一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「規範の逆転」を察知しようともせず糾弾することの愚かさ

私は、山本七平の本を読み返すたびに、その深い洞察力とそれをわかりやすい言葉で伝える記述力にほとほと感心してしまう。

そしていかに、自分を含め後世の人間が、戦前・戦中の日本について誤った捉え方をしているかと言うことを痛感させられてしまう。

(以前にもこの記事で紹介済みだが)
そんな山本七平の力作が次の作品↓。

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あまり他に第二次大戦の書物を読んだことの無い私ですが、それでも、次のように断言してしまいます!

日本がなぜあのような無謀な戦争に突入したのか?

その謎に迫るにはこの本こそベスト・テキストである!…と。
そして、この本を熟読し理解することこそ、「反省」と呼べる行為である!…と。


この本を読んで、それでなお百人斬り南京大虐殺を断固たる事実と主張する者は、物事の理非が分からぬ愚か者にちがいないのではないか。
若しくは、「判断」と「事実」との違いが分からず「自分の判断=即客観的事実」と思い込む幼児のような精神構造の持ち主ではないだろうか。

そのように思わざるを得ないほど、山本七平の記述というものは、説得力を持っていると私は考えています。



さて、今日は、そんな「私の中の日本軍」から、「規範の逆転」について取り上げてみたい。

日本軍の行為をことさら取り上げ、糾弾することが好きでたまらない人たち(主に左翼の連中)の視点には、一体何が欠けているのか?山本七平はそのことについて次に紹介する記述で鋭く指摘しています。少し長くなりますが紹介して行きましょう。

百人斬り競争」を徹底的に調べられた鈴木明氏が非常に興味深いことを述懐しておられる。これは、鈴木氏だけてなく私にもある(と少なくとも、私はそう思っている。ただ時々、そうではないと人からいわれるが)そしておそらくだれにでもあることと思われるので、前の引用と一部重複するが、その部分を引用させていただく。

〈彼は向井少尉には好感をもっていないことを、はじめから明らかにしていたが、こと「百人斬り」の話になると「そんなこと誰が信じてるもんですか」といい、「一人斬ったなんていう話も信じませんなア」と吐き捨てるようにいった。

僕は、この、ある意味では重大とも思われる証言を、何故か遺族の人たちには、あまり語りたくないような気がした。

遺族たちの心の中には、「戦犯」といううしろめたさと同時に「勇士」というイメージがある。無実であるという心と「勇士であってほしかった」という心とが裏腹にあることが、僕には痛いほどわかるような気がしたからである〉


前述のように私は、こういった配慮が非常に少なく、何でもズバズバ言い、何でも徹底的に聞きただし、納得しない限りおさまらない人間と思われていたらしい。

だが、それはただそう見えるだけで、いざとなればその行き方はみなと同じであった。

本当にそういう人間だったら、あらゆる場合にもっと合理的に行動したはずである――自分の行動が合理的であったと思えたことは、ただ一度しかない。

そして「遺族たちにはあまり語りたくない」といわれれば、「事実は事実だ」といってこれをつっぱねることは、私には到底できないのである。

昭和二十二年一月二日、佐世保の近くの南風崎から復員列車に乗る直前であった。
どこかで見覚えのある一人の男が私の前に立った。そしていきなり「少尉殿」と言った。

私は驚いてその男を見た。
戦争が終ってもう二年目、少尉殿などといわれれば、言われた方が驚くのが当然である。

その男は私に、S軍曹殿の遺族のところに立寄ってから東京に帰るつもりか、ときいた。私は無愛想にうなずいた。

すると相手はいきなり大声で「行かんで下サレ」と叫ぶと、今にもつかみかかりそうな勢いで私につめよった。

私はあまり激する方ではないのだが、何しろ内地上陸以来、それまですっかり忘れていた寒さに痛めつけられ、その上連日徹夜の復員事務、さらに正月の休みで、どこの部課も責任者は休みであり、当直の人は、無理もないことだが、「正月早々仕事なんか出来るか、まったく変なときに上陸しやがって……」と毒づいてまことに不親切、という情況にもまれて疲労困憊し、すっかり神経が高ぶっていたので、つい言葉が荒くなった。

「ナニィ、そんなことは貴様にとやかく言われる筋合はない。行こうと行くまいとオレの勝手だ」

相手は答えて

「そりゃ勝手じゃろう。だが行って一体遺族に何を言わっしゃる気だ。いつもの伝で何もかもズバズバ言わっしゃる気か!墓ば掘り起こして手ばブッタギッタの足ばタタッキッタ(註)の死んだ人間の女房子供に言わっしゃる気か!」といった。私はぐっとつまった。
(註…山本七平は部隊長に命ぜられ、一度土葬した部下のS軍曹を掘り出して、遺骨を日本に持ち帰るため、自らの日本刀で遺体の親指を切断した事を指す)

前にもちょっと触れたが、私のいた部隊は東京と九州との混合編成であり、第一中隊が九州で、S軍曹はこの第一中隊と共に私たちより先に比島に来ていた。

彼は、温厚・篤実、すべて的確で沈着、思慮深くて機敏で壮健、社会のどの部門に行っても、またどんなに世の中が変っても、必ずリーダーになる資質を備えていた。
それでいて一面非常なはにかみ屋だった。

彼は兵技下士官だったので、編成完了と同時に自動的に本部付となったが、第一中隊の人事係准尉が「兵技でなきゃ絶対に手ばなさん」と何度も何度も私に言い、また第一中隊の兵士が何かの用事で本部に来たときは必ず彼のところに挨拶に来るほど、上にも下にも人望があった。

そしていま私の目の前に立っている男は、その第一中隊の兵士であった。
従って、私は彼の名を知らず、顔もどこかで見たような気がするなという程度にしかおぼえてなかったわけである。

S軍曹の家は唐津の近くであった。当時の交通事情からすれば、東京に帰る前に彼の遺族のところに立ちよるのが常識であった。

復員切符は途中下車無制限であったし、またたとえそこがどんな辺鄙なところであろうと、また宿がなかろうと車がなかろうと、食うや食わずの野宿や徒歩行軍を当然と考えて来たわれわれには、それはもとより問題ではなかった。

しかし「……何を言わっしゃる気だ……」と言われたとき、私は不意に虚をつかれたように感じた。
「何をいうか」などということは、全然私の念頭になかったからである。

相手は目ざとくそれを見てとって言葉をつづけた。彼がくどくどと言ったことを要約すれば次のようなことであったろう。

戦場と内地では全く規範が違う。つまらぬ情緒的自己満足のため無益に兵士を殺したことが逆に人道的行為のように見え、部下のことを考えて最も的確に処理したことが非人間的冷酷もしくは残酷にさえ見える。

私はあなたとS軍曹が、上官・部下というより親友であったことを知っている。だからこそ、あなたのことを遺族に誤解させたくない、また遺族を無用に苦しめたり悲しませたりしたくもない。

私が話す、どう話すかは私にまかせてくれ、そして「仏心があるなら」生涯S軍曹の遺族には会わないでくれ、何も言わんでくれ、と言った。

彼の言うことは理解できた。彼が私に注意したのは、一に私への親切からであった。私は自分の非礼を詫び、まっすぐ東京へと帰った。

しかしその結果、S軍曹の遺族は、「事実」は何も知らされていないことになった。そしてこれが全日本的規模で行われたように思われる。

一方、彼の言葉は、私にとっては戦場への決別となった。そして、戦場そのものへ入ったときにも、同じことを逆の立場で言われたのであった。

それは前にもちょっと触れたが、マニラに上陸してすぐ、一人の兵士が日射病(?)で昏倒し心臓麻痺(?)を起したときであった。

当時は輸送編成で、私は輸送本部付だったが、すっかり慌てて、すぐさま船舶輸送司令部に伝令をとばして野戦病院の場所をきき、倒れた兵士を担送しようとした。

そのとき、本部の先任将校であったS中尉が「山本!ヤメロ、ほっとけ」と言った。私は驚いてS中尉の顔を見た。私はかねがねS中尉を尊敬していたので、この非常にきつい一言に一瞬戸惑いを感じた。

彼は私を見て言った。死んだ兵隊のために動いてはナラン、それをすると、次から次へと部下を殺す。

彼の言ったことは事実であった。ほかの兵士も同じように、「地獄船」の異称のあったあの輸送船の船倉から出てきたばかりで、しかも乾期の真っ最中のマニラの炎天下にいるのである。

もし倒れた兵士を担架に載せて、四人の兵士にこの炎天下を野戦病院まで担送させたらどうなるか――その四人も次から次へと倒れて心臓麻痺を起すかも知れない、結局それは、一見、人道的・人間的なように見える処置だが、実は次から次へと部下を殺す残虐行為にすぎないのである。

確かに一般社会なら、「もうだめだ」とわかっても病院にかつぎ込み、万全の処置を講ずるのは当然のことであろう。

そしてそれをしないのは生きている人間をも大切にしていない証拠だといわれても、一言の反論もできないはずである。

路上に死体が放置され、人が冷然とその傍らに立っている社会などというものは、病的な社会に相違あるまい。

しかし一方から見れば、死者を丁重に扱い、あるいは盛大な葬儀をするということは、死者自体には関係なく、生きている人間の情緒的自己満足にすぎないともいえる。

病院にかつぎ込まれようと桟橋に放置されようと、死者自体は何も感じはしない。

従ってこの場合、これを野戦病院へかつぎ込もうとすることは、私の自己満足のための行為にすぎないのである。

もしその自己満足のため無理な担送をやらせ、そのため兵士が倒れたら、それは自己満足のため部下を殺したということにすぎない

前述のように、その夜はシナ人墓地で野営した。S中尉は何度も何度も、「一般社会の常識的規範を戦場にもち込んではならない。それをすれば、立派な行為のように見えても、結局は部下を殺すだけのことになるのだ」と私に語りつづけた。

そしてそれがいわば「戦場の入口」であり、すべてが逆転する地点であった。

彼の言うことは理解はできた。しかし理解できたということは、いざというときにそう行動できたということではない。

いささか自己弁護めくが、われわれは他の民族よりも、情緒的自己満足のために行動し、あるいは行動させる傾向が強いのではないであろうか。

「やるだけはやった。やれることは全部やってやった、心残りはない」という自己満足、確かにあの兵士を野戦病院にかつぎこめば、たとえそれが出発点においてすでに死体であっても、私は「やれることは全部やってやった」と感じたであろう。

だが、もしその担送のため別の兵士が心臓麻痺で倒れたら、確かに私は自己満足のため部下を殺したとなるであろう。

だが、このことを一般の社会で話したらどうなるであろう。

野戦病院にかつぎ込もうとした私が人道的人間に見え、断固これをとめて放置させたS中尉は、逆に冷酷無情な鬼畜のように見えるであろう。――南風崎で「行かんで下サレ」と私につめよった兵士が、くどくどと言ったことも、煎じつめればこのこと、すなわち「私が冷酷無情にみえて、遺族が不当に悲しむから」ということであった。

そしてここが「戦場の出口」だった。

「何かのために何かをしてやった」という情緒的自己満足のため人を殺し、それを人道的行為と考える。

これは「岡本公三(wiki参照)の論理」であり、同時に「死者を担送する論理」だが、この論理は実に根強くわれわれの中に巣くっている

赤軍派や学生運動のリンチにもこれが見られるだけでなく、NHKの通信員まで、同じ論理で淡水の工場排水の濃度を廃棄物で高め、この中に魚を入れて無理矢理魚を「虐殺」している。

彼のやった「行為」は魚を殺したということだけで、彼はそれ以外に何もしていない。
しかし彼は「環境問題キャンペーン」のためで、「基本的に私のやったことは間違いでない」という。

「公害キャンペーンのため」といって、むりやり「魚を殺して」虚報を発し、それを「間違いでない」とする考え方は「戦意高揚のため」「百人斬り」という虚報を発し、その結果二人の人間を処刑場に送っても平然としていられる考え方と同じであろう。

結局「何かのために何かをしてやった、それは意義あることであった」という自己満足のためには、虚偽でも虚報でも無差別銃撃でもリンチでも魚の虐殺でも、何でもゆるされるという考え方であろう。

本当にゆるされるのか。

これが「ゆるされる」とするあらゆる美辞麗句は、実は、人間が戦争をはじめたり、虐殺を行なったりするときに、必ずロにする言葉なのである。

この場合の「人」と「魚」との差は、普通の人が考えているほど大きくはない。

ヴェトナム戦争でも多くの報道がなされた。

すべてに目を通したわけではないが、私の見た限りでは、そこに共通するものは、書く者と読む者とが共に往む平和な社会における情緒的自己満足は充足させても、前述のように規範の逆転がすべてにのしかかってくるという状態の中で、ひとりひとりの人間がどう行動すべきかという基準を全く考えずに、また、一見人道的に見える情緒的自己満足のための行為が実は最も残酷な行為になるということを全く理解しようともせずに、すべてを知らず知らずのうちに自らの「情緒的自己満足」の充足のため批判しているように見える。

確かに逆転した情況の中で生きた体験がないから、そうなるのは当然のことだ、といわれればその通りであろう。

だが、それならば一方的断定は避けて、そこに何か、自分たちがいま生きている社会とは全く別の「理解しきれない何か」があるのではないか? 自分たちの批判が基準になったらさらに残酷なことになるのではないか? という疑問は抱いてほしいと思う。

それをよく考えないと、向井・野田両少尉を断罪すると同じような、全く見当はずれの奇妙な断罪を人に加えて、それによってただ情緒的な自己満足に酔いしれて、まるで酔漢がからむように、だれかれかまわず一方的にきめつけるというタイプの人間になり下がってしまうであろう。

先日、曽野綾子氏から『ある神話の背景』をお送りいただいた。
氏はこの中で、沖縄の「伝説的悪人」赤松大尉のことを、あらゆる方法で調査しておられる。

この中に多くの人の「赤松大尉糾弾」の辞が収められている。確かに彼には糾弾さるべき点はあったであろうし、戦場にいる限り、それはもちろん私にもある。

ただ私にとって非常に奇妙に見えたのは、ある評論家の「糾弾の方向」である。

それはまるで「死体をかついで野戦病院にかけこまないのはもってのほかだ」と言っているように私には思えた。赤松大尉の副官であったかつての一見習士官が「では一体、私たちはどうすればよかったのですか」と問うている。

それにはだれも答えられない。

そして曽野氏は、この「神話の背景」にあるいま私が要約したような「規範の逆転」を察知しておられる。

戦場を知らない女性でも、「目」のある人が本気で調べれば、それは察知できるのである。従って、それを知ろうともせず「逆方向の糾弾」をしている者――いわばマニラの埠頭での私の行為を人間的人道的と見、S中尉を冷酷非人間的と糾弾するような批判をしている者――その者は、ただその人が無知無感覚でかつ魯鈍な知的怠惰者であることを、自ら証明しているにすぎないであろう。

「情緒的自己満足のための行為」はそれを聞いた安全地帯の人びとを情緒的に満足させるから、この行為はすぐ「美談」になる。

戦場の美談の裏側は愚行であると言ってよい。

どこの国のどこの戦場であれ、日本国内で美談化されている行為がもしあれば、それはすべて愚行に違いない。

【私の中の日本軍・下/S軍曹の親指の章より引用】


戦場経験のある人たちは、その大多数が既に亡くなられており、我々の身の回りには、もはやそうした「規範の逆転」を身をもって体験した人は皆無に近いと思います。

ですから、山本七平がいうように、「逆転した情況の中で生きた体験がないから、そうなるのは当然のこと」であって、何ら恥ずべきことではないでしょう。

しかし、逆転した情況に置かれた自らの先祖の行った戦争行為を、「規範の逆転」について全く考えようともしないまま平気で断罪する行為は、見過ごしてよいのでしょうか。

自分は今まで左翼の言動に言い知れぬ不快感を感じてはいたものの、どうしてなのか自分でもうまく表現できずにいました。
しかし、この山本七平の記述を読んで全てが氷解したような、胸のつかえが取れたような気分になりました。

自分は安全な場所にいて、なぜ当時の日本人がそのような行動に走ったのか、その背景も知ろうとせず、自らの先祖の戦争行為を声高に糾弾する。そればかりか、中韓の連中と手を取って、そのことに疑問を呈する同胞の日本人をも「反省が足りない」と非難してはばからない。

そしてそうした反省を示すことが、「日中友好・アジア連帯・恒久平和に資する」などとのたまう。

いったいこういう連中のどこが、「平和を愛する人たち」なんですか???

単に「私は無反省な者を非難している。だから私は正しいのだ」と世間にアピールしているだけの馬鹿者ではないか!!

そうした連中から漂ってくる「いかがわしさ」、「偽善」。
これが私から左翼の連中を嫌いにさせた正体だったのだ。

そういう連中が、平気で口にする「平和」。薄っぺらいものに感じてしまうのは私だけなのだろうか?


余談ですが、この記述の中に出てくる曽野綾子氏は、今でも左翼の人々の間では嫌われているし攻撃されています。
今も昔も彼らの”情緒的満足感”に水を差す人物というのは、山本七平を叱ったS中尉同様冷酷に見えてしまうのでしょうか。所詮、「逆転の規範」を察知できない者には何を言ってもムダなのでしょうかねぇ。
(そういう私も、山本七平の記述を読まなければ、察知できないままだったと思います。そういう意味では、気付かせてくれた山本先生には非常に感謝しています。)


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コメント

シンガポール軍政下の著述としては「日本軍占領下のシンガポール」 青木書店 もあります。あと手軽に入手できるものとして「BC級戦犯裁判」 岩波新書 もあげておきます。

  • 2008/06/10(火) 21:30:40 |
  • URL |
  • おさふね #-
  • [編集]

mugiさんへ

>mugiさん

コメントありがとうございます。

>赤軍派内部の封建的上下関係は旧日本軍とグロテスクなほど酷似していました。

mugiさんもそう思われましたか!

私はあいにくその映画を見ていませんが、興味があったので映画のHPはチェックしましたし、実はブログでも書きかけのままになっています。近々UPしようとは思ってますが。

山本七平も、赤軍派のリンチと日本軍の私的制裁について類似点と相違点を「私の中の日本軍」の冒頭で述べていました。ちょっと紹介します。参考になりますかどうか。

「私的制裁」と「住民虐殺」、「赤軍派リンチ」と「ロッド空港の乱射」は、互いに相関連する同系統の出来事なのであろうか。それはわからない。この問いに対しては、この四つを経験してなお奇跡的に生き残った人にしか証言の権利はない。だがそういう人はいない。

いないから仕方がないとはいえ、赤軍派のリンチやロッド空港の乱射について、非常に誤った断定が行われているように思う。

たとえばキリスト教関係では「聖公会新聞」で志賀正照氏が赤軍派のリンチについて、「……車の調達でもたついたり、自動車運転のミス、男女関係の乱れなどをとがめ『革命精神の不足』と断定して、集団リンチにかけた仕打ちは、何としても異常であり、日本の風上には前例のない異質のものであった」と書いており、同じ趣旨のことは他にも数多く書かれているけれども、この「革命精神」を「軍人精神」となおせば、まさにこれと全く同質のことが日本の陸軍で行われ、私はそれを体験しているのだから、「日本の風土には前例のない異質のもの」という断定は誤りといわねばならない。

まして、戦後教育の結果だとか、○×教育のためとか、父親不在のためとか、対話の欠如が原因だとかいうような言葉はすべて誤りである。あまりにも安易な断定が多すぎるように思われる。

さらにロッド空港の三人の父親に対する「対話があったのか」といった意味の新聞記者の質問は全く愚問以下だと思う。

ではお前はどう思うのかと問われれば、私は自分の体験からしか判断できないが、私には、旧軍隊のリンチ、殺人までおかした大学の運動部のリンチ、ゲバ学生のリンチ、「恥の町」王子ストのリンチ、および日本軍による虐殺、ロッド空港の虐殺、これらはすべて、どこかで関係をもつ同質の事件で、この同質のものが、戦前にも戦後にもあるのだとしか思われないのである。

だが、こういった体験は、私だけでなくおそらくだれでも、あまりにも思い出したくない体験なので、無意識のうちに記憶から消し去っており、そのため今では「前例のない異質のもの」と断定されるようになってしまったのかも知れない。

もしそうなら、この誤れる断定の責任は志賀氏にはなく、これを体験しながら、その実態を正しく伝えようとしなかったわれわれにあると思う。


そして、相違点についてと、どうしてリンチが行われたのかの理由を次のように述べています。

では一体、学生運動で発生したリンチと軍隊の私的制裁とどちらがより陰惨で残酷であったか、と言われれば、私には判定がつかない。

しかしはっきり言えることは、軍隊のリンチでは、たとえ半殺しの連続になっても、直接に殺される心配は皆無であった。これは事実である。たとえ何者であれ、「陛下の兵士」を殺したとなれば、その者はいわば「敵」である。そんなことになれば隠すことのできない大問題・大失態であり、それこそ軍紀の紊乱を通り越して、一種の反逆になってしまう、という限界があった。

従って大学の地下室に連れ込まれて集団で嬲り殺しにされるとか、柱に縛りつけられてアイスピックで心臓を刺される、といった事件は起りえない。これはちょうど特訓班で「人体実験」が行われていたにせよ、マテリアルの心臓を勝手に抜きとって移植し、二人の人間を殺してしまうようなことは起りえないのと同じである。

ただ両者に共通した点は、共に、表向きには、そういうことはすべて「ありえない」「あるはずがない」とされていたことである。

第二に、管理者がこれをどうすることもできなかったこと。

第三に、発覚しそうになれば管理者が隠してしまい、そういうことへの捜査や摘発に絶対に協力しなかっただけでなく、実際は妨害したこと。

第四に、管理者の中には内心リンチは必要悪だとする者がおり、妙な理屈、たとえば「リンチはよくないが、リンチをされる方にも、そういうことを誘発する良からぬ点があるのだから、リンチそのものを問題にするのは誤りで、この良からぬ点を除去すればリンチは自然になくなる」といった言い方で、問題の焦点をわざとはぐらかしてしまう者が必ずいたこと。

第五に、「戦争だから」(「革命だから」も同じだろうが)これくらいのことは「しゃーないやないすか」と肯定する者がいたことであろう。

このうち第四の「される方にも……良からぬ点がある」というのは、される方に非違行為があったから仕方ないという意味ではない。

いわゆる市民的常識や市民的感情のことを、軍隊では「地方気分」といい、「テメエら、まだ地方気分が抜けトランゾ」ということが私的制裁の大きな理由の一つで、この「地方気分」が抜け切っていないことにリンチをされる原因があることも事実なのだから、リンチだけ取り上げてこれを禁止しても問題解決にはならない、といった意味である。

いわば「軍人精神」の欠如がリンチの原因だという意味で、これは「革命精神」の欠如をリンチの理由にした赤軍派に通ずる考え方であろう。それが第五のような考え方の暗黙の支持になる。

とすると、獄中からリンチを批判した者の「同志を殺したことは許せない」という言葉も、「陛下の兵士に手をかけることは許されない」に似ている。では、同志や陛下の兵士でなければ、無差別射殺も許されるのであろうか?

以上のように見てくると、赤軍派のリンチは「日本の風上には前例のない異質のもの」どころか、三十年前に徹底的に行われたことの再演にすぎないと思われてくる。従って、戦後教育の結果とか、○×式とか、父親不在とか、対話の欠如とか、断絶とかいったことが理由であるとは思えない。


>未だに赤軍派をひた向きだ、革命に全てをかけた、理想に燃えた若者…と情緒丸出しで持ち上げる愚かな文化人も少なくない。「ひた向き」で犯罪行為が帳消しになるなら、「大東亜共栄圏」を唱えた右翼と何処が違いますか?

mugiさんのご指摘のとおり、映画のHPにも、そんな感じが溢れていたように私は感じました。
やっぱり、「……のためなら許される」という考え方は実に危険ですね。こうした考えを許さないことが大切だと思いました。

  • 2008/06/08(日) 23:13:23 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
  • [編集]

総括

記事をとても興味深く拝読させて頂きました。
山本七平が日本の遺族に届けるため、1度埋葬した部下の親指を切ったという体験の証言は、惨すぎるリアルさがあります。
仰るとおり、戦時と平時の基準は全く異なりますね。

先日、映画『実録・連合赤軍/あさま山荘への道程(みち)』を見ましたが、赤軍派内部の封建的上下関係は旧日本軍とグロテスクなほど酷似していました。何しろ妊娠八ヶ月の女性同士も「総括」の果て惨殺するのだから、旧日本軍も真っ青です。

左翼くらい、己の行為への「総括」をしない連中もないのですが、未だに赤軍派をひた向きだ、革命に全てをかけた、理想に燃えた若者…と情緒丸出しで持ち上げる愚かな文化人も少なくない。「ひた向き」で犯罪行為が帳消しになるなら、「大東亜共栄圏」を唱えた右翼と何処が違いますか?
だから言うに事欠き、戦時の虐殺など持ち出すのでしょうけど、以前「一知半解男」さんが引用されたように、インドネシアのスカルノ大統領時代や同時期のマレーシアでの華僑迫害、桁外れでしたね。もちろん19世紀清朝末期の「洗回」(回族浄化)に比べれば、これも緩い。

  • 2008/06/08(日) 21:00:08 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

仮)山田さん、けだぱぱさんへ

>仮)山田さん
>あくまで、味方の犠牲を効率的に減らすと言う意味です。これは、味方一人の死で敵をどれだけ屠れるか、どれだけの味方を逃がせるかを冷徹に実行する事を求められると言う事にもなります。

なるほど。そういう意味だったのですね。そういう真意を汲み取ることが出来ずスミマセンでした。

>けだぱぱさん

はじめまして、コメントありがとうございます。
「空気の研究」は私も読みましたが、ちょっと内容が抽象的なところもあり、理解できたと言えない状況ですv-13

ご指摘にもありましたが、「空気」について言及したのは山本七平が最初ではないでしょうか。果たして「KY」と簡単に使っている今の現況ってどうなんでしょうね?KYと言う事で同調圧力を高めることは容易ですけど、決していい状況ではないような気がします。

  • 2008/06/07(土) 23:02:52 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
  • [編集]

はじめまして

こんばんは。

山本七平。私も好きです。
この「私の中の日本軍」と「空気の研究」が好きですね。
昨年「KY」という言葉が流行りましたが
この人は随分前から「空気」というものを意識していたんですよね。
「KY」という言葉が流行りとして受け止められてしまうという事は
逆説的に山本氏が主張したような
「空気」の怖さをまだ考えられていないという事なのでしょうね。

  • 2008/06/07(土) 02:18:41 |
  • URL |
  • けだぱぱ #-
  • [編集]

ほぼ、同意なのですが

あくまで、味方の犠牲を効率的に減らすと言う意味です。これは、味方一人の死で敵をどれだけ屠れるか、どれだけの味方を逃がせるかを冷徹に実行する事を求められると言う事にもなります。S中尉の取った死んだ兵士への態度・行動を殿軍やオトリ部隊の兵士などに置き換えて見れば解り易いと思われます。

  • 2008/06/06(金) 22:59:40 |
  • URL |
  • 仮)山田二郎 #-
  • [編集]

まとめての返事でごめんなさい

>仮)山田さん

いつもコメントありがとうございます。
スミマセン、いただいたコメントで一つ質問があります。「味方の効率的な殺し方」の意味が私にはちょっとわかりません。これは「敵」の誤りですか?それとも「味方の犠牲を減らす」という意味ですか?
私は、S中尉の「冷酷」というのは、味方の犠牲を最小限にとどめるという意味に受け取ったのですけど。

>おさふねさん

初コメントありがとうございます。
ご質問の件ですが、あいにくシンガポールの華僑粛清については存じておりませんでした。一応ネットでも探してみましたが、書籍として取り上げているのはシンガポール華僑粛清―日本軍はシンガポールで何をしたのか (単行本) 林 博史 (著) だけのようですね。
これを一度読んでみないことには、何とも判断できません。
申し訳ないですけど、意見を述べられる状況ではないのでノーコメントとさせていただきます。

>Robitaさん

黙ってTB送ってすみませんでした。
最新の記事「平和への道」読ませていただきました。非常に参考になる記事で佐藤貴彦さんの引用文も考えさせられるものでした。最後に拙ブログ紹介までしてくださってありがとうございます。

TBの設定は変更していないので、多分ご機嫌斜めなのかも…。
済みませんが、時間を置いてもう一度トライしていただけませんか。
とりあえず、このコメント中にもrobitaさんの記事のリンク↓を貼っておきます。宜しくお願いします。

平和への道
http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_2951.html

  • 2008/06/06(金) 22:04:51 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
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トラックバックが送信できませーん

  • 2008/06/06(金) 13:16:35 |
  • URL |
  • robita #-
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はじめまして。一つお伺いします

 シンガポールでの戦闘終了後における華僑粛清に関しては如何思われておられるのでしょうか?
 既に日本では何度も裁判が行われ、資料も出尽くして動かしがたい事実である南京大虐殺と違い、まだ国内でもそれほど話題になる事はありませんが、そのシステマティック性といい、戦闘終了後の混乱が収束していた時点で行われていた事と言い南京大虐殺を上回る戦争犯罪と私は考えておりますが。

確かに冷酷に思えるでしょうね。
戦場で仕官(指揮官)に求められる事は、いかに敵・味方を効率良く殺すかですからね。

一般社会で生きている限り、少なくとも味方の効率的な殺し方なんて、まず考える必要がありませんしね。

  • 2008/06/05(木) 23:18:50 |
  • URL |
  • 仮)山田二郎 #-
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サヨク嫌いになる理由

一知半解さんのBLOGから    自分は安全な場所にいて、なぜ当時の日本人がそのような行動に走ったのか、その背景も知ろうとせず、自らの先祖の戦争行為を声高に糾弾する。そればかりか、中韓の連中と手を取って、そのことに疑問を呈する同胞の日本人をも「反省が足り...

  • 2008/06/07(土) 20:32:21 |
  • Sirokaze Report of Specific Asia

平和への道

昔も今も、政府の責務は国民を「食べさせていく」ことです。先の大戦当時の政府もそれ

  • 2008/06/09(月) 11:13:23 |
  • 幸か不幸か専業主婦
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一知半解

Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

http://yamamoto7hei.blog.fc2.com/

★★コメント欄運営方針★★
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・管理人はコメント欄の運営については自由放任という立場です。当面は、たとえ議論が荒れてしまっても不介入の方針でいきます。議論はとことんやっていただいてかまいませんが、できるだけ節度やマナーを保って議論していただきたいと”切に”希望します。
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