一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「なるなる論」法からの脱却を目指そう/~日本人の思考を拘束している宿命論~

今回ご紹介する山本七平のコラム『「なるなる論」の功罪』は、日本人の行う議論が陥りがちな陥穽についてかかれたものです。

いわゆる「軍靴が聞こえる」論などは、まさにこの「なるなる」論の典型といってよいと思いますが、日本人の議論が不毛になる場合には、常にこの「陥穽」に陥っているのではないでしょうか。
それでは、以下引用開始します。

「常識」の研究 (文春文庫)「常識」の研究 (文春文庫)
(1987/12)
山本 七平

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◆「なるなる論」の功罪

大分前のことだが、ある教授と話をしているうちに、大学における「議論」というものは、大変に面白いものであるという話になった。

教授が笑いながら、大学紛争のとき、火事になった際、消防士を校内に入れてよいかどうかが問題になったと言った。

「紛争が起こっても機動隊を入れてはいけない」
「では、火事になっても消防士を入れてはいけないのか」
「いけない」


といった種類の議論で、教授は「消防士は、学問の自由とは関係ないでしょうにね。大学内の議論は、時々ヘンな方向へ行ってしまうものです。余りに論理的なのですかな」と言って笑った。

これはまじめな討論ではなく、雑談の間に出てきた一笑話なのだが、後でなぜそういう結果になるかを考え、その間にどういう論理が作用しているかを想像したとき、これは大学だけでなく、われわれの社会のすべてに通ずる問題ではないかと思った。

同じ社会に存在する以上、大学だけに全く別の論理が作用するとは考えにくいからである。

論理というよりも、そういう結論が出る思考の過程を結論の方から逆にたどっていくと、次のようになるに相違ない。

「火事のときに消防士を入れてよいとなると、結局、紛争のときには機動隊を入れてよいということになる。

そうなると小さな紛争のうちに警察官をいれた方がよいということになり、次に紛争を芽のうちに摘んでしまうために刑事をいれた方がよいということになる。

となると……となり、さらにそれが……となって、最終的には学問の自由が侵される」。


これを「学問の自由」の方からたどれば、「火事になっても消防士を入れてはならない」という結論になるであろう。
議論はおそらく、そのような形で進行したものと思う。

この思考の過程にあるものは、何であろうか。

それは簡単にいえば一種の宿命論で、「こうなるとこうなり、そうなればああなる……」という「なる」の論理であって、そこには意志的な「する」がないのである。

そしてこの論理に拘束されると、人間は何も「する」ことができなくなる

では何もしなければよいのかというと、そうはいかない。
というのは「何もしないとこうなる。こうなると、ああなる……」という形になり、最小限、何かをしなければならなくなる。

そこで、何かをしているが、実際には何もしないという状態に陥り、日常業務が機械的に動いていく以上のことは一切しないという状態に安住する結果になる

以来私は、この議論を「なるなる論」と呼んでいる。

そしてこの「なるなる論」の方式をあてはめて、何かの議論の跡をたどってみると、現在マスコミで論じられているさまざまの議論が、実はこの「なるなる論」であることに気づく。

有事立法も、原子力発電の問題も、教育論も福祉論も、みなこの「なるなる論」に落ち着いていくのである。

その結論はしばしば、「火事になっても消防士を入れてはいけない」式になっているが、この結論から論理を逆にたどると、大学におけるこの種の議論とほぼ同じ過程をたどっており、到底これを笑うわけにはいかなくなる。

この「なるなる論」の面白い点は、それが反論不可能だという点である。

事実前記の教授も、消防士を入れてはならないという結論になったとき、これに的確に反論できなかったらしい。

さらにそこに、これに反対する者は、学問の自由を売り渡そうとする権力の手先だ…などという非難・糾弾が入ってくると、どうにもならなくなって当然であろう。

従って、反論されまいとすればこの「なるなる論」がもっとも便利だから、マスコミに愛用されても不思議ではない。

この「なるなる論」は、組織が、その組織を存立させている目的を見失ったときに起こる

いわば大字が「教育をする」「研究をする」というその目的への意識的な対応、すなわち「する組織」である限り、その「する」に対応して、発生するさすざまな現象にどう対処するかという「する」が問題になるが、この基本が失われれば一切は「なる」に還元される

そして「なるなる論」は、だれかの「する論」を「そうするとこうなる、こうなると……」という形で葬ってしまっても、決して自分の方から「こうすべきだ」とは発案しない

企業にこれが出てくると、それは倒産への第一歩と考えてよいであろう。
もっとも、これは企業だけの問題ではないが……。

【引用元:「常識」の研究/P128~】


私もブログ上で議論することが多いのですが、考えてみれば、この「なるなる」論法にはよく出くわします。
(そういう自分自身も意識せず使っているかもしれませんが)確かにこの論法で反論され、そこに「資本家/ペンタゴン/ユダヤ等等の手先」といった”批難”を加えてこられると、なかなか反論するのが厄介ですね。
(なるなる論のわかりやすい例としてはこちらのブログでしょうか。)

そもそも左翼の日米同盟に反対する論理なんか、まさにこの論法そのもの。
日米同盟を深化させると、アメリカの戦争に巻き込まれる……なんてのは、そこに自らの主体的な「する」という意識がまったく欠けています。

実際、このなるなる論理に拘束されている日本人って、かなり多そうですね。
宿命論に基づいた受身的な論理で、そこには能動的に「する」という考えが入り込む余地が殆ど無い。

そうすると、現状を批判すれども、一切それを変えようという「考え方」が思い浮かばず、単なる「現状追認」となんら変わらなくなってしまう。
その結果、その主張は単なる感想文/便所の落書き程度のレベルに堕してしまうことになります。

山本七平は、企業組織がこの状態に陥ったら、倒産の第一歩だと指摘しましたが、確かに企業だけではなく社会全体に当てはまる問題だと思います。

われわれは、こうした「なるなる論」に”拘束”されがちであるということを、意識的に自覚した上でそれを克服しようとせねば、実りある議論や結果というものは生まれてこないのではないでしょうか。

そうはいっても、なかなか「なるなる論」にドップリハマッている人には、難しいかも知れませんが…。
考えてみれば「なるなる論」にハマる人って、陰謀論にもハマる傾向が強いように思いますね。
受動的な人ほど、被害妄想の気も強そうですし。


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テーマ:日本人論 - ジャンル:政治・経済

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コメント

kyusedaiさんへ

kyusedaiさん、コメントありがとうございます。

白川先生の字解、非常に面白かったです。
表意文字というのは、字型からいろいろ意味が汲み取れるところがいいですね。

>共同体に生まれた子供たちも単に「なる」のではなくて、共同体内で育生・教育「する」ことによって共同体員に「なる」(出来上がる)のですから、単に、共同体は「造る」「する」ものではなく「なる」ものである、とは断言出来ないと思います。

確かに断言できないと私も思います。
ただ、愚樵さんのご意見に見られるように、日本人は作為を嫌う傾向が強いようで、自ずと然ることを好みます。

そうした見方で、共同体を捉えているのではないかと…。

>でも、今の日本は9条があることにより他国に安全保障を得ている「なる」国かも知れないですね。

そうですね。
安全保障は他国任せで、商売にいそしんでいるというのが現状かと。
しかし、戦後しばらく弱小貧乏国家だった頃と違い、今では商売に専念していられない状況です。
そうした変化もわからず、9条を後生大事に守っていればいいなどという意見は、殆ど迷信の類いですね。

  • 2010/07/17(土) 01:08:32 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

共同体は・・・

>>共同体は「する」、つまり「造る」ものではありません。「なる」、すなわち「出来上がる」ものです。

 亡くなられた白川 静先生の字解によると
 漢字の正の起源
[『正』という漢字起源は、城を滅ぼすためにその城へ進攻して征服することを表しています。『正』の『一』は城を表し、『止』は足で進攻することを表しているのです。そして、滅ぼした相手を正すことが、本来の『正』の意味なのです。]

 同じく道の起源
[切った首を持って、道を行く字形。道を行く時に異族の人の首を刎ねて、道に潜む邪霊を、その首で祓い清め進むことを『導き』といい、祓い清められたところを『道』いう。]

となるそうですが、そもそも古代共同体も単になったのではなく、「する」ことによって形成されたものではないでしょうか。人類が歩いてきた道は「する」の連続系ではと思うのですが。
 
 共同体に生まれた子供たちも単に「なる」のではなくて、共同体内で育生・教育「する」ことによって共同体員に「なる」(出来上がる)のですから、単に、共同体は「造る」「する」ものではなく「なる」ものである、とは断言出来ないと思います。
 だから、「君が代」解釈も本から違うのでは。

 でも、今の日本は9条があることにより他国に安全保障を得ている「なる」国かも知れないですね。


  • 2010/07/16(金) 12:46:11 |
  • URL |
  • kyusedai #MkgAoDiE
  • [編集]

ap_09さん、KYさんへ

>ap_09さん

こんばんは。
お勧めいただいたリンク先ブログ拝見しました。

仰りたい意図はわかりますし、精神的な背景は一緒かもしれませんが、同胞を虐待するのとは、ちょっと距離があるように思います。

ただ、タガがはずれてしまえば、意外に近いのかも知れませんが…。

それはさておき、モンサント社のドキュメンタリーを拝見して、除草剤に耐性を持ったスーパー雑草というのがアメリカで出現し、問題になっているというニュースを見たことを思い出しました。

こういう自然に反することをやっていれば、いずれしっぺ返しの時が来るのは避けられないように思いますね。

>KYさん

今日で一周年でしたか。
もう、護憲派は綺麗さっぱり忘れてしまったことでしょう(笑)。

仰るとおり、ハマりやすい人たちに、「他人に厳しく自分に優しい」基準を持つ傾向にあるのは、間違いないでしょう。

そうでなければ、彼ら自身、自らの言動の矛盾に気付くはずでしょうから。

彼らは、自らを第三者的にみる能力に欠けています。
だから、どうしても「ひとりよがり」になってしまう。
これでは、外形は大人でも、幼児とさして変わらない精神状態と言われても仕方ないのではないでしょうか。

  • 2010/07/13(火) 23:00:13 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

今日で一周年

 >「なるなる論」にハマる人って、陰謀論にもハマりやすい

 9条狂信者も「憲法9条が改悪されると・・・」と毎度誇大妄想に陥りますが、それ故に「9条を守る我々は常に狙われ、迫害されている」という被害妄想に陥りやすいからこそナイフを常備していたのでしょうか(苦笑)?と言うことで「9条ナイフ事件」から今日で一周年ですが、容疑者が逮捕後「頭が真っ白で何も覚えていない」と供述したのは、もしや「私は権力者にマインドコントロールされて信念に反することをやらされたのだ?」とマジで考えたからではないでしょうね?
 まこれはジョークですが、「なるなる論」「陰謀論」にハマり易い人たちは、ここでも「他人に厳しく自分に優しい」基準を持つ傾向にあるのでしょうね(私も人のことは言えませんが)。

  • 2010/07/13(火) 20:37:17 |
  • URL |
  • KY #mQop/nM.
  • [編集]

一知半解さま

一知半解さま
>たとえ同民族・同宗教であっても、そのように冷酷に弱いものを扱えるものなんでしょうかねぇ…?

そのようですよ。
面白いブログがあります。
NHKが最近放映したようですね。ちょっとバイアスかかってると思わなければならないでしょうが。http://blog.livedoor.jp/chiblits/archives/51662814.html#comments

こういうのに比べると、日本の官僚の汚職なんてカワイイものです。

ap_09さんへ

レスありがとうございます。
返事が遅れてすみません。

>論理というよりそれが西洋人の気質でしょう。弱いものは徹底的に利用する。

ご指摘の日本と外国の比較部分については私もそのように思いますが、ここはちょっと割り切れない気がしますね。
たとえ同民族・同宗教であっても、そのように冷酷に弱いものを扱えるものなんでしょうかねぇ…?
(異民族・異宗教・異端ならそうした扱いもわからなくもないですが。)

  • 2010/07/12(月) 23:36:09 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

一知半解さま

>自国民の孤児をそのように扱ったのですか?それは初耳です。
どのような論理を以って、そのような扱いを自国民に対して出来るのか?
私には不可解でなりません。

論理というよりそれが西洋人の気質でしょう。弱いものは徹底的に利用する。日本人はすぐ人種差別と考えるけど、単に弱いものから搾取してるだけなのかもしれません。当時非白人は白人より武力もなく弱かったから植民地にされて搾取されたんだと思います。
アメリカでも黒人奴隷だけでなく、北部の工業地帯は貧乏な白人を黒人奴隷と同じように、雀の涙のような賃金で搾取しました。

労災・職業病である最初の記載は、煙突掃除夫をしていた「子供」の肺障害です(子供は狭い煙突の中で作業するのに有利)。

日本だと女工哀史でさえ、優良女工の場合、褒賞金が出て、田舎で田んぼで這いずり回るより、屋内の仕事で、賃金と褒賞金できれいな着物を買ったりおいしい物が食べれたりと、故郷よりマシな生活だった女工もいたようです。つまり従業員の福利厚生を考える雇用主がいたわけだし、農作業と比べてどちらが酷か言えない状況もあったのではないでしょうか。

お花畑左翼の誰一人、外国で生活したことはないと思いますが、彼らは日本のような豊かで平和で秩序ある社会で、夢想にふけって生きることを許され、無責任なことを言論の自由のもとに言うことのできる、日本の外の世界から見たら、誠に恵まれた幸せな人たちだと思いますよ。
米国には難民として、あるいは亡国の憂き目に会い、九死に一生を得て逃れてきたnew comersがたくさんいます。本当に苦労しておられますよ。私は平和ボケそのものでしたが、米国に住んでみると、世界政府だとか、意識的に守らなくても無事にすむ国や生活など、現実の世界にはありえないことを実感します。

日本は本当に「パラダイス鎖国」です。

ap_09さんへ

レスありがとうございます。

>奴隷の発生は、異民族との戦いによる征服・被征服という過程から出てきたのでしょうか。

そうした面もあるでしょうが、牧畜狩猟民族という性質も影響しているのではないでしょうか。
家畜と見なさなければ、人を奴隷として扱えないように思います。

>今年の始め、ブラウン前首相がこうした孤児たちに謝罪をしたとニュースになりましたね。

自国民の孤児をそのように扱ったのですか?それは初耳です。
どのような論理を以って、そのような扱いを自国民に対して出来るのか?
私には不可解でなりません。

  • 2010/07/08(木) 23:08:36 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

返信ありがとうございます

愚樵さま

大変面白いサイトをご紹介いただきどうもありがとうございました。
ようやくおっしゃりたいことがわかってきたんじゃないかと思っています。

私的には、日本では自民党を含む保守政党も極右を名乗る集団もすでにかなり社会主義的で、それが女性原理の強い日本社会ならではとも考えられる、と改めて納得しました。一方、左翼は社会解体を画策しているようにしか見えませんけど。
一知半解さんは政治ブログでおられるので、現実問題への提起、愚樵さんは実際の政治というより理想社会の追及ということですね。

一知半解さま

奴隷制の件、丁寧なご説明と過去記事のご紹介をありがとうございました。
アメリカにはもう奴隷はいませんが、日本との違いはまさしく、このネルソン提督と東郷提督の違いのようにみえます。
でもナポレオン・ヒルとか、郵便受けに時々入っているチラシみたいな「成功への秘訣読本」に、この日本の共同体的考えを、成功への“コツ”として勧めているのをよく見かけます(勤勉と共同体に関する清教徒的思考なのかもしれませんが)。反対に日本ではこの“一層奮励努力”が行きすぎて、極端なサビ残、単純作業にまでスジ違いな献身を求められることがあるようですね。どちらも極端に走ると良くないということなのでしょうね。

奴隷の発生は、異民族との戦いによる征服・被征服という過程から出てきたのでしょうか。

とは言っても欧米人は同胞に対してもひどい扱いをする人がいるようです。戦勝国側のイギリスは、第二次大戦後戦災孤児をオーストラリアに養育が場所があるように装って送り、これらの孤児たちは、オーストラリアで奴隷同様、身体・精神的、性的に虐待されて育ったそうです。今年の始め、ブラウン前首相がこうした孤児たちに謝罪をしたとニュースになりましたね。
日本はこういう、社会的強者が弱者を容赦なく搾取することはほとんどないので、階級闘争とか左翼の主張の前提条件そのものが、そもそも存在しないのではないかと。

ap_09さんへ

レスありがとうございます。

>これ、どのような違いをもたらしたのか、もしよろしければ出典も含めてお教えいただけませんでしょうか?

欧米の組織は、もともと奴隷を使うことを前提に組織が作られているそうです。

奴隷というのは、「4分の1馬力の万能コンピューター」という「家畜的存在」であると山本七平が唱えていたと記憶していますが、そうはいっても人が家畜扱いされれば、生産性が上がりません。

そこで、やる気のない人間でも動かせるような「組織」が必要とされるわけですね。

過去の拙記事↓にもそれを連想させる記述があるので一部引用します。

◆物量ではなく思想の違いで敗れた日本
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-196.html

(~前略)

私は砲兵の観測将校だったので、その後にも双方の射法の違いに関心を持ち続けてきたが、その結論を簡単に要約すれば、日本軍は観測将校の名人芸に依存し、彼らは、バカでもチョンでもできるシステムに依存するという違いなのである。

(後略~)


上記の記述にも見られるように、奴隷でも扱うことが出来るようなシステムを作りあげるのが、欧米人は得意です。

欧米の会社が、人の入れ替わりが激しいにも関わらず運営できるのは、徹底したマニュアル主義を採用し、誰でもマニュアルどおりに行えば、出来る環境を整えているからです。

共同体のような「恩恵⇔奉仕」のような関係ではなく、あくまでも「契約関係」を通じたドライな関係なのですね。
だから純然たる機能集団になりうるし、会社の為に自殺する(犠牲になる)ような人間も出てこない。

そういえば岸田秀が、トラファルガー海戦のネルソン提督と、日本海海戦の東郷提督との言葉を比べて、両国民の行動原理の違いを指摘していました。

ネルソン提督
「英国は各人がその義務を尽くすことを期待する」

東郷提督
「皇国の興廃この一戦に在り各員一層奮励努力せよ」


要するにネルソン提督は、「お前らは自分の職務だけを確実にこなせば良いのだ」といっているのに対し、東郷提督は、「各自が頑張れば日本は勝てるんだぞ、たからお前ら頑張れ!」といっているわけですね。

日本の場合は、自らが共同体の一員であることの誇りを抱かなければやる気が出ないのです。
欧米の場合は、最初から「社会の歯車」にやる気なぞ期待していない(笑)。

最後に関連すると思われる過去の拙記事を挙げておきます。まだ、未読でしたら是非ご覧になってみてください。
解放奴隷の成立過程などは、非常に面白いと思いますので。

◆神、主人、奴隷の三角形とは~西欧の「契約」の背景にある神~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-170.html

◆日本で個人主義が嫌われる理由とは?~神の歯止めを持たない日本人~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-171.html

  • 2010/07/06(火) 23:01:49 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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Re:女性原理社会

・ap_09さん

私などが説明するよりも、こちらの素晴らしい文章がありますので、是非目を通して見てください。

永井俊哉ドットコム 論文編
「男社会はいかにして成立したのか」
http://www.nagaitosiya.com/a/bachofen.html
「なぜ日本人は幼児的なのか」
http://www.nagaitosiya.com/a/japanology.html

女性原理社会の方が、平等で平和で良いとする場合、今の文明で、具体的にどうやって、

そのような大問題に自信をもってお答することなど到底出来ませんが...。あくまで私の意見として申し上げれば、共産主義社会がその答えに当たると思っています。

「能力の応じて働き、必要に応じて取る」

です。これは健全な家族が自然に営む経済であり、それが社会全体の経済となったときに、平和な社会も同時に実現するだろうと思っているわけです。

(家庭経済の主導権を握るのは主婦だというのは日本人的発想ですが、共産主義でも女性主導になると思います。)

ただし私は、現在の左派の思想から共産主義が実現することはないだろうと思っています。健全な家族経済は健全な共同体経済ですが、前にも述べたとおり、共同体は「つくる」ものではなくて「できあがる」ものだからです。革命によって「つくる」ことを目指しているようでは、共同体経済はいつまで経っても出来上がりはしない。共産主義への距離はむしろ右派の方が近いとすら考えているくらいです。

ただ、現在の資本主義が放っておけば共産主義に「なる」とは考え難い。なにか仕掛けは要るでしょう。今のところその仕掛けとして有力だと思うのが減価貨幣。マイナスの利息が付く貨幣ですね。

現行の貨幣は人々を分離する方向へ圧力を加え、その結果共同体は消滅しつつあるわけですが、減価貨幣による経済は反対に人々を融和させる方向へと圧力をかけるだろうと予測しています。もしそうなれば、融和への圧力は自然に共同体経済へと「できあがっていく」ことになるでしょう。

(以上は私自身も根拠を上手く説明出来ない直観のようなものですから、ツッコミはなしに願います。)

  • 2010/07/06(火) 19:33:30 |
  • URL |
  • 愚樵 #-
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女性原理社会

女性原理、男性原理、とても興味深いお話ですね。

>女性原理だと「共に生きるために仲間になろう」と行動する。
幼児の遊ぶさまを観察していても、女の子は並列、対等な関係のグループを作るの対し、男の子はあっという間にヒエラルキーを構成して機能グループを組織するというのはよく知られた性差のようです。日本が女性原理の強い社会というのは、いまひとつ理解しておりませんでした。よろしければもう少し具体的にお教えいただけますか?

自分の勝手な印象ですが、現実には強国や大国は男性原理で動いているように見えます。母性社会はおそらく原始社会的(なんだかアボリジニーとかイヌイット、アメリカ・インディアンのように思ってたんですが、間違ってたらごめんなさい)で、これ自体はおそらく何万年も変わらず、現在優勢な社会よりずっと長いこと続いていたはずなんですが、今の社会形態が発達するにつれ、みんな滅ぼされたか絶滅寸前なんじゃないかと。精神的には幸福感の大きい社会なのかもしれませんが、残念ながら、現実的には“生き残れない”社会なんじゃないでしょうか。

女性原理社会の方が、平等で平和で良いとする場合、今の文明で、具体的にどうやって、他に滅ぼされたり同化されてしまうことを避けて、そのような社会が達成できるとお考えですか?

共同体は無意識の領域

・一知半解さん

>アメリカの場合は、星条旗に忠誠を誓うことで共同体の構成員になりますから、より意識的に能動的な構成員になれますが、日本の場合は、そこのところ非常に無意識的でしょ。

そう、日本人は無意識的。それを指して共同体と私は言ってます。だから「なる」ものなのです。

・ap_09さん

>共同体にはたいてい「する」と「なる」の両方の要素がありそうです。

私が「する」と「なる」とで共同体・近代国家とを分けた基準は、その出発点です。近代国家は「する」によって造られた、共同体は「なる」によって出来上がった。

「する」である集団が出来上がれば時間の経過とともに「なる」が働いて共同体と化していくのはごく自然なこと。ですが、近代国家には常にもともとの出発点であるところの「する」へ回帰しようとする圧力がある。国歌がその圧力の一例ですし、絶賛されたオバマの就任演説なんかもそうだったでしょう。

・再び一知半解さん

>愚樵さんは、日本の共同体をちょっと特別視してませんか?

してますよ。日本人ほど女性原理が強い集団は他にちょっと例がありませんから。

だいたい「なる」は女性原理、「する」は男性原理なんです。世界中のどこの地域でも共同体は「母」のイメージ。国家も共同体化していくと「母国」であって「父国」とは言いません。

共同体の維持のために、安全保障が要請されるのであって

こういう発想がすでに男性原理。女性原理だと「共に生きるために仲間になろう」と行動する。9条はその延長線上にあるのですが、しかし、それを憲法といった男性原理的なところへ押し込めてしまったのですね、日本は。そのあたりが混乱の元だというのが私の認識です。

  • 2010/07/06(火) 06:49:37 |
  • URL |
  • 愚樵 #-
  • [編集]

奴隷と組織構成

一知半解さま
お返事ありがとうございます。

>日本の場合、奴隷制が無かったことも、日本の組織作りに影響しているといわれてますな。
これ、どのような違いをもたらしたのか、もしよろしければ出典も含めてお教えいただけませんでしょうか?

愚樵さん、ap_09さんへ

>愚樵さん

コメントありがとうございます。

日本人は作為・不自然を嫌う傾向にあると山本七平が指摘していますね。
なにごとも自ずから然る(=自然)が好まれると。
だから「会議や話し合いの結果こうなりました」と言うのであって、「こうしました」とはあまり言わない。

愚樵さんのコメントを読んで、ふとそんなことを思い出しました。

>が、近代国家は「する」もの、つまり作り上げるもの。
>つまり近代国家は共同体ではないのです。


う~ん、愚樵さんのいう「共同体」の定義がよくわからないのでなんともいえませんが、要するに日本のように自然に「出来上がる」社会が共同体で、人工的に「作りあげる」社会は共同体ではないということでしょうか?

私は、過程は違えど同じく共同体だとおもいますけどねぇ。
共同体というのは、その構成員が帰属意識を持ち、一方的に恩恵を享受するのではなく、共同体に対して奉仕や犠牲を払う精神を抱けば成立すると考えますので。

アメリカの場合は、星条旗に忠誠を誓うことで共同体の構成員になりますから、より意識的に能動的な構成員になれますが、日本の場合は、そこのところ非常に無意識的でしょ。何らかの刺激が無い限り、共同体の構成員であることを自覚できないようなイメージが私にはありますが。

>日本という共同体の目的は、その中の成員が“生きていくこと”。戦争はその目的ではない。だから軍備の放棄という考えが出てきても不思議ではない。

日本のみならず、世界中どこの共同体でも、構成員が生きていくことが重要視されていると思いますよ。
共同体の維持のために、安全保障が要請されるのであって、どんな共同体であれ、戦争することそのものが目的ではないはずです。

愚樵さんは、日本の共同体をちょっと特別視してませんか?
軍備の放棄という考え方は、日本という共同体の特殊さから生まれてきたとはあまり思えませんが…。

>ap_09さん

>戦争を目的として作られる共同体など存在するのでしょうか?
>戦争は目的、原因があるからするので、戦争自体を目的とする共同体はありません。


私も同意見です。
戦争を目的として作られるのは、「共同体」ではなく「機能集団」である軍隊のはずです。

ところが、日本の場合、軍隊も一種の共同体となってしまい、戦争末期には、その組織の維持が最優先され、本来の目的である「戦争に勝つ」という目的すら後回しにされてしまった感が否めません。

山本七平が指摘していましたが、日本の場合、組織というものは全て共同体に転化してしまうが故に、その本来の目的を失ってしまうと、組織維持だけが至上目的となり、機能集団の役割すら果たせなくなってしまう。

逆に言えば、共同体であるが故に、目的さえしっかり保持すれば異常な能力を発揮できる組織でもあるわけですね。
何事もコインの両面がありますね。

なにはともあれ、日本は、欧米のような「機能集団」を作り上げる「組織論」を持っていないようです。
日本の場合、奴隷制が無かったことも、日本の組織作りに影響しているといわれてますな。

  • 2010/07/05(月) 23:39:16 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

共同体と「する論法」

愚樵さま

近代国家の成り立ちは「する」と「なる」の違いというのは面白いですね。

一つの考えとしては面白いですが、共同体にはたいてい「する」と「なる」の両方の要素がありそうです。純粋に「する」共同体(たとえば何かのクラブの会員)では、その機能範囲が極めて限られており、そのなかで世代を重ねて「生きる」ことができるぐらい包括的な「する」共同体はないのではないでしょうか。
現実としては、生まれるとき親を選べないように、国家を選んで生まれてくる「ヒト」はいません。つまり「なる」わけで「する」のではありません。「する」とはその後、国を“選ぶ”かどうかなのでしょう。普通よほど食い詰めない限り、たとえ外国に住もうとも、「選ぶ」人は少数のようです。あるいは「選べる」かどうかもそう簡単には行きません。何年住もうと、その国の人間になりたいと思っても、当該国が「いいよ、うちの国の人にしてあげる」と簡単に言うことはないですよ。

>日本という共同体の目的は、その中の成員が“生きていくこと”。戦争はその目的ではない。だから軍備の箒という考えが出てきても不思議ではない。
戦争を目的として作られる共同体など存在するのでしょうか?
戦争は目的、原因があるからするので、戦争自体を目的とする共同体はありません。たとえ軍隊を共同体と考えても、軍隊でさえ戦争を存在目的として組織されるものではありません。詭弁ではないですか?
あるいは、無目的・原因なしの戦争とは、“殺戮のための殺戮”という思考であり、つまり戦争自体を指向して共同体が形成されるとしたら、それは狂気です。「軍備の無条件の放棄」という考えは、思考の展開としては、これと同じコインの裏のような考えかたで、狂気ともいえますね。

>近代国家は「する」もの、つまり作り上げるもの。
逆に考えると、それほど意志を強く持たなければ、国を維持・存続させることは難しいと解釈することもできます。

共同体と「する論法」

他所様のブログの話はおいておきまして。
コメント欄で話が共同体に及んでいますので、少しコメントを。

共同体は「する」、つまり「造る」ものではありません。「なる」、すなわち「出来上がる」ものです。

日本人は生まれながらに日本人です。自らの意志で日本人に「なる(この場合は「する」」必要はない。ある集落で生まれた子どもは生まれながらにしてその地域共同体の成員です。意志は関係ない。

が、近代国家は「する」もの、つまり作り上げるもの。そのことを良く表しているのが国歌です。アメリカの『星条旗よ永遠なれ』、フランスの『ラ・マルセイエーズ』をはじめ、ほとんどの国歌が“国家」の建設”を歌っています。つまり近代国家は共同体ではないのです。

ところが日本というクニは、実は共同体です。『君が代』という国歌をみればそれはわかります。『君が代』には「する」はありません。あるのは「なる」です。「なったもの」が、千代に八千代に続けよ、という祈りの歌。これは共同体の在り方です。

私が思うに、右翼と左翼の論理はともに共同体・近代国家と「する」「なる」の整理が上手くできていません。右は日本を「なる」共同体とみなしつつ、西洋流の近代国家のような軍備が必要だと考える。逆に左は日本を「する」近代国家に革新しようとしつつ、軍備を放棄しようとする。

>組織はそれが成すべき目的のために存続しなければならない

日本という共同体の目的は、その中の成員が“生きていくこと”。戦争はその目的ではない。だから軍備の箒という考えが出てきても不思議ではない。

しかし、近代国家は違います。近代国家は戦争によってできた。アメリカは独立戦争で、フランスはナポレオン戦争で近代国家になった。戦争で国家になったから「する」であり、ゆえに軍備は近代国家の不可欠な要素です。

  • 2010/07/05(月) 19:03:29 |
  • URL |
  • 愚樵 #-
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ap_09さんhe

ap_09さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

>身近なものには過度の共同体意識、冷たい外の風が吹き荒れる世界から我々を守ってくれる大事な共同体ある日本国に対しては共同体意識が無いのが問題なんですね。。。

まぁ、今までの日本は、(四方を海で囲まれ外敵がいないという)環境的に恵まれすぎていたせいかも知れないとわたしは思ってます。

ですから、国というものを、あまり意識しなくても、これまではやってこれたのでしょう。

山本七平が、文化圏と言語と国境が一致するのは、世界を見渡しても日本以外あまり見られないと指摘していましたが、それを当然だと勘違いしている日本人がいまだに多いように思います。

「国家はあれば重荷だが、無ければさらに困った状態に落ち込む」という二律背反的な”要素”を持つということを理解せず、搾取する悪としてしか捉えられない単純馬鹿が左翼には多すぎますね。

一個人としての視点としては仕方ないかも知れませんが、こういう輩が政治を動かすようになったらオシマイですね。

  • 2010/07/03(土) 22:27:43 |
  • URL |
  • 一知半解 #-
  • [編集]

売国戦士さんに質問

まぁ、教育の仕方には人ぞれぞれお好みがあるでしょうが、リストのどこが北朝鮮並みの統制なのでしょうか?
一時的な体験教育法の提案だけで、どこにも誰かの行動を無制限に規定して強制したり、そこからはずれたらその人物の自由を奪って拘束するとか、罰則を科すことは載ってないように見えるんですけど、何を指摘されたいのか意味不明です。

もう少し具体的に、何が北朝鮮並みなのかご説明いただけるとありがたいのですが。

自民党は北朝鮮並みの統制国家を目指してる
  1.子どもへの方策
●甘えるな
●生かされて生きることを自覚せよ
●団地、マンション等に「床の間」を作る
●遠足でバスを使わせない、お寺で3~5時間座らせる等の「我慢の教育」をする
●地域の偉人の副読本を作成・配布する
●学校に畳の部屋を作る
●簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働をする
●満18歳で全ての国民に1年ないし2年間の奉仕活動を義務づける
●有害情報、玩具等へのNPOなどによるチェック、法令による規制

  2.大人や行政が主体となって家庭、学校、地域で取り組むべきこと
●バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う
●子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
●「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う
●一定レベルの家庭教育がなされていない子どもの就学を保留扱いする
●文部省、マスコミが1、2週間程度学校で過ごす
●警察OBを学校に常駐させる
●企業は教育に関する書籍や地域の歴史文化に関する書籍を備えた父親文庫を設置する
●名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する
●マスコミと協力したキャンペーンを行う

  • 2010/07/01(木) 17:57:48 |
  • URL |
  • 売国戦士 #HnQZSvRw
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横レスすみません

>日本の組織の問題点は、共同体であるが故に、組織の存続そのものが優先され、組織の目的が忘れさられがちであることだと、山本七平は指摘していました。

横レスすみません。
突然ハタと思ったのですが、

『日本の国の問題点は、共同体であるはずなのに、国家の存続そのものが優先されず、国家が国民から搾取する目的を持つという妄想ばかり強調する、左翼によって蝕まれて行くことである、と山本七平は、私に思い出させました。』

身近なものには過度の共同体意識、冷たい外の風が吹き荒れる世界から我々を守ってくれる大事な共同体ある日本国に対しては共同体意識が無いのが問題なんですね。。。

コメントありがとうございます。

コメントいただいた皆様、レスが遅くなって大変すみません。

> ysJournalさん

コメント&激励ありがとうございます。
山本七平のコラムが参考になって嬉しいです。
おかげで、紹介した甲斐があると言うものです。


>愚樵さん

コメントありがとうございます。

趣旨自体には賛成いただけたようで良かったです。

>あなたが他人様に向かっていう資格はないと思います。

それは第三者各人の判断に委ねさせていただきたいと思います。
もちろん、自分がまったく「なるなる論」に拘束されてないとは言うつもりはありません。

ただ、なるなる論の存在を意識的に把握しようと努めているつもりです。
その点、まったく無自覚の人とは違うと思いますが…。

それに、議論の場において、主張をする者に「資格」を求めるのは、いかがなものかと思います。

相手の主張に触れずに、相手そのものを否定したい時にそのようなテクニックがよく使われますね。
相手に資格を求めれば、マルクスのような偉人ですらその主張を認められないことにもなりかねません。

仮に資格云々で言うならば、私は論争相手のことを、エージェントとか資本家の手先呼ばわりしたことはありません。

論争相手をそのように扱う人間には資格があって、それをしない私には資格が無いとでもいうのでしょうか?

>この「主体」ってなんですか?一知半解さん自身ですか?

もちろん、自分もこの「主体」になりたいと思ってますし、愚樵さんでも、誰でもなることができると思いますが。

>「する」のはいつでも個人です。で、個人ならば揺れ動くのが自然です。でも、あなたは揺れない。というか、揺れそうになると逃げる(笑)それが「こちらのブログ」であなたが示した態度です。

まったく「揺れない」なんてことはありませんよ。
過去にもこのブログ上で自らの主張の誤りを認めたことはありますし、コメンテイターからの意見で、主張を変えたことだってあります。

要するに、自分が納得できる主張であれば、君子豹変するにやぶさかではありません。

また「こちらのブログ」から逃げたと仰りますが、自分の主張はほぼ示したつもりですし、さして自説を崩すような反論もいただけなかった。
これ以上繰り返しても時間の無駄だと思ったので、議論を止めたに過ぎません。
それを「逃げた」と判断されるのは貴方のご自由です。
私としては、第三者の判断に任せるのみですね。

>和久希世さん

このコラムを取り上げようと思ったとき、貴方のブログが真っ先に思い浮かんだので、取り上げさせていただきました。
貴方にとっては不愉快だったでしょうが、今まで度々議論させていただいた間柄ということでご容赦ください。

>貴方は現在の世界の情勢も、人の言葉も、全然心に受け入れる気はない人のようですね。

貴方から頂く反論は、全て貴方自身に当てはまるように思います。
まさにひとりよがりのブーメラン。
「自らを省みる」ということは貴方の辞書にはなさそうですね。
それでは、今後も騙され続けることでしょう。

>yuichさん

>自覚がないから度し難い。

まさにその通り。
自らを絶対善だと思い込んでいる人ほど始末に困る人間はいませんね。

>Saizwongさん

ドラッカーという方は、名前だけは存じてましたが、そのような事を仰っているのですか。
著作をご紹介ありがとうございます。
図書館行く機会があれば、探してみます。

>組織が批判されているのはなによりもその組織が成すべきことをしていないから

山本七平は、組織論についても語っているのですが、彼に言わせると、組織には二通りあるそうです。

一つは、機能集団。もう一つは、共同体。

欧米の会社・軍隊などは、純然たる「機能集団」にちかいのですが、それに対して、日本の組織というのは、擬制の血縁関係が働く所為か「共同体」となり易い…とのこと。

日本の組織の問題点は、共同体であるが故に、組織の存続そのものが優先され、組織の目的が忘れさられがちであることだと、山本七平は指摘していました。

  • 2010/06/30(水) 22:48:49 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

似ているなぁ

 組織はそれが成すべき目的のために存続しなければならない、というのは最近流行のドラッカーも述べていることですね。

 組織が批判されているのはなによりもその組織が成すべきことをしていないからだとドラッカーは「マネジメント」で書いています。
 そして、手段と目的を取り違ってはいけないとも言っています。企業が儲けるのは物やサービスを提供し続けるための手段であって、これを目的と勘違いしてはいけない、と。

 機会がありましたら「マネジメント」で述べられていることとこの山本氏の述べられていることを比較してみると面白いかもしれません。
 
 ただ、組織はともかく、自分自身が本当に常に「する」という意識でいれるかというと難しいところですねぇ。
 私も日々精進が必要だと痛感する次第です。

内容の吟味

バカの言っている事でも正しい事はあるのに、言っている人を内容を考えずに人を批判するのは愚かな事です。一知半解さんがバカと言っている訳ではありませんが、もし、そうであっても、今回の紹介内容の素晴らしさには何も影響しません。(余分な例とか入っているんで、ややこしくなっておりますけど)

今後も頑張って下さい。

彼らは正義を為しているだけです。
売国的行為を正義と信じ、それを為すことによって満足感を得る。
国を売っている自覚があれば救いようもありますが、
自覚がないから度し難い。
彼らの正義は多様性を認めない、その自覚なしに極めて攻撃になる(内ゲバ)
リデルハートは言った。「平和を欲するなら、戦争を理解せよ」と。
その言葉の正しさを証明するかのような言葉を、
一つの武道を極めた人物が語っている。
「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」
(塩田剛三、合気道で一番強い技を聞かれて)
そしてリデルハートはこうも語ったという、
「私の平和主義者の友人の多くと付き合っていると、
彼らの見解にはもちろん共感するんだが、
戦争の廃絶について私をほとんど絶望させることがあまりにも多い。
というのも、彼らの熱烈な平和主義の中にある
好戦的な要素が目の前にちらつくからだ」

  • 2010/06/28(月) 17:28:59 |
  • URL |
  • yuich #SI7qqvMI
  • [編集]

TB有難うございました。
これを読んでの感想は、「哀れ」と言葉に尽きるでしょうか。
要するに自分の考え方が間違っていたかもしれないと、心の奥で気が付いても、
これまでの自分の信念を曲げるのだけはどうしてもいやであると言う場合に、
人が良く使う手ですね。
「省みて他を言う」http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8A%E3%81%BF%E3%81%A6%E3%81%9F%E3%82%92%E3%81%84%E3%81%86&dtype=0&stype=1&dname=0ss

お話にならないくらいに馬鹿な者の話を持ってきて、
それと相手との共通点はないかと探し、
そして其れにすがると言うやり方です。

貴方は現在の世界の情勢も、人の言葉も、全然心に受け入れる気はない人のようですね。
要するに「自分が間違っていたかもしれない」なんて絶対に思いたくないという事だけに、
拘っておられる人のように見えます。

愚樵さんの仰るとおり、
あなたは揺れない。というか、揺れそうになると逃げる(笑)ですね。

もう貴方と議論しても、無意味であると確信させられました。

追加です。(dendrodiumに書いたものです。)
何時の時代にも、信念がすぐにぐらつき、言ってる事が次々に変る者の事は、信用ならない者として、しばしば批判され、
自分の信念を守る人は、意思の固い人として、賞賛されるものです。

その一方で、「君子は豹変す」と言って、
君子という者は、自分が間違っていたと気が付いたら、豹の斑点のようにくっきりと、過ちを認めて改めるものである。とも言います。

「自説に自信をなくして、すぐに考えを変えるのが良いのか?
あくまで自己の信念を守るのが良いのか?」と糾したくなられるかもしれませんが、
どちらも良い、と同時にどちらも悪い、とお答えするしかありません。

物事には両面性があるのはご存知でしょう?
だからどちらであっても、其れに縛られるのでは良いとは言えないのです。
行雲流水、臨機応変と色々な表現がなされてきていますが、
少なくとも、40~50年も前の社会評論に、何時までも縛られていて、
社会情勢が真反対になっている現代にも、
その評論を参考にして判断をし続けていたのでは、無理が生じても仕方ないでしょう。

貴方は軽佻浮薄な現代の風潮に染まりたくないと言う気持ちから、
自説を守る信念の人でありたいと言う美意識で、頑固になっておられるのではないかと想像されますが、
物事はどんな事であっても、とらわれてしまった時、
思いもかけない落とし穴、迷い道が待っているということも思い出して、
「君子豹変」と言う言葉の意味を噛みしめていただきたいと思います。

君子豹変と言う言葉には、近年別の悪い意味をかぶせて使う事が流行っているようですが、
本来の意味での君子豹変です。念の為
http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo01.htm

  • 2010/06/28(月) 07:55:02 |
  • URL |
  • 和久希世 #dN1wHbUA
  • [編集]

このエントリーの趣旨には賛成ですが...

一知半解さん、あなたが他人様に向かっていう資格はないと思います。少なくとも私は。

あなたも「なるなる論法」に拘束されているようにしか見えないから。

>そこに自らの主体的な「する」という意識がまったく欠けています

この「主体」ってなんですか? 一知半解さん自身ですか? ならばあなたには「資格」はあります。でも、そうは見えない。

「する」のはいつでも個人です。で、個人ならば揺れ動くのが自然です。でも、あなたは揺れない。というか、揺れそうになると逃げる(笑) それが「こちらのブログ」であなたが示した態度です。

一知半解さんは「する」を国家と勘違いしてませんか。そんなのは「なるなる論法」の一変種でしかありませんよ。

  • 2010/06/28(月) 07:16:26 |
  • URL |
  • 愚樵 #-
  • [編集]

リベラルなのに天皇制が好きな方

一知半解さん
「こちらのブログ」をクリックして、大爆笑してしましました。ナイス!!

原子力発電に反対なので、乾燥機は無くても良いそうです。お年なのにご苦労な事です。ついでに、洗濯機も無くて良いのではないかと、一歩進んで突っ込んだ所で終わってしましまいました。

今回のエントリ-は勉強になりました。

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これは昨日頂いたコメントに私が書きましたコメントの写しです。 憲法9条をなぜ変えるべきではないと思っているかについての理由を、分かり...

  • 2010/06/28(月) 09:28:05 |
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Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

http://yamamoto7hei.blog.fc2.com/

★★コメント欄運営方針★★
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