一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「規範の逆転」について/~情緒的正義感が生み出す「岡本公三の論理」~

前回でも取り上げたばかりですが、曽野綾子といえば、左翼から蛇蝎のように嫌われている保守派といったところでしょう。
その彼女が東日本大震災の被災者に対して厳しい意見を述べておりますが、案の定、左翼系ブログでは悪評ぷんぷんであります。

なぜ、彼女の言が、これほどまでに彼らから不評を買うのかといえば、物事を判断する際の基となる「行動規範」が両者の間で乖離しているからではないかと思います。
今日は、そんな「行動規範」のずれや逆転について、山本七平の記述を紹介していきたいと思います。


私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))
(1983/05)
山本 七平

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(~前略)

前述のように私は、こういった配慮が非常に少なく、何でもズバズバ言い、何でも徹底的に聞きただし、納得しない限りおさまらない人間と思われていたらしい。

だが、それはただそう見えるだけで、いざとなればその行き方はみなと同じであった。

本当にそういう人間だったら、あらゆる場合にもっと合理的に行動したはずである――自分の行動が合理的であったと思えたことは、ただ一度しかない。

そして「遺族たちにはあまり語りたくない」といわれれば、「事実は事実だ」といってこれをつっぱねることは、私には到底できないのである。

昭和二十二年一月二日、佐世保の近くの南風崎から復員列車に乗る直前であった。
どこかで見覚えのある一人の男が私の前に立った。そしていきなり「少尉殿」と言った。

私は驚いてその男を見た。
戦争が終ってもう二年目、少尉殿などといわれれば、言われた方が驚くのが当然である。

その男は私に「S軍曹殿の遺族のところに立寄ってから東京に帰るつもりか」ときいた。
私は無愛想にうなずいた。

すると相手はいきなり大声で「行かんで下サレ」と叫ぶと、今にもつかみかかりそうな勢いで私につめよった。

私はあまり激する方ではないのだが、何しろ内地上陸以来、それまですっかり忘れていた寒さに痛めつけられ、その上連日徹夜の復員事務、さらに正月の休みで、どこの部課も責任者は休みであり、当直の人は、無理もないことだが、「正月早々仕事なんか出来るか、まったく変なときに上陸しやがって……」と毒づいてまことに不親切、という情況にもまれて疲労困憊し、すっかり神経が高ぶっていたので、つい言葉が荒くなった。

ナニィ、そんなことは貴様にとやかく言われる筋合はない。行こうと行くまいとオレの勝手だ

相手は答えて

そりゃ勝手じゃろう。
だが行って一体遺族に何を言わっしゃる気だ。
いつもの伝で何もかもズバズバ言わっしゃる気か!
墓ば掘り起こして手ばブッタギッタの足ばタタッキッタ(註)の死んだ人間の女房子供に言わっしゃる気か!
」といった。

(註…山本七平は部隊長に命ぜられ、一度土葬した部下のS軍曹を掘り出して、遺骨を日本に持ち帰るため、自らの日本刀で遺体の親指を切断した事を指す)

私はぐっとつまった。

前にもちょっと触れたが、私のいた部隊は東京と九州との混合編成であり、第一中隊が九州で、S軍曹はこの第一中隊と共に私たちより先に比島に来ていた。

彼は、温厚・篤実、すべて的確で沈着、思慮深くて機敏で壮健、社会のどの部門に行っても、またどんなに世の中が変っても、必ずリーダーになる資質を備えていた。
それでいて一面非常なはにかみ屋だった。

彼は兵技下士官だったので、編成完了と同時に自動的に本部付となったが、第一中隊の人事係准尉が「兵技でなきゃ絶対に手ばなさん」と何度も何度も私に言い、また第一中隊の兵士が何かの用事で本部に来たときは必ず彼のところに挨拶に来るほど、上にも下にも人望があった。

そしていま私の目の前に立っている男は、その第一中隊の兵士であった。
従って、私は彼の名を知らず、顔もどこかで見たような気がするなという程度にしかおぼえてなかったわけである。

S軍曹の家は唐津の近くであった。
当時の交通事情からすれば、東京に帰る前に彼の遺族のところに立ちよるのが常識であった。

復員切符は途中下車無制限であったし、またたとえそこがどんな辺鄙なところであろうと、また宿がなかろうと車がなかろうと、食うや食わずの野宿や徒歩行軍を当然と考えて来たわれわれには、それはもとより問題ではなかった。

しかし「……何を言わっしゃる気だ……」と言われたとき、私は不意に虚をつかれたように感じた。

「何をいうか」などということは、全然私の念頭になかったからである。

相手は目ざとくそれを見てとって言葉をつづけた。
彼がくどくどと言ったことを要約すれば次のようなことであったろう。

戦場と内地では全く規範が違う

つまらぬ情緒的自己満足のため無益に兵士を殺したことが逆に人道的行為のように見え部下のことを考えて最も的確に処理したことが非人間的冷酷もしくは残酷にさえ見える

私はあなたとS軍曹が、上官・部下というより親友であったことを知っている。
だからこそ、あなたのことを遺族に誤解させたくない、また遺族を無用に苦しめたり悲しませたりしたくもない。

私が話す、どう話すかは私にまかせてくれ、そして「仏心があるなら」生涯S軍曹の遺族には会わないでくれ、何も言わんでくれ、と言った。

彼の言うことは理解できた。
彼が私に注意したのは、一に私への親切からであった。
私は自分の非礼を詫び、まっすぐ東京へと帰った。

しかしその結果、S軍曹の遺族は、「事実」は何も知らされていないことになった。
そしてこれが全日本的規模で行われたように思われる。

一方、彼の言葉は、私にとっては戦場への決別となった
そして、戦場そのものへ入ったときにも、同じことを逆の立場で言われたのであった。

それは前にもちょっと触れたが、マニラに上陸してすぐ、一人の兵士が日射病(?)で昏倒し心臓麻痺(?)を起したときであった。

当時は輸送編成で、私は輸送本部付だったが、すっかり慌てて、すぐさま船舶輸送司令部に伝令をとばして野戦病院の場所をきき、倒れた兵士を担送しようとした。

そのとき、本部の先任将校であったS中尉が「山本!ヤメロ、ほっとけ」と言った。
私は驚いてS中尉の顔を見た。

私はかねがねS中尉を尊敬していたので、この非常にきつい一言に一瞬戸惑いを感じた。
彼は私を見て言った。

死んだ兵隊のために動いてはナラン、それをすると、次から次へと部下を殺す

彼の言ったことは事実であった。

ほかの兵士も同じように、「地獄船」の異称のあったあの輸送船の船倉から出てきたばかりで、しかも乾期の真っ最中のマニラの炎天下にいるのである。

もし倒れた兵士を担架に載せて、四人の兵士にこの炎天下を野戦病院まで担送させたらどうなるか――その四人も次から次へと倒れて心臓麻痺を起すかも知れない。

結局それは、一見、人道的・人間的なように見える処置だが、実は次から次へと部下を殺す残虐行為にすぎないのである。

確かに一般社会なら、「もうだめだ」とわかっても病院にかつぎ込み、万全の処置を講ずるのは当然のことであろう。
そしてそれをしないのは生きている人間をも大切にしていない証拠だといわれても、一言の反論もできないはずである。

路上に死体が放置され、人が冷然とその傍らに立っている社会などというものは、病的な社会に相違あるまい。

しかし一方から見れば、死者を丁重に扱い、あるいは盛大な葬儀をするということは、死者自体には関係なく、生きている人間の情緒的自己満足にすぎないともいえる。

病院にかつぎ込まれようと桟橋に放置されようと、死者自体は何も感じはしない。
従ってこの場合、これを野戦病院へかつぎ込もうとすることは、私の自己満足のための行為にすぎないのである。

もしその自己満足のため無理な担送をやらせ、そのため兵士が倒れたら、それは自己満足のため部下を殺したということにすぎない。

前述のように、その夜はシナ人墓地で野営した。
S中尉は何度も何度も、

一般社会の常識的規範を戦場にもち込んではならない。
それをすれば、立派な行為のように見えても、結局は部下を殺すだけのことになるのだ


と私に語りつづけた。

そしてそれがいわば「戦場の入口」であり、すべてが逆転する地点であった

彼の言うことは理解はできた。
しかし理解できたということは、いざというときにそう行動できたということではない

いささか自己弁護めくが、われわれは他の民族よりも、情緒的自己満足のために行動し、あるいは行動させる傾向が強いのではないであろうか。

やるだけはやった。やれることは全部やってやった、心残りはない」という自己満足。

確かにあの兵士を野戦病院にかつぎこめば、たとえそれが出発点においてすでに死体であっても、私は「やれることは全部やってやった」と感じたであろう。

だが、もしその担送のため別の兵士が心臓麻痺で倒れたら、確かに私は自己満足のため部下を殺したとなるであろう。

だが、このことを一般の社会で話したらどうなるであろう。

野戦病院にかつぎ込もうとした私が人道的人間に見え、断固これをとめて放置させたS中尉は、逆に冷酷無情な鬼畜のように見えるであろう

南風崎で「行かんで下サレ」と私につめよった兵士が、くどくどと言ったことも、煎じつめればこのこと。
すなわち「私が冷酷無情にみえて、遺族が不当に悲しむから」ということであった。

そしてここが「戦場の出口」だった

何かのために何かをしてやった」という情緒的自己満足のため人を殺し、それを人道的行為と考える

これは「岡本公三wiki参照の論理」であり、同時に「死者を担送する論理」だが、この論理は実に根強くわれわれの中に巣くっている

赤軍派や学生運動のリンチにもこれが見られるだけでなく、NHKの通信員まで、同じ論理で淡水の工場排水の濃度を廃棄物で高め、この中に魚を入れて無理矢理魚を「虐殺」している

彼のやった「行為」は魚を殺したということだけで、彼はそれ以外に何もしていない。
しかし彼は「環境問題キャンペーン」のためで、「基本的に私のやったことは間違いでない」という。

「公害キャンペーンのため」といって、むりやり「魚を殺して」虚報を発し、それを「間違いでない」とする考え方は「戦意高揚のため」「百人斬り」という虚報を発し、その結果二人の人間を処刑場に送っても平然としていられる考え方と同じであろう。

結局「何かのために何かをしてやった、それは意義あることであった」という自己満足のためには、虚偽でも虚報でも無差別銃撃でもリンチでも魚の虐殺でも、何でもゆるされるという考え方であろう。

本当にゆるされるのか

これが「ゆるされる」とするあらゆる美辞麗句は、実は、人間が戦争をはじめたり、虐殺を行なったりするときに、必ずロにする言葉なのである

この場合の「人」と「魚」との差は、普通の人が考えているほど大きくはない

ヴェトナム戦争でも多くの報道がなされた。

すべてに目を通したわけではないが、私の見た限りでは、そこに共通するものは、書く者と読む者とが共に往む平和な社会における情緒的自己満足は充足させても、前述のように規範の逆転がすべてにのしかかってくるという状態の中で、ひとりひとりの人間がどう行動すべきかという基準を全く考えずに、また、一見人道的に見える情緒的自己満足のための行為が実は最も残酷な行為になるということを全く理解しようともせずに、すべてを知らず知らずのうちに自らの「情緒的自己満足」の充足のため批判しているように見える

確かに逆転した情況の中で生きた体験がないから、そうなるのは当然のことだ、といわれればその通りであろう。

だが、それならば一方的断定は避けて、そこに何か、自分たちがいま生きている社会とは全く別の「理解しきれない何か」があるのではないか

自分たちの批判が基準になったらさらに残酷なことになるのではないか?

という疑問は抱いてほしいと思う。

それをよく考えないと、向井・野田両少尉を断罪すると同じような、全く見当はずれの奇妙な断罪を人に加えて、それによってただ情緒的な自己満足に酔いしれて、まるで酔漢がからむように、だれかれかまわず一方的にきめつけるというタイプの人間になり下がってしまうであろう。

先日、曽野綾子氏から『ある神話の背景』をお送りいただいた。
氏はこの中で、沖縄の「伝説的悪人」赤松大尉のことを、あらゆる方法で調査しておられる。

この中に多くの人の「赤松大尉糾弾」の辞が収められている。
確かに彼には糾弾さるべき点はあったであろうし、戦場にいる限り、それはもちろん私にもある。

ただ私にとって非常に奇妙に見えたのは、ある評論家の「糾弾の方向」である。

それはまるで「死体をかついで野戦病院にかけこまないのはもってのほかだ」と言っているように私には思えた。
赤松大尉の副官であったかつての一見習士官が「では一体、私たちはどうすればよかったのですか」と問うている。

それにはだれも答えられない。

そして曽野氏は、この「神話の背景」にあるいま私が要約したような「規範の逆転」を察知しておられる
戦場を知らない女性でも、「目」のある人が本気で調べれば、それは察知できるのである。

従って、それを知ろうともせず「逆方向の糾弾」をしている者――いわばマニラの埠頭での私の行為を人間的人道的と見、S中尉を冷酷非人間的と糾弾するような批判をしている者――その者は、ただその人が無知無感覚でかつ魯鈍な知的怠惰者であることを、自ら証明しているにすぎないであろう。

「情緒的自己満足のための行為」はそれを聞いた安全地帯の人びとを情緒的に満足させるから、この行為はすぐ「美談」になる

戦場の美談の裏側は愚行であると言ってよい。

どこの国のどこの戦場であれ、日本国内で美談化されている行為がもしあれば、それはすべて愚行に違いない

【引用元:私の中の日本軍(下)/S軍曹の親指/P124~】


私が、今回の震災を巡る議論を見ていてなんとなく感じたのが、山本七平の言う「死体をかついで野戦病院にかけこまないのはもってのほかだ」的な言動がまかりとおり、それに触れるような言動はバッシングされているのではないか…ということ。

例えば、住民避難に慎重だった飯館村長宛に「人殺し」とのバッシングメールが殺到した件など、その典型なのではないでしょうか。

■飯舘村・菅野典雄村長に聞く――「命が大切」というのは正論。しかし、その犠牲になるのもここの住民なんです。(東洋経済オンライン 4月19日(火)11時14分配信)

(以下一部抜粋)

「命が大事」ということは誰だってわかっている。
私もそう思っています。
当たり前の話です。
しかし、それだけではないでしょう、とちょっとでも異を唱える人は誰もいなかった。
責められたくないからでしょう。

私は責められています。
毎日のように「殺人者」などと書かれたメールがいっぱいくる
これだけ騒がれているにもかかわらず、何ら避難措置などを発令していないから。

しかし、たとえば、他の自治体では、どんどん措置を発令して、その結果として、いま、住民の居住地などを把握することが困難化し、にっちもさっちもいなかなくなっているところもある。

昨日も、福山官房副長官に「非難命令に従わなければ、罰則規制があるか、とたずねたら、「罰則規定はありません」ということだった。

そうなんでしょうね。

当初、累積放射線量は年間100ミリシーベルトまでは大丈夫ということだった。
ましてや、政府は計画的避難地域の導入に合わせて、この地域の累積放射線量の基準値を事故発生から1年間で50ミリシーベルトから20ミリシーベルトに下げました。

この措置は、この村を避難地域に入れたいためだったとしか思えない。

「1年間で20ミリシーベルトを超えるから、この村から出なさい」という理屈を作るため、ということです。
そうなったのは、みなさんがたが政府を責めているからでもある。

みなさんの声が、早く住民を地元に戻すべきである、というように変わるようにと信じています。

(引用終了)


安全地帯から、平時の規範に基づいて評価する事は誰にでも出来ます。
しかし、それは何の解決にもならない。

ならないどころか、誤った判断による被害者を新たに生み出すことにしかならない。
挙句の果てには、情緒的正義感に酔っ払って、上記のように被災者さえ罵倒することにもなってしまう。

このような”疑いなき”正義感ほど、始末に困るものはありません。
曽野綾子を罵倒している連中ほど、そういう傾向にあると言えるのではないでしょうか。

この「規範の逆転」に気付くか気付かないかが、マスコミの虚報や扇動に騙されない「コツ」だと私は思います。

リテラシー能力を上げるためにも、「規範の逆転」に気付く必要があるわけですが、日本人はそうした環境を経験できる機会が殆どありません。
海外に出たとしても、現地で生活せねば、こうした規範の逆転に触れる機会はなかなかめぐり合わないでしょう。

そう考えると、やはり、山本七平の著作を読むのが一番てっとり早いんじゃないか…と思うのですが。
いかがでしょうか。


【関連記事】
◆「規範の逆転」を察知しようともせず糾弾することの愚かさ
◆名文章ご紹介シリーズ【その5】~戦場では偽善が成り立たない~


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コメント

ysJournalさん、花春さんへ

こんばんは。
レスが大変遅くなって済みませんでした。

>ysJournalさん

ご声援ありがとうございます。
今回ご紹介した記述は私自身、当てはまることだったので非常に感銘を受けた部分でした。
こうした視点に気付かせてくれる山本七平はすごいですよね。
これからも頑張って紹介していこうと思いますのでよろしくどうぞ。


>花春さん

確かにちょっと安直に捉えている傾向が強いのかもしれませんね。

  • 2011/06/12(日) 23:28:06 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

疑いなき正義感をもってるひとは「やりたいこと」とで「できること」に差がないと思っているからではないでしょうか
人間の行動はすべてそのひとは好き好んでやったことだと考えているような・・・

  • 2011/06/07(火) 05:31:31 |
  • URL |
  • 花春 #-
  • [編集]

「規範の逆転」「価値観の両極端」

一知半解様
比較的簡単な逆転した事も想像出来ない人が、価値観の両極端を想像出来ないであろう事は、用意に想像出来ます。

非常事態でもこの様ですから、普通の時の酷さは推して知るべしです。

いつも、考えさせられるエントリーで、勉強になります。

今後ともの頑張りを期待しております。

  • 2011/06/06(月) 23:57:06 |
  • URL |
  • ysJournal #-
  • [編集]

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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