一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

アメリカが銃を捨てられない理由【その4】~日米の”パーセプション・ギャップ”がいびつな日米関係の一因~

前回の記事『アメリカが銃を捨てられない理由【その3】~日本での「成功」とベトナムでの「失敗」~』の続き。

日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)
(2004/06)
岸田 秀

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(前回の続き)

■第十一章 日本がアメリカを赦す日

現在の日米関係がまともな関係でないことは誰の眼にも明らかです。

日米関係は、日本とアメリカが最初に接したとき、すなわち、ペリーが戦艦四隻を連れてきて脅迫し、日本に開国を強制したときから歪んでおりました。

無理やり港を開かされた日本を、僕は、言い方は下品ですが、これ以上にピッタリした表現が見つからないので、無理やり股を開かされた女にたとえております。

この事件についての日米のパーセプション・ギャップ、見方の違いが最初の日米対立です。

日本側の見方によれば、弱い日本が強いアメリカの脅迫に屈した屈辱的事件でありますが、アメリカ側の見方によれば、愚かにも鎖国していた野蛮な日本を開国へと導き、先進文明を教え、広い世界に目を開かせてやったわけで、日本に大いに感謝されてしかるべきことでした。

■ねじれと悪循環

僕は、初め、この事件の結果、日本はアメリカ(および、ヨーロッパ諸国)を憧憬し、崇拝する卑屈な外的自己と、アメリカ(および、ヨーロッパ諸国)を憎悪する誇大妄想的な内的自己とに分裂したと考えておりましたが、その後、このような分裂は、昔の日本建国の頃、すでに中国との関係で見られることに気づき、ペリー・ショックは、すでにあったこの分裂を激化させたに過ぎないと考え直しました。

ペリーが傲慢な脅追者だったとしても、もともと日本がこの分裂を抱えていなかったとすれば、すなわち、外的自己と内的自己を使い分けて危機に対処する伝統をもっていなかったとすれば、ペリー・ショックのために、その後の日米関係がこのようなこじれ歪んだいびつな関係になることはなかったかもしれません。
近代日本の病状はペリーだけのせいではないようです。

いずれにせよ、同じ事件を、日本はアメリカに屈辱を与えられたと見ており、アメリカは日本に恩恵を施したと思っているのだから、これほど大きなパーセプション・ギャップがあれば、日米がいつかそのうち必ず喧嘩することになるのは不可避だったと言えましょう。

そして、日本人の一部(外的自己)は、この事件をアメリカ人と同じように見ているのだから、この事件をめぐって日本はますますこんがらがるのでした。

日露戦争に勝った日本は、それまで隠していた内的自己を示し始めます。
このことについても日米の見方は対立します。

日本としては、ここでやっと、恐ろしいアメリカに迎合するために無理して見せていた外的自己をいささか引っ込め、いくらか内的自己を示して、傷つけられた誇りを回復しようとしただけなのですが、アメリカから見れば、日本は、われわれ(アメリカとイギリス)のおかけで勝たしてもらったくせに自分一人の力で勝ったつもりになって舞い上がり、いきなり大きな顔をし始めた、これまでの友好的な態度はわれわれを誑かすための偽りの仮面だったのだ、日本はそういうことをやる不誠実な国なのだ、日本を助けてやって裏切られた、ということになります。

恩を仇で返す日本は信用できないという見方が固定します。
何とかして、日本を叩き潰したくなります。

アメリカのこういう日本観は、現実の日本の客観的観察にもとづいてのみできたものではなく、アメリカの歴史の恥部であるインディアン虐殺の正当化によって歪められた見方でもあるというのが僕の説です。

僕がこれまで述べてきたことを要約すると、アメリカは日本人をインディアンと同一視しており、アメリカにとって、日本征服はインディアン征服の延長線上にありました

日本征服、すなわち、日本を開国させ、アメリカ文化を受け入れさせ、アメリカの世界(野球の「ワールドシリーズ」という言い方からわかるように、アメリカ人にとっては、アメリカの世界は世界そのものです)に引き入れることに成功すれば、アメリカが、かつてインディアンをアメリカの世界に引き入れることに失敗し、虐殺せざるを得なかったのは、インディアンがその野蛮な文化に執着し、愚かにも、優れたアメリカ文化を拒否したからであって、悪いのは、インディアンであり、アメリカではないことが証明されるのです。

そのため、アメリカは、開国以来の日本を好意的に援助してきたつもりでした。
日本はそれに応えて友好的態度を示し、アメリカに感謝しているようでした。

ところが、日本の友好的態度は偽りの見せかけでした。
そこで、アメリカは大いに怒ったのです。
それが日本移民の制限、禁止となりました。

日本は、アメリカが怒っていることはわかりましたが、なぜ怒っているか、全然わかりませんでした。
アメリカに不利なことをしたつもりはないし、失礼を働いたつもりはないし、敵対したつもりもありませんでした。

日本に言わせれば、最初に日本を脅迫し、侮辱したのはアメリカであって、日本こそアメリカに腹を立てて当然であり、その日本がアメリカに怒られるいわれはないのでした。
そこで、アメリカはわけもなく不当に日本を差別していると思い、アメリカヘの憎しみをますます強めました。

このようにしておたがいの憎しみが憎しみを呼び、悪循環を起こし、ついには真珠湾奇襲となるわけです。

アメリカは、日本人をインディアンと同一視していることにも、日本への憎しみがインディアンがらみであることにも、もちろん、自覚はありませんでした。

ある客観的根拠があって日本を憎んでいるのであれば、その根拠が解消されれば、憎しみは消えますが、抑圧された無意識的コンプレックスに由来する憎しみは、そのコンプレックスを意識化しない限り、いつまでもつづきます

日本としては、外的自己から内的自己への反転は、正当な理由のあることであって、それが、アメリカには、人を騙すために偽りの仮面をつけ、用が済んだら外す不誠実なふるまいと見えるとは気づいていませんでした。

■気分の反米

日米戦争は、ペリー来航のときに燻って陰に籠っていた日米の対立がついに爆発したものと考えられよすが、この戦争がアメリカの圧倒的勝利に終わった現在も、日米関係にかかかる困難な問題は、少しも解決されず、そのままつづいております

すなわち、アメリカは、相変わらず、インディアン・コンプレックスに支配されて日本に対しており、日本も、相変わらず、外的自己と内的自己との分裂を抱えて、つねづねは内的自己を押し隠し、外的自己でアメリカに対しています

日本にもアメリカにも関係のない第三者が見たら、日米関係は実に変てこなおかしい関係に見えるのではないでしょうか。
現実の諸条件にもとづいた正常な関係でないことは確かです。

おたがいの誤解にもとづいて辛うじてもっているような関係ですね。

アメリカの対日態度もそうですが、日本の対米態度も、過剰に怯えてみたり、無意味に悪口を言ってみたり、ちぐはぐで矛盾していて、何をどうしたいのか、まったくわかりません。

敗戦後の日本を振り返っても、どうしたかったのか、見えてこないですね。
アメリカに対する日本の態度はどうあるべきであるか、日本の国益のためにどういう選択肢があるか、などのことが客観的に真剣に議論されたり、一定の方針が打ち出されたりしたことがあったでしょうか。

日本政府はだいたいいつも親米の外的自己を代表していて、そのかたわらで、いろいろな人々、いろいろな団体が反米の内的自己をいろいろな形で散発的に発散してガス抜きをやっていましたかね。

アメリカでなく、ソ運を持ち上げるとか、中国を持ち上げるとか、北朝鮮を賛美するとか。
反米論はまさに気分的な反米論ばかりで、アメリカヘの依存を断ち切るための具体的方策をもっているわけでもなく、ソ運や中国や北朝鮮を持ち上げても、反米のジェスチャーに過ぎず、具体的に何かやろうというのではありませんでした

六〇年の安保闘争のことは前に触れたけれど、たとえば、ベトナム反戦運動も、建て前は建て前として、気分的な反米運動でした。
べ平連の運動も、徴兵拒否の反戦アメリカ兵の逃亡を助けたりして、みんなでいい気分になりました。

感情論としてはわからないでもありません。
地下壕に潜むベトコンを硫黄島の日本兵と比べたり、病院に爆弾を落とす北爆を非難したりした新聞記事を読むと、北ベトナムとベトコンに肩入れしているみたいでしたが、だからといって、アメリカ軍に協力する政府を打倒しようというのではありませんでした。
国家としての日本はアメリカにどう対処すべきかということを考えたわけではありませんでした。

政府は政府で、アメリカに何も言わない。
当時のカナダの首相なんか、ジョンソン大統領に会って、ベトナム介入はアメリカのためにもやめたほうがいいんじゃないかと言っていますがね。

日本政府だって、アメリカが間違っていると確信をもっていたら、遠慮せずアドバイスしていいんですよね、いかがなものかと言って。
そのとき、アメリカは不機嫌な顔をするかもしれないけど、そのあと結局、アメリカは負けて逃げ出すというみじめな形でやめざるを得なくなったわけですから、あのときの日本のアドバイスは正しかったということになり、日本に敬意を払うようになったと思うけどね。

個人の付き合いの場合だって同じで、自分か間違ったことをしていても、尻尾を振ってついてくるだけの友人を誰がまともに扱うでしょうか

日本の新聞は、気分的な反米といったところがあり、気楽に無責任に言わば内的自己を代表しているんですね。
そのほうが正義を気取れるし、読者に気に入られて新聞がよく売れるんでしょうな。
そういう点で、戦前の新聞と変わっていませんね。

当時の日本国民の内的自己は戦争に傾いていましたから、それに迎合して新聞は盛んに戦争を煽り立てていました。
さらに昔のことを言えば、万朝報日露開戦に反対の論陣をはったために読者が減り、慌てて開戦論に転じたそうです。

売れないと困る新聞としては仕方がないかもしれませんが、それなら正義を気取るのだけはやめたほうがいいと思います。

あたかも、政府が外的自己、新聞が内的自己を話し合いの上、それぞれ分担して満足させているみたいですね。
少なくとも、外部からは、両者は、対立しているのではなく、もたれ合っているように見えるでしょうね。

日本の新聞の反米論調は、世間の反米気分のガス抜きでした。
新聞は政府・自民党の親米的な姿勢にずうっと批判的だったつもりでしょうが、それは、新聞側がそう思っているだけで、そういう批判が建設的な意味をもったことはありません

ガス抜きであることがわかっているので、アメリカに対しても何の影響力もありませんでした。
新聞記者自身とか、一部の知識人が気分がよかっただけで。

彼らの自己満足ですよ。

同時に、日本の一般大衆に対しても説得力がなかったようですね。
だから、自民党は選挙では勝ちつづけたわけで。

国民は、対米追随の自民党を選挙では支持し、内的自己の反米気分を新聞と、それから、何でも反対の社会党で満足させていたわけです。

政府と新聞のように、自民党社会党もしめし合わせて役割分担していたみたいでしたね。
実際にはしめし合わせてなんかいなかったでしょうが……。

こういうことでは、国として確固たる一貫した対米態度が取れるわけはなかったですね。

反米を言うのだったら、反米の論拠を検討し、対米従属の現在の日本の状態を少しでも改めるために、具体策として何かできるのか、アメリカとのこの緊密な関係のなかで、日本の国益を守る最善の手段とは何か、そういうことを考える方向に向かうべきだったと思いますが、そうはならず、反米のエネルギーを気分的に発散して無駄遣いしてしまいました。

このように日本は、主観的にはアメリカと良好な関係を維持してゆこうとしているのに、客観的には、親米派も反米派もともに、わざわざアメリカの軽蔑と不信を買うようなことばかりしてきたのでした。

(次回へ続く)

【引用元:日本がアメリカを赦す日/第十一章 日本がアメリカを赦す日/P208~】


上記の岸田秀の分析のように、日米のパーセプション・ギャップに注目しながら日米関係を捉えることが出来れば、今後の日本をどうすべきかという方針が定まると思うのですが、なかなか「日米関係の何が問題なのか」を把握するということは難しいものですね。

日本の言論界やネット世論を見ても、親米派も反米派も「自らの言動が外的自己や内的自己に基づいている」という自覚がないのが殆どではないでしょうか。

それさえ客観視して再認識できれば、分裂していた人格(外的自己・内的自己)が再統一され、誇大妄想でも自虐ない、傲慢でもなく卑屈でもない対応が初めて出来るようになる筈という岸田秀の主張には頷かざるを得ません。

さて、次回の紹介が最後になりますが、ようやくアメリカが銃を捨てられない理由について述べた処をご紹介する予定です。
ではまた。


【関連記事】
◆アメリカが銃を捨てられない理由【その1】~米国人の深層心理に潜む「インディアン・コンプレックス」~
◆アメリカが銃を捨てられない理由【その2】~アメリカが二度も原爆を投下した「真の」理由とは~
◆アメリカが銃を捨てられない理由【その3】~日本での「成功」とベトナムでの「失敗」~
◆「内的自己」と「外的自己」とに分裂した近代日本/きっかけはペリー来航だった!?


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コメント

どうしちゃったのですか?

一知半解さん、
「無意識下の話を成り立たせることを立証すること自体がそもそも難しい」と仰るのなら、訳の分からない陰謀説と同じじゃないですか?

「知的思考遊び程度」と仰るのなら、飲み屋の与太話程度と言う事ですよね。飲み屋で、こんな話を聞いて、虫の居所が悪ければ、私程度でケチョンケチョンにしていると思います。

「真珠湾攻撃というようなショックを与えられれば団結する共同体」という認識も、日本人の自惚れです。アメリカがヨーロッパ戦線を助けたりしている状況があっての真珠湾という出来事ですから、日本とアメリカの2国間だけで考えるのはちょっと。

最終回へコメントもしております。

この本自体は、トンでも本でしたが、アリゾナの銃撃事件等あり、アメリカの修正憲法第2条を考える良いキッカケになりました。

  • 2011/02/14(月) 01:46:34 |
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  • YSJournal #-
  • [編集]

YSJournalさん、ap_09さん、idさんへ

コメントいただいた皆様。
ありがとうございます。
最近、ツイッターにかまけて、ますますパソコンに触れる時間が少なくなっております。毎度レスが遅くなって申し訳ないです。

>YSJournalさん

>アメリカに共同幻想があるとして、それが、インディアン・コンプレックスというのなら、歴史上であっても何らか他の例を引けなければ、論としては成り立たないと思います。

確かに仰ることはわからなくもないのですが、何せ岸田秀の言っていることって抑圧された無意識下の話ですからね。
成り立たせることを立証すること自体がそもそも難しいのではないか…とも思うんですよ。
学問的ではなく、知的思考遊び程度に考えるべきなのでしょうかね?

>国家は共同体ですが、個人の集まりでもあり、アメリカの場合、個人の経歴や敬虔の幅が大きいので、共同幻想という感じにはとはなかなかならないのではないか

でも、いざ真珠湾攻撃というようなショックを与えられれば団結する共同体なのですから、アメリカ人も共同幻想を持っていると見て宜しいのではないでしょうか?


>ap_09さん

>実は米国に移り住んで散々注意されたことは、私はものごとを一般化し過ぎるということです。一人一人違うのだから推測で「多くの人はooだろう」と思うのは良くないと、繰り返し注意されたのです。でも自分の内的把握では、その類推による一般化が、日本では社会生活を円滑に営む上で非常に重要なスキルで(誰もそうは意識していないと思いますが)、『空気を読む』ことに繋がる行動様式だと思うのです。

なるほど。判るような気がします。
日本の場合、神が存在しない「人間」社会であるから、なんやかや言っても同じ人間だという共同幻想があるのも、一般化し過ぎる原因なのかも…とふと思いました。

自他を峻別しない。相手も自分と同じように考え行動するだろうと思い込む。そうした性向も日本人が外交下手であるのかなぁ…なんてこともふと連想してしまいました。

>ここから見ても自国の利益になりさえすれば現実にはイデオロギーなどどうでも良く、また無理な正義や民主主義の押し付けは実際には役に立たないと認識している所が、日本の八紘一宇やアジア共同体精神より、自他を冷静に把握しており、比較的マシなやり方をしていると思うのです。

どうなんでしょう?
一般的アメリカ人もそのような諦観を持って認識しているのでしょうか?
アメリカ指導部の認識は間違いなくご指摘のとおりだと思いますけど…。
日本側については、全く仰るとおりで、これは日本人の自己中心性が影響してますね。


>idさん

コメントありがとうございます。
また折に触れ、紹介できればと思っています。

ところで、今回岸田秀の紹介記事では、アメリカ在住の方々からの反応が違っていて、考えさせられました。
アメリカでの岸田秀の著書への反応がどうなのか、ちょっと興味深くなってきたのですが、そこら辺の情報をもしご存知でしたら教えて下さると嬉しいです。

  • 2011/02/13(日) 23:33:42 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

>集団現象の説明にそれを用いるのは拡大適用ではなく、当然の事であって、別にその妥当な根拠を示す必要はない。
個別の「現象」に適応する分には全く問題ないと思いますが、これで歴史の全体像を説明するとか、政治が説明できるとする点が問題なのではないでしょうか。
大衆心理は政治に多大な影響を与えますが、それが政治的決定や政治そのものになるわけではありません。
歴史についてもそうですね。

それと、診断・治療そのものについても精神分析が全てを解決しているわけではないので、現実の説明、解釈について、一つの手法、視点から全体を把握できるという考えそのものに問題があると思います(岸田氏自身はそうだと明言しているわけではありませんが、しろうとの一読者にとっては彼の文章はそのようにも解釈できてしまいます)。

>精神分析は個人の観察にもとづいて得た知見をそのまま集団に適用し、集団の行動をあたかも個人の行動であるかのように説明し、そのような説明、個人から集団へのそのような拡大適用の妥当な根拠を示さないという批判があるからである。
私はこちらの立場を支持します。精神分析という、一般の人には馴染みのない切り口で、岸田秀は面白おかしく一般の読者をひきつけますが、専門家には相手にされていない部分があるのではないでしょうか。

山本七平氏には、学問としての教育がないためにアプローチの仕方が違い、評価されていない部分がありますが、岸田氏は随分大学院以上の教育があってのうえで、それでも専門家を説得できていないとなると、論説の内容そのものは、やはりそれなりなのではないかと思います。

  • 2011/02/12(土) 11:08:50 |
  • URL |
  • ap_09 #-
  • [編集]

ap_09さん

「屈辱の連鎖としての歴史」を読んでいただいてありがとうございます。

精神分析とは人の心理・行動を理解するための有効な手段・学問であるという前提でよいのでしょうか?

そこで、できたら「ものぐさ精神分析」を読んでいただくのが一番良いのですが、最初の部分を引用します。

『ものぐさ精神分析』岸田秀「日本近代を精神分析する」から以下全文引用。

 フロイド理論は何よりもまず社会心理学である。一般には、フロイドは神経症患者個人の心理の研究から出発して精神分析理論をつくりあげ、その生涯の後半に至ってその理論を宗教現象や文化現象などの集団心理に応用したと考えられているが、わたしの意見によればこれは逆であって、彼はまず集団心理現象を下敷きにして、そのアナロジーにもとづいて神経症者個人の心理を理解しようとしたということができる。

 開業医となって実際の神経症者に直面し、その症状を記述して分類し、病名をつけているだけではすまなくなり、何とか患者の心を理解することによって治療を行わねばならなくなったとき、フロイドにとって、個人を対象としていた当時の心理学、精神病理学はほとんど何の役にも立たなかった。心理学にはまだ心的葛藤の概念が欠けていた。個人は下界の刺激を知覚して、本能的欲求によって反応しており、下界や他人と対立することはあっても、内的葛藤などはもっていないかのようであった。精神病理学はもっぱら患者の脳や神経の異常についてあれこれ推測しているだけであった。

 神経症者の心理を理解するためにフロイドがその足がかりとして利用したのは、集団心理の現象であった。彼の抑圧の概念などはまさにその典型的な例であって、彼がこの概念を説明するためにどのようなアナロジーを用いているかを見れば、そのことは明らかであろう。彼は『精神分析入門』の講演中、聴衆に対して、抑圧されて無意識に追いやられた観念が決して消滅せず、絶えずふたたび意識へはいろうとしつづけることを説明するために、騒ぎ立てて講演の邪魔をするので、講堂の外へ追い出された者は消滅するのではなく、外に存在しつづけてふたたび講堂にはいろうとするというたとえ話をしている。また、抑圧されたものが偽装されて回り道をして表現されることを説明するためには、反政府的意見を正直にありのまま発表したのでは検閲にひっかかって発禁になるとき、民衆が間接的表現、あてこすり、皮肉、肝要な点をわざわざ抜かして枝葉的なことをあえて中心においた表現、あたかも現代の問題ではないかのように時代を昔にすり変えた批判、わざとらしいおおげさな賞賛などの偽装を用いることを例にあげている。抑圧のみならず、置き換え、反動形成、投影など、その他の防衛機制も、集団現象として把握した方がはるかに把握しやすいのである。無意識と前意識との境界に小人の検閲官がいて、無意識からけしからぬ観念が越境してこないように見張っているというフロイドの説明は、しばしば擬人的だと非難されるが、これは擬人的であるというよりはむしろ、個人心理を集団心理に擬して説明した結果である。超自我、自我、エスという人格の三分法も、一国民を構成する宗教的または天上的権威(皇帝)、世俗的権威(政府)、民衆という三つの部分との類比が根底にあると思われる。この意味において、フロイドの人格理論は彼の時代の立憲君主制の政体を反映している。強迫神経症と宗教現象との類似は彼の説くところだが、この場合も、彼はまず強迫神経症の機制を把握し、それを宗教現象の理解に拡大適用したのではなくて、その逆である。ナルチシズムの概念もまた同じである。彼が小児期のはじめにナルチシズムの時期を仮定したのは、小児の臨床的観察にもとづいてではなくて、ユダヤ=キリスト教において人類のはじめに想定された楽園の時代を個人の生活史のはじめにずらしたのである。そのほか、去勢恐怖にせよ、近親相姦のタブーにせよ、個人の心理現象は歴史的あるいは社会的起源をもっている。

 わたしが以上のことをわざわざ述べたのは、精神分析は個人の観察にもとづいて得た知見をそのまま集団に適用し、集団の行動をあたかも個人の行動であるかのように説明し、そのような説明、個人から集団へのそのような拡大適用の妥当な根拠を示さないという批判があるからである。わたしの理解しているところの精神分析は、本来、社会心理学であるから、集団現象の説明にそれを用いるのは拡大適用ではなく、当然の事であって、別にその妥当な根拠を示す必要はない。

  • 2011/02/11(金) 13:52:57 |
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  • id #z8Ev11P6
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Idさんご紹介の「屈辱の連鎖としての歴史」を拝見しました。

精神分析というのは「個人の心の葛藤」をうまく説明分析して治療しようという目的で編み出された方法です。それを、心の中の出来事ではない、民族や歴史、政治という複雑かつダイナミックな現実、具体的な事象に当てはめて考えるのは、アタマの体操やエンターテイメントとしてはとても面白いのですが、どうも??ですね。日本では精神科を志向する医学生や精神科医自身が、自らすすんでよく言うことですが、精神科の適応になるような精神状態に親和性があるということです。そういう人の著作は、そうでない人にとっては目からウロコのように大変面白いし、親和性のある人には、自分の他人にはなかなか理解してもらえない心情を代弁してくれるかのような「快心の説明」だったりします(逆に抑圧されていた考えを顕在化させられ大変な不快であることもある)。しかし、それを社会や歴史を理解する説明として、全面的に受け取ることは、まぁ、ひとそれぞれかもしれませんが、どうなんでしょうね?

  • 2011/02/10(木) 10:53:48 |
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「日本がアメリカを赦す日」を取り上げていただいてありがとうございます。

岸田秀の唯幻論による、人とは何かとの理解から入らないと納得しにくいのかもしれませんね。

また「屈辱の連鎖としての歴史」を貼っておきますね。
http://www.geocities.jp/nowandthenwy/dvd-ronbun-01.html

  • 2011/02/09(水) 21:23:36 |
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共同幻想

この共同幻想について、YSJournal さんのおっしゃることに全く同意します。

実は米国に移り住んで散々注意されたことは、私はものごとを一般化し過ぎるということです。一人一人違うのだから推測で「多くの人はooだろう」と思うのは良くないと、繰り返し注意されたのです。でも自分の内的把握では、その類推による一般化が、日本では社会生活を円滑に営む上で非常に重要なスキルで(誰もそうは意識していないと思いますが)、『空気を読む』ことに繋がる行動様式だと思うのです。

国をまとめるということについては、仰るとおり理念的にはまさしく一致し、学校教育がこれを中心に回っているのはその通りだと思います。しかし岸田秀氏は日本人のものの見方からアメリカ人を一方的に推測で定義してしまっているところが、このインディアン・コンプレックスを根拠にした精神分析の問題点ですね。
岸田秀氏の観念的な思い込みと違って、戦争・戦場を実体験してサバイバルした山本七平氏の言葉の重みは、そこにあるのだと思います。

集団的無意識について考察することは大変興味深いことで有意義ですが、
「なぜアメリカがあれだけ正義にこだわろうとするのか?また、なぜあれだけ好戦的なのか?」
はどうなのでしょうか?イギリスやフランスのうわべでは理想や正義をかざした上での搾取的植民地政策に比べると、アメリカのやり方はずっと現実的でおだやかですね。

青山繁春氏がアメリカは正義を口にしながら、ダブルスタンダードで中東の独裁者を見逃していると言っていますが、ここから見ても自国の利益になりさえすれば現実にはイデオロギーなどどうでも良く、また無理な正義や民主主義の押し付けは実際には役に立たないと認識している所が、日本の八紘一宇やアジア共同体精神より、自他を冷静に把握しており、比較的マシなやり方をしていると思うのです。ブッシュ前大統領はイデオロギーを前面に出しすぎて(つまり正義の押し付け)アフガン、イラクとの戦争にのめり込み拘泥してしまったのが失敗で(実際にはかなりの反対論がむしろ軍部やCIAのほうからあった)、青山論が日本人の一般的な心情なら、日本の方が正義を振りかざすのを好む傾向にあると思います。私は日本の保守派のこの手の『正義の振りかざし』、中国、南北朝鮮に対する侮蔑は大変危険だと思っています。

>アメリカが19世紀には新興国で遅れた国だったとのご指摘ですが、確かにヨーロッパに対しては劣等だったかも知れませんが、それが逆に日本などに対しては優越感として働くこともあるのではないかと。
民族中心主義(ethnocentricity)について(白人優勢の米国)は、そういうことになりますが、その程度としては現在の日本のほうがアメリカよりよっぽどひどいのではないでしょうか。在日問題でも、その他の外国人に対する日本人一般の態度は、あるときはフラットな‘優越感’、複雑になると‘自虐的態度’として表れていると思います。

  • 2011/02/07(月) 10:56:55 |
  • URL |
  • ap_09 #-
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共同幻想

一知半解さん
「共同幻想」という概念を持ち込む事自体が、非常に日本的なのでは無いでしょうか?

自分と違ったものを、自分の尺度(アメリカを日本の尺度)でみていると言う気がしているのが、ダメなのかも分かりません。

日本、アメリカとの2点だけでもダメで、ヨーロッパとか、中東とか、南米とかの第3点目の見解も必要です。

アメリカに共同幻想があるとして、それが、インディアン・コンプレックスというのなら、歴史上であっても何らか他の例を引けなければ、論としては成り立たないと思います。

アメリカの成り立ちが特殊で、世界における立場が強いという事を言うなら、先の話に戻って、アメリカの行動全てを上手く説明出来る必要があります。共同幻想、幻想というくらいだから長く続かないとも思いますが、それなら、そのとき限りの特殊発現で、その事象の説明の域をでなくなります。

国家は共同体ですが、個人の集まりでもあり、アメリカの場合、個人の経歴や敬虔の幅が大きいので、共同幻想という感じにはとはなかなかならないのではないかと思う次第です。

  • 2011/02/07(月) 02:45:04 |
  • URL |
  • YSJournal #-
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YSJournalさん、ap_09さんへ

コメントありがとうございます。
まず、初めにレスが大変遅くなってしまったことをお詫びします。

>YSJournalさん

「飲み屋の与太話」とまで、貴方の評価が低いとはちょっと驚きましたし、意外に思いました。

私は岸田秀の主張が全て正しいとは思いませんが、歴史を分析する上で参考になるところは多々あると思っていますので、貴方のように頭から否定する気にはなれません。
集団といえども、個人の幻想同様、共同幻想に基づいて行動しているわけで、そうした幻想による影響をハナから否定してしまっては、上辺だけの歴史把握に止まってしまう危険もあると思います。

>ap_09さん

私は生のアメリカ社会に触れているわけでもなく、書物を通じての生半可な理解しかないものですから、ap_09さんからいただいたコメントはなかなか考えさせられました。

コード・トーカーとして活躍したネイティブ・インディアンのその後については、全然知りませんでした。
そのご指摘を鑑みますと、確かにインディアン・コンプレックスの影響はどうなの?って思いますね。

また、アメリカが19世紀には新興国で遅れた国だったとのご指摘ですが、確かにヨーロッパに対しては劣等だったかも知れませんが、それが逆に日本などに対しては優越感として働くこともあるのではないかと。
劣化コピーほど、正統性にこだわったり、過激になりがちですから。

現在のアメリカ社会では、文化の多様性を強調されているとのお話ですが、雑多な人種で成り立つアメリカ社会が一つにまとまる為には、アメリカの建国理想を強調するしかない様に思いますし、具体的にはそうした建国理想が繁栄したアメリカの憲法を忠実に守らせるという教育をしていかねば、アメリカ人になり得ないのではないでしょうか?(日本人の場合は単一民族という幻想や天皇制でまとまることが出来ますが)

なにはともあれ、
「なぜアメリカがあれだけ正義にこだわろうとするのか?また、なぜあれだけ好戦的なのか?」
そういった事を考える上で、集団的無意識について考察することは無意味ではないと私は考えている次第なのです。

  • 2011/02/06(日) 23:54:05 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

一知半解様
いえいえこちらこそ、いつも一知半解さんの紹介記事でお教えいただいております。でもって、コメントでは生半可なことをテキトーに言っているだけですが。

インデアン・コンプレックスが本当にあって、だから日本には温情的だったのなら、第二次大戦でコード・トーカーとして活躍したネイティブ・インディアンにその功績に対してもっと報いているような気がするんですけどね。市民の平等を信じて身を挺して国に貢献したのに、戦争が終わったら無視ですよ。インディアンは、またもや利用され搾取されただけ。

>不正義に満ちたヨーロッパを逃れ彼らの信じる正義(大義)を実現
単に異端視されて迫害されたり、食いつめ者たち(はその後ずっと現在に至るまでの移民の大きな理由)がはじめの一歩かと。その次は、これは金になるし、うるさい制限も為政者もいないので、やりたい放題の泥棒・海賊・強盗派が一財産築いて、今もその遺産で大金持ちとして働かないで代々食べていっている人達とか・・

>大義と武力が結合すれば、罪悪感を感じなくなり平気で異民族を抹殺できるようになります。
そんなものなくとも、ゼノフォビアだけで、自己防衛と信じて平気で異民族を殺しまくって来たのが人類ではないかと。日本人て幸運なことにそういう体験がほとんどないんですね(あるいはかつて殺した側で相手が随分昔に死に絶えてしまったので忘れてしまったのでしょう)。これは現在先進国といわれる西ヨーロッパでも同じだと思います。

>文明度で優越感
20世紀はそうですが、アメリカは19世紀は新興国で遅れた国だったんじゃないかと。ヨーロッパをいわば仰ぎ見てました(何しろ食いつめたので渡米してくるわけですから)。政治や経済界の人はちがいますけど、今でも外国といえばヨーロッパ先進国のことしか思いつかないのが、普通のアメリカ人レベルですよ。日本人が外国といえばアメリカと来るのと似てますね。
なんかこう、自分たちが優越してるんだぞみたいな米国外交官のはったりに、日本人はのせられやすいんじゃないでしょうか?彼らのいうことを鵜呑みにすることないですよ。あるいは自民党の政治家は大した策士で、日本人すらそういう劣等感を持つようだましたまま、弱者を装って、戦後からバブルまでは上手にアメリカを利用して来たのかもしれませんね。

>純粋なアメリカ人を再生産
う~ン、なにを持ってこういうのかよくわからないです。最近は自分のルーツを大事にしよう、文化の多様性というのがスローガンにみえるんですけど。
建国神話をそんなに強調して教育してるかどうかわかりませんが、学校がアメリカ的価値観の再生の場である事は間違いないです。マスコミとかの扇動で、皆がウワ~ッと一方向に突っ走るサマは日本に勝るとも劣らないです。人口が二倍以上ですから、その姿たるや壮観です。日系人の太平洋戦争中の強制収用や、戦前日本人がアメリカに移民するもとになった、中国人移民に対する排斥運動、あるいは太平洋戦争開戦そのものが、似たような集団ヒステリー的大衆心理が原因(これぞゼノフォビア)、あるいはそれを利用した政策でしょう。

  • 2011/02/01(火) 13:51:03 |
  • URL |
  • ap_09 #-
  • [編集]

日本の開国が「無理やり股を開かされた女」という表現

一知半解さん
ペリーによる開国は象徴的ですが、ロシアからのアプローチなどもあり、江戸幕府は、開国の準備(覚悟は別)は整えていた節があります。

断片的な知識しか無い官軍による史観だと、幕府の弱腰開国、明治維新という流れになります。

飲み屋の与太話でも程度が低過ぎるレベルです。

貴殿が、なんでここまで肩入れするのか分かりませんが、段々とまともに考える事がバカらしくなるレベルです。(和久さん並?)

多分,専門が心理学者なので、タコツボからしか世界が見えないのでは。たまに当たったりするので、全部が当たっていると思われたりするだけでは。

本を書いた頃には、惚けていた可能性もあるのでは。

  • 2011/02/01(火) 03:59:58 |
  • URL |
  • YSJournal #-
  • [編集]

コメントありがとうございます。

>YSJournalさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

やっぱり変ですか???
そんなに変かなぁ…??

インディアン・コンプレックスはともかくとして、日本の開国が「無理やり股を開かされた女」という表現、また、その後の日本の行動というものは説得力あると思うのですが…。

まぁ、次でとりあえず終わりますから、またご意見いただけますと嬉しいです。


>nogaさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。
リンク先拝見しているのですが、なかなか考えさせられるものがあります。まだ、自分でよく咀嚼できていないのでわからない部分も多々ありますが、よく考えてみたいと思います。


>ap_09さん

こんばんは。
いろいろ教えていただきありがとうございます。

確かにご指摘のとおり、様々な人種が入植してますから、岸田秀の唱えるインディアン・コンプレックスと言うものが全ての米国人の意識下にあるとは言えないとは私も思います。

しかしながら、米国の建国神話というのは教育現場で再生産(?)されている訳で、そのような雑多な人種が、アメリカ人となる過程で刷り込まれていく…という可能性もなきにしもあらず、とも思っちゃうのですよね。
オリジナルな人より、コピーされた人の方がよりオリジナルであろうとする傾向がありますから、意識的にアメリカ人になろうとする人ほど、建国神話に忠実になるような気もします。

アメリカはいわば現代のローマ帝国のような存在ですから、古代ローマ帝国が周辺民族を飲み込み、ローマ市民とし、新しい血を導入しながら強大化していったように、純粋なアメリカ人を再生産していくようなものでしょうか?

>新大陸は日本と違って気象条件も過酷ですし、入植したヨーロッパ人も、別段エスニック・クレンジングを計画して現地人と衝突したわけではないと思います。

このご意見にはちょっとイノセントすぎるような気がします。
無論、最初からエスニック・クレンジングを意図していたとは思いませんが、最初のアメリカ人は不正義に満ちたヨーロッパを逃れ彼らの信じる正義(大義)を実現する為にやってきたわけでしょう。

大義と武力が結合すれば、罪悪感を感じなくなり平気で異民族を抹殺できるようになります。
(どこの国の建国神話もそうですが)とりわけアメリカの建国神話というのは、自己正当化の傾向が強いように思います。

>日本との通商・交易は、国際情勢を見越した上での米国にとっては外交の問題で、開国させてあげたなんて、果たして思ってたんでしょうかね?

どうでしょうねぇ?
ただ、文明度で優越感を抱いていたような気はしますけど…。

まぁ、実際にアメリカにお住まいのお二人が、岸田秀の主張に違和感を覚えているという事には、留意する必要があるなぁ…と思った次第です。
皆様、ご意見ありがとうございました。

  • 2011/01/31(月) 23:54:48 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

白人チョー優位主義かつ“善意の人道主義”の人(日本の“善意”の左翼の人みたいですね)は、インディアン・コンプレックスを抱えているのかもしれませんが、ヨーロッパ人の入植からアメリカ合衆国の形成までは、雑多な人の入植、土地の買取、戦争と多面性があり、米国人の主流がそれほどネイティブ・インディアンのことを常に気に掛けている、まして抑圧された心理という自我形成の重要部位を形成しているとは思えません。
新大陸は日本と違って気象条件も過酷ですし、入植したヨーロッパ人も、別段エスニック・クレンジングを計画して現地人と衝突したわけではないと思います。入植開拓は命がけでしたので、インデアンとの衝突も新参者にとっては命がけで、優越的差別感が勝っていたとはとても思えません。結果的にテクノロジーの差で、インディアンのほぼ撲滅状態になってしまったのではないでしょうか。また、アメリカ・インディアンと一括りにしますが、彼らは別段北米で一枚板の国家を形成していたわけではなく、小さな独立した多数の部族として存在していたので、はるかに大きな組織だった人の集団である国であったヨーロッパから入植した人たちが作った大きな共同体の前に、団結して対抗することはできず、圧倒されて飲み込まれて行った部分もあるでしょう。
日本人の心理分析については、なるほどとうなずくのですが、アメリカ人の分析は、日本人の見方を中心としてアメリカ人を捉えることからくる妄想のように見えてしまいます(かくもethnocentricityから逃れることは難しい)。
そもそも現在進行形で移民を受け入れている多民族国家であるアメリカ人の大多数が、今でもインデアン・コンプレックスを共有しているという設定に大きな無理があるような気がします。
ペリーが開国を迫ったのは南北戦争前で、日本が開国した時には南北戦争直後の、米国国力としてはかなり疲弊していたときでもあり、日本との通商・交易は、国際情勢を見越した上での米国にとっては外交の問題で、開国させてあげたなんて、果たして思ってたんでしょうかね?『日本開国』という、大仰な考えそのものが、極めて日本中心主義の見方なのではないでしょうか?
そう考えると、米国はインデアン・コンプレックスどころではなかったのではないでしょうか。そういう人道人権の考えがアメリカ社会全体に浸透するのは、かえって日本より遅いくらいで、公民権運動の実った1960年代の終わりです。

  • 2011/01/30(日) 15:07:53 |
  • URL |
  • ap_09 #-
  • [編集]

The opening of Japan

最初の開国は明治維新である。二番目の開国は戦後である。三番目の開国はこれからである。


考え方にはいろいろある。自分たちの考え方が理に合わないものであることを証明するのは難しいことである。だが、それが証明できなければ、おかしな考え方を改めることも難しい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

一知半解さん
この人、変です。

現象に目を奪われて、歴史を歪んで捉えています。

めまいがします。

最終回が、楽しみ(?)です。

  • 2011/01/30(日) 10:47:03 |
  • URL |
  • YSJournal #-
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Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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