものと受け取ることができるような気がします。

 なお、「自らの○○への忠誠」という表現は、翻訳書などでもしばしば見かける表現で(思想や自尊心を入れて否定的な意味で使われることも多い)、欧米にはそれに対応する慣用句的表現が存在するのかもしれません。

>この人物を、山本は、韓国の人びとに紹介する義務を感じていたのではないかと思います。…

 その通りだと思いますが、現在の韓国でその想いを受け取ることができるのは、おそらく70代以上の日本語世代に限られることになるのでしょうね。

>韓国の古典は漢文でしょうが、それをハングルだけにしたと言うことは、中国の呪縛から解放されたいと思ったからでしょうか。それにしても、漢字は日本のように残して漢字ハングル混じり文にする方が良かったような気がします。

 「漢字ハングル混じり文」は『日帝残滓』ですから、日本の呪縛からも解放されたいと思ったのでしょう。北朝鮮でも、当然、漢字は廃止されていますし、ベトナムでも漢字を廃止し、フランスが残したベトナム語の発音記号を元にした文字を使っていると聞いています。
 一知半解さんも紹介なさっている呉善花さんは、10歳頃にそれまで限定的に行なわれていた漢字教育が廃止になったと述べていましたから、60年代中頃に漢字教育が全面廃止になったということだと思います。したがって、現在の韓国では、50代以下の世代は、ほとんど漢字の読み書きができないということになります。一部では、漢字教育の復活を望む声もあるようですが、こうした状況では相当に困難でしょう。

 また、本家である中国においても、現在は簡体字が主流になっており、30代以下の世代では、大学卒でも簡体字しか理解できない人が増えているそうですし、日本も戦後は新字体が広く普及し、旧字体が分からなくなっている人も増えているように思います。
 私の経験からは、同じ漢字文化圏にあると思えたのは、繁体字を採用している臺(台)湾だけでした。

 こうした点を見ても、漢字文化圏だとか「同文同種」などという幻想に基づいた『東アジア共同体』構想が、いかに空疎なものか理解できるのではないでしょうか。もっとも、それ以前に、倫理感や価値観があまりにも違い過ぎることが問題なのですが(このことは、上記のビジネス体験記等に如実に描かれています)。

>その歴史的観点が「自虐的」であってはダメだということですね。

 そうではありません。

 河野談話の問題点は、旧日本軍の強制性を証明する資料も根拠も無いにも拘わらず、あのような談話を出してしまった点にあります。

 いわゆる従軍慰安婦問題は、もともと吉田清治なる詐話師の証言をもとにした朝日新聞の誤報がその発端ですが、それが韓国国内にも波及し、慰安婦と女子挺身隊との区別もつかない状況のまま、デマゴーグ等によって大騒動になったため、韓国政府から「日本側から何か声明を出して貰わないと収まりがつかない。そうすれば国内を抑えることができる」と要請され、あのような談話が出されたという経緯があります。

 河野氏は直接戦後教育の影響を受けた自虐世代だから当然でしょうが、当時から私が最も問題だと思っていたのは、宮沢元首相のナイーブな対韓(対中)姿勢であり、それを念頭に、以前のコメントでは「歪んだパターナリズム」に基づく情緒的対応と批判したのです。

参考:河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言
http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20060828/
※他にも資料は沢山あると思いますが、一例として。

>なお「従軍慰安婦」の問題については同意見ですが、村山談話については、私はおおむね妥当だと思っています。

 村山談話は、河野談話と同等かそれ以上に問題があります。

 なぜなら、村山談話は、政権に就いたために、日米安保と自衛隊を認めるという党の基本に関わる部分で譲歩を余儀なくされた旧社会党の党内や支持者の不満を逸らすために、抜き打ちだまし討ちで閣議決定されたものだからです。

 内容についての賛否は様々でしょうが、かつてこのようなくだらない理由で、このような重大な歴史問題に関する談話を出した馬鹿な政府があったでしょうか。

参考:村山談話を破棄せよ!
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/785637/
※当時の関係者の証言は見つけられませんでしたが(確かあったはずです)、一応参考として。

>だから私は小泉談話も支持しますし、靖国問題については中国の干渉には反対します。

 小泉談話に関する私の評価は、やや否定的です。要するに、「場違いで必要なかった」のではないか、という気がするからです。

参考:村田良平元外務次官が村山談話の取り消しを求める――「無用の自虐行為」と
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/790287/
※私も、村山談話の評価の延長線上の問題として、小泉談話には、村田元外務次官と類似した感想を持ちました。

 私は、以前から、小泉外交の良さというのは、結局は“反射神経”の問題だろうと考えていました。
 国内で中国の内政干渉に関する反発が強まっていると感じれば、直ちに靖国参拝を断行する。9.11事件が起これば、即座に哀悼の意を表する。アメリカがイラク攻撃を宣言すれば、直ちに支持を表明する…

 イラク戦争については、異論があるかもしれませんが、現状の日本では、どう考えてもアメリカを支持する以外に方法が無かった以上、いち早く支持を表明することは、むしろ日本の負担を減らすことに繋がったのではないでしょうか。
 これは、ぐずぐずと対応を引き延ばした挙げ句、莫大な金を支払うことになった上に、国際的にほとんど評価されなかった、第一次イラク戦争時の対応を主導した某与党幹事長とは真逆のやり方です。

 ただ、小泉氏の問題点は、国内問題の場合と同様に、中長期的なビジョンが無いところです。
 また、小泉氏の対応が可能だったのは、国際的に漠然と「面倒な最前線に立つのは止めて、二番手で美味しいところだけを頂く」という日本の外交姿勢が(おそらく莫大なODA等と引き換えに)受け入れられる土壌があったからですが、現在では、もはやそうしたやり方が成り立たなくなっています。

 最近、暫定とはいえ唐突に常任理事国入りという話が出てきたり、G7復活の話が出てきているのは、たぶん今後の経済動向を含む国際情勢の変化を睨んだ「中国外し」の動きの顕在化であるとともに、日本に対する主体的な行動要求であるという見方が出てきています。その場合、好むと好まざるとに関わらず、日本は最前線に立たざるを得なくなりますし、日本の国益に基づくビジョンを明確にする必要が生じるでしょう。

 民主党に対応できるでしょうか? 言うだけ無駄かもしれませんが。

  • 2010/04/11(日) 08:30:54 |
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tikurinさんへ

tikurinさん、お役に立てたようで嬉しく思います。
呉善花さんの主張を読むと、韓国人の置かれた境遇の大変さ、不遇さには同情を禁じ得ません。
自国語の古典があるということは、韓国の例を鑑みると、本当に素晴らしいことですよね。

  • 2010/04/10(土) 22:48:35 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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ハングルと漢字

一知半解さんへ
 呉善花さんの著書の紹介ありがとうございました。さっそく注文しました。自国文化を創り上げてきた古典が読めなくなる、ということもさることながら、「韓国語では日本語と同じように概念語や専門用語の大部分が漢字語であるのに、漢字の知識(および漢字映像の助け)に拠ってそれらの言葉を駆使することができなくなった」というのも、大変なことですね。しかし、問題が深刻な割には、こうした指摘はあまり聞きませんね。呉善花さんだけの指摘とも思われませんが。
 その点、日本の古典は古事記・日本書紀から読めますし、平安文学などもしみじみと味わうこともできます。こうしたすばらしい伝統の蓄積があるのに、日本人の民族意識が希薄になり、あたかもそれがなくても、というより、むしろそれを捨てることでコスモポリタンになれるかのような錯覚があるのは困ったことです。ディアスポラの話がありましたが、こうした現実に直面しない限り分からないのかも知れませんね。
 この点韓国の場合は、日本の朝鮮併合によるディアスポラを経験したわけで、ハングルはその経験を踏まえた民族統一の象徴なのかも知れません。それが上記のような結果をもたらしているとすれば、逆に伝統文化をうしなうことにもなるわけで、その内漢字復活の議論が出てくるのかも知れませんね。
 山本七平の 『洪思翊中将の処刑』のあとがきには、洪氏の履歴が漢字ハングル混じり文で書いてあって、この時代はそのように表記したのだと思いますが、日本人でもほぼ意味をつかむことができます。日本人の都合ということではなくて、日韓の相互理解の促進、さらに漢字文化圏の将来の協調関係の樹立のためには、漢字を共有できるようになることはすばらしいと思いますが。
 

  • 2010/04/08(木) 05:34:54 |
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  • tikurin #wQAHgryA
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ハングルの弊害について

tikurinさん、横レス失礼します。

今回のコメントを拝見していまして、以前、呉善花さんの著書を読んでいて、ハングルの弊害を指摘していたのを思い出しました。

ネットでググッてみたら、参考になるHPがありましたので、以下、一部引用するとともに、リンクを貼っておきます。

もし、まだ未見でしたら、参考にしていただけるかと思います。

・「高度な精神性と抽象的な事物にかんする語彙、倫理、道徳、哲学、芸術、科学―といってみれば文明語彙のほとんどが、韓国の一般の人々にはもちろんのこと、かなりのインテリにも正確に理解されないまま、しだいに遠く無縁のものとなっていかざるを得ないのである。いまの韓国では深遠な哲学や思想の議論はまず成り立たない。・・・ハングルだけで世界的な水準をもった哲学論文を書くこともほとんど不可能である。日本語か西洋語でやるしかない。」

・「漢字の排斥がもたらした最大の弊害は、韓国語では日本語と同じように概念語や専門用語の大部分が漢字語であるのに、漢字の知識(および漢字映像の助け)に拠ってそれらの言葉を駆使することができなくなったことにある。このため、漢字を排斥してしまった現代の韓国の人は「至高」「賢人」「水防」の漢字からその意味をくみ取れなくなってしまったと記している。


・ PHP 研究所発行 呉善花著 漢字廃止で韓国に何が起きたか
http://higejihchan.my.coocan.jp/AbolishmentOfKanji.pdf

そういえば、山本七平も、韓国に日本の万葉集などにあたる自国語の古典が全く無いことに衝撃を受けていましたね。

日本の場合、思想的系譜というのが断絶してしまっていると山本七平が指摘していますが、韓国の場合は、それどころではないのかもしれません。

  • 2010/04/06(火) 23:32:56 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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韓国人への伝言

一読者 様へ
 お返事ありがとうございます。
>山本七平氏の『洪思翊中将の処刑』・・・これを現在の「韓国理解の術」として評価できるかと言うと、そこにはやはり世代の問題がある、ということではないかと思っています。

tiku私たちの韓国理解に歴史的観点を入れるべき事の重要性を提示しているのではないでしょうか。つまり、横軸の情報ばかりでなく縦軸の情報も考慮し総合判断することが必要だと。

>私が「ごく稀に違和感を感じる」と申し上げたのは、・・・その時々の時事コラムなどで、「(一般に)韓国人あるいは中国人は○○○だから…」と述べた部分について「エッ」と思うことがあったという意味で、・・・

tiku見つけたら、参考までに教えて下さい。

>確か「政治が宗教になる国(?)」といったサブタイトルで、明代末期(?)に自らの思想に殉じた高官とその一族の問題を取り扱った評論があったように記憶しています。

>ただ、このような歴史評価と現実の情勢分析がある程度一致するためには、歴史的連続性や共通する価値基盤が必要で、それが双方から失われてしまうと、過去に妥当したやり方も必ずしも上手くいかなくなる・・・

tiku「現人神の創作者たち」の見出しに「政治が宗教になる世界」があります。ここでは、浅見絅斎の『靖献遺言』に登場する人物の、自らの「大義」に生きた生き方が紹介され、それが、幕末の志士達の生き方に「革命のエトス」を注ぐことになったことが指摘されています。

 この本には、中国の歴史において「自らの政治的大義への忠誠」のためには、「一族ことごとく皆殺し」されても意に介さなかった政治的殉教者たちが紹介されているのですが、山本は、この思想の「殉教者自己同定」の危険性を指摘しており、また、こうした政治的絶対主義が現在の中国や韓国にあることも指摘しています。

 戦争中、東条首相が「死して以て悠久の大義に生きる」といいましたが、この言葉がどこから来たのか誰も分からず、何となく抵抗できず拘束されてしまった。それは明治が『靖献遺言』を消したためで、「消す」ことくらい恐ろしいことはない、それなのに戦後はまた、戦前を「消す」ことではじめている、と言っています。

 では、こうした「悠久の大義に生きる」という生き方と、洪中将の「自らの決断への忠誠」という行き方はどう違うか。氏は、自らの決断がもたらした結果について、一言の弁解もせず、日本帝国陸軍人として受けた戦犯死刑判決を慫慂として受け入れた。これは、上記の「政治的大義への忠誠」とどう違うか、ということですが、私もいろいろ考えましたが、結局、前者は”一人よがり”で、後者は、捕虜虐待という部下の罪(あくまで戦犯法廷の認定)を担った、ということではないかと思います。下線部追記7/4

 洪中将の処刑には、帝国軍人としての責務、朝鮮民族として誇り、連合国から戦犯として裁かれることの悲劇等々、いくつもの苦難が折り重なっています。この過酷な運命を、一言の弁明もなく死刑台に立ち得た。処刑台にあがる直前、氏は、立ち会いの片山氏に「私は悪いことはしなかった。死んだら真っ直ぐ神様の所に行くよ。だから何も心配するな」といったそうです。

 この人物を、山本は、韓国の人びとに紹介する義務を感じていたのではないかと思います。一人の歴史に誇るべき韓国人がいたということを、かって同じ戦場で戦った日本人の一人として。その彼を、反日か親日家かで歴史的人物評価をしているようでは、氏を韓国の歴史に生かすことはできないのではないでしょうか。それが韓国流の「政治的絶対主義」なのかも知れませんが。

>漢字教育が廃止された結果、中堅の研究者ですら自国の歴史文書の原文を読むことが困難になっているという現実・・・

tiku韓国の古典は漢文でしょうが、それをハングルだけにしたと言うことは、中国の呪縛から解放されたいと思ったからでしょうか。それにしても、漢字は日本のように残して漢字ハングル混じり文にする方が良かったような気がします。日本人も読めますので。東アジア共同体でお互い文字を共有すると言うことは大変いいことですからね。

>私は、韓国や中国に対する差別的な感情的反発は非常に問題があると思っていますが、それと同様にこれらの国々に対する歴史的な観点からの情緒的な対応には実害が大きいと考えています。このことは、いわゆる「従軍慰安婦」に関する河野談話が出された経緯を調べて頂ければ、ご理解頂けるのではないかと思います。

tikuその歴史的観点が「自虐的」であってはダメだということですね。同時に、韓国人には韓国人の「歴史的観点」があるわけで、それが「被害者意識」だけではダメだ、ということだと思います。

 それぞれの歴史にそれをどう位置づけるか、これは民族の生存の問題に関わっていますので、その観点にずれが生じることはやむを得ないと思いますが、最近出された「日韓歴史研究報告書」のできばえは、私はまだ見ていませんが、中国との共同研究よりも客観性の乏しいものになったとの評ですね。

 なお「従軍慰安婦」の問題については同意見ですが、村山談話については、私はおおむね妥当だと思っています。だが、中国のねらいはもっと政治的なもので、日本の世論誘導による内政干渉なのです。それには明確にNOをいわなければならない。

 だから私は小泉談話も支持しますし、靖国問題については中国の干渉には反対します。(A級戦犯の合祀だけが問題なら打つべき手はあるでしょう)ただ、日本人自身による戦争責任者の追求はきっちりやっておくべきだと思っています。あくまで歴史家の手によってですが。もちろんそれが将来覆ることもあると思いますが、時代のけじめとしてやっておくべきだと思います。

  • 2010/04/06(火) 19:23:44 |
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  • tikurin #wQAHgryA
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一読者様

東アジア各国での相互理解における世代間の変遷があった訳ですね。毎回のことですが、全然知りませんでした。お教え下さりありがとうございます。

>今はその過渡期なのだろうと思っています。
まったく自分だけの感覚なんですが、日本でも20-30代の人はそれ以上の人と違って来ているように思います(管理人さんもそのうちのお一人ですね)。一読者さんが仰るように、この世代が主導するころにはうまく適応して行く様な気がします。また、政治やマスコミが旧態然として遅々としていても、現実の経済活動は日本の外へ拡大して行っているので、外国人と共に働いたり、じかに交渉する機会のある人が増えており、民間の変化の方が先んじて進んで行っているのではないかという気がします。

コンサルト会社の広報記事なので、バイアスがかかっているのでしょうが、このようなものを見つけました。
http://www.globalmgtlab.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%8C%E6%B5%B7%E5%A4%96%E3%81%AB%E8%BF%BD%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5.html

  • 2010/04/04(日) 14:24:35 |
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  • ap_09 #-
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>tikurinさん

 私の方も、いつも山本七平氏に関する解釈を興味深く拝読し、かつ参考にさせて頂いています。

 今回、山本氏の書籍からいくつか引用しようと思ったのですが、うまく見つけることができなかったので、記憶を頼りに簡単にお答えします。
 誤解・誤用があった場合には、補完・修正をお願い致します。


 まず、私も、山本七平氏の『洪思翊中将の処刑』は名著だと思います。「反日だとか親日だといった単純なレッテル貼りの次元」のものではない、というのもその通りでしょう。
 ただ、これを現在の「韓国理解の術」として評価できるかと言うと、そこにはやはり世代の問題がある、ということではないかと思っています。

 私が「ごく稀に違和感を感じる」と申し上げたのは、こうした歴史的人物を取り上げた評論についてではなく、その時々の時事コラムなどで、「(一般に)韓国人あるいは中国人は○○○だから…」と述べた部分について「エッ」と思うことがあったという意味で、その場合、山本氏の世代とその文章が書かれた年代を考慮して、その背景を理解するようにしています。

 また、『自らの決断への忠誠』というテーマは、山本氏がしばしば取り上げるもので、儒教就中朱子学にはそうした要素があり、中国の場合においても、確か「政治が宗教になる国(?)」といったサブタイトルで、明代末期(?)に自らの思想に殉じた高官とその一族の問題を取り扱った評論があったように記憶しています。

 ただ、このような歴史評価と現実の情勢分析がある程度一致するためには、歴史的連続性や共通する価値基盤が必要で、それが双方から失われてしまうと、過去に妥当したやり方も必ずしも上手くいかなくなるということを、前回のコメントでは“中国の古典的教養の有無”に仮託して述べたつもりでした。

 例えば、甲申事変を起こした金玉均の愛国心と開明思想、あるいは日韓併合時の李完用の苦渋の決断等を、日本側が歴史的事蹟を掘り起こして再評価することは別に問題はないでしょう。
 しかし同時に、現実の韓国では、国定教科書において両者とも唾棄すべき売国奴として扱われ、事実上再評価することが認められず、かつ再評価しようにも、漢字教育が廃止された結果、中堅の研究者ですら自国の歴史文書の原文を読むことが困難になっているという現実も見なければ、実際の韓国に対する対応を誤ることになるのではないでしょうか。

 また、洪思翊中将に対しても、現在の韓国でどのように評価されているかは分かりませんが、盧武鉉政権下において成立したいわゆる「親日法」によると、もし財産を残しそれを子孫が相続していた場合には国家による没収の対象になるのは確実で、それもまた、韓国の現実だということでしょう。
 こうした状況は、山本氏の「歴史や伝統を自ら断絶させてしまうと、むしろその歴史や伝統に呪縛され、その悪い面だけが出てしまう」という趣旨の記述(?)を想起させます。

 私は、韓国や中国に対する差別的な感情的反発は非常に問題があると思っていますが、それと同様にこれらの国々に対する歴史的な観点からの情緒的な対応には実害が大きいと考えています。
 このことは、いわゆる「従軍慰安婦」に関する河野談話が出された経緯を調べて頂ければ、ご理解頂けるのではないかと思います。

  • 2010/04/03(土) 22:40:12 |
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  • 1読者 #-
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山本七平の朝鮮人理解について

 一読者様 横レス失礼します。いつも大変興味深くご意見を拝聴させていただいております。
 さて、日本人と韓国人や中国人との今後の交渉のあり方についてのご意見ですが、外国人地方参政権が話題に登っている時期でもあり、お説についても勉強したいと思っているところです。
 ところで、一読者さんは、「私は、山本七平氏の愛読者ですが、ごく稀に違和感を感じるのは、韓国・朝鮮人(以下、朝鮮人)と中国人に対する評価に関する点なのです。」とおっしゃっておられます。具体的に述べられているわけではないのでよく分かりませんが、興味がありますので、もう少し説明していただけませんか。
 私は、山本七平の朝鮮人理解については、氏の『洪思翊中将の処刑』を参考にすべきだと思っています。それは「反日だとか親日だといった単純なレッテル貼りの次元では見えてこない深みのある韓国理解の術を示してくれた」ものだからです。(以下 田中明氏の同書解説参照)
 その洪思翊中将に見る生き方の要諦は「自らの決断への忠誠」ということで、これによって、「いかなる韓国人も天皇に忠誠ではありえない」と言い切る朝鮮出身の旧日本軍将校たちが、一方では非の打ち所のない帝国陸軍軍人であり、その戦死率が極めて高いということ(陸士五十、五十二、五十七期は全員戦死)も矛盾ではなくなる、といいます。
 こうした「自らの決断への忠誠」は、「侵略者に占領されても、じっと自己の文化を持ちこたえていけば、やがて侵略勢力は去って行く。だから、その日まで生き続けるため、真剣に生きなければならぬ」という歴史的経験から分泌された思想であり、現在というものは、長い歴史の中の「一つの時期」として眺めるものである。そういう人たちにとって、忠誠の対象は「自己の決断であって(変転常ならぬ)他者への一辺倒でも依存でも滅私でもない」ものだ、というのです。
 こういう、おそおらく儒教思想に由来するのであろう「自己の決断への忠誠」という考え方は、一読者さんが言われるように、戦後生まれの私たちの共有するところではありませんが、朝鮮人は、こういう思想の延長上に生きており、かってそのために帝国陸軍軍人として命をかけて戦ったこと。洪氏の場合は、戦犯裁判で死刑判決を受けても一言の弁明も発することなく慫慂として死刑台に立ったこと、そういう生き方が彼らにできた、ということを知ることは、私たちの表面的な朝鮮人理解を打ち破る上で極めて重要な指摘だと思います。
 私は、山本七平の朝鮮人論については以上のように理解しているのですが、一読者さんのこの件に関するご意見をお伺いいたします。  

  • 2010/04/03(土) 15:12:28 |
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  • tikurin #wQAHgryA
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>ap_09さん

 レスありがとうございました。

>柔らかな表現ですが、つまり相手を見下げている、傲慢であり、“差別”ですね。

 そういう面があることも否定できませんが、少し補足すると、世代の問題ということも重要だと思っています。

 というのも、私は、山本七平氏の愛読者ですが、ごく稀に違和感を感じるのは、韓国・朝鮮人(以下、朝鮮人)と中国人に対する評価に関する点なのです。

 ただ、これは世代の問題を考えると十分に理解できます。

 山本七平氏と同世代の朝鮮人は、いわゆる日本語世代であり、古典的教養がある人も少なくありませんでしたし、中国人も同様に共産主義革命以前に成人した世代で、読書階級なら充分な古典的教養を持っていたでしょう。
 また、山本氏自身が日本における最後の漢文世代と言われた戦前の旧制中学卒業者ですから、この世代相互間に、中国の古典的教養を触媒とした濃厚な相互理解があったことは容易に想像できます。
 これは現在、20代・30代の若い世代が、日本のアニメなどを通じて、外国人と簡単に友人になってしまう状況に類似しているかもしれません。

 ただ、その時代に通用した相互理解、あるいは暗黙の前提に基づく日本側の恩情的な様々な施策が、世代が変わってしまった現在では足枷でしかなくなっている、ということなのだろうと思います。
 特別永住者資格などはその代表例でしょう*。


 私の狭い経験の範囲内で言えば、学生時代に接触のあった特定アジア諸国からの留学生と在日の友人を比較すると、在日の友人は感覚的には日本人そのもの、中には中学生になるまで自分が在日であることすら知らなかったという者もいる一方で、韓国からの留学生はいわゆる638世代、文法が似ているせいか会話の上達は早いものの、漢字の読み書きができない世代ですから、複雑な問題になると意思疎通さえ困難な場合が少なくないといったありさまでした。
 また、台湾人を別にすれば、中国人はたまたま天安門世代でしたが、この世代は人によって千差万別。さらに上は紅衛兵、下は江沢民による反日教育(愛国教育)世代であり、とても歴史・政治絡みの話しができるような状況ではありませんでした。

 私は社会人になって以降、こうした国々の人とは接触する機会がほとんどなくなったのですが、商社などで関わり続けている友人などは、色々な意味で「とにかくビジネスライクに徹していかないと身が持たない」と何度もこぼしていたのを思い出します。

 このように、日本人の中に直接現地の実情を知る人が増え、他方でいわゆる戦後教育による誤った歴史認識に基づく贖罪意識や、屈折した優越感を持つ層が少なくなれば、日本とこうした国々との関係も適正化(必ずしも親密になるということではありませんが)していくような気がします。
 ただし、マスコミの偏向報道は何とかしなければなりませんが。

 今はその過渡期なのだろうと思っています。


*さらに、そうした対応が通用しなくなっていた90年代になってもなお、日本側が従来の態度を取り続けたことが、現在まで禍根を残しているという点も看過できません(例:河野談話・村山談話など)。ただ、日本語世代がほとんどいなかった前盧武鉉政権のお陰で、日本側でも、少なくとも官僚レベルでは伝統的な親韓派がほぼ壊滅したと言われていますから、今後は確実に変わっていくでしょう。また、中国に対しても、日本側の現民主党政権に多い、中国の社会主義革命などに幻想を持った世代が退場すれば、相当様変わりしていかざるを得ないような気がしています。

  • 2010/04/02(金) 22:48:43 |
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  • 1読者 #-
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一読者さま
イラン人の件は知りませんでした。お教えて頂いてどうもありがとうございます。

>これらの国の人々に対する歪んだパターナリズムの裏返しのようにしか見えません。
柔らかな表現ですが、つまり相手を見下げている、傲慢であり、“差別”ですね。
こういうことからも、少なくとも日本国内での外国人問題は、日本人の問題だと思うのです。差別すれば相手は恨むし、抵抗します。それで痛い目にあったから、悪い奴らだと嫌悪感をつのらせ、無差別に排除せよという短絡思考、悪循環から、なんとか抜け出し、成熟した人間関係が築けるようになりたいものです。

>ap_09さん

 初めまして。横レス、失礼します。

>明確な言語でルールを規定し、それに反すれば強制退去=出て行ってもらう、でオワリです。ルールに喜んで従ってくれる人だけ…が残る。あとは違反者にたいする罰則・懲罰の執行を確保する強制力があればいいだけ。そうすれば、国内的には、…むしろ事務的なくらいに淡々と処理できるはずなんですが。

 まったくその通りだと思います。

 実は、在日問題や中国人その他、特定アジアから流入してくる外国人問題を解決するのは、意外に簡単だと思うのです。

 まず、在日については、二世以降の特別永住者資格を廃止する。その際、たとえば5年程度の猶予期間を定めて、その間に日本国籍を取得するか、通常の永住権に留まるかを選択させる。さらに、その対象者には一定の帰化要件の緩和を認める(たとえば交通違反程度の軽微の犯罪歴がある場合、あるいは失業中または浪人中等の場合でも、過去に重大な犯罪歴等が無ければ帰化を容認する)。その後、通名制度は全廃する。最後に、社会保障等の問題を調整する。

 …おそらくこれで、在日問題は終了です。

 これに強硬に反対するのは、商売などの都合ですでに日本に生活の基盤が無い人、あるいは指定暴力団の組員だった等の理由で重大な犯罪歴がある人、民団・朝鮮総連等で政治活動歴がある場合などで、簡単には帰化が認められない可能性が高い人達だけでしょう。

 ただ、こうした人は、他の外国人と同じく、通常の永住権の範囲内で生活すれば良く、問題があれば国外退去、永住権剥奪になるだけです。『民族の誇り』云々が理由の場合であっても、他の外国人と同じく、通常の永住権の範囲内で「本名」で生活することが可能なのだから、問題は無いはずです。


 次に、中国人等の問題ですが、たとえば、国内での国別外国人犯罪者総数が多い国からの受け入れは制限するという原則を定め、1位の国への査証発行、永住権・帰化の許可を前年度比で50%削減、2位は30%削減、以下順次上位国からの受け入れを制限するといった準則をルール化しただけで、自然とこれらの国からの流入を減らすことができます。
 なぜなら、中国人は平成に入って以来20年連続して国別外国人犯罪者総数第1位で全体の約四割を占め、韓国人は1,2の例外を除き、不動の第2位なのですから。

 実は日本は、過去においてこれに類似した政策を取ったことがあるのです。
 十数年前、相互主義に基づいてイラン人に対する査証免除を実施したところ、イラン人の入国が激増し、それとともにイラン人の犯罪も爆発的に増加して社会問題になったことを覚えている人もいると思います。
 その際、日本政府は、直ちに査証免除を廃止し審査を厳格化したところ、イラン人の入国も国内での犯罪数も激減したということがありました。

 どうして、こういう当たり前の対応を中国や韓国に対して取ることができないのか。

 マスコミの偏向報道は別にしても、その根本的な理由は、日本には基本的な移民受け入れ政策を定める原則(法制度)が無く、その場その場の政治的判断や行政裁量に依存することが多過ぎるからでしょう。
 単純労働者受け入れ禁止の建て前の影で、実質的には労働力不足を解決するという目先の理由から、日系プラジル人や中国人就学生を受け入れたことなどは、その典型例です。

 近年は、ネットなどを通じてこうした外国人問題に関する様々な情報が拡散した結果、在日や特定アジア人に対する感情的な反発も高まってきていますが、私にとっては、これは以前の日本に濃厚にあった(そしておそらく今もある)これらの国の人々に対する歪んだパターナリズムの裏返しのようにしか見えません。

 こうした問題には、日本人か外国人かを基準に、日本の国益の観点からドライに対処する方がむしろ解決の近道になる、と個人的には考えています。

 もっとも、『友愛』なんちゃらとか「東アジア共同体」とかを掲げる現政権には、まったく期待できないことですが...orz

  • 2010/04/01(木) 12:50:57 |
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  • 1読者 #-
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>どんな時においても、法を遵守するという原理原則を貫き通す必要がある
外国人と付き合うには、この一文に尽きますね。

明確な言語でルールを規定し、それに反すれば強制退去=出て行ってもらう、でオワリです。ルールに喜んで従ってくれる人だけ(こちらに取り込む、同化、naturalizationというのは、喜んでルールに従ってくれるように外国人を導くことです)が残る。あとは違反者にたいする罰則・懲罰の執行を確保する強制力があればいいだけ。そうすれば、国内的には、いちいち「xx人は、こんなひどいことをする、こんなに恐ろしい」等々考える必要もないくらいで、むしろ事務的なくらいに淡々と処理できるはずなんですが。
つまり、日本人と同じ文化背景が無くても理解することができる、明文化された『外部から拘束する法的・倫理的規範』を日本人が認めることができるようになりさえすればでいいだけで、特定外国人への過度の猜疑や憎悪のような余計な感情的消費もしなくて済むはずなんですけどね。

>結局は、この「ドロガメ参謀」は、こういった人と絶対権力をもつワンマンがいっしょになったようなタイプなのだろうが、軍隊では人格的にボツにされるだけでなく、人間そのものがボツにされてしまうこともあるわけである。 
- この恐怖への反動が、戦後の左翼運動、学生運動で、皮肉にも思考様式が同じなため、起きたことは同じ(浅間山荘事件とか凶悪過激派事件はこのエントリーの日本軍の欠点そっくり)だったんでしょうね。今は大分マシになったと思いたいんですけど、そうでもないんでしょうかね~。

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Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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