一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

百人斬り報道を未だ謝罪せず、訂正もしない毎日新聞ならではの「報道姿勢」

もうあちこちのブログで取り上げられているネタですが、毎日新聞、やってくれますね。


J-CASTニュース↓
毎日新聞英語版サイト 「変態ニュース」を世界発信 2008/6/20

痛いニュース↓
「日本の母親、息子の勉強前に性処理」「日本の女子高生、食物でセックス依存症に」…毎日新聞、“変態ニュース”を5年に渡り世界発信→批判受け削除

Birth of Blues↓
2008年06月22日
毎日新聞社が全世界に発信した「日本の母親はみな受験生にフェラチオ・日本の主婦はみなコインランドリーで売春」のニュースソース発見しますた


日刊サイゾー↓
毎日新聞が引用したとされる『サイゾー』記事について


裏付のない東スポレベルのゴシップを、仮にも日本を代表するといってよい大手新聞社が、英語版だけ5年間の長きにわたり垂れ流したそうですから、やり方も卑劣極まりない。

しかも、上記日刊サイゾーにあるように、引用元の記事には無いことも付け加えて垂れ流している点なども、実にひどすぎます。
まあ、そこら辺に対する非難や検証については、他のブログにお任せするとして。

そもそも毎日新聞が過去にどんな報道姿勢を取ってきたのか。

それは、百人斬り報道を見ればその一端が見えてくると思う。
ご存じない方もいるかもしれませんが、毎日新聞と言えば、かの「百人斬り」報道を行った東京日日新聞の後身です。

そこで、今日は山本七平の「私の中の日本軍」の中から「百人斬り」報道を行った浅海特派員と東京日日新聞に対する糾弾の言葉を紹介しようと思います。

これを読んでいただければ、なぜ今回のような事件を毎日新聞が起こしたのか、ある意味納得できるかもしれません。

それではまず、二少尉が処刑された後の、浅海特派員の態度に関する記述↓から。

私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))
(1983/01)
山本 七平

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(~前略)

新聞がこんなバカげたこと(註…百人斬りのこと)を事実として報道すること自体がどうかしているが、さらに今もなお「信憑性があるから記事にした」(浅海特派員とか「以上四つの資料をごらんになって、なおも、ダンコとして『伝説』だと主張いたしますか」(本多記者)と強弁するに至っては、全くもう何といってよいやら言葉に苦しむ。

正気ですか? と反問したくなる。

(後略~)

【引用元:私の中の日本軍(下)/日本刀神話の実態/P96~】


未だに、百人斬りは事実だと思っている人は流石に少ないと思いますが、法螺を吹いた二少尉にも過失があるとか、百人は斬ってはいないにしろ何人か斬っているだろうとか思っている人はまだ多そうですね。彼ら二人は、日本刀で一人も斬っていないとしか思えないのですが…。

続いて、浅海特派員の取材の態度を非難するくだり↓です。

私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))
(1983/01)
山本 七平

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(~前略)

「前線で砲煙弾雨の下を駆けまわって取材しております」というジェスチャーをし、あたかも「百人斬り」のすぐ背後にいて、白兵戦のどまんなかでそれを目撃したような記事を書き、法廷の証拠になってはじめて「現場は見ていない」と自白し、しかも、自己の記述に信憑性をもたすため、後述するように人を処刑台に送る偽証をし、あたかも歩兵の肉薄攻撃をうけている砲車の傍らにいたかの如くに書き、また「週刊新潮」によれば、戦場帰りの長髭をしごいて、突入する戦車隊の傍らにいたかの如くに大見得を切っているが、これも時日を調べれば真っ赤な嘘。

そしてそれらのすべては、あの、全身の毛を逆だてて恐怖している猫のような顔をして死んだ兵士の死体を踏台にしての、大見得ではないのか。

それだけではない。この記事は軍部へのゴマスリだろう。

確かに、国民は戦場のニュースに餓え、一方、記者の従軍の可否は、軍がにぎっていたから、報道の制約乃至は自主規制があっても仕方があるまい。

だが制約があることと、軍が喜びそうな虚報を出すこととは別であろう
その上これは、外部からのゴマスリなのだ。

C軍医がたとえゴマをすっていたとしても、私は非難する気にはなれない。
彼は、不安と焦燥でそうしないではいられなかったのだ。

だがこれは違う

まるで三流業界紙の記者が部課長のところへ来て、「エーエー、お宅は全くご立派でございますな。お宅の二少尉が日本刀をふりかざして駆け出せば、シナ兵の百人や二百人はバッタバッタでございますよ」といってもみ手をしているとしか思えない。

なぜか。
私が下っ端だったからだ。
下っ端中の下っ端だったからだ。

こういう外部のゴマスリが最も不愉快なのは、毎日第一線で苦労し抜いている下っ端だということは、経験者なら理解してくれるだろう。

会社であれ、役所であれ、軍隊であれ、それは同じだ。
「冗談もいい加減にしろ、ゴマスリ野郎が。こっちは殺されまいとして毎日死にものぐるいなんだ」と

これが、どんな組織ででも、下っ端の、外部のゴマスリ屋への感情だろう。

だがそれは常に、ゴマスリ星にはわからない。今でもわからない。
そこで「人海作戦はご立派でございますよ」というようなことを全く無神経に口にできる。

(~中略~)

もし本当に従軍して兵士に接したら、この感情の万分の一ぐらいはわかるはずだ。
それがわからないのは、ゴマスリとジェスチャー以外、何も念頭になく、兵士などはじめから眼中にないからだ。

そのくせ踏台にはする。
だから兵士は怒る。

(~中略~)

だがその彼(註…野田少尉)が処刑されるとき、最後まで彼の心を乱しつづけたものは何であろうか。

人間は最後には諦める。
だれの罪でもない、自分が不運だったのだと自分にいいきかせ、自分を納得させる。

だが納得しきれないものが残る――何者かが、俺を踏台にして大見得を切り、ゴマをすった、それで俺は死体になるのではないかと。

(~中略~)

野田少尉が「未練を残すまい」といったその「未練」とは何だったのか。
私はこのことだと思う。

【引用元:私の中の日本軍(上)/軍人より軍人的な民間人/P201~】


上記の記述を読んで、私は山本七平の人間観察力の鋭さを感じてしまうのですが。

次は、浅海特派員が二少尉を見殺しにしたしたことへの批判と、新聞社の責任について言及した記述↓です。

(~前略)

それではここで、前につづく向井猛氏(註…向井少尉の弟)の証言を検討してみよう。
いずれも鈴木明氏が収録されたものである。

〈「浅海さんは、たしかに好意的にいろいろ相談に乗ってくれました。しかし、肝心の部分を書いてくれないのです。浅海さんに書いて頂いたのは〝

①同記事に記載されてある事実は、向井、野田両氏より聞きとって記事にしたもので、その現場を目撃したことはありません。

②両氏の行為は決して住民、捕虜に対する残虐行為ではありません。当時とはいえども、残虐行為の記事は、日本軍検閲当局をパスすることはできませんでした。

③両氏は当時若年ながら人格高潔にして、模範的日本将校でありました。

④右の事項は昨年七月、東京に於ける連合軍A級軍事裁判に於て小生よりパーキンソン検事に供述し、当時不問に付されたものであります。

〝という内容のものでしたが、私はできれば、あの記事は創作であると書いてほしかったんです。

しかし、それはやはり無理だったのでしょう。

もっとも、当時は私は、あの内容でも十分大丈夫とは思いましたし、それにまだ軍人のプライドみたいなものが残っていましたから、あれ以上頭を下げて頼むことができなかったのです。今なら……」と、少し言葉を切って、「今なら、土下座してでも、ウソだったと書いてもらったと思いますが……」〉


何年かぶりで、あの当時「戦犯の証人」という言葉で呼ばれていた人びとのこと、およびその証言を思い出した。

「戦犯の証人」とは、あらゆる方法で「逃げ」を打ち、親切そうな言葉は並べても自分は絶対にかかわりあいになるまいと伏線を張り、ああ言えばこういうで断言は絶対せず、言質は絶対にとられず、しかも何らかの印象を巧みに残すことで、ある種の「心証」を与えて身の安全を計り、すべての責任は結局被告だけに負わせ、自分は口をぬぐって知らんぷりしているだけでなく、ちょっと見ると、被告のため大いに弁護したかのように見せかけるのが、実にうまい人間のことである。

確かに浅海特派員の「証言」は、向井少尉の側、すなわち「殺される側」に立って、大いに有利な証言をしているかのように見える。

だがこの証言と、冒頭に掲げた向井少尉の手記を読み比べられればよい。

二人の間には、はっきりと深淵がある。

これが本当に「殺される者」と「殺される側に立つ」と仮称する者との、どうにもならないギャップである。

浅海証言の底にある絶対の前提は「身の安全」であり、すべてが一種の「逃げ」である。
それはそれでいい――それが本当に自分の生命にかかわることなら

しかし、もしそれが自分の職業や地位や将来性を意味する「身の安全」なら、それは絶対に許されない

人の命は、一新聞社、一新聞記者の面子とかえうるものではない

浅海証言には確かに美辞麗句はある。

しかし決定的なのは「①同記事に記載されてある事実は、向井、野田両氏より間きとって記事にしたもので、その現場を目撃したことはありません」だけである。

②と④は、すでに相手が知っていることで、今さら言う必要はない。
③は、無用なお世辞である。

そしてその中で決定的なのは「記載されてある事実」という言葉と「聞き取って記事にした」の二つであろう。

人間が何かを聞く場合、聞く方に二つの態度があるはずである。

すなわち「事実として聞いた」のか、「フィクションとして聞いた」のか、という問題である。

(~中略~)

ところが氏の証言は「同記事に記載されてある事実は、向井・野田両氏より聞きとって記事にしたもので、その現場を目撃したことはありません」となっている。

この証言は確かに非常に巧みで、典型的な「戦犯の証人」の証言の仕方で、どっちにころんでも、浅海特派員には全く責任はありません、という結果になっている。

従って、これでは偽証ではないかといわれれば、氏は「冗談じゃない。『記載されてある事実』はあくまでも事実だ、と証言したのではない。話をきいただけで、現場は目撃していないと証言しているではないか」と言えるのである。

しかし問題はそこなのだ
そして向井猛氏が問題としていることも、そこなのだ。

浅海特派員は、この事件における唯一の証人なのである。
そしてその証言は一に二人の話を「事実として聞いたのか」「フィクションとして聞いたのか」にかかっているのである。

いわば二人の命は氏のこの証言にかかっているにもかかわらず、氏は、それによって「フィクションを事実として報道した」といわれることを避けるため、非常に巧みにこの点から逃げ、絶対に、この事件を自分にかかわりなきものにし、すべてを二少尉の責任に転嫁して逃げようとしている

しかし、もう一度いうが、そうしなければ命が危かったのなら、それでいい――人間には死刑以上の刑罰はない、人を道連れにしたところで死が軽くなるわけでもなければ、人に責任を転嫁されたからといって、死が重くなるわけでもないのだから。

しかし、死の危険が浅海特派員にあったとは思えない

それなら一体なぜこういう証言をしたのか。

確かに浅海氏が小説家で、これが「東京日日新聞」の小説欄に発表されたのなら、この証言でもよいのかも知れぬ。

しかし氏は新聞記者であり、発表されたのはニュース欄である。

新聞記者がニュースとして報道するとき、実情はどうであれ、少なくとも建前は、その内容はあくまで「事実」であって、この場合、取材の相手の言ったことを「事実と認定」したから記事にしたはずだといわれれば、二少尉は反論できない。

従って、すべてを知っている向井少尉がたのんだことは、「建前はそうであっても、これがフィクションであることは三人とも知っていることなのだ。

しかし二人は被告だから、残る唯一の証人、浅海特派員にそう証言してもらってくれ」と言っているわけ
である。

それを知りつつ、新聞記者たる浅海特派員が前記のように証言することは、「二人の語ったことは事実であると私は認定する。事実であると認定したが故に記事にした。ただし現場は見ていない」と証言したに等しいのである。

すなわち浅海特派員は向井少尉の依頼を裏切り、逆に、この記事の内容は事実だと証言しているのである。

この証言は二人にとって致命的であったろう。

唯一の証人が「二人が語ったことは事実だ」と証言すれば、二人が処刑されるのは当然である。

これでは、この処刑は軍事法廷の責任だとはいえない

(~中略~)

一体、この二人の「血の責任」はだれにあるのか

私は、最終的には、やはりこの記事を掲載した新聞社にあると思う。

取材・原稿は記者の責任であれ、掲載は社の責任だと思う。

そしてこれが「証拠」たりえたのは、「新聞記事は事実の記載であって、フィクションの記載ではない」ということが、断固たる一つの前提になっているからである。

もう一つは、この記事が「戦犯の証拠」として昭和二十二年四月にすでに連合国側で問題とされているのを知りながら、二十二年十二月、二人が処刑されるまでの八ヵ月間、この記事を再調査することなく放置しておいた点にも責任があると思う。

当時なら、今とちがって、いくらでも証人はいたはずだ。

しかし今となってはもうどうすることも出来ない――私が何を言ったところで、処刑された人間は生きかえって来ないし、私の言うことは黙殺すればそれですむ。

もちろんこの問題はすでに法律的な問題ではあるまい。

しかし、もし本当にその意思があるなら、今でも、出来ることはあるはずである。

この事件は、今では、中国語圈、英語圈、日本語圈、エスペラント語で事実になっている

しかし、明らかに記事の内容自体は事実ではない

従って、これを事実と報じた人びとは、まずそれを取り消して二人の名誉を回復してほしい。

独裁国ですら、名誉回復ということはあるのだから。

そして二人の血に責任があると思われる人もしくは社は、遺族に賠償してほしい。
戦犯の遺族として送った戦後三十年はその人びとにとって、どれだけの苦難であったろう。


人間には、出来ることと出来ないことが確かにある。

しかしこれらは、良心とそれをする意思があれば、出来ることである。
もちろん私に、そういうことを要求する権利はない。

これはただ、偶然ではあるが、処刑された多くの無名の人びとの傍らにいた一人間のお願いである。

(後略~)

【引用元:私の中の日本軍(上)/不安が生み出す和気あいあい/P276~】


山本七平がこのように書いてから、もう数十年経ちました。
果たして、現実はどうか?

毎日新聞は未だ訂正記事も出さず、謝罪もせず、それどころか遺族が起こした百人斬り訴訟を争う有様。

良心のかけらもないのか!毎日新聞よ!

現在に至るまで、何ら後始末をしていない毎日新聞が、今回の騒動を起こすのも、謝罪のあり方がどこか浅海特派員の言い訳に似ているのも当然なのかも知れない。


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コメント

ありがとうございました

アシSさん、コメントどうもです。

>そして、、「報道側に責任はない」との結論には否定する立場です。
>報道側にも責任はありますが、それは国民が判断できる責任の領域ではないのが多くあります。

要約は、大体合っていたとの事で良かったです(何せ一知半解ですから…)。
ただ、「報道側に責任はない」との結論を否定する立場だとは思いませんでした。しかし、説明を読んでアシSさんの立場を理解することができた気がします。

また、アシSさんのスタンスというものを、私にもわかるように詳しく披瀝していただきありがとうございました。
私も自助努力の余地がありながらそれをしない弱者というものには、同情しかねる気持ちがあります。
強者も弱者も、自立しながら補い合う社会にしたいものですね。

なんだかんだ言って、私も、今回のアシSさんとのやり取りは非常に勉強になりました。
(ただ、それが生きるかはちょっと疑問…かな?また、頓珍漢な記事を書いたら、指摘する暇がありましたらご指摘いただけると嬉しいです)。
どうもありがとうございました。

  • 2008/07/11(金) 23:03:10 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
  • [編集]

挨拶割愛は、容赦頂きたい

要約に関しては概ね私の見解です。
そして、、「報道側に責任はない」との結論には否定する立場です。
 報道側にも責任はありますが、それは国民が判断できる責任の領域ではないのが多くあります。
「表現の自由」の領域は公益性tの関連で制約されるべき問題です。
各人の価値観で「表現の自由」の制限が図られることでしょうが、パブリックにはその制限の判断は司法が行うことになります。(何か具体的な制限立法ができれば司法管轄ではないでしょうが)
 
 そして、これは価値観の問題なので反論を受け止めるだけに留めますが、
「優勝劣敗」、「弱肉強食」という理から逸脱した人類は、エゴイズムの極致だと思っています。
 誰もが何かに甘え、他人に責任転嫁するような社会は秩序を失い消滅するでしょう。
 私は弱者が弱者であり続ける原因の自己責任論もしますが、彼らが努力する過程の手助けはしたいと思います。
 その努力がある人間ならば、手を差し伸べようと思いますが、その努力もなく至らぬ部分を補う気概もない人間には、動物的消滅があって然るべきだと思います。
”その消滅で努力した人間が報われるべき”だという考えは、差別ということで否定できないでしょうが・・・・・
 そのような生物的進化の過程があると私は思います。
 勘違いされては困るのですが、「優勝劣敗」「弱肉強食」の世界を肯定しますが、弱者を切り捨てるわけではありません。弱者であることに甘んじない努力を行う人間には、与えるべきものがあるということです。

 正直、私が正論とはまったく思いません。
「正論」なんてものは、価値観と同じく人の数だけあるはずです。
 だから、「正論」という問題ではなく、どこまで相手に己の価値観を誘導する論理を理解させるのか?というのが私、そして、ブログ主である冥王星氏のテーマです。
 勘違いされているようですが、私は、己の価値観を否定されることを恐怖に思いません。その可能性を常に疑いながら、他者の価値観と切磋琢磨し続け、自分が他人に誇れるような価値観を見つけ出すのが目的でもあるのです。
 だから、現状の理論、論理以上に納得できるだろうものを模索し続けています。
だから、私の論理はあくまでも一面の論理でしかないという否定的な見方で、持論を問い続けてほしい、と思います。
 なにより、そのような努力で、私が教えられること、刺激される可能性を想定しているのですから・・・・
 そして、その可能性がない人は切って捨てるまでです。(その姿勢が傲慢という批判には甘んじます)

以上、長い文面ですが返信とさせてもらいます。

  • 2008/07/10(木) 21:15:18 |
  • URL |
  • アシS #-
  • [編集]

アシSさんへ

アシSさん、コメントありがとうございます。

>裏づけというものをどう規定するか?という問題も考えることをお奨めします。
そして、その求める裏づけを精査して見れる能力が国民、編集にあるのか?という問題も

どこまで裏を取れば「裏付け」を取ったと規定するかは確かに難しいところでしょう。
「引用元に確認をとった」とか、「引用元が取材した現場まで行った」とか、「関係者に直接会って確認した」とか色んなレベルがあるでしょうし。

しかし、全くそうしたアクションを取っていなかったとしたら?
それは、「裏付けを取っていない」と誰でも判断できるのではないですか。

私は、この点に関して、毎日新聞の謝罪文からは何も判断できません。
ですが、全くアクションを取っていないと思いますし、この推測は99%間違いないと確信しています。
(参考にしかなりませんが、ネットに出回っている毎日新聞への電突レポからもそのことを伺うことは出来ます)

そもそも、あれほどの変態記事を、引用紹介するに当たって内心疑問に思わないジャーナリストがいるでしょうか?
本当のジャーナリストなら、自分の手で何らかの「裏付けを取る」アクションを起こすはずです。そして引用を止めるはずです。

それを全くしていない。
そして日本人が変態であることの記事ばかり編集している事実もある。

この「編集」には、本当に毎日新聞の「悪意」が現れていると思います。
編集一つで、日本人を変態民族に描くことも、一流民族に描くことも出来るのですから。
(どの対象も、その中間あたりにあるというのが、現実なのだと思いますが)

この編集については、ある程度毎日新聞も非を認めていると思う。
しかし、訂正については、全く言及していない。
垂れ流した記事一つ一つについて、訂正できないと言われるのならせめて次のことを要求したいと私は考えてます。

「毎日新聞社は、記事を引用するに当たり、ジャーナリストとして当然務めるべき裏付けをとる作業をまったく怠り、単なるプロパガンダの役割しか果たさなかったことを認め、自身が報道機関として失格であることを自認します。」

こうでも宣言していただかない限り、垂れ流した記事は、ネット上で「事実」となっていくでしょう。
リテラシー云々も大切ですが、嘘も唱え続ければ事実となるのも現実です。こうした現実に「発信元」として対応すべきというのが私の考えです。

アシSさんの今までの主張を、私なりに解釈すると、

最終的に問題は個人のリテラシーに帰する。リテラシーが向上すれば、報道サイドは正しく淘汰されていくはずで、問題は報道を受ける側の人間の多くに、判断を放棄し自己責任から逃げる姿勢が見られることにある。

となります(あってますか?あまり自信ないですけど)。
この考えを突き詰めていくと、「報道側に責任はない」との結論になると思いますが、これはやっぱり現状にそぐわない。

完全な自由主義がありえないのと同様、リテラシーが完璧な社会など、アルカディアに過ぎないと私は思いますから、まず、報道を真に受け取る人たちの存在を認めた上で(勿論リテラシー向上を放棄するわけではない)、現実的には「報道側にも責任を負わす」必要があると考えます。

確かに自己責任を持たない人間に、民主主義社会の人間たる資格があるかと言われれば疑問ですが、現実問題、弱者が存在しているのです。建前はわかりますが、こうした被害者は救わなければなりません。

アシSさんの主張を、私なりに考えてみると、どこか完全弱肉強食の世界とか完全自由競争の世界とかを連想してします。今までのやり取りを通じてそう思いました。
【追伸】
とはいえ、リテラシー及び自己責任との関係など自分には認識が不十分だったことを気付いただけでもアシSさんとのやり取りは有益だったとも考えております。

  • 2008/07/09(水) 23:04:14 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
  • [編集]

TBの代わりのお知らせコメントです。
『雉も鳴かずば撃たれまい』

あの毎日新聞の下品な報道を叩いている理由は、単に日本人の名誉毀損・・ではないでしょう。物事には表があれば裏もある。
木だけに囚われずに森全体を見る心のゆとりが必要ではないでしょうか?

  • 2008/07/09(水) 12:37:50 |
  • URL |
  • 葵 #-
  • [編集]

最大の疑問点がその「裏づけ」です。
明確化することを期待していましたが
どこまで調査することが「裏づけ」になるでしょうか?
 そして、その「裏づけ」という判断にどれだけ信憑性があるのでしょうか?

 事例として北朝鮮報道のようなものは、裏づけがあるのでしょうか?
 裏づけというものをどう規定するか?という問題も考えることをお奨めします。
 そして、その求める裏づけを精査して見れる能力が国民、編集にあるのか?という問題も

 私からすれば「裏づけのある」報道など皆無です。そしてそれを求めている人はほとんどいません。
 求めているのは、自分の都合のいい「裏づけ」と都合のいい見解でしょう。
 それを消費者側が求める以上は、新聞社はその求めに応じることになるでしょう。

  • 2008/07/09(水) 11:42:23 |
  • URL |
  • アシS #-
  • [編集]

アシSさん、コメントありがとうございます。

アシSさんの丁寧な解説を読んで、なるほどと思うこともあるのですが、何かうまく言いくるめられたという感を抱いてしまうのが正直なところです。

確かにアシSさんの言っていることは正しいと思う。
しかし、それだからといってやっぱり毎日新聞の行為を問わないわけには行かない心情があります。

>訂正しない、できないのが普通だろう。問題ある情報を採用したことに対する謝罪の責任はあろうが・・・・

問題ある情報”ばかり”選りすぐって「編集」し、中には引用元にない「記述を加え」さえしているので謝罪するのは当然だと思います。
それに、「訂正できない」というのもわかりますが、毎日新聞のコラムに限って言えば速報性なども要求されておらず、真贋を確かめる時間はあったはずです。
少なくとも私自身の考える訂正とは、コラム一件一件について、なんら裏付けを取っていないことを毎日新聞が明確に認めること。それぐらいはすべきではないでしょうか。我々日本人の名誉を毀損しているのですから。

  • 2008/07/08(火) 22:14:49 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
  • [編集]

再返信かつリテラシー優先論の部分総括

国民全員が高いリテラシーを持つのが理想論。
しかし、問題はリテラシーの水準の問題がある。
専門性が高いなど様々なメディア情報の真贋を見極める水準のリテラシーは不可能。
 しかし、あくまでも
”報道は信用できないものである ”
”最終的には自己責任で報道と相対する”
という覚悟をもっていれば、リテラシーの不足でも弊害は大きくならない。
 人が間違う必然性を蓋然性として意識することで報道に対するリテラシーも構築できる。
 そもそも、個人の判断能力ほど危険なものはないわけで、メインは”自己責任”という部分に尽きるのである。

海外メディアになる話であっても同じことが言える。他国の国民もあくまでも
”日本のある新聞社の報道では”と捉え、そこから先の自己責任論が当然なのである。
 報道を元にした批判で、報道が間違っていたことを理由に、己の行為を免責できるものではないだろう。
 むしろ、免責してほしいから、「報道が悪い」と逃げ道を探すのだろう。そこには自己責任論は存在しない。

 「騙される」という仮定には、様々な誤解、事実誤認が生じるだろう。被害者としてはそれを避けられないものならば、被害者責任は減免されてしかるべきだろう。
 しかし、報道の多くは様々な視点から多様な分析、検証作業が可能なものが多い。
だからこそ、自己責任の発生する余地が多いのも事実だろう。

次に「訂正の問題」だが、これは簡単である。
伝言ゲームを想定すればいい。
伝聞者の間違った情報をそのまま受け取った人間に責任が発生するだろうか?
 そもそも伝聞形式の記事は
”A報道によると~~~~”という方式を採用する。NHKはほとんどそうだ。
 ”伝聞の内容”の真贋は”A報道によると~~”という完成された事実であり、A報道をソースとしているのでそれを訂正する余地はない。(ソースがオリジン化しているわけだ)
 「訂正しろ」とは、
「伝言ゲームで言えば、前者の伝えた内容を”加工せず”に伝えた」ことが問題になるわけで
 訂正しない、できないのが普通だろう。問題ある情報を採用したことに対する謝罪の責任はあろうが・・・・

「そもそも訂正しろ」、というのは
”A報道によると、~~~~”そのものには訂正する余地はないだろう。実際報道していれば、『”A報道は~~~”と報道しました』という『』の事実の訂正の余地ないのだ。報道内容の責任はA報道にあるだろう。
それにもし、伝言ゲームの報道の真贋を全て改めて訂正作業を行うなら、即応性のある報道はできない。
それこそ、伝聞報道を受けて裏づけ作業を行うから、時間的問題が発生する。
 「訂正しろ」と求めるのも根本的にはリテラシーの問題だと言うしかないのだが、まぁオリジンとソースの違いを考えて、その責任論を考えれば「訂正できない」というのは理解できるだろう。


 さて、どうして国民のリテラシーを優先するか?という回答はむしろ、ブログ主当人が出しているのは自覚しているだろう。
 海外メディアに対して日本国民は直接的に影響力を与えられないのである。
しかし、国民のリテラシーなら国境もクソもない。国民が海外に出ても問題と相克できるだろう。
 むしろ、リテラシーの低い報道が流布する国に出る機会があることを想定して、国民のリテラシーの育成を重要視するべき、と言えるのだ。
他にも、”報道のリテラシー<国民のリテラシー”という理由があるが、
一番の原因は、
「真贋の分からない問題の表現の自由」を保障できない報道では、”表現の自由”が存在しないに等しくなるからである。
 ”表現の自由”という権利の制限については当然留意するべきだろうが、他愛のない真贋不明の報道まで監視しきれないし、監視する必要性はないだろう。

 報道側を統制する方が簡単だと思う人が多いようだが
・報道する側も国民であること
・報道の専門性はあれど、情報提供と分析は国民自身の手腕であること
・自由報道の民主的取り扱いから統制する方が違憲性、違法性が高くなること
 だから、国民のリテラシーの方が優先度が高いのであるが・・・・・

 前述した通り、結局は「自己責任に尽きる」のである。「知る権利」の責任を放棄して報道側を安易に批判する国民を見ると、単純に
「自分で自分の”知る権利”の可能性を制限している」
という見方になるのである。

報道批判によって自己責任を回避する意図がない人もいるだろうが、自己責任論を主体にして報道批判する姿勢もない現状を考えると・・・・・・・・・結局は、自分に甘いだけなんでしょう

  • 2008/07/06(日) 22:42:50 |
  • URL |
  • アシS #-
  • [編集]

アシSさんへ

アシSさん、丁寧な解説ありがとうございます。

自覚はありますか?と問われれば、正直言って、アシSさんに指摘されるまでははっきり自覚はしていなかったといえるでしょう。

大手の報道だから、信用してしまうというのもいけないのはわかります。
一方的に信用していて、裏切られたと感じて怒るのも確かに間抜けといえるでしょう。

アシSさんのいうとおり、国民全員が、リテラシーを向上させれば、こうした問題に対処することは可能でしょう。
でも、これって不可能ではないですか?民主主義国家でそこまで成熟している国ってあるのでしょうか?
アシSさんの言うことは何となくわかるのですが、どうも理想論であるような気がしてなりません。

それに、今回の件に限って言えば、英語版のみそうした報道がなされています。海外でも毎日新聞と言えば、それなりに日本有数の新聞社という受け止め方されるでしょう。海外の人たちのリテラシーを期待するわけにもいかないのではないですか?(この問題に関していえば)仮に日本人がリテラシーを発揮したって防げる問題ではないような気がしますが。

実際、海外で生活する日本人↓のなかには、つぎのように危険を感じているかたもいられるようですし。
http://nanmei.at.webry.info/200807/article_1.html

確かに「大手だから」という理由で非難するのはお門違いかもしれません。

では、得体の知れない雑誌の事実かどうか定かでない変態記事ばかり、何の裏付も取らずに(引用元にない記述すら加え)編集し、海外に発信した責任はどうなるのでしょう。

そして、いざ追及されると、不適切な内容を報道したことについてのみ謝罪し、報道内容について、日本の雑誌から引用しただけだと言い訳し、訂正することすらしない態度を、我々はどう扱えばいいのでしょう。


それはさておき、今回アシSさんの指摘を受けて、ふと山本七平の南京大虐殺や百人斬り報道についての評価を連想しました(私には関係あるような気がしたので。全然関係なかったらスミマセン)。
以下引用します。

>南京大虐殺の”まぼろし”を打ちあげたのは、実は「百人斬り」について前章で述べたと同様に、われわれ日本人であって中国人ではない。そして、「日本の軍部の発表および新聞記事」を事実と認定すれば、それは必然的に「非戦闘員虐殺の自白」になるという図式でも、小は「百人斬り競争」より大は「大本営発表」まで、実は共通しているわけである。すなわち、二人の処刑にも「南京大虐殺のまぼろし」にも全く同じ論理が働いているのであって、これがこの章の最初に「いかなる人間もその時代の一種の『論理』なるものから全く自由ではありえない」と記した理由である。この論理の基本を提供したのはわれわれ日本人である

従って、だれも怨むことはできないし、だれも非難することはできない。自らの言葉が自らに返ってきただけである。だがそこで「みんな、みんな、われわれが悪かった」式の反省、いわば「総懺悔」は全く意味をなさない。それは逆にすべてを隠蔽してしまうだけである。まして新しい大本営発表をしている当人が「反省」などという言葉を口にすれば滑稽である。そうでなく、そうなった理由、そして未だにそうである理由を徹底的に究明し、その究明を通してそこから将来にむけて脱却する以外に、これを解決する道はあるまい。

  • 2008/07/05(土) 22:54:59 |
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  • 一知半解男 #f2BEFQoE
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コメント返答謝礼、返答への反論

>ただ、現実問題として、一般大衆にとっては、大手の信用度は、中小に比べて大きいのが現実ですし、大手はその信用度を武器に世論を導いている面もありますから、その責任の大小に応じて、非難されても仕方がないのでは…と私は考えます。

その考えがリテラシー育成の阻害なんですが自覚はありますか?
 「大手だから大丈夫だろう」
 その認識の甘さが様々な報道被害を生んだわけです。
 しかも、それは報道する側の問題以前に疑惑の段階で国民が信じ込んだ責任でしょう。  メディアの責任ではなく国民の責任であるという理由は、メディアを支配しているのが国民だからです。
 「大手が報道したからそうだ」、というようなことを法廷や社会で主張すれば、間違いでも正論になるのですかね?
 大手だからという甘えが考えを麻痺させているという認識も持てないから、リテラシーも身につかない。
 ブログ主の返答は、自己責任を否定し、メディアという他者への責任転嫁という視点が強い考えられる。 無責任なメデイア受容者のエゴイズムで報道の自由を制約するだけの意見としか言えない。

 引用の人は知りませんが、自己責任論から逃避するような今の国民の状況は総じて問題でしょうし、毎日新聞への義憤は理解できるにしても、メディアというのは政治的恣意性の支配下であることも否定できない。

 「信用」という問題で持論を肯定するようですが、これも根本的にリテラソーがないから言える言葉でしかないでしょう。
 信用度という言葉の中身を根本的に「履き違えいている」と糾弾できる。
 大手新聞社は記事の信用度が高いから大手なのか?という命題でいえば、NOだろう。
 実際に真実性の高い報道はそれこそ専門誌で見ることができるし、大衆紙ほど適当かつ安易な表現で誤魔化す手法は大手でも同じである。
 つまり、大手=記事の信用、ではないのである。
大手=評価されている、よく消費されている
に過ぎない。
極論を言えば、”間違った報道でも国民に支持される報道”であれば、大手になりえる・・・

その程度の存在でしかない「大手」をベースに論じてるわけだ。

以上のように「大手」という反論には意味がない。

 結局、リテラシーから逃げるのは、概ね自己責任論の回避という構造もある。
 誰でも責任は負いたくない。しかし、今の政体において背負わなければならない自己責任から回避しているようでは、到底、民主主義国家の国民たりえないだろうが・・・・
 リテラシーから逃げるために、メディア批判というのもアリガチという分析も可能だが・・ 

  • 2008/07/05(土) 13:48:46 |
  • URL |
  • アシS #-
  • [編集]

葵さんへ

葵さん、こんばんは。

コメント&リンク貼ありがとうございます。
トラックバックは…、やっぱりダメなようです。
ウェブリブログやライブドアブログからは、どうもFC2ブログにうまくTBできないようです。本当に申し訳ございませぬ。

記事の内容については、そちらでコメントするつもりですので宜しくデス。

  • 2008/07/02(水) 22:23:54 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
  • [編集]

TBを頂いてから私見を貴方に送ろうかと思いましたが、貴方の御気持ちを思うと、なかなか思うように書けませんでした。
でもアシSさんのコメントを見て、どうしても貴方にお話をしたいと思い、勇気を振り絞って(笑)UPしました。
http://keserasera777.at.webry.info/200807/article_1.html
『元日本兵の娘として>百人斬り報道 』
TBに挑戦しましたが・・どうかな?
まずは、お知らせコメントです。

  • 2008/07/02(水) 17:08:39 |
  • URL |
  • 葵 #GpEwlVdw
  • [編集]

アシSさんへ

>我々が「大手」だからという理由で批判することには、平等さ(中立性)もないわけです。
いわゆる報道差別の評価というべきでしょう。

アシSさんの言うことにも一理あるとおもいます。
ただ、現実問題として、一般大衆にとっては、大手の信用度は、中小に比べて大きいのが現実ですし、大手はその信用度を武器に世論を導いている面もありますから、その責任の大小に応じて、非難されても仕方がないのでは…と私は考えます。

>メディアは「国民の鏡」なのです。

山本七平も次のように書いています。参考になりますかどうか。

>「白痴番組」という言葉は、白痴視聴者がいるということであり、「画一的記事」という言葉は無思考画一的読者がいるということである。新聞は事実を報じていないという、それは、事実を知りたくないという読者の要望に応えているからであろう。【ある異常体験者の偏見より】

>これは、徹底したリアリストになり切れず、自己および他の「情緒的満足感」を知らず知らずに尊重し、それに触れることと触れられることを、極度に嫌いかつ避ける民族性も作用しているように私は思う。【私の中の日本軍より】

  • 2008/07/01(火) 22:35:02 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
  • [編集]

大手新聞だから、という理由には、関心しないですねぇ。
 こう考えてみる方法論もあります。
例えば、週刊誌の水準の新聞もあるわけですし、報道の自由の射程でいえば、我々が「大手」だからという理由で批判することには、平等さ(中立性)もないわけです。
いわゆる報道差別の評価というべきでしょう。

大手新聞では許されないという感情論は理解できないでもないですが、
「報道なんてその程度」という理解であるべきでしょう。報道が真実を伝える保障など存在しないし、本義、当人が様々な情報から真贋を見極めるべき情報が多いでしょう。
 期待するだけ無駄というのは、悲観的すぎる姿勢かもしれませんが、むしろ受容者の堕落が適当な報道を見抜けなかっただけでしょう。

メディアは「国民の鏡」なのです。

批判する対象として特定企業を出す方法論もありでしょうが、なぜそうなったのか?という理由を1つのメディアだけで考えるのではなく、広く考えるのが建設的だと思える。

実際、メディアフォーラム会合で、
「北朝鮮報道のあり方」で裏づけのない報道姿勢の批判をした所、「おまえは北朝鮮の味方なのか!」という反論が帰ってくる始末。
視野狭窄の批判でメディアは国民の腑抜けさを露呈させている、と思うしかない。

  • 2008/07/01(火) 12:52:11 |
  • URL |
  • アシS #-
  • [編集]

リテラシーも重要ですが…

アシSさん、ご指摘どうもです。

>指摘の記事は、毎日新聞ではなく、読み手我々のリテラシーの問題こそ重要視するべきだろう。

確かにご指摘のとおりです。リテラシーの問題は、(自分もそうですが)もっと向上させることが、このような新聞記事を無くすことにつながるとは思うのですが…。

ただ、私がこの記事で問題にしているのは、そんな根源的な事ではなく、日本の大手新聞社が英語版”のみ”そういう虚報を世界に垂れ流していたという事実や、それがばれるやいなや取った毎日新聞の態度です。

これはリテラシー云々というより、新聞社の態度が真っ先に問われる問題だと思うのですけど…。

  • 2008/06/30(月) 22:43:08 |
  • URL |
  • 一知半解男 #f2BEFQoE
  • [編集]

あえて指摘しておくが
毎日新聞に限らず、ほとんどの新聞の政治・社会面の記事は「裏づけ」など取ろうとしていない。
 そのいい事例が、拉致問題。
実際、自分で朝鮮に渡ることもせずに伝聞報道で朝鮮を論じている・・そしてそれを信じる国民・・・・
指摘の記事は、毎日新聞ではなく、読み手我々のリテラシーの問題こそ重要視するべきだろう。
 もし、仮に「裏づけ」という問題を指摘するなら、ほとんどの報道が存在しないと覚悟するべきである。
もっとも、拉致問題なんかの国民の対応とメディアの姿勢を見て、裏づけなんか跳んじゃってるのは明白だがw

  • 2008/06/30(月) 17:48:43 |
  • URL |
  • アシS #-
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