一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

言霊③祝詞化している”外国製”日本国憲法

随分と間が空いてしまいましたが、言霊①言霊②の続き。
前回、日本人がなぜ契約下手なのか、言霊コトダマ)の影響もあることを紹介しましたが、今回はその続きです。

日本ではなぜ有事立法がなかなか成立しなかったのか?その理由をわかりやすく解説してくれています。以下、井沢元彦逆説の日本史〈3 古代言霊編〉平安建都と万葉集の謎より引用していきましょう。

■「祝詞」化している。”外国製”日本国憲法

有事立法――簡単に言えば、国家的変事の際に敏速に対処できるよう法律を制定することだろう。
しかし、この有事立法、いわゆる進歩的文化人やマスコミには、極めて評判が悪い。

かつて「平和憲法」を批判すると「軍国主義者」「右翼」と言われたように、今は有事立法に賛成すると同じような非難を浴びせられる。

そういう非難を浴びせる人々は、有事立法を推進しようとする人々に対して、「まず有事立法ありき、だ。それはおかしい」と言う。

ところが、この表現、実は近代国家の常識としては変なのである。
なぜか。「まず有事立法ありき、だ」という非難の内容をわかりやすく述べれば「有事立法を制定すること自体が既に決まっているかのように言うのはおかしい。まず、それが必要なのかどうかを決めるべきだ」ということだろう。

だが、そもそも広い意味での「有事」に対する備えとして「政府」や「国家」はあるのだ。
たとえば、国家は他国の侵略から国民の生命財産を守る責任がある。だからこそ国民の税金で軍隊を維持しており、いざという時つまり「有事」にはそれを動かして国民を守らねばならない。

それゆえに、「有事」の際にそれをどのように動かすかは当然事前に決めておかねばならない。
もちろん軍隊というものは、一面では「飼主」である国家を滅ぼすほどの力を持つものであるから、その「軍隊の動かし方」については極めて慎重に対処しなければならない。

つまり「有事立法」の内容について、様々な議論があるのは当然だ。しかし、そもそも「有事立法」の制定自体許せない、という意見はおかしいのである。

 (中略)

なぜ、そんなことになるのか。
言うまでもない、コトダマである。
戦前「アメリカと戦争すれば負ける」という「事実」を口にすると、「非国民」と罵られ社会的に抹殺された。なぜなら、コトダマの世界では「言えば実現する」から、「不吉」なことを言う人間は非難される。軍国主義者だろうが平和主義者だろうが「アメリカに負ける」と言えば、「アイツはアメリカに負けることを望んでいるんだ」ということになった。

同じことだ。
 「奇襲攻撃を受けたら自衛隊は起法規的に行動せざるを得ない」と言えば、コトダマの世界では「日本が外国の奇襲攻撃を受けること」「自衛隊が法律を無視して(超法規的に)行動すること」を「望んでいるヤツだ」ということにされてしまうのである。

だから非難される。
しかし、理性的に考えれば、これは非難する方がおかしい。栗栖(wiki参照)発言は「現状の問題点」を述べただけだ。公務員が自分の仕事に問題点があると気付けば、発表するのがむしろ義務で非難されるいわれはない。

仮に、栗栖氏が内心「これをきっかけに日本の軍国主義化を進めてやろう」と思っていたとしても、発言自体は事実なのだから非難してはならない。あとはその問題提起を受けて、それこそ民主的に「有事における法」の内容を決めていけばいい。

だが、コトダマの生きている国では、そもそも、「有事」という「不吉な事態」の想定すら拒否するのである。それも、そういう事態を「想定」すれば、それが実際に「起こる」と信じているからだ。

これが小松左京氏の言う「弥生時代ぐらいからの判断の形式や心情というのが、つぶされずにいままで残っていて、今の社会的選択に影響を与えている」ということであり、もっと端的に言えば「コトダマに振り回されている」ということなのだ。
【逆説の日本史3古代言霊編より引用】


ちなみにこの記事を井沢元彦が書いたのが1995年頃です。この時点ではまだ有事立法は作られていませんでした。
実際には、栗栖氏が、超法規発言をして統幕議長を解任されてから、25年後の2003年にようやっと有事立法が成立しています。実に四半世紀も掛かったわけですね。

続いて、言霊に左右される日本と、そうでない外国との違いについて、井沢元彦は、「結婚」を例に挙げわかりやすく説明していきます。

栗栖氏を非難した人々、特にジャーナリストは猛反省をすべきだろう。
しかし、そうは言っても、なかなか納得はしまい。では、コトダマの無い世界、つまり外国では、有事つまり「不吉な事態」を想定することが、いかにあたり前のことかを実例をもって示そう。

 「不吉な事態」の想定が最も嫌われるのは、どんな場合か。
すぐに考えつくのは「おめでたい席」だろう。人生の最大の慶事といえば、その一つに結婚式があることは誰しも異論がないのではないか。
その結婚式に際して、キリスト教徒は次のような誓約を交わす。

Do you,新郎(新婦)の名, accept in Holy Matrimony this woman(man)for better orfor worse, in sickness or in health until death do you part?

汝は、この女性(男性)をよきにつけ悪しきにつけ、病の時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、聖なる結婚により妻(夫)とするや。

死が二人を分かつまで――名文句である。もっとも、私は確かにこう習ったのだが、最近の教会で使われている誓約ではここが「命のある限り」と変わっている。ひょっとしたら――、いや、その前に聞こう。この誓約はロマンティックな言葉だと思いますか?

日本人は十人が十人ともイエスと答える。特に女性は百パーセントそうだ。

では、私が結婚式に招かれて新郎・新婦を前に次のようにスピーチしたらどうか。

 「本日はおめでとうございます。しかし、結婚生活というのは必ずしも順風満帆とは限りません。新郎がすぐに事故にあって半身不随になるかもしれない。新婦は子宮ガンにかかって子供が産めなくなるかもしれない。そんな時にも決して互いに捨てたりしないということを、ここでどうか誓って下さい」

これなら、まだ許されるかもしれない。だが、さらに次のように述べればどうか?

「夫婦というものは、まず十中八九同時に死ぬことはあり得ません。同時に死ぬとしたら、心中か事故かロスで強盗に撃たれるか伝染病にかかるぐらいしかないのですから確率は数パーセントです。残りはすべて『相手に先立たれる』のですから、その時はただちに再婚の権利が生ずることを、確認しておくべきだと存じます」

まず、新郎・新婦も親戚もカンカンになって怒るだろう。式場から叩き出されるかもしれない。
しかし、ここでもう一度先程の結婚式の誓約を見て頂きたい。私の「スピーチ」は誓約の内容を具体的に述べただけなのである。

 「病の時も健やかなる時も」これは「相手が病気になり、たとえ半身不随になっても捨ててはいけない」ということであり、「死が二人を分かつまで」とは「この婚姻(契約)は夫婦どちらか一方の死をもって終了する」ということだ。そして「契約が終了する」のだから、新しい契約つまり再婚は自由にできることでもある。

つまり、これも「有事立法」なのだ。

人間はいずれ死ぬ。だから「相手に先立たれる」可能性はかなり高い。前述したように、夫婦が同時に死ぬケースは稀だからだ。だからこそ、その高い確率で予想される事態については、「死」といういかに「不吉」なことであっても、きちんと想定し対策を考えておく――これがコトダマに振り回されない民族の考え方である。

日本人はそれができない。

ではコトダマの世界では、結婚式にはどんな誓いを立てればいいのか。
それは「祝詞」である。

祝詞とは、めでたい言葉のみ書き連ね「死」や「病」という不吉な言葉は一切排除した文章だ。

申し上げますのも恐れ多い○○神社の大前に、つつしんで申しあげます。
(中略)
今より将来、この夫婦の契は永久に変わることなく移りゆくことなく、今日を生き生きとした満ち足りた日とつつしんで定めて、御礼のしるしの幣帛及び御米、御酒、種々の食物を奉ってこのことを告げまつり拝み言つりますさまを、平らけく安らけく聞こし召し、また演奏いたします歌舞のわざをもいとしい喜ばしいと御覧になりまして、いついつまでも相睦み、助け合って、家門をいよいよ高くいよいよ広く起こさしめ給い、また世のため人の為に尽くさしめ給い、共々に寿命長久に、子孫代々、盛んに繁茂する本草のように立ち栄えしめ給えと、つつしんで申し上げます。
(『祝詞入門』小野迫大著 日本文芸社刊)


もちろん祝詞は言霊信仰によって生まれたものだ。この『祝詞入門』の著者小野迪夫氏も次のように述べている。

古代では『万葉集』に「言霊の幸ふ国」とか「日本国は言言の祐くる国」とあるように、言葉には霊力があって、一種霊妙な働きをなすものとされていた。これがいわゆる言霊の信仰で、それは祝福の言葉を述べれば幸福が招来され、呪詛の言葉を述べれば不幸に至るという信仰である。
祝詞はこの言霊信仰の上に成立したもので、盛んにほめたたえる言葉を使い、悪い言葉は使わなくなり、善言美辞を尽くした形となったのである。(引用前掲書)

コトダマは今も生きている。

たとえば日本国憲法も、もともとは外国製だが、今は祝詞と化している

憲法とは国民と政府の間に結ばれた「契約」である。契約である以上は「不吉な事態」も想定して、それに対処できるようになっていなければならない。

しかし、今の憲法では、クウェートのように海外から侵攻を受けた場合、国民の生命財産をどうやって具体的に守るかについて、何の規定もない。だからこれは前節で述べた「ペナルティの付け忘れ」と同じで、欠陥契約である。

欠陥契約なら、その部分をなおすべきなのだが、日本はそれ(憲法9条改正)を言うだけで「平和の敵」と非難される。その理由についてはもう説明するまでもないだろう。

「祝詞」が読み上げられている最中に、「夫婦の契りは永久にと言ったって、どっちかは先に死ぬじゃない。だから、その時のことを決めておこうよ」などと「本当のこと」を言えば、非難されるのと同じことだ。

こういう人々の中には、最高学府を出た学者や弁護士やジャーナリストが大勢いる。
こういう人たちは、自分たちの「改憲論者」への非難が、コトダマ信仰によるものだということに、まったく気が付いていない。なぜ、気が付かないかといえば、日本の歴史教育がこういうことを一切教えてくれないからだ。

これはやはり歴史教育の、そして歴史学の大欠陥だろう。
【逆説の日本史3古代言霊編より引用】


実にわかりやすい解説ですね。
私も結婚式などおめでたい席では、忌み言葉を発しないよう注意していますが、そういう意識付けの慣習が当人の意識下に深く浸透した結果、行動を自主規制するようになるのかも知れません。

話は変りますが、山本七平は、「判断の自主規制」をさせる一因として、私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))の中で、日本人の民族性に言及しています。

これは、徹底したリアリストになり切れず、自己および他の「情緒的満足感」を知らず知らずに尊重し、それに触れることと触れられることを、極度に嫌いかつ避ける民族性も作用しているように私は思う。


なんかこの記述も、言霊と関係があるように私には思えるのですが。

言霊も、この「判断の自主規制」に一役買っているのかも知れませんね。


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コメント

仮)山田さん、コメントありがとうございます。

>本来は勝つ為(負けない事も含む)に、ありとあらゆる手段を模索する事を促す為の言葉なのにね。

山本七平は、日本人が言う「やるだけのことはやった。」という言葉の中には、「同じことを何度も繰り返し極限までやった」という意味はあっても、「ありとあらゆる手段を尽くした」という意味は無いというようなことを言っていました。

こうなってしまうのは、やはり「判断の自己規制」が影響しているからなのですかねぇ?

  • 2008/05/31(土) 20:37:19 |
  • URL |
  • 一知半解男 #-
  • [編集]

判断の自主規制

昔っから、「勝つと信じなければ勝てない」と言った言葉を表面だけで捉えて、「負けると考えるだけで負ける」と思い込み、負の発言や思考を禁じたあげく、結果として楽観論を取って惨敗を喫したアホどもの思考そのものですね。
本来は勝つ為(負けない事も含む)に、ありとあらゆる手段を模索する事を促す為の言葉なのにね。

  • 2008/05/30(金) 21:21:16 |
  • URL |
  • 仮)山田二郎 #-
  • [編集]

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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